第5話『いよいよ日本』


朝鮮半島南端から日本海を横断し、日暮れると同時位に日本と思われる陸影が確認でき、陸地になんとかついた。
空は曇天に覆われていて危うく迷子になるところであり少しカオルは焦っていたが、無事に大地につきほっとしていた。

が…光もない。
(都市部で無い箇所もあったよな?)
調べようにもわからない状態、今晩は身体を休め明日に備え…

……


朝方…

目が覚め樹木がなく、はげている山を越えると…居る場所は島であった。
再び海上へと……

そして……一面廃墟が広がっている光景が目にはいる。
(へ?…日本だよな?福岡の筈だよな?
だが一面廃墟、建物の残骸がちらほらある程度であらり…呆然としながらでも上陸していく。

1998年重慶ハイヴ由来のBETA群が最大級台風直撃とかさなり、
まず、最大火力の海上艦隊が第六艦隊以外が九州福岡の戦場に間に合わないというか、到達できなかった。
うんな馬鹿なと思うが巨大な時化や台風になれば…基本貨物船や旅客船は通常運用を避け、備える。耐えたり避難だ。
まぁ酷いときにはリアル2004年海王丸の座礁や船体構造上の問題あったが洞爺丸台風による、第十一青函丸、洞爺丸、北見丸、十勝丸、日高丸もあろう。
軍艦でもコブラ台風等で沈むこともある。
朝鮮戦争最中の戦艦ミズーリも台風で作戦に間に合わなかった。

原子力空母ならば到達できるがと公言してるが…まぁ到達できても戦力発艦に関しては、
甲版上を波が洗う為…発艦作業は人が甲版上に出る為に自殺行為と言えよう。
駆逐艦は荒れ狂う波浪の中、半ば海中へ潜っては飛びあげられるという苦難の後悔となり、戦艦や空母でさえも激しい動揺で艦隊の陣形維持どころか航行そのものに支障をきたしはじめます。
インデペンデンス級軽空母『カウペンス』や『モンテレー』では飛行甲板にワイヤーで固定していた艦載機が吹き飛ばされ、格納庫の中の艦載機も激しい傾斜で衝突、爆発炎上して、特にモンテレーは消火用水が機関部へ入り込み、嵐の中で航行不能、漂流状態となりました。

もっとも苦難に見舞われたのはもちろん駆逐艦群で、12月11時前後にフレッチャー級『スペンス』とファラガット級『ハル』がいずれも90度近くに達する傾斜と機関部への海水流入により航行不能となります。
『スペンス』は11時30分に船体が真っ二つになって横転沈没し、生存者はわずか24人、ハルはどうにかその前に総員退艦が間に合い、68人が救助されましたが、ファラガット級『モナハン』など人知れず転覆沈没、6人しか助かりませんでした。

このコブラ台風で第38任務部隊がこうむった損害は駆逐艦3隻沈没、軽空母4隻、護衛空母4隻、軽巡洋艦1席、駆逐艦10隻、支援艦艇3隻が損傷を被り、多数の艦載機を失ったほどで、戦艦や空母など主力艦こそ大きな損害を受けなかったものの、『1度にこうむった損害としては第1次ソロモン海戦以来』とすら言われます。

なお同じ頃、第7次多号作戦の『オルモック夜戦』で生き残りながらも片舷航行となり、本土へ修理のため回航途上だった日本海軍の駆逐艦『竹』もコブラ台風に遭遇していますが、波浪対策で優れた日本艦であったこともあり、損害もなく無事通過しました。


台風を侮って思わぬ大損害を受けたハルゼー大将でしたが、1945年1月には休暇で本国へ帰り、指揮官がスプルーアンス大将に変わった機動部隊は第5艦隊・第58任務部隊として損害回復と以後の作戦に従事します。

同年4月に沖縄戦が始まると、5月27日に戦艦ミズーリに将旗を上げ、再び第3艦隊・第38任務部隊として沖縄戦を続行しますが、直後の6月4日から5日かけ、沖縄近海の第38任務部隊はまたもや『コニー台風』の直撃を受けました。

この時は人的損害こそ6名と少なく沈没艦もなかったものの、空母『ホーネット』および『ベニントン』は飛行甲板前部が大きくめくれ上がって艦首方向からの発艦不能、戦艦『インディアナ』も一時機関の一部が停止するダメージを受け、重巡洋艦『ピッツバーグ』に至っては艦首を約32mにわたってもぎとられる大損害。

艦載機の損害も150機以上に達し、沖縄戦末期で既に地上戦闘はほぼケリがつき、特攻機の襲来も少なかったから良かったものの、それでもホーネットなど艦尾からの艦載機発着可能かどうかテストを行っていたほど。

それらを上回る台風直後うけた陸地では、各地で水害や土砂災害により通信兵站ラインが壊滅的被害を被った状態でBETA上陸を受けた。

九州にかぎっては本土上陸ありえると96年に退避勧告が出され約2000万人近くの民間人が強制疎開されていた。
既存の街は解体され、九州で阻止する縦深陣地が構築されていた。
民間人の人的被害は当時協力者以外は無いものの、廃墟と化した。

最大級の台風直撃で補給も援軍もなく、九州で阻止戦を行っていた部隊は孤立し…
それも中国地方が側面から奇襲上陸を受け、また四国にも侵攻が早く橋の爆破が間に合わず侵攻を許したためだった。
九州地方は援軍の無いまま個別脱出成功した部隊を除き全滅。BETAの戦力下に落ちた。
これが1998年の夏の頃であった。

そして、翌年…1999年、明星作戦において横浜ハイヴがG弾によりおとされると、それに呼応したかのように本土からはBETAは撤退していった。
BETAが佐渡島に引きこもり、本土から居なくなった後に、福岡は大陸反攻の為の基地が作られ一大軍事基地となっている。
勿論再度日本本土侵攻にもそなえてもいる。
理由としては火力…弾薬供給拠点が1番であろう。前回の台風時に輸送部隊で供給を当てにしてできなかったのが最大の理由だ。
とすると弾薬庫を防御する兵力も必要であり、よって要塞化となる。

しかしカオルは実は福岡には上陸せずにズレて別の場所、長門市に上陸してしまった為、その事を知らない。

カオルは福岡に上陸したと勘違いしたまま全国巡りの記憶を思い起こす。
カオルはリアル2009年、2010年とまちつくの基地局電波とりで勤務の合間ぬって全国巡った。
小笠原にも片道約25.5時間のおがさわら丸に乗って、
夏場なら父島停泊無く折り返し便が設定されてて4時間滞在で帰れる強行軍でいった事もある。
カオルが乗った時は2代目で1036名定員時であり殆どの人がカーペット敷きに寝ていた。
今の3代目と比べると0.6倍小さく、部屋数も個室数は39と少なく、速度も若干遅い。
あと2等和室はマットレスで仕切りもなかった。
ゆれも小型の為かなり酷かったといっておこう。

で、九州はまちつくとのコラボ切符で2日間の九州乗り放題切符で特急、新幹線が乗車。
青春18切符で巡ると……1番きついのが日豊本線の延岡〜佐伯間であり、巡った当時には上下6本の普通が設定されてた。

だが……リアル2023年では上下で3本、佐伯→延岡はなんと1日1本になってしまった。
朝に、延岡付近の普通列車の止まる途中駅から佐伯方面へJRで出勤するとは翌朝まで帰れないと…
2023年今現在は特急車両の普通運用と豪華というか、普通車両を運用する方が難しい話にはなっている。
特急グリーン車両に普通グリーン料金でのれるちょいお得にはなっているが……

話は戻し、リアル2009年の記憶の中の福岡はタワー、1号線、Yahooドーム、西公園、そしてコンビナート等工業地帯が広がっていた。
数多くの船舶がつき、高速船は博多港につき…
しかし目の前は瓦礫だらけ…大火災でもあったかのように煤がついて崩れおちている。
いや崩れおちているは変だ。基礎というか1階の根元の部分から上が無い。

まるで削り取られているようである。

(なんで?なんで?…日本だよね?ここ…ドームはどこ?中洲の可愛いねーちゃんは?
九州の豚骨ラーメンは?なんで?
ひ、人は… 何処なん?福岡がこんな調子だと…日本は…
でも、あの戦っていたモビルスーツの所属の日本帝国は確実にあるんでしょ??
形のペイントも日の丸のようなもんだし…
それともまさか滅んだ?

いや…確か榊ガンパレだと…九州は熊本要塞化し、時間稼ぎして熊本要塞は放棄、九州撤退。
で、九州は幻獣に占拠され、中国地方上陸、岩国で徹底抗戦した筈だよな?
まぁ幻獣側に意思疎通できる者がいて、同盟関係になったのが大きいが…
北は本州と北海道を分断目的で、青森辺りが戦場になった筈…
となると…北海道は無事かな? )

日本本土上陸のある小説である程度考察をし…
(よし人がいる北海道まで行こう。
北海道までがお終いなら、日本自体もお終いだろう…)
目的地を決めこの地を後にする。

(この調子だと…大阪や東京もやばいかなぁ)
と一抹の不安を抱きながら…

…………

(ん?あれ?関門海峡は?ん?)

海峡に行くども行くどもさしかからず…流石におかしいと思い始めた。

(……九州すっ飛ばしたのかな?…となると西か?…
いや…このまま日本海沿いに北海道行ってから、太平洋側をもどるか…
にしても緑はある程度はあるんだな…)
相変わらず瓦礫と化している街なみだが、中国や東南アジア方面等大陸と違い、山の起伏があり険しい山には緑があった。
だが山頂や中腹付近に限られ麓の方はほぼ禿げている。
緑があっても何かに薙ぎ倒されたり、焼けたり等所々禿げているが…

(しかし…なにが通ったんだ?)
麓側のBETAの大群が削り取った跡をみながらカオルは思っていた。

……

=島根=

(あれ?…原発だよなぁ……)
海岸線、岸からちょい離れて東進していると前方には1974年営業開始の国産第一号の原子炉がある島根原子力発電所…の跡が見えてきた。
まちつくmixi版で日本全国巡りでいったので見間違えてはない筈だ。

原子力発電所は核燃料たる放射性物質を、ベレット、被覆管、圧力容器、格納容器、原子炉建屋の5重の被覆により放射性物質を飛散させないようにしている。

で、ベレット内部から発する放射線が周囲の物を放射線発する放射性物質に変えたりする。
それが原子力発電のやっかいなところで…
実情、圧力容器外でも長時間は好ましくないく、
圧力容器内部だと、冷却水で満たされているが、圧力容器の蓋を点検や燃料交換時に開ける事があり、
内部は覗く事ができるがその冷却水に落下したら…救助されても被曝後遺症で亡くなる可能性大だ。
で、燃料棒が多数セットされた燃料集合体が冷却水なくなって露出したら炉心融解起こすのはわかろう。

それで何が言いたいかというと、カオルの目先にある跡地には原子炉建屋がなく……圧力容器も見当たらない。地上部分はだ……

ベレットだけなら10cm×10cmで見逃すのは当たり前だが、
それが縦に積まれ燃料棒としてなり、ソケットとして燃料集合体として形成される。
燃料集合体は形式によって違うが、4.2m×21cm×21cmの大きさ。
または4.5m×14cm×14cm…9×9燃料の大きさになる。

燃料集合体が1号機で4百本で発電炉心になり、それを、高さ19m外郭直径約5mの圧力容器で包み、
格納容器でドライウェル部分だが全高約32m、内寸直径約18m。
原子炉建屋で中央部が地上4階,地下2階建で平面寸法が基礎含めないで高さ68.2m×直径約54m。
その周囲に縦横70m×89.4mで付属棟が形成される。
その位の大きさの物体がある筈なのに地上部分がない。
地下部分の空間は見えてるが…だ。

格納容器、建屋は地下にもひろがっているが、燃料が入っている圧力容器は地上レベルの説明はうけていた。
すなわち……破壊された跡地……

(多分、直射したら駄目だろうな…)

でっかい圧力容器現物、
そして建屋上層階にある使用済み核燃料プールも見当たらない。

使用済み核燃料プールは作業行程上圧力容器容器の蓋レベルの上階層にあったほうが、
燃料移動クレーンのアームに余計な負荷がない。

原発は運転止めて解体作業に装着した核燃料の移動は必須だが、その移動開始にえんらい時間がかかる。
まずは使用済み核燃料棒の問題だ。
発電所内にて最低でも炉から抜いた後、3から5年間はホウ酸ラック内に収め循環水で冷却し続けなければ再臨界し再過熱の恐れもある。
そんなにかかるの?の疑問には交換作業時の装荷されてる箇所から抜き取った燃料集合体からの青い光だ。
臨界していているのはわかろう。
あくまでも冷却している水中にて作業であり…上空への強烈な漏れはない。
で、燃料集合体はホウ酸ラックに収まり青い光は消える。
ホウ酸ラックに収め、核分裂反応をすすませなく、かつ水冷却し続ける状態が湿式貯蔵と言われている。

3から5年経てば単体で出せるの?ではなく次に乾式冷却、ドライキャスクに入れて保管される。
これもホウ酸ラックの様な核分裂防止の仕切板で仕切られ乾燥した状態で保管される。
キャスクの外筒部に熱が伝わり40度〜50度位でそれを空気循環で冷やす方式だ。
アメリカでは1年以上冷やせばだが、東海第二原発作業マニュアルでは7年以上経ったのをドライキャスクに移す。
つまり7年以下は使用済み核燃料プール内にあるって事だ。

で…核分裂抑止しながら冷却し続けてるが、リアル日本では解体する処理工程に進めなく、フランスへ処理依頼してなのでコストがかかる。
それで解体せずに核燃料そのまま保管する使用済み核燃料中間貯蔵施設が……の問題があるが…
まぁこの世界でも同様だろう。


つまり……目の前の状態だと…燃料装着したまま圧力容器が破壊された、
それと大量保管されている使用済み核燃料プールが破壊され水が抜けて露出したと推測され、
結果、熱崩壊おこしてメルトダウン起こし核燃料デブリ…チェルノブイリ以上の状態になってるのは想像できた。

カオルは人間辞めてる身体なので、放射線は大丈夫な筈だが、自身は大丈夫でも身につけてるものについた放射能はいつ落ちるかわからない。
人間探してるのに見つけて放射汚染させたら元も子もない。ゴイアニア被曝事故が良い例と言えよう。
死んだ被曝者が放射線発生源となって鉛で囲われた棺桶に収められる事になったからだ。

建屋地下に落ちているだろうと思われる核燃料デブリ直射を避け、
海岸沿いに通ってたが少し戻って南に進路取り、宍道湖わたって東に向かう方向で進み始めた。

(この様になって何年だろう?)
先の話通り核燃料デブリになっても冷却し続けなければいけないのは、
使用済み核燃料集合体が最低12年冷却、
そっから燃料棒を取り出してせん断処理に工程に進めるのにプラス3年冷却処理し無ければいけない、
六ヶ所村再処理施設施設の規定で定まっているのが参考になろう。
それから考えると…
因みにフランスは原発最先端で、冷却必要期間もゆるい…が、

ただ水をかければ良いでなく、その水が蒸発しないよう冷却する2次循環装置が必要だ。
で、その期間最低でも冷却し続けなければ処理に進めないからはカオルは知っている。
ホウ酸遮蔽物がとれると、自発的に核反応が始まり高温になる可能性ある期間が再処理施設のせん断処理規定の年間といえよう。

核燃料デブリが最悪なケースだ。地面を突き破ってマグマに落下しマグマが吹き出して…そのまま地球内郭に行ってない…
水蒸気爆発起きて核燃料デブリが吹っ飛んだだと黒い跡がそこら中についてる筈だが、見えている範囲だとついてる様子もみれない。
つまり建屋もないむき出しな状態で、何だかの放射線浴びる人的被害だしながら15年間冷却処理した結果になる。
この場面をみると15年以上時は経っている考えもありえた。

一応事故調査団が被曝覚悟で1986年事故発生のチェルノブイリの石棺内に入り調査している。
完成直後の1986年に入った者は全員死亡したが、1989年に入った者はまだ生きてはいる。
象の足、炉心溶融し色々なものと混ざり個体化したあとで、
成分調査の結果核燃料を2〜10%含む個体物。
それは1986年当時は80シーベルトが、19年たった2009年には3シーベルトまで下がっていて1989年から同行しているカメラマンが50cmの距離で撮影成功した。
それでも3シーベルトという数値は通常生活3000年分の被曝量であり…
また爆発時に破壊され残った核燃料棒の撮影も2009年に成功している。
勿論被曝しながらだが…
それ位の時がたてばなんとかだろう。
冷やさずとも2〜10%に希釈されたので再臨界まで至らず核崩壊をしながら溶けるまでは温度が上がらず今日まで至る。
放射線遮断が高い黒鉛が燃料棒ペレットに使われてたのもあるかもしれないが…
それ考えたら希釈されたデブリになったら冷却なしでも15年たてばなんとかかもしれない。

(確か…このまま東だといづれ高浜原発、大飯原発とかだよなぁ……)
若狭湾には15基の原子炉が固まっている。
あと、志賀と柏崎も覚えている。
(そこは避けるべきか……)

……

=余部=

(余部鉄橋が……)

カオルの眼下には無残に崩落した鉄製トレッスル橋の余部鉄橋があった。
余部橋梁は地上から40mの高さにあり、
リアル2010年に架け替え工事が終わったコンクリート橋となっていて、リアル2013年に3脚のこした展望施設に、
そしてリアル2017年に地上とのエレベーター施設、クリスタルタワーが整備された。

だがカオルの眼下の余部鉄橋は山間からきた1号橋脚、トンネル側の11号橋脚を残し他の橋脚が無い為、重さに耐え切れず崩落したと思われる光景が広がっている。


(…平行世界だとすると、2007年以前にこうなったと…)
余部橋梁はリアル2007年から2代目のコンクリート橋が建設が始まったのを知っていた。
まちつくで巡った時に丁度切り替え運休時期に当たったからだ。
その事から考えると2007年以前というのが妥当であろう。

(ただ…橋架替えの契機の余部鉄橋列車転落事故があったのかもわからないが)
リアル1986年におきたお座敷列車みやびが強風に煽られて鉄橋下に落下した事故。
この事故が起き、風速規制が強化され度々抑止、運休となり、約5年後に余部鉄橋対策協議会が設立された。

つまり事故が起きなければ規制強化されず、鉄橋は事故前の強化補修案を再選択し、保守利用され続けているかもしれない。

事故が起きた余部鉄橋の鳥取〜城崎温泉間は非電化区域……いや電化されている……
残っている部分に架線柱があり、電線が垂れ下がってはいるけど残っている。

石油事情悪化で1990年頃に全国路線は電化され、1986年当時はまだ非電化。
余部鉄橋通行してたのは、1977年製造開始のキハ40系統か1957年製造開始のキハ20系統、
または50系客車引く気動車タイプ…蒸気機関車は1976年定期運行終了してるから無く、
いづれかであろう…
キハ31、キハ32は1987年製造開始だからまず無い。

お座敷列車自体はジョイフルトレインというジャンルがBETA戦以前の1960年には登場してる事から、走ってない事はない。
で、みやびが製造される契機は1960年登場の車両、お座敷列車の陳腐化したからだ。
元の台車が太平洋戦争中の木造車であり、それを鋼体化し、冷暖房機搭載、お座敷化といくつもの改造を経た車体であり、
サロンカーなにわが登場するとますます見劣られ、14系客車を改造してみやびが誕生した経緯だから本土防衛軍設立した年だとしても生まれない経緯はなかろう。

まぁ事故の1番の原因は列車を止める指示の特殊発行信号が風速計と自動連動してなく、
列車司令員が責任持って止めていたという管理体制が原因であった。
指令員は風速計警報から香住駅に問い合わせして問い合わせ結果で判断して止めていた。
つまりその判断間違えると止めなきゃいけない状態の時に止めず、突風が吹いて落下するヒューマンエラーを出し事故が起きた。

判断間違えてなければ事故は起きなかったろうが、起こるべくして起きた事故だったかもしれない…


(しかし、2007年以前から15年たってだと…2022年か?いやでも…)
破壊された余部鉄橋の錆腐食はさほど見えてない。
保守しなければ錆びてしまうのはリアルに展示されている切り離した橋桁を見てるから想像はできる。
(なってから…3年位か…?となると島根原発の状態が…)

疑問に思いながら余部鉄橋跡を背に更に東へと……
……


丹後半島北端あたりから原子力発電所を避けて若狭湾を横断してしまったので、
再建された舞鶴基地、琵琶湖運河は見ずに行ってしまった。

舞鶴湾は周囲を300mから400mに囲まれ強風や荒天を避けることができ、
停泊、接岸、また3重接岸も可能。
そんな天然な良港条件なのでこちらもBETA本土撤退後に再度軍港として整備された。

カオルの地上散策しながらの飛行高度10m程……木があったらその上空10mだと大浦半島の山々で視界が遮られる。
大浦半島の南側通らないと基地確認すら難しい地形と言えよう。

舞鶴基地と同様にBETA撤退後再建されたのに古くからの良港、佐世保基地がある。

琵琶湖運河…琵琶湖と、大阪湾、伊勢湾、敦賀湾をそれぞれ結ぶ大運河で、全長330m幅60m喫水20mの200バレル積載タンカーが通れる。
これを見たらカオルは違和感を感じよう。
でも通らなかったので……

………

=新潟県=

(あ、あれは!奴らの巣!)
前方にみえる島は佐渡島…佐渡島ハイヴがカオルの目に入る。

京都を蹂躙したBETA群が98年に佐渡島に作った巣であり、現在の規模はフェイズ4。
1973年建設のオリジナルハイヴがフェイズ6でありその規模はわかるであろう。

(そうか、だから富山や金沢はあんな状態だったのか…
そりゃ…北海道に首都移転したと考えた方が無難だな…
佐渡島に奴らの巣があったら分断されるからな…
さて…県内側に進んで北上のが無難か…)

海岸沿いに進むとBETAに探知されかねない…
そう判断したカオルは、内陸部側にはいり迂回しながらすすむと…

(爆発音!?まさか…今度こそは!)

気合いをいれ爆発音が聞こえる方向へとむかう。




後書き

H24年4月8日改稿

H24年12月8日再改稿

R7年改稿

設定見落としがあり、上陸地点の変更、
及び通るであろう島根原発破壊跡記載。

実際問題原作にも原発エネルギーに移行しての破壊されたらどうなるの?の場面がなく……
まぁ後にもちょくちょく追記せざるえなくなりました。

もっと被害酷いよ、周囲への影響が軽いにはまぁカオルがそこら辺までしか想像できないと突っ込んでください。
実際に目に見えませんから……
あとカオルは東日本大震災を経験する前に転生しました。



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