「君」
「は?なんだ、お前」

 メルディアナ魔法学校の近く、所々白髪の混じり眼鏡をかけている男性が一人の男子生徒に声をかけた。
 その問いかけに対する生徒の返答は、とても年上に対する話し方とは思えない態度だった。その目は、まさに見下しているかのようなものだ。

『校長、彼は?』
『うぅむ……この男性は分からんが、この子は確かパイソン君じゃなかったかの』

 精神体となって辺りを漂うネギとネイルは、あの白い靄のようなものが何を伝えようとしているのかを見極めようとしていた。

「……私の息子が最上級生で、君もその制服から同じ学年の子だと思ったんだが」

 この男性は生徒の態度に対し、気に障ったような素振りを見せることもなく質問をする。

「ああ、俺は最上級生であってるぜ」
「息子……ドゥカス・ローゼルと言うんだが、この辺りで
見なかったかい?」

『ドゥカス・ローゼル?校長、誰か分かりますか?』
『確か……少し前に事故で亡くなっていたと思うんじゃが……』

 はっきりとしない物言い。思い当たるところがあるのに、言い辛そうにしているように感じる。

『何かあるんですか?』
『うむ……あまり詳しい話は分からないんじゃが、少し前に退学になった生徒、フェイダー家の息子なんじゃが、その家で行っていた魔法実験で巻き込まれてしまったと言う話があるんじゃ』

 フェイダー家。
 旧世界でも魔法世界でも同じように名が通っている家だが、この間の事件によってその名はある程度下がったが、その当主であるバルゼロ・フェイダーの実力が高いため、息子の失態も隠せている。
 バルゼロは魔法研究に精を出す人物のようだが、研究をするための材料のために資金を集めるのに手段を選ばない、という噂がある。
 あくまで噂なのは、他人と会うときは表情に笑みを浮かべ、常に当たり障りがない言葉を使っているからだそうだ。

『実験?でも、魔法の実験をするなら誰もいないところでするものだと思うんですが』
『そうなんじゃが……儂もよく分からん』

 と、ネギとネイルが会話を続けていると、その下で場面が進んでいた。

「ドゥカスぅ?……ああ、あいつか。あんな奴の事なんて知らないね」

 一瞬、男性の眉が動いた。変わらず表情には笑みを浮かべているが、その瞳にはすでに生徒の姿は映っていなかった。
 それが分からない生徒はさらに言葉を重ねていく。

「あんたもあんな奴が息子で苦労してるんじゃないのか?全然魔法は上達しないし、かといって筆記ができるわけでもない……なんのためにここに来てるのか俺には理解できないね」
「……」

 その言葉を聞いた瞬間、男性の顔から笑みが消えた。浮きも沈みも無い本当にまったいらな顔には、何一つとして感情が籠もっていなかった。
 ただ、黒く闇い濁った双眸が、奥深くにえも言えぬ想いを表していた。

「ほんと嫌になる「だまれ」は?」
「だまれといったのが、きこえなかったか?」

 とても人間の声帯から出ているものとは思えない音色で放たれたその声に、生徒の反応は眉を潜めるだけ(・・)だった。その声に何が込められていたのかを気付くのには、人生経験が足りなかった。

「……は、まさかあんた、俺みたいな子供(ガキ)の言葉に怒ってんのか?はは、それならあいつの頭が足りないのもあんたのせいだってよく分かるよ!だって、あいつはあんたの息子だもん……なぁ……」

 何が起こったのか生徒は理解することができなかった。ましてや、その異常が自分の身に起こっているなんて事も理解することができない。
 そして、その生徒の意識は暗闇の中へと落ちていく。
 その姿を最後まで見届けていた男性の表情には、見た総ての者を戦慄させる凄絶な笑みを浮かべていた。

 そして場所はある地下室へと変わる。魔法で運び込まれたパイソンは、そこでドゥカスから責めを受けることになる。

 それから繰り返される拷問の数々。
 生徒……パイロンの魔力は専用の拘束具によって封印され、全く魔法が使うことのできない状態で何度も執拗に体を痛めつけていく。
 気絶しようがどれだけ血を流そうが、死に至りそうになったら男性が魔法で傷を治す。それを何度も何度も繰り返す。

「あ゛……う゛ぁ」
「なんだ……もうくるってしまったのか」

 見た目は痛めつけられる前と何一つ変わりなく、健康そのものであるように見えるが、既にその目は何も映していなかった。あまりの痛みに、終わりなく続いた痛みに、"自分"というの存在を保ち続けることができなくなったのだ。
 それでも、抜け殻のようになってしまったパイロンの体に魔法で傷を刻んでいく。

「まぁ、いい。おまえには、わたしにかわってしごとをしてもらわねばならないな」

 そう言うと男性は近くに置いてあったガラス製の瓶を手に取り、そしてその中から取り出したのはピンク色をした10cm程の細長い物体だった。
 先端部分に黒い点が二つあるだけで他には何もないものだったが、それを目にした瞬間ネイルの顔つきが豹変した。

『あ、あれは、人操虫か!?』
『じんそうちゅう?』
『その名の通り、他人を意のままに操ることができる虫じゃ……その危険性から、幸いにも我が学校には置いていなかった物何じゃ』
『その"幸いにもの"に含められた意味を問いたいところだけど……』

 呆然とした表情をするネイル。釈然としないと顔に出ているネギ。
 二人の思いは別なところに向いているけれど、それとは関係なく記憶は先へと続いていく。

「さぁ……おまえはここでうまれかわる。おまえは、わたしのむし(・・)だ」

 男性は手に持った虫に魔力を籠めながらパイソンの耳元に近づけた。すると、今まで微動だにもしなかった虫は息を吹き返したかのように動き出し、近くの小さな穴……パイソンの耳の中へとうねりながら入り込んでいった。
 滑り込むように耳へと入った虫は先端に当たった鼓膜を破り、三半規管を犯し、神経を掻きまわしながら進んでいく。

「あ゛……う゛あ゛ぁ」

 既に意識を壊されているパイソンの口から呻き声が漏れる。それと同時にその体は大きく痙攣し始め、目は白目をむき、口からは泡を噴き出していく。
 そして、ネギとネイルに強烈に伝わって来た、


『くるしいよ』


 という言葉が聞こえた瞬間、二人の意識は黒い波に浚われるように現世へと引き戻されていった。



 ◇ ◇ ◇



 気が付き、ふと両目を開いてみると、視界に飛び込んできたのは学校の廊下の天井だった。
 うまく働かない頭を振り絞りなんとか記憶を辿っていった数秒後、自分が今まで何をしていたのかに至り、慌てて起き上がって辺りを見回してみると、そこは先程の階段の辺りではなく、誰かに運び込まれたのか保健室のベッドに横になっていた。

「……ここは?」
「嗚呼、ネギ!気が付いたのね!」

 いきなり横から抱きつかれた。
 突然の衝撃に、起きたばかりで体勢も整っていなかった体に耐えることができるはずもなく、横に倒れてしまった。

「うわ!……ネ、ネカネさん?」
「嗚呼……ネギ……ネギィ」

 目元が赤くなっているネカネの姿は、今までネギにしでかしてきた痴態を考えなければ、ただ単純に自分のことを心配してくれていたんだなと納得することができただろう。
 が、改めて観察してみると、目元が赤くなっている……と言うよりも、むしろ頬が上気していると言った方が正しいと思えるのだから、そろそろネギ離れをしてほしいものだと考えてしまう自分は何も悪くないはずだと、ネギは自問自答をする。

「ネカネさん……心配してくれて、ありがと」
「……うふふ、私の天国(ヘブン)はここにあったのね」

 ここで新たな生活をする前に見た、煙草依存症の人も同じような表情を湛えていたなぁ……ネカネにとってこの比較対象はいささか可哀想だが、それもこれも、自業自得だ。

「ネギよ」
「あ、校長」

 ネカネの反対側から現れたネイルの姿は、先程一緒に記憶を覗きこんだ時よりも若干疲れているように見えた。

「お主にこの紙を渡しておく……お主なら、そこらにいる魔法使いよりも信頼できるし、何より、無茶無謀と思うようなことはせんじゃろうからな」
「これは……」

 渡された紙を見てみると、そこに描かれていたのはあの記憶の中に出てきた男の人相だった。その脇には何らかの魔法陣も描かれてあるが、これは恐らく、連絡用の物かその類のものだろう。

「良いか?何か手掛かりになるものを見つけたら、すぐ儂のもとに伝えるんじゃ。……儂でなくとも、ドネット君でもよいし、ランドイッヒ博士でもいい」
「わかりました」

 こんな紙が用意されているということは、俺はあれからどれぐらい横になっていたのだろうか。
 そんな疑問を抱えたが、あまり大きな問題でも無かったためすぐに流れて行った。

 これから、メルディアナ魔法学校設立以来最大の事件の紐が解かれていくことになる。



 ◇ ◇ ◇



「……そん、な」

 一人の男性が見た光景に、ようやく絞り出すことができた言葉だった。
 今まで努力に努力を重ね、その果てに見つけた自分の最後の姿。あるいは、もっとも輝いていたと言っても良い程の姿。
 その想いが、全て無に帰っていた。

「なぜ、だ……」

 男の絶望したような、悲嘆の果てに辿りついた男の慟哭が、虚空へと消えていく。

「なんでなんだ……」

 報われることのなかった男の慟哭は続く。
『今の自分がここにいるのは、このためにこの道を歩み続けてきたからだ』
 何度も何度も繰り返される過去の回顧。不可能だと罵られたことがあった。挫折もあった。
 それでも、自分の気持ちにだけは嘘はつけなかった。その果てに、あの姿(自分)を得たはずだった。

「なぜ!私は禿げてるんだぁぁぁあああ!?」

 エドワード……彼の頭部に生い茂っていたはずの森林は、不毛の大地へとすり替わっていた。

 所謂、夢落ち……だったわけだ。



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