第27話



――1994年1月末、国連インド洋軍ライプル基地

 スワラージ作戦のために集結した国連軍、インド軍、東南アジア諸国軍を組織して作られた東部軍集団の総兵力は実に100万を越えようとしていた。
 当然、基地内にそれほどの人員を収容できるはずもなく、戦力の大半は、基地から西北西に30kmの地点に築かれた野戦陣地防衛に当たっていた。

 東部軍集団総司令官マハトマ・シン大将は、総司令部の窓から、朝焼けに照らされて紅に染まる大地を眺める。もともと乾いた大地が広がる大陸であったが、BETA相手に一進一退の戦闘を繰り返しているうちに、完全な荒野へと変化してしまった。

 間もなく、北インドの地は本当に赤黒く塗りつぶされることだろう、とシンは思う。
 それは、朝焼けがもたらした光の遊戯などではない。
 BETAと人の血が混ざり合った、血腥い情景となるはずである。

 スワラージ作戦のための準備作戦「スワデーシー」開始は目前に迫っていた。
 スワラージ作戦とは異なり、スワデーシー作戦では陸上兵力のみで300kmも戦線を押し上げなければならない。それも、スワラージ作戦のために可能な限り損耗を抑えながらである。フェイズ4ハイヴが収容しているBETA個体数は20万から30万程度と言われている。数の上では人類が圧倒している計算になるが、いつどこから増援が現れるのか検討がつかないのが対BETA戦闘の恐ろしさ。

「閣下、間もなく作戦開始予定時刻になります」
 参謀が声をかけてくる。
 総司令部の戦術コンピュータが、大スクリーンに戦域マップを表示する。
 攻撃予定正面の幅100kmに渡って部隊が戦闘配備で展開している。
 幅1kmあたり砲門200以上という圧倒的なまでの火力を準備作戦のために投入している計算になる。このスワデーシー作戦の準備のために、ここ一ヶ月ほど東部軍集団の幕僚たちは働き詰めであった。
 その努力の成果が間もなく明らかにされる。
 総司令部内の空気は、痛いほどに張り詰めていた。

「うむ。全軍の配置状況はどうか」
 シン大将の問い掛けに、
「ハッ。問題ありません」
 と即座に返事が返ってくる。

 腕時計の秒針が、チクチクと音を立てて時をすすめる。
 作戦開始まであと30秒。

 じりじりとした思いが、総司令部に詰める幕僚の精神をあぶる。
 前線の緊張感はこんなものではあるまい。
 叩き上げの前線指揮官であるシン大将は前線に思いを馳せる。塹壕に身を潜めながら、砲撃開始を待つ歩兵たち。作戦の成否を決定づける光線級吶喊およびBETA誘引を前に、機体の最終チェックを行っている衛士たち。面制圧砲撃後に最前線に躍り出なければならない戦車兵たち。わずかな地中振動も漏らすまいとして、目を皿にして解析データを注視している観測員たち。
 どれほど損耗を抑えたとしても、万単位の死者が出ることは確実。

 作戦開始まで後10秒。
 秒針の動きが異様に遅い。まるで止まっているように見える。
 誰かが唾を飲み込む音が、総司令部内に反響する。

 後5秒。

 そして。
「これよりスワデーシー作戦を開始する。第3、第8、第11、第18の各砲兵軍団は砲撃開始っ」
 シン大将の雄叫びのような号令とともに、総司令部の時が動き出す。
 シンの命令を復唱するオペレータ。
 砲兵軍団との通信回線を開く砲兵参謀。

 遠く地平線上から、砲撃の轟音がこだまし、総司令部の窓を震わせる。




 対レーザー弾頭を搭載して、背に炎をともしながら飛翔するロケット弾。
 同じく対レーザー弾頭を詰みながら、轟音とともに発射される榴弾の嵐。
 野戦陣地を、この世の終わりかと思わせるほどの爆音が襲う。
 大地が身悶えするかのようにビリビリと震え、無数のロケット弾が吐き出す白煙が空を覆う。

 次の瞬間。
 前方の大地より無数のレーザーが天に向けて照射され、対レーザー弾と混ざり合う。眩いばかりの光の渦だ。
 レーザーに溶かされた弾頭は重金属蒸気を大気中にばらまき、鉛の雲を生み出す。



「BETA群上空に重金属雲の発生を確認」
 解析に当たっていた将校がシン大将に報告する。
「よし。各砲兵軍団はサーモバリック弾を装填。制圧砲撃に移行しろっ」
 シンの声が総司令部に詰める将校の耳朶をうつ。

 いかに重金属雲によりレーザーが減衰するとはいえ、光線属種の排除が完了していない現段階では、砲撃の効果は限定的。スワラージ作戦で予定しているような文字通りの飽和攻撃ならば話は別だが、準備作戦にすぎないスワデーシー作戦でそこまでの贅沢は許されない。これは、戦術機部隊の投入前に行われる準備砲撃にすぎないのだ。

 地表に到達するまえに撃ち落とされていく砲弾に混じって、着弾音がかすかに兵士たちのもとまで届く。


「砲撃に対応するかのように、縦深100km以上にわたって散開中のBETAが密集を開始。砲兵陣地へ向けて侵攻しつつあります」
 やられたらやり返す。BETAに限らず、ほとんどの生物の鉄則だ。

「第2、第5、第8、第11の各戦術機連隊は発進準備。砲撃が完了し次第、光線級排除のために吶喊を開始せよ」
 幕僚の報告をうけて、シンは直ちに命令を下す。
「了解」

 戦術機部隊投入の合図をもって、スワデーシー作戦は第二局面に移行する。




――いよいよ、はじまる。
 緊張で口がカラカラに渇いている。
 心臓は不必要なまでに勢いよく血液を全身に巡らせる。
 全力疾走時のように脈が早い。
 額からじっとりと汗が滲む。

「ルーキーじゃあるまいし、何でここまでカチコチになっているんだ、私はっ」
 とリアンはラビの管制ユニット内で毒づく。
 リアン・グロスマン大尉は、スワラージ作戦のためにイスラエル国防軍からインドに派遣された戦術機中隊の指揮官である。イスラエル軍参謀本部は、アンバール・ハイヴのBETA群を牽制するためにスワラージ作戦が有効であると判断し、一個戦術機連隊を供出した。
 ボパール・ハイヴが陥落すれば、アンバール・ハイヴは東西二つの正面を抱えることになり、スエズへの圧迫が緩和される。それが、イスラエルやアフリカ連合の読みであった。


 リアンの中隊に与えられた役割は、光線級吶喊。
 第一世代機に依存しているアジア・アフリカ諸国とは異なり、イスラエル軍主力戦術機ラビは、卓越した運動性能を誇る第三世代機である。東部軍集団総司令部がこの戦力を利用しないはずがなかった。

「CPよりオスカー01。30秒後に準備砲撃が終了。オスカー隊はK-13地区の光線級排除に当たってください」
「01了解」
 リアンは、CPの命令を直ちに部下に伝達する。


 前線国家の衛士として、対BETA戦闘を幾度となく繰り返してきた。
 その自負が、戦闘前の張り詰めた空気の中で、リアンを支えている。

 大丈夫、今回もいける。
 リアンは自分にそう言い聞かせる。

「オスカー隊、発進してください」
 待ちに待った命令。

「01よりオスカー全機、発進。02を基点に楔壱型」
 スラスターを噴射し、誘導路から離陸、一気に巡航速度まで加速する。
 リニアシートがリアンにのしかかるGを緩和しようとする。

 遅滞防御任務に当たっている戦術機群の脇をすり抜け、水平跳躍。
 匍匐飛行でBETAの間をすり抜ける。
 まだ密集が完了していないせいか、BETAの間隔はそれほど密ではない。
 回避が楽な反面、光線級のレーザー照射を受けた場合、隠れるスペースがない。
 砲撃によって巻き上げられた土煙で、大気がうっすらと赤茶けているが、こんなものではレーザーは大して減衰できないだろう。

「01より各機。このBETA集結密度では、光線級周囲の陽動は必要ない。一気に殲滅する。レーザー照射に気をつけろ」

 オスカー隊は、散開しつつ、大型種の影に隠れるようにしながら、巧みに光線級に接近する。
 だが、問題は光線級周囲に広がる空白。
 普段は光線級を取り巻くように要撃級や要塞級がひしめいているため、気にしたこともなかった。
 だが、護衛がほとんどいない光線級というのは逆に危険。

「10および11は、距離3000で誘導ミサイル弾を光線級に向け斉射。光線級による迎撃レーザー照射終了と同時に、全機戦闘加速で光線級に接近、掃討後直ちにL-8地区へ転進」
 光線級によるレーザー照射が避けられないのなら、ミサイルをデコイに使う。
 リアンの指示を受けて、制圧支援装備の二機が、ミサイルを斉射。
 それに反応した光線級による眩いばかりのレーザー光線がオスカー中隊の直近をすり抜ける。

 照射終了と同時に、
「吶喊っ」
 というリアンの指示のもと、中隊全機が一気に光線級に迫る。

 とたんに、レーザー照射警報が鳴り響く。
 理論上、数回までならレーザーには耐えられる。
 臨界半透膜の効用を信じて、重光線級に向けて120mm弾を連射。
 一番厄介な重光線級が、次々と赤い体液を撒き散らしながら、吹き飛んでいく。

 回避行動はプログラム任せ。
 残敵は36mmをばらまいて蜂の巣にする。
 相対距離1500地点で、光線級群の殲滅に成功。

 速度を緩めずに一気に10時方向に転進。
 戦術マップが、ただちに次の光線級群の位置をマークする。

 一回のヒット・アンド・アウェイで目的を達成した部下たちの腕前が誇らしい。
「次の光線級群排除に向かう」
 リアンがそう言いかけたとき。


 後続の二機が突如爆発した。

「なっ」
 光線級は排除したのに、何故。撃ち漏らしがあったのか。
 動揺するものの、リアンは振り返らない。
 強引に加速して、大型種の小集団に突っ込む。
「くぅっ――」
 無理な加速が体をリニアシートに縫い付ける。

「ちくしょう。大尉、やつら後ろの要塞級の中に隠れていやがった。8と11は真後ろから無防備のスラスター噴射部を狙われたんですっ」
 殿を務めていたオスカー12が絶叫する。
 スラスターは対レーザー半透膜で覆われた戦術機のアキレス腱。
 そこを狙われては、戦術機は一発で沈む。

「うろたえるなっ。早く回避機動をとれっ」
 リアンは、まだ若いオスカー12に命じる。
 確か、15歳になったばかりの若造のはずだ。
 名前は覚えていない。
 覚える必要もない。
 大抵の衛士は名前を覚える前に消えていく。

「で、ですが――」
 音声が突然途絶え。
 後方で爆発音が鳴り響く。

 若さ、いや、幼さゆえに動揺を押し殺すことができなかったのだろう。
 機体バランスが崩れて機動がぶれたところを、第二射目にやられたのだ。

「全機進路、速度このまま。次の目標に向かう。今回は光線級群が小集団に分かれて点在している。進撃距離が長くなるので、推進剤の残量に注意しろっ」

 まだハイヴの姿すら見えてない。
 それなのに、リアンの中隊は既に3機を失った。
 損耗率25%。
 もちろん、被害がこれ以上増えないという保証はどこにもない。

「大した抵抗には遭遇しない、か――」
 この作戦を立案したという参謀の言葉らしい。
 後方でふんぞり返っているお偉いさんがよくぞ言ってくれたものだ、とリアンは暗い笑みを唇に貼り付ける。

「リアン?」
 中隊次席指揮官のレオンが声をかけてくる。
 ここしばらく、リアンの精神安定剤とパートナーを兼ねている前衛だ。
 多くの兵士は、行き場のないストレスの捌け口を異性に求める。
 恋愛感情など、存在しない。
 とりあえず、見てくれがよい。そして、名前が覚えやすい。
 それで十分であった。


「なんでもない」

 散開している相手は各個撃破の格好の対象だというのは、人類同士の戦争でのみ言えることだ。
 散開しているからこそ怖い相手も世の中にはいる。
 前線を知らない高級参謀たちは、果たしてこの戦場の常識を理解しているのだろうか。
 苛立ちを操縦桿に押し込めて、リアンはなおも加速する。
 イスラエル国防産業の精華たる腰部跳躍ユニットがスムーズに速度を上げる。
 まだまだ余力はありそうだった。






「閣下、光線級及び重光線級の7割を排除完了しました。頃合いかと」
 参謀がシン大将に決断を促す。
「分かった。各砲兵軍団の準備状況は?」
「ハッ。四個砲兵軍団のいずれも準備完了とのことです」
 と砲兵参謀。
「射撃予定区域からの戦術機部隊の退避は完了しているな?」
「ハッ」
「よろしい。各砲兵軍団は砲撃を開始しろ」

 既に正午を過ぎていた。
 日の出とともにはじまったスワデーシー作戦は、光線級が散開しすぎていたために却って手間取り、作戦開始から既に6時間が経過しようとしていた。

 それでも、スワデーシー作戦は今のところ順調だ。
 損耗率も予定範囲内で推移している。
 戦域スクリーンに映し出される各種情報を見ながら、シンは口元に安堵の笑みを浮かべた。




 クラスター弾を搭載したミサイルが、帰投するリアンたち戦術機部隊の頭上を通過する。
 今回の面制圧砲撃完了後、東部軍集団は戦線を100km押し上げる事になっている。
 その後、補給を受けたあとで、全く同じ戦術でさらに100km。
 予定では三日ほどで目標の旧サンガール付近に到達するはずだ。
 だが、相手はBETA。いつ何があるかわからない。
 ハイヴに近づけば近づくほど、危険が増す。
 地中からの侵攻により補給線が断たれる可能性だってある。
 もちろん対処法はマニュアル化されているだろうが、マニュアルがあるからといって兵士の負担が軽くなるわけではない。

 とにかく、今回も生き延びた。
 その思いを胸に、リアンは着陸態勢に入る。

 帰還した戦術機部隊が次々と陣地後方の戦術機用誘導路に着陸している。

 安堵感が心を満たすと同時に、猛烈な欲求が下腹部を焦がす。
 精神科医ならば、戦闘後に種族保存欲求が高まるのは、生物学的に見て当然だとでも言うだろう。
 リアンにとってそれは、精神の平衡を保つための肉体的カウンセリングに等しかった。

 戦場に赴くたびに、人は何かを失う。
 穏やかな表情で語りかけてくるカウンセラーなど、何の役にも立たない。

 だからこそ、兵士たちは催眠措置を施してくれるよう求める。
 不快な記憶を忘れられるからだ。否、忘れた振りをできるからだ。
 それは、夢魔に苦しめられる多くの兵士にとって、麻薬のように甘美な措置であった。

 BETAとの戦争がはじまって以来、高まる需要に応えるかのように、催眠技術や洗脳技術は格段に進歩した。
 先進国では、前時代的な軍人精神の涵養など必要ない。
 調整。
 調律。

 魂の調べを整え、律すること。
 この技術を通じて、兵士としての精神を作り出すことができる。
 兵士たち自らが、そうなることを望んでいるのだ。
 苦しまなくてもすむように。

 だが、リアンは催眠措置を受けたことはなかった。
 薬物と暗示によって何かを忘れるたびに、人間らしさが失われるような気がしたからだ。

 だからこそ、人らしい原始的な欲望を解放することで、戦場で摩耗した心を取り戻そうとする。
 レオンを貪ることで、自分がまだ人間だと安堵できるのだ。
 彼は、催眠措置の便利な代替物にすぎない。
 少なくとも、リアンはそう確信していた。

 乾いた風が砂を巻き上げ、地表で踊っていた。







 そのころ、ソ連大使館の自室で、トリーは苛立ちを露わにしていた。
 相変わらずドクトルとスレーサリの足取りは杳として掴めなかった。
 いくら潜入訓練を受けてきた二人とはいえ、単独ではここまで完全に痕跡を消すことなどできはしない。必ずや支援者がいるはずなのだが、その黒幕の影が見えない。
 陰謀好きの武家が匿っている可能性も考えたが、彼らの謀略は底が浅い。
 ここまで完全に隠し切れはしないだろう。

 他に考えられる可能性としては、KGB日本支部に裏切り者がいて彼らを支援した、という線が挙げられる。しかし、クリュチコフKGB議長が自ら内部調査グループを動員して捜査した結果は、シロだった。

 日本帝国情報省が匿っている可能性も絶無ではないが、明らかに悠陽に肩入れしている鎧衣がそんなことを許しはしないだろう。

 結局のところ、トリーの調査は完全に行き詰まっていた。


 物思いに沈んでいると、重い樫の木でできたドアをノックする者がいる。
「何用です?」
 と問い掛けると、
「私です。ただいま、本国よりクリュチコフKGB議長から通信が入りました。議長から貴女をお呼びせよと仰せつかりました」
 と駐日大使が答えた。

 駐日大使と言えば、位はかなり高い。
 しかし、トリーは書記長直属で、KGB議長とも直に通信することを許されている。
 首脳部に対する影響力という点では、比べるべくもなかった。

「わかりました」
 と言うや、トリーは大使館内の通信室に向かう。特別な防諜設備が整った、機密性の高い区画である。
 通信室に駆け込んだトリーは、扉を厳重にロックした上で、クリュチコフの通話要請に応じた。
 モニターに、禿げ上がったクリュチコフの顔が現れる。
「お待たせして申し訳ありません、議長」
「ああ、大使館にいてくれてよかった。どうだ、ドクトルとスレーサリの行方は掴めそうか?」
「残念ながら、難航していると言わざるをえません」
「そうだろう。こちらも全く手懸かりが掴めなかったのだが、先ほどワシントン支部のほうから連絡が入った」
「何かわかったのですか?」
 トリーは思わず身を乗り出す。
「ああ。アメリカ太平洋軍内のスリーパー・セルを活性化させて調査させた結果、わかったことだ。両名は正規の米軍人として横須賀基地に転属されたことになっている」
「なんですって?」
 たしかに米軍の人員として日本領内に入ったのなら、出入国をチェックしても発見できなかったのもうなずける。
 だが、そもそも正規軍人のIDを得るのは不可能に近いと言って良い。KGB本部の全面的なバックアップを得てさえ、困難と言える。
 それなのに、彼らは一体どうやって米軍人になりすますことが出来たのだろうか。
 トリーの取り繕った表情が思わずひび割れた。

 そのトリーの様子を見詰めながら、クリュチコフは苦々しげに呟いた。
「話は非常に簡単だ。本部の分析官は、CIAの一部が彼らに手を貸したのだろうと推測している」
「つまり――彼らはCIAに寝返ったということですか?」
 唖然とさせるような内容だが、一応の辻褄は合う。
 もっとも、CIAが彼らを二重スパイとして使わずに日本に送り込む理由が全くもって理解できないが。
「いや、恐らくはそうではない」
「どういうことです?」
「我々同様、CIAも一枚岩ではない、ということだろう。CIAの一部は、あの二人を日本に送り込む手助けをすることで、自らの手を汚すことなく目的を達成しようとした。そうは考えられないかね?」
「たしか――CIAの一部には、熱狂的なG弾推進派の手が及んでいましたね」
 トリーにも全体像が見えてきた。
 G弾推進派としては、何としてもスワラージ作戦を失敗させなければならない。それなのに、米軍自ら精鋭をボパール・ハイヴに送り込もうとしている。これは、米国議会内で影響力を失いつつあるG弾派としては非常に好ましくない。
 彼らがスワラージ作戦失敗を狙った謀略を練っているところに、同じく作戦を失敗させようとするグレチコ派が接近してきたと仮定してみると、説得力のある仮説が生まれる。
 G弾推進派としては、現段階で同盟国日本に対して露骨な謀略を仕掛けたくないはずだ。謀略が明らかになった場合、彼らは米国議会内で完全に孤立する恐れがある。彼らにはオルタネイティヴ4派という有力な政敵がいるのだから、不用意な行動はできる限り自制しようとするだろう。
 だが、KGBの一部が勝手に日本帝国内で蠢動しようとするのを黙認する程度ならば問題ない。そこで、ドクトルとスレーサリの二人が日本に潜入するのを影から支援したというわけだ。
 哀れな悠陽は、日米ソ三国の刺客に狙われているということになる。

「そういうことだ。それで、問題は彼らが何をどのタイミングで仕掛けてくるか、だ」
「彼らが米軍のIDを持っているということでしたら、再突入駆逐艦に細工するのは難しくないでしょう。斯衛軍には宇宙軍はありませんから、帝国軍の駆逐艦を利用するはずです。米軍IDを持っていれば、帝国宇宙軍の基地を訪れる機会もあるでしょう。あるいは、その機会に駒を調達することもできます」

 いきなり物騒な話を持ち出してきたトリーに対して。
「その仮説には重大な欠陥があるぞ、トリー。彼らの目的はあくまで作戦の失敗だ。煌武院悠陽が宇宙空間で死亡したとしても、作戦は継続されるだろう。そして、彼女抜きでも作戦は成功するかもしれない。煌武院家を嫌っている一部の武家は喜ぶかもしれんが、CIAには何の得にもならん。もっとも――彼らの協力関係がうまくいっていない可能性もあるから、完全に否定することはできんがな」

 少し煌武院悠陽に影響されすぎているのではないかな、とクリュチコフが苦笑する。

 トリーは、その可能性を否定することができない。
「もう少し、彼らの動きを探ってみます」
「頼んだぞ。書記長は、何としても作戦を成功させたいとお考えだ。通常兵力のみでハイヴ攻略が可能となれば、ソ連領土は宝の山だ。G弾を持っていても、アメリカは何もできなくなる。我らこそが、戦争後の人類を導くことになるのだ」
「はい」
 トリーの返事を待たずに、クリュチコフは通信を切った。











「これは?」
 雷電は、そっと手渡された封書を怪訝そうに見る。

 向かいには、居住まいを正して端然と座る悠陽の姿がある。
 久方ぶりに見た悠陽は、少し成長したようで、かすかに女らしさを漂わせていた。

 白い繊手は、握れば折れそうなほどに華奢で、この体躯で戦術機を操縦していたのか、と驚かされる。

 前の晩より京の都に雪がうっすらと降り積もり、古い町並みは寂寥として美しい。
 室内の明かりをおさえていても、雪の鏡で反射した月光が悠陽の横顔を照らし出す。

 雪見障子を開いて酒を飲もうと、雷電が考えていたところに、悠陽が足音を立てずにやってきたのだった。

「五日前に、スワデーシー作戦は無事に終了いたしました。数日中に、私も宙に飛びたつことになります」

 清冽な湧水のように澄んだ双眸が、月の光を吸い込んで淡い蒼光を放つ。
 澄み切った水に生あるものは住めないように、透き通る瞳はどこか幽世を想起させる。
 銀光を含んだ肌は処女雪のように白く、紫の髪は大人になりきれない少女のみが持つ儚さを際立たせていた。

 この子は果たして生きているのか。祖父たる雷電をして、そう思わしめるだけの凍てつくような凄みが、今の悠陽にはあった。

「その話は聞いた。何やら帝国内で蠢動する輩もおるようだが、任せておくがいい。何が目的かは知らんが、帝都で勝手な真似はさせんよ。詰まらん謀略のことは忘れて、そなたの為すべきことを為せ」

「ありがとうございます、お爺さま。以前にもお話いたしましたが、ソ連大使館のトリー・ビャーチェノワも一応信用してよろしいかと思います。鎧衣も色々と探っているようですので、何かありましたら直ちに連絡がくるはずです」
「うむ」
 雷電は相槌を打ち、続きを促す。

 悠陽は一瞬、ためらうかのように視線を伏せたのち、目に静かな決意を湛えて切り出した。
「もし――もし私に何かありましたら、その封書を冥夜にお渡しください」
 悠陽とて、成算あってハイヴ攻略に臨むのだ。道半ばで死ぬとは思っていない。
 だが、それでも、戦争に絶対はない。まして、少数で前代未聞のハイヴ攻略にあたるのだ。かつての二度の世界でも、通常兵力のみでハイヴ攻略に成功した例は存在しない。
 それを思えば、遺書を残すというのは、軍人としての責務であると言って良い。

「そうか――あいわかった」
 そう言ったきり、雷電は口を噤んだ。

 既に十年前に長男夫婦に先立たれた。
 今また、長男の忘れ形見が死地に赴こうとしている。
 軍人として、武人として、死んで欲しくないから行くな、とは言えない。
 決して言えない。
 それは、既に覚悟を決めた悠陽に対する侮辱であろう。

 だが、老いゆくに連れ、孫の成長は数少ない楽しみなのだ。
 その孫娘が戦に行こうとしているのに、老いた自分は遠くから見守ることしかできない。それがやるせない。

「お爺様。もしものときは、冥夜のこと、どうかよろしくお願い致します」
 そう言って、悠陽はそっと頭を下げた。

「帝国内のことは任せておけ」
 いつの世も、子や孫を戦地に送り出す親族というものは、引き裂かれるような気持ちを味わう。
 剛毅な雷電とて、例外ではなかった。


 いつの間にか、辺りは暗くなっていた。
 月が雲間に隠れ、雪が降り始めた。

「また、積もりそうだな」
 ぽつりと雷電が呟いた。

「そうですね」
 悠陽が静かに応じた。



押して頂けると作者の励みになりますm(__)m


<<前話 目次 次話>>

作品を投稿する感想掲示板トップページに戻る

Copyright(c)2004 SILUFENIA All rights reserved.