ルヴィアとの会話を終えたネギは、件の魔導書を返却しに行くという嘘をついて教室を抜け出していた。……彼が魔導書を返すのは当分先の事になるだろう。

「違和感、か……」

 リムも同じようなことを言ってきた。ルヴィアが感じることができたのなら、ネイルを筆頭にランドイッヒなども違和感に気付いていることに違いない。

「けど……如何せん、場所が特定できないからなぁ」

 廊下を歩きながらぼやく。
 リムの話を聞いた後、この学校周辺の地図に魔力の高まりが起きた場所を記してもらったのだが、その場所の全てがばらばらで、とてもじゃないがどんな意図があって事を行っているのか全くわからない状態……つまり、手詰まりだ。
 自分が教師じゃなくて生徒でよかった。そう思えるのは、面倒事が自分の身に降りかかってくることが無いからである。……決して、先生方お疲れさまでーす!なんて軽い気持ちを籠めてすれ違う先生方に会釈をしたりなんて、してないぞ?

 と、一階から二階へ繋がっている階段を昇っている時のことだった。

「……ん?」

 何か、違和感を感じた。
 階段を昇っているときに抱く違和感は、魔法と言う存在に触れる前だったら動機・息切れあたりだっただろうか。
 しかし、自分の身体が何か異常をきたしているわけでもないし、元来持病を患っているわけでもない。だから、その感覚を何に対して抱いたのかは、その瞬間自分でも理解することはできなかった。
 が、その感覚に導かれるような形で、ネギは後ろを振り返った。

「……なんだ?」

 そこには、自分の足で踏みしめて上がって来た階段が存在しているだけで、どこか変わったところはない。そう、視覚()訴えかけてくる。だが、感覚だけが違う主張をしていた。
 どこか──はっきりと指を指して特定できない──、空間が歪んだ。
 陽炎のようにゆらゆらと、蜃気楼のようにぼんやりと。
 次第にその姿は濃い白を滲ませていく。段々と色が濃くなっていき、遂には奥が見えなくなるぐらいまで。
 輪郭だけは何とか人間だと分かるぐらいまでになったそれは、指や顔は存在していなかった。

「……俺は、逃げた方がいいのか。それとも、頑張って意思の疎通でも図ってみればいいのか」

 そんな事を呟いてみるが、自分の足は一歩、二歩と後退りしていく。その白い存在が、ただそれだけの存在ならすぐにでも魔法──バニシュ──を使って逃げるんだが、そいつが3m位離れている自分の場所まで怒り、苦しみ、悲しみ……これらが混じった感情が伝わってくることで、ここから逃げ出すことを躊躇っているのだ。

「どうしてお前は、そんなに苦しそうな感情をばら撒いているんだ?」

 その言葉が引き金となったのか、白い塊がネギの方へと移動し始めた。

「ちぃっ!悩んでる暇はないってのか!」

 さすがに目の前に存在しているあれ(・・)に生身で触れるのは危険そうだ。ほんと、どこぞのホラーゲームに出てきてもおかしくない見た目だ。そこまで動きが俊敏ではないため、『戦いの歌(カウントゥス・ベラークス)』で身体強化すれば簡単に撒くことはできるだろう。
 それが、この学校にいる他の生徒のことを考えなければ。
 自分の身だけを考えるのであれば、このまま逃げて校長室なりランドイッヒ博士がいる研究室なりに退避すれば良い。だが、その判断によって思わぬ二次災害、三次、四次……と、続いていくかもしれないのだ。色々な世界が織り交ざっているからこその考え方だ。まさに赤松ワールドなら、誰かが夭折することもないに違いない。

「取り敢えず、普通に魔法使ってみるか!
『来たれ氷精、大気に満ちよ。白夜の国の凍土と氷河を…凍る大地!!』」

 言霊が木製の階段に響き渡る。
 大気に漂う精霊が言霊に籠められた魔力に従い、その能力を発揮する。
 廊下の表面は一面凍り、凍結した部分から巨大な氷柱が瞬時に出現し、白い何かを一瞬で覆い隠した。うまくかわすことができなければ身動きできなくなるこの魔法は、空中で移動する術を持っていないものに対してかなりの攻撃性を見せるのだ。
 しかも、この魔法を行使したのが溢れんばかりの魔力をその身に秘めているネギであることに加え、その効果の範囲を狭めたこともあり、階段は上から下まで氷で覆われてしまった。
 ここまでの威力なら、まず常人なら死に至るだろうそれは、それだけではネギには不安だった。

「まぁ……実体なさそうだったから、多分出てくるんだろうな」

 それは果たして、ネギの予想通りとなってしまう。
 氷の壁の奥から、光の乱反射によって白く光っている以外の白い靄がこちらに向かって動いていた。

「はぁ……あまり使わない魔法だったけど、結構自信あったんだがなぁ」

 そもそも、メルディアナ魔法学校では『魔法の射手(サギタ・マギカ)』以外の攻撃魔法を習うことはない。魔法理論専攻においては術式だけに目を触れることがあるだろうが、この学校においては一切使う機会がないのだ。
 それでも、一般的な魔法使いの『凍る大地』よりも遙かに高い威力を有していたのだ。

「……なんか誰かに見られてる気がしたけど、ここで魔法(・・)を使わないわけにはいかないか!『ストップ』!」

 先程ネギの口から発せられた言霊とは違った力が世界に働きかけた。
 こちらに向かいつつ氷の壁から出てこようとしていた白い靄が止まる。それと同時に、氷柱によって冷やされ白い霧状になって大気中を漂っていた水分も、一枚の絵が切り取られたかのように時が止まっていた。

「ふぅ……さすがに時を止められたら動けないだろう。一応、念のために『スロウ』」

 この魔法は、名前の通り相手の時間の流れを遅くする魔法だ。逆のバージョンとして自分の時間の流れを速める魔法が存在している。……勿論、どちらもネギまの魔法ではなく、FFの魔法なんだが。
 この魔法を今使ったのは、直前に掛けた『ストップ』の効力を長くするために併用したのだ。

「はぁぁ……疲れるなぁ。なんでこんな亡霊まがいのもんを相手にしないといけないんだよ……おぉい。そこにいるんでしょ?校長先生」
「……うむ」

 いつの間にか、という表現をするのが一番合ってるのかもしれない。恐らく、簡易版の転移魔法を使ってここの近くにきたのだろう。
 ネギからは死角になっているところに頑張って魔力漏れが無いように出たようだが、ネイルの体の中を巡っている"気"が、その存在感を主張していた。
 元来、魔法使いは魔法の修得・研究に励むものであるから、ネギのように気で相手の位置を探るなんてことをするのは魔法使いには滅多にいない。

「それで、これはどういった状況なんじゃ」
「あ〜〜……なんだろ。そこに、なんかよく分からない奴がいたんだけど、ほっとくと大変なことになりそうだったから……こうなったんだ」
「……氷漬け、まさしく氷でできた棺じゃな」
「いや、命があるような奴じゃなかったし、氷漬けにしたあとも中で普通に動いてたよ」

 そんなネギの言葉に、ネイルの顔が引きつった。
 白い靄のようなもの、障害物があろうが中で動くことができる。この二つの条件が当てはまる種族が、ネイルの頭の中に浮かんだ。

亡霊(ゴースト)か……」
「ゴースト?」
「うむ……儂が若かったときに一度だけ見たことがあるんじゃが、まさかこんなところに出現するとは……」
「……何か理由があるんじゃないですか?」

 普通、霊というのは肉体に宿っているか、離れて存在してると考えられる精神的実体のことだが、その人の後ろの憑いている守護霊や背後霊であったり、死んだことを納得できない者や何かやり残したことがあるという意識が残っている自縛霊であったり。
 このように、死してなお現世に残っている霊は、何かしら理由を持っていることが多々あるのだ。

「そうじゃの……じゃが、その理由をどうやって……」
「校長ならできると思うんだけど、あんなに明確な感情があるんだから夢見の魔法で生前の記憶を見れるんじゃないですか?」
「できるじゃろうが……そんなことを思いつくお主でもできるのではないか?」
「ハハハ!!何を仰る校長先生!一生徒でしかない僕にそんな魔法が使えるわけが無いじゃないですか!」
「……もう、そんな言い訳は儂には通じんぞ」

 片方は高笑いをし、もう片方は疲れたように肩を落とす。対照的な二人だが、目の前の状況を鑑みると、かなりのギャップが流れていた。

「まぁ……いいじゃろ。
夢の妖精(ニュンファ・ソムニー)女王メイヴよ(レーギーナ・メイヴ)扉を開き(ポルターム・アペリエンス)夢へと(アド・セー・メー)いざなえ(アリキアット)』」

 この夢見の魔法は、本来眠っている者に対して使用する魔法だが、既に亡くなっている人でも、確固たる意志(精神)が存在している人にも効果を発揮する。
 詠唱が終えると同時に、ネギとネイルの精神体が白い靄の意識の中へと入り込んでいく。少しの間、視界が白い光で覆われていた二人だが、徐々に視界が明らかになっていき、そして目の前の状況に唖然とする気持ちを隠せなかった。

「ま、まさか……こんなことが起こっていたとは」

 そこには、壁に貼り付けにされる形で魔法を掛けられている生徒の姿があった。



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