麻帆良工大のとある建物の一角。ここに、「麻帆良の最強頭脳」の異名をとる万能の天才、超鈴音のラボがある。普段から常に関係者以外立ち入り禁止で、そ の出入りを認められている関係者もわずか数人しかいない。そのためこの建物を利用する大学生からは、期待と畏怖をこめて、「未来が生まれる場所」「星降り のほこら」などと呼ばれている。
そのラボの中で、絡繰茶々丸は修復作業を受けていた。一昨日の夜に運び込まれたのち、夜を徹した救命修理活動が行われ、茶々丸はなんとか一命を取り留めた。現在はまだ胴体や四肢の修復の途中だが、早ければ土日には復帰できるだろう、そう予測していた。
しかし、それを行う二人の天才―――――超鈴音と、葉加瀬聡美の表情は固い。いつもならハカセが「この際だからより堅固に改造を!」とか言い出すところだが、二人とも一言も発することなく、淡々と作業を続けていた。
原因は茶々丸の記憶データに残されていた桜通りでの戦闘シーンの録画であった。大破原因の究明のためと、エヴァンジェリンを交えてそれを見た。その、一 方的な虐殺を。当初は茶々丸を損壊させた千雨に対しあらん限りの暴言と憤慨をぶつけていたハカセだったが、ディスプレイの中での暴虐を見て、その場で嘔吐 した。超自身も見終わった後にすぐさまトイレに駆け込んだ。エヴァンジェリンは吐きこそしなかったものの、顔を青ざめさせ、茶々丸を頼むと言い残すと、す ぐさま去って行った。
麻帆良の圧倒的な科学力を支える天才児といえど、あくまで中学3年生、多感な年頃である。剥き出しの暴力、憎悪、狂気、殺意。そういったものを画面越しとは言えその身で体感してしまったショックは非常に大きい。
「………超さん?」
茶々丸の修復作業の手を止め、ハカセが超に話しかける。その声は、いつものように親しく気軽に話しかける感じではなく、不安と恐怖と猜疑心が入り混じった、落ち着かない声だった。
「…何かナ?ハカセ?」
そんなハカセの様子を感じ取りながら、超が聞き返す。あの映像を見て以来、ハカセはあまりしゃべらなくなった。作業能率も落ちている。その姿には、友人として不安を抱かざるを得なかった。
「…私たちは、正しいことをしてるんでしょうか?」
「…どういう意味かナ?」
「ですから、今こうして茶々丸を修復していることが、良い結果につながるのか、ということです…。もちろん茶々丸を修理することが嫌だと言っているわけではありません。それは生みの親として当然のことですから。ですが…。」
そこで一旦言葉を切り、次の言葉を躊躇するかのような感じを見せた。それだけで超は、ハカセが何を言いたいのか大体察した。
「…もし修理して学校に行ける状態にしたとしテ、また長谷川さんに狙われル…、もしくは再度破壊されるのではないカ、ということかナ?」
「…ハイ。その通りです…。…そしてもしそうなったとして、長谷川さんの殺意はこちらに向くことになるんじゃないか、と考えてしまったんです…。」
そこでハカセは修理道具を脇に置いて、俯いた。そして、小刻みに震えだした。
「あの…あの、茶々丸に向けられていた殺意が、私に向かうかと思うと、怖くてたまらないんです…。この2日間、あの視線が忘れられなかった。思い出すだけ でまた吐きそうになってしまうんです。私は昨日も今日も学校を休んでますけど、ホントは茶々丸の修理が忙しいことよりも、学校で長谷川さんに会いたくない から休んでるんです。」
「…ハカセ。」
「長谷川さん、笑ってたんですよ?茶々丸を壊しながら、ずっと。あんな…あんな人が2年も同じ教室で一緒に授業を受けてたなんて、考えたくない…。エヴァ さんもお腹刺されてたんですよ?あのエヴァさんがですよ?きっと長谷川さんは、人を殺すことなんて、何とも思っていないんだ…。」
「ハカセ!!」
ハカセのあまりの暴言に超は思わず声を荒げる。しかし、ハカセの言葉は止まらず、それどころかますますヒートアップしていく。
「超さんは!何とも思ってないんですか!?怖くないんですか!?私は怖いです、すごく怖いです!!こうして修理している今も、長谷川さんが襲ってくるん じゃないかって、怖くて怖くてたまらないんです!!超さんは全部知ってるんですよね、未来を!!私たちのことも、みんな知ってたんですよね!?なら長谷川 さんのことも知ってたんじゃないですか!?長谷川さんがああいう人だって、敵には一切容赦しない、生粋の殺し屋だって!!超さん、ホントは―――」
「口を慎メハカセ!!」
超は大声で怒鳴ると同時に、ハカセの両肩を掴み、力強く引き寄せた。超にとっても想定外の事態で、ずっと気が立っていたのだろう。ハカセの暴言と失言を許すわけにはいかなかった。
「ハカセ、言っていいことと悪いことの区別ぐらいつけろヨ、誰が聞いてるかも分からないんだヨ?これで計画がおじゃんになったラ、どうしてくれるのかナ? それに、長谷川さんのことハ、初めの方に言ったはずだヨ?『私の知ってル長谷川さんとはまるで違ウ』って。今さらそんなこと、言い直さなきゃいけないの カ?」
静かに超は激高した。思えばハカセと喧嘩するのはこれが初めてだナ、とぼんやり思いながら。
しばらく二人はそのままの体勢で荒い息をしていたが、超がハカセの肩から手を離すと、二人とも同時に、フゥと大きく息を吐いた。
「……すみませんでした、超さん。私が軽率でした…。ごめんなさい。」
「…いいヨ別に。私も悪かっタ…。らしくなかったネ。」
互いに謝りながら、中断してしまった作業を開始した。しかし不安は拭い去れなかったのであろう。作業しながら、ハカセが超に問いかけた。
「…超さん、もし長谷川さんが…私たちの敵に回ったら、どうしますか…?」
それこそ超が最も心配することであった。もし計画実行に際して、彼女の不興を買い、敵に回った場合、自分たちはどうするべきなのか。たとえどんなに強力 な武装を施したガイノイドを護衛に付けていたとしても、彼女の前では鎧袖一触にされてしまいそうな雰囲気さえあるのだ。超もハカセと同じく、千雨のあのど す黒い殺意を自分に向けられるのが何よりも恐ろしかった。
「今の段階ではどう転ぶかは分からないヨ…。願わくバ、敵にも味方にもならないでほしいけどネ。」
頼むから関わり合いにならないでくレ、という切実な思いを込め、ハカセに返答した。そして、二人揃って溜め息をつく。暗澹とした未来を憂いて。
#6 “Libera me” from hell
殺した。
殺した、殺した、殺した、殺した――――――殺した。
大人も子供も女も老人も、善人も悪人も、関係ある者も無い者も、慈悲なく容赦なく差別なく――――――――――殺した。
一人の人間を殺すために何十人もの無関係な人間を巻き添えにした。
ひとつの街ごと人を殺し尽くした。
コップ1杯の水のために人を殺した。
助けを求める手を踏みにじり、命乞いする者の頭を踏みつぶし、子を守り死んでいった親の骸を蹴り飛ばし、その子の怨嗟を踏み越えて、断末魔の上に断末魔を重ね、死体の上に死体を重ね、血溜まりの上から血を注いだ。
そうして血みどろの地獄を生き抜いてきた。ただ、生きるために。ただの一度も振り返ることはなく、ただの一度も忘れることはなく。
「………忘れなかった?本当に?」
ふいに声をかけられて振り向く。青い髪に陰鬱な眼差し。レガート・ブルーサマーズだった。
「君は本当に忘れなかったのか?君が殺してきた、数多の人間たちの怨嗟の声を?」
五月蠅い、やめろ。
「君は耳を塞ぎ、無視していたんじゃないか?忘れようとしていたんじゃないか?この平和な生活を謳歌しようと、何もかも忘れようとしていたんじゃないのか?」
やめろと言っている。
「事実、忘れかけていただろう?そうでなければ、人前で平気でサックスを吹いたり出来るはずがない。それは君の、お得意の殺り口だったはずだからね。」
やめろ、やめろ、やめろ、やめろ。やめてくれ。
「かつて人を殺す術でしかなかった自分の演奏を、平和な世界で人に聞かせ、その喜ぶ様子を見て自分も喜ぶ。そうして君は忘れようとしていたんだろう?自らの罪を、その身に背負う怨嗟と憎悪を。全て振り切って、長谷川千雨と言う名の別人になろうとしていた。違うかい?」
やめろ、と大声で叫ぼうとする。しかし、声は出ない。
私は忘れたことなんてない。この15年間、あの砂の星の住人たちのことを忘れた日など一日も無い。殺してきた人間のことならなおさらだ。何度も悩んでき た。自分がこんな平和な生活をしていていいのかと。何度も祈ってきた。せめてあの星で死んでいった人の全てが、この平和な世界に生まれ変わって暮らせるよ うにと。
それとも――――――全てが間違いだったのか?平和な生活を望むことも、人を喜ばせることも、誰かを助けることも。
気付けば、見覚えのある景色だった。そこはあの砂の星の、とある街にあるBAR、そのステージの上。
そして、ミリオンズ・ナイブズに出遭った場所。
BARの席に座る人間は、皆死に絶えている。
ステージ上の仕事仲間たちは、バラバラに切り裂かれている。
その、死体たちは皆、濁り切ったその瞳で、
俺を、じっと見ていた。
「うわああああああああああああああああッッッッッ!!!!!」
跳ね起きる。荒い息をつきながら、全身に脂汗がにじんでいるのを感じた。まさか人生最悪の寝覚めがこんなにも早く更新されるとは。
「…随分とやかましいな。小春日和の昼下がりにはあまりにも似つかわしくないBGMだ。奏者のくせに、品の無い音楽を奏でおって。」
そんな皮肉めいた声が聞こえてきて、ようやく意識がはっきりし、「耳」が正常に起動するようになってきた。声については考えるまでもない。外から聞こえてくる音の位相、空気の流れから、現在地を判別する。確か、ここは。
「保健室……か。で、お前が付き添いか、マクダウェル?」
「ほう、状況判断が早いな。いいことだ。お前は教室で倒れた後、保健室に担ぎ込まれたんだよ。救急車を呼ぼうかって話になってたんだが、一時的な過呼吸と診断されて、保健室でしばらく休めば意識を取り戻すだろうということで、ここになった。まあもっとも―――」
そこでマクダウェルは訳知り顔でにやりと笑う。はっきり言ってウザい。私の体に起きたことなのだから、これが過呼吸でないことくらいは分かってる。
「貴様の身に起きたのは過呼吸ではない。正確に言えば過換気症候群。症状は過呼吸とそう変わらないが、過換気症候群はその発生原因が精神的なところにあ る。極度の不安、恐怖などから発生し、動悸や目まい、失神などの症状を引き起こす。パニック障害などを患っている者に起こりやすい症状だが、貴様はそう いった類の病気持ちなのか?」
「…別に。そういう精神疾患の類とはこれまで縁が無いよ。」
「…ふむ、ではやはり極度の不安を感じたために発生したものか。いつも吹き慣れているサックスを吹こうとした途端に過換気症候群になるとは、よっぽど強い不安だったんだろうな?」
「………」
答えなかった。答えれば、思い出してしまいそうだったから。あの、3−Aの凄惨な光景を。
これ以上聞かれたくないので、無理やり話を変えることにした。
「そんなことよりお前、どうして無事なんだよ?私は確かにあの時急所に刺したはずだが。」
「…無理やり話を変えおって。しかもあの状態でそれだけはきっちり憶えているんだな貴様は…。まぁいい、種明かしをしてやろう。貴様は、魔法のことは知っているのか?」
「一応、知っているだけだけどな。昔道端で大人が話してるのを聞いた。」
「あの馬鹿共が…。で、私はこういう物を使ったわけだ。」
麻帆良の魔法使いの失態に軽く頭を抱えつつ、マクダウェルは懐から2枚ほど紙切れを出した。神社とかでよく売っているお札のようだった。
「こいつは符と呼ばれる物でな。発動させることで一定の効果を発揮する。結界符や転移符など、種類は様々だ。で、私が使ったのは治癒符。その名の通りの効果を持つわけだ。」
「回復魔法とかはないのか?RPGみたいにさ。」
「もちろんあることにはあるが、私自身はそういった回復魔法は不得手でな。常に治癒符を持ち歩くようにしている。もっとも、貴様の一撃を治すのにここ数年分のストックを全て使いきって、それでギリギリだったけどな。」
そうか、と生返事だけ返して窓の外を見た。マクダウェルの言った通り、小春日和の過ごしやすそうな日だ。外では桜が葉桜になり始めていた。
「サックスは?」
「教室だ。ちゃんとケースに入れて保管しておいた。感謝しろ。」
あまり触ってほしくない、というのが本心なんだけどな。だがここは、わざわざしまってくれたクラスメイト達にお礼を言うべきだろう。
――――――――けど、きっともう、吹けない。吹くのが怖い。吹こうとするたびにあの光景を思い出してしまう。かつて自分が平気な顔で作り上げていた光景を、大切な日常のなかでフラッシュバックしてしまう。
本当に自分は、どうしようもない外道だ。そんなことを再認識してしまった。
ふと、私の目の前に符が置かれた。さきほどマクダウェルが懐から出した符だ。マクダウェルを見ると、ちょうど立ち上がるところだった。
「…それは安眠符だ。それを使って寝るといい。夢を見ることなくぐっすり寝られるぞ。サックスケースは教室のお前の席に置いておくから、放課後にでも取りに来い。…ゆっくり休め。」
「…ありがとよ。でも、お前にこんな親切にされる覚えは無いんだが?私のこと聞きたかったんじゃないのか?今なら手酷くやられた分、熨斗付けて返せるぞ?」
多少の警戒をこめながらマクダウェルに言う。保健室の扉から出て行こうとしていたマクダウェルは、立ち止まってこちらを見た。
「お前のことを聞きたいのは山々だが、その件はあの時に『交渉決裂だ』と言っただろう?宮崎のどかも攻撃した。だから聞こうとは思わん。それに、もとはと 言えば私がお前たちを襲ったのが原因だ―――――今の、お前の状況も含めてな。詫びというわけではないが、これぐらいはさせてもらおう。」
今の私の状況―――――ね。
「そんなに分かりやすく感情が出てたか?平静を保ってたつもりだったんだが。」
「起きてからは平静だったけどな。寝てる間は酷かったぞ。大汗かきながらずっとうなされていた。お前、汗びっしょりだから着替えておいたほうがいいぞ。体操服はそこに置いてある。」
なるほど、言われてはじめて気付いたが、下着類が全部汗でびしょ濡れだ。制服にもだいぶ汗が滲んでいる。ベッドの足もとに置いてある体操服を取り上げ、上着を脱いで着替え始めた。
「疑って悪かったよ、マクダウェル。色々ありがとう。ただし、この前の夜のことは謝らないからな。ありゃ正当防衛だ。というかさっさと捕まれこの通り魔。」
「フン、私にはやるべきことがある。捕まるわけにはいかん―――――もっとも、私を捕まえられる者などいないがな。謝罪も感謝もいらん。面倒だ。」
そういってマクダウェルは部屋から出て行った。私は着替えを続ける。下着の替えも用意されていたので、そちらも着替えた。若干ブラが小さいが。ということは、レイン辺りが用意したかな?
着替え終わり、安眠符を握りしめてまた横になる。顔を横に向けると、小さな鏡が置かれているのが目に入った。そこに映る自分の姿。そして思いだされるかつての姿。「長谷川千雨」という今の自分と、「ミッドバレイ・ザ・ホーンフリーク」という、かつての自分。
顔を上に向けて、天井の蛍光灯を見る。まぶたが段々と重くなっていく。
「忘れてなんか―――――…いない…。」
つぶやいた言葉は、眠気のせいか弱弱しく聞こえた。
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