―――水曜日 AM11:00―――



「…ふむ、では桜咲君はまだもう少し夜の警備は無理、と…。」


「ハイ、学園長。先ほど部屋に行って様子を見てきましたが、酷い物でした。刀を握り締めて手放そうとしないし、小さな物音にも過剰に反応するそうです。龍宮さんもだいぶ苦労しているようでした。」



 そう言いながら、葛葉刀子は深く溜め息をついた。

 昨日の夜の警備に刹那と真名の姿が見えないことが気になり、彼女たちの部屋を訪れたのだが、部屋に入った瞬間、当の本人にいきなり斬りかかられたのである。その場は真名が刹那を抑えこんだことで事なきを得たが、依然として刹那の心の傷は深い。



「龍宮さん自身も、『引き際を誤った。プロ失格だ。』って落ち込んでいました。刹那は今現在情緒不安定で、とてもではないですが戦える状態ではありません。龍宮さんも彼女の面倒を見る必要があるでしょうし、一応独断専行の結果ですので、現在は自宅謹慎処分としています。」



 学園長も溜め息をつく。今回のことは確かに刹那と真名の独断専行であり、その結果返り討ちにあったのは自業自得と言える。自宅謹慎処分は妥当なところだろう。本人たちも後悔しているようだし、彼女たちがどれだけ強いと言っても、まだ15歳。これを一つの人生の糧として、今後頑張っていけばいい。それにもうすぐ一斉停電だ。その時に働いてもらえないのでは困る。
 ―――――ただ、彼女たちを返り討ちにしたのも、同じ15歳の少女であるのだが。



「…例の、長谷川千雨君かね?」


「当人たちは黙して一切語ろうとしませんが…。この時期に彼女たちが接触、襲撃する相手といったら、彼女しかいないでしょう。そして返り討ちに遭ったものかと。」



 長谷川千雨。現在麻帆良上層部で要注意人物筆頭として挙げられている人物である。彼女の存在は麻帆良の魔法使いのほんの一部しかしらない。もし彼女がエヴァンジェリン主従と張り合ったという事実が広まれば、ここに所属する魔法使いの間に、少なからず動揺が走ることは間違いない。故に、監視役であった刹那と真名、葛葉や高畑などの一部の人間を除いて、彼女の存在は秘匿されている。



「まぁあのエヴァたちと互角に戦った相手じゃ…。かなり手痛い反撃を喰らったのじゃろう。ゆっくり養生せいと伝えてくれい。長谷川君の見張りは一時中止じゃ。どうもこちらから手出しをしない限りは何もしないようじゃ。くれぐれも、軽挙妄動は慎むようにの。」



 無論彼女については色々調べたが、怪しいところは一切出てきていない。至極平凡な人生を送ってきている、どこにでもいる普通の少女でしかなかった。だからこそ余計に怪しいが、監視役の刹那と真名が居ない今は特に何も出来ない。
 近右衛門は、とりあえず一度直接会って話をしよう、と考えていた。今はおとなしくしているが、万が一暴れだしたら、こちらの『計画』まで滅茶苦茶になってしまう。それだけは避けねばならない。とにかく今はその第一段階である、エヴァンジェリンの件に集中するべきだろう。




 しかしどうにも嫌な予感がぬぐえない。何か自分の知らないところで、歯車が大きく狂い始めているような。



 その不安は、その日の午後に形となって現れた。







#11 Stand Up to the Victory





―――水曜日 PM4:30―――



 麻帆良学園から程近い商店街。その一角に、その店はあった。
 この店の主人は50代半ばの白髪交じりの男性。30代で妻と離婚し、一人娘と共に家を出ていかれた。その虚脱感からか会社を辞め、大学まで吹奏楽部に所属していた経験を活かし、預金を全てはたいて楽器店を始めた。従業員も彼以外いないし、特別儲かっているわけでもないが、学園の音楽教師などが楽器の修理依頼に来るため、さほど暮らしに困っているわけではない。



 そんな彼だが、孤独とは無縁である。というのも、この店には毎週、顔なじみが一人訪ねてくるのだ。
 時計が16時半になっているのを確認して、コーヒーを沸かし始めた。そういえば先週は来なかったな。今まではメンテナンスがあった週でも変わらず来ていたのに。
 そう考えていると、玄関のベルが鳴るのが聞こえた。振り向かなくとも、足音で分かる。もう8年来の付き合いだ。



「よう、じいさん。邪魔するよ。」


「おう、嬢ちゃん。まぁゆっくりしていけや。」



 彼と長谷川千雨が初めて会ったのは8年前。カウンターで楽器の手入れをしていたら、突然小学生の女の子が店に飛び込んできて、開口一番こう言ったのだ。



「あ、あそこに飾ってあるサックス、いくらですか!?私にください!!」



 直後に母親が入ってきて、すみませんすみませんと謝りながら娘を叱りつけていたが、当の娘は聞く耳持たない。それどころか、そのサックスを買ってくれるまで絶対に動かない、と駄々をこねたのだ。
 その場は母親が無理やり連れて帰ったが、次の日も、また次の日も、毎日のようにその少女は店にやってきた。そして親や教師が迎えに来るまで居座るのも毎日のことだった。そんなことが続き、先に根負けしたのは店主だった。そこまで言うんなら、一度吹いてみるか、と。少女は大いに喜んで、その、どう見ても少女の背丈に合わないサックスを手に取り、吹き鳴らした。



 そう、吹き鳴らしたのである。楽譜も見ずに、麻帆良学園の校歌を。



 その時の店主や母親の驚愕はとても言葉で言い表せるものではなかった。どうして吹けるのか、と掠れた声で問う店主に対し、少女は何でもないかのように答えた。



「うーんとね…吹ける、って思ったの。吹きたい、って思ったの。それだけ。」



 まさしく神童だ、と店主は恐れ慄いた。そして、40万するそのサックスを、無償で彼女に譲り渡すことに決めた。当然母親は全力で遠慮したが、このサックスは彼女に出会うために作られたのだと、柄にもない運命論を振りかざし、少女に押しつけたのである。そして同時に、サックスの永続的なメンテナンスも無償で請け負った。



 それ以来、会う度に彼女の演奏技術は飛躍的に向上していった。今では間違いなく、世界トップレベルのサックス奏者に比肩する、と彼は確信している。しかし彼女はそういった地位や名誉には一切興味が無いらしく、せいぜい路上演奏を行う程度であった。もったいない気がしなくもないが、彼女の意志なのでまぁ別 にいいか、と考えている。
 そうして付き合いを始めてから早7年。今では長谷川家とお中元を欠かさず贈り合うほどの仲になった。そして千雨自身も、メンテナンスが無くとも毎週必ず顔を出し、世間話や最近の音楽などについて話し込んでいる。一度千雨の両親が用事で麻帆良から出ていった時には、両親が彼の家に泊めてもらうよう頼んだほどである。彼自身も千雨のことは娘同然に思っていたし、千雨も彼を心の底から信頼している。



 千雨がカウンター横の椅子に座ると、間髪いれずに目の前にコーヒーが置かれた。マグカップはこの店に置いてある千雨専用の物だ。千雨は軽く礼を言ってからそれに口をつけた。二口ほど飲んだところで、店主がカウンターに座り、千雨の方を向いた。



「…それで、今日はどうしたんだい嬢ちゃん。珍しく来る前に電話なんぞよこして。しかも人に聞かれたくない話だなんて、何かヤバいことにでも関わってるのかい?」



 彼女から電話があったのは昼ごろ。『今日店に行きたい。ただ、誰にも聞かれたくない話だから、閉店後でいいか。』と聞いてきた。いつも冷静沈着でかなり大人びた性格をしている彼女が、こんな頼みごとをしてくるとはよっぽどのことだと考えた彼は、『今日は4時に閉店にしておくから、放課後に来い』と伝えたのだった。





 ひょっとして親にも言えないような話なのか。不安で胸がいっぱいになる店主の前に、千雨の手が差し伸べられた。その手には折りたたまれた紙があった。
 その紙を手に取り、開けてみて、それが何なのかを理解した瞬間、彼は愕然とした。



「お、オイ、嬢ちゃん、これは………。」


「見ての通り設計図だ。自作だから、あまりいい出来じゃないけどな。」



 そこに書かれていたのはサックスの設計図。しかしそこに書かれた設計内容は、楽器に関わる者なら誰もが目を疑うようなものであった。



「単刀直入に言うぜ、じいさん。」



 千雨の目が剣呑さを帯びる。






「――――――コイツを作りたい。手伝ってくれ。」






―――水曜日 PM5:30―――



「…何かネ、これハ。」



 麻帆良工大の「星降りのほこら」にて、超はたった今エヴァから手渡されたメモに書かれた内容を読み、胡乱気な目をしてエヴァを見た。



「何って、見れば分かるだろう。茶々丸の追加武装要求リストだ。そのリストに書かれている要求通りの武装を揃えてくれ。金に糸目はつけん。最大限強力なやつを頼むぞ。」



 事もなげに返答するエヴァ。傍らにひかえる茶々丸も、「早く作ってくれ」と言わんばかりの視線を超とハカセに投げかけ続けている。



「イヤ、別にお金を取る気はないヨ?茶々丸のためでもあるしネ。だけどだナ…。」



 そこで言い淀んだ超を見て、今度はエヴァが胡乱気な目を向ける。いいからさっさと言え、と視線で脅し付けていた。



「…結構作るのに時間かかると思うヨ?多分、来週になるのは確実ヨ。つまり、その…。エヴァさんとネギ先生の決闘には間に合わないと思うヨ…。」



 最後の方の言葉は尻すぼみだ。今は視線を逸らしているので分からないが、おそらくエヴァは、期待外れだという顔をしているに違いない。エヴァだけならともかく、茶々丸にまでそう思われるのは心苦しいものがある。
 しかし、予想された叱責の言葉は飛んでこなかった。恐る恐るエヴァの方を見ると、呆れたような表情を浮かべていた。


「…別に今すぐ作れと言っているわけじゃない。無論早いに越したことはないがな。時間はかかっても構わん。最高の物を作れ。
 ただ、まぁ、そうだな…、…うん。」



 そう言いながらエヴァは携帯を取り出し、電話をかける。少しして、電話の相手が出たようだ。



「ああ、神楽坂か?私だ、エヴァンジェリンだ。…そう警戒するな。電話越しだろうが。今度の決闘の件で、ちょっとボーヤに伝言してもらえるか。…ああ、決闘はもちろん受ける。ただ、日時にちょっと問題があってな。決闘の日付を変更させてほしいから、後で折り返し電話をしろ、と言っておいてくれ。…いや、決闘はこちらの準備が整うまで待て。貴様らとて、私に手を抜かれて戦うのは面白くないだろう?…ああ、その意気だ。手など抜いてやるものか。貴様らも充分に準備を整えてからかかってこい。…ではくれぐれも、伝言を忘れないようにな。」



 電話を切り、唖然としている超を見て、エヴァはにやりと笑った。



「貴様が何故私たちの決闘のことを知っているのかは知らんが、これで貴様の憂いは無くなったろう?じっくりと時間をかけて作るがいい―――――この私が、貴様の思い通りに動くと思うなよ、超鈴音?」






―――金曜日 AM8:30―――



「銃を売ってくれ。」



 龍宮真名は困っていた。クラスメイトを襲撃して返り討ちにあったのが一昨日のこと。一日経ってようやく刹那も落ち着きを取り戻し、共に登校したところ、下駄箱で例のクラスメイトに待ち伏せされていた。そして開口一番これである。
 刹那に助けを求めようと視線を向けたが、すでにいなかった。逃げたか薄情者め。



 しかし実際どうしたものだろう。彼女に銃器を渡すなど、鬼に金棒、殺人鬼にチェーンソー、アーサー王にエクスカリバーを与えるに等しい。麻帆良学園の安全を守る身としてはこれに応じてはいけない気がする。
 だが、しかし。彼女に対して強く出れないのも確かである。一昨日の夜に最初に手を出したのは自分たちだし、それ以前に忠告喰らってたわけだし。


「一応聞くけど、どんなやつが何丁欲しいんだい?」


「速射性があるやつと威力の高いやつの二丁。もちろん銃弾も頼む。代金は…これでいいか?」



 そういって手渡されたのは財布だった。中を確かめてみると、預金カードや消費者金融のカードなどがいくつか入っていた。思わず真名は顔をしかめた。



「…コレどう考えても盗品だろう。こんな足の付きやすい物どうしろっていうんだ。」


「あー…じゃあ前金ってことで何とか。全額きっちり払わせてもらうから。」



 そういう問題じゃないだろ、とは突っ込まなかった。カードに書いてある名前から、知り合いの麻帆良の魔法教師だと判明した。おそらく掏ったのだろう。ますます使いづらい。
 溜め息と頭を掻くのを数回繰り返し、数分かけて逡巡した。その間千雨も何も言わなかった。最後に大きく溜め息をつきながら、真名は頷いた。



「…今日にでも頼んでおく。ちょうど私の分も新しいやつを頼もうとしていたところだしな。早ければ来週始めには届くと思う。」


「ああ、別に構わないよ。銃弾は三ダースで頼む。ああ、それと、銃とは別にもう一つ頼みたいものがあるんだが、いいか?」


「…構わないよ。ここまで来たらどうにでもなれだ。ばれなきゃ一向に構わん。」



 完全に開き直って千雨の注文を聞くことにする真名。そして、その注文を聞いて、また頭を抱えることになる。



――――――一体、何を企んでいるんだ、この女は。



 やっぱり引き受けなきゃよかった、そう後悔する真名であった。






―――金曜日 PM8:00―――



「―――――えいえんのひょうが(ハイオーニエ・クリュスタレ)



 エヴァが詠唱を終えると共に、視界の全てが凍土と化した。侵入者たちも式神も、悉く氷像となっていった。


「…この程度か。全く、もう少し強い連中はいないのか。」



 エヴァは手近な木に腰掛けてぶつくさ言いながら、さも気だるそうに嘆息した。この停電巡回に参加すると言った時の学園長のあの愕然とした顔。何か企んでいたのだろう。良い気味だ。だが、他の魔法教師たちが不信感丸出しの目で見ていたのにはイライラさせられた。しかし、いざ参加して戦ってみると、不甲斐ない敵ばかり。歯応えが無いと感じるのも仕方ないことであった。
 すると、氷漬けになった森から人影が現れた。茶々丸だ。その拳や服には返り血らしき跡が付いている。



「こちらも終わりました、マスター。この周辺に居た侵入者は全滅したようです。」



 こちらもどことなくつまらなそうだ。実際、今回の停電による侵入者撃退作戦は、エヴァ達、特に茶々丸にとっては経験値稼ぎでしかない。戦闘経験がさほど多くない茶々丸にとってはちょうど良い機会であったのだが、あまり強い敵がいなかったため、ほとんどが茶々丸の圧勝で終わってしまった。
 ―――――そう、茶々丸にとっての『敵』は、こんなものではないのだ。もっと、もっと強くならねば、足元どころか影すら踏めない。



「そうか…。とりあえず、私の魔力封印に麻帆良学園の電力が使われていることは分かったし、とりあえず今日の目的は達成したわけだが…まぁいい。せっかくだし、もう一暴れしていこうか。お前ももう少し経験値積んでおけ。役に立つかは知らんが、無いよりはマシだ。」


「ハイ、マスター。」



 そして主従は獲物を横取りするため、別の区画へ行く。後には氷漬けの森と人が残されるのみだ。




「―――超の武装が完成し次第作戦開始だ。今夜のこれは単なる前哨戦。なまった体を元通りにする準備運動だ。待ってろよ、ボーヤ!そして長谷川千雨!!フハハハハハハ!!」


 その後間もなく電力が復活し、この日の巡回は恙無く終了した。









―――土曜日 PM0:00―――



 超包子にて、千雨とのどかは昼ごはんを食べていた。昨日の停電について話しながら、とある人物を待っているところだ。



「停電中ずっと爆音が響いてたけど、聞こえなかったのか?」


「ええ、ずっと静かでしたよ?消音の魔法とかそういうのじゃないですか?」


「消音か…。私のお株を一つ奪われた感じが…。」


「え?」


「いや、こっちの話。そろそろ来る頃かね?」



 時計を見ながら耳を澄ませる。聞こえた。こちらに歩いてきているようだ。距離は近いが、足取りは重そうなので、後1分くらいかかりそうだった。



「そういえばそれも使うんですか?」



 のどかが千雨の傍らに置いてある袋を指差した。



「あぁ。後は龍宮に頼んだ物待ちなんだが…。」


「…付け爪とか何に使うんですか?」



 のどかは訝しげな眼で千雨を見る。千雨は答えようとしたが、後ろから近づく人間を察知して話すのを止め、隣の空き椅子を引いた。



「まぁ座れよ、長瀬。」



 長瀬楓は何も言わず、席に着く。その表情はまるで死刑執行を待つ囚人のようだった。


「あ、別に今日は長瀬さんを糾弾するつもりは一切ないですよ!?むしろ頼みたいことがあるから呼んだんです!だからそんなこの世の終わりみたいな顔しないでください!」


「ほ、ホントでござるか!?」



 その顔から察したのどかがフォローを入れた途端に、楓の顔がパァッと明るくなった。



「いやいや、良かったでござるよ。今朝まで遺書を書こうかどうかずっと悩んでいたでござるからな…。」


「まぁしょうがないですよね。私も最初は長瀬さんに制裁加えるために呼び出したんだと思いましたもん。」


「…お前らは私を何だと思ってるんだ?」


「阿修羅の申し子。」


「悪魔超人。」


「よしお前ら歯ぁ喰いしばれ。」



 強く拳を握りしめて立ち上がる千雨を見て、二人はそろって平身低頭する。



「さて、冗談はこれぐらいにして―――。長谷川殿、今日呼び出した理由は?」



 楓が真面目な顔になって問いかけた。それを見て千雨はニヤリと笑う。



「ああ、この前私たちをつけ回してたのがばれた時、言ってたよな?後日詫びをさせてくれって。だからさ長瀬――――」






「ちょっと、パシリになってくれないか?」






―――火曜日 AM8:30―――



「注文の品、全部届いたぞ。」



 真名のその言葉に千雨は驚く。



「…随分と早いな。ホントに週始めに届くとは。」


「速達してもらったからな。…例の品のほうは刹那が見つけてきた。格安だったぞ。感謝しておけよ。」


「…目すら合わせてもらえないんだが。」



 千雨の言葉を聞きながら、真名はそれを投げ渡す。小さいながらも美しく透明に光り輝くそれは、間違いなく千雨が路上演奏を続けた程度では買えないほど高価な一品だ。
 その輝きに見とれていると、真名が思い出したように鞄から一枚の紙を取り出す。



「ハイ、請求書。」



 ぴたりと千雨の動きが止まり、それを恐る恐る手に取り、そこに書かれた金額を見た。
 完全に硬直した千雨を見て、これで仕返しはできたかな、と満足げに、少し嫌らしい笑みを浮かべた。



 長谷川千雨、15歳にして数百万の借金を背負った瞬間だった。






―――木曜日 PM7:00―――



 ズドオン!!ととてつもない轟音と共に、麻帆良工大キャンパスの一角から閃光が迸った。発生源である超鈴音のラボの壁は消し飛び、余波で窓ガラスが割れている。
 そしてそのラボの中で、エヴァが満足げな笑みを浮かべていた。



「…ふむ、最低出力でコレか。要求通りの素晴らしい威力だ。パーフェクトだ、超。」


「…感謝の極み、ヨ。というか、当然の結果ネ。もともと家一軒ぶっ壊せるくらいの強力な武装を所望だっただロ?これで満足行かなかったら、さすがに引くネ。」



 超の視界に入るのは、新武装の試射によって消し飛んだ壁と、尻もちをつくハカセ。そして、手ごたえを掴んだような顔をする茶々丸。



「どうだったネ茶々丸?何か不備はあるカ?」


「少々反動が大きいですが、威力については申し分ありません。他の武装についても、最高の出来です。ありがとうございます。これなら―――――彼女に、勝てそうです。」


「そう言ってくれると、製作者冥利に尽きるヨ。ただ、ソイツは弾丸も特製で、弾数も限られてるから、気をつけるヨ。」



 そう言って吹き飛んだ壁に近づき、空を見上げ、誰にも気付かれないよう嘆息する。

 すでに自分の知る歴史とは全然違う。エヴァンジェリンは停電時に行動を起こさなかった。しかし、封印を解こうとすることは間違いない。まだネギ先生との決闘の約束は残っている。だが、正直言って、ネギ先生の勝つビジョンが見えない。何せ、あんな武器を持っているわけだし。また、大きく歴史が狂う予感がした。





 ―――いや、そもそも今のエヴァにとって、ネギ先生との決闘は些細なことに過ぎないのだろう。茶々丸に至っては、彼女との戦闘以外認識しているかどうかすら怪しい。



「茶々丸。ボーヤ達に連絡を取れ。『こちらの準備は出来た。金曜日に決闘を受けよう』とな。」


「ハイ、マスター。」



 エヴァンジェリン主従の会話を聞きながら、超は考える。自分の知る歴史とは全く違う歴史。そしてそのターニングポイントである彼女―――長谷川千雨。おそらく、これから先も、この歴史は彼女を中心に回り続ける。その渦に巻き込まれた先には、一体何が待ち構えているのか。



 願わくば、その未来が自分たちにとって好都合な物となることを。






―――水曜日 PM9:30―――



 閉店の札がかかった店の中に、サックスの重厚なバリトンが響く。唯一の聴衆である店主は、それをただ黙って聞いていた。たっぷり5分は演奏してから、千雨はサックスのマウスピースから口を離した。



「…うん、文句無し。ありがとう。凄いなじいさん、ホントに1週間で作っちまうなんて。」


「そりゃまぁ、一週間店休みにして、寝る間も惜しんで作ったんだ。ここ数日はほとんど寝てねぇ。これで出来に文句言われちゃたまんねぇわな。」



 そう言って笑う店主の眼の下には色濃い隈が出来ていた。千雨はもう一度感謝の言葉を述べつつ、出来たばかりの新型サックスを懐かしそうに、愛おしそうに撫でた。そして、傍らに置いてあるサックスを見た。それは、8年前にこの店で貰って以来、今日までずっと使い続けている代物だ。



「そっちの使い慣れたやつで作ったほうが良かったんじゃないか?結構重量があるだろ?」


「まぁそうなんだけどさ、いきなりこっちを使っていざ作るのに失敗したら、取り返しつかないだろ?」


「ハハハ、そうだな。俺も作れるかどうか分からなかったし。」



 そう言って笑い合う二人。そして完成したそれをもう一度見る。



「そういや名前も考えてあるって言ってたな。どんな名前なんだい?」


「『シルヴィア“rebirth"』。いい名前だろ?」



 ああ、と返事をしながら、店主は千雨をじっと見つめた。



「…最初に設計図をくれた時は驚いたよ。こんな規格外の楽器、扱いこなせるわけがないって。コイツは――――ありとあらゆる音を奏でられる。それこそ、人に危害を与えるような音も、だ。
 けど、嬢ちゃんなら―――――間違いなく、完璧に扱いこなせる。」


「………………。」



 千雨は無言だ。長い付き合いだ。おそらくこの店主は分かっているのだろう。千雨が、危険なことに首を突っ込んでいることを。



「コイツを使って嬢ちゃんが何をしようとしてるのかは知らねぇし聞く気もねぇ。でもきっと、やらなきゃいけないことなんだろう。だったら俺は嬢ちゃんを応援しよう。メンテナンスは俺に任せとけ。どの道そんなモン、他の楽器屋で見せるわけにはいかんだろう。でもひとつだけ、誓ってくれ。」


「…何をだ?」


「…せめて、この店に来る時は、そんな目をしないでくれ。」



 そう言われた千雨は、ばつの悪そうな顔をのぞかせた。



「よく人に感情が顔に出やすいって言われるんだが、目にまで出てたか?」


「ああ、獲物を狙う飢えた猛禽類のような、ぎらついた目だ。親御さんの前でそんな目を見せるんじゃねぇぞ。」



 千雨は苦笑する。感情が顔に出やすいなんて、元殺人者としては失格だろう。
 千雨は思う。自分のやろうとしていることは決して褒められたものではない。きっと本当のことを知ったら、この気の良いじいさんも幻滅することだろう。でも今は、無事に戻ってこいと言外に言ってくれたその優しさに身を浸したい。



「…じゃあこれからもメンテナンス頼むぜ。じいさん。」


「おう。シルヴィアの製造費はつけといてやるさ。支払い終わるまで死ぬんじゃねぇぞ。」



 後ろを向いて手だけ挙げながらその声に答え、千雨は店の外に出た。ゆっくりと寮への道を歩きながら、携帯電話を見る。留守電が一件入っていた。一昨日の放課後に訪れた仕立屋からだ。



『長谷川様よりご注文いただいていた白の燕尾服の方、完成いたしましたので、また取りにいらしてください。料金は―――――』



 料金を聞いてから電話を切る。明日の放課後にでも訪れることにしよう。
 ここのところの教室近辺での会話を聞くに、エヴァはネギ先生との決闘を延期しているらしい。どうやら準備を整えているらしいが、話を聞く限りその準備には超も関係しているようだ。そして今朝、超がエヴァに装備が完成したと告げていた。だとすれば、明日にでも決闘が始まってもおかしくない。



 ――――――ならばやることはただ一つ。



「悪いが、マクダウェル…私も、参戦させてもらうぜ。」










 生と死の境界の中に生きてきた二人の少女。一人は自由のために、一人は平穏のために、今という時を戦いに捧げ、己が身命を賭して、自身の存在を証明する。
 似て非なる二人の少女の思いは、今、ぶつかり合う。














(後書き)

 第11話。いわゆる一つの嵐前回。要するに、単なる戦闘準備回です。誰かヘクマティアルさん家の娘呼んで来い。



 この回を投稿した時に多く寄せられたのが、「何処にでも居る街の楽器屋さんがシルヴィア作れんの!?」というご指摘でした。いや全くその通り。最初は楽器なんて何年経とうが構造なんて変わりゃしないだろー、なんて考えてたんですが、よくよく考えたら、ノーマンズランドの武器がそこら辺にあるような金属で出来てるわけ無いんですよね…。構造じゃなくて材質の問題です。ここら辺は自分の思慮の浅さがモロに出ました。本当にスミマセン。でも楽器屋の親父さんはここで出しておきたかったので、展開は変えませんでした。



 サブタイはVガンダムの「Stand Up to the Victory」恐い人にだけはならないでね、千雨…。………え、フラグ?何のこと?



 次回からついにエヴァ戦。長いので5話に分けてます。しかも導入だけで2話使うっていうね…。

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