第30話
――狭い。
広間に勢ぞろいした三ヶ国の戦術機部隊を眺めながら、悠陽は息苦しさを覚えた。
ボパール・ハイヴ第三層の広間は決して狭くはない。直径500m近い半球形の広間は、地下に広がる空間としては、破格の広さを誇るといってもよい。
けれども、その広い空間はいまや、三種類の戦術機によって占拠されている。
悠陽率いる斯衛軍第25大隊については、贅言を要しない。
彼らは、あれから一機の脱落者を出さずに、一度もBETAに遭遇することなく、地下300m地点の第三層広間まで侵攻した。
斯衛部隊の右隣に並ぶのは、今回の作戦に三ヶ国中最小の戦力を供出した米陸軍特殊作戦部隊の一個中隊合計12機である。中隊長のアルフレッド・ウォーケン大尉は、東海岸出身の典型的なエリート陸軍将校で、外見も行動規範も、米国政界を牛耳るワスプのそれである。
東海岸のエリート層は、中西部や南部の軍人や政治家に比べて、政治的にも宗教的にも寛容であることが多いと言われる。ウォーケンも、命令に忠実な将校でありながらも、高度な政治的問題にも如才なく対応できるだけの知性を兼ね備えており、叩き上げの猛将や戦術馬鹿とは一線を画する。アメリカの無謬性や絶対性を無条件に盲信する若手将校が多いなかで、ウォーケンの穏健な気質は他国軍との交流に際して貴重であった。だからこそ彼は、三ヶ国共同でハイヴ攻略にあたるという今回の作戦にも抜擢されたのであった。
将官でありながらハイヴ攻略の陣頭指揮を執る煌武院悠陽は、ハイヴ突入部隊の最高位将校である。したがって、米軍将校であろうが、合同作戦に際しては悠陽の指揮下に入ることが義務付けられる。当然これには、米軍衛士の強い反発が予想された。何せ、ただでさえ生還率が著しく低い作戦なのに、それを指揮するのがわずか10歳の幼児なのである。軍人としては、命ぜられればどこへなりとも赴かねばならないが、それでも自分の命がかかっている場面で、10歳の子どもの命令に完全に従うという軍人は少ないであろう。しかし、ボパール・ハイヴ攻略が成功する可能性もゼロではない以上、米国政府としてはそれでは困るのである。ハイヴ攻略成功後に、米軍部隊だけが悠陽の指揮に従わなかったなどと日本から嫌味を言われるのは――許容できるにせよ――好ましいことではない。
それゆえに、尉官でありながらも、対外折衝能力が突出して高く、同時に将校としての作戦指揮能力にも定評のあるウォーケンが、今回の作戦のために抜擢されたのであった。
そのウォーケンが率いる米陸軍一個中隊は、F-15Eストライク・イーグルで統一されている。宇宙世紀由来の特殊技術で大幅に強化されたF-15Eは、F-15Aとはもはや完全に別の機体に仕上がっており、特に運動性能が著しく高められている。衛士のかなり無茶な要求にも応じられるように、フレームや装甲が強化され、ハイヴ内戦闘に適した仕様となっている。
斯衛部隊の左隣に並ぶソ連特殊情報部隊は、一個大隊合計36機。これは、米軍部隊の三倍であり、斯衛部隊と同数の兵力である。機体には当初、F-14を用いる予定であったが、土壇場で日本からの更なる技術援助を取り付けることに成功したため、突貫で完成されたチェルミナートルが採用された。後部座席にオルタネイティヴ3のEPS能力者が搭乗するため、二人乗りの特別仕様となっている。近接戦闘に極めて優れた能力を発揮するチェルミナートルは、ハイヴ内戦闘でもその能力を遺憾なく発揮するはずであった。
同大隊を率いるラトロフ中佐も、悠陽の指揮には基本的に従うことが、日米ソ三国による事前の調整で確認されている。
基本的に、というのは、ソ連と日米とでは戦術目標が異なるからである。
ハイヴ攻略、すなわち反応炉撃破を最優先の戦術目標とする日米とは異なり、ソ連の最優先目標は、EPS能力者によるBETAとの交信。そのために、反応炉と交信できるまで接近することが最重要課題となる。交信終了後は、データを地上に渡すために、一部部隊は帰還し、残存部隊でハイヴ深奥で再度の交信が試みられることになっている。したがって、オルタネイティヴ3計画に直接関係する点については、悠陽の掣肘を受けない。
目的も意識もバラバラなこの集団を率いて、ハイヴを攻略することが、当面の悠陽の最重要課題であった。
「悠陽様、ソ連特殊情報部隊の補給が完了いたしました。まもなく、全機発進準備が完了する見込みです」
神野副長が報告した。
ハイヴ内での補給は、無人の多脚型補給用コンテナが要である。
このコンテナ、便利なのではあるが、機動性に優れているとは到底言えず、BETAに喰われることもよくあるという。
どこまでコンテナが付いてこられるかわからないだけに、補給は受けられるうちに受けておきたいというのが、衛士たちの思いであった。
補給といっても、戦闘らしい戦闘を経験していないので、バッテリーパックと推進剤用のプロペラント・タンクを交換するくらいであったが――。
「了解しました」
そう神野に返答した後、悠陽は指揮官用のチャンネルを開いた。
網膜の片隅に、ウォーケン大尉とラトロフ中佐の姿が浮かび上がる。
「ラトロフ中佐、ウォーケン大尉。何も問題がなければ、3分後に発進します。それでよろしいですか?」
「問題ない」
感情を拭い去ったような声でラトロフが即答する。
「問題ありません」
ウォーケンも、応じる。
「では、我々斯衛部隊が先陣を務めます。次にラトロフ中佐、殿をウォーケン大尉にお願い致します」
オルタネイティヴ3直轄のラトロフを護衛するような隊列である。
悠陽なりに、ソ連特殊情報部隊を優遇した結果と言える。
もっとも、そのような配慮をしても大した意味はないかもしれない。
このままハイヴ内を侵攻すれば、BETAの大群に遭遇するのは必定。
偽装坑道内のBETAが隊列の真ん中に襲い掛かるかもしれないし、細長い坑道のどこかでBETAに挟撃されるかもしれない。
そうなっては、どこが一番襲撃を受けにくいかなど、大した意味はなくなる。
そもそも、日米ソ合同部隊の合計84機というのが、多すぎる。
同一ルートから100機弱で侵攻したとしても、狭い坑道内の遭遇戦では、兵力のほとんどが遊兵と化す。
かといって、政治的配慮のゆえに、各国軍が別ルートで侵攻するという案は採用できない。
前途は多難。
その思いを胸に秘めながら、悠陽はエンジンを再始動させる。
「全機発進」
命令と同時に、悠陽は深部へと通じる横抗に突入した。
麾下の斯衛大隊が悠陽に続き、ラトロフ中佐率いる特殊情報部隊がその後ろに従う。
網膜の左隅に投影されている深度計は、たちまちのうちに400mを越える。
時速300kmを上回る高速で、なだらかな斜面をジェットコースターのように下る。
壁面がぼんやりと青白く光り、悠陽たちに進路を示す。
眠くなりそうなほどに変わり栄えのしない光景が延々と続く。
ハイヴのどこかにいるBETAは、未だ影も形もない。
一体BETAはハイヴのどこに潜んでいるのだろう、と悠陽は疑問に思う。
このままでは、一度も戦わずに人類のハイヴ到達深度を塗り替えることになりそうだ。
その悠陽の疑問に答えるかのように、CPから連絡が入る。
未だにBETAと遭遇していないため、地表との通信ケーブルは機能していた。
「CPよりクリムゾン・リーダー。H-9ゲートより突入した第一軌道降下兵団の一個大隊が、第四層で音信途絶。最後の通信では、一万以上のBETAに遭遇とのこと。十分に注意されたし」
BETAは地下400m付近で網を張って待ち構えていたということだ。
悠陽たちと異なり、合流再編成という手間のかからない軌道降下兵団は、かなり先に進んでいたのだろう。そして、そこでBETAに補足され――殲滅されたのだ。
「クリムゾン・リーダー了解」
例えこの先でBETAが網を張って待ち構えていたとしても、悠陽は突っ切るしかない。網を蹴散らす以外に、生存する道はないのだ。
悠陽が通信を終えると同時に、ソナーが反応を知らせる。
「距離3000にBETA群を感知。音紋照合、突撃級集団、数200」
神野が全機に通達する。
逃げ場がほとんどない坑道内での突撃級ほど厄介なものはない。
通路一杯に広がって時速200km近い高速で突っ込んでこられては、迎撃する暇もなく粉砕される。
突撃級の前面を覆う甲殻は、通常の36mmでは貫通できない。HEAT弾でもあれば話は別だが、BETAの大半は軟目標であるため、光線級迎撃を主任務とする戦術機には配備されていない。
光線級の障害がないハイヴ内で最も出会いたくない敵。
それが突撃級。
問題は、突撃級の配置だ、と悠陽は薄紅色の唇を舐める。
馬鹿正直に床を這ってくるだけならば、手のうちようはある。
「全機減速」
指示を出しながら、悠陽は自らも機体を減速させる。
相対速度400kmで坑道一杯に広がる突撃級と相対しては、待ち受けるのは死。
「着地」
坑道に鈍い音が次々に響き渡る。悠陽の指示を受けて、戦術機が次々に床面に脚を降ろした。
一直線に伸びる横抗のはるか前方に、突撃級の姿が見える。
地表と異なり、ハイヴ内では土煙が立たないため、禍々しいシルエットが遠目にも明らかだ。
悠陽の希望はかなえられず、突撃級は床のみならず壁面や天井にも貼り付いている。
だが、坑道が突撃級で完全に埋め尽くされているというわけではない。
そんな状態では、時速170kmで坑道を驀進することなど、できようはずもない。
「第一中隊、我に続け。第二中隊、横列を組んで射撃準備。我らが打ち漏らした突撃級を殲滅せよ」
狭い坑道内では、戦闘に参加できるのは二個中隊がせいぜい。残りは遊兵として待機してもらうしかない。
了解を告げる声を聞きながら、脚部エンジンを再始動、腰部跳躍スラスターを全開で噴射。一気に突撃級に肉薄する。
80mm機関砲を背部ラックに収納したまま、進行方向に対する投影面積が最小になるように、機体を調整する。ちょうど、機体の頭部が前方、脚部が後方を向いた状態で、機体の腹部は天井を、背部は床を向いている。
その態勢を維持したまま、床、壁、天井に張り付きながら進行してくる突撃級のわずかな間隙を衝く。
相対速度は時速300km。
会敵は一瞬。
そのはずであった。
しかし、脳が急激に活性化する――危険に対応するために。
時の流れが引き延ばされるように、BETAの速度が、自機の動作がひどくゆっくりと感じられる。
いきなりスローモーションの世界に投げ出されたようで、情報を統括する脳が混乱をきたす。
一瞬で新たな時空に適応すべく、情報を取り込む。
この感覚も、もう二度目。
細胞という細胞が、戦闘に備えて潜在力を一気に解放する。
坑道の中心部には、突撃級の甲殻同士が接触しない程度の、直径10m程度の隙間がある。
そこを、くぐり抜け。
最初の突撃級を通過した後に、両腕部の36mm内蔵ハンドガンを後方に向け掃射。
突撃級の柔らかい後背部を蹂躙する。
そのままの態勢で、すぐさま次の突撃級の間をすり抜ける。
ほとんど曲芸まがいの飛行。
突撃級も黙ってはいない。
天井にしがみつきながら進んでいた個体が、天井から脚を離し、落下。
甲殻が、悠陽を叩きつぶそうとして、どう猛なきらめきを放つ。
タイムラグなしにBETAの意図を悟った悠陽は、腰部スラスターを垂直方向に噴射。
逆に天井すれすれまで上昇する。
それから、ハンドガンをフルオートで連射。
突撃級の柔らかい下腹部を蹂躙する。
BETAの赤い体液が飛散し、蒼い悠陽機をところどころ赤く染める。
ワラジムシのごとく、ひっくり返ったまま痙攣する個体を一顧だにせず、悠陽は突き進む。
坑道の壁面を驀進していた個体が、ジャンプ。
飛び込んでくる個体に合わせるかのように、今度は悠陽は壁面に空いたスペースに躍り出る。
まるでBETAの弾幕。悠陽は弾幕を避ける戦闘機。
悠陽機の後方では、十分に機体間距離をとった第一中隊の面々が、悠陽が打ち漏らしたBETAを掃討しながら、前進する。
悠陽が穿った穴を広げる。
さらにその後方では、第二中隊が、味方の死骸を乗り越えて、尚も突き進もうとするしぶとい個体に、最後の止めをさす。
ヒカリゴケのごとく坑道を照らす壁面は、今や紅に染まり、凄惨な光が立ちこめている。
そんな周囲の情景に目をやることもなく、悠陽は旋風のごとく、突撃級が作り出した僅かな間隙を進む。
それは、堤防に空いた蟻の巣穴を衝く奔流のよう。
蟻の巣穴ほどの隙間が、ついには突撃級という名の堤防を決壊に至らしめる。
いったん崩壊のはじまった堤防を修復することは、誰にもできない。
例えBETAといえども、それは不可能。
かくして――。
わずか数分で、突撃級集団は完全に沈黙した。
悠陽たちの戦闘を見守るしかなかった米ソの部隊が、死屍累々たる坑道を進み、合流を果たす。
「煌武院少将、お見事でした」
ウォーケンが目に賛嘆の色を込めながら、話しかける。
一機の損耗も出すことなく、ハイヴ内で突撃級200を殲滅することは、世界最強の名を恣にする米陸軍といえども不可能。
「ありがとう。ですが、私もまだまだです。随分と無駄玉を撃ちました」
戦闘で上気した頬が熱を帯びてうっすらと赤く染まる。
額を微かに伝う汗を拭いもせずに、悠陽は玉のように輝く顔を管制ユニット内のカメラに向ける。
彼女ならば――。
彼女ならば、あの戦闘でも推進剤や弾薬を浪費せずに、もっと無理のない軌道で、はるかに悠々と、それでいて恐ろしいほどに大胆に、敵を粉砕しただろう。
それに比べて自分はまだまだという思いを、涼やかな声に込める。
しかし、悠陽の自己分析はどうであれ、彼女の行動が隊員の士気を高めたのは間違いなかった。
別のゲートから侵入した友軍が音信不通となったという情報。それを耳にした衛士たちは、自分たちの運命を思って意気消沈していた。
自分たちも、この地底のどこかでBETAの大群に食い散らかされて終わるのではないか。そんな恐怖が、士気を削いでいた。
そんななかで、突撃級相手の華麗な遭遇戦。
太古の昔、人が剣や槍で闘っていた頃、部将同士の一騎打ちが軍全体の士気に直結することがあった。
科学技術がどれほど進歩しようとも、人間の本性は変わらない。
人は、自分には到底成し遂げられないような華麗な槍さばき、機体さばきに感嘆し、自分たちもやれる、この戦に勝てると思いを新たにするものだ。
そして、昂揚した士気が戦闘の結果を左右する。
そんな戦闘を悠陽は、実演してみせた。
部隊内の空気の変化を察知しながら、悠陽は前へと進む。
斯衛が先鋒、ソ連軍が中堅、米軍が殿。
禍々しい紅に染め上げられた光は、たちまちのうちに青白い光にもどる。
その光を誘導灯として、84機の戦術機が空洞を降下する。
第四層広間へ突入。
先の遭遇戦の後、BETAの反応は全くといっていいほど検知できない。
現在の深度は480m。
随分長い距離を走破したと思っていたが、ハイヴに突入してから、まだ30分も経っていない。
間もなく、深度511m。
かつての世界でスワラージ作戦が生み出した、人類最高到達深度。
容易く記録を塗り替えさせてくれるほど、BETAはお人好しではあるまい。
BETAはすぐそこまで迫っている。そんな予感がひしひしとする。
悠陽は、汗を吸って額に貼り付く前髪を脇に払いのけた。
「煌武院少将、今までに収集できたデータを回収させるために、一個中隊を地表に帰還させる」
ラトロフ中佐から連絡が入る。
「了解した」
悠陽は上の空で応じた。
先ほどから、ハイヴ内の空気が変わっているのが分かる。
無慈悲な死のイメージが空中に重く垂れ込めている。
ソ連特殊情報中隊の分離を見送った後、悠陽はなおも下降を続ける。
壁面の燐光を隠すほどに、灰色の靄が辺りを覆っているような感じがする。
物理的には一切知覚できない、死の靄が。
なおも横抗を進んだとき、襲い掛かってくる灰色の影を、悠陽は明瞭に認識した。
ソナーが悲鳴を上げる。
音波の発生源が多すぎて、ソナーが精確に機能しない。
それが意味するところは一つ。
「音紋照合完了。BETAの推定個体数……4万以上」
いつもは冷静な神野の声が上ずっている。
ソナーは4万までの個体を判別できる能力を持っている。
ソナーが振り切れるほどに押し寄せるBETAの数が多いとは、最低でも師団規模、下手をしたら軍団規模のBETA集団が押し寄せてくるということ。
回避スペースの存在しないハイヴ内で、それほどまでのBETAに遭遇した場合、人類に残された選択肢は多くはない。
重い武装を全て放棄して、全力で撤退するか――それとも、バンザイ特攻か。
人類にまだ余力が残されているというのなら、悠陽とて前者を選択するだろう。
先の大戦末期の旧日本軍なら、後者だろうか。
だが、今の悠陽に、安っぽいヒロイズムに満ちた特攻は許されない。
部下に死ねと命じることは避けられないにしても、無意味で安直な死を命じられるほど、悠陽は無能ではない。
勇猛な衛士たちの動揺が、肌で感じられる。
逡巡している暇はない。
こうしている間も、BETAは接近している。人類を屠らんとして。
悠陽の華奢な双肩に重責がのしかかる。
掛かっているのは、ここにいる84人の生死だけではない。
スワラージ作戦のために死力を尽くした幾百万の将兵たち。
銃後で戦士のために武器弾薬を製造した工員たち。
悠陽の我が儘のために奔走してくれた政治家たち、外交官たち。
そして――。
人類はBETAに負けはしない。今度こそ、勝てる。どうか勝ってください。
活路を、希望を、夢を、求める幾億の魂の叫びが、悠陽の心に活を入れる。
人類を舐めるなという絶叫が、時空を越えて聞こえたような気がした。
ひどく懐かしい声に後押しされたように、悠陽は口を開く。
「総員傾注。ラトロフ中佐、ウォーケン大尉、部隊を率いて第四層広間まで後退、地表へ繋がる坑道内に退避」
悠陽は、落ち着いた声で命じる。
取り乱していた衛士の心に冷水を浴びせかけるかのような、清冽な声色。
「どういうことです?」
普段は無感情なラトロフ中佐が、ひび割れた声で問いかける。
「第25大隊総員に告ぐ。第一、第二中隊は、接近中のBETA陽動にあたる。広間にBETAの過半を誘引する。第三中隊は、BETAの8割が広間に流入した段階で、米ソ軍と協同して横抗に残存するBETA群に全面攻勢を掛けよ。第三中隊は、残敵を正面から撃破した後、広間入り口にS-11を仕掛け、陽動にあたっていた第一、第二中隊が横抗に突入した後、広間出口付近を爆破させよ」
反論を許さぬような峻烈な声で、悠陽は命令を下す。
命令に従うことに慣れているはずの軍人たちが、僅か10歳の悠陽に気圧されたように、呑まれたように、沈黙する。
「了解」
神野と真耶が、一瞬の自失の後に、悠陽の命令を受諾したと告げる。
悠陽の立てたプランで一番危険なのは、陽動にあたる第一中隊――すなわち悠陽の直衛である。
次期将軍候補に陽動任務を任せるなど、とんでもない。
神野も真耶も、声を大にして反論したいところだろう。
――自分が陽動に当たりますから、悠陽様は後方にお控えください。
喉元まで出掛かった言葉を、彼らが吐き出すことはなかった。
神野と真耶に続くようにして、斯衛の勇士たちが了解を伝える。
「ラトロフ中佐、ウォーケン大尉、我らが十分にBETAを誘引したと判断したら、横抗内に残存する敵勢力を撃滅しつつ、一気に降下してください」
悠陽が立てたプランは、楽観的に評価しても厳しいものがある。
特に、陽動部隊の生還は絶望的。
それを十分に認識しながらも、二人の部隊長は了解を伝える。
「煌武院少将、ご武運を」
ラトロフ中佐の真摯な声が、悠陽の耳朶を打つ。
信奉するイデオロギーや属する国家が異なろうが、軍人はお互いに分かり合える種族なのかもしれない。
ラトロフの目を見ながら、悠陽は思う。
考えてみれば、ナチスに対する戦争を勝利に導いたジューコフは、アイゼンハワーと極めて友好的な関係を築いたという。
今回の相手は、ヒトラーよりも遙かに強大なBETA。
政治レベルでの対立はどうであれ、現場の司令官にとっては、戦友意識が次第に芽生えたとしても不思議はない。
今回の作戦を生き延びることができたら、ラトロフと語り合うのもいいかもしれない。
「感謝を。そなたの為すべきところを為せ」
悠陽の返答は、傍目には短く素っ気ないものだった。
まず米軍部隊が広間の反対側まで後退し、次に中堅を務めていたソ連特殊情報部隊が踵を返した。
斯衛第三中隊がそれに続き、横抗には第一、第二中隊24機が残された。
頼りになる副長の神野も、第三中隊指揮のために、悠陽のもとを離れた。
戦術機の駆動音を圧するかのような振動が、横抗を襲う。
壁面の燐光が、振動に抗議するかのように揺らめく。
操縦桿を握る手が、小刻みに震える。
――大丈夫。お前ならできる。
そんな声が聞こえる。
震える手の甲に、細くしなやかな手が重ねられたような気がした。
不思議と心が落ち着いていくのを感じる。
坑道内の空気が鳴動し、無機質の殺意が辺りを塗りつぶす。
侵入者を、異物を排除しようとして、ハイヴ全体が悠陽たちを敵と定めた。
網膜に映し出される光点は4万以上。
普通に考えれば、悠陽たちの死は絶対。
BETAとの戦闘は、冒険小説のように甘くはない。
隊員たちのバイタル・データは、極度の緊張状態を示している。
地獄の底のような、おどろおどろしい轟音が押し寄せる。
そして――。
音の先触れに続いて、ついにBETA集団の先頭が姿を現した。
要撃級と戦車級が折り重なるように空間を埋め尽くし、突破できるような隙間は見当たらない。
奥にチラリと脚を覗かせているのは、要塞級だろうか。
天井と壁とを問わず、小型種が重力に逆らうようにして貼り付いている。
先ほどの突撃級と比べると速度こそゆっくりだが、数が尋常ではない。
背部収納ラックから、80mm機関砲を切り離し、構える。
相対距離1000。
「全機武装自由。残弾に限りがある。よく狙え」
戦場では丁寧な言葉遣いは不要。装飾を剥ぎ取られた簡潔な言葉で、悠陽は命じる。
大口径の弾丸が次々と射出され、BETAに血の華を咲かせる。
しかし、味方の死に頓着せずに、新手が押し寄せる。
味方の赤い体液を付着させたまま、新たな要撃級が、戦車級が、雑多な小型種が、戦術機を喰わんとして走り寄る。
まるで蝗の大群。
一匹二匹倒したところで、群れ全体には何の意味もない。
全てを呑み込み、喰らい尽くす死の顎が勢いよく迫る。
「全機広間入り口まで後退」
十分に惹きつけたと判断するや、悠陽は命令を下す。
脚部エンジンを起動し、坑道を滑るように走る。
1000m後退しては、後ろを振り返り、弾丸をばらまく。
BETAが確実に囮役に食らいついてくるように。
そして、BETAが近づくや、再び跳躍して広間へと向かう。
それを何度か繰り返した末に、悠陽たち第一、第二中隊24機は、直径800m近い半球系の第四層広間に達した。
反応炉へと通ずる横抗とは正反対の壁際に展開し、BETAが広間に突入するのを待つ。
既に本隊は地表へと伸びる坑道内に退避していて、広間からは目視できない。
絶望的な数のBETA相手に死闘を演じるのと、次々と斃死してゆく戦友を見守るのと、どちらがマシなのだろうか。
そんな埒もない命題に答える暇もなく、BETAが溢れ出す。
奔流の如く、濁流の如く、雪崩の如く、横抗から吹き出す。
巨大な蝗どもが、壁面の光を覆い隠す。
彼らのせいで、広間が翳る。
「撃て」
命令は簡潔。
たちどころに、実行に移される。
銃撃の音は、広間に響かない。
要塞級が、要撃級が床面を踏みならす音が広間を揺さぶり、他のあらゆる音を吹き飛ばす。
それでも、80mm砲の反動が、衛士に銃撃の手応えを伝える。
撥ね跳ぶようにして斯衛部隊24機に襲いかかる戦車級が、朱い体液を撒き散らしながら、はじけ飛ぶ。
要撃級の頭部は千切れ飛び、要塞級も自慢の衝角をワイヤーガンの如く射出する前に、胴に集中砲火を浴びて、大音響を上げながら倒れる。
その衝撃で、広間全体が揺れる。
巨躯から染み出す銀朱の粘液が床を覆い、青白い光をどす黒い赤紫に染め上げる。
広間は立ち所に、灼熱地獄さながらに陰惨に、暗く朱く彩られる。
死屍を乗り越えるようにして、新手がひっきりなしに顔を出す。
別の坑道には戦術機の大群が潜んでいるというのに、そちらには見向きもしない。
悠陽たちを唯一無二の敵と定めて、襲い掛かる。
こんな狭い空間で迎撃戦を繰り広げる場合、衛士個々人の技倆はもはや問題にならない。
指揮官ができることもほとんどない。
なにせ、策を弄する空間もなければ、意味もないのだから。
言い換えればそれは、BETAの土俵で戦うことを強いられるということ。
単純明快な真っ向勝負。正面衝突。
宇宙世紀の戦訓を汲んで、磨き上げられた戦闘マシーンが唸りを上げる。
BETA相手に多大な効果を及ぼすように計算された弾頭が、絶大な効果を発揮する。
大昔の戦列歩兵よろしく、80mm砲を構えて、狙って、撃つ。
天井を伝ってきた戦車級が迫る。
天井を蹴って、一気に戦列の懐に潜り込もうと、蜘蛛のごとく頭上を這ってくる。
戦術コンピュータの警告が、後衛に為すべき事を知らせる。
一斉射。
天井から、戦車級が血煙を噴き上げながら、落ちる。
頭上の灯りすらも、赤黒く染め上げながら。
撃破された大型種の死屍が射線を遮る。
BETAにとっては、またとない盾。
ちらほら、前衛の直近にまで迫る戦車級が現れ出す。
戦闘に突入してから何分が経つのだろうか。
広間に押し寄せるBETAは、途切れる気配を見せない。
まだ2割も広間内に流入していないと、戦術コンピュータは冷厳な事実を突きつける。
汗が、紫紺の髪の傍を流れ、紅く昂揚した頬に跡を残す。
細い顎から、玉のような汗が滴り落ち、強化装備に染みを作る。
一滴、また一滴。
単純な銃撃戦のみで対処するのは、そろそろ限界だと悠陽は感じる。
だがその前に、やるべきことはやる。
「現地点を放棄する。後衛はB地点に移れ。後衛の移動完了後、前衛もB地点へ」
雛鳥のような声変わり前の高く軽やかな声。それでいて大空を舞う隼のごとく鋭い。
命令は一瞬の間も置かずに、麾下総員に染み渡る。
ただちに後衛が移動を開始する。
BETAの死骸が射線を遮らないB地点へと。
後衛の移動を助けるべく、前衛はここぞとばかりに80mmをばらまく。
後衛が射線を確保し、援護射撃を開始する。
「前衛全機、移動開始」
前衛各機が順次、後衛が確保した拠点目指して跳躍する。
床面も、壁面も、天井も――今や完全に血腥い朱に染まり、往時の青白い燐光などまったく見当たらない。
砲撃を受けて吹き飛ばされた要塞級の頭部が、奇妙なまでに人間の頭を想起させる不気味な頭部が、血みどろの床を転がり。
ニタリと嗤う。
その頭部を無数の脚で踏みつぶし、脳漿のような粘液を振りまきながら、新手が襲い掛かる。
肩で息をしながら、悠陽はトリガーを引く。
要撃級の頭部が、次々に弾け飛ぶ。
殺したりないとばかりに、弾丸は新たな獲物を求めて食らいつく。
けれども、彼女にとっては。
戦闘経験のほとんどない悠陽にとっては。
この陰惨な光景は精神を摩耗させる。
BETAはグロテスクな形をしている。
それは、人に理解の及ばない奇天烈な容貌ではない。
そうではない。
体躯の全てが、あるいはその一部が――奇妙なまでに人体を想起させる。
頭が、腕が、脚が――肉弾戦闘には不向きなはずの人体に擬せられている。
BETAの各部位が弾け飛ぶ様は、スプラッタそのもの。
相手が人間ではないと分かっていても。
憎むべきBETAの肢体に過ぎないと頭で理解していても。
本能的な部分で、戦士たちの魂は少しづつ摩耗していく。
衛士たちは、静かに狂っていく。
理屈では測れぬダメージが悠陽の心を蝕み、動悸を速める。
無理もない。
これは彼女にとって初めてのハイヴ内戦闘。
今までの戦闘をあまりにも鮮やかにこなしてきただけに、こうした血みどろの激戦の経験が、悠陽にはない。
けれども、どれほど辛くとも――司令官に休む暇はない。
悠陽は軽く頭を振り、自らを蝕む瘴気を打ち払おうとする。
頭の動きに合わせて、髪が左右に靡き、顎から玉のごとき飛沫がとぶ。
迎撃拠点を変えたところで、すぐにBETAの死屍はうずたかく積み上がり、射線を遮る障害物となる。
再び、撃ち漏らしたBETAが、前衛の足元を脅かす。
入り口に目を転じれば、広間に入りきれない集団が、味方である要撃級を踏み台にして、折り重なるようにして前進する。
それはもはやBETAの壁。
高さ300m以上はある。
横抗内に残存するBETAは残り半分。
本隊を突入させるにはまだ早い。
もう少し粘らなければ、活路は開けない。
押し寄せるBETAの壁を前に、悠陽は前衛本来の役割に戻る。
80mm砲を背部ラックに戻し、ヒートソードを掴む。
古来より、前衛の役目の一つは――壁。
後衛が効率よく火力を発揮できるように、彼らを護る。
直衛として。
「第一、第二小隊、抜刀。近接戦闘用意」
覚悟を決めた雌獅子のような、可憐にして凄絶な咆吼が衛士たちの心を震わせる。
「お供致します」
真耶が猛禽のように鋭い声で応じる。
機は熟した。
これより始まるは――白兵戦。
坑道に潜む米兵よ、刮目して見よ。
これが、これこそが――汝らが非合理として退けた戦法。
戦闘の帰趨を決する最後の手段。
そんな想いを込めて、8人の衛士たちが抜刀する。
斬馬刀のごとき長大な刀剣が熱せられて、プラズマの煌めきを放つ。
機体の各所に仕込まれたブレードが、爪を伸ばす。
まるでハリネズミのごとく。
左右に真耶、鈴木を従えた悠陽は、要塞級の死屍をよじ登ってきた要撃級を一刀両断。
豆腐を斬るかのよう。
硬い前腕部も真っ二つに切り裂かれる。
左前方から飛びかかってくる戦車級は、左腕のハンドガンが撃墜。
次々と押し寄せる要撃級を、袈裟、左切り上げ、右薙ぎ、逆袈裟、唐竹。
流れるように、勢いを殺さずに、必殺の太刀を浴びせる。
戦術マップを一瞥すれば、悠陽たち前衛の奮戦のおかげで砲撃に専念できるようになった後衛が、山のごとく聳え立ち、海嘯のごとく襲い掛かるBETAの壁を撃ち崩している。
雲霞のようなBETAの大群を前に仁王立ちし、斬っては捨てる。
その様は、まるで長坂坡の張飛のよう。
背後に控える味方を衛るため、本隊の突入を支援するため――悠陽は修羅となる。
BETAの体液で刀身は朱く染まり、本来は蒼かったはずの迅雷も、血の風呂に入ったかのように赤一色。
機体を動かすたびに、血の池が音を立てて飛沫をとばす。
足の踏み場もないほどに、BETAの死屍が散乱し、迅雷に踏みつぶされて砕け散る。
世界が朱く染まる。
それでも、悠陽は刀を振るうのをやめない。
今や、BETAの7割近くが広間に入っている。
もう少し。
もう少し惹きつければ、本隊が横抗に突入できる。
悠陽の刀捌きは鋭く、速く、精確にBETAを屠る。それでいて、余計な力みはなく、清流のように変幻自在。
分厚い壁となって悠陽を押し包むように迫るBETAに神速の太刀を浴びせ、僅かに立ち位置を変えながら、要撃級の体当たりを躱し、要塞級の衝角を分断する。
ヒートソードの範囲内は、絶対防衛圏を形成し、小型種といえどもそこより内側に潜り込めない。
だが――。
いかに斯衛といえども、皆が皆、悠陽のような神技を身につけているわけではない。
悠陽の右隣で血刀を振りかざしていた鈴木機の胴体部に――天井を蹴って跳躍してきた戦車級が次々に食らいついた。
助けに行きたくとも、行けない。
持ち場を離れては、後衛が無防備になる。
悠陽は唇を強く噛む。
鈴木のバイタルがフラットになり――友軍機を示す光点が一つ、消えた。
噛み締められた下唇が血を滲ませ、白い肌に朱い軌跡を描く。
初めて部下が戦死した。
悠陽の命令によって。
けれども、感傷に浸っている余裕はない。
余計なことを考えては、自分が死ぬ。
蒼い双眸が凄艶な光を放つ。
かつては窈窕たる雰囲気を漂わせていたかんばせは、ぞっとするほどの凄みを湛えていた。
また一機、消えた。
友軍の喪失に動揺したのか。それとも、ついに敵の攻勢を支えきれなくなったのか。
圧倒的な物量の前に、囮となった二個中隊は、限界まで追い詰められていた。
これ以上は無理。
悠陽がそう判断すると同時に、戦術コンピュータが網膜に信号を送る。
横抗内のBETAの8割が流入。
「今だ」
叫び声を上げたのは、誰だったか。
本隊が広間に再突入を開始した。
60機は、突撃支援用ミサイルを斉射しながら、横抗に残るBETAを粉砕せんと猛攻を加える。
迅雷の80mmが、ストライク・イーグルの120mmが、チェルミナートルの36mmが、光芒を放つ。
迅雷に続いて、密集戦闘に優れたチェルミナートルが吶喊。
機体の随所に備え付けられたブレードが、戦車級を切り裂き、要撃級を近寄らせない。
まさに背水の陣とも言うべき、決死の突撃。
薬で昂揚しているソ連兵は、文字通りの死兵と化す。
防禦を気にせずに遮二無二突っ込む。
無謀な特攻のようでいて、研ぎ澄まされた戦闘技術が光る。
BETAとの戦闘経験では、ソ連軍は他国の比ではない。
理性と狂気がギリギリのバランスをとり、BETAの壁を掘り進む。
味方がBETAに千切り飛ばされても、全く動揺せずに突貫する。
日ソの白兵戦部隊を支援するのが、F-15E。
四門の突撃砲を連射して、大型種を粉砕する。
まだ突破できないのか。
じりじりとした思いで、悠陽たち陽動部隊はBETAの攻勢に耐える。
また一機、斃れた。
前衛は限界。
ブレードは折れ、マニピュレータは損傷している。
ヒートソードは頑丈だが、それ以外の部位が消耗しきっている。
また、光点が消えた。
今度は一度に二機。
もはや待てない。本来の作戦から外れるが、目の前のBETAの壁を突破して合流するしかない。
悠陽がそう決断したとき。
「本隊、横抗内のBETAを突破」
ラトロフから簡潔な通信が届く。
「第三中隊、これよりS-11設置に取りかかります」
神野が知らせる。
突破するのは今。この機を逃しては、全滅は必至。
「第一、第二中隊各機、よく耐えた。これより本隊に合流する。全機吶喊。後衛はミサイル全弾斉射」
安堵の混じった声で、悠陽は吼える。
脚部エンジンがかん高くいななき、メインスラスターが蒼炎を噴射する。
ミサイルが弾着、爆風が折り重なって迫るBETAの壁をひび割れさせる。
そこに、吶喊。
悠陽は旋風となって乱舞する。
本来の戦闘スタイルを許された迅雷は、歓喜の雄叫びを上げ、要撃級を、戦車級を切り刻み、無数の小型種を吹き飛ばす。
要撃級は、数匹まとめて薙ぎ払われ、開いた隙間は神速の突きによって抉られる。
固定兵装のブレードが、機体の動きに合わせて致死の刃をBETAに突きつける。
殿を務める後衛が、散弾を連射。
突破口を広げる。
血路を切り開くべく、悠陽は突破口に機体を強引に割り込ませ、ブレードとハンドガンで取り付いた戦車級を払い――。
一気に壁を抜ける。
眼前には――空間が、あった。
BETAがいない、何もない空間。
その空間を突っ切り、横抗入り口で反転。追いすがるBETAを薙ぐ。
次々に中隊各機が死地より脱出する。
悠陽たちは支援砲撃を加え、脱出を支援する。
だが。
半数が逃げ切れたところで――。
BETAの壁に開いた小さな穴が――。
崩れた。
穴が埋まり、壁は元通りに修復された。
「くっ」
悠陽は思わずコンソールを撲った。
強化装備が衝撃を吸収し、痛みは感じない。
その押し付けがましい親切が、鬱陶しい。
残存機の脱出は――不可能。
彼らの死は絶対。
彼らに秘匿回線で通信を試みる。
繋がった。
だが、一体、彼らに何を言えばいいのだろう。
歴戦の司令官といえども、言葉に迷う瞬間。
それなのに、悠陽の内奥の想いとは裏腹に、将軍としての経験がたちまちに仮面を被せる。
哀しみが深いほど、動揺が大きいほど、精神の防衛本能は強まり、仮面が溢れ出ようとする感情に蓋をする。
素の顔を晒すことを禁じられた悠陽は、
「そなたらの忠勤、大儀であった」
と短く、別れを告げる。
取り繕った、透明な声で。
余所行きの、精確に演技された声色で。
「いくさ人にとって、主君の殿をあずかるは、最高の誉れ。閣下の武運長久ならんことを」
口元に血の跡を貼り付けたままの悠陽に、死にゆく者たちは次々と敬礼する。
「悠陽様、S-11の設置完了しました。お急ぎください」
神野の声が、言葉に詰まった悠陽に、決断を迫る。
「そなたらの生き様、我が脳裏に刻みつけた。後のことは、この煌武院悠陽に任せておくがよい」
白鳥が今際に発するという透徹たる声色。
凛烈たる悠陽の声に、衛士たちは笑みを浮かべ――通信を切った。
武家としての教育が彼らにそうさせたのか。
悠陽には分からない。
だが――今は嘆く暇すらない。
そんなことをしては、彼らに対する冒涜であろう。
悠陽は直衛を伴い、横抗に突入する。
後方の広間で爆音が轟き――それに呼応するかのように、横抗入り口で破砕音が鳴り響いた。
「横抗爆破処理完了。これでしばし時間が稼げます」
神野の冷静な声が、行き場を失った悠陽の感情を鎮める。
BETAの大半を第四層広間に置き去りにし、60機に減った合同部隊は降下を再開する。
斯衛だけではなく、米軍にもソ連軍にも、強引な突撃の際に戦死者が生じていた。
先の戦闘の際に、地表との通信用ケーブルは切り離されている。
もはや、本部との交信は不可能。
広間入り口は土砂で埋まっているため、後退はできない。後ろに退いたところで、待ち受けているのは師団規模のBETAの大群のみ。
いつの間にか、坑道は青白い光を取り戻し――激戦などなかったかのように、平穏に輝いていた。
第二部に入ってから、意図的に文体をあれこれ変えてみましたが――却って読みにくくなっているかも?
戦略論議では論説調の長めの文章、戦闘シーンは短く体言止めをまじえて、比喩を絡めながら謳うように。そんなつもりで書いてみました。
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