第二十二話
帝国軍参謀本部は、烏丸通を挟んで御所と向かいあっており、西には帝都庁の建物が見える。まさに、帝都の一等地に建てられていた。19世紀後半に、イタリア人建築家によって建てられたイタリア・ルネッサンス式の陸軍省と参謀本部の合同庁舎は、旧陸軍の拡大とともに大規模な増築が施され、往時の面影を残しつつも、帝国軍の中枢に相応しい偉容をたたえている。それでも、急速に拡大する業務を前に、煉瓦造りで五階建ての庁舎では手狭となり、国防省は隣接地に近代的なビルを建てて、そちらに移った。
その参謀本部の一室、第一会議室で国防省と参謀本部、それに斯衛軍の重鎮を集めた新戦術の検討会議が開かれようとしていた。
100人は入れそうなその会議室では、100年前からマホガニーを用いた濃褐色の机がコの形に3重に並べられ、右肩から胸に金の飾緒を垂らした将官が勢揃いして、会議開始を待っていた。斯衛軍の幹部も参加していたが、彼らの数は両手で足りるほどで、残りは帝国軍の制服を身に纏っていた。
部屋に窓はなく、天井からぶら下がっている白熱電球のシャンデリアが、室内に暖かみのある光を与えていた。しかし、その折角の灯りも、暗い色の制服を着込んだ陰鬱な表情の一団を明るくすることはできそうになかった。白塗りの壁が暖色の光を精一杯反射しようとしていたが、室内の空気はどうにも陰気であった。
その会議室の最後列のテーブルに所在なげに固まっていたのは、今日の報告者たちである。ほとんどが佐官であり、多くの将官を前に報告することに、緊張の色を隠せないでいた。
そうしたものものしい雰囲気のなかで、明らかに場違いな者が一人、報告者用の席に座っていた。徴兵年齢が下げられた帝国軍の新兵訓練所でも、浮いてしまいそうなほどに若い彼女は、中年から初老を迎えた高級将校の一団の中にあっては、どうしようもないほど目立った。
だが、彼女はそんなことには頓着しなかった。
彼女の報告の順番は、最後。
前線国の駐在武官たちが、各地の情勢や戦術の変化等について報告した後であるから、聴衆も軍事改革の必要性を認識しはじめていると期待してもよいはずである。少なくとも、改革を検討するだけの柔軟な思考力をもった参謀たちならば、彼女の主張も理解できるはずだ。
かすかなざわめきに満ちている室内で、悠陽がそのように計算していると、後方でドアが開く音がした。
ざわめきがピタリと止み、視線が入り口に集中する。
3人ほどの軍人が室内に入ろうとしているのを見るや、室内に集った将校は全員起立して、前方に向き直り、敬礼する。場の雰囲気が一気に緊張した。
3人は、まっすぐに会議室の前方中央に並べられた一際立派な机に向かって、歩を進めた。彼らが答礼をした後に着席すると、中央に座った男から、「座れ」との声がかかった。国防大臣の真鍋大将であった。派閥力学を駆使してのし上がったと噂されるが、それだけに各種会議でも場の雰囲気をつかみ、意見集約をはかるのが巧みだった。つまるところ、調整能力に長けた文官肌の軍人である。
真鍋大将の左隣に座るのは、神長帝国軍参謀総長。もともと、真鍋の派閥の一員で、長年にわたって参謀本部作戦部長を務めた作戦畑の軍人である。
真鍋の右隣には、斯衛軍大将となったばかりの紅蓮が座していた。威圧的に参加者を睥睨しているように見えるが、紅蓮をよく知る者ならば、彼がややリラックスしているのに気がついただろう。実際、雷電、神野志虞摩らと謀って方々に説得を済ませてあったので、紅蓮には余裕があった。
「これより、国防省、参謀本部、斯衛軍合同の将官会議を始める」
真鍋国防相が重々しく会議開始を宣言した。
「駐在武官の報告をもとに、各国の対BETA戦闘について情報を共有した後に、帝国として今後とるべき軍事的対策について協議する。今回は、国防省と参謀本部に加えて斯衛軍からも参加していただいている。諸君らの建設的な議論に期待したい」
問題は、誰が特に改革案に抵抗するかだ、と悠陽は真鍋の開会の辞を聞き流しながら思う。特に強硬に反対しそうなのは、上原教育総監の一派だが、それ以外にも聞く耳を持ちそうにない者がいるだろう。この会議は最終決定の場ではなく、あくまでも一つの検討会議にすぎないが、できるならばここで味方を増やしておきたいところであった。
「では、これより各駐在武官の報告に移る。まずは、イギリス駐在武官の山本大佐に、欧州戦線の現況について発表してもらおう」
ハッ、と威勢よく答えて、後列席から40代と思しき背の高い男が立ち上がった。彼が山本駐英武官だろう。報告は一人30分ずつで、イギリス、スウェーデン、イスラエル、インド、アメリカ、ソ連の順で行われ、最後に悠陽の欧州派遣部隊報告で締め括られる予定であった。間に休憩を挟むとはいえ、長丁場には変わりない。朗々とした山本大佐の声を聞きながら、出席者の反応を見極めようとして、悠陽は注意深く列席する将官らを観察しはじめた。窓のない会議室を照らす白熱電球の輝きは、息が詰まるような室内の雰囲気を明るくするには不足であったが、場の雰囲気を観察するには十分な光量を湛えていた。
発表者が起ち上がっては座る。一人、また一人と。
天井からぶら下がる人造の太陽は、少しも位置を変えることなく、出席者を照らし出す。丁寧にニス塗りされた机に映し出されるシャンデリアの像は、先ほどから全くずれていない。変わりつつあるのは、聴衆の表情であった。
丁寧にメモをする者、退屈そうに欠伸をかみしめる者、聞いている振りをしながらも別のことを考えているらしい者。そうした者が大半を占めているなかで、上原教育総監の周囲は一際目立っていた。
発表者の報告はいずれも、各国軍で戦術機の比重が急速に高まりつつあると指摘している。それは、他兵科にも影響を与えずにはいられなかった。軍事支出に限度があるなかで、高価な戦術機を増やすには、他兵科への予算を削るしかない。結果として、ただでさえ冷遇されている歩兵科や戦車科に対する予算が削減され、人員も少なくなっているという。時代が変わってきている以上仕方ないと受け入れる者もいれば、自らの出身兵科への愛着ゆえに、そう簡単には納得出来ない者もいる。
上原総監は、そうした歩兵科の熱心な擁護者の一人であった。機械化歩兵用の新技術開発に投資すれば、歩兵とて拠点防衛の主力たりうると常々主張していた。実際、中国で戦術機が不足したときには、機械化歩兵や工兵を主力とする防衛戦になり、ときにBETAを退けることもできたらしい。もちろん、目を覆いたくなるくらいの人命と引き替えに、であるが。
上原の見るところ、地上軍の問題点は、戦術機そのものというよりは、戦術機の運用法にあった。歩兵の支援のない戦車がもろいように、他兵科の支援のない戦術機はもろい。大型種がいないと油断したところを、戦車級に襲われて喰われたという話は、戦場ではありふれている。これに対応するには、機械化歩兵を大幅に増強して、対BETA戦闘においても戦術機を支援できるようにするしかない。機械化歩兵が戦車級を受け持つことができるようになれば、戦術機は大型種にだけ注意を集中すればよくなり、結果として軍全体の損耗率が低下するはずだ。これが、上原が抱いた構想であった。
特に、日本の防衛は沿岸部でBETA上陸を阻止することに力点が置かれるため、要塞化された海岸線と十分な火砲があり、歩兵が戦術機を支援しやすい。
もちろん、BETAが馬鹿正直に要塞正面で上陸を開始し、おまけに光線級が現行の戦術機部隊でも十分に対処できる規模にすぎない場合に限っての話だが。
おそらく、上原とて心中では戦術機部隊の大幅増強以外に道がないと気づいているのだろう、と悠陽は思う。仮に機械化歩兵の改造が理想的に行われて、日本本土防衛網が上原の主張通りに機能したとしても、守るだけでは、日本は、そして人類はいずれ滅ぶ。対BETA戦闘に関する限り、歩兵は本質的に拠点防衛向けの戦力だ。だが、BETAの物量に対処する道は、攻撃的な一点突破、すなわちハイヴ攻略しかない。攻め寄せてくる敵を倒し続けていれば、いずれは敵が消耗しきるだろうと当てにできる人類同士の戦争ではないのだ。
それでも、歩兵や工兵出身の将校を中心に、上原は一定の支持を集めていた。大局的な戦況が絶望的であればあるほど、個々の戦術的勝利に拘泥したがるのは、いつの時代でも見られたことだ。要塞正面でのBETA日本上陸阻止という戦術目標に集中することで、日本防衛はなんとかなると考えたいのであろう。戦略的に見て、日本がアジア地域で孤立してしまっては、いずれは補給が足りずに戦線が崩壊することを、頭では理解しているにしても。
結局のところ、上原派の面々からすれば、戦術機中心の戦術の長所を延々と謳い上げるだけの駐在武官の報告はおもしろくないのだ。不機嫌な顰めっ面をしている様が、電球の明かりに映し出されている。
「ソ連軍では、昨年新たに国防相に就任したドミトリー・ウスチーノフ元帥を中心に、軍、軍産複合体の改革が進められています」
まだ30代半ばといったところだろうか、黒縁の丸眼鏡をかけた理知的な将校が報告している。ソ連について報告するということだから、駐ソ武官の長谷川中佐であろう。変化に鈍いソ連にも、悠陽がもたらしたさざ波は届いていた。
「ウスチーノフ元帥は、もともと生粋の軍人というよりも軍産複合体の代弁者として台頭してきました。そのため、彼の国防相就任に際しては軍部からの反対も大きかったと噂されています。ですが、ウスチーノフは現書記長ゲオルギー・コルニエンコの信任厚い人物で、最近の技術革新の波から取り残されつつあるソ連の軍需産業の刷新を提唱して、軍産複合体や工業関係省庁からの強い支持があります。また、軍内部でも、ウスチーノフの改革を支持するアフロメーエフ参謀次長のような改革派も台頭してきており、これから軍再編の動きが強まるかもしれません」
悠陽とハマーンがたてたさざ波は、大きなうねりとなってソ連に押し寄せたようだ。もともと、ソ連では次期国防相の座をめぐって、叩き上げの軍人であるグレチコ元帥と軍産複合体が押すウスチーノフ元帥の間で、隠微な政治闘争が展開されていた。悠陽が経験したかつての世界では、ソ連国防の主役たる参謀本部の要求にしたがう形で、グレチコが国防相に就任し、ロシア人中心主義を一層強化したのであった。グレチコの病的なまでの人種主義とイデオロギー的な反帝国主義は有名で、70年代初頭には中国軍もろとも戦略核でカシュガルを吹き飛ばすべきだと酒の席で吹聴して、中国から抗議されたこともあった。当時、1969年の中ソ国境での軍事衝突を受けて、中ソ関係は史上最悪であり、お互いがお互いを帝国主義に寝返った裏切り者であると非難しあう泥沼のイデオロギー闘争を繰り広げていた。ソ連は、中国からの攻撃に備えるために57個師団を対中国境に配備し、中距離核ミサイルは中国北部に照準を合わせていた。グレチコは、ソ連参謀本部作戦部長として、強硬な対中軍事戦略案策定に携わっていた。
そのグレチコに比べれば、今の世界で国防相となったウスチーノフは理性的で、軍事技術に精通しているとの評判であった。グロムイコ外相やクリュチコフKGB議長との関係も良好で、書記長からの信任は厚い。軍産複合体の代弁者で、根っからの軍拡論者ではあるのだが、対BETA戦争が軍事行動の中心となった世界では、それは必ずしも短所ではない。日本からはじまった技術革新の動きにソ連が取り残されることをことのほかに懸念し、西側からの技術取得の必要性を訴えていた。KGBの情報収集力が落ちてきている昨今では、非合法手段のみではこの革新の波に対応できないと見抜いたウスチーノフは、外相グロムイコと並ぶ緊張緩和路線の推進者であった。
ソ連共産党のナンバー・ツーで、イデオロギー問題担当書記であるミハイル・スースロフとの仲は悪いとの噂もあるが、戦争が長期化するに従って、省庁や軍部に対する党の統制は緩んできていた。とくに、党が軍を監視するために作り出したソ連軍政治総本部は、書記長や国防相が軍部支持に回ったために、ただのプロパガンダ要員に成り下がっていた。
「ソ連外務省やKGBを中心に、西側諸国との連携を目指す動きも出てきている模様で、水面下ではCIAやMI6とも活発に接触し始めているという情報もあります」
ソ連軍のガードが堅いために、長谷川中佐はソ連の軍事情報をほとんど入手できなかったようだが、それでもソ連の政界模様に関する要点を押さえた情報を報告していた。
次は、長谷川の報告が終われば、次は悠陽の番だ。上原教育総監を中心とするグループを除けば、世界の軍事的趨勢についての情報は参加者に共有されていると見なして問題ないだろう。悠陽は、その情報をまとめる形で、今後とるべき戦術について、提案するだけでよい。
「以上で、私の報告を終えます」
と発表を締め括った長谷川中佐が一礼して着席した。
いよいよ自分の番が回ってきた、と悠陽はわずかに緊張する。列席する将官の多くは、次期将軍の有力候補が遊びに来たとしか思っていないだろう。アフリカや中南米では、悠陽と同じくらいの少年少女が当たり前のように銃を手にとって、人間同士の殺し合いに参加している。銃が戦術機に変わっただけで、戦略や戦術を理解することなく戦っているだけの高貴な少女。確かに戦闘技術自体は優れているが、所詮は一介のエースに過ぎない。飛び抜けて若いのが、ほかのエースとの唯一の違いだ。そういった評価が年配の将校を中心に、帝国軍で定着しつつあるという話は、悠陽も知っていた。
その考えは、今日を限りに改めてもらわなければ、と悠陽は静かに意気込む。彼女の意気に応えるかのように、後ろで纏められた菫色の髪がさらりと流れるように揺れる。
「最後に、煌武院悠陽斯衛軍少将に、斯衛軍の北欧派遣について報告してもらう」
丁寧に手入れされた口髭を動かしながら、真鍋国防大臣が議題を進行させようとする。少将と言うときに、少し皮肉っぽい笑みを口に浮かべたように見えたが、きっと悠陽の気のせいではないだろう。
すっと立ち上がり、真鍋国防相に一礼してから、悠陽は報告を始める。
「斯衛軍少将の煌武院悠陽です。今年3月から6月末までの3ヶ月間、斯衛軍第25大隊を率いて、スウェーデンのストックホルム基地を拠点に対BETA戦闘に参加しておりました。本日は、そのときの戦訓をもとに、今後帝国軍および斯衛軍戦術機甲部隊としてとるべき戦術について、試案を披瀝させていただきます」
興味津々な様子で彼女を見る者、子どもが来る場所ではないとばかりに反感を隠そうとしない者、興味なさそうに会議の終わりを待つ者。反応は様々だ。
北欧戦線の実情について改めて詳しく話す必要はない。すでに詳細な報告書が送られているはずだし、この場でも東条が具体的に述べている。必要なのは、そこから帰納的に導き出されるドクトリンのほう。まだどこか太平の眠りについている風のある幹部にこれを納得させるのは骨が折れそうだった。
聴衆の反応を見ながら、手短に戦闘報告をまとめた悠陽は、いよいよ本題に入った。原稿は頭の中に入っているので、視線は常に聴衆を向いている。ここからは、彼らの反応を斟酌しながら、テンポを調整しなければ、と思う。
「……以上の戦訓からは、新たな対BETA戦術ドクトリンの策定が急務であるとの結論が導き出されます。」
そう言って一拍置く。
誰もさしたる関心を示していないようだ。通り一遍の提案なのだろう、という聴衆の雰囲気が如実に伝わってくる。
「かつての人と人との戦争においては、敵に包囲されるのを避けるために、両翼を展開して戦線を形成することが必要とされてきました。その極端な例が、第一次世界大戦の長大な西部戦線でしょう。しかしながら、敵陣突破からの包囲という戦術をとらず、そもそも敵陣の防御が薄い地点から突破しようという発想のないBETAが相手では、戦線は用をなしません。また、電子機器に惹き寄せられるというBETAの特性を考えれば、砲兵陣地や司令部を守るために防御を厚くする必要もありません。言い換えれば、周囲に人口密集地等がない場合は、防衛ラインは一つの目安にすぎず、突破されても大勢に影響はありません。防衛は高度に機動的であってもよいのです」
別段、奇異な発想ではない。近くに都市や重要工業地帯などがない場合、その地点は「防衛」はされても「死守」はされない。
「したがって、防衛という作戦的目標を達成する場合でも、戦術的目標が攻撃的であっても構わないと言えましょう」
ここでまた一息。
何を当たり前なことをという表情の者もいれば、何が言いたいのかわからずやや困惑気味の者もいる。
「以上の知見に鑑みて、今後の大陸におけるあらゆる作戦では、戦術機甲部隊の任務を光線級排除と陽動に限定すべきであると進言いたします。すなわち、AL弾を用いた準備砲撃終了と同時に、最精鋭の突撃部隊をもって光線級殲滅に当たらせ、残りの戦術機を用いた陽動によって、BETA前衛が突撃部隊排除のために後退するのを阻止する。陽動部隊にせよ突撃部隊にせよ、光線級以外のBETA討滅は必要ありません。陽動部隊は、BETAとの格闘戦を避けて後退し続けても構わないのです」
会議場がかすかにざわついている。それに頓着することなく、悠陽は続ける。
「この戦術は一見すると光線級吶喊に極めて近いものですが、細部において異なります。突撃部隊には光線級討滅という『任務』を与え、暫定的な攻撃目標も設定いたしますが、戦場の状況次第でその目標放棄の権利を各級隊長に与えます。突撃部隊長は現場とデータリンクの情報を合わせて、BETAの密度が薄いルートおよび目標を自由に選択して構わないのです。重要なのは、BETA群の厚い箇所を回避して、薄い箇所を選んでBETA群に滲透し、光線級に到達すること、これだけです。この戦術的目標達成のために、突撃部隊長に判断を一任する委任戦術をとります」
現場にそこまでの独断専行の権利を与えては軍の統制が損なわれるとばかりに眉を顰め、首を振る者がこちらにも、あちらにも。特に年配の将官ほど、その傾向は強いように見える。その一方で、「滲透」戦術や「委任戦術」といったキィ・フレーズに反応して、言いたいことは分かったという顔をする者もいる。
滲透戦術とは、第一次世界大戦の塹壕戦において、ドイツ軍が採用した戦術で、準備砲撃の後に少数精鋭の突撃部隊を相手方塹壕に送り込むものである。馬鹿正直に正面から少数で突撃しても全滅は目に見えているので、相手塹壕の弱い場所をつぶしていき、前線の連絡網を麻痺させ、塹壕に身を潜める各部隊を孤立させる。敵司令部を急襲できれば理想的だが、絶対に必要というわけではない。このようにして寸断された敵塹壕網を本隊が急襲し、敵陣突破を図る。これが、ユティエ将軍によって完成された滲透戦術の真髄であった。
実際、第一次世界大戦後半に、この戦術は成功を収める。第二次世界大戦最高の名将と表されるエルヴィン・ロンメルも、第一次世界大戦時にはこの突撃部隊長として活躍していた。この突撃部隊による滲透戦術を、より大規模に、そして戦車主導で行ったのが「電撃戦」である。
エルヴィンの曾孫にあたるヨアヒムが北欧でとった戦術も、本質的にはこれと同じ。要は光線級を敵司令中枢に見立てた電撃戦である。
この戦術を成功させるためには、士気旺盛で抜きんでた操縦技倆をもつ衛士を選抜し、作戦目的を周知させた上で、送り出す必要がある。さらに、隊長機が倒れても作戦を継続できるよう、隊員一人一人には部隊長並の広い視野が要求される。彼らを切り離した本隊は、消極的な陽動をしつつ、この時点での損耗を避けるだけでよい。ひとたび光線級が片付いたら、後は面制圧砲撃、しかる後に温存されていた本隊による掃討戦という段取りになる。
だが、大半の出席者にとっての問題は、戦術そのものというよりは、この戦術採用がもつ戦略的な意味であろう。
日本にそんな自由な軍事行動をとれるだけの空間なぞあるはずなかろう、という呟きが聞こえてくる。
悠陽は、声がしたほうに向き直り、
「おっしゃるとおり、帝国本土ではこの戦術をとることは困難でしょう」
と返す。自分の呟きに予想していなかった反応を返された将官が目を白黒させているのが、遠目に分かる。
「この戦術の潜在力を十分に発揮するには、大陸における対BETA戦闘をおいてありません」
手段と目的が逆転している、新戦術を使うために帝国本土防衛戦略を変えるなどばかげている。そういうざわめきが、さざ波のように広がる。
「では、うかがいますが、現在の帝国本土防衛戦略を維持したままで、本当にBETAに対応できるとお考えですか。やがて中国軍は大陸から撤退し、BETAは次なる目標として日本を選ぶでしょう。しかも、航続距離が長いと推測される母艦級が各地で出現しているのですから、BETAがおとなしく要塞化された沿岸部から上陸してくれる保証はどこにもありません。それなのに、現行の水際での防衛方針で、本当に帝国を防衛できるとお考えなのですか」
ざわめきはひどくなるが、同時に聴衆からは戸惑いの色も滲み出ている。論理的にみて、悠陽の発言に一理あることは、彼女の主張に反対する者とて認めざるをえない。新戦術の話をテコにして、帝国本土防衛戦略に疑義を差し挟むという悠陽の目的は、達成されつつあった。
「静粛に」
ここで、司会役の真鍋国防相が場を納めようとする。
「本会議は、戦術機戦術の検討のための場であり、戦略目的を議論するのはまた別の機会にしてもらいたい」
悠陽をじろりと睨みながら、真鍋はたしなめるように、そう告げる。
正論だ。
「……話を戻しますと、ご指摘のとおり、この戦術は狭い戦場では採用できません。いえ、大陸における防衛戦においても、この戦術を完全に活かすことはできないでしょう。この戦術は、その理論的な先祖にあたる滲透戦術や電撃戦同様、本質的に極めて攻撃的で、急襲殲滅を至上とする伝統に属するものです。そのため、根本的な発想が、防衛向けではありません。地上戦で活用する場合は、ハイヴの間引きで最も戦術としての潜在力を発揮できるでしょう」
そして、と悠陽は少し間を置きながら、もったいぶったように告げる。
「対BETA戦全体で見れば、この戦術案はハイヴ攻略戦に最も適合的なドクトリンであると言えましょう」
馬鹿馬鹿しいと唸る者、呆れたように首を振る者もいる。
だが、同時に、一理あるというふうに理解を示す者もいた。それは、悠陽らが事前に説き伏せた者たちに限らない。
再び、騒然とした会議場を納めるために、眉を顰めながら真鍋国防相は、静粛に、と声を張り上げる。
「以上で、本会議の発表者の報告は全て完了した。10分の休憩の後に、質疑応答に入る」
そう告げると、真鍋は神長参謀総長、紅蓮大将とともに、議場を後にした。
軋みを上げながらドアが音を立てて閉まると、会議場を大きなざわめきが支配した。
30分に及ぶ報告で、強い渇きを覚えた悠陽は、机に置かれたミネラル・ウォーターの瓶に手を伸ばす。喧噪をよそに、グラスに水をつぎ、一気に飲み干す。冷たい水が喉を伝って胃に達するのが、堪らなく気持ちよい。窓のない会議室は、白熱電球が放つ熱と、出席者の体温が混ざり合って、暑かった。
言いたいことは全て言った。悠陽が語った戦術や戦略はもちろんのこと、まだ10歳に満たない煌武院悠陽が威圧的な将官の一団を前に、堂々と自分の見解を披瀝したこと、極めて理知的に応答したことは、帝国軍内部に広まることだろう。これは、先の欧州戦線での活躍と合わせて、彼女に対する支持の動きを強める結果になると見込まれた。
だが、まだ足りない。ただ報告を繰り返すだけでは、本土防衛戦略で満足している軍主流派の見解を変更させることはできない。
第二次世界大戦の序盤に、枢軸国に対してアメリカも参戦すべきだと考えたアメリカ国民は少数派であった。多くのアメリカ人は孤立主義的で、アメリカ本土の防衛が万全ならば、アメリカの安全保障は確保されたも同然だと考えていた。アメリカの安全保障を確保するためにはヨーロッパや太平洋地域でアメリカに友好的な政権の存続が不可欠だとの見解に耳を傾けるものは少なかった。結局、アメリカ人の眠りを醒ましたのは、パール・ハーバーであった。
さらに遡れば、日本を太平の眠りから目覚めさせ、近代化の道を歩ませたのは、四隻の蒸気船であった。
今、日本の安全保障を担う中枢は、再び微睡みのなかにある。この眠りを醒ますのは、果たして何なのであろう、と悠陽は思う。それが彼女の働きかけの結果であればよい。だが、日独相手に戦端を開くために、ルーズヴェルトが真珠湾を生贄に捧げざるをえなかったことを思うとき、一抹の不安を覚える。
歴史は繰り返す。一度は悲劇として。マルクスが言うように、二度目が喜劇であればよい。だが、二度目がさらなる悲劇で終わることもあるのだ。会議のとりあえずの目的は達成したというのに、不安は悠陽の微かに膨らみはじめた胸から去りそうになかった。
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