吸血学園/後編(血を吸う薔薇×リリカルなのは)


CHAPTER・T


  聖明学園にかつて務めていた元教授の島崎 治夫。彼の話を聞くべく、すずかとノエルは精神病院へと赴いた。そこで彼が見たものとは何か。何を訴えようとしたのか。
10年間もの間、誰にも知らされることのなかった真実を、壁の厚い個室の中で知ることとなる。
  一方で聖明学園の岸田邸においては、彼女らが知らぬうちに新たな局面を迎えようとしていた。白木が見たという地下室には、ポツリと棺が設置されている。
棺の設置する場所としてはあまり似つかわしいとは思えないが、そこにはワインが幾つもの棚にズラリと並んで寝かされている。謂わばワインセラーと化している部屋であった。
その地下室を薄暗く照らしているのは、燭台に差し込まれている2本の蝋燭の灯火のみ。残りは僅かに通気口代わりに開けられた小窓の光だけである。
  辺りを照らされる影の群れの中で蠢くのは2つの人影。1人は聖明学園教授の吉井だ。ネクタイを外し、ワイシャツも胸元辺りまで外し肌を晒している。
彼の前に立っているもう1人の影――岸田 美加の姿がそこにあった。漆黒のロングヘアに大半が美人と称する美貌の持ち主である。その死人の如く青白い肌を除けば。
吉井は既に死んでいた筈の彼女を目の前にして動じることは無い。それどころか彼女に歩み寄ると目と鼻の先に迫り、やや彼女に背を傾けることで自身の首筋辺りを差し出す。
彼女も両腕を吉井の背中に回して抱きしめながら、差し出された吉井の肌に美加は顔を近づける。
  それは一見すれば男女の微笑ましい抱擁にも見えるだろうが、その場の雰囲気と目的はかけ離れたものであり、天と地がひっくり返っても羨ましいとは思うまい。
彼女は綺麗な形をした小さな口を一杯に開いて彼の左鎖骨のやや下辺りに口を付けた。そして思い切り突き立てて血を吸い始めたのだ。

「‥‥‥」

吉井は呻くことも無く淡々として血を差し出し、美加に血を与えていく。
  美加もまた見紛うことなき吸血鬼の1人であり、岸田と共に500年ほど生きて来た鬼伝説の元となった存在だ。本来ならば、この場でこのように血を吸う必要はなかった。
彼女は予想外の交通事故に巻き込まれてしまった為に怪我を負っていた。死亡には至らないが外向けには、死亡として公表され亡き人間として学園内にも通知されている。
実際に死亡判定をしたのはあの下村なのだが、この時の彼女はいわば仮死状態にあった。だから下村も脈拍を測った時には心肺停止として死亡判定を出したのである。
吸血鬼の彼女は普通の人間ほどに軟な身体はしておらず、交通事故で身体に強い衝撃を受けたりしたくらいでは死に至ることはまず無い。
  とはいえ、彼女は自信の身体を維持していくためには生き血が必須だ。どの吸血鬼も同じ条件であるが、岸田と美加の場合は毎日血を摂取する必要性はなかった。
500年もの間を生きて来た岸田と美加はそれ相応に能力を高めてきており、吸血による栄養摂取も僅かで済んできた。事実、年に1人か2人分の血で事足りるものだった。
だが美加が事故に遭ってしまい、その身体を元に戻すために生命エネルギーをかなり消耗してしまっている。残念なことに、野々宮 敬子の生き血を吸ったばかりの話だ。
せっかくのエネルギーを再生の為に使い、さらに本調子に戻る為には追加のエネルギーを欲していた。そこでこの吉井が血を提供していた、という訳である。
  やがて血を吸い終わると、彼の胸元から口を話した。吉井は淡々としてハンカチを使って傷口を拭った。その一部始終を、別の者が眺めやっている。

「本調子に戻れたかね」
「‥‥‥えぇ、おかげさまで」

岸田が地下室の入り口のドア前で見ていたのだ。美加は吉井の背中越しに岸田に笑みを返し、吉井は一礼して二歩、三歩と下がった。

「さて、今宵は大事な義を執り行うよ。わかっているね」
「えぇ‥‥‥それで、“器”の方は?」
「勿論だとも。予定通り呼び出した白木を私が、西条という女を君が、それぞれ身体を入れ替える」
「わかったわ。ただ‥‥‥大丈夫よね」

美加が危惧しているのは10年前の島崎の件だった。彼を4代目の次期学長として指名したまでは良かったのだが、ふとした事で自分らの長年の秘密を知られてしまった。
彼はこの恐ろしい魔物の巣窟を世間に暴いてしまおうと奔走したのだが、結果は周知のとおり無視された挙句の果てに異常者として学園から追放されている。
結局は新たな器を見つけ――つまり今の岸田と美加の肉体だが、どうにか4代目として10年間の間はやってこられている。
  だが時代が進むにつれて、2人が定期的に行ってきた肉体の交換というものはおいそれと出来ないものとなってきているのが現状であった。
情報の出回りが早いインターネット社会が進む世の中で、変な噂が経てば瞬く間に拡散されてしまう。もっとも現時点では変な噂程度の話であって確証性はない。
とはいえ下手に探りを入れてくる人間もいる為、岸田と美加は今後の肉体転換を行うに当たって慎重に事を進める必要性があると認めたのである。
実際に下村もまたその1人であり、彼もまた事実を探ろうとして岸田に消されてしまった。
  そこで考え出されたのが、目標をその場で襲って肉体を入れ替える事を止めて、2年か3年の空白を置いてから肉体を入れ替える事を選んだ。
因みに彼らは特殊な能力を有している。それは相手の血を吸うことで、その相手を意のままに操るというものだ。血を吸う量が多ければその効果は絶大なものとなる。
そして催眠術によって行動の自由を奪う術だ。ただし相手の眼を見る事が必須条件で、目を合わせなければ催眠の効果は無いのである。
事実として吉井が良い例であった。彼も元は人間だが、ある時に美加に催眠術を掛けられて行動不能に陥り、正気に戻る前に彼の生き血を吸い、我が僕としたのだ。
今や岸田と美加の忠実な僕であり優秀な駒として動いている。
  ただし今回に限っては、より完璧な方法で白木と久美を手に入れなければならない。血を吸って我が物にするのも良いが、それだと以前までの本人とは別人のように変わる。
野々宮 敬子もその1人だ。血を吸われて良い様に血を捧げる人形と化したが、それまで本人の持ち味であった天真爛漫な部分が消え、人形のように性格が変わってしまった。
これでは行く先々で事故などに遭い肉体を失いかねない危険性がある。
  そこで一旦は催眠で行動不能に陥れるとともに僅かな血を採取する事となる。その血を使い儀式を執り行って、白木と久美が本来の生活に支障が出ない様、普段通りの性格を保たせつつ、ある一定の時期にきたら聖明学園に戻るよう設定するのだ。
こうした方が周りから見ても自然であろう。後は戻って来た2人の肉体を、じっくりと入れ替えればいいだけの話なのだ。
  それだけの話なのだが、今回に限っては諸事情が変わっている。

「ちょっとややこしい事になっていてね。前に生贄にした女の友人と名乗る女達が3人、ここに来ているんだ」
「まさか、バレたの?」
「バレてはいないよ。蒸発に見せかけていたんだ。単に友人の末路を聞きたくて、こっちに来たんだと思うよ‥‥‥しかし」
「しかし?」
「白木と下村が嗅ぎつけてね。そこに女達も加わって、我々の秘密を暴こうとしているようなんだ」

美加の表情が険しくなる。それもそうだろう。ようやく見つけた器なのだから、ここで邪魔されては堪ったものでない。

「なら始末すべきね‥‥‥怪しまれないように」
「勿論だよ。既に下村は処理した。残る女3人も、ご退場願う」

単に殺してしまったのでは後の処理に困る。これ以上、聖明学園周辺で不祥事やらが続くのはさすがに不味いもので、学園に何かあると勘ぐられてしまいたくはない。
  であるからこそ、これまで行方不明になった様に見せかけて処理してきたのだ。因みに日本における年間の行方不明者数は、約8万人台とされている。
その中で学業関係で約2000人台が締めているほどであり、それを考えれば学生の1人や2人が姿をくらましても、そういった行方不明者の列に並ぶだけだ。
こういった年間でも多くの行方不明者がいる分、世間は「また行方不明か」と他人事で済まし、やがては記憶から消えゆくのだ。
邪魔者を消すにしても、こうした行方不明者の列に並べることはせず、邪魔ものであるすずか達の記憶を封じ込めるのも対策の1つであった。
すずか達が何も覚えていない状態にして返すのが無難かもしれないが、何らかの形で術が解除されてしまいかねず、後々に尾を引くことにもなろう。
なればいっそのこと始末してしまった方が良い。

「西条の方には術がかけてある。私が念じれば此処へやって来るが、傍にアリサという外人が張り付いているようだ」
「へぇ。1人だけ?」
「そうだ。この傍の八ヶ岳ロッジに居る。残る2人の女は出払っているから、絶好のチャンスだ。そこで‥‥‥吉井君、彼女を連れ戻してくれ」
「了解しました」

吉井はそれだけ言うと、踵を返して地下室から出ていった。
  部屋に残された2人の男女もとい吸血鬼夫婦。岸田が歩み寄って美加の肩を抱きしめた。

「どんな者が来ようとも邪魔されてなるものか。どんな時だって君と共に歩むのだからね」
「私もよ。貴方に血を吸われて以来、私は貴方と一心同体なのだから」

岸田には過去からの負い目があった。それは言わずと知れた、最初の犠牲者たる美加への自責の念だ。当時は飢えに苦しんだとはいえ、当時の村の少女を吸い殺した。
悲しみに暮れた彼は悪魔と契約してまで少女を蘇えらせたものの、村人達に恐れられてしまい殴り殺されるという結末に終わった。無論、その程度で死にはしないが。
それからというもの岸田こと白人は、せめてもの罪滅ぼしとしてともに生き続けることを固く決意している。そう続けて約500年は生き永らえて来たのである。

「では、彼女を呼び出すとしようか」
「えぇ」

  片や八ヶ岳ロッジの個室で久美と共に待機しているアリサはといえば、借りたフロントの受付にノートパソコンを借りて色々と情報収集中であった。
今回の事件で何か有力な情報は無いものかと探り続けているが、そう簡単に見つかるわけでもない。信ぴょう性に欠ける情報が多い為、整理するのも大変だ。

「中々、良い情報はないわねぇ。うまいこと解決する方法はないかしら」

そう言って久美の方を見た。彼女は大方身体の調子が戻ってきているが、今日もまた途中で調子をやや崩してベッドに入っていた。肉体的疲労ではなく精神的なものだろう。
当然とは言えば当然だろう。普通の学生が吸血鬼に襲われたのだから、精神的ダメージは大きいだけでなくトラウマを植え付けられた言っても過言ではない。
  アリサとしても回復傾向にあったと思っていただけに、再び不調になった時は心配したものだ。ベッドで静かな寝息を立てる久美の寝顔を見つめる。

「言い寝顔だわ。このまま元気になってくれればいいけど」

そう言うと、ノートパソコンのディスプレイから目線を外して背伸びをした。何やかんやで午後の3時を過ぎており、座りっぱなしも健康には良くないと思ったのだろう。
すずか達も手間取っているのだろうか、まだこちらに到着する気配はないが心配をする必要はない。何分彼女には優秀な護衛役が付いているからだ。
  再びノートパソコンのディスプレイに目線を向ける前に、外の陽気が次第に陰りを示して来たのに気付く。先ほどまで晴れていたが、曇り始めて来たようだった。
もっとも山の麓という事もあって天気の気候も変わりやすいのだろう。さりげなく付けたテレビにも天気予報のニュースが流れていた。

『これから夕方にかけて局地的に雷を伴う激しい雨が降るでしょう。お出かけの方は傘をお持ちになり――』
「荒れるみたいね。すずか達も大丈夫かしらね‥‥‥」

  そんな時だった。久美がベッドからムクリと起き上がったのだ。アリサも突然に起き上がったのを見てビクリと身体を震わせた。

「さ、西条さん。よく眠れた?」
「えぇ‥‥‥大丈夫です」
「?」

何か様子が違う。アリサは直感的に感じ取った。何処か目も虚ろの様な気がするのだが、確実に言えることは先ほどまでの西条 久美とは違うものがあるということだった。
アリサは即座に動き久美に駆け寄り、ベッドから降りようとする肩を掴んで引き留める。久美は先ほどまでとは違う様子でアリサを見据えて来たが、この時アリサの背中を氷点下の悪寒が上下して彼女の身体を震え上がらせる。
久美は虚ろの目でアリサに言った。

「行かなきゃいけないの」
「駄目よ、西条さん。ここに居て頂戴。すずか達が帰ってくるまで、大人しく待ちましょう、ね?」
「行くの。呼んでいるのよ、私を」
「呼ぶって、誰が?」

恐らくは操られているのだろう。魔法世界を知るアリサとしては十分に考えられる筋だった。恐らくは吸血鬼に洗脳でもされて、それに呼ばれているのだ。
だからといって彼女を行かせる訳にはいかず、アリサはやや強引ではあるが久美の肩を押し返して立たせないようにする。
  しかし、それ以上の対抗策がないのが致命的だった。何者かに操られている久美は、立ち上がることを邪魔するアリサに対して虚ろな目線を向ける。
自分の肩を抑える彼女の両手を掴み返して、逆に自分からアリサを引き寄せようとした。不意にグイッとベッドに引っ張り込まれた事で体のバランスを崩したのも束の間、久美は引き寄せたアリサの首筋に対して噛みつこうとしてきたのである。

「ちょ、ちょっと!」

これは洒落にならない、と口に出す前に抑えていた肩を無理矢理引き離して久美との距離を取り、彼女に噛みつかれない様に退かざるを得なくなる。
  このままでは自分が襲われかねない、と危険を嫌がおうに思い知らされたアリサ。彼女が襲われまいと後ずさりしたのを見た久美は、アリサに妨害されないと悟ったのか、虚ろな視線のままで立ち上がりドアへ向かってドアノブに手を掛けた。

「こうなったら‥‥‥」

後ろから羽交い絞めにしてでも止めてやる、と乱暴にすることも止むを得ないと覚悟したアリサは、久美の背後から掴みかかろうとした。
  その時、ドアが外側から開けられる。どうやら久美にロックを外されたようだが、そのドアの向こう側から姿を現したのはすずかでもノエルでもなかった。
そこに居たのは聖明学園の文学教授である吉井である。それも、無表情さを崩さぬまま立ちはだかっているのだが、この際は彼に留めてもらうしかない。
アリサはそう思い吉井に久美を止めてもらおうとしたが、それどころか彼は久美を迎え入れ、そのまま部屋の外へと通してしまったのである。
さしものアリサも唖然として吉井に詰め寄った。

「ちょっと、どうして彼女を止めないんですか!」
「‥‥‥」

  抗議をものともしない吉井は、そのままアリサの両腕を掴んで逃がさないようにする。彼に腕を捕まれた途端、服越しであるにもかかわらず彼の手は異様に冷たかった。
途端にアリサの脳裏には、これでもかというほどの警鈴が鳴り響いている。この男はヤバい、やはり普通の人間じゃない、と強制的に思い出させる程の異様で迫って来たのだ。
必死に抵抗するものの吉井の掴む手は、しっかりと彼女の腕をつかんで離さず、グイッと自分の方に引き寄せる。あまりの恐怖にさしものアリサも言葉が出なかった。

「な、何を‥‥‥!」

叫べばよかったのだろうが、そこまで思考回路が回らずに吉井の両眼を凝視してしまう。そこで吉井は、アリサを凝視しながら何やら怪しげな言葉を並べ立て始めた。

かくて女は、我が血と、骨の髄を吸い付くし

我、恋の口づけを交わさんと、物憂いに踏み入れん

しかし、そこの女の影は無く、膿と汗に濡れ光る

皮を被りし、異形の者‥‥‥

皮を被りし、異形の者‥‥‥


男の口から溢れ出る形無き異形の手が次第にアリサの心を鷲掴みにし、彼女をやがては放心状態へと導いていく。何も行動ができない状態へ陥った途端、彼女は崩れ落ちた。
その模様を見送る吉井は再び動き出し、何事もなかったかのように部屋から出てドアを閉めた。後に残されたのは気絶した1人の女が横たわる姿だけであった。
  一方、島崎から重大な事実を聞かされたすずかとノエルの2人は呆然とした。いや、ある程度予測したものであり予測という骨組みに、事実という肉付けを施された実態だ。
吸血鬼として長年に渡り生き続けて来た2人の男女が島崎を肉体の生贄として選んだが、島崎は寸でのところで意識を取り戻して魔の手から逃れた。
それに元々から噂が絶えない所が多く、彼もまた学園内における噂に対して非常に気にする部分があったのだ。
  何故、この聖明学園の学長に選ばれた男女は、結婚と就任を契機にそれまでの性格がガラリと変わってしまうのかという点である。
それまで人付き合いの良かった人間が、どうして別人の如く様変わりをした挙句に屋敷からは出ようとしなくなったのだろうか。

「私は、聖明学園に長く務める教授から聞いたのだ。創立されて以来、学長に選ばれた人間は必ず性格が変わってしまうと‥‥‥」
「それで、島崎さんご自身もそれを確認されたと?」
「いや。私も最初は根も葉もない噂だと思ったが、自分が次期学長として推薦されたときに‥‥‥見たんだ」
「何を?」

島崎は声を震わせながら、ポツリ、ポツリ、と喉から声を絞り出すようにしてすずか達に明かす。

「先代の学長夫人が‥‥‥生徒の‥‥‥生き血を、吸う‥‥‥ところを‥‥‥だっ」
「っ!」

次期学長として箔が付けられた、と当時の彼はやや有頂天気味なところがあった。
  ところが、島崎が学長の屋敷に資料の提出をしに行った時の事であるが、そこで見てはならぬ悍ましい光景を目の当たりにすることとなったのだ。
たまたま誰もいなかったであろう屋敷の中で、資料をどこに置くべきかと迷っていた際に地下室への扉が僅かに空いたり閉じたりと風の影響で動いているのが目に入った。
きっとそこに学長が居るのだろう、と思って覗いた時に見てしまったのだ。夫人が女子生徒の胸元に噛みつき、生き血を吸っている様子を‥‥‥。
何か映画の撮影でもしているのではないかと思ったが、あまりにも生々しい現場と漂う血の匂いから島崎は眩暈を起こしかけてしまった程だ。
血を吸われている生徒もまた、血を吸われることを苦とは思わず、寧ろ一種の快感であるかのように満ち足りた表情をしていたのを、今でも覚えている。
  これは尋常ではない。そして学園の噂は本当だったのだ。島崎は恐ろしくなり足をもつれさせながらもその場を離れた。直感だ。命に係わると本能が告げていたのだ。
此処に居てはならない、奴らに殺されてしまう、と必死になり地下室を出た。それからというもの、島崎は悪魔の巣窟だった聖明学園の秘密を暴こうとする。
これまでに行方不明になった生徒は偶然ではなく、吸血鬼の学長夫婦が生徒を生贄にして生き血を吸い生き永らえて来たのだ。

「だが、誰も、私の言葉に耳を傾けては‥‥‥くれなかった。学長に対する侮辱だ、恥知らずだ、奇人変人とさえ言われたよ」
「ですが、島崎さん。今は違います」

  すずかは無念に埋もれる島崎の手に、自分の手を重ねて励ました。それを見た島崎は、彼女の手の温もりを感じ取ると同時にすずかの方を見返す。
その目はこれまでに自分が受けた仕打ちに対する無念を露わにしたように、涙がつぅっと頬を流れ落ちるのが見える。この10年、どれだけ悔しい思いを重ねたものだろう。

「恐らく、今回もまた新任の教授と女学生を器にするつもりだ。頼む。あれを止めてくれ。こうなれば、君たちにしか頼めないのだ」

ギュッと手を掴み返す島崎の想いに、すずかは微笑み、そして力強い意志を瞳に宿して彼に頷き返したのである。



CHAPTER・U


「ぅっ‥‥‥あれ‥‥‥?」

  借り部屋に1人倒れていたアリサは、ふと目が冷めて一瞬は放心状態となる。考えている数秒の後にあっという間に思い出した。

「そうだ、西条さんが!」

吉井に連れ去られたのを思い出す。まったく何という体たらくか、あれほどすずかとノエルには任せてもらいたいと言っておきながらこのザマ(・・)である。
親友に対して申し訳が立たないではないか、と思いすぐにでも行動に出ようとした刹那――彼女は部屋に違和感を感じた。
  自分しかいない筈の部屋なのだが、もう1人いる気配がするのだ。心臓の鼓動が早くなるのを感じつつ、アリサはその違和感の方角に視線を移していく。
ソファーの背をこちらに向けたままであるが、そこには女性が1人座っていたのだ。目に入った途端に警戒心を急激に高くするアリサは、少しづつ後ずさりする。
こちらから声をかける前に、座っていた女性が静かに立ち上がりアリサの方へ身体を振り向かせた。
  その容姿を見た途端にアリサは表情を凍てつかせ、その女性を凝視してしまう。辛うじて口を開いて最低限の問いかけをしたが、愚問であることを自覚していた。

「ぇ‥‥‥岸田‥‥‥美加っ!?」
「あら、ご存じなのね。お嬢さん」

漆黒の如く黒いロングヘアに美女と言えるほどの美貌に、まるで宗教者の様な全身黒で統一されたローブを纏う女性――4代目副学長の岸田 美加が居たのだ。
岸田邸の応接室に飾ってあった油絵の肖像画と全く同じ姿形をしているのだから、見間違えようもなかった。その彼女がニコリとほほ笑む表情にはまるで温かみは無く、獲物を追い詰めた狩人の様に冷たい。

「色々と、私と夫の周りを嗅ぎまわっていたそうね。けど、もうお終いよ」

ソロリ、ソロリ、と足を踏み出す美加の前に、アリサは言い知れぬ恐怖感を全身に浴びる。それも彼女の脚が一歩、一歩、と前に踏み出される度に増大する威圧と冷気とが、アリサの心に対してこの上ない絶望と恐怖と植え付けていく。

「私達を脅かそうとする人間がどんな末路を辿るのか‥‥‥ご存知?」
「じゃあ、下村さんや、敬子さんは‥‥‥」
「えぇ。貴女の想像する通り。そして、今度は貴女達の番なの」
「ふざけないで!」

  普段の勝気な性格故か強固に反発するアリサだが、自身の脚は強気な姿勢とは裏腹にして自然と後ろに下がってしまう。いや、20歳そこそこの女性が異形の魔物を相手にそこまで意気を張れるだけでも賞賛に値すべきでは無いだろうか。
とはいえその強気の姿勢も美加には通用する筈もなく、下がるアリサのペースよりも速く詰め寄った。壁伝いに逃げようとするが、恐怖で思考が良く回転せず行動に移せない。
  ふと背中がドアの前に来た時にアリサは瞬時に逃げに転じるべきだ、と判断すると後ろ手にドアノブを掴み一瞬にしてドアを開けた。
しかしドアが外側に向けて開くのならまだしも、内側に引っ張らねばならない事から出るには時間が掛かってしまう。この僅かな時間がアリサの運をひっくり返す。

「甘いわね」
「ぁっ!」

飛び掛かる美加が、部屋から出る直前のアリサの肩を掴み、出かけた身体を再び部屋の中へ引きずり込んでしまった。その反動でアリサは部屋の中心に振り倒される。
アリサが再び起き上がる前に美加が掴み掛かり、右手で首元を締め上げつつ傍のソファーに押し倒してしまい、動きを封じ込めてしまった。
圧し掛かった上に首を絞められたうえに、そのまま右手を押さえつけて抵抗を排除してしまう。

「ぅぐ‥‥‥ぁ‥‥‥!」

アリサは残る左手で美加の顎を押しのけようとするが、気道を塞がれて朦朧とする状態では真面に反抗も出来ない。

「直ぐに殺しはしないわ。ただ、面倒だけど別の方法で貴女達を消させてもらうの‥‥‥」
「ゃ‥‥‥め‥‥‥」
「大丈夫、お友達に会わせてあげるから。それまで、お休みなさい」

そう締めくくると、美加はアリサの眼を凝視して再び催眠に掛けたのである。
  すずかとノエルが戻ったのは、その数分後の事だった。この時の彼女は焦っており、アリサが何時になっても電話に出ないことに危機感を募らせていたのだ。
さらに白木の方も連絡が付かずじまいであり、彼にも何かあったのではないかと危惧していた。残念ながら全ては現実のものとなっていたのだが‥‥‥。

「アリサちゃん‥‥‥」
「西条様もおりません、お嬢様」

ロッジに着いた2人は部屋を見て呆然とした。アリサと久美の姿は何処にもなく、まして部屋の一部が散らかっていたのが目に入ると、事件性の高さを疑わざるを得ない。
不自然に倒れたソファーや蹴とばした際に散らかったであろうバックが、それを物語っていたのだ。そして携帯にも出ないのだから尚更であろう。
誰かに連れ去られたとしか思えないのだが、それも大体は予想がつく。岸田夫婦が手を打ってきたに違いない。島崎の様に、秘密を公にされるのを防ぐためにだ。
  すずかはギュッと拳を握りしめる。大事な親友を奪われ、挙句には久美までもが連れ去られたのだ。

「お嬢様、アリサ様と西条様は、恐らくは‥‥‥」
「分かってる。学園に連れ込まれたとしか考えられないから」

警察に通報して信じてもらえるか。いや、もらえまい。学長の言葉を鵜呑みにして真面に捜索もしない輩なのだ。となれば、直接に学園へと赴くしかないだろう。
幸いにして休み中であり、蒸発事件もあって生徒はほぼいない。時間も夕方近いことから職員も殆どが帰っている筈だ。まして迷っている時間すら惜しいこの時である。
  探しに行こう、と決意を固めた時だ。すずかとノエルはベランダの窓越しに、信じられない人物を目の当たりにした。

「あ、アリサちゃん!?」

アリサが森の中を歩いているのが見えたのだ。何故、彼女が森の中を歩くのか、という疑問はあったが、兎に角は追いついて保護するのが先決だと思った。
行動に出るすずかにノエルも続くが、何かしらの罠があるかもしれないと警戒を抱いている。主にも注意を促すが、まずは助けるのが先だと駆け出していく。
律儀に玄関から出るのは時間も惜しいだけでなく見失う可能性もあることから、ベランダから飛び出して追いかけて行った。
  そうやって森の中を掛ける事数分、次第に深く、より深く、と誘い込まれるように森の中へと進んでいったが、辛うじて姿が見えていたアリサを見失ってしまった。
走り続けていたすずかとノエルは多少の息切れをして足を止め、その場で深呼吸をして息を整える。がむしゃらに走ったが、いつの間にか学園内に入り込んだようだ。

「どうしよう、見失なっちゃった‥‥‥」
「いえ、恐らく大丈夫です。ここはすでに学園の中。アリサ様は岸田邸に向かったのでしょう」
「だと良いけど‥‥‥」

そう言った時だ。

「随分とアクティブなお嬢様なこと」
「「!?」」

  突然、2人に声を掛けられたことに驚き、その方向へ振り向くと女性が視界に見えた。例の吸血鬼――岸田 美加の姿があったのだ。

「本当に、生きていた‥‥‥」
「ふふ、貴女達も知っていたのね。ま、当然と言えば当然でしょうね。死にぞこないの島崎に聴いたのなら尚更よ」

不敵な笑みを浮かべる美加に、ノエルはすずかを護る為に防衛体制を執る。すずかは美加に対して怖気づくことは無く、親友達の無事を確認すべく問いただした。

「アリサちゃんと西条さんを何処にやったの!? 」
「お友達なの? あの勝気な娘ならまだ殺してはいないわ。ここで殺すと色々と面倒なのよ。これ以上はまっぴらごめんだから‥‥‥だけどね、私達の秘密を知った人間を生かすわけにはいかないの。貴女達には、どうであれ違う形で死んでもらうから」
「お断りします。貴女にお嬢様とご親友を手に掛けさせはしません」

ずいっとすずかの前に出たノエルが声を張った。

「気丈な護衛なこと。けど、ただの人間風情の女が勝てるとでも思ったのかしら」
「女だからと言って、人間だからと言って舐めないで頂きましょう」

そう言うと普段では出さない殺気を放ち、美加を睨み付けた。普段はクールで心優しいメイドであるが、こうして自分の主人に危険が及ぼうとする時、長年仕えて来た者として責任をもって守り通そうとする心も人一倍強いことから、この様な性格を露わにするのだ。
  尤も、そういった殺気剥き出しで対峙する等という事は、これまでほぼ無かったと言ってよい。それだけ危険な事がなかったということの裏返しでもあるが、今回は別だ。
ノエルは、いざという時にすずかを護れるよう、業務的な事だけではなく空手や柔道等の肉体的な訓練も欠かさなかった。並の男相手でも勝てる自信はある。
とはいえ今回は伝説の吸血鬼が相手となる故に通用するかは疑わしいものがあったが、だからとて引き下がることは無い。そして遠慮する必要もなかった。
  そんなノエルを見て嘲笑しつつも、すずかのもう1つの問いに答えた。

「西条は、白木と共に大切な器よ。今宵はその義を執り行うの‥‥‥再び、この地に戻るように仕込まなきゃいけないのよ」
「何ですって?」
「これまでは直に襲って入れ替わったけど、今じゃそうもいかないの。慎重に慎重を期するの‥‥‥ま、これ以上は言わなくてもいいわよね? どのみち、貴女達も野々宮、下村と同じく死者の列に入るのだから」
「野々宮さんと、下村さんが‥‥‥」
「ふふふ、この沼の底よ」

そう言って隣にある沼を指さした。不気味な霧が掛かる沼を、つられて見やるすずかは、思わずゾッとしてしまう。こうやって水死体として処理したのだろう。
  だが通常は水死体成れども体内にガスが発生して強制的に浮かび上がるものだ。よって発見されやすくなるのだが、岸田達はそうならぬように徹底していた。
死体にガスが充満しないように身体を引き裂き、それから沼に沈めたのである。残虐極まる手法で死体を隠し、警察の眼を誤魔化して来たのであった。
こうして犠牲者を隠して来たのかと思うと、この沼には数百人という死者が葬り去られてきた事実に、背筋が寒くなるのだった。
  その時、2人の背後で嘲け笑う声が響く。

「フフ、ハッハッハッハッ!」
「ぁ‥‥‥吉井さん?」

背後からゆっくりと歩み寄ってきたのは吉井であった。グレーのスーツはそのままに、ワイシャツの襟元を大きく開けさせ状態で、不敵な笑みを浮かべている。
一目見た時から怪しいとは思っていたが、やはり、この男も仲間であったのだ。彼は悠然と2人の目の前まで歩み寄って来ながら余裕をもって言い放つ。

「下村先生は寂しくは無い筈だよ。沼の底には大勢の仲間がいる。野々宮 敬子、それ以前の生贄が、沼の底で自然に帰っていくのさ‥‥‥そう、自然へとね」
「何が自然ですか!」

  命を軽んじる様な態度と発言にすずかは反論するが、そこで今度は美加が口を開く。彼女はいつの間にか距離を取って離れた位置にいたのだ。
彼女は忠実な僕に指示を与えた後に踵を返して森の奥へと姿を消していった。

「フフフ、吉井君、後は頼むわね」
「ま、待ちなさい!」
「お嬢様!!」

すずかが呼び止めるが、それで止まる美加ではない。それどころか彼女を追いかける前に、吉井が唐突に、それも猛然として2人に襲い掛かってきたのだ。
  襲撃に咄嗟の反応を示したのは勿論ノエルである。彼女は瞬時にすずかの前に憚るものの彼が目と鼻の先に居たことで、魔性の僕の手を防ぐことで精一杯であった。
それに加えてすずかに被害が及ぶのも不味いと判断したノエルは、掴みかかる吉井を抑えながらも先に行くように叫ぶ。

「ノエル!」
「お嬢様、此処は任せて、アリサ様を‥‥‥ッ!」

力押しに圧されて苦悶するノエルを見たすずかは、自分の大切な家族を置いてはいけないと拒みかけたが、彼女の奮闘を無駄にしてはならないと悟る。
後ろ髪を引かれる思いでその場を離れていった。

(後は、この人を沈めなければ‥‥‥!)

  走り出したすずかを見届けたノエルは、吉井の圧力に対抗するのが限界間近であった。やはり魔性の僕としてある程度の力が増強されているのだろう。
両手で無理にでも掴みかかろうとする吉井に対して抵抗するものの、押し返すのは容易ではない。彼女は距離を取る為に右膝蹴りを吉井の身体に思い切り打ち込んだ。
互いが至近距離にいるにも関わらず、彼女の膝が腹部へ綺麗に打ち込まれたことにより、吉井の力は一端は緩む。そこへさらに鋭い蹴りを叩き込まれたことで彼は身を引いた。
  連撃を叩き込んだノエルも体勢を構え直して様子を伺うが、普通の人間なら悶えるところであると見ていた。

(どうだ?)
「中々、鋭い蹴りをお持ちだ」
(駄目か‥‥‥く!)

無表情な彼の表情から苦痛は読み取れない。
  そう思った次の瞬間には再びノエルに掴みかかって来ており、伸ばして来た左腕を瞬時に払い退ける。
続けて体勢を素早く入れ替えて左肘打ちを素早く打ち込んでいった。吉井の進む速度とノエルが前に出ながら突き出した肘打ちの破壊力は凄まじい。
ところが吉井はこれに怯むことは無く、寧ろ近づいてきた事により距離が一層に縮まり、ノエルを目前に捉えた。
  これを逃すまいと肘を突き出した彼女に右手を伸ばす。

「しま――ッ!?」

ノエルからすると左肘で打ち込んだ姿勢により、背後から吉井の右手に首根っこを鷲掴みにされてしまう形だ。さらに首根っこを掴まれた事に動揺したノエルが、その手を振りほどこうとした途端に残る左手が、彼女の首を正面から鷲掴みにしたのである。
文字通り彼女の首は、吉井の両手で前後から挟み込まれた鷲掴み状態にされてしまい、そこに並の男を上回る握力が掛かってノエルの気道を塞ぎこんでいく。
さらに吉井の腕力で右へ左へと身体を振られ、不安定な足元の影響もあって体制を整えるのは困難となり、彼女自身も息絶え絶えに付いて行くのがやっとのことだった。
次第に振り回されて体力を奪われると同時に酸素の供給も足りなくなる。もがき苦しむノエルは左手を吉井の顎下に向けて、拳を出来る限りの力で突き入れた。
  彼女の無理な体制からによる超至近距離からの苦し紛れのアッパーカットが、彼の首を強制的に90度上方へと修正をしたのだ。
頭部を上方に向けられた隙に、両手で首を鷲掴みにする吉井の両腕の内で左腕を振りほどこうと足掻くものの、それが許されることはなかった。
彼女の左側から首を鷲掴みにする体制を執っていた吉井は、暴れる彼女に面倒になって思い切り突きとばして地面へと仰向けに倒したのである。

「けほ、けほっ‥‥‥」

  首を掴まれたまま思い切り突き飛ばされた反動でバランスを崩し、地面へと仰向けに倒れるノエルは呼吸を整えるが、それより早く吉井が彼女に襲い掛かって来た。
覆いかぶさるように襲い来る吉井に対して、彼女は瞬間的に判断して蹴りを見舞って突き放すことで、少しでも彼との距離を取ろうとしたのだ。
しかしながら蹴られても吉井は怯まず彼女へと猛進し接近してくるが、その僅かな隙にノエルは素早く態勢を整えた。
  突進してくる彼の身体を、彼女は闘牛士の如く左側へいなして避ける。目標を失いつんのめる吉井の左肩を瞬時に取って、背中に素早くかつ思い切り手刀を1発打ち込むものの、吉井も身体を起き上がらせながら肩を掴むノエルを振り払って束縛を解いてしまった。
振り払われた反動で態勢を崩したノエルに、吉井はくるりと身体を反転させて背後から掴みかかる。右腕で彼女の首を締め上げつつ、左腕はノエルの左腕を後ろ手に取ったのだ。
彼女の抵抗を削ぎつつも、最後には催眠術を使って操る為には正面から彼女の眼を見なければならない。彼は彼女の首を絞めて身動きの取れない姿勢のままで揺さぶり、ノエルも体力を消耗させていく。
  やがて抵抗が真面に出来ないことを悟ると、吉井は再びノエルを地面へ投げ倒した。振り回された先には沼の辺に侘しく生え立つ木があり、彼女はそれに凭れる形となる。
手加減も妥協も無いまま、吉井は木に背凭れているノエルが体勢を立て直す前にすかさず駆け寄り、逃げ場所を失った彼女の細い首を文字通り鷲掴みにした。

「ぅ‥‥‥あぁ!」
「お前も、暗闇に呑まれるがいい」

呼吸をすることさえ許されないままに、ノエルは意識を次第に遠のかせていく。吉井の眼がノエルの心奥底の抵抗を削ぎ取っていくのだ。
トドメと言わんばかりに手に力を入れる吉井を前に、ノエルも成す術も無いまま立つことすら危うくなる。足に力が入りにくくなり、ゆっくりと膝を折っていく。

(力が‥‥‥抜け‥‥‥る)

ズブズブと心までもが解かれていくような感覚に陥るノエルは、彼の手を力強く押し返すことはままならない。やがて彼女の意思が虚無に落ちる――そう覚悟した時だ。
  ピカッと一筋の光が空を引き裂き地上へと突き立てられると同時に、辺りを一瞬だけ明るく照らした。それと轟音がさく裂したのは1秒も掛からなかった。

「ッ!」
(これは‥‥‥っ!?)

辺りを光で照らしつけた正体は雷である。空の支配者が気まぐれに落としたであろう強大な電気エネルギーは、たまたま八ヶ岳山麓に落下したのだ。
吉井は意識をも落としかけていたところに、天から凄まじい轟音と共に雷を落とされて激しく動揺した。当然、催眠術を掛けようとした集中力も途切れる。
  その一瞬の隙が、ノエルにチャンスを与えたのである。

「せぃッ!」
「ぬぁっ!?」

首を絞める手の圧力が抜けたと同時に、思わず雷に気を取られた吉井の左腕と襟元を引っ掴むと、ノエルは最後の力を振り絞って背負い投げを繰り出した。
非常にコンパクトに纏められた、綺麗な背負い投げは吉井の身体を空中で一転させる。ところが問題は、彼の背中を無事に着地させる平らな地面が無かったことだろう。
  吉井は投げ飛ばされるとそのまま斜面を転がり落ち、切り立った淵から沼へ向けて真っ逆さまにドボンと水しぶきを上げて落ちていった。
沼に落下した吉井は、這い上がろうとするもののまるで何かに引きずり込まれるかのように、そのまま水中へと沈み込んでいったのである。

「はぁ‥‥‥はぁ‥‥‥」

木に寄り掛かり息を整えるノエルは、思わぬ苦戦を強いられたことに悔む。吸血鬼とは常人とは異なり怪力であることは聞いていたが、本当に怪物のような怪力であった。
ともかく吉井は片付いた。残るは屋敷に居るであろう本命の人物――岸田夫妻だ。久美と同様に白木も捕らわれている可能性があり、ノエルは身体に鞭を打って追いかけた。



CHAPTER・V


  聖明学園の上空は不遜な雲によって灰色から暗黒へと染めつつあった。雨雷も活動を本格化しており、幾つもの雷が辺りを光に照らしては闇に返している。
その薄暗い中を駆ける1人の女性――月村 すずかは、吸血鬼の1人である美加を追いかけていた。どのみち行先は分かっている、岸田邸しかないのだ。
そこに、久美とアリサ、そして白木もまた捕らわれているだろう。一刻も早く、彼女らを助け出さねばならない。
息を切らしながら辿り着いた岸田邸は、今や吸血鬼の巣窟であるため不気味な存在にしか見えなかったが、この屋敷の中に3人がいる筈なのだ。

「開かない‥‥‥鍵がかけられてる」

玄関前にてドアを開けようとするものの、硬く施錠されている為か開く気配はない。頑なに外部の侵入を拒み、開かないと分かれば次の行動に出るほかない。
  すずかは岸田邸の周りを散策すると、地下へ通じるであろう裏口が見つかった。ここしか侵入口は無さそうだが、侵入する前に確かめておきたいことがあった。
彼女は白木の無事を確認するためにも、最後の望みをかける様にして携帯電話に繋げたのである。数回のコール音が彼女の鼓膜を刺激するが、肝心の白木の応答は無い。
10秒、20秒、と時が過ぎていくが一切の変化はなく、これはいよいよ不安が現実のものとなっていると確信せざるを得なかった。

「行くしかない‥‥‥か」

これ以上の時間を無駄にすることは出来ない。
  覚悟を決めて階段を下りて行こうとしたが、そこで追いついたノエルが合流を果たす。

「お嬢様!」
「ノエル! 良かった、無事だったのね」

雨の降りしきる中で懸命に追い付こうと走り寄って来たノエルの姿を見た時、信頼厚き家族が無事であったことに安堵した。
彼女の青色の髪は雨に濡れて水滴が下たり、同時に衣服も雨で水分を吸い切れない状態になってしまっているが、そんな事を気にしているような場合ではなかった。
  2人は地下室へ通じる石造りの階段を降りてゆき、突き当りから左手側に木製の古びたドアが見えた。これに鍵がかかっていないことを祈るばかりである。
すずかは勇気をもってドアノブに手を掛けようとしたが、ノエルが待ったを掛ける。彼女が先に行くと言い出したため、すずかも後ろに引く。
そしてドアを押すと、油切れの様な金属音を立ててゆっくりを開いていった。どうやら鍵は掛けられていないようである。

「開きました」
「気を付けて、ノエル」

  地下室の中へとひっそり侵入を果たした2人は薄暗い階段をゆっくりと降りて辺りを確認する。幾つかの蝋燭と、昔ながらの黄色系電球が地下室内を照らしていた。
また定期的に落ちる雷と、同時に発する自然の発光が地下室内部を少し明るく、そして一瞬だけ強く照らした。
そこには白木の言った通りに多くのワインが棚に並んでいる、所謂ワインセラーと化していた部屋だ。年代物のワインが並んでいるようである。
  しかし、ワインセラーとは異なる異質の空気が流れているのを、すずかもノエルも直感で感じ取っていた。それを体現したものが、彼女らの目の前に現れる。

「ッ! 西条さん、白木さん!」

木製で出来て2つの長いテーブルが並行に並び、その上には白木と久美がそれぞれ、横たわっているのだ。どちらもピクリとも動かず、目を覚ます気配はない。
そればかりか、儀式の場であることを示す様に幾つもの怪しい道具が並んでおり、これからまさに2人が生贄に捧げられようとする直前であることを意味していた。
駆け寄り声を掛けるが、催眠術に掛けられて起きない様子である。このままでは逃げようにも逃げることは叶わない、と対策を迫られている時にノエルから朗報が入る。

「お嬢様、こちらにアリサ様が!」

  部屋の隅に置かれていた棺の中に収められていたアリサの姿を発見したのだ。アリサは両手を組み合わせ、まるで祈りでも捧げるかのようなポーズで眠っていた。
すずかも慌てて駆け寄り、親友が怪我をしていないかを確認する。見た所では噛まれた様子もなく、白木達と同様に催眠術を掛けられているようだった。

「アリサちゃん、アリサちゃん!」
「‥‥‥ぅ‥‥‥すず、か?」

懸命なるすずかの呼びかけに、アリサは目を覚ました。彼女の場合は、久美と白木程に強力な催眠術がかけられていなかったのが要因でもある。
何せ2人は将来の器となるべき対象であり、最優先に捉えて術を施さねばならない。アリサなどは後回しにせざるを得なかったのだが、それが裏目に出た形となる。
  覚醒したアリサは、助けに来てくれたすずかとノエルの姿を見るなり涙をこぼし、すずかに謝ってきたのだ。どうやら自分の迂闊さを嘆いてるようだった。
留守を預かっていたのに久美を護れなかった、と懸命に謝るアリサにすずかば責めることはしなかった。寧ろ無事であったことが最大限の喜びである。
アリサを励ますべく抱きしめる。同性ながらもその包容力にアリサも癒されるような思いであった。

「大丈夫だよ。アリサちゃんが無事でよかった。西条さんと白木さんも見つかったから、後は此処から逃げよう?」
「えぇ‥‥‥ありがとう」

涙目になっている目元を拭うと、いつも通りの勝気な性格をもって気持ちを切り替えて、どうにか逃げ出そうと動き出そうとした――刹那。

「困るわね。無断侵入の上に、拉致をするつもりかしら」
「‥‥‥岸田、美加‥‥‥!」

  ワインセラーの棚の影から姿を見せたのは美加である。ソロリと現れた彼女にすずかは身構え、ノエルも防御態勢に入った。彼女の姿を見た美加は薄笑いを浮かべる。

「へぇ、貴女、吉井を伸したのね。女1人どうってことないと思ったけど‥‥‥案外、役に立たなかったわね」
「だから言ったでしょう? 私を舐めては困ると」
「生意気ね。たかだか1人に勝ったくらいで‥‥‥。まぁ、良いわ。どの道、貴女達はみんな此処で処理しておく計画だったんだもの。そっちから来てくれて手間が省けるわ」
「気を付けて、ノエルさん。あいつらの眼を見たら駄目よ」

術を掛けられた当事者としてノエルに忠告を促した。それを見た美加は面白くなさそうにアリサを見やる。余計ない事を言うんじゃない、と表情で表している。
ノエルにしても吉井から術を掛けられる寸前のところであったため、アリサの忠告は尤ものことであろうと聞き入れていた。あの催眠術に掛かったら終わりだ。
  それに加えて白木と久美を助け出すには、どう考えても美加を倒さねばならないのは目に見えている。それを察したかのように美加は薄ら笑いをしながら口にした。

「ふふふ。そこの2人は、私と夫が任意で術を解くか、或は倒さなければ目覚めないわよ? もっとも、それが出来るとも思えないけどね」
「‥‥‥」

すずか達が一歩、二歩、と後ずさりする。それを追うように美加が前進する。口元には吸血鬼特有の牙を覗かせており、より一層の恐怖感を醸し出していた。
とはいえどう考えてもここで逃げる訳にはいかない。美加を倒さねば、2人は永遠に岸田夫婦の言いなりとなってしまうのだ。
双方の間にしばし沈黙が流れるが、外は険しく雨が打ちつる音で溢れんばかりとなっている。
  静寂な地下室と喧騒な外のギャップを生み出しながらも、それは唐突に終わりを告げた。再び落ちた雷を合図にして、美加が狩り人となって襲い掛かって来たのだ。
それに真っ先に立ち向かうノエルは格闘家のように構えながら美加を迎撃する。掴みかかる彼女の腕を左へ捌きつつ身体を左へ反転させ、左腕を掴んで後ろに回して固めた。
すずかとアリサに被害が及ばぬように距離を少しでも話そうとする一方、美加は左腕を後ろに取られたことにより、少しでもダメージを抑えるために前傾姿勢になる。
武術を幾つか習得したノエルならではの手際だろうが、その優勢もすぐに覆される。美加は無理に身体を起こすことをせず、左膝でノエルの右膝裏を突いたのだ。
膝をカクンと強制的に折らされたノエルは姿勢を崩したが、その際に美加の拘束を解いてしまった。

「っ!」
「へぇ、吉井が倒されたのも頷けるわね。けど、私何処まで対抗できるかしら」
「試してみたらいかがです?」
「‥‥‥減らず口を叩くわね」

  気に入らないのか、美加はノエルも驚くほどの瞬発力を持って飛び掛かる。その驚きは一瞬にしてノエルは殴りかかる美加の右腕で防ぐが、その衝撃は女性ならざるものだ。
腕に衝撃が響いたためにノエルは一瞬だけ苦悶しバランスを崩しそうになるが、次の瞬間には美加の右腕下から振り上げられている。
それも辛うじて顎を引くことで回避したが、後ろがワインの並ぶ棚になっていたため、それ以上下がることを許されなくなった。

「しまっ‥‥‥!」

気付いた時には遅く、さらに動揺した隙を美加に突かれる。避ける為にのけぞった姿勢から態勢を戻しかけたノエルに、追撃する形で右手の甲による張り手を見舞ったのだ。

「ぐっ!」

彼女の頬が甲で強かに張り飛ばされることで、頭も左へ振られてしまうと同時に背中を棚に打ち付ける。その衝撃でノエルの身体は棚と一緒に仰向けに倒れてしまった。
棚は盛大に傾き、隣に並んでいる棚を巻き込んでいく。数多くのワインが棚から零れ落ちると、地面に打ち付けられて砕け散るガラスの音が数十と響き渡った。
赤と白のワインが床一面にぶちまけられるが、それを惜しむ者は誰もいない。それは兎も角として、ノエルは打ち付けられた右頬の痛みを気にする間もなく美加に組み付かれた。
  そのまま首を絞めてノエルを堕とそうとする美加であったが、そこに文字通り横槍となって突進してくる2つの影があった。

「無視すんじゃないわよっ!」
「お、お前達――ぃ!?」

アリサが手短にあったワインボトルを片手に美加の頭部目掛けて思い切り振り下ろしたのだ。通常の人間なら大怪我必須だが、相手は恐れる吸血鬼ゆえ手加減は無用だった。
ワインボトルは打ち付けられたことで派手に割れ、同時に中身が美加に振りまけられる。怯んでノエルから一瞬離れた美加に対し、すずかが思い切り体当たりを見舞った。
  さしもの美加とは言えどもたまったものではなかったらしく、体当たりの反動でよろけた挙句に脚をもつれさせて棚に寄り掛かる。
辛うじて棚に掴まり倒れずには済んだが、ただの人間の女如き相手に苦戦することとなった自分に、美加は腹を立てていた。

「面倒ね、こうなればここで始末してやるわ」

そう言って駆け出そうとしたが、ノエルがそれを妨害する。美加が立ち上がる前に、彼女が背を預けていたワイン棚の端を掴み思い切り引っ張り倒したのである。

「なっ‥‥‥しま――ッ!?」

すると当然のことながら手摺代わりに掴まれていた棚は、立ち上がろうとしていた美加の方へ傾倒することとなり、彼女は自ら棚を引き寄せて下敷きになる格好となった。
その際に再び鳴り響くワインボトルのガラスの割れる音と、床一面に散布される赤と白のワインが、棚の下敷きにした美加をワイン漬けにしてしまう。
加えてノエルは慎重に慎重を期すかの如く、もう1段の棚を引っ張って美加の上に倒れている棚の、さらに上に重ねて倒す追い打ちを掛ける始末であった。
  それにやった、と喜ぶのも束の間、今度はアリサの悲鳴が響き渡る。ノエルとすずかが振り向くと、いつの間にか立っていた岸田が、アリサの手首を捻り上げていたのだ。
黒い上下スーツに白いタートルネックという風貌の岸田が見せる表情は、まさに吸血鬼そのものである。同時に、その瞳には怒りに満ちたものに見えた。
彼は内心で焦り自棄になりつつあった。ここまで妨害されるとは思いもよらぬところであり、これでは自分達の儀式が蔓延に終わることは無いだろう。
美加が言い放ったように、もはや手段を択ばずにここで始末してしまい、他県に運んで遺棄する方が手っ取り早いと踏んでいた。
そこでまずは、アリサから片付けてしまおうというのである。

「来い!」
「は、放しなさいよ!」
「アリサちゃんを放して!」

  無理矢理連れて行こうとする岸田にくってかかるすずかであったが、岸田は振り向きざまに思い切って張り手を見舞う。彼女は持ち前の運動神経と反射神経で張り手を防いだが、防いだにも拘らず彼女の身体は大きく張り飛ばされる形となり、そのまま床に身体を打ち付けてしまった。
恐ろしいまでの怪力であることを、すずかはこの時思い知らされた。普通の成人男性でもここまでの力は出せないだろう。主人を張り倒されてしまったのを見たノエルは、思わず背筋を凍らせるほどのショックを受け、慌てて彼女の元へ駆け寄って無事を確認してくる。

「お嬢様、大丈夫ですか?」
「えぇ、それよりアリサちゃんを‥‥‥」

自分の事よりも親友のことを気にかけたすずかは、痛みを忘れて階段を駆け上がり岸田の後を追った。
  階段を上った先に見たのは、あの事件の時に通された応接室のフロアと、今まさに噛みつこうとしている岸田、そして噛みつかれる寸前のアリサであった。
後ろ手に束縛したままのアリサに対して、背後から首筋に噛みつこうとする岸田に対してノエルが迷わずに突進し、彼とアリサの間に強制的に割り引き離そうとする。

「放しなさい!」
「面倒だ、お前から片付けてやる」

岸田は組み付いてきたノエルを邪魔に思い、アリサを突き飛ばしてからノエルに襲い掛かった。その隙に、すずかは突き飛ばされたアリサに駆け寄り保護する。
どうやら噛まれたわけでもないようだが、問題は此処からだった。岸田と美加をどうにかしなければならないのだが、ノエル1人で岸田に勝てるか不安もある。
  その岸田は掴みかかって来たノエルの両腕を掴み返し、圧倒的腕力で自分から引き離していく。あっという間に彼の襟元を掴んでいた手が放されてしまいノエルも焦る。
態勢を有利にするために膝蹴りを腹部に撃ち込むのだが岸田にはビクともせず、思わず彼女を驚愕させた。先ほどの吉井とは大違いなタフネスさだった。
抵抗をものともしない岸田は、左手でノエルの右手を拘束したまま彼女の首元を右手で鷲掴みにする。そのまま壁際へと振り払って彼女を壁にぶつけたのだ。

「があぁ!」
「くっ」

ノエルがぶつかった衝撃で、棚の上に置いてあった花瓶などが落ちて割れるが、それには目もくれずに再び掴みかかる岸田。彼女は壁と棚を背にしたまま正面から岸田に組み付かれ、彼の両腕と馬鹿力で襟元を締め上げられながらも、掴み返して引き離そうと必死の抵抗を見せる。
  まるでおもちゃを振り回すかのように、岸田は軽々とノエルを放り投げて床に倒れ伏させた。あまりの力の差にノエルは愕然と仕掛けるが、それしきの事で諦めはしない。

「ノエル、大丈夫!?」
「心配ございません、お嬢様」

半分は嘘で半分は本当だ。心配して見守る主人とアリサの目の前で、そう簡単に倒れる訳にはいかないのだ。ノエルは身体を起こして、岸田を見据えつつ身構えた。
そして悠然と近づく岸田に対して、彼女は傍にあった椅子を直ぐに掴むと彼に向って思い切り投げつけたのだ。

「ふん!」
「っ!」

ところが投げつけられた椅子を、岸田はいとも簡単に自身の左腕で払い退けてしまい、不本意ながら投げられた椅子は、不本意な方向へと飛んでいったのだ。
  大股で詰め寄ってくる岸田にノエルのしなやかな、尚且つ鋭い左脚の上段蹴りが彼の頭部を正確に射抜いたが、彼の頭部を揺らすことは出来ても大したダメージにならない。
蹴った脚を戻して直ぐに二撃目の中段蹴りを彼の脇腹に叩き付けるが、それにも動揺しないのだった。それこそ打つ手はないものか考えてしまう。
実際は考える暇もなく、岸田が引き続き襲い掛かってくる。
  蹴り終った直後に見計って左手で掴みかかると、岸田の重々しい手刀がノエルの左首元に打ち下ろされた。

「ぅぐうっ‥‥‥!」

ドスっと鈍い音を立てて突き立てられた手刀に、ノエルは先ほどよりも苦悶する。それどころかあまりにも打ち下ろす力が強かったため、その場に倒されてしまった。
首筋辺りの痛みに耐えるノエルを強制的に立ち上がらせると、彼女を力任せに振り回して疲労させるかと思いきや、彼女を思い切り放り投げてしまう。
ふらつく脚では真面に体勢を整えることは出来ず、そのままノエルは隣室へ通じるドアへと叩き付けられたばかりか、そのままドアを破って隣室へ飛び込んでしまったのだ。



CHAPTER・W



  それを見たすずかが、ノエルの身が危ないと見て、何か加勢するための武器は無いか――と、アリサと共には手当たり次第に見渡した。
すずかが見渡す途中、地下室の入り口に美加の姿を発見した。

「アリサちゃん、アレ!」
「えぇ、もう上がって来たようね」

衣服がワインを浴びたせいで色濃く染みつき、髪の毛もボサボサと乱れているうえに湿っていた。彼女はすずかとアリサを見るなり鬼の形相で言い放った。

「やってくれたわね。容赦はしないわよ‥‥‥覚悟なさい」
「勝手なことを言わないで!」

言うが早いか、美加が手を出してくる。しかもナイフが握られており、この場で殺すことに躊躇いのないことを現していた。鋭い刃が、すずかに振り下ろされる。
大ぶりなその攻撃に、すずかが避けられない訳がなく、持ち前の反射神経と運動神経をもってすれば十分であった‥‥‥とはいえ、恐怖が彼女の背筋を撫でていたが。
それに避け続けるにも限界はある。しかも部屋の中とあって万遍なく動き回れる筈もない。
  やがて壁際に追い詰められたすずかに対し、狂喜したように声を上げながらナイフを振りかざし、そして思い切り振り降ろした。

「死になさい!」

ところが一瞬の差でかわされてしまい、ナイフは空を切るに終わるどころか、そのまま木目の壁に突き刺さってしまったのである。おもわず目を丸くしてしまう美加。
それも深く突き刺さったためか、直ぐには抜けなくなっている。これでナイフにこだわらなければ良かったのだが、抜こうと躍起になったのが上手くなかった。
  アリサがすかさず行動に出て、別の椅子を振りかざすとナイフに躍起になっていた美加の頭上に、思い切り振り下ろしたのである。
不本意な使われようが続く椅子は見事に美加の後頭部へ直撃し、椅子は原型を止めぬ勢いで砕け散った。アリサの力が凄かったのか、椅子が脆かったのかは定かではないが。
後頭部に衝撃を受けた美加はよろめき、その隙にすずかが壁際から抜け出す。

「調子に乗るんじゃない」

  よろめきこそしたが、美加は直ぐに身体を翻して後方で殴りつけて来たアリサに標的を定めると、あっという間に近寄り掴みかかって彼女を捉えた。

「っ!」

回避する暇もなくアリサの首と顔面を鷲掴みにしてしまう。アイアンクローの要領で顔面を握りつぶさんとすると同時に、首も絞めていくる為アリサも悲鳴を上げようとする。
残念ながら美加の掌によって喉圧縮されて声も出せず、これでもかとさらに締め上げてくるのだ。
  そこに、すずかが慌てて掛け付けてアリサと美加を引き離そうと躍起になるが、美加は彼女の横槍をものともせず、寧ろ自らアリサを放り出す。
放り投げられたアリサがテーブルに身体を乗り上げ、そのまま滑って床に落下した。燭台やらテーブルクロスやらも彼女と一緒に纏めて落下していった。

「ぃづぅっ!」

アリサは身体を打った痛みに呻きを上げ、すずかも振りほどかれた反動で床に倒れてしまう。それでも派手に吹き飛んだ親友を心配して声を掛けた。

「あ、アリサちゃん!?」
「自分の心配をなさいよ」

親友を心配するすずかに、美加が手を伸ばした。彼女に跨りマウントを取ると、すずかの首を両手で押し潰していく。そのまま窒息させる腹であった。
  その時、隣室から物凄い家屋の破壊音と共にノエルが岸田に再び投げ飛ばされながら、すずからのいる応接室へと飛び込んで来たのが目に入る。
投げ飛ばされたノエルは傍にあった小さなテーブルにぶつかり、それ共々派手に倒れた。彼女は見るも無残なもので、顔も身体も傷だらけであった。
殴られて頬がやや腫れ上がっており、口元からも血が滴っているばかりか、すずかには見えないが服の内部も大分痣が出来ていたのである。
あの端正な顔立ちのクールなメイド長も、今や暴力を受けたか弱い女性にしか見えなかった。
  が、その視線だけは決して衰えてはいない。そんなノエルの姿を見て、美加はすずかの首を締めながら高笑いする。

「あははは! 無様ね、貴女。大口叩いてその程度?」
「だまり‥‥‥なさい」
「ふふ、そんな元気があるのね? まあいいわ。精々、夫にじわじわと嬲り殺されるがいいわよ。私たちが、かつて村人達から受けた仕打ちを、その身を以て知ってね!」

美加と岸田――かつては白人と村の娘であるが、かれらは村人達から集団リンチをされている。その仕打ちの鬱憤を今晴らさんとしているかのようであった。
すずかも、今まさに意識を途切れんばかりの瀬戸際に立たされていた。馬乗りになって高笑いする美加を見上げるままに、その視界さえも暗くしていく。

「お嬢様‥‥‥ッ!」
「自分の心配をしたらどうかな」

窒息死させられそうになる主人の姿を目の当たりにして拳を握りしめるノエル。彼女は立ち上がりかけるが、そこで隣室から悠々と大股で近づく岸田がいたのだ。
とことん痛めつけるつもりなのだろう彼の表情は、怒りとは別にある種の喜びに満ちているようにも見えた。
  ノエルは右手に握っていた固形物の感触を確かめると、手を伸ばそうと目の前まで接近してきた岸田に対して思い切りそれを振り下ろす。
その瞬間にズンッと鈍い音を立てて、岸田の右胸に突き立てられた。

「ぅヴァッ!?」

思わず呻きを上げる岸田。ノエルは隣室で掴み取り、岸田によって使う機会を無くしつつあった薪割り用の小さな斧を、ここで彼の胸に振り下ろしたのである。

「ぅっ!!」

すると美加の方も、岸田に連動するが如く呻きを上げ、背中をのけぞらせて動きを停滞させる。まるで感電したかのようにビクリと振るわせていた。
  それはすずかにとって、抵抗を成す最後の瞬間でもあった。彼女は大胆にも美加の胸倉掴むと、右足をばねにして下半身を持ち上げつつ、左膝を美加の背中に突き当てたのだ。
また胸倉を掴んだ手を手前に引っ張ることで、美加の身体を前転させる力に加算させた。見事に彼女の身体は前転することとなり、すずかのうえから転げ落ちる。
しかもこの時、美加の頃んだ先には燃え盛る暖炉があった。彼女の瞳には転げまわる世界が映り、そして一転して紅蓮の炎に切り替わったのである。
燃え盛る炎に放り込まれた美加は、自分がどういう状況下に置かれたのかを理解する前に、まず悲鳴を上げた。

「ぎゃああああああああっ! 熱いいい、あづいいいいっ!!」


  一瞬にして彼女の衣服は燃え上がり、あっという間に火だるまにしてしまう。地下室でたっぷりとワインを吸った衣服と髪にも付着した分、火の回りが早かったのだ。
すずかは、炎に包まれて苦悶にのた打ち回る美加の断末魔を見て、思わず目を背けてしまった。自分で招いたとは言えども、火の中に放り込むとは予想していなかったのだ。
同じくして投げ飛ばされて一時気を失っていたアリサも、その絶叫に目を覚まし、そ地獄の炎に焼かれる彼女の姿を見て呆然としてしまう。

「み、美加ッ!」

  燃え盛る妻の姿を目の当たりにした岸田は愕然とした。胸に刺さった斧を抜いて平然としていたが、さしものこの光景に彼の精神的ダメージは計り知れなかったのだ。
炎に纏わりつかれて焼き殺されていく美加は、火を振り払おうとしてもふりきれず暴れまわる。その際に床の絨毯にも火が燃え移り始め、火災を拡大化させていった。
岸田はノエルに構ってはおられず、もがき苦しむ妻を如何にかしようとするものの、もはや如何にもできずにいた。

「だずげで、だずげ‥‥‥でぇぇ! 」
「美加、美加!」

  彼女は不幸を連続として呼び込んだ。踊り狂う彼女の足元がもつれて倒れたのが、その先にはひっくり返っていた椅子の細い脚が美加を睨みつけていたのだ。
倒れ込んだ彼女の背中が思い切り食い込み、やがて体内へと突き進んでいった。

「ぉぶっ‥‥‥!!」

それが、彼女の最期だった。寧ろ長き苦しむ事よりはマシだったのかもしれないが、彼女本人がどう思っているかは不明である。
  これを見て岸田が怒り心頭にならない訳がなかった。猛り狂った彼は背後に恐々と眺めやるすずかとアリサ、そしていつの間にか2人の前を庇るノエルの姿があった。

「貴様らも道連れだ!」

そう叫び3人に鬼の形相で襲い掛かる岸田に、すずか、アリサが恐怖した。が、ノエルは背後の暖炉に転げ落ちていた先端の尖った火掻き棒を握り、それを突き出す。
前進する岸田の身体に、ノエルが突き出す火掻き棒の先端がものの見事に突き刺さる。しかも暖炉で熱されていたために、ジュっと焼ける音も聞こえてくるのだ。

「ヴぅッ!?」

何をされたか理解するのに時間を要したが、岸田は己の身体に突き立てられた火掻き棒を両手に取り、最後の足掻きで引き抜こうとしたが、ノエルがそれを許さなかった。
彼女の鋭い回し蹴りが正確に火掻き棒の柄の部分を蹴りつけ、先端が背中を僅かに突き破っていたのだ。これがトドメとなり、岸田は両手を焼きながら絶叫し倒れ伏す。
膝をつき、歯を食いしばりながらこちらを凝視する彼に、すずかもアリサも目を背けてしまう。

「これ‥‥‥で‥‥‥終い‥‥‥なのか‥‥‥」

無念と悔しさを滲ませながら、彼は仰向けに倒れ伏した。それ以降、彼が起き上がる気配は無く、メラメラと燃え盛る炎が彼をも包み込もうとしていた。
  それにハッとしたすずかが、慌てて叫ぶ。

「いけない、白木さんと西条さんを連れて逃げないと!」
「そうよ、行きましょう!」

そう叫び、3人は燃え盛る応接室を後にして地下室に居る2人を助け出し、侵入した裏口から外へと脱出を図った。2人は岸田夫妻が倒れたことで、術が完全に解けたようである。
どういった事態なのかを把握するのは後回しにして、白木と久美はすずか達に連れられて外へ出たのだ。雨が止まぬ状況であったが、それに構わず屋敷から離れていった。

「屋敷が、落ちていく」

岸田邸から脱出したすずかが、ポツリと呟く。離れたところで火災が大きくなる屋敷は、あっという間に火だるまとなった。これで魔性は倒れたのだ。
魔物の巣窟であった聖明学園がどうなるかは定かではないが、今後、新たな犠牲者が出ることは無い筈である。
しかしこの世界に、彼らの様に人間界に隠れて生き延びている異なる存在は、幾らでもいるのかもしれない。そう考えた時、すずかの胸の内は決して穏やかにはならなかった。




〜〜あとがき〜〜
第3惑星人です。ようやく吸血学園が完結しましたが、如何でしたでしょうか。
どうしてこうもグダグダと続いてしまうのか‥‥‥最後も、もはや完結させたい思いでうやむやになっており、大変手抜き感が半端ないです。
それでもって、ノエルとか、すずかとかが圧倒されたりと、ありえへんな展開になってしまいました。
因みに原作は白木が学長にフルボッコにされます。可哀そう、と言いたくなるぐらいフルボッコです。ほぼ善戦なんてしません‥‥‥それぐらい一方的です。
とはいえ、どうにかこうにかで締めくくりました。以後、もしかすれば懲りずに、こういった無謀なクロスオーバーとかやるかもしれません‥‥‥。



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