「胡蝶之夢」、という言葉がある。
蝶となって長い間花園で遊んでいたが、ふとその夢から目覚め、果たして自分が夢で蝶となったのか、蝶が夢見て自分になったのか分からなくなったという、 まぁ要するに夢と現実の境があいまいになってしまったという話だ。昔の人間は良い言葉を残してくれたものだと感心する。なぜなら、今の「私」の人生をこれ 以上なく端的に表現してくれているからだ。
初めて「私」が「私」ではなく「俺」だと感じたのはいつだっただろう。
幼稚園の屋外で遊んでいる時、職員室で先生たちの話す愚痴が聞こえた時か。親に連れられて買い物に行った時、通りがかった楽器店の店先に置いてあったサクソフォンに魅入られた時か。はたまた、そのサクソフォンを散々ねだって買ってもらい、初めて吹いた時か。
だがおそらく、あまり良い思い出ではないだろう。それは否応なく、全てを思い出すということなのだから。
――――――――あの、渇ききった砂の星の、殺戮に満ちた日々と、恐怖を、思い出すということなのだから。
……考えただけで気分が悪くなってきた。思い出したくもない。特に晩年、あの化物の手下になった時とか。
ひょっとしたら今「私」として生きているこの人生は、あの砂の星で撃たれ、轢かれた自分が見ている今際の際の夢なのかもしれない。飢えも渇きも無い、銃 声や断末魔も無い、そんな子供が夢見るような、だけど皆が望んでやまないような日々。あの化物から逃げたくて、助かりたくて、死にたくなくて、殺されたく なくて、だけど終ぞ叶わなかった夢。…だとすれば、もう15年も夢見続けていることになるが。
けどまあ――――――――幸せ、なのだろう。
水は蛇口をひねれば好きなだけ出てくる。食べ物も好きなだけ食べられる。視界には満開の桜の花が咲いている。そして聞こえてくる音は――――春休み明けの再開を喜ぶ、楽しそうな声ばかり。
「夢なら覚めないで……か。」
昔聞いたラブソングのワンフレーズが、何となく口からつぶやかれた。
もし今のこの人生が夢ならば、そしてもし次の瞬間にも終わってしまうならば。そう考えたことは1度や2度ではない。
しかし、その度に思うのだ。
何故、「俺」がこんな平穏な日々を送ることができるのだろう?
あの砂の星で、何百、何千という人間を殺し、あの化物の片棒を担いだ自分が、こんな平和で満ち足りた生活を送ることが許されるのか?それこそ、あの「相 棒」こそ、五体満足の状態でこの生活を享受するべきだったんじゃないか?あの砂の星の住人たち全てが願ってやまないような生活を、自分のような外道がして ていいはずがない――――――
「長谷川さん?」
「…ん?ああ、いいんちょか。久しぶりだな。」
ふと気付けば、クラスメイトに声を掛けられていた。というか、この距離になるまで気づかないとは、ずいぶんと耄碌したものだ。………まぁ合計年齢でいえば四十路を越えているのだが。
「ええ、お久しぶりですわ。ところで、何か思いつめたような表情をなさっていましたが、どうかなさいましたの?」
「あー、いや…別になんでもないよ。ちょっと夜更かしして、寝起きが悪かっただけ…。うん、心配させたみたいで悪かったな。」
「そう…ですの?ならいいのですけど…。もし困ったことがあれば何でも言ってくださいね。微力ながら、お力添えいたしますわ。」
「ああ、ありがとう。いいんちょ。」
「いえいえ、いつもクラスの雰囲気を明るくしてくださってる長谷川さんのためですもの。助力は惜しみませんわ。でも、夜更かしは駄目ですわよ?」
そう悪戯っぽく笑いかけてくるいいんちょの姿に、少し重い気分が取り除かれていくのを感じた。
――――そうだ、たとえこれが胡蝶の夢に過ぎないとしても、せめて目覚めるまではこの平穏を謳歌することにしよう――――
そう、この今、「麻帆良学園」での生活こそが、
私、「長谷川千雨」の人生であり、
「ミッドバレイ・ザ・ホーンフリーク」の人生なのだから。
#1 夜鷹の夢
「さ、さっさと教室入ろうぜ。あの子供先生に会うのも久しぶりだな。」
「ああ、そうですわ!春休みの間、何度も夢の中でお会いして、目覚めるたびに歯噛みしてきた日々ともこれでおさらばですわ!ようやく、ようやく会えますわネギ先生ぇーーーーーっ!!」
「………夢見が良さそうで何よりだよ。」
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