男は苛立っていた。
それはもう先ほどから絶え間なく膝をカクカクと揺らし続け、二本目の
クリュグに手を伸ばそうとするくらいに。
密談自体は無事に終わった。
来週末からヒッカム空軍基地にて行われる広域殲滅型IS『銀の福音』の試験運用について、
自らが心血をもって開発した『FT』システムを組み込んでの稼動。
国際条約では当然認められていないこの違法なシステムを使用することを承諾させて、
意気揚々と凱旋する。
長年の悲願であったこのシステムがようやく実験段階へとこじつけたのだ。
帰りのリムジンの中、最高級のワインで早めの祝杯を上げるくらいに男は高揚していた。
そのはずだったのだが……。
せっかくスルーウェイを通ってきたというのに、ニューヨークに近づくにつれこの混雑。
いくらかの都市ではこういった渋滞は日常茶飯事とはいえ、こんなめでたい日くらい
気分よく帰らせてほしいものだと溜息を漏らす。
そして何より、ハイウェイに乗ってからこっち、クチャクチャという不快な咀嚼音が
耳をついて離れないのだ。
男は耐えかねたようにカツンと持っていたグラスを乱暴に置くと、対面に腰掛ける
大男に噛み付いた。
「ドニュー殿! 貴っ様ぁ…さっきからモグモグクチャクチャとぉぉ……!
シラキュースを出てからずっとだぞ!?
いい加減そのような不健康極まりないジャンクフードを貪るのは止めたらどうだ!?
鬱陶しくて仕方がない!」
「ふん、偉そうにがなるなDよ! そもそも儂は此度の会合は今後の我々を左右する
重要なものだと聞いていたから同道してやったのだ!
なのに何だ!? 大規模な戦闘など皆無!
どこぞの傭兵くずれや暗殺者が二度ほど襲撃してきただけではないか!
仕方がないからこのやり場のない鬱憤を暴飲暴食にて発散しているわけなのだ!」
「それだけ襲撃を受ければ十分だろうがっ! そもそも貴殿を今回護衛として連れてきたのは
そういった連中から私を護ってもらうために他ならん!
私はあらゆる方面に敵が多いからな、私の命を狙わんとする不届き者を貴殿に誅して
頂きたかったのだ! ISを使わん白兵・銃撃戦において貴殿の右に出るものはおらんからな」
ドニューと呼ばれた大男はDと呼ぶその男の言葉に気を良くしたのか、鼻を鳴らして
持っていた最後のチーズバーガーを口に放り込んだ。
2リットルボトルのコーラをラッパ飲みすると、ポッケからハンカチを取り出し口元を
丁寧に拭いている。
ふうと息をつくとライオンのような金色の髭をモシャモシャといじりながら、その筋肉の
塊のような巨体でずずっと詰め寄ってくる。
「しかしDよ、軍部の奴らがよく我々の提案を呑んだな?
いくら主が多額の資金を援助してやっているとはいえ、来週稼動予定のISに得体の
知れぬシステムの搭載を許可するとは…」
「…ふん、奴らも凡愚ながらに我々の目的について賛同しているということだ。
ISは未だ奴らにとって研究途中の兵器。稼動途中で不自然な暴走があったとしても
足さえつけなければいくらでも言い逃れのしようがあるというものだ。
それに、どこの世界に自分より年下の小娘に頭ごなしに怒鳴られたい男がいる?
えてして軍のお偉方というのは旧態依然とした考え方にこり固まっているものだ。
女尊男卑など、まともに受け入れられるわけがあるまいよ。
私としては、そこに付け入らせてもらっているわけだがな」
「その張本人が、しゃあしゃあとよくもまあ…」
ドニューは呆れながらも苦笑し、残りのコーラを飲み干した。
そして同じくワインを口で転がしながら飲み込む彼を見つめ、口を開く。
笑みを消したドニューの顔に浮かぶは、長年戦場を渡って来たものだからこそできる、
冷徹で、それでいて闘志に満ちた冷笑。
「……Dよ、儂らの革命を実現させるものとして主が開発してきた『FT』と『JT』。
これは本当に主のいう『人間を凌駕せし力』と為り得るのか?
既存の『VT』と遜色ないものであるならば、儂らの切り札とは到底言えん」
「それについては何度も言うが、心配はいらん。
私が知りうる限りで最強の存在をモデルにしたトレースシステムだ。
奴らの動き、能力を長年かけて再現したのだからな。
ただの一般兵でもこれを使いこなせればまさしく人外の強さを発揮できる。
…まあこれを操れるのは熟練の兵士でもそうはいないだろうが」
「いくら強いといってもただモデルの動きを再現しただけでは最強足りえん。
そもそも儂が主に組した時点でこの二つのシステムは既に完成間近だったはず。
それが実戦に投入されるのがここまで長引いた理由は何だ?
将来それを使用する身としては詳しく聞いておきたいと常々思っていた」
Dはふむ…と呟くと、おもむろに傍らにあったリモコンを手に取り、モニターをつける。
そこに映し出されたのは全身に砲を取り付けた異形の怪物。
それと相対するはボロボロのISを纏い、ビームを撃ちながら弾幕の雨をかいくぐる一人の少年。
ドニューは眉をひそめ、画面を見ながら尋ねる。
「これは…初めてゴーレムを彼奴等の拠点へと送り込んだ際の映像であるな。
主のご執心の小僧が仲間と共に破壊してしまったが…」
「ドニュー殿、貴殿は奴の…シン・アスカの戦いぶりを見てどう思う?」
話を振られたドニューは一度見たことのある映像をじっくりと見つめる。
数々の戦場を己の力で切り抜け、生き延びてきたドニューだからこそ分かる。
少年の力量、気迫…彼はそれと己の力を比べて、答える。
「…まだこの年齢で大した能力だと思うぞ。
動きを見るに場数もそれなりにこなしているようだ。
度胸も一流だし、何よりこの燃えるような気迫!
これは戦場を渡り歩く歴戦の士にも引けはとるまい。
しかし、それでもこの小僧の力は対抗できるレベルだ。
仮に儂とキレン殿がISを駆って奴に襲い掛かれば、撃破するのは難しくはない。
だが……」
一拍置いて再び目を開くと、そこには凍えるほどに研ぎ澄まされた戦士の瞳。
ドニューはDの持っていたリモコンをひったくると、ある場面で停止させた。
「ここだ」
「……………………」
「小僧がゴーレムによって腹に穴を開けられてからだ。
ここから奴の動きが別人の如く変わった。
あれほどの重傷を負いながら、その力は傷を負う前とは比べ物にならない。
力強さも、スピードも、反応速度も、何もかも!
通常を遥かに超えた…いや。まさに化け物じみた強さだ。
どういった手品を使ったのかは知らんが、こいつを相手取るとなると、ちと厳しい。
こちらも相応の覚悟をせんとならん」
ほんの少しの間、狭い車内に立ち込めていた張り詰めた空気が、唐突に破られる。
Dの賞賛の声と、緩やかな拍手によって。
「ヒヒヒ…、流石は誇り高きハイランダーの戦士、ドニュー・バズロン殿!
地にまみれてもその慧眼は少しの衰えも見せんな!
そう、貴殿の言うとおり奴の異常なまでの戦闘能力の秘密はそこにある!
そしてそれこそがFTを今日まで運用できなかった理由なのだ!」
「…心にもない世辞などよい。それよりどういうことだ?
小僧の豹変がその理由などと…」
Dはグラスを揺らしながら、ゆらりと視線をモニターに戻す。
そこに映る少年の姿を、まるで恋人でも見るかのように。頬を上気させながら。
「…察しの通り奴は我々にはない特殊能力を持っている。
十万人に一人? いや百万人に一人?
その割合は分からぬが、しかし私の知っている研究者の間でまことしやかに
囁かれていたその能力……名を『SEED』という」
「……シード……」
「まあ私も最初は半信半疑だったのだがな。
私の大嫌いなある男がその研究をしていてね。
そのデータを『偶然』発見してしまったのだよ……ヒヒヒヒ……」
Dの顔が徐々に歪んでいく。
枯れ果てた初老のそれから、禍々しい悪魔の如き笑みへと。
ドニューでさえ思わず顔を険しくするほどの、邪悪。
「これはチャンスだと思ったのだよ。このFTのモデルもまさに怪物のような強さ
だったのだが、いざそれのトレースを開発してもその能力を完全には再現できなくてね。
しかしその理由にようやく気付けたのさ。
FTとJTのモデルとなった二人の青年。そやつらも同じく『SEED』の力を有していたと。
だからこそ…」
「小僧にゴーレムをぶつけて、『SEED』とやらを発揮した場合の戦闘データを
サンプリングしたと、そういうことか」
「ご明察! まああの戦いには私個人の私怨も多分に含まれていたのだがねぇ。
しかしそれによって欠けていた最後のピースを手に入れて、ようやく完成したのだよ。
……まあ、実際は完全完璧に完成したわけではない。
奴のデータに加え『越界の瞳』を持つラウラ・ボーデヴィッヒの戦闘データも取得し何とか形にしたが…。
それらのデータだけではまだ不十分だ。もっと『SEED』を発揮した際のデータを
取らなければならない。だからこその試験的な実戦投入というわけだがね」
長い高速道路を抜け、渋滞もようやく通過したその先に、ようやく七十階はあろうかという、
シティのオフィス街にそびえ立つ自分の城が見えてくる。
横目でそれを見とめると、Dはモニターを消してグラスに残っていたクリュグを一気にあおった。
「…さあ、この話はこれくらいにして。参ろうかドニュー殿。
これから徐々に忙しくなってくる。
そうしたら貴殿にも出てもらうことになる。
その勇猛を、戦場で存分に発揮してもらいましょう」
「ふん、分かっておる。
たとえ相手が鬼だろうが悪魔だろうが、人を超えた何かだろうが、儂が全てを
なぎ払ってくれよう。そのために儂は雇われているのだからな」
「そう言ってもらえると、心強い限りですな。
ああそうそう、貴殿がかねてより要望していた対国家代表・代表候補生の部隊への
適任者を一人見つけましたぞ。
ドイツ軍のヘクセン女史からの推薦でね。名をネムレスという十五にも満たない
メスガキらしいのだがね……」
言いながら、Dの心はまったく別のところにあった。
目をつむると見えてくる、愛しいほどに憎悪する少年の姿。
それが血と涙に濡れ、そのあどけない顔が悲痛に歪むのを想像するだけで心は踊り、胸は高鳴る。
しかも今回は自身が大切に作り上げたシステムの初陣も兼ねているのだ。
自然と頬が緩む。
( さぁて…全世界のIS関係者諸君はこの虎の子のシステムを見てどう思うかな?
何よりシン・アスカ。貴様はそれを目の当たりにした時、どう感じるだろうか?
再び貴様の前に蒼い羽を広げ、死の天使が舞い降りたなら、はたして貴様は
平静でいられるだろうか?
…まあいい。どうせすぐに分かる。楽しみは最後まで取っておかないとなぁ )
リムジンを降りて空を見上げる。
そこに映るのは自分の城など置いていってしまうほどに突き抜けた一面の蒼い世界。
そこを自由に飛び回るわが子の姿を思い浮かべ、Dは僅かに目を細めた。
錯覚だろうが、そこを機械仕掛けの天使が優雅に舞っていたように見えた。
( 早くこの広大な海原を思うさまに飛んでくれ。
そして全てを破壊し、焼き払い沈黙させ、奴に無限の絶望を与えてやってくれ。
なあ、私の可愛い可愛い…………… )
「………『FT』…………」
◇
合宿も二日目に入り、今日は丸一日かけてISの各種装備運用とデータ取りを行うらしい。
かくいう俺のところにもその話は来ている。
IS学園の所在地である日本政府から、新型装備の運用データを取るように、と。
いくら俺がどこの国にも属していないといってもISという力を有する身、その発展のために
データのサンプリングをさせろと言われれば、いくら独自の自治を認められているIS学園
とはいえ無碍にはできない。俺だってそういう理由ならデータくらい取らせてやる。
そもそも臨海学校の目的はそれなのだから。
…ふう、とはいえまだそれ自体始まっていないのに気にしても仕方がない。
現在朝の七時二十分。
皆揃っての朝食なのだから無粋なことは考えないようにしよう。
久しぶりに悪夢を見ずに熟睡できて体調もすこぶる良いのだし。
それにしても、頭がまるで鈍器で殴られたかのように痛い。
昨日不覚にも先生たちのお酒を飲んでしまったせいだ…いや。
もっと素直になろう、俺が頭を悩ませているのはそんなことじゃない。
俺は、昨日酔った勢いでとんでもないことをしでかしてしまった。
あろうことか、あろうことか篠ノ之たちを力ずくで押さえつけ、キ、キスを……!
その上体の隅々までお触りしてしまう有様……うおおおおおおおおおおおっっ!!!!!
俺は何て、何て愚かなんだ!?
確かに俺は皆に『感謝』という名の好意を抱いていた、それは認める!
だがしかしっ! だがしかぁし!!
それは性欲なんかを介さない、純粋で潔白な感情だったはずなんだ!
なのに俺は皆に許可なしにあんな行為を…!
これじゃあただのケダモノだ! いや、ケダモノ以下だ!!
皆の心に負った傷は計り知れないはず、俺は朝から警察の方々が俺をしょっ引きに来るんじゃないかと
覚悟を決めていたんだ。なのに……。
何でだ!? 篠ノ之たちはそれを快く許してくれて、しかも篠ノ之に至っては不意打ち気味に
今度は自分からキスしてきて………はああああああっ!!!
思い出しただけで顔から火が出そうだ!
しかも、何で皆何事もなかったかのように……俺のすぐ傍で飯が食えるんだ!?
俺の右横には篠ノ之、左にはボーデヴィッヒ。対面にはシャルロットとセシリアが陣取っている。
別に朝食の席は固定じゃないんだけど、俺たちはぎこちないながら部屋を出て、俺が中ほどの席に
座ると皆自然とその周りに座ってきたんだ。
俺はてっきり物凄く距離を置いて座ると思っていたんだけど…。
でも、やはりいつも通りとはいかない。
皆顔を真っ赤にしたまま下やそっぽを向いて、会話がまったくないんだ。
それは俺だってあんなことをしでかした後だからどんなこと話せばいいかなんて分からない。
だからこれは好都合なんだけど……。
と、とにかく早く食ってこの場を離れよう。
皆は許してくれたけど、本心かは分からない。
贖罪の方法など運用テストまでに考えておかないと……。
えっと、醤油、醤油はと………。
「アスカ、ほら、醤油」
「へっ!? え、あ、ああ……ありがとう、篠ノ之……」
「ふふっ、どういたしまして」
篠ノ之は優しく微笑みながら醤油を渡してくれる。
お、俺醤油を探してるっていってないんだけど……。
どうやってそのことを察したんだ……?
……い、いやいや。何かこういうのいいな、なんて思ってないぞ。思ってないからなっ!
次は納豆を……あれ? カラシがついてないな。忘れたのか?
確かテーブルにチューブのカラシが置いてあったはず……ええと、どこだ?
「旦那様、カラシなら私が使っていた。すまなかったな」
「えっ!? い、いや別にいいんだけど…。どうして俺がカラシを探してるって…?」
「…旦那様のことだ。見ていれば察しはつく」
そんな馬鹿なっ!? そう口にしそうになるが、ボーデヴィッヒの顔は嘘をついているそれではない。
う、さっきまで恥ずかしそうにそっぽ向いてたのに、何でそんな真っ直ぐに俺を見るんだよ…。
む、むず痒い、思考がスローになる。何で皆そんな目で俺を見るんだよ。
俺、皆に酷いことしたのに……!
って、あ!は、箸を落として……!
「シン、はい。新しいお箸。でもシンすごいね、僕なんて未だにお箸の使い方慣れないのに。
確か学園に入学して一週間ぐらいでマスターしちゃったんだって?
僕尊敬しちゃうよ」
「はいっ!? あ、ああ箸、ありがとう……。いや、別にそんな大したことじゃ…。
お前だってそんなのすぐ覚えるだろうし……。あ、ああそうだ!
落とした箸拾って仲居さんに渡さないと!畳が汚れてもあれだし!」
「あ、お箸なら私が拾って返しておきましたわ。
…良かった、私も皆さんと同じように対応できましたわ。
何だかとても、心地良い気分です」
何故、とは冗談でも聞けない雰囲気だった。
お、俺には理解できない。昨日俺は皆に散々酷いことをしたじゃないか。
酔っ払って看病に来てくれた皆に無理やりキスして体まで弄りまくって。
その後本番にまで及ぼうと下半身すっぽんぽんになって。
明らかに変質者だ。考えうる限りで最悪のパターンの変態じゃないか。
なのに何で、皆は俺から離れていかないんだ……。
「むっふっふ〜、それはねあっくん。皆あっくんにコマされてさらにメロメロに
されちゃったからさ。そりゃあどこぞのDQNなんかに犯されたら嫌だけど、
懸想している相手から情熱的に求められたら、もう心も陥落してしまったのさ!」
「ブホォッ!!? あ、アンタ何言って……!? あの時は本番までいかなかったし、
第一こんな無様な俺のどこに惹かれる要素があるっていうんだよ……」
「あっはっは!あっくんは面白いこと言うねぇ。
そんな心の機微までこの束さんに分かるわけがないじゃないか!
そういうのはね、一人ひとりから面と向かって聞くものだよ。
というかあっくん、あそこまで女の子を好き放題したんだから、
そろそろ覚悟を決めたらどーだい!?」
「ぐっ! そ、それは……確かに朝からずっと重婚できる国ってどこにあるかとか
考えてたけど、それだと色々と不味いことが…いや! ここまでやっといて
自分の都合考えるなんて最低男のすることだと分かっているけれど!
しかし束さん考えてみてほしい! そもそも俺は……………………………………ん?
あれ? 束?」
……そういえば俺、今誰と話してる?
こんなにのびのびとしたトーンを、俺は知らない。
…いや、随分前だけど、一、二度聞いたことがある。
確かあれは、クラス代表決定戦の直前に……………。
「って、まさか!?」
「やあやああっくん、箒ちゃん、いっくん、そしてちーちゃん久しぶりぃ!
この世に再び蘇ったアインシュタイン!万物創生のダイナミックバディのお姉ちゃん!
篠ノ之束ちゃんのお出ましでぇ〜〜〜い!!」
隣にいた篠ノ之たちも織斑先生たちもクラスの皆も、一斉に俺を……いや。
俺の股のところを見る。
何故かというと、篠ノ之束はなんと座敷のテーブルの下から顔を出して俺と話していたから。
…何で俺はこんなのに気付かなかった?
篠ノ之たちはさっきの会話を俺の独り言と勘違いした可能性はあるけど、俺ぼ〜っとしすぎだろ…。
と、篠ノ之束は俺の股からサッと身を乗り出し、座敷の真ん中に回りながら着地した。
皆言葉もなく、ただただ呆然としている。
そりゃそうだ。何の脈絡もなく突然ISの開発者であり世間一般には行方不明とされている
篠ノ之束が出てきたとあれば、誰だってこうなるに決まってる。
そんな中篠ノ之は彼女を険しい顔で見ていて、織斑先生に至ってはその体に鬼気を纏わせている。
と、思考停止していた皆がようやく動き出し、口々に囁きあっている。
その内容はえてして同一。皆同じ疑問を持ったみたいだ。
それは俺たちも同じ、一夏もシャルロットもセシリアも凰もボーデヴィッヒも一様に
目を合わせては首を捻る。
一体こんな唐突に現れて、何の目的があってきたんだろうか?
しかしこの場でただ二人、篠ノ之束の登場に驚いていない人物がいる。
一人は篠ノ之。もう一人は織斑先生だ。
どうしたんだ篠ノ之の奴、織斑先生に目配せなんかして…?
と、皆のざわめきが収まらない中篠ノ之はそれを無視して一人篠ノ之束の前に出る。
一瞬で騒ぎが収まり静寂が座敷を支配する。
と、少し躊躇ったような素振りを見せた篠ノ之は意を決したように口を開いた。
「…姉さん、頼んでおいたものは、できたのでしょうか?」
「うんうんもちろんだよっ! この束さんは箒ちゃんのお願いだけは必ず守るさ!
それでなんだけどね、本当はちーちゃんたちがIS装備のテストをしてる時に
渡して度肝を抜いてやろうかと思ってたんだけど、ちょーっと予定が狂っちゃってさ。
悪いんだけど、今から束さんについてきてくれないかい?
箒ちゃんと立会人としてちーちゃん。それと……あっくんも」
「……は? 俺?」
急な展開についていけていなかった俺はいきなり話を振られて間抜けな声を出してしまう。
篠ノ之が、篠ノ之束に何か頼みごとをしていた?
彼女の表情を見るに相当重要なことのようだけど……。
と、少し顔を伏せていた篠ノ之が俺の方に寄ってきて、遠慮がちに手を掴んだ。
「アスカ、一緒に来てくれるか? とても、大切なことなんだ……」
「……………………うん。もちろん」
理由は分からなくても、断るはずもなく。
未だ置いてきぼりの皆を置き去りにして、俺たちは食堂を出て行ったのだった。
◇
「……うん。ここがいいかもねー」
四方を切り立った崖に囲まれた神秘的なビーチ。
ここって確か今日ISのテストをする予定の場所だよな?
でも今はまだ誰もいないし、各種装備も運び込まれていない。
まあISの装備なんて重要な物資をこんな所に放置するわけないか。
と、ある位置まできて止まった篠ノ之束に向かって、先生が鋭く呼びかける。
「束、今日はお前の冗談に付き合うつもりはない。
篠ノ之の新しい専用機の受領だったな。早く見せてみろ。
我々も暇ではないのでな」
「ちょっ、ちーちゃん冷たすぎー! 久しぶりに再会した親友に向かって
その言い草はあんまりだと思いまーす!
…うん、まあ長々と先延ばしにするつもりはないから安心してよ。
さあさあ皆様ご覧下さい! 直上から舞いくるは箒ちゃんの専用機にして
『寄り添い、支えるモノ』! その名も……『良妻賢母』だぁーーーー!!!」
篠ノ之束がそう叫ぶと同時、遥か空の彼方から何か物体が落ちてくるのが見て取れ……うおっ!?
ちょっ、結構大きいぞ!? 俺たちは慌ててその場から避難する。
と、急降下してきたソレはズゥン!!!という轟音を響かせてビーチにめり込む。
それは俺がこの世界へ来た時『打鉄』が納められていたコンテナと同じような銀色の箱。
プシューと空気を抜く音が聞こえてきたかと思うと、四方の壁が音を立てて倒れていく。
そこにあったのは、見るものを魅了する、薄紅色のISだった。
全身のアーマーは基本薄紅色で、腰の辺りをぐるりと囲むようにふんわりついている
レースはほんのり淡いさくら色。
両肩には小鳥を思わせる独特のパーツが備え付けられている。
そして背中には六枚のスラスターと腕と脚部パーツと。
なんていうか、戦場に出るにはあまりにも不釣合いな色合いと溢れ出る優しい波動。
俺はそれと相対した瞬間に、体から余計な力が抜けた気がした。
それはこの場にいる皆が思ったのだろう。
先ほどまで剣呑な気を発していた織斑先生もどこか態度がぎこちなかった篠ノ之も、
『良妻賢母』と呼ばれたISを、ただただ見つめていた。
「……姉さん、これが、私の……」
「そう、箒ちゃんがこれから搭乗する最新鋭のIS『良妻賢母』だよ。
さあ、詳しい説明はフィッティングとパーソナライズをしながらね。
…さて、始めるよん。おりゃぁ〜〜〜〜!」
よく分からない気合を込めると、篠ノ之束はコンソールを開き、左右前後に
計十二枚の空中投影のディスプレイを呼び出し、颯爽と何やら打ち込んでいく。
す、すげぇ……あれだけの作業を一人で、しかも全く淀みなくやっている。
ISの製作者ってことでその方面においては素晴らしい腕なのだろうと予想はしていたが、
これほどとは思わなかった。
と、それが終わるまで俺はずっと気になっていたことを篠ノ之に聞いてみることにする。
「なあ篠ノ之。お前、篠ノ之束に専用機を頼んでいたって本当なのか?
俺、お前が専用機を欲しがるとは思えなくてさ。特に力に固執していたわけじゃないし」
「え? あ、それはそうなんだけど…。今回は事情が事情というか……」
「箒ちゃんはね、いつもいつも何らかの事件に巻き込まれて、その都度大怪我する
あっくんを見るに見かねて、自分もあっくんを守れる力が欲しいって私に
頼み込んできたのさ。
あ、箒ちゃん。箒ちゃんの今までのIS稼動のデータは打ち込んであるし、箒ちゃんの
操作の癖とかも余すことなく再現しちゃうよん♪」
言いよどむ篠ノ之の横から、モニターから目を離さずに口を挟んでくる束。
俺はその言葉に一瞬呆け、次にあまりの驚愕に思わず叫んでしまった。
「なっ……俺の、ためって……!
おい篠ノ之、本当なのか!? 本当にお前、俺のために専用機を……!」
「あ………うん。その通りだ。いつもボロボロになるアスカの、少しでも役に立ちたくてな。
私はいつも力になれず見ているだけだったし、もし何かあっても専用機があれば、
少しでもお前の役に立てるかと思って……」
篠ノ之……本当にそこまで考えて専用機を……?
それは、もし篠ノ之が専用機を持ってくれるのなら、また何か大規模な戦闘が
あった場合有利になる。
俺は不甲斐ないことにもし今度何か戦闘があったとして、一夏たちの足を引っ張ることに
なりかねない。体が上手く動かないし、ISの補佐があるとはいえ、体力すらない。
自分の現時点での力を知っているからこそ、篠ノ之のその心は有難い。
しかも俺のためだなんて、思わず揺らいでしまいそうになる。
でも、それでも……。俺のただの我侭だが、篠ノ之にはそういった戦いの道具を
進んで手にしては貰いたくなかった。
何でだろうか、俺の中で強い力は、まるで『呪い』のように思えて仕方がない。
持ったが最後どんなことがあっても戦いに巻き込まれ、全てを、失ってしまうかのような。
そんな、円環の理のような。
「よっ……と。これでパーソナライズもあと少しで終わりっと。
あ、それからあっくん。君のヴェスティージ見せて。
ちょっとだけ確認したいことがあるから」
「……っ! そうだ篠ノ之束! 俺もアンタに質問が山ほどあったんだ!
初めて会ったあの時、アンタ俺の打鉄に細工しただろ!?
どういうつもりだ、そのせいで俺は死にかけたんだぞ!?
それにヴェスティージを俺が所持していたことを糾弾された時俺を
かばっただろ! あれもどういった意図だったか話してもらうぞ!
そもそもアンタ、謎が多すぎるんだよ! このヴェスティージはアンタが
コアを作った、そうだな!?
じゃあ製作者として、アンタ自身が説明してくれ! このヴェスティージについて!
そもそもこのISはおかしいところがありすぎる!
それに何で待機形態をこの貝殻のネックレスにした!?
アンタ一体、何を知ってる!?」
俺は今まで溜まっていたあらゆる疑問について篠ノ之束に怒鳴りつけるように聞いた。
こいつのせいで俺は死にかけたこともあるし、逆に助けてもらったこともある。
しかしこいつの作ったヴェスティージのせいで、俺は悪魔のような意思に寄生され、
精神的に追い詰められてるんだ。
しかもヴェスティージの特殊な仕様。その能力はまるで搭乗者を命の危機に晒すようなもの。
こんなものが『世界で一番安全な兵器』であるISなものか。
しかし篠ノ之束は俺の言葉をまるで無視。
ピョンピョン飛び跳ねながら俺の前まで来て、首から下がっているネックレスに手を添える。
「おい、アンタ俺の話を……!」
「お願いちょっと黙って。今の束ちゃんは、ちょっと真剣だから」
普段のおどけた態度とは正反対の真摯な表情に思わず気圧される。
な、何だよこいつ。さっきまでとはまるで別人だ。
と、彼女は懐から何やらケーブルのようなものを出すと、待機状態のヴェスティージに
それをブッ刺した。
そして小さなディスプレイを呼び出しキーボードをカタカタと叩く。
そこには意味不明な文字の羅列が凄いスピードで通り過ぎていく。
しかしそれを見た篠ノ之束は今まで見たことないほどに顔を歪ませ、そしてディスプレイを
閉じ、ケーブルを抜いた。
「お、おい……。一体何を………」
数秒の間、篠ノ之束は顔を伏せる。
いつもの調子と違う彼女の様子に、篠ノ之だけでなく織斑先生も怪訝な表情を見せる。
と、顔を上げた彼女はいつもの眠たげな表情に戻っていて、おもむろに俺に、
「しゃがんで、あっくん」
と、簡潔に命令してきやがった。
イライラしながらも話が進まないからとそれに従ってやる。
本当に心が広いぜ、俺は……。
なんてことを考えていると、ふいに頭に温かい何かが乗せられ、それが頭をポンポン
ナデナデと撫でてくる。
「うんうん、流石はあっくんだねぇ。こんなになるまでよく耐えたね。
正直びっくりしたけど、束さんは嬉しいよ。本当に、本当にね。
でもね、あっくん。大丈夫だよ。多分あっくんはまだまだ色んなことに
耐えなくちゃいけないと思うけど、多分今までの比じゃないくらいに
辛いことに耐えなくちゃいけないと思うけど、でも大丈夫。
この束さんを信じなさい! きっとあっくんに、輝かしい未来を約束してあげるよ」
「は、はぁ? 言ってる意味が分からないんだが。それにアンタ、俺の質問に
全く答えてないだろ! アンタの意図はどこにある!?
何で俺に、ヴェスティージなんて渡したんだ! しかもこれは俺がここに
きた時から会った! 俺とアンタは本当はどこで初めて会ったんだ!?
それも答えろ!!」
「駄目だよあっくん。駄目なんだ。私からは今は何も言えないよ。
言っちゃ駄目なんだ。理由は言えないけど、でもこれだけは言えるよ。
私、篠ノ之束はいっくんと箒ちゃんと、ちーちゃんとあっくんの味方。
何があってもそれは変わらないから、だからあっくんも頑張ってね。
君が諦めなければ、きっと道は開けるよ。この天才束さんが保障してあげるさ!」
彼女のキラキラした笑顔は、まるで言葉通りそれ以上聞くなと俺にキツく強制
しているようで、俺は知らず口を噤んでしまった。
これは俺にとってまたとないチャンスなのに、これを逃したら篠ノ之束がいつ
現れるかなんて分からないのに。
俺の理性が止める。彼女は何か大きな秘密と決意を秘めている。
それを無理に引き出すのは愚の骨頂だと、的外れにもほどがある良心が俺を縛る。
くっそ…何なんだよアンタは……。
いっつも俺を引っ掻き回して、思わせぶりなことばかり……!
と、悶々と歯軋りしている俺をそれ以後無視し、今度はすっかり俺たちのやり取りを
傍観していた篠ノ之に向き直った。
「さてと、パーソナライズも終わったことだし、箒ちゃん。
早速良妻賢母に乗ってみてよ! 試運転も兼ねてさ!
プロデューサーさん! 試運転ですよ、試運転!
この良妻賢母は近接戦闘も遠距離戦闘もそつなくこなせる万能型だけど、
若干防御に重きを置いた機体になってるのだ。
シールドバリアーも通常のそれよりも堅固、それに武装も防御に使えるよう
工夫されているしね。
…でもこの良妻賢母の最大の特徴は何を隠そう『唯一仕様の特殊能力』にあるんだけどね。
まあ百聞は一見にしかず! 聞くより慣れろ! 成せば為る!
ということで早速試運転に………」
「お、織斑先生っ! 緊急事態っ、緊急事態ですよぉ〜!!」
篠ノ之束の言葉を切るようにビーチに飛び込んできたのは、血相変えた山田さん。
まだテストまで時間があるので、服装はジャージ服のままだ。
束は話を途中で遮られたことで不機嫌そうに山田さんを見ているけど、山田さんは
よほど慌てているらしく、彼女の不満げな視線に気付かない。
「山田先生? どうした、何があった?」
「そ、それがですねっ! とりあえずこの小型端末を見てください!」
「……特命任務レベルA。現時刻より対策をはじめられたし……か」
「しかも見てください! ハワイ沖で試験稼動していた……」
「こら、機密事項を軽々しく口にするな! それより………これは………」
「も〜ちーちゃん、私たちに隠し事は駄目だよぉ!
えーっとねぇ、その件ってこれでしょ? ハワイ沖で試験稼動していた
アメリカ・イスラエル共同開発の第三世代型軍用IS『銀の福音』の暴走。
でもでもおかしいねぇ。これって確か鎮圧にハワイ基地に配備されていた
ラファール三機が向かったって聞いてたけど?」
穏やかでない雰囲気の中密談を始めた先生たちの話を遮るように、束はそう横槍を入れる。
空中に呼び出したディスプレイのキーボードを叩きながら、先生たちが声を潜める
機密事項を何でもないかのようにペラペラと喋りながら。
俺たちが呆然とする中、最初に復活したのは織斑先生だった。
当然烈火のごとく怒っているが、それでも自制が働いているようで、ぐっとこらえている。
そして諦めたように俺たち二人に絶対他言しないように言うと、声を低くして、答えた。
「……そのラファールだがな。『銀の福音』に全て大破させられたそうだ。
それも……ものの十分でな。搭乗していたのは訓練中の代表候補生たちだそうだ。
実力もそれなりのものだったらしいが、『銀の福音』は今までの試験稼動とは
比べ物にならないほどの強さで、文字通り手も足も出なかったらしい」
「…へえ、ラファール三機を、たったそれだけの時間でねぇ。
確かに、これは緊急事態だねぇ。それも、極めて厄介な」
「理解が早くて助かる。なので余計な口は挟まないでほしい。
アスカ、篠ノ之。今日のテストは全て中止だ。
お前達は私たちとともに来い。私たちがこの件について対処することになった。
すぐに緊急会議を行う」
あまりの急展開についていけていないが、一つだけ分かったことがある。
ISは個々の機体の性能の差はあれど、凄まじい兵器だ。
しかも代表候補生クラスが三人がかりで暴走したというISに立ち向かった。
それがたった一機に、全滅させられた。それも、たった十分で。
明らかに異常だ。それはその暴走した機体が相当に手強いということに他ならない。
俺は気を引き締めて織斑先生たちの後に続く。
何故この学園には息つく間もなくこんな事件ばかり起きるんだ!?
しかし嘆いても仕方ない。
もしそのISが皆に危害を加えるのなら、俺が何としてでも、それを止めてやる!!
「箒ちゃん、ちょっと待って」
「……! どうされたのですか、良妻賢母は待機状態に戻しましたし、
武装の特性等は実戦の中で習得してみせます。
この機体のことは感謝しますが、今はそれどころでは……」
彼女の言葉に篠ノ之束はゆっくりと首を振る。
少しの間目を閉じて、次にそれを開けたとき、そこにはとても優しい慈愛の光があった。
まるで愛しい妹を心配し、それでも信じようとするような、暖かな光。
「箒ちゃん、これだけは覚えておいて。
その良妻賢母は、『寄り添い、支えるモノ』。
それはただ相手に献身的に尽くすだけじゃない。
かといって自分だけが犠牲になろうと一人死地に飛び込むことでもない。
人はね箒ちゃん、支えあって生きていくものなんだよ。
その良妻賢母はその最たるもの、『夫婦』をコンセプトとしているんだ。
忘れないで、箒ちゃん。君が『夫』と定めた男性が誰かってことを。
そして支えるっていうのは物理的なことじゃない。
本当に相手を思いやって支えて寄り添うっていうのはね、
『相手の心をそっと包み込んであげて、その苦しみを共有し、理解してあげる』
ってことなんだよ」
「………姉さん………」
「それさえ忘れなければ、君はその良妻賢母を完全に乗りこなすことができるはずさ。
多分箒ちゃんはまだ、そこまでの感情には至っていないかもしれない。
だからこそ、忘れないで。自分の苦しみを癒してもらって、逆に自分が相手の
苦しみを癒してあげる。心の繋がりこそが、良妻賢母の最強の力だっていうことを。
どうか、忘れないでね………」
そう言うと篠ノ之束はいつも通りの天真爛漫な笑みを浮かべ、どこかへと
ピョンピョン跳ねて行ってしまった。
その後姿を見えなくなるまで見つめた後、彼女も皆の後を追ったのだった。
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