バルジェロ・ローゼルの事件からしばらくの時間が経った。
あの事件を知っているのはこの学校の教師の中でも極少数だし、その中でネギが関わっていることを知っていて、なおかつ解決したのもネギだと理解しているのはたった五人だけ。
そんなことをただの一生徒が知っているわけもなく、他愛のない話をして盛り上がっていた。
その表情は、二人の生徒によって引き起こされた事件に不安がっていた面影はなく、一般的な学生生活を送っている生徒の顔だった。
実際、その被害を被ったのはルヴィアとネギだけだし、舞台の裏側さえ知らなければただ二人の生徒が停学になっているだけなんだが。
そもそも、あんな事件に介入する気なんてなかった俺としては、この後からの行動をどうしようか悩む羽目になってしまった。
平穏無事な生活を送りたい。
──なんて儚い祈りはすでにネカネさんによって粉砕されてる。
『襲いかかってくる災厄は私に任せて!』で全部解決しそうだし。そも、言い出しっぺのネカネさんが災厄であるとは本人はいざ知らず。
事件に介入しなかったときのことを考えてみる。
……それはそれで、ルヴィアが可哀想なことになっていただけなのでは?
俺の視認範囲内であんなバカなことをされたら、相手が誰だろうと助けに入るが、それで助けた相手が主役級の登場人物とはこれいかに。
絶対、あのとき遭った神だか紙だかに面白がられているに違いない。
この世界の概念はあくまで『ネギま』に沿っているのだから、そもそもFateのキャラがでてくることが可笑しい……なんて言ってしまえば、召喚術と勝手に称しているリムが存在していることやら、FFの魔法を遺憾なく使っている俺が思っていい事ではないな。
これは最早、何も気にせずありのままのこの世界を受け入れて生きていけという神の思し召し……うわぁ、そんなの破り去って焼却してしまいたい。
特に何も考えない。
それが一番、日常生活を送っていく中で楽なのではと思え始めた今日この頃。
しかしながら、これからの人生において如何に苦行とも思える原作ルートを楽に過ごせるかを考えざるの得ず、数通りの生き方を思い浮かべては打ち消す日々に悶々としていると、凛とルヴィアがやってきた。
二人揃って教室まで来るってことは、何かあったのだろうか。
「ふ、ふん! 別に、アンタに別れなんて言わなくても良いと思ってたけど、ルヴィアがどうしてもって言うから」
あら可愛らしい。
頬をほんのりと薄紅色に染めた凛が、両手を腰にあてて仁王立ちをしている。
普段は名前通り凛とした立ち振る舞いで周囲を魅了している彼女がである。
もっとも、遠坂家伝統の固有スキル"うっかり"を考えなければだが。
「あら、私は貴女が先に別れを告げに行きましょうと仰られたのを耳にしたのですが?」
そんな凛の後ろから、上から投げかけるように声を掛けてきたのは、何故か勝ち誇ったような雰囲気を醸し出しているルヴィアだ。
お家柄、どうしても煌びやかなドレスを着用することが多いルヴィアは、取り留め制服の規定が定まってないこの学校にも貴婦人が着用してそうなドレスを着ている。
だが、今回に限っては周りの生徒と同じ制服をあしらっている。それでも、ルヴィアの金色の髪は艶やかさを失っておらず、薄紫色の制服にも映えているのだから流石である。
メルディアナ魔法学校の制服は、ファンタジー感溢れる御伽話に出てくる魔法使いが着ているようなマントと、これまたよくありそうなとんがり帽子だ。
帽子、と言うよりは頭の上に置くと表すのが適切に感じるが、どうしてこの帽子はこんなにも縦に長いのだろうか? 重力と自重を支えきれずにとんがりが草臥れるのに。それでもとんがりにする意味は何だろう。
……待てよ?
別れを告げにいくと言っていたが、そもそも別れとは何のことを指しているのだろうか。
娘のことが心配だからなんて理由で学校を転校しますなんてのは、いじめに遭っている子供の親がよく取る行為ではあるが。
あれ、よく取る行為だろうか?
だからと言ってルヴィアの両親がそんなことしそうにないし、凛まで別れを告げにくるなんて意図が分からない。
……他になんか特別な理由なんてあったっけ?
「ああ、卒業式か」
ようやく思い出せた。
「な、なんでそんなことここで言うのよっ!?」
「ほほほ、何をそんなに動揺していらっしゃるのですか?ミス遠坂?」
「……ふ、ふふふ……良いわっ! 今日という今日はアンタと決着をつけてやるわ!!」
そういえばそんな行事が近々あったなと思い出している間に二人の会話はドンドン進み、周りに人がいるというのに取っ組み合いを始めそうな雰囲気を漂わせていた。
なまじ、取っ組み合えるだけの運動神経を持ち合わせているだけ周囲の被害が大変なことになる。
……いつも思うが、どうしてこの二人はこんなに喧嘩っ早いんだろう。
そんな疑問が沸き上がるが、ふと周りを見渡してみると、今にも触発しそうな二人に近くの生徒たちは皆揃って距離を取り、こちらの様子を伺っていた。
中には、手に初心者用の小さい杖を握って損害を被らないよう用意している者までいる。
小動物みたいにプルプル震える手で杖を握っているその子は、素直に可愛らしいと思えるし、ルヴィアと凛も同じような可愛らしさを身につけてほしいものである。
実際にそんなことを口にしたら張り付けにされてしまうか、俺に関して地獄耳のネカネさんの暴走が始まるかのどちらかだから言わないが。
「二人とも、ここは講堂だってのを理解してる? 周りに沢山の生徒だっているんだから、くだらないことで喧嘩して、周りに迷惑かけるんだったら……」
一番最後。
誰もが気になるだろう場所を敢えて言い淀むことでちょっとした好奇心と恐怖を引き立てる。
『好奇心は猫をも殺す』とは、なんでもかんでも首を突っ込むと命が幾らあっても足りないという意味で、ここ英国の諺の和訳だが……ネギ君はこの諺が大好きなようです。
「か、かけるんだったら……?」
「……君たちに素敵な幻想をお届けしますよ」
恐る恐る聞いてきた凛と、黙って先を耳にしたルヴィアは、そろいもそろって盛大に顔を引きつらせた。
まあまあ良い交友関係を築けているとは思ってるから、あまり惨たらしいものは見せないが、ちょっとしたトラウマができる程度で翻弄するのは、許されるだろうか……?
「やめて! アンタ、今凄く良い笑顔になってるけどかなり恐いから早く普通に戻って!」
「そうですわ! 貴方の幻想なんて、とてもじゃないですが経験したいとは思いませんし、喧嘩なんてしませんわ!」
「そう……残ね、んんっ! それは良かった」
激しく首を上下に振って喧嘩しないと仰られる二人は、どう見ても顔を青くしている。それを一歩離れた所で見ていた周りの人たちは、笑顔のネギを見て更に一歩後退りをした。
折角二人の騒動を治めたのに……失敬な。
それはそうと。
「そういえば、二人とも卒業でしたね」
俺はこの学校を飛び級で卒業することは元から決まっていたようなもの。それなりの努力とたぐい稀な魔法センス──最早この世界のものではない魔法も使っているが──で、9歳にはもう卒業できるだろう。
俺、頑張った。超頑張った。
何が一番って、それは勿論子供たちと一緒になって勉強をしなければいけないことだ。
さすがに子供のように振る舞うことは諦めている。そのためなのか、何故か俺の周りは少しばかり頭の回転の速い生徒が固まっている。
このクラス以外ではよくあることらしいのだが、生徒が魔法の危険を考えず、喧嘩で魔法を使っているらしい。そんな生徒がこのクラスにいると考えるだけでも気苦労が絶えなそうだが。
俺の後ろにいるネカネさんの影響というのは、やはり高いのだろう。たまにこの教室に顔を出したと思えば、他の生徒が緊張を眼差しに籠めて俺とネカネさんを見てくるし。
「そうですわ。ネギさんにはお世話になりましたから、挨拶でもと思いまして」
「私は、さっきだって私たちを止めてくれてるし、迷惑もかけちゃってるし」
「そうでしたか……まあ、卒業式でしたら僕も見に行かせてもらいますので」
「え?」
ん?
何か変なこと言ったか?
「確か、卒業式の日って、他の学生は普通に講義だったわよね」
「そうですね……ネギさん、気持ちだけ受け取っておきますわ」
いや、いやいや。
「いえ? 僕は卒業式に行きますよ。講義をしてくださる方々には申し訳ありませんが、ここにいるよりは有意義でしょうし」
二人が唖然とした表情で見つめてくる。
そりゃそうだろう。
講義を抜け出してくると言われたのだ。普通の生徒にそんなことをする権利なんて無いし、まず考えもしないだろうが。
「別に良いじゃないですか。教師の方……いえ、校長に僕から説明しますよ」
「そんな……」
「……良いんじゃない? ネギだったら講義受けなくても問題無さそうだし」
「……そう、ですね」
おや、唖然としていた割には肯定的だ。
ルヴィアは一瞬こなくても良いと言おうとしたのだろうが、凛の言葉を聞いて意見を変えたようだ。
よし、そうと決まれば校長に許可でも貰いにいきますか。ちょうど休み時間だし。
「そういえば、卒業式っていつでしたっけ」
「いつって……明日よ」
「え?」
あれ? そうだったっけ。
授業をあまり聞いてはいなかったが、そんな行事まで聞き逃してるとは。まあ、二人が卒業するなんて知らないままだったら卒業式がいつ行われようと気にもしなかったが。
と、二人の話を聞いて卒業式に出れるよう校長に直訴しに向かったネギは、程なくして参加の許可を得ることができた。
名門貴族のご令嬢が卒業するということもあり、実力のある者に警備してもらっていた方が校長も気が楽だろう。と言うのは建前で、実際に交わされた言葉は「出して」の要望と「勝手にせい」の応答だけ。
そんなこんなで卒業式に参加させてもらったわけだが。
「うぎぎぎ」
「……うふふふふ」
どこからともなく聞こえてくる二人の声──片方は嫉妬まみれだけれど可愛らしさを、もう片方は笑っているのに底冷えするような暗い感情を込めている──が凄まじい寒気を背筋に誘うが、あれはどう対処すれば良いのだろうか?
無視し続けられるだけの精神力を俺に分け与えてほしいと無理な想いを胸に抱いて、肌に刺さる熱く痛い視線を避けるように見ず知らずの生徒の身体が対角線上に入るような位置に移動する。
が、意を決してゆっくりと位置をずらしたのに、それに合わせるように二人も位置をずらしている。しかも、それが仇となったのか、先ほどよりも更に強い視線が、まるで弦から放たれた矢のように突き刺さって来た。それに、対角線上にいた人も俺の行動に気付いたらしく、俺にしかわからない角度で苦笑にしてきたし。
同情するぐらいなら俺と代・わ・れっ!!
と、ネギにとってはほのぼのしくも不変的な一つの日常──とでも納得しないと疲れる──を繰り広げていたわけだが、講堂の後ろから校長が入ってきたことで、ざわざわしていた講堂内が静まり返った。空気を読んだのか、アーニャから感じていた視線は消え去った。……ネカネさん、少しは遠慮というものを覚えてくれたっていいんじゃないの?
「はぁ……」
静かな講堂の中で大きな溜息を吐くと、思った以上に大きく反響するなんてことはざらにあるため、音量は控えめに息を吐く。
あれから、バルジェロが起こした事件の対応やら、スリプルで眠らせただけで死因は出血多量だったとしても、結果からすると俺が人を殺してしまったのとそう大差がないことを気にして少なくないストレスを抱えていた。
それに、思った以上に校長がこの件に関して気に病んでいたことを申し訳なく思うとともに、一人の生徒として……いや、家族のように思っていてくれたことに嬉しくも感じていた。あれからは大分気分も落ち着いてきたし、忘れられない経験になったとは言え、くよくよしてるのは俺の性に合わないと割り切ることはできた。
そんな校長の後ろに続いてたくさんの教師が講堂に入ってくる。よく知っている人もいれば、いつやらお節介から育毛剤を密かにプレゼントした人、同じ学校にいながら全く知らない……思わず顔を背けてしまいそうな気持ちの悪い顔をした教師がいたり。
あまりの気持ちの悪さに嘔吐感が湧きあがって来た俺の気持ちを知ってか知らずか……恐らく知らないだろうが、卒業式は慎ましく進んでいく。この頃になると、さすがのネカネもこっちに視線を送ってくることをせず、外見上は真面目に式に臨んでいた。
初めからそうしてほしかったが。
「主席!遠坂凛!」
「はい」
今年卒業する凛とルヴィアは、その成績の良さから、どちらかが主席となることは間違いないと囁かれていたが、主席として壇上に上がっていくのは凛だった。ここから丁度ルヴィアの姿を確認できるのでちらっと流し眼で見てみたが、完全に悔しそうな表情で凛のことを睨みつけていた。
それが、心からの憎しみを以って見ているのではなく、一人の友としての感情であるのが微笑ましいことだ。……当然、そんなことを外見から見抜くスキルを持っているわけではないため、先のいざこざを起こしかけた罰として深層心理──簡単に言うと頭で考えていること──を覗き込んだのだが。
ハハハ、俺は何時でも下種に成り下がれるぜ!!
「次席、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト!」
「はい!」
それでも、そんな感情を表に出すことなく壇上に上がり、優雅に卒業証書を受け取る辺りは、さすがのご令嬢だと思わざるを得なかった。その下に隠れている思惑を知っている俺としては何とも言えないが。
そんなことはさて置き、卒業式は滞り無く進んでいき、どこでもあるような校長先生のお話へと流れていく。話と言っても、生徒の気持ちを理解している校長は若者のためとは言え、耄碌した爺のように話の内容が長くなることなく、すぐに次の題目へと流れた。
「頑張れ、負けるな、やればなるさ!!」
……いや、本当にこんな台詞を校長が言ったわけじゃないぞ?
もっと言葉を選んでいたが、大体こんな感じの内容だったのを簡単に纏めただけだ。
そして、卒業式は最後の題目──先生方からの言葉──へと移った。
どこにでもあるような普遍的な題目に嫌気がさしたが、形式美だけでも守っておこうと姿勢を正しておくが、当然頭の中では別な事を考えている。たとえば、今日の夕飯は何にしようかと悩んでみたり、新しい術式でも考えてみるか、とか……エドワードさんは未だに髪の毛の事を悩んでいるのかな?
まぁ、その辺りはプライベートになるから気にしないでおこう。
(ん? 今、探知魔法に何かが引っかかったような……)
欠伸を噛み殺し、心の中で盛大に暇を嘆いていると、講堂の東の方に、何らかの生命体が探知された。
全校生徒がここに集まっているわけではないが、まさか授業中に抜け出して卒業式に来ようとする生徒はいないだろうし。ここの警備に当たっている人たちは変わらず警備についているようで、ここに入ってくることはない。
だが、感知した方向からするに学校の外から入り込んで来た形だ……警備、何やってんの!!
取り合えず、何が起こってもすぐに対応できるように、周りに気を配る。魔法発動体は両方の足の裏と、手に持った万年筆があるので心配は無い……そもそも、そんな物を必要としないFF魔法があるんだが、カードが多い方が余裕を持って対応できる。
(そろそろここに着く…………3、2、1、今!)
──ばたんっ!!──
校長がくぐって入ってきた扉が勢いよく開き、限界まで開ききった扉は大きな音を立てて、軋みという悲鳴を上げる。その音に驚いた生徒たちがその原因を一目見ようと振り返り、そこにいた人の姿を視界に収めることになる。
その人物が誰なのか知っている人がいち早くその人の名前をあげる……その声の主はルヴィアだったのだが、それもそうだろう。二度も迷惑を被ったのだから、忌々しい記憶の一つとして掘り返されただろうその名前。
「貴方は……何故、何故ここにいるんですか! イェルク・フェイダー!!」
無表情を顔に張り付けたその人物の名、自分自身の手で肉親を殺したイェルク・フェイダーだった。
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