これは、アスカと私が紡ぐ物語。
物語というのは、誰か一人の視点から語るものじゃないと思う。
見る人によって、語る人によって、感じることは違うと思うんだ。
この物語のもう一人の語り手は、シャルが引き受けることになってるんだけど。
今回は私とアスカが語り手となって、この物語を語っていくとしよう。
『学年別トーナメント』の一週間前、その組み合わせが発表された。
今回からツーマンセルで行われるそれの第一回戦の組み合わせは、
一夏・私ペアVSラウラ・シャルペアに決まった。
この示し合わせた組み合わせは、どうやら日本政府やドイツ政府、それに特定の企業からの
圧力があったらしい。織斑先生が苦々しく言っていたのを思い出す。
だけどそれは私たちにとって好都合だったんだ。
私たちはアスカからラウラの不調の原因がISに取り付けられただろう規格外の装置だと
聞いていて、組み合わせが決まった時点でアスカを除く三人で話し合った。
それは私たち三人が共闘してラウラのISを破壊、規格外の装置があればそれを暴いて
やろうって。
シャルは相手チームだけれど友達であるラウラのためならって、周りにバレないように
上手く私たちをフォローしてくれると約束してくれた。
それから試合までは特訓ばかりしていた。
ラウラのISの特性や戦い方を徹底的に調べ上げ、綿密に作戦を練った。
織斑先生にも戦闘のコツを教えてもらいながら、今日はやってきた。
試合は確かに楽ではなかったが、終始有利に働いた。
奴は自らの力に余程自身があるらしく、端から私たちを舐めきっていた。
なのに何故か動きはぎこちなく、本人もその原因が分かっていないのか
勝手に激昂して突っ込んできて。
私とシャルが決して攻撃を直撃させないように戦っている間に、一夏がラウラを追い詰めてくれた。
稀に一夏に攻撃が直撃しそうになったが、シャルが誤射に見せかけてそれを防いでくれたり。
シャルも国家代表候補生のはずだが、当人は、
「どうだっていいよ、こんな肩書きなんて。大切な友達を助ける方が、
何万倍も大切だよ。僕は少なくとも、そう思ってるんだ」
って言っていた。
そういう彼女の表情に少し翳りがあると感じたのは私だけだろうか?
そんな感じでラウラを大破寸前まで追い込むことに成功したのだが、そこで
とんでもない問題が起こった。
急に彼女の胸元辺りに黒い球体が出現したかと思うと、そこから黒い霧が噴出して、
ラウラを包み込んでしまったのだ。
そしてそれが収まった時私たちの前に立っていたのは、もはやラウラとはかけ離れたモノだった。
まるで鬼のようなそれは手に持っていた黒刀を振り回しながら、私たちに襲い掛かってきた。
…シャルにも、容赦なく、だ。
その速度は凄まじく、消耗していた私たちはなす術もなく、奴の攻撃に晒されることになった。
それが、今私たちの置かれた立場だ。
急ぎ足ですまないが、許して欲しい。
詳しい内容は、シャルがまた話してくれると思う。
私はただ、知って欲しかった。
もはや普通にISで戦うことすら辛いはずのアスカが、意識を失った私たちを守る為に
体を、命を張って戦ったことを。
そして、だからこそ私はある一つの決意をすることができたのだが…それはまた後で語るとしよう。
では、今回の物語は、観客席から私たちの戦いを見ていたアスカが私たちを助けようと
右往左往しているところから始まる。
彼の戦いを、どうか見守ってあげてほしい。
◇
「くそっ! くそっ!! くそぉぉ!!!」
ガンガンと俺はアリーナを取り囲むエネルギーシールドに向かって拳を叩きつける。
しかしISのシールドバリアーと同等の強度を誇るそれは俺の拳程度で砕けるはずもなく。
俺の視線の先では俺の仲間が、友達が、一方的に嬲られ、蹂躙されている。
…一夏、篠ノ之、デュノア…!!
どうしてだ、どうしてこうなった……!?
俺は試合当日、一夏たちの試合を見るために観客席にて観戦していた。
三人の連携攻撃は俺の目から見ても見事の一言で、ボーデヴィッヒの皮を被ったアイツは
ダメージ甚大、もうまともに戦える状態じゃなかったのに…。
あの姿は、何だ?
ボーデヴィッヒの胸の辺りに突如現れた漆黒の球体。
そこから溢れ出た黒い靄のようなものがボーデヴィッヒを包み込んで、まるで
鬼か悪魔のような姿を形作っている。
ボーデヴィッヒの全てが包まれて、その靄に浮かび上がるように、紅い眼のようなものが
二つ、爛々と妖しく輝いている。
さらにそれを纏った瞬間今までのダメージが嘘のように高速移動で三人に迫った
ボーデヴィッヒが、その手に持った黒刀で三人を滅多切りにし出した。
それはもう、試合なんて呼べるものじゃない。
さっきの三対一の試合なんて霞んでしまうほどの、力の暴風。
ただの、暴虐。一方的な殺戮に過ぎなかった。
すぐさま助けに行きたいと切実に願うが、アリーナを包み込むシールドが行く手を阻み、
客席を出ようとするも、異変が起こり慌てふためく生徒たちでごった返していて、
とてもじゃないが客席からすら出られない。
それにそこまで走っていく体力すら、俺には残されていなくて。
いっそISを展開して行こうと思ったが、そんなことをしたら他の生徒が怪我してしまう
可能性がある。
なので、拳が砕けるまでここでシールドを叩きつけている。
何にも意味はないのに。
何で、こうなってしまうんだ?
いつも、いつもそうだ。
大切な人たちが傷ついている時に、俺はいつだって無力で。
シールドを叩きながら、ふと自分の身体を見下ろす。
無様な傷だらけの身体、痩せ細った筋肉。
これらも全て、俺の力の無さが原因で招いた結果。
そしてそのツケが今、回ってきている。
俺は、目の前で傷つくあいつらの盾として飛び込むことすらできない。
嫌だ、嫌だ………嫌だ!
頼む、ISバトルから観客を守るためのシールドなのは分かるけど、今だけは消えてくれよ。
俺は行かないといけないんだ。
そもそもあいつらが三人がかりでボーデヴィッヒを追い詰めようとしたのは、俺が原因なんだ。
ボーデヴィッヒに取り憑いたヤツを何とかしようって、そのためにあいつらが俺の代わりに
買って出てくれたんだ。
だからあいつらが傷つくのなんておかしいんだ。
こんな事になったのが俺の自業自得だってんなら、俺がいくらでも殴られてやる。
だから……だから………!
『……あぁ〜〜〜〜!!!
うぜぇウゼェうぜぇぇぇ!!!
さっきから同じ事を何度もウジウジウジウジとぉ!!!
テメェはあれか?同級生に虐められてメソメソ泣いてる中学生クンか!?
聞いてて胸糞悪くなるんだよご主人サマよぉ!!!』
……っ!!??
なっ………この声、まさか………。
あまりの衝撃に一瞬思考が停止し、そのリアルな声が聞こえた方を振り向く。
するとまるで血のように濃厚で混沌とした瞳と視線が交わった。
一瞬時が止まったような錯覚に陥る。
でも目の前のソイツがニタッと邪悪に口元を歪め、一気に飛んでいった意識が戻ってくる。
な、何で…?どうしてこんな時に、コイツが!?
しかも、今までは声しか聞こえてなかったのに、何故夢でもないのにコイツが俺の目の前にいる!?
その姿はあまりにもリアルで、手を伸ばせば触れえるような気さえして…。
『あン?何だよご主人サマ、俺様と面と向かって話せることが、そんなに嬉しいかぃ?
泣かせてくれるねぇ、実は俺様もご主人サマと話がしたかった……って嘘ぴょーーーん!
ヒャーーーハハハァ! 俺様は毎日毎晩テメェの慟哭の声を特等席で聞いてるし、
俺様からテメェに話しかけるのは造作もねぇから全く嬉しくないんだよなぁこれがっ!
しかしよぉ…テメェがいつになく力を俺様に送ってくるから何事かと思って出てきて見れば
こんな何でもない問題でアタフタしてよぉ。正直がっかりだ。
あんまり俺を落胆させないでくれよご主人サマよぉ……ヒャハハハ!』
「五月蝿い黙れっ!!
今はお前なんかと話してる暇なんかないんだよ!
何が『何でもない問題』だっ!!
このシールドを突破しないと、いますぐ一夏たちを助けに行けないんだよ!
俺がアンタの主人だってんなら、少しは方法を考えたらどうだ!?」
『はぁ?なーに言ってんだご主人サマよぉ。
こんなモン、俺様にかかれば一発で豆腐みたいに崩せるぜ。
だから俺様が面倒くさいのにわざわざ出てきてやったんだろうが』
………何?
言ってる意味が一瞬理解できず、呆けてしまう。
コイツ、今こう言ったか?
「このシールドを破ることが出来る」と、そんな意味合いのことを言ったのか?
俺の顔を見てどう思ったのか。
奴は心底呆れましたとでも言いたげに顔を歪めて、溜息交じり、嘲笑交じりに話しかけてくる。
『何だ何だぁその顔はご主人サマよぉ?
まるで豆が鳩鉄砲喰らったような顔してよぉ…って何か違うかぁヒャハハハ!
まぁ、そういうことだ。俺様の力を使えば、こんなバリアーなんぞふ菓子と同じだぁ。
ほらよご主人サマ。そうと決まれば善は急げだ。
つか俺様もさっさと寝たいから速攻で決めるぜぇヒャハハハハ!!』
奴はそう言って俺の前から霧散する。
それと同時に俺の右手に青白い光が集まっていき、それが一つの像を形成し、収まる。
その重厚なズタズタに傷ついた手甲はヴェスティージの武装の一つ、『イグナイテッド』。
な……何でいきなりこれが!?
俺は今、何も命じても念じてもいないのに!?
と、耳元……いや脳みそに直接奴の粘着性を帯びた声が響いてくる。
耳障りな笑いを交えながら、奴は脳内に直接話しかけてくる。
『ヒヒヒ……まあまあご主人サマ。
自分の意思に関係なく武装が出てくるくらいで驚いてたら、この先身体が持たないぜ?
と、んな事言ってるとアリーナにいる爽やか主人公クン達がミンチになっちまうな。
さてとご主人サマ。今この状況でイグナイテッドを出したのにはもちろん意味がある。
これが目の前のバリアーを打ち破ることができる能力を秘めているからだ』
「イグナイテッドが……?
これって自分のシールドバリアーをエネルギーに変換して、一箇所に集中するってのが
能力じゃないのか?
実際俺はそれで薄いバリアーを形成して敵の攻撃を防ぐために使ってたわけだし…」
『それはテメェがイグナイテッドの力を全く理解していないし使いこなせてなかったからだ。
金髪ブロンド女の『ブルー・ティアーズ』やサイドテールチャイニーズの『衝撃砲』と同じ、
イグナイテッドが俺様の特殊兵器だ。
テメェはイグナイテッドを自分のエネルギーを自在に練り直すための武装だと思ってる
みたいだが、それは違う。
試しにイグナイテッドを発動させた状態でそのバリアーに触れてみな?』
言われて、俺はイグナイテッドを稼動させた状態で右手をシールドに当ててみた。
すると目の前にあるだろう不可視のシールドがぐにゃりと肉眼で分かるくらいに歪んだかと思うと、
右手があった場所に小さく穴が開いている……ように見える。
そこだけ僅かに違和感があるんだ。
まるで水滴で曇っていた窓ガラスの一箇所だけを拭いた、みたいな。
俺は驚愕に打ち震えながら、奴に息巻いて話しかける。
「なっ……!? お、おいこれって……」
『それがイグナイテッドの本来の力だ。
イグナイテッドはな、それで触れたあらゆるエネルギーに干渉することができるのさ。
自分のエネルギーならさっき言っていたように自在に練り直すこともできるし、
誰か別のエネルギーならば、今みたいに干渉してそこに穴を開けることも可能だ。
つまりイグナイテッドを稼動させた状態で敵ISのシールドバリアーを触れば、
それに干渉してシールドを突破させることが可能ってわけさ。
もちろんイグナイテッド稼動にはそれなりに自分のエネルギーを食わせる必要があるがなぁ…』
「つまり、『あらゆるエネルギーに干渉できる』。
それがイグナイテッドの能力だってことか!?」
それって……かなり強い能力じゃないか!?
つまりこれを使えば自分のシールドバリアーのエネルギーで誰かを守る盾になることも、
敵ISのシールドバリアーを突貫して破ることもできる。
俺は一夏の『零落白夜』と同等の攻撃力を得ることができたってことじゃないか!?
だとすれば、凄まじい兵器じゃないか!
って、今はそんなこと言ってる場合じゃない!
このシールドを突破する目処はついたんだ! ならばっ!!
もはや奴が何で俺にイグナイテッドについて教えたのか、その疑問すら消し飛んでいた。
俺はすぐさまヴェスティージを展開、身に纏う。
織斑先生からしばらくはISの装着を禁止されているが、知ったこっちゃない!
目の前の状況を可及的速やかに鎮圧するのが先決!
この場にいる皆がそう思っている!
俺はイグナイテッドをシールドに押し当てる。
するとシールドは音もなく崩れていって、俺の身体が通れるほどの穴が出来上がる。
それを確認すると同時、俺はスラスターを噴かせ、久々に声高に叫んだ。
「シン・アスカ! 『ヴェスティージ』、行きます!!」
今の俺の頭にあるのは、これでようやっと目の前の暴虐に飛び込める。
皆を守るために戦える、それに対する歓喜のみだった。
俺はもはや元の姿もなく魔人と化したボーデヴィッヒと対面するようにアリーナに飛び降りた。
と同時に暗黒の特異点と化したボーデヴィッヒがこちらに振り向く。
……気のせいかもしれないが、その紅く燃え上がる瞳が、俺の目には「助けて」と訴えているように感じた。
『……ヒヒヒヒヒヒ。やっぱり馬鹿だなご主人サマは。
俺様が何の利得もなしにアドバイスしに出てくるわけがないじゃねぇか。
せいぜい苦しんでくれよ?それで俺様に力が流れ込んでくるわけだからな。
全くご主人サマは迂闊だぜ。
「大きな力にはそれなりの代償が伴う」……常識だろうに。
まあ、頑張ってお勤めに励んでくれやご主人サマ。
死なない程度に………ヒャーーーーーハハハハハハハハハハ!!!』
・
・
・
・
……もう、声も枯れてしまった。
どれくらいこの暗闇の中で声を張り上げただろう。
目の前に浮かぶ凄惨な映像に向かって、尚も潰れてしまった喉を酷使して叫びかける。
その映像には瘴気のような黒い霧を帯びた刀が、縦横無尽に振るわれる様が映されていて。
それによって傷ついていく、織斑一夏、篠ノ之、そしてデュノア。
試合の一部始終はその映像を通して見ていた。
今回は映像から声も聞こえていて、突如試合中にも関わらず織斑たちとともに
私を攻めだしたデュノアの言葉から、三人が私を元に戻す為に共同戦線を敷いていたことも理解した。
…嬉しかった。
私のために、大事な試合にも関わらずそんな事をしてくれる三人を見て、枯れてしまったと思っていた
涙が、再び頬を濡らした。
でも、どうしてだ?
あれだけのダメージを受けたら、ISは強制的に解除されるはずなのに、何故私は…いや。
奴は戦えるのだ?
しかも、何だ?映像に映し出されるあの黒い霧は?
どうして三人がこうも一方的に蹂躙されているのだ?
声が聞こえる……皆の、悲鳴が。
私の頬を、先ほどとは違う涙が伝う。
何で……私はまたセシリアと鈴音の時と同じような場面を見なくてはいけないんだ?
『何故ッテ……ソレガアンタノ望ンダコトダカラナ』
望んだこと……?
違う、私はこんなこと望んでなんか……。
私はこんなこと、したくないのに。
『違ウネェ、違ウ違ウ。
自分ニ嘘ツクノハイイ加減止メナヨオ前様ァ。
…コレハアンタノ偽リノナイ望ミナノサ。
アンタハ前々カラ考エテイタダロウ?
「コンナ世界、全テ壊レテシマエバイイ」
「ドンナニ優シイ言葉ヲカケラレテモ、ドウセ皆イツカハ私ヲ裏切ル……アノ女ノヨウニ」。
アンタハ絶望シテイタンダロウ、全テニ?
アノ二人ニ優シクサレタトキダッテ、本当ハ半信半疑ダッタンダロウ?
ソウダヨナ、アンタハ誰モ信用シテナイ。
教官ト慕ッテイルアノ女ニサエ、本当ノ意味デ心ヲ開イテハイナインダ。
誰カヲ信用シテ心ヲ開イテ、ソノ先ニアルノガ絶望ダケナラバ、私ハ一人デ構ワナイ。
イヤ、ムシロ私ニ偽善ヲ向ケテクル輩ナンカ、排除シテシマエバイイ。
ソウダ、ダッテ私ハ、コノ世界全テニ憎悪シテイルンダカラ。
…コレガアンタノ考エテイタ浅マシイ醜悪ナ価値観、根底ニアル意思ダ。
ダカラアンタノ『お友達』ガ嬲ラレテイルコノ状況コソガ、アンタガ望ンダコトナノダヨ。
コレガアンタノ、世界ヘノ復讐ナノサ。
コレガアンタガ、今現在モ憎悪シテイタISニ乗ッテ戦ッテイル理由ナノサ』
違う………違う、違うっ!!!
叩きつけられるその言葉は頭では納得してしまいそうな程に説得力があった。
でも私の心が、その言葉を明確に否定する。
今まで無力感と絶望感に動きを止めていた心が、再び少しずつ脈動を始める。
私が、私が今まで嫌悪していたISに乗り続けてきたのは…。
そうやって戦い続ければ、頑張り続ければ……教官や皆に褒めてもらえて、笑ってもらえて。
憧れた強さを持つ教官のようになれる、そう信じてきたから。
人を見下すことでじゃない、暖かくて優しくて、そして力強く誰かと触れ合って、そしてその人を
笑顔にできる……。そんな強さを、手に入れたかっただけ。
確かに私は世界に絶望した。でも……人には絶望していない。
私が望んだのは、誰かと一緒に笑いあっていける強さ。
こんな強さが、欲しかったわけじゃない。
でも、どれだけ力を入れても、叫び続けても、私の声は、外には聞こえない。
私を取り囲むこの監獄さえ、破ることができない。
私は、とても無力で。全くの役立たずで。
そんな私は、絶望という常闇の淵から少しだけ立ち上がることのできた私は、ただ涙を流しながら
誰にも届かないだろう助けを、乞い続けるしかできなかった。
誰か私を止めて。
どうしようもない私を、助けて。
助けに来て……教官。
篠ノ之…セシリア…鈴音…デュノア…布仏……。
助けて……………シン・アスカ…………………!
「ボーデヴィッヒィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!!!!!!!!」
声が、聞こえた。
まるで私の目の前に広がる無限の暗闇を、切り払うかのように。
その叫びは、まるで稲妻の如き速さで、私のいる空間全てを席巻する。
暗闇の底から、僅かに息を呑む音が聞こえる。
まるで今まで私に語りかけてきていた奴が、怯んだように感じた。
目の前に浮かぶ映像に、颯爽と現れた彼は。
見たこともないボロボロの、血のようなもので薄汚れたISを身に纏う彼の目には。
全てを燃やし尽くすのではないかという怒りと、誰かを労わるような深い優しさが宿っていて。
そんな彼が息を荒くしながら、私を正面から見据えていた。
私の目から見ても、とてもしんどそうで、立っているのも辛いといった感じなのに。
と、今まで声を潜めていた奴が、重苦しく口を開いた。
『……ヤハリ、カ。ヤハリ立チ塞ガルノカ、シン・アスカ。
ダガ、予想ハシテイタ。兄者カラ受ケ継イダデータカラシテ、奴ガソウイッタ
思考パターンヲ持ッテイルコトハ、分カッテイタカラナ。
ダカラコソ戦闘ニ入ッタ場合、シン・アスカは真ッ先ニ排除セヨトノ命令モ受ケテイルワケダシナ』
「兄者、だと…? 貴様、兄弟がいたのか?
でも貴様は私に巣食った『人間ではない何か』のはず…。
それに命令って…。貴様、一体……?」
『ア〜〜ウルサイナァ。奴ガ出テキタカラニハアンタト戯レテイル時間ハナインダガネェ。
……デモ、ソウダネ。モウスグ『私』ノ自我カラ消エテナクナルアンタニ特別に
二ツダケ教エテヤルヨ。
一ツハ私ニハ今ノ私ノ基トナッタナンバリングガイタトイウコト。
…ソシテモウ一ツハ、私ノ正式ナ名称。ツマリ、名前』
苦々しくもそう呟いていた奴が、その時微かに笑ったように感じた。
そして奴は一拍空けて、ゆっくりとした口調で答えた。
まるでそれが、とてもとても、重要な事柄であるかのように。
『私ノ名前ハ……Dコア、バージョン02ダ……サヨウナラ、私ノオ前様』
それと同時に奴の気配は消え去って、私は漆黒の中に取り残される。
でも私はもうただそこで佇むだけじゃない。
私は力の限り声を張り上げ、檻を叩き始めた。
皆が私のためにあそこまで傷ついてくれたんだ。
シン・アスカが不調を押して出てきてくれたんだ。
当事者である私がいつまでも不甲斐ないままでどうする。
この檻から抜け出すんだ。
そして皆に謝って、許してもらえなかったら許してもらえるまで、謝り続けるんだ。
それが罪を犯した私にできる、最初の贖罪なのだから。
◇
『「アアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!」』
「ぐっ………!!」
俺がアリーナに降り立つと同時に、奴は獣とも人とも区別のつかない雄叫びを上げながら、
黒刀をブンブンと振りまわしながら向かってくる。
さっきまで一夏たちを嬲っていた時と同じ、いつか見たボーデヴィッヒの洗練された動きとは
比べ物にならないくらいの雑な動き。
しかし身に纏っている禍々しいオーラが見るものを畏怖させ、現に俺は今わずかにブルってしまっている。
だけどすぐにそんな逡巡を振り払って、素早く辺りの惨状に目を走らせる。
……一夏。
……篠ノ之。
……デュノア。
皆ISを身に纏っているから命に別状はなさそうだけど、あの苛烈な攻撃を受け続けたんだ。
篠ノ之とデュノアは、完全に意識を失ってしまっている。
唯一意識がある一夏も、『雪片』を杖代わりにして、立ち上がろうとするのが精一杯みたいだ。
それを目の前にて向かってくる化け物がしたんだと思うと、腸が煮えくり返ってくる。
でもそれはボーでヴィッヒに対してじゃない。
彼女を蝕み、こんな惨状を引き起こした『もう一人のボーデヴィッヒ』。
皆の目的も俺の目的も一緒。奴の討伐だ。
しかし一体どうすれば………っ!!
ハッと顔を上げると奴が目の前で黒刀を大きく振りかぶっていた。
俺は右手に素早く『蒼い絆』を展開、構える。
しかし『蒼い絆』では奴の黒刀を受け止めることは難しい。
下手したら一太刀合わせただけで折られてしまうかもしれない、それほどの威力が、その黒刀にはあった。
なので俺は刃を黒刀の鍔に合わせて受け止める。
それでもかかる凄まじい圧力に、思わず膝を折ってしまいそうになる。
何とか受け止めた……けど! これからどうする!?
さっき一夏たちが奴に大ダメージを与えたけど、それでもボーデヴィッヒを正気に戻すことは叶わなかった。
…いや、それも想定内だ。
ボーデヴィッヒがこれほど豹変してしまった訳、それが俺の予想通りISにあるのならば、必ず何か
イレギュラーな装置がISに取り付けられているはず。
そして多分それは、俺の見る限り奴の胸辺りに浮かんでいる、あの球体。
あそこから溢れ出る黒い靄、そしてプレッシャー。
絶対規格外の装置に違いない。
それを肯定するかのように目の前にオープンチャネルが開く。
そこには心配に顔を歪ませた山田さんと、厳しい眼光で俺を見つめる織斑先生の姿が。
『アスカくんっ! また私達の許可なしにアリーナに飛び込んで…!
どうやって客席からそこに入れたのかは分かりませんが、すぐに引いてください!
もうすぐ突入隊が事態の鎮圧に向かいます! だから………』
「っそうも、言ってられないでしょ……!
どのみちこんなに組み合っちまったらもう、遅いですって……ぐっ!!」
『無茶ですっ!! いくらISを纏っているからって、今の貴方は戦闘を行える状態じゃ……!』
「だからって、突入隊を待ってたら一夏たちが危なかっただろ!?
これが今できる最善手なんですよ、山田さん……!
だからこそ、突入隊が来るまでに少しでも現状を良くしておきたいんです!
山田さん、織斑先生……! 奴の、ボーデヴィッヒをおかしくしている装置は、
おそらくこの球体です! こいつだけが妙なプレッシャーを放っている。
ヴェスティージにも、これだけがアンノウンなんです、だから…!
突入隊が来るまで、せめて……こいつだけは破壊してみせます……!!」
山田さんは俺の言葉にさらに顔を歪ませて叫んでいるけど、生憎それに答える
余裕がなくなってきた。
ぐっ……何て力だよ!? 徐々に押されてきた……このままじゃ……!
と、必死な表情の山田さんを下がらせた織斑先生が、険しい顔つきで話しかけてくる。
『……アスカ、私達の方でも調べていたが…お前の予想通り、その球体は本来ISに
装着されているものではない。
それどころかIS研究の総本山ともいえるこの学園でも、そんなものは見たことがない。
それがラウラの精神異常の原因とみて、間違いないだろう。
だが、奴の球体はシールドバリアーに守られている。
その状態からバリアーを突破してそれを破壊するなど無理だ。
お前のISには『零落白夜』のようなシールド突破の能力はないのだから』
「……いや、実はあるんですよ。
この状態からでも片手で使える、シールドを破る力が、『ヴェスティージ』には!」
『なっ………………』
「だから頼みます、突入隊が来るまで、やらせてください!!
俺はもう見たくない! こんなになってまで苦しむ、ボーデヴィッヒを!
だからっ!!!」
今にも押し切られそうになりながらも、俺は『イグナイテッド』を稼動させながら
織斑先生に叫ぶ。
最悪駄目だと言われてもこの球体だけは破壊するつもりだったので、そこまで
叫んで画面から視線を目の前の奴に戻す。
と、チャネルから織斑先生の「……頼む」という小さな声を聞きとどめて、俺は
すぐさま奴を睨みつけた。
地面に片膝をついて、限界まで刀を押し込ませる。
その状態で右手を柄から離し、左手と体全てを使って刀を食い止める。
そしてフリーになった右手を目一杯開いて、奴のシールドバリアーに押し当てた。
「お…………おおおおおおおおおおおおっ!!!」
『「………ウッ!!?」』
さっきと同じ、不可視のバリアーがぐにゃりと歪み、一瞬奴の周り全体に機械的な光が走る。
なおも右手を押し込んでいくと、確かな手ごたえとともに、今まで何かに押し戻されるようだった
右手が、一気に奴の胸元まで突き抜けた。
ビュボッという音とともにバリアーと突破できたのだ。
今まで防戦一方だったけど、やっとここまできた!
あとはこのまま右手で球体を掴んで破壊してしまえば……!
『「アスカ………シン・アスカァァァァァァ!!!!!」』
突如俺の名を叫んだかと思うと、奴は俺と同じようにおもむろに刀から左手を離し、
鋭利なナイフを展開させる。
それを天高く振り上げ、一気に振り下ろした。
ちっ……弱点を狙い撃ちされそうだからやぶれかぶれに攻撃か?
だけどそんなもの、気にする必要もない。
今回はシールドバリアーに随分余裕がある。
奴が俺のそれに刃を突きたててる間に球体を破壊してしまえば……!
グサッ!!!!!
…………………は?
目の覚めるような激痛が右肩を襲い、訳も分からないままにそこを見る。
そこに見える右肩にまるで旗印のように突き立てられたナイフ。
そしてそこから見える傷口から、血が噴水のように噴出していた。
一拍遅れて、その激痛が全身を駆け巡る。
「がっ……………あがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!?????」
ひ……ぎっ!!??
いだ………痛ぃ!!!??
反射的に歯を強く食いしばって、拍子に舌を噛んでしまわないようにする。
左手は使えないし、右腕もナイフを突き立てられた状態では戻せない。
だってナイフの柄にまだ奴の手がかかっている。
俺は遠のきそうになる意識を何とか繋ぎとめながら、身体をよじって奴を引き剥がそうとするけど、
奴は身じろぎする俺を見てその目をだらしなく歪め、左手に力を込めてきた。
ゆっくりナイフの先端が肩の肉を掻き分け、進入してくる。
あまりの激痛に絶叫した。
何故………何故っ!!??
シールドバリアーはまだまだある! なのに、何でナイフが俺の身体に刺さるんだ!?
おかしいじゃないか!? 『絶対防御』が発動しないのはまだしも、シールドバリアーが
発動しないなんてことがあるのか!?
だってモニターにはまだエネルギー残量が表示されているのに……!!
と、不意に頭の中に聞こえてくる下卑た声。
まるで嘲笑するような奴の声が、俺の極限まで混乱した意識を、さらにぐちゃぐちゃにしてくる。
『ヒヒヒヒヒ……いいぜぇご主人サマよぉ。どんどん力が流れ込んでくる。
それに比例してテメェの体から血が流れ出てるがなぁ……ヒャハハハ!
まあ、それは今はいいんだ。俺様はそれを有難く頂くだけだからなぁ。
…さっきイグナイテッドの使い方について説明したよな?
その時言ってなかったことを、説明しにきてやったんだ。
このまま混乱したままテメェが死んじまうのは、俺様としても本意じゃないんでねぇ』
「ぎっ……ギギギ…………っ!!!
どういう………ことだよっ…………ぎゃああああ!!!!」
『おーおーエゲつねぇ。奴さんナイフを動かして傷口をぐりぐり抉りやがった。
明らかにテメェを苦しませるためだったよな今の。ナイスファインプレーだ。
っといけね、話が反れちまったな。
実はな、この万能なイグナイテッドにも、ちょっとした欠陥があってな。
どんなエネルギーにも干渉できるこれを起動させるには、膨大なエネルギーが必要なんだよ。
いくら干渉できるっつっても、相手のエネルギーを拝借して自分のものにできるってわけじゃない
からよぉ。そのエネルギーは自前で用意しなくちゃならないんだ。
そのエネルギー量が半端なくてな。俺様の中からかき集めてこなくちゃならない。
なんで実はこれを稼動させると、シールドバリアーのエネルギー全てを使っちまうことに
なるんだよ……ヒャーーーーーーハハハハハァ!!!!!』
なっ………何だよそれ……。
だってモニターには残量が表示されてたじゃないか。
それにエネルギーを全て使うって、ISは普通に動かせていたし……。
『あぁ、寝ぼけてんのかご主人サマよぉ?
俺様はヴェスティージそのものだぜ?
テメェが勘違いするように残量の数値を誤魔化すなんざ朝飯前なんだよ!
だってこの能力をテメェが警戒して使わなくなったら俺も困るしよぉ。
それとISが普通に飛行したり攻撃したりするエネルギーはもちろん残ってるぜ。
でないと全く意味なくなるからな。
あくまで防御……シールドエネルギーに回していたエネルギーだけだ。
……ああ、違うか。もう一つあった』
「な、何だよ……まだ何かあるのか………グゥっ!!!」
『テメェ疑問に思わなかったか?あの正体不明のISが飛び込んできた時、
奴のシールド突破によってテメェは腹部に重症を負った。
しかしおかしいよなぁ?だって確かにテメェはあの時自分のシールドバリアーの
エネルギーを使って盾を展開して。
それが突き破られたのだから怪我を負った。
しかしあれは致命傷だった。ならば『絶対防御』が発動するはず。
だが、実際には発動しなかった。つまり、どういうことだと思う?』
そこまで言われて、今の今までバラバラだった考えが、一つの答えに結びつく。
あの時に感じた疑問、その答えがおぼろげながら浮かび上がって、俺の頬に
脂汗以外の汗が一筋流れる……とても冷たい汗が。
『そうだ……つまり防御の最終絶対防衛ライン『絶対防御』。
これに回していたエネルギーも、イグナイテッド稼動につぎ込まれちまうのさ。
例え自分のエネルギーを盾に変えようが相手のエネルギーに干渉しようが、
それは変わらない。 つまりイグナイテッドを稼動させると『絶対防御』は
その間使用不可能になっちまうのさ……ギャハハハハハハハ!!!!!』
「………は、ははは………」
『ああちなみに、今までテメェは自分のエネルギーを盾に変換するだけだったから、
使用後そのエネルギーをシールドバリアーに戻すことでバリアーを保つことが
できていたが、今回は違うぞ。
相手のエネルギーに干渉する場合、つぎ込んだエネルギーは戻ってこない。
しかも今回テメェは二回もイグナイテッドを稼動させた。
もう防御に回せるエネルギーはすっからかんだ。
つまりもうテメェは奴の攻撃を防ぐ術がねぇ。
防御の観点から言えば、テメェはただの一般人も同じだ。
……これで、俺様からのレクチャーは終わりだ。
分かったらさっさと離脱しやがれ。俺様は今回十分力を蓄えた。
これ以上はテメェが死んじまう。それは俺にとっても困る。
だからさっさと奴を見捨てて離脱を………?』
何がおかしかったんだろう。
奴の説明の途中から話の全容が分かってしまった俺は、知らず笑みをこぼしていた。
別に自暴自棄になったわけじゃない。ただ、何かが吹っ切れたってだけだ。
奴の思惑なんざどうでもいい。
要はもう、後には引けない状況なんだと、そういうことだ。
ここで肩のナイフを何とかして離脱すれば、もしかしたら命だけは助かるかもしれない。
奴がそれを許してくれるとは到底思えないけれど。
…………でもさ。
…………………俺が、それを選択するとでも、思ってるのか?
「ウガァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!」
『「ギッ!!? アガガガガガガガガガアアアアアアアア!!!!!?????」』
俺は雄叫びを上げながら右手をさらに奥へと潜り込ませ、球体を鷲掴みにした。
すると奴は目に見えるくらいに仰け反り、今まで全身を覆っていた靄が、一気に霧散する。
そこには白目を剥きながらだらしなく口をパクパクさせるボーデヴィッヒ…いや。
『もう一人のボーデヴィッヒ』の姿があった。
やはりこれが急所だったらしい。あからさまにダメージを受けている。
今まできつく結んでいた口端を、ようやくつり上げることができた。
『て、テメェ! 何してやがる!?俺様の話を聞いてなかったのか!!?
あと一発でも攻撃をまともな攻撃を喰らえば、テメェは死ぬんだ!!
何よりも死を恐れるテメェからすれば、それは耐え難いことのはずだろうがぁ!!??』
…ああ、確かにその通りだよ。
俺は死を恐れている。だって俺は今まで死んでいった人たちに、
色んな想いを託されているんだから。
簡単におめおめと死ぬわけにはいかない。だから、死ぬのは怖い。
だけど、だけどなぁ……。
アンタは一つだけ、俺を勘違いしてるんだよ。
「目の前で仲間が、友達が、理不尽に傷つけられて、俺が黙ってるとでも、思ってるのかよ?
なぁに……要は死ななきゃいい話なんだ。
奴はこの球体を握っただけでこれだけ悶絶している。
もうまともな攻撃なんざできやしないんだ。
だからこのまま球体を破壊しさえすれば、それで済む話なんだよ…簡単だろ?
カカ………カハハハハハハ……………!!」
『て、テメェ……俺様の予想を超えて……イカレてやがるぜ………!!』
イカレている? それがどうした。
それで誰かがこんな暴虐から助かるなら、安すぎるってもんだろ。
こんな俺がイカレることで、誰かが助かるなら。
いくらでもおかしくなってやるよ………………カハハハ。
俺はISの握力を生かして、最大限まで力を込める。
この球体、そんなに硬くないらしく、ミシミシと軋むような音を立てている。
もう奴は俺にされるがままになり、棒立ちだ。
俺は『蒼い絆』をしまい、バリアーの穴から左手を入れて、両手を球体を掴む。
………熱い。
この球体、恐ろしく熱を持ってる。
掴んでいる手のひらのパーツが凄まじい熱を持って、それがその下にある
俺の手を焼いていく。
脂が焼けるような臭い匂いが少しずつ鼻につき始めるが、その痛みを歯を食いしばることで耐える。
あとちょっと……あとちょっとなんだ……あとちょっとで…………!!??
と、今まで白目だったそこに、ギュルンと光が戻る。
奴は血走った目で俺を睨みつけながら、右肩に刺さったナイフを抜くと、それを俺の
眉間目掛けて勢い良く振り下ろした。
まるで、時が止まったようだった。
あれ………? もしかして俺、死んだ?
ここまで来て、あと少しだったのに………。
ちょっと待ってくれ、嫌だぞ俺は。
ここで死んだら皆に…。
レイやグラディス艦長たちに、何て言えばいいんだよ?
父さんにも母さんにもマユにも……ステラにも、顔向けができねぇよ。
そもそも、俺は当然地獄行きだろうけど、それでも、嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だっ!!!
まだっ! まだ死にたくないっ!!
俺はまだ、まだ…………何も……!!!!!!
だけどいくら念じても振り下ろされるナイフは止まるわけがなくて。
それが俺の眉間を貫こうとしたその時、その直前でナイフがその動きを止めた。
…………っ!!???
止まった? どう、して………………?
訳が分からず呆然としていると、頭上からボソボソと何かが聞こえてくることに気付く。
ハッとして振り仰ぐ。
すると今まで血走ったそれではなく、涙に濡れた優しげな赤い瞳と目が合った。
混沌にあった意識が、その瞳を見て少しずつ平静を取り戻していった。
「『……シン・アスカ……。私を……私を、止めてくれ……』」
「…ボーデヴィッヒ? まさか、ボーデヴィッヒなのか!?」
「『ごめ……なさい、シン・アスカ。こんなに、傷つけてしまって……。
……私は、こんなこと、したくないのに……。
体が、どうしても、言うことを聞いてくれない………』」
しゃくりあげるように拙く喋るボーデヴィッヒの言葉は、しかし今まで聞いた
ボーデヴィッヒのどの言葉よりも、俺の心に響く。
今まで『もう一人のボーデヴィッヒ』に体を乗っ取られていたはずなのに、
それでもこうして俺に謝罪をしてくるボーデヴィッヒの姿に、心の奥から
忘れていた何か暖かい感情が呼び起こされるような気がする。
俺はなおも涙を流す彼女に笑いかけ、痛みをこらえながら、何とか言葉を返した。
「……ボーデヴィッヒ、サンキューな。
お前が出てきてくれなかったら、俺はこの攻撃で死んでた。
お前は俺の命の恩人だ。
…大丈夫、ボーデヴィッヒ。俺がお前を止めてやる。
だからお前は安心して、俺に全てを任せてくれればいい」
「『あ……あり、がとう……シン。
私も出来る限り、奴を食い止める……だから……。
私を止めて、皆を、救って………頼む………。
………………ぐ、グッ!!!!!!!?????
アアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!!!!」』
再び瞳に狂気の光が宿る。
しかし変化があった。
奴は両手をダランとさせて、先ほどのように立ち尽くす。
しかも奴は体を動かそうと必死にもがいているが、どうしても動くことができないみたいだった。
……ボーデヴィッヒ、有難う……。
俺はほんの数瞬だけ目を瞑って、目を開けると同時にあらん限りの力で球体を握りしめた。
奴は口から泡を吹き出しながら痙攣している、やっぱりかなり効いている……あと少しだっ!!
俺はとどめとばかりにその球体を思いっきり引っ張る。
こんな穢れたものをボーデヴィッヒの近くに置いておくなんてとんでもない。
いますぐ、引っぺがしてやる!!
そう息巻きながら徐々にその球体をボーデヴィッヒの体から引き剥がしていたところで、
横っ面に凄まじい衝撃が襲った。
「がごっ!!!!! ごはっ!!?」
『「ガアアアアアッ!! イヤ……セッカク自分ノ体ヲ手ニ入レタノニ……。
死ヌノ…………イヤアァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!」』
揺れる視界の中奴を見ると、左手がぎこちないながらも動いている。
こ、こいつ……ボーデヴィッヒを振り切って、自力で動いてるっていうのか!?
そしてその左手に装着されたアーマーには血が滴り落ちている。
どうやらこれで、俺を殴りつけたらしい。
と、奴は俺に憎悪の瞳を向けながら手を振りかざした。
『「死ネェェェェェェェェ!! シン・アスカァァァァァァァァァァ!!!
貴様ノ状態ガ限界ニ達シテイルコトハ分カッテイル!!!
コノ攻撃ニ耐エラレルハズガナイィィィィィィィィィィィ!!!!!!」』
奴はまるで子どものように左手をブンブンと俺の顔目掛けて振り下ろす。
隕石のような重さの拳で頭を殴られ、右頬を殴り飛ばされ、その衝撃で左を向く前に左頬を殴られる。
顔面を文字通りの鉄拳がロケットのような勢いで殴りつける。
痛い、顔中から火が出ているようだ。
さっきから目の前に火花でも散っているような錯覚を受ける。
でも、両手の力は緩めない。
さらに力を込めて、最後の仕上げとばかりに体を強引に捻って後ろに倒れこもうとした。
だが、そこで……………。
『「止メロォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!!!」』
下から入った強烈なアッパーカットが、下顎を跳ね上げた。
あまりの衝撃に視界が、世界が暗転する。
今まで張り詰めていた緊張が一気に弛緩し、足から、体から力が抜ける。
全てが真っ黒に塗りつぶされていく中、どこかで、誰かが俺を呼ぶ声がした。
・
・
・
・
・
………あれ? ここって……………。
気が付くと、360度見渡す限り無限に広がる花畑にいた。
服もザフトの軍服じゃなく、かといってIS学園の制服でもなく。
俺の数少ない私服であるねずみ色のパーカーに白のTシャツ、そしてジーパン。
前後の記憶も定かじゃなくて、朦朧とする頭で辺りを見回すと、俺のすぐ横に
巨大な木がそびえ立っていることに気付く。
あれ? この木、どこかで………。
と、ボ〜ッとその木を見つめていると、ふと誰かから声をかけられた気がして、
何気なしにそちらを振り向く。
そこにいたのは、俺が会いたくて止まない人たち。
皆笑顔で、優しく俺を見つめていて。
そして、一番前の柔らかい金髪の彼女が、俺に微笑みかけた。
「………シン。こっち………来る………?」
「え? 何だよいきなり……。俺はまだ行かないよ、……行けないよ。
皆が命をかけて紡いできた想いを、俺が途切れさすわけにはいかないだろ?
何でそんなこと言うのさ、ステラ? ていうか、俺。何でまたここに?
それは、とても嬉しいけどさ………」
頭を掻きながら、素直に疑問を口にする。
ここにいる皆になら、俺はどんなことでも話すことが出来る。
だから聞いた。何で俺、ここに?
どうもさっきまでの記憶が曖昧なんだよなぁ。
なんて首を捻っていると、ステラがとても悲しそうな顔をしていることに気付く。
訳も分からず慌てていると、ステラは静かに俺に話しかけてくる。
そんなの放っておいて彼女を抱きしめてやりたかったけど、前と同じで俺の足は
ここから一歩も動かなかった。
「シン……辛そう。 いつも、泣いてる……心。
私たち、気付いてる。皆、もういいって、言ってる。
私も、必死にシン、支えてる。
でも、アイツの力、強すぎる。
シンのこと、少ししか、支えられない、助けられない。
もう、シンが頑張るの、見てるの、辛い……」
ステラは最後は涙を流しながら、そう言った。
見ると後ろの皆も悲しそうに顔を歪めている。
父さんたちに至っては泣いている。
俺は皆のそんな顔、見たくない。
せめてこんな綺麗な場所では、泣いてほしくない。
「お、おい………そんな顔しないでくれよ。別に俺は、そんな辛そうになんてしてないよ。
だから、笑ってくれよ。皆も……ステラも。
俺、いつかはそっち行くからさ。皆から受け継いだこの想い、きっちり果たしたら。
本当に悪いけどさ、待っててくれよ、皆。
俺、もっともっと頑張るからさ。
皆が死んじゃったことに、ちゃんと意味があったんだって。
無理やりにでもそう意味づけできるようになるまで。
頑張り続けるからさ。だから……待っててくれよ、な?」
皆に笑顔でいてほしくて、アタフタしながらそうなだめる。
もちろん口からでまかせってわけじゃなくて、紛れもない俺の本心だ。
ステラたちと笑顔で過ごすのは、全てが終わってからだ。
全てが終わった時、その時こそが、俺が戦いを止める時なのだろうから。
そんな俺の気持ちが伝わったのだろうか。
ステラはまだ涙を流したままだったけど、精一杯に微笑んで見せてくれて。
そして、震える声で、でも優しげな口調で、こう言った。
それを聞くと同時に、俺の意識は暖かい風の中に溶けて、暗転していった。
「……ステラ、皆、待ってる……」
「…………いつまでも、待ってるからね…………………」
・
・
・
・
・
「………………オオオオオオォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!!!」
『「ガッ………!!?? ヒガァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!???
ナゼ………ナゼ………!? 常人ニハ……マシテ衰弱シキッタ貴様ニ耐エラレル
攻撃デハナイノニ…………!!??貴様……貴様ハ………イッタイ……………!!?」』
ぐっ……くそったれ……!! 一瞬意識が飛んでた……!
いくらボコボコにされたとはいえ意識を失くすなんて、なんて体たらくだ!
でも、ついに球体をバリアーの穴付近まで持ってくることに成功した。
もう奴は殴る力さえないらしく、白目を剥きながら涙を流している。
口からはだらしなく涎が垂れていて、体がユラユラと揺れている。
……もう、これで終わりだ。
この球体が何なのか、そもそもコイツは何なのか、疑問は尽きないけど。
一番大事なのは、ボーデヴィッヒが元に戻ることだ。
俺は一つ息を吐いて、残った力を全て両手に込める。
そして球体を引き剥がそうとしたところで、奴が呻きながら声をかけてきた。
『「シン・アスカ……。止メテ、私ヲ、殺サナイデ………」』
「………は? 何だと?」
『「私ハタダ、本当ノ私ニナリタカッタダケナンダ。
コイツのISに取リ付ケラレテカラ、私ハズット、ソレダケヲ考エテイタ…。
誰ダッテ嫌ダロウ、宿主ノ奥底デ潜ムダケノ生ナンテ……。
私ハタダ、体ガ欲シカッタダケナンダ。自分ノ体ガ……。
ドコカニデモ行クコトガデキル足ト、何ニデモ触レエル手ガ、欲シカッタダケナンダ…。
ダカラ、私ヲ消サナイデ……。オ願イ………シン・アスカ………」』
一瞬、躊躇する。
だって奴の言葉はあまりに切実で、今までの罵詈雑言のそれではない。
奴の、心からの本心だと、分かってしまったから。
……でも、それだけだ。一瞬、躊躇した。ただ、それだけだった。
だって………。
「でも、お前の願いを聞いたら、ボーデヴィッヒは元に戻らないだろう?」
『「っ!!ソ、ソレハ…………」』
「アンタの言葉、願い、分かったよ。今の言葉、本当なんだろうな。
でもさ、俺が助けたいのは、アンタじゃないんだ。ボーデヴィッヒなんだよ。
俺さ、本当は皆助けたい。もちろん、アンタもだ。
だけどさ、俺はそんな力、ないんだ。
今の俺の願いはただ一つ、元のボーデヴィッヒに戻って欲しい。ただそれだけなんだよ。
だから、悪いな」
奴の顔が絶望に歪む。
でも俺は心を凍らせて、力を両手に込めた。
そして、全力で、引っ張った。
「でやああああああああああああああああああああっ!!!!!」
『「イヤダァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!!!!!!!」』
球体が完全にボーデヴィッヒの体から離れた。
それと同時に球体は音もなく崩れて、風に乗ってどこかへ飛んでいく。
そして糸が切れたようにボーデヴィッヒの体が弛緩して、倒れ込む。
その前に何とか彼女の体を支えることに成功した。
彼女は意識を失っていたけど、その顔はとても安らかで。
俺は全てが終わったんだと、妙な苦々しさを噛み締めながらも、ゆっくり息をついた。
ふと顔を上げると、さっきまで辺りを漂っていた黒い靄の一部が、ヴェスティージに
纏わり付いて、そのまま消えた。
その意味は分からなかったけど、ようやっと突入隊がこちらに向かってきているのに気付いて、
俺はそっと意識を手放した。
体中は痛かったけど、特に手のひらが痛かったけど。
それでもとても暖かい想いが、俺の胸を満たしていた。
◇
「アスカ……どこにいったのだ!?急に医務室から消えるなんて……。
まだ応急処置が、済んだばかりだっていうのに……!」
私は救急箱片手に宿舎内を走り回っていた。
時刻は既に午後七時を回ろうとしている。
『学年別トーナメント』はラウラの謎の暴走により中止。
私はラウラにISが大破するまで攻撃され、その衝撃で意識を失っていたらしい。
目が覚めたら第一医務室にいて隣のベッドにシャルが横たわっていて、二人とも目を覚ました頃に、
織斑先生と頭に包帯を巻いた一夏が入ってきた。
そして、そこであの後何が起こったのかを聞いた。
私とシャルは、織斑先生の話しに半ば錯乱してしまって、話が終わると同時に部屋を飛び出して、
別校舎の第二医務室へと駆け込んだ。
IS学園はISという特殊な兵器を扱っているため、各校舎に保健室を備えている。
まあISは絶対的な安全性を保障された兵器ではあるが、未だその研究は未知数。
要は何が起こるか分からないので、という意味合いらしい。
でもそこには既にアスカの姿はなく、今は皆で手分けして探している、そういう状況なのだ。
アスカ……アスカ……アスカ………っ!
話を聞く限り、一番重傷らしいのにどこに行ったんだ!?
先生の話だと、アスカは突入隊が到着するよりも早く事態を解決してしまったらしい。
証拠の映像も記録することができたし、ドイツ軍に事の次第を追及することもできる。
でも、私にはそんなことはもう関係ない!
アスカに無理をしてほしくなかったから私たちが戦ったのに、そんな馬鹿な話があるものか!
どうして……どうして、アスカっ!!
当てもなく探していた私は、ふと思い当たって別校舎の第三医務室へと足を向けた。
確かそこにはラウラが担ぎ込まれたはず。
アスカなら、ラウラのことを心配してそこに行くかもしれない。いや、その可能性しかない!
私は急いでそこへ向かって走る。
ただ、心配だった。アスカのことが。
今無理して倒れでもしたら、今度こそ……!!
そんな不吉な考えを振り払いながら長い廊下を走っていると、ふと曲がり角からなにやら
うめき声のようなものが聞こえてきた。
その声に聞き覚えのあった私はすぐさまその角を曲がって、叫んだ。
「あ、アスカぁ!!」
「グゥゥ………ん? あ、ああ……篠ノ之、か?
良かった、何ともないみたい、だな……」
医務室の少し離れた廊下に両膝をつき、苦悶の表情で両手を凝視していたアスカは
私に気付くとぎこちない笑みを向けてきた。
そこには偽りのない喜色が込められていて、私の胸をより締め付ける。
私は改めてアスカの姿を確認する。
アスカの顔はまるでトマトのように腫れあがっていて、喋るのすら辛そう。
右肩には包帯が何重にも巻きつけられているけど、それも三分の一くらいが赤く染まっている。
そして何より、両手の平は隙間なく包帯でグルグル巻きにされていて、それは既に全体が
真っ赤に染まっていた。
「な、何でこんな状態で出歩いてるんだ!? 皆お前を探して駆け回ってたんだぞ!?
とりあえず、そこの長いすに座れ!救急箱を持ってきてるから、すぐに包帯を
取り替えてやる!」
「……………ん。頼む、篠ノ之。ちょっと痛くてさ、まいってたんだ……」
いつもならば大げさなくらいに遠慮するアスカが、今日に限っては素直に従う。
フラフラと、いつも以上におぼつかない足取りで長いすに腰掛けると、がっくりと
うなだれて、両手を私に差し出してきた。
さっきアスカは手のひらをじっと凝視していた。
きっとここが一番痛いのだろう、今もプルプルと小刻みに震えている。
私はなるべく痛くないようにゆっくりと包帯をほどいていく。
そしてその全てが露になった時、言葉を失った。
「っ!!!!!????? ………こんな………。こんなことって…………」
「………………………………悪いな。グロテスク、だろ?」
力なく笑うアスカを見て、必死に首を横に振る。
アスカの顔を見ていると、泣いてしまいそうだったから。
…いや、もう既に泣いてしまっている。だって、だって………こんな傷。あんまりじゃないか……。
アスカの手のひらは両方とも肌色が見えないくらいにグチャグチャになっていて、所々が黒ずんでいる。
一体どうやったらこんなになってしまうんだ……!!?
手の形が残っているのが不幸中の幸いと喜ぶべきなのか。
実際アスカはそう思ってるらしく、ただ笑みを浮かべて、項垂れた。
私は歯を食いしばりながら、震える手で包帯を優しく巻いていく。
でも巻いた端から包帯は赤く染まっていって。
それでも私は泣きながら包帯を何重にもきつくない程度に巻いていった。
そしてそれを巻き終えた後、彼の顔を見つめる。
…とても痛々しく腫れあがった顔。
瞼も腫れていて、目が開いているのかすら定かじゃない。
でも、私には分かった。アスカの瞳は、とても穏やかな光を宿している。
表情も分かりにくいけど、とても満足げに緩んでいる。
…分からなかった。こんなになってまで、そんな顔ができるアスカが。
だから私は頭の整理もつかないまま、聞いていたんだ。
「……アスカ、私は意識を失った後、何が起こったか事細かには知らない。
でも、お前がとてつもない無茶をしたことくらいは分かる。
どうしてだ……?どうしてこんなになるまで、お前は……」
「…………………守りたかったんだ………………………」
「守りたかった? ラウラを、か?
それは私も、一夏も、シャルだって同じ気持ちだ。
ラウラが助かったと聞いて、正直とてもホッとしている。
でも、こんな怪我をして、今だってとても痛いんだろう?
何でそこまで穏やかな表情ができる? 少しはラウラに対して、何か思わないのか?」
言葉は悪いかもしれないけど、こんな怪我を負ったのはラウラが原因だ。
ラウラを責めるつもりは毛頭ないけど、ここまでの重傷を負ったアスカなら、
何かしら思うことはあるはずなのに。
でもアスカはゆっくりと首を横に振ってから、顔を伏せて、囁くように呟いた。
「……なあ、篠ノ之。もしさ、自分の全てを使って、どうしようもなく苦しんでいる人を
助けられたなら、それはとても素晴らしいことだと思わないか?
俺は……一夏みたいに『俺がやりたいからやる』なんてカッコいい理由で命は張れない。
あの時は『俺がやらなきゃいけない』から、俺が飛び出した。
そうしないと、もしかしたら誰か死んでたかもしれない。
ボーデヴィッヒが、大変なものを背負うことになっていたかもしれない。
いつも、どんな時でもそうだったんだ……。誰も死なないように、少しでも被害が少ないように……。
エースと称されていた俺たちが駆りだされた。それで少しでも被害が減るならって……。
でも、でもさ。それでもいいって、思えるんだ。
俺はさ、篠ノ之。何の価値もないんだ。ただただ戦って壊すだけの存在。
今も……多分、これからもずっと。
だけど、さ。そんな俺でも誰かを助けられたなら……それって、とても素敵なことだと思うんだよ。
だから、俺は何も思わない。ただ、嬉しいんだ。だって、ボーデヴィッヒも助かったし。
何より俺、生きてるからさ………」
まるで壊れた人形のように虚ろな瞳で喋り続けるアスカを、私は無意識の内に抱きしめていた。
話の中ほどでアスカの言っていたことは意味が分かりかねたけど、その言葉は、とても
心に突き刺さって。私も囁くように、こう言っていた。
「アスカ……もし、心からそう思っているのなら……。それはとても、悲しいことだぞ……」
それからしばらくその体勢のまま過ごしていたが、後ろから足音が聞こえてきて、振り向く。
そこには何かを決意したような表情のシャルが立っていて、私は何を言われずともに悟る。
…そうだったな。ラウラも助かったのだし、アスカに伝えないといけないものな。
私はシャルにアスカのことを任せると、その足で校舎の外に出る。
その時既に私もある決意をしていた。
揺るぎようもないそれに突き動かされるように、私は携帯電話を取り出して、ある番号に電話をかける。
数コール後に聞こえてきたその間延びした声に、わずかに心がかき乱される。
「……………姉さん」
『うんうんっ!! 言わなくても以心伝心っ! お姉ちゃんには分かってるよ。
もちろん、用意してあるっさーーー! 世界に一つだけの花……でなく機体を、さ!
君の心からの願い、たった一人の男性を守り抜くための力。
これからもさらに修羅の道を歩いていくだろう彼の横に並び立ち、支えていくための力。
何より、彼を無限の狂気から呼び戻し、この世界に繋ぎとめておくための力。
その名を………………』
終始ハイテンションだった私の姉、篠ノ之束は一拍おいた後、聞いたこともないほどの
真剣な声で、厳かに囁いたのだった。
『――――――良妻賢母』
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