吸血学園/中編(血を吸う薔薇×リリカルなのは)


CHAPTERT


  月村すずかは、自分の友人である野々宮 敬子の失踪に疑問を持ち、アリサとノエルと共に長野県八ヶ岳山麓にある聖明学園へと足を運んだ。
そこで新任教授である白木 敏雄と出会い、彼もまた野々宮 敬子の失踪に深い疑念の意を抱いていたことを知る。そしてこの地域に根付く古い昔話こと鬼伝説との関連性。
さらに女学生西条 久美が謎の貧血により体調を崩すというアクシデントが起き、ますます聖明学園に蔓延る薄暗い影が色濃くなりつつあった。
吸血鬼が本当に存在するのか。すずかの胸の内に不安が広がる中、一目だけでも西条 久美と会って敬子の情報を聞いておこうと寮部屋へ脚を踏み入れたが・・・・・・。

「学長!」

  聖明学園校医の下村が発した言葉に、白木は無論のことすずか達をも驚かせた。学生寮2階へ見事に侵入せしめた黒服と白いスカーフの不審な男は、久美に噛みつこうとしたところで発見されたことから、慌てて久美を抱き抱えたまま窓から飛び出して逃走を図ったのである。
通常の人間なら足を骨折するなりの大怪我を負ってもおかしくはないであろうに、久美を抱き抱えたまま2階から飛び降りた男は常人離れした身体能力で平然と逃走した。
その直後に一瞬だけ振り返った際、やや薄暗い状況下で辛うじて男の顔が見えたのだ。
  窓辺で半ば呆然としている下村は自分の見たものが本物であったのかと疑うこともなく、この事件の裏に隠された謎には学長夫婦が絡んでいるのだと確信を持った。
そして鬼伝説の鬼――もとい吸血鬼も学長夫婦なのだろう。これまでは単なる仮説にすぎなかったが、今自分の眼で見た顔によって確信へと変貌したのだ。
こうしてはおられん、と下村は窓辺で緊張の硬直から解き放たれると一目散に身体を翻して部屋の外へと飛び出して行く。白木は咄嗟に下村を呼び止める。

「下村先生、どうするんですか!?」
「決まっとる! 犯人が学長であることの証拠を掴んでやるんだ」

  それだけ言うとカメラを手にしたまま駆け出して行ってしまった。白木も下村を1人で行かせる訳にはいかないとして、慌てて彼の後を追って行こうとする。
その場に居合わせたすずか、アリサ、そしてノエルの3人も突然の出来事で状況判断に着いていけない様子だったが、下村と白木が慌てて駆け出すのに遅れて行動に出た。

「私達も追いかけよう」
「そうね、西条さんを放っては置けないわ」
「畏まりました」

本来なら危険故に引き留められて然るべきだが、野々宮 敬子に続き犠牲者を出したくない一心のすずかの想いを察していた故に、敢えて追いかける事に賛同したのであった。
これでもし伝説の吸血鬼が本当に岸田学長であるとすれば、ことは重大な事件となろう。現代の警察が敵う相手かさえ疑わしいものだった。
  外に飛び出した3人は白木の後を追う。白木も後からついてくる女性たちに気づき、慌てて待機するように呼び掛けたものの、それをすずか達は断った。
何せ相手が普通とは思えぬ身体能力を有するのだから、当然、すずか達に危険が及ぶと察しての事である。しかし彼女の意思は固かった。

「駄目だ、危険だぞ」
「私達も助けたいんです! 無理でも付いて行きます!」

普段は御淑やかな性格で通っているすずかだが、人の命が掛かっているとあって気迫迫るものがあった。そんな彼女に対して、白木はこれ以上の説得は無駄だと瞬時に判断して何も言わず黙々と下村の後を追いかけることに専念する。
そんな彼の後ろを追いかけながらも、無事でいてほしい、とにかく彼女は強く願いながらも走り出すのであった。
  一方の下村は暗くなりかけている森林の中でひたすら走っている。一番手に追いかけたとあって、絶対に逃さない思いで一杯だったが、さしもの歳の影響か息切れしていた。

「ハァ、ハァ・・・・・・この先に行った筈だ・・・・・・ぉッ!」

そう思った矢先のことだ。彼の視線の先に黒づくめの男と、白い服を着ている久美の姿を見たのだ。久美は降ろされ、意識の無いまま男――岸田を前に無防備で立っていた。
間違いない、あれは学長だ。下村は木影に隠れながらも様子を伺うと、その彼が今まさに牙を突き立てんとしている真っ最中の様であった。
  それを見た下村はチャンスを逃すまいとして行動に移った。彼は木影から窪みの影に隠れて2人の様子をカメラに捉えようと、手元のカメラを構えて2人にレンズを向ける。
そして、薄暗い中で辛うじてピントを合わせシャッターを切る。カシャ、カシャ、と小さな音を立てて映像として証拠を得ようとするが、何回目かのシャッターを切ろうとした途端にカメラの電池残量が残り僅かになっていたことに気づいた。
  これでは撮影ができない。残り僅かで多くの証拠を得ようとしたが、彼は直ぐに表情を強張らせた。

「っ!」

レンズ越しにギロリと睨み付ける岸田の顔を捉えたからだ。獲物の捕食を邪魔された事に対する怒りをにじみ出したかのような、恐ろしい形相をした学長に恐怖心を抱く。
不味い、と思った時には既に動き出し、下村は岸田から逃れるために駆け出していた。追う側が一転して追われる立場に変わっていたのだ。
  追いかけるなら追いかけてくればよい。そうすれば久美から引き離すこともできる。付かれた身体に鞭を打って、ところ構わずひたすら走りだす。
数分の後に一端立ち止まって息を整えながらも後ろを返り見るが、そこに岸田学長の追ってくる姿は無かった。逃げ切ったのだろうか、それともまた久美のところに戻ったか?
であればなおさらのこと不味いだろう。せっかく自分が囮となって必死になって逃げて来たのに、苦労が水の泡ではないか。
心臓の鼓動リズムが早まるのを抑えながらも下村は来た道を戻ろうとした――刹那。

「逃げ切ったと思ったのかね?」
「――ッ!?」

  自分の背後にいつの間にか立っていた男の声に驚き振り返る。その顔は、間違いなく岸田のものだが、今は好奇心や確証を持てた喜びより恐怖が幾倍も勝った。
逃げようとするよりも早く岸田の手の甲が飛ぶと、恐怖に滲む下村の頬を強かに張り飛ばす。その時、手元に持っていたカメラも一緒に飛ばされ地に落下した。
カメラの心配をするよりも自分の心配をするのが先決である。カメラに見向きもせず、下村は手持ちのライトさえ岸田に投げつけて抵抗する。
岸田には何ら効果的なものにはならず、軽く弾き飛ばされてしまう。
  それでも下村は、よろけた身体で必死の逃走を図った。走った影響で心臓も止まる寸前だ。

(このまま殺されてたまるか!)

と最後の足掻きをするが如く、下村は森の奥へと駆け込んでいったのである。
  だがそれも長くは続かなかった。後ろを追いかけて来ていた筈の岸田が行く先で待ち伏せていたのである。追い詰めた狩り人の様な眼で死刑宣告を告げる。

「鬼ごっこは終わりだよ、下村君」

そう言うと、下村が逃げ出す前に片手でいとも簡単に、そして思い切り突き飛ばして地面へと倒す。彼が自力で起き上がる前に掴みかかって、傍の大木へ放り投げた。
常人離れした怪力で投げ飛ばされた下村は体力も使い果たした呈で、もはや満足に抵抗する術もない。息切れを整える暇もなく、岸田が掴みかかってくる。
  木にしがみ付いて僅かな抵抗をするが、それをものともしない岸田は彼の首を腕でもって締め上げ、激しく振るいた威力をさらに奪う。
さらに一端は腕を話すと、すかさず両手を下村の首に掛けて思い切り締め上げたのである。

「ぅぐぁ・・・・・・あ・・・・・・」

気道を締め上げられることで脳に酸素が行き渡らなくなり、次第に視界がぼやけてくる。薄れゆく中で、絞め殺そうとする岸田の吸血鬼らしい形相をその目に焼き付ける。
本当に鬼がいたのだ。この世のものではない、魔性の者が存在し、人間の世界に住み着いて生き永らえているのだと確信したが、それも意味は成さない。
本能的な動きで生きようと身体が動くが、岸田の腕はビクともせず下村の首をさらに締め上げる。死を覚悟すべきだと思う間もなく、彼の目がグルリと白目を剥いた。
力の入らなくなった腕がダラリと垂れ下がり、遂に下村の生存の鼓動は永遠に時を刻むことなく止まった。
  一方の下村の後を追っている白木とすずか、アリサ、ノエルの一行は、暗くなる森林の中を駆けずり回りながらも、懸命に探し続けていた。

「下村先生ー!」
「西条さーん!」

懸命に呼びかけ、反応を待つものの返事は一向に来ない。返ってくるのは森の静寂と走る足音のみ。彼女らの心内には不安の雲が広がるばかりで、晴れ渡る気配はなかった。
既に久美も下村も学長らしき人物の手に掛けられてしまったのではないか。無論、彼女らは襲った男の顔を見た訳ではないので、まして学長とやらの顔も見たことも無いため、確実に詩人をもってそう言える訳ではないのだが、あの下村という校医が嘘をついているとも思えなかった。
  こんなことなら、アリサの言う通りになのは、はやて、フェイトらに無理にでも連絡しておいた方が良かったのかもしれない。そんな後悔の念に駆られ始まるすずかであった。
だが彼女らの入局する時空管理局とは、あくまでも魔法文明のない世界には介入しない方針で、地球のような魔法文明とは無縁の世界に対しては次元空間と呼ばれる他世界を繋ぐ海の中から見守るだけで、後は何かしらの魔法に関する事件(次元犯罪者の潜伏含め)等があれば密かに潜入して迅速かつ秘密裏に解決させるのだ。
よって魔法文明のないこの地球では、管理局が介入する可能性はゼロに等しい。加えて魔法を使う姿を見られるなど以ての外で、隠密な行動が要求される。
それでもなお、せめて連絡でも取っておくべきだと思うのであった。
  駆けずり回る事数分、運動神経に優れるすずかも流石に疲れを見せ始め立ち止まった時だ。足元で何か硬いものを蹴った感触に気づき、それを暗い中で手探りで探し出す。
立ち止まってしゃがみ込んだすずかの様子に、アリサが気になり声を掛けると白木も立ち止まり、すずかの方を向いた。

「どうしたの、すずか」
「なにか蹴ったみたい、この辺りだと思う・・・・・・あった!」

土壇場で飛び出したがために手持ちのライトがなく、探しにくくはあったものの携帯の明かりを使って見つけたソレ。手に取ってみると、それはカメラであった。
  そのカメラを見た白木が真っ先に思い出した。

「それは、下村先生の使っているカメラだ」
「じゃあ、この辺りに居たと・・・・・・」

改めて辺り一帯を見渡すが何処にも下村の姿は無い。それどころか、肝心の久美の姿も一向に見つからないままだ。2人は何処へ行ってしまったのだろうか。
ふと不安が胸の内を通り過ぎた。カメラが此処に落ちているのは明らかに不自然である。もしかすれば下村の身に何かあったとしか考えらえない。
  だがもしかすれば、拾ったカメラに何か移されているかもしれない。犯人の顔を捉えている可能性も十分にあり得る話だろうか。
またこのカメラは今時のデジタル式であり、昔ながらのフィルム現像という手間は一切かからないものだ。その場でカメラ背部にある小さな液晶画面で撮ったものを確認できる。
すずかは急ぎ電源を確認するのだが、残念ながらバッテリー残量がほぼ残っておらず、幾ら電源ボタンを押しても起動することは無かった。

「駄目、電池がない」
「そんな‥‥‥」

アリサもここぞと言う時に起動しないカメラに失望を抱く。
  そんな時だ。学園の警備員が駆け付けてきて白木達に朗報を入れて来たのは。

「白木先生、向こうで女学生が倒れております!」
「何ですって?」
「はい、こちらです!」

その警備員は久美の倒れていたと言う場所まで急ぎ案内をするが、その際に白木と共に居たすずか達3人については何も聞かなかった。
彼女らもまた、この聖明学園の学生だと思ったのだろう。というよりも、そこまでまだ気が回る程の余裕もなかったというのが正しい。
  それは兎も角として、発見されたという場所へ駆けつけた一行の前に、落ち葉をベッドにするような形で横たわる久美の姿を発見することとなる。
真っ先に白木が駆け寄って首もとに指を当てると、彼女の脈と呼吸があることを確認する。どうたら気絶しているだけのようで、重傷の類は無い様に思われた。
目立った外傷もなく安心するすずか達だが、多少開けられたブラウスの胸元に2つの点が見えたのが気になってしまう。すずかは見覚えのある傷口だと思い、直ぐに答えが出た。
夢の中で見た敬子の傷口と同じなのだ。これはいよいよ、現実なのだと嫌がおうに認めさせるものだった。
  またもう1人、それに反応を示したのは誰でもない白木であった。

「この傷は・・・・・・」
「噛み傷、のようでございますね」

ノエルも反応を示す。すずかもまた先ほど聞いたばかりの話を思い返し、自分の記憶とも重ね合わせながらも白木に尋ねた。

「白木先生、その傷が‥‥‥」
「そうだよ。さっき話していた、野々宮君の傷と一緒だ」
「ってことは、西条さんは噛まれた・・・・・・」

血を吸われたのかと思うとアリサの表情に不安が陰るが、白木はそれを否定した。

「いや、傷からして深い訳ではないようだ。出血量も極僅かだからね」

確かに彼女の傷口からの出血量はごく少量に過ぎないもので、本格的に噛まれる前に逃亡したものと考えられた。だからとて助かったとは言い難く、これで安心はできない。
また彼女が学長こと吸血鬼に狙われる可能性が十分にあるからだ。何故、彼女が狙われるのかは不明だが、取り逃がした目標を諦めるとは思えなかった。
  此処に何時までもいては危険も伴うとして、ひとまず学生寮へと戻ることにしたが、そこでサイレン音が小さくだが確実に聞こえて来た。
それは警察が来た証であり、警備員が慌てて連絡したのである。

「私が警察に通報したんです。以前の事もありますから」

前回の野々宮 敬子蒸発事件から、そうに日にちが経たない内に起きた新たな事件に対して、警察はどう対処するのだろうか。久美を襲った男が学長であり犯人であると下村は明言したが、それを警察が信じてくれるかも疑わしいものであり、前回と同じように途中で捜査を断念するのではないかとさえ思う。
加えて言うなら、白木にしろ、すずか達にしろ、その犯人の顔を直接に見た訳ではないのだから、確信をもって犯人が岸田であると断言するのには苦しいものがある。

「兎に角、此処を離れよう。それから考えればいい」

  白木が色々と考えるのも戻ってからにしよう、と提案したことを受けて全員が賛同した。彼は横たわる久美を白木が背中に背負い抱え、その場を後にした。
そして誰しもが、後ろを眺めやる視線には遂に誰も気付かなかったのである。


CHAPTERU


  寮に戻ったところで警察官2人が姿を見せたが、それが決して事件を解決する正義の番人たる存在とは限らないことを、すずか達に対して実証してみせた。
1人は定年間近と言う呈の老人で、ヨレヨレのコートに身を包んだその姿は昔ながらの刑事を彷彿させるものだが、残念ながら中身に存在したであろうで熱き仕事への情熱は当の昔に冷め尽くしてしまった様子であり、ことさら解決に対しする意欲と覇気が見られなかった。
その姿勢には白木は勿論のことながら、特にアリサの癪に障るのである。

「どうも大げさじゃありませんかねぇ」
「どういう意味ですか」

  やる気のなさを言葉にまで体現した老刑事が放った言葉に、白木がややぶっきらぼうに聞き返した。

「ここは2階であって、その男は誰にも気づかれずに被害者の・・・・・・えぇと・・・・・・」
「西条君です」

イラっと怒りの蝋燭を灯さざるを得ない態度に、白木がやや強めの口調で言う。そんなことを気にすることもない老刑事は、久美の部屋に置いてある一輪の赤い薔薇を弄りながら、その忘れていた名前を思い出す。

「そうそう、西条さんね。彼女を抱えながら、犯人は窓から飛び出したと言うじゃないですか。ここは2階でしょう? あり得んですよ、そんな事は」
「有り得ないって・・・・・・実際に、居たんですよ、此処に! 西条さんに襲い掛かる瞬間に立ち入ったんですから!」

  ムキになったのはアリサの方であった。本来な無関係の人間なのだろうが、彼女の言う通り事件現場にいた人間として、すずかとノエルと共々に証言者としているのだ。
ところが肝心の刑事は関心をそそられたわけでもなく、年下であり若造でしかない若い女を一瞥するまでもなく言い返した。

「普通に考えたって可笑しいでしょう? 普通の人間なら足の骨折はしとりますよ。しかも、この寮の入り口は1つだけで、舎監室の前を通らにゃならんのに、誰も気づかんのは・・・・・・ねぇ? 先生」
(この人は真剣に取り組む気なんかサラサラない!)

すずかの内にも怒りが沸々と湧き上がる。誘拐未遂事件も同様なのに、やる気のなさはどうしたことか。これが警察官の姿となると、幻滅も甚だしいばかりである。
  そんな時、もう1人の警察官が口を開いた。

「まぁ、そうは言っても、家宅侵入ということで調査はしなければなりませんね、井藤さん」

安っぽい背広とジャンパーを着ている事に加えて、熟練さとは到底無縁な駆け出しの若造を体現した刑事であることから、別の意味でまた頼り甲斐が無さそうである。

「だろうねぇ、古牧君。家宅侵入したことは事実のようだから・・・・・・」

老刑事の井藤、若手刑事の古牧は、慌てる様子もなく平然として調査はしましょうと申し出た。彼らの態度からして、そんな事を言われても安心の『あ』さえ見いだせない。
犯人を見つけ出すことは言っているが、こんなやる気のないコンビがどうにかできるとも思えないが、白木はその犯人が明らかである旨を伝える。

「犯人は分かってます」
「ほう、誰かね?」
「岸田学長です」

  その一言は刑事と警備員を凍りつかせた。この新任教師はいったい何を言っているのか、と不快な眼で見ているに違いない。だが、下村が言ったのは本当だろう。
警備員は有り得ないと可能性を否定し、井藤も古牧もまた可能性が小さいと言い張った。学長が、何故自分の学園の生徒を拉致しなければならないのだと。
そんな事をすれば世間から非難の的となるのは確実であり、自分の首を絞めるような行為をするとは到底考えられない。それが一般的な考え方である。
  だが相手は一般人とは違う、数百年を生きたであろう吸血鬼なのだ。それを言っても信じてくれる訳もないゆえに敢えて言わないが、それでも岸田学長なのは間違いない。
白木は重ねて言った。

「否定するのは簡単ですが、碌に調べもせずに断言するのは時期尚早ではないですか」
「そうかね?」
「そうです。下村先生は、はっきりと岸田学長であることを言ったんです!」
「私達も聞きました。確かに学長、と・・・・・・」

すずかも援護射撃をするが効果は薄いものだった。

「お嬢さん、そうは言いますがね、実際のところ顔を見たんですか?」
「いえ、下村先生がそう言っただけで、私達は・・・・・・」

じゃぁ、と井藤はベッドで横になる久美に質問をしてみた。彼女は学生寮に戻ってから何とか意識は取り戻したため、会話はできる状態だが精神的にはやや不安定だった。
それも無理からぬことであり、訳の分からぬ怪事件に巻き込まれてしまえば、誰しもが冷静にいられるとは思えないものだ。
ベッドでやや震えながらも久美はようやく口を開いたが、それは白木達が期待していた返答とは違ったものだった。

「わ、私・・・・・・よく覚えていないん、です。誰かに襲われたのは・・・・・・確か、ですが」

ショックで覚えていないのだろう。古牧がそう決めつけた挙句に外部の人間であるすずか達に対して、わざとらしくもはっきりと言い放つ。

「困りますねぇ、何の証拠も根拠もないのに罪を押し付けちゃ」
「なっ!」

古牧が呆れ顔で言い放ったことに、アリサは勿論だがさしものノエルも冷静でいることが難しくなりつつあった。自分は何と言われようとも構わないが、長年仕えて来た月村家やその友人らに対する侮辱は許せない、と固く礼節を尽くしてきたのである。

「失礼ながら、根拠が無いのは逆もしかりでありませんか? 刑事さん」
「ほぅ」
「つまり、なんら調べもしないのに岸田学長が何ら関係がないと決めつけるのもまた、時期尚早ではないかと申し上げているのです」
「落ち着きなさいな、お嬢さん。ここは、あなた方の言うように、実際に直接本人に聞いてみる方が良いでしょうなぁ・・・・・・無駄かと思いますが」

一々と余計なことを口走る井藤に神経を尖らせる白木。ここの地元警察は、こんなにも無関心というか無神経というか、人間としても出来の悪い警官しかいないのか。
そう思いつつも学生寮からやや離れた場所にある岸田邸へと足を運ぶこととなり、すずか達も白木に付いて行く形で同伴していった。
  学長の住まう洋風の屋敷は時代に取り残されたかのような、古き印象を与えるものであった。そこで玄関のブザーを鳴らすと、数秒の後に1人の男が姿を現す。
炭黒のスーツ姿に身を包んだ30代後半の男を見た瞬間、すずかは言い知れぬ不安を抱く。見た目は人間だが、何やら精気というものが欠けているようにも思えたのだ。
無表情で迷惑そうにも、なおかつ喜ぶことも、驚くことも無い様子で、男は簡潔に要件を訪ねて来た。

「どうしました、こんな夜分に」
「あぁ、私こういう者でして・・・・・・」

  井藤はそう言うと警察手帳を見せて、対応に当たる男に入室を求めた。

「お宅の学生寮でちょいとした事件がありましてな。そこで、学長に是非ともお伺いしたことがあるんですわ」
「・・・・・・分かりました。白木先生、貴方も関係しているので?」
「えぇ。急を要する事なんです」

吉井と呼ばれたその男――吉井 勝彦(よしい かつひこ)は、聖明学園の教授の1人でフランス文学を担当する人物である。何を考えているのか良く分からず、時折一人で文学を口ずさんでは「素晴らしい」等と呟く姿が頻繁に目撃されることから、同僚達の間でも評判は良くは無く、さらに女子学生の間からも気味悪がられるほどである。
まして口ずさんでいる文学とやらも不気味なもので、

グサリ、短剣が突き刺さるように、泣き呻く俺の心臓に突き刺さる。素晴らしい、踊れるほどに素晴らしい・・・・・・!


というものであるからして、新任教授の白木でさえ「変わってるなアレは」と瞬時に認めたものである。
  また、後ろに居る女性陣にも同然のことながら吉井の目線は向けられる。学園教授として概ねの顔ぶれは把握していることから、見慣れぬ3人組は不自然に映った。

「誰です、後ろの方々は?」
「あぁ、こちらは・・・・・・」

白木が目配りすると、すずかが先に名を名乗った。

「月村 すずかです。この学園にいた、野々宮 敬子さんの友人でした」
「アリサ・バニングス。すずかと同じ大学の学生で、敬子さんの友人です」

すずか、アリサ、そしてノエルが順番に名乗ると、何やら吉井の目線が細くなったような気がした。そう、獲物を狙う狩り人のような目線だが、それも一瞬の事であった。
彼にしても敬子の一件は知っていて当然のことであり、それを察してかそれ以上の追及はしてこなかった。

「・・・・・・わかりました。応接室にてお待ちいただきます」

  吉井にそう言われてから屋敷の立派な玄関を潜ると、中も洋風であり靴は履いたまま通される。左手側の大部屋が待合室のようで、シャンデリアが吊るされていた。
他にも火のついている暖炉があり、立派な応接セットが部屋のど真ん中に設置されている。壁には歴代学長の油絵が並んでおり、如何にも歴史ある学園であることを誇示していた。
そこで一旦待たされる間に、吉井は学長のもとへ赴いて来客を知らせてくる。まるで使用人のようだが、実際はそうではないらしい。
白木によれば吉井は学長の助手であり、身の回りの世話とはいかぬまでも、資料の検索や持ち運びといった雑務を熟す他に、来客の出迎えをすることすらあった。
  また応接室には壁沿いに2階へ通じる階段が設けられているが、その階段の中段部分直下――様は壁にドアが設けられている。
階段下の空間を利用した物置部屋だろうか、とすずかは思ったのだが、白木がそっと耳打ちした。

「あのドアは地下室の入り口だ。ワインセラーがあってね。それと、学長夫人も仮埋葬で棺ごと安置されている」
「あそこが、ですか」

吸血鬼こと鬼伝説の話を聞いた後に知ると、益々もって不気味な屋敷だと思ってしまうのも無理からぬことだろう。もしかすれば、夫人は棺の中で生きている事すら有り得た。
  そして肝心の岸田はどう出てくるだろうか? 下村が言ったように岸田が犯人なら、此処に居なかった時間がある筈だが・・・・・・。
それに今回の事件に対してどの様な終止符を打つつもりであろうかと思うと、彼もまた追い込まれているのではないかとさえ考えるのであった。
  吉井は数分の後に2階から降りてくるなり「もうしばらくお待ちください」と言うだけ言って、火の着いている暖炉の傍に腰を掛けると火掻き棒で薪を突き始める。
別に客人としてきたわけでもないのでお茶を所望する訳ではないのだが、吉井の素っ気なさすぎる態度にノエルは多少立腹していた。
ただしノエル自身というよりも、すずかやアリサへの接客等をもう少しまともにできないか、と職業上考えてしまうだけであるが。
  やがて、2階からギシリ、ギシリ、と足音共を鳴らしながら1人の男が、応接室に集まる一同の前に姿を現したのである。

「どうしたのかね、白木君。夜分遅くに急を要しているとの事だが」

余裕なのか本当に知らないのか、その男――岸田はガウンを羽織った姿で一段、一段、と階段を下りてくる。やや長めの髪に、理系な雰囲気を醸し出す細身と顔だった。
皆の敵意や疑惑の視線をものともしない彼は、白木と後ろの3人組にも視線を配ると、ふと笑みをこぼして何やら1人で頷き納得した呈であった。
不審に思うすずかに、ノエルが耳打ちする。彼女もまた勘で岸田の異様な雰囲気に気づいたようであった。

「お気を付けくださいませ、お嬢様。あの御仁、何かが違います」
「分かってる。有難う、ノエル」

危険を促すノエルに礼を言うすずか。
  すると岸田が降りながらもすずか達に声をかけた。

「君達だね、海鳴市から来た女学生というのは」
「はい」
「吉井君から話は聞いたよ。失踪した野々宮 敬子さんのご友人ということだが‥‥‥実に気の毒な事になってしまった。わざわざ来てくれて、恐縮の至りだよ」
「は、はい。それは‥‥‥」

気にかける様な言葉に意外性を感じつつも、懐の知れない彼の素性に恐怖感が沸いてきてしまう。彼は全てを見透かしているようであった。
  やがて1階へと降り立つと、妙に腰を低くした井藤が近づいて岸田に警察手帳を見せながら事情を話した。

「どうもすみませんね、岸田学長。お宅の学園で、どうにも奇妙な事件が起きましてなぁ」
「それはそれは、先日にもうちの生徒を捜索して頂いたばかりだというのに、再びご足労をおかけいたしました。それで、その事件というのは?」

何処かわざとらしいようにも思えたが、岸田は冷静に警察官に対応する。

「いえ、そのですねぇ、何というか‥‥‥」

ボリボリと頭を掻いたりして応えづらそうにする井藤。それもそうだろう、学長が犯人であるなどと根拠ない事を、堂々と本人に言える筈もなかった。
  その姿を見たアリサは、あまりにも頼りない背中にほとほと愛想が尽きる。

(役に立たないわね、この警官は!)

心中でアリサは毒づいた。何から何まで役に立たない名ばかり警官には呆れてものも言えない。いっそのこと、親友のなのは達に来てもらいたかった。
魔法を一般人に見せられない以上はどうにもならないので、そのような願いはない物ねだりでしかないのである。
  若手刑事は全て老刑事に任せっきりで突っ立っているだけだ。やがてまどろっこしくも、井藤は渋々と話を切り出した。

「実は、学生寮に家宅侵入した男がおりましてですね、その犯人が‥‥‥」

言いづらそうにする井藤は一旦言葉を切って、再び口を開いた。

「学長がその犯人だと言うのですよ、この白木先生とやらがですね」
「ほほぅ、それはそれは」

自信のない言葉がより頼りなさを強調させたうえに、白木が元凶であることを強調した。全く持って自分の安全を図り、白木に責任を擦り付けているのだ。
  当の岸田はこれまた興味深そうな表情をすると、白木に視線を移して細く笑みを浮かべながら、やがて椅子に腰を下ろした。
まるで馬鹿な話だと言わんばかりの表情で、余裕さえ見て取れるほどだった。これはどうやら犯人であることを否定しているのは間違いない。
彼の傍には吉井が座り、彼もまた無表情で奥底の知れぬ目線でもって白木とすずか達を見据えている。

「私が犯人とはね、白木君の発想には驚かされるよ」
「発想なんかじゃありません。下村先生も見たんです、学生寮に侵入した男の後姿、そしてその顔は――」
「学長、申し訳ありません、遅れました!」

  白木が言おうとした矢先に、突然押しかけて来たのは1人の初老の男だった。鞄を抱えて如何にもこじんまりとした感じだが、彼が学長代理の細野 倫史である。
彼もまた秘密主義の1人であり、学園の評判を非常に気にするタイプだ。それだけに、今回の2度目の警察沙汰は学長代理の内心を寒からしめるに十分な衝撃だった。
遅れて来た学長代理の細野は、その場に居合わせた見慣れない面々を不思議そうに思う傍ら、岸田の傍に居る井藤にも頭を下げる。
何分今回は2回目の事件であるからして、細谷の内心を寒からしめるのには十分なものだったのだ。
  自身の立場が危うくなると心配するのだが、そこで岸田が心外そうに口を開いた。

「実はね、この白木君が面白いことを言っていてね」
「何です?」
「この私が、学生寮に侵入した不審者とソックリだと言うのだよ」
「なっ、なんてことを言っておるのかね、白木君!」

当然のことと言うべきか竹内は岸田の言う事を信用しており、白木の言う証言などに対する賛同の気持ちは一欠片さえも見当たりはしなかったのである。
所詮は岸田の雇われ学長であることを再認識させるだけで、一向に白木達に有益な風は吹こうとはしない。彼の後ろに控えているすずかもまた、苦境にあることを実感した。
それでも白木は食い下がることがなく、自分が事実を言っているのだと言って引かなかった。

「僕は事実を言ったまでです。下村先生は断言し、僕も見た男の背格好は、学長に酷似していたんです。彼女達もその場に居て、下村先生が言った事を聞いています」
「そ、そうなのかね」

細野が狼狽え気味に尋ねると、すずかは頷いた。ここで援護射撃をしておかねばと思うが、何せ自分らの発言だけでは証拠力が小さすぎるのだ。
ノエルもそれを危惧しており、単に聞いたと言うだけでは岸田は無論のこと井藤も納得はしまい。
  案の定、岸田にその点を突かれてしまう。

「君達は聞いただけで、下村君の言葉を鵜呑みにしてしまうのかい? それに君達は私の顔を初めて見た訳だが、それで確信を持つには足りないと思うのだがね」
「ですが、下村先生は長くここにいらっしゃる方でしょう? 当然、岸田学長の御顔をよくご存じのはず。その方が仰るだけでも、十分かと思いますが」

すずかは精いっぱいに反論して見せたが、岸田は苦笑するだけである。

「ほう、従って、私は確信たる根拠もなく、痴漢もしくは強盗の容疑があるわけだね‥‥‥」

  今だに認めようとしない岸田は、そこで一旦の間を置いてから自分の事を話した。

「私は調べ物がありましてね。ずっと、この吉井教授と居ましたよ。まぁ、ご納得いくまでお調べください」
「そうですか。で、どうなんですか、先生?」

余裕綽々と言った呈の岸田の態度に対して、井藤は形だけ頷き岸田の右側に座っている吉井に尋ねると、彼もまた無表情のままで淡々と答える。

「学長は、ずっと私と居ました‥‥‥夕方からずーっと」
(確かにそれが事実だとすれば、岸田学長は学生寮へ足を踏み入れていない事になるわ‥‥‥けど、それが証拠に‥‥‥)

証人としての発言であろうが、もしも吉井が岸田とグル(・・)であった場合を考えると確証は薄い。そもそも、吉井以外に誰も付添人が居ないのならば尚更の事怪しいものだ。
アリサはそう思った。この発言に信ぴょう性など有りはしない、とちょっと考えれば分かることだ。白木も信ぴょう性の是非を問うところで、再び吉井が口を開く。

「ところで刑事さん。学長の背格好に似ている男、1人知ってるんですが」
「ほぅっ! 何方です?」

  井藤に問われて返された返事は、白木とすずか達を驚愕させる言葉が飛び出て来たのである。

「白木君です」




CHAPTERV


  結局、この事件は犯人不明という形で幕を下ろすこととなる。吉井のとんでもない発言に井藤と古牧は妙に納得するという、役立たずの範疇を超えたものであったのだ。
とは言え白木が犯人という保証は何処にもなく、ましてやすずか、アリサ、ノエルの3人がその場にいて、白木と一緒だったことを考えればすぐに嘘だと分かる。
分かるのだが言っておかねば犯人にされかねないとして、慌てて無実を訴えると言う事態になった。結局は白木に容疑は掛からなかったのであるが。
  分かりもしない犯人の捜索に面倒を掛けたがらない刑事2人はさっさと引き上げ、吉井も岸田も余裕の笑みと無表情さを崩さぬまま退室を促した。
それに従う他なく、4人は渋々と言った呈で岸田邸を出ていったのである。その際に岸田からは意味ありげな言葉を掛けられており、

「道中、気を付けておいた方が良い。立て続けに事件が起きた後だからね」

と、すずか達に言ってきたのだ。本来ならこれは気遣う言葉なのだろうが、彼の場合は何か裏があるとしか思えず身の危険を感じていた。
  ただし問題はこの後である。結局は野々宮 敬子のことは分からず終いであるばかりではなく、この聖明学園での行動が難しくなってしまったことが痛手であろう。
別に悪いことはしていないのだが、外部の者が入って来た当日に不審者が現れるともなると、どうであれ危険性を考慮して学園への侵入を躊躇ってしまうのだ。
幸いなことは、泊まり込んでいるロッジとの距離が遠くない事であり、場合によっては直ぐ移動できるのが利点とも言えた。
それにすずか達には、直ぐに帰ると言う選択着は存在しない。兎も角は今しばらく様子を見ようと言う方向性で一致していた。
  また問題は久美である。男が部屋に侵入して来たことを考えると、このままにしては置けない。白木にしても付きっ切りになるのは限度がある。
そこで新たに提案したのは、宿泊しているロッジに久美を連れてはどうかというものであった。これならばすずか達が付きっ切りで看病もできるだろうし、身体の調子が戻ればそのまま実家へと帰宅してもらえれば良いのである、と考えた結果だった。
白木は顔を渋らせたものの、かえってその方が安心かもしれないとしてすずか達に任せてくれたのである。久美も学園から離れる事を選んで了承してくれた。
  とはいえども、久美とは事件後の岸田邸から帰って来た後に再び顔を合わせたものの、襲われた直後という事も相まって中々に言葉を出すことができなかった。
それでもすすか、アリサ、ノエルの懸命な介護と安心させるような気遣いに対して、久美も次第に心を落ち着かせていき、彼女達に心を開いたのだ。
八ヶ岳ロッジの個室に案内された久美は、そこでノエルが用意してくれた紅茶を少しづつ飲みながら、ほっと安心しきっていた。

「そうですか、敬子さんのお友達だったんですね」
「はい。高校時代の友達だったんです。大学に入ってもメールでやり取りはしていましたが‥‥‥」
「‥‥‥本当に、お気の毒でした。敬子さんとは、私もよくお話をしていたのですが、まさかこんな事になるなんて」

久美は敬子とも面識はあったようで、会話することも多かったという。彼女の眼から見ても、すずか達が抱いていた印象と全く同じで、敬子には天真爛漫な印象があった。
  それが行方不明になる1ヶ月前に突然として倒れた。久美と同じく貧血の症状が出ていたとの事であるが、その時は誰しもが重要な問題だと気づくことは無い。
雰囲気が一変したのはその時からである。敬子の様子は以前と違い天真爛漫さがなくなっており、何処か精気の欠けた雰囲気だったという。
日に日に経つにつれて健康的であった皮膚も青白くなってきたことも相まって、久美や友人達も増々心配するようになった。
そして事件当日。彼女は何も言わずに休日に出歩き、そのまま帰らぬ人となったのだ。
  身近にいた久美による話を聞き、すずかは表情を曇らせはしたが直ぐに気を取り直して、久美に礼を言った。

「教えて頂いて有難うございます、西条さん」
「とんでもないです。こんな事しか話せなくて‥‥‥」

恐縮する久美の様子を見ていたアリサは、彼女の体調はさほど心配するほどのものではないのではないか、と安堵していた。早い内に、ここを実家へ帰宅してもらう方が良い。
ひとまず荷物は纏めてあり、後は体調が完全に戻るまでの間は安静にすることである。ロッジの中であれば、そう簡単に侵入されることも無いであろう。
  とはいえ根本的な問題は解決している訳ではない。この聖明学園が吸血鬼の巣窟になっている事は間違いなく、その張本人たる岸田を放っておくこともできない。
警察もあてにならない以上は、最悪の場合は管理局のなのは、フェイト、はやてらに連絡を取り、どうにか解決してもらう他ないだろうか。
また下村も行方不明になったままであるが、その彼が有していたデジタルカメラが今は白木の手元に残されている。残念ながら電池残量は空っぽであった。
それでもメモリーチップをパソコンに差し替えてやれば直ぐに画像を確認できた為、岸田邸から学生寮に戻った後にすぐ白木のノートパソコンに繋いで中身を確認したのだ。
  だが彼女らの期待は外れる事となった。中にあった映像には確かに久美が映っており、犯人とおぼしき男の服装もきちんと捉えていた。
ところが黒づくめに白のスカーフという出で立ちは捉えていたのだが、不思議な事に中身たる犯人の顔が映されていなかったのだ。さながら透明人間の様である。
服装は映っていて顔や手などが映っていない不可思議な証拠写真であり、これでは警察から偽造写真だと馬鹿にされるのがおちだと思った。
  この服装だけ映って中の人間だけ映らない不思議な写真だが、考えれば不気味な写真である。撮った時間帯を見れば偽造写真とは到底考えられない。

「聞いたことがある。確か吸血鬼って鏡に映らないって話があったわ。だから‥‥‥」
「ま、待ってください。あなた方は、吸血鬼って言いましたけど?」

アリサの考えに待ったを掛けたのは久美だ。彼女は未だにそういった伝説の類を信じている訳ではなく、まして今回の事件がそういった怪事件に類する認識さえない。

「そうよ。信じ難いと思う気持ちは分るわ。けど、この聖明学園で起きていることは、普通じゃ説明のつかないことも多いわ」
「そんな‥‥‥突拍子過ぎて‥‥‥」
「アリサちゃんだけじゃないの。白木先生も、この事件の裏には鬼伝説が絡んでると見ているの」
「月村さんまで‥‥‥」

呆然とする久美だが、彼女自身も身近に起きている事件を思い返せば、何か説明のつかないものが纏わりついているようにしか思えない。まして襲われた身である。
記憶が跳んでいて良く覚えてはいないこそすれ、学生寮で不審な男に襲われた挙句に2階から飛び降りて拉致されそうになったと聞いてショックを隠し切れなかったのだ。
  敬子の件もしかりである。彼女の豹変した態度もまた不可思議なものだったことを振り返れば、久美もだんだんと聖明学園の隠された秘密に勘づき始める。

「兎も角、今日は休みましょう。明日、また様子を見ることにして‥‥‥」

ノエルは皆が疲れていることを察して休眠を取ることを提案した。時間も10時を回っている事と、到着してから色々と起こり過ぎたことを思えば、確かに休みも必要だ。
久美はノエルの部屋に寝泊まりすることとなり、1つしかないベッドも彼女が使う。ノエル自身はソファーで休む形となるが、久美は申し訳ないと思いベッドを遠慮した。
病み上がりの人間をソファーで休ませるのは以ての外、とノエルは譲らず、穏やかだがはっきりと固辞して久美にベッドを譲ったのである。

「お休みなさい、西条さん。ノエル、彼女をお願いね?」
「お休みなさいませ、お嬢様、アリサ様。私が責任を持って御守いたします」
「お休みなさい、月村さん、バニングスさん」

そう言うと、彼女たちは就寝に着いた。翌日、とんでもない事態に巻き込まれるとは思いもよらず。
  すずか達が八ヶ岳に来て翌日、その日の朝は何のトラブルもなく迎える事が出来た。久美も体調を戻してきており、明日には自宅へと帰宅できそうであった。
彼女達は揃って朝食を取りながら会話を弾ませた。午前中からは無為に個室内で過ごすのもどうかと思い、このロッジにあるパソコンで色々と調べてみるいい機会だろう。
或は白木と連絡を取ってみて新たな情報がないかどうかを確認するのもいいかもしれない。行方知れずの下村から、他に何か聞いているかもしれないと思ったのだ。
  朝食も済ませ、小休止を入れた頃にすずかは教えてもらった白木の携帯番号に連絡を取った。

「もしもし、白木先生ですか?」
『月村君か。おはよう。よく眠れたかな』
「はい。西条さんもよく眠れたようです」
『良かった。君達と一緒であることが、何よりも安心できたのだろう』

白木は久美の安否を気にしていたようだが、すずかの言う通り、久美は3人と共に居たことが大きな安心感をもたらした。それはそうだろう、学生寮では1人だったのだ。

「ところで、昨日の件ですが‥‥‥」
『あぁ、僕もそのことで思い出したことがあるんだよ。下村先生から預かった本があってね』
「本ですか?」
『本というよりも日記だね。前に居た教授の書き残したものなんだが、そこで興味深いものを見てね』

彼の話では、下村からある人物の日記を預かったのだが、その日記を記述した本人は元聖明学園教授だということだ。白木は当然知らぬ人物であるが、下村から聞いた話によると10年前まで努めていたらしいものの、今では既に学園を離れてしまっているとのことだった。
  その人物――名を島崎 治夫(しまざき はるお)という。実は彼もまた学長の候補に挙がっていたのだが、何を血迷ったのか気が狂いだして少し離れた精神病院へと移されたのだ。
すずかの脳裏に新たな疑問が滑り込んできた。その島崎という人物は何故気が狂うほどに追い詰められたのか。また、白木と同じく学長候補に挙がったのは偶然なのか。

『日記にはこう書いてある‥‥‥』

“もしもこの世に、不死身の魔性のものが生きているとすれば、魔性のそのままの姿形でいる筈はない。

人間として生きている筈だ。生身の人間に次々と乗り移って生きている筈だ”


「姿形を変えて‥‥‥」
『そうなんだ。もしもこれが本物であるとすれば‥‥‥』

そこまで言った時、白木は言葉を切った。その後に誰かが来たようで電話越しに対応する声が聞こえ、「またかけなおす」と言い通話を切ってしまったのだ。

「どうしたの、すずか」
「何だか来客があったみたいで、慌てて切っちゃったの。またかける、って言ってたから大丈夫だと思うけど」

怪訝に思ったアリサが訪ねてきてすずかが答えると、彼女は「そっか」と言ってそれ以上は聞いてこなかった。
  だが白木から聞いた話をしない訳にはいかない。すずかはアリサ、ノエル、久美を呼んで集まったのを確認してから話を伝えた。

「そんな事があったんですか」
「えぇ。白木先生の話ですと、その島崎先生は今もなお精神病院にいるそうなの」

過去に起きた教授狂乱事件を、久美も初めて聞かされることとなった。これもやはり大学側の秘密主義が生んだ徹底した隠ぺい工作であろうと、すずかとアリサらは確信した。
こうやって不祥事はもみ消して来たのだろう。当然だ。不祥事が目立っては聖明学園の存続の危機に瀕する訳だからだ。
まして吸血鬼が実在するとして聖明学園という隠れ蓑が無くなってしまっては困る筈。歴代学長の代理人もまた雇われの立場という事も相まって、自然とそういった形を作る。
警察もまた辺鄙なところであるが故に厳しい取り締まりをすることも無い。まして年間約8万人もの行方不明者が出ているうえ、内約約2000人は学業関係だ。
誰しもが「その中の1人に過ぎない」と思っているのだろうが、関係者諸々はそれで済まされる程に潔いとは限らない。すずかもその内の1人なのだ。
  ともあれ白木からの連絡を待つとはいえ直ぐに連絡が付くとも限らない。どうせなら‥‥‥と、ここでアリサがとある事を思いつく。

「ねぇ。無理かもしれないけど、その島崎さんって人に聞いてみたらどう?」
「聞くって‥‥‥?」
「だから、島崎さんは何かを知ったから、そんな風になっちゃったんじゃないの? 学長に指名されて、そして学長の裏にある何かを知ってしまった挙句に、可笑しくなった‥‥‥と考えるのが妥当じゃない? ノエルさんはどうですか?」

アリサから聞かれたノエルもしばし考え、彼女の推測に賛同の意を示した。

「私はアリサ様のお考えに同意いたします。その島崎元教授が何かを知り、訴えようとして失敗したのでしょう。現にして、白木教授や私達が何を訴えても受け止められなかったのです。まして島崎元教授が御一人で真実を訴えようとしたのであれば、誰からも賛同や協力を得られず、周りからは異常者として烙印を押されてしまった‥‥‥その様なところではありますまいか?」
「そうだね。私もアリサちゃんやノエルの意見に賛同するけど‥‥‥その島崎さんに会えるかな?」
「ダメ元で行ってみるしかないでしょ。わざわざここまで来て何もしないんじゃ、意味がないわ」
「けどアリサちゃん、西条さんをこのままにしておく訳にはいかないよ。それに完璧に体調を戻したわけじゃないし。まして1人にするわけにもいかないでしょう?」

手っ取り早いのは本人に会って話を聞くことにある。場所も幸いにして白木が電話越しに教えてくれているし、距離もそうは遠くない。タクシーを呼んでいけば20分で着く。
問題はすずかの言うように、久美をどうするかである。このまま置いていくのは非常に疑問である上に何かあるとも限らない。一緒に連れて行くのも体に負担を掛ける。
  そこでアリサが再び意見を出した。

「大丈夫。私が残るわ」
「え?」
「意外そうな顔しないでよ、すずか。外に出るんならノエルさんの方が私よりも安心できるでしょう? それにこのロッジの中に居れば大方は大丈夫だろうし、私が一緒に居れば西条さんを不安にさせることも無いわ。どう、西条さんは?」

突然に話を振られる久美であったが、彼女は誰かが居てくれるだけでも安心できるので問題は無く、アリサの提案に賛成していた。
本人がそう言うのであれば、とすずかは納得してノエルと共に精神病院へと赴くことを決める。
  ただし、とすずかはアリサに念を押した。

「何かあったら電話してね。アリサちゃんは1人で突っ走るところがあるから」
「大丈夫。何かあれば連絡するからさ。ノエルさんも、気を付けてくださいね」
「はい。行って参ります」

こうしてすずか、ノエルの2人はタクシーを呼んで精神病院へと向かうこととなった。これから起きる事件が自分達のみに降りかかるとも知らず。
  白木から教えてもらった精神病院は山を越えた所にある。そこに、聖明学園の元教授である島崎が隔離され入院しているのだ。
タクシーから降りたすずかとノエルは、またタクシーでロッジに戻る為に運転手に待つようお願いした。無論行きの分の料金は払ってある。
精神病院内へと足を踏み入れた2人は受付に問い合わせて、島崎の入室している部屋を確認してもらった。

「面会ですか?」
「はい」
「失礼ですが、ご親族か、ご家族の方で?」
「いいえ。聖明学園の事で、お聞きしたいことがあるんです。お願いします、重要な事なんです」

すずかは懸命に言った。受付の女性も首をかしげながらも、面会したいと言う相手を無下に返すこともできない。最低限の情報を貰うことを引き換えに、面会を許可している。
受付の女性から面会者カードの記入を求められ、氏名や住所等を書き込むと面会者である旨を知らせるストラップを首にかけてから、入っていったのである。
  島崎の入室している病室は、ほぼイメージ通りの造りだった。コンクリートで囲まれた上に窓も脱走できないように鉄格子が嵌められ、最低限の日の光が入っている。
案内人が部屋の前まで来ると、そこで個室の鍵を使って開ける。

「暴れることは無いと思いますが、十分に気を付けてください」
「有難うございます」

すずかとノエルが入ると、案内人が扉を閉めた。何もない空間には置き忘れたかのようにベッドが1つだけポツンと置かれており、そのベッドの上にはすずか達に背を向けて、微動だにせず窓の外を眺めやる中年男性の姿がそこにあった。
  彼がこの病室の主の島崎であることは疑いない事実なのだが、ふと彼女は歩みを躊躇われた。

(確か、50歳と聞いたのだけれど‥‥‥)

島崎は年齢からして50歳である筈だが、その後姿からして年齢不相応の容姿だと思ったからだ。頭髪は側頭部を残して天辺が禿げ上がり、どう見ても70代くらいなのだ。
恐れの様なものがすずかの身体を侵食しつつあったが、隣のノエルが肩を支えくれたために勇気を振り絞って島崎に歩み寄り始めた。

「こんにちは、島崎さん。私は月村 すずかと言います。こちらは‥‥‥」
「ノエルと申します」
「‥‥‥」

  一応の挨拶をしたのだが、島崎は無反応のまま外を眺め続けている。普通なら態度の悪い人間だと一般人は怒るだろうが、相手は気が狂ってしまった精神病患者であるからして、日常的な細かい配慮を期待するのはお門違いであり、すずかは無反応でも構わずに続けた。

「島崎さん、聖明学園を覚えてらっしゃいますか? 貴方が10年前に努めていた大学です。その大学について、お聞きしたいことがあるんです」
「‥‥‥!」

聖明学園という言葉を聞いて、島崎は一瞬だけピクリと反応した。やはり、彼の記憶には強く聖明学園の恐怖が宿り続けているのだ。トラウマとさえ言っていいだろう。
  だが敢えて、彼にはトラウマを掘り返すことになろうとも聞きたいのだ‥‥‥真実を。

「私のお友達が‥‥‥すでに、犠牲者となっているんです。それにもう1人、傷付いています。貴方と同じように、白木先生という方もまた次期学長を指名されているんです」
「‥‥‥」

再び無反応を示す島崎。よほど人を信頼できないのだろうか。それを察しながらもすずかは続ける。

「日記にこう書かれていたのを覚えていますか。“もしもこの世に、不死身の魔性のものが生きているとすれば、魔性のそのままの姿形でいる筈はない。人間として生きている筈だ。生身の人間に次々と乗り移って生きている筈だ。”と。これはいったい、どういうことなのですか? 何を知ったのですか?」
「‥‥‥」
「島崎さん、貴方は、本当は精神病などではない筈です。学園で知った秘密を打ち明けるべく、真相を伝えるべく行動したのではありませんか。ですが、周りの人間はそれを信用せず、作り話だの、妄想だのと相手にはしてくれなかった。逆に島崎さんを精神病患者として濡れ衣を着せられ、結果としてこの病院へ隔離されてしまったのではありませんか。だから、この日記に記して下村先生に託された‥‥‥違いますか? お願いです、教えて頂きませんか」
「‥‥‥」

それでも沈黙を守る島崎にノエルも痺れを切らして口を開いた。

「島崎さん。貴方が日記を託された下村先生も、今回の事件で行方不明となられております。このままでは新たな犠牲者が出てしまいます。教えて頂けませんか?」
「‥‥‥本当かね」
「えっ?」

  唐突に口を開いた島崎の声に、すずかが思わず聞き返してしまう。

「下村さんの‥‥‥ことだ」
「えぇ‥‥‥。学生寮に侵入した不審者を暴こうとして、そのまま行方不明になられました」
「‥‥‥そうか」

しばし口を閉じたが、再び口を開く島崎の声はやや震えていたようだ。

「お前さん達が初めてだ‥‥‥聞く耳を持ってくれたのは」

そこから、ポツリ、ポツリ、と島崎の身に起きたことを語り始めたのである。




〜〜〜あとがき〜〜〜
皆さま、あけましておめでとうございます。
本当でしたら記念作品として早々に書き終える筈が長引き、果ては年明け前に書き上げたかったのですが、結局はいつものように長々となり、書き上げ終われないだけでなく前後の2部編成の予定が、前中後の3部構成にもつれ込んだという、グダグダな様子になってしまいました。
それでも何とか完結できるよう頑張りますので、よろしお願いいたします。



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