遥か未来。遠き宇宙の果てに存在する、砂礫の大地、ノ―マンズランド。
 かつて楽園を夢見て地球を旅立った人々はこの不毛の星に不時着し、150年間、明日をもしれない日々を生き続けてきていた。
 そしてこの星に、とある理由から、人類を激しく憎む男が存在した。彼の名前はミリオンズ・ナイブズ。人智を超越した、神にも等しき力を持ち、この星に住む人間の全てを根絶やしにせんと、猛威を振るっていた。
 彼は人類を抹殺するにあたり、超人的な殺人能力を有した、殺戮マニアの人間を選りすぐった。彼らはナイブズの私兵として、己の思うがままに殺戮を繰り返した。後にナイブズに絶対的忠誠を誓う一人の狂信者により、そのほとんどが使い捨ての駒となったが、彼らの戦闘能力はまさしく桁違いと言えた。
 その超異常殺人集団の名は、GUNG−HO−GUNS
 そして『彼』もその一員であった。
 日夜銃弾が飛び交う砂の星で殺し屋として生き抜き、ナイブズに認められ、GUNG−HO−GUNSの7の位置に納まった。そしてその超人的な殺戮マニアが集まる中でも、『音界の覇者』と呼ばれて一目置かれていた一人の男。
 彼の名は、ミッドバレイ・ザ・ホーンフリーク。








「魔法の射手、氷の39矢!!」

 高く舞い上がったエヴァの手元から青い閃光が次々に迸った。千雨は素早く柱の陰に隠れる。魔法の射手の何発かは柱を砕き、残りは千雨を追尾した。千雨は電柱や電灯、魔法の射手同士の相殺などを上手く利用して避けていく。
 しかし今度は、チャチャゼロが急接近してきた。

「死ネヤァァァァァ!!」

 ヒュンヒュンと首や手足を狙って振り回される鉈。舌打ちしながらも、その全てを確実にかわす千雨。それはまるで剣舞のようであった。しかし、千雨が隙を見て素早くチャチャゼロの胴体に拳銃を突きつける。

「ゲッ―――――」

 躊躇いなく、引き金をひいた。
 バン、と弾ける音と同時に、チャチャゼロが後ろに飛んだ。



 しかしそれは至近距離からの射撃を喰らったからではなく―――茶々丸が、チャチャゼロの背中を掴んで後ろに放り投げたからである。

 とはいえ、茶々丸の接近と狙いに気付かない千雨ではない。素早く銃口を、チャチャゼロを振り捨てたまま固まった、ガラ空きの脇に突き付け、引き金を引いたのである。銃弾は零距離で茶々丸の脇に当たり、茶々丸は苦悶に顔を歪めた。



 その間に、エヴァは千雨の背後の上空に移動していた。そして、自身の始動キーを唱え始める。

「リク・ラク・ラ――――」



 しかし、そこまで詠唱したところで。
 銃声と共に、2発の銃弾が飛んできた。



「―――――!!」




 銃弾は自動障壁に遮られたものの、もしそれが無ければ確実にエヴァの頭部と心臓を貫いていた。しかも、あり得ないことに。
 千雨はエヴァの方を一瞥すらせず、後ろを向いたまま人体急所を狙撃したのだ。



 エヴァは戦慄する。後ろに目が付いているとしか思えないほど確かな銃撃。それも、茶々丸とチャチャゼロの二人を相手取りながら、私の行動を具に把握していたとは。しかも、まだコイツは本気を出していない―――!




「―――チッ。」




 千雨は自身の銃撃が当たらなかったことを感じ取ったのだろう。舌打ちをしながら飛びかかってきたチャチャゼロをいなす。と、千雨が銃の台尻で殴ろうとした途端、チャチャゼロが後ろに下がった。



 後方から聞こえる風きり音。千雨は反射的に体を伏せる。その瞬間、先ほどまで自身の首があったところを、茶々丸の回転蹴りが通過していった。その速度と鋭さは、ギロチンを彷彿とさせる物であった。
 しかしこれにより、茶々丸に大きな隙が出来た。すぐそばにいるチャチャゼロもだ。素早く両手に銃を構え、二人の心臓に銃口を向ける。



 だが、今度は真上から音が聞こえてきた。

氷神の戦鎚(マレウス・アクィローニス)!!」

 空から巨大な氷塊が落ちてくる。千雨は伏せた状態から前足に力を込め、前方へ大きく踏み出し、間一髪で避けた。そろそろ背中に背負うサックスケースが邪魔に感じられてきた。



 素早く後ろを向き、振り向きざまに、同じくエヴァの攻撃から距離を取っていた茶々丸とチャチャゼロに銃弾を数発撃ち込む。
 エヴァはまたも後方に回り込んだ。しかし今度は、左手に大きめの氷柱を持ち、急接近する。対する千雨もナイフを取り出し、応戦する。


 ガキン、と、氷の塊と金属がぶつかり合う音がした。そこからは互いの得物をぶつけ合う。しかし千雨にもともとナイフによる接近戦の技能はあまり無い。そ のため、あっさりとエヴァに劣勢に追い込まれた。そして何合か打ち合う内に、千雨のナイフがエヴァの振るった氷柱により弾かれ、地面を転がった。


 エヴァはすぐさま右手で千雨の頭部を掴み、行動を封じる。そして、左手の氷柱を喉に突き刺さんと振りかざした瞬間―――――



 千雨の手がエヴァの喉に触れる。エヴァの首が裂け、鮮血が吹き出した。



「え―――――?」



 その声は誰のものであったのだろう。少なくとも千雨でないことは確かだが、彼女以外は皆何が起こったか分からず、エヴァの援護のために駆け寄っていたことを忘れてしまった。



 しかし、それも一瞬のこと。
 首から血を噴き出すエヴァに、銃口が突き付けられた。



 パンパンパン、と乾いた音が轟く。その音で再起動した茶々丸とチャチャゼロが飛びかかった。チャチャゼロが二人に割り込み、その隙に茶々丸がエヴァを抱いて飛び退き、千雨と距離を置いた。

「大丈夫ですか、マスター!」

「ぐっ…ああ、かなり深いが、ギリギリ紙一重で頸動脈は避けた…。何て物を身につけてるんだ貴様、ファッションのつもりか…!?」

「こんな物騒で金のかかったファッションあるわけ無ぇだろ。武器だ武器。結構効いただろ?」

 エヴァの喉に触れた千雨の右手は、血がべっとりと付いていた。燕尾服にも返り血が点々と付着している。

「付け爪が刃物だったか…。全く、突拍子もないことを考えつくやつだ。かなり効いたぞ、今のは…。」

「ご名答。私が接近戦の対策を何もしていないとでも思ったか?」

 千雨の付け爪には、非常に細かいダイヤモンドの破片がやすり状にまぶされている。
 真名に依頼して手に入れたダイヤモンドを細かく砕き、できるだけ刃物のような形になるように削る。そうして出来た極小の刃物を付け爪に接着したのであ る。無論切れ味は抜群であり、軽く手を振るうだけで皮膚など容易く引き裂ける。接近戦を仕掛けてきた相手へのカウンターとしては、これほど効率的な武器も そうないだろう。



 しかし、千雨の表情は優れない。内心では、苦虫を噛み潰した思いでいっぱいである。



 本当ならば、こんなに早い段階からこの爪を使うつもりは無かった。殺傷能力も隠密性も高いこの爪は、切り札にも近い代物であったはずなのに、こうもあっさりと使う羽目になってしまうとは。



 千雨は敵を見くびっていたことを痛感する。この3人(といってもまともな人間は一人もいないが)の連携はかなり凄まじ いものがある。碌に攻撃に移れない。その上防御能力も高い。エヴァには先ほど2発銃弾を撃ち込んだが、当たる直前で見えない壁に阻まれていた。おそらく、 自動で防御壁が作動する魔法だろう。ということは、銃が通用しないということだ。面倒臭い。



 そして、千雨にとって最大の問題は―――――

(かなり攻撃が激しい…。避けるだけで精一杯だ…。)

 千雨の最大の弱点は、防御能力の低さである。
 千雨自身の攻撃能力は自分も自負するところであるし、回避能力も、魔法の射手を避けるぐらいならば造作もない。しかし、防御だけはからっきしだ。紙以下と言っていい。もしエヴァや茶々丸の攻撃がクリーンヒットしたら、それだけで大ダメージを受ける。



 故に、千雨に求められる戦い方は、「相手の攻撃に一切当 たらないこと」。言うまでも無く至難の業である。常に回避能力をフルにしていなければ、一瞬でやられてしまう。しかし想像以上の苛烈な攻撃に、さすがの千 雨もなかなか反撃に移れないでいた。

(…しょうがない。もう少しダメージ与えてからと思ったけど…)

 そう考えながら、後ろのサックスケースに手を伸ばす。少し早いが、自身の戦闘スタイルを解放することにした。
 しかし、千雨の頭の中で、もう一つ考えていることがあった。

(しっかし…なんだろうなこの、全身に感じる違和感…)




 一方のエヴァ達もかなり戸惑っていた。

(まさか本当に、たった一人で私たち3人と渡り合うとは…)

 油断はしていない。3人が3人とも、全力で攻撃している。今の自分たちは間違いなく、この麻帆良学園において最強であると確信している。しかし、未だ千雨に決定打を与えるに至っていない。目の前の人間は、魔法も気も使っていないにも関わらず、その異常な回避能力で自分たちの攻撃をことごとく避けている。 その上、わずかしかない隙を見つけ、確実に急所を狙った攻撃を仕掛けてくるのだ。

(侮っていたつもりはなかったが…つくづくこちらの予想を上回ってくるやつだ。戦闘慣れし過ぎている。戦闘経験だけなら私に匹敵するんじゃないか…?)

 目の前の年端もいかない小娘が、自分の600年の経験に匹敵するとは考えたくないが、それほどまでに千雨を評価していることの裏返しでもあった。
 そしてそれは茶々丸、チャチャゼロも同じだった。

(たかが武装を強化した程度で対等に張り合えるとは思っていませんでしたが…。まさか、マスターと姉さんが加わってなお、互角に戦えるとは…。一瞬でも隙を見せたら、確実に殺られる―――!)

(オイオイ、確カニ多少ナマッテタノハ確カダガ…。ソウダトシテモ掠リモシネェナンテ…。コレデ魔力モ気モ使ッテナイナンテ、トテモジャネェガ信ジラレネェゾ!?)

 ―――そして、主従3人、同じ考えに至っている。

(((―――――だが、だからこそ面白い)))

 この、一瞬の隙が命取りになる緊張感。全身をゾクゾクと駆け抜ける興奮。楽しい、そう感じさせるに足る戦いというのは、本当に何年ぶりだろうか。ボルテージは上がる一方だ。



 付け込む隙が無いわけではない。千雨が回避を重視しているということは、自身の防御能力に不安があることを示唆している。気を纏っていないことが明白なら、一撃当てれば堕ちるはずだ。



 ならばやはり広域殲滅呪文が手っ取り早くていいだろう。茶々丸とチャチャゼロに相手取らせている間に呪文を唱え、一気に潰す。オーバーキルだとは思わない。むしろそれぐらいしなければ、こちらが殺られるのだ。



 ならば、と始動キーを唱えようとしたが、それよりも速く、千雨が口を開いた。

「…ったく、面倒臭ぇな、魔法ってやつは。もう首の傷が塞がり始めてるじゃねぇか。常識外れもいいとこだ。こっちの攻撃が全っ然通用しねぇじゃねえか。」

 千雨の言うとおり、首の傷がゆっくりと塞がり始めていた。先ほどのような激しい出血はもう見られない。もちろんこれは、エヴァの吸血鬼としての驚異的な再生力故のものだが、攻める千雨としてはたまったものではない。
 そんな不満気な視線を受け、エヴァがフフンと鼻を鳴らした。

「常識を超える力が魔法という物だ。というか、貴様が常識を語るな。お前ほど非常識な存在はそうそういないぞ?」

「失敬だな、私が今まで常識の範疇を超えたことがあったか?」

「…少なくとも私をスコップ一つでバラバラにすることが常識的とは思えませんが。」

 千雨の発言に茶々丸がツッコミを入れた。エヴァもチャチャゼロもうんうんと頷く。千雨もバツが悪そうに頬を掻いた。

「ありゃあ、うん、まあ…けど、手段自体はそんな大したものじゃなかったろ?一般人が正当防衛に使う手段としちゃ、ありふれたもんだろ。」

 どの口が一般人とかぬかすか、と冷めた目で千雨を見つめる主従3人だったが、千雨が背中のサックスケースに両手を伸ばし始めたことで、少し緩んでいた空気が一気に緊張した。

「けど、」

 千雨が目を細め、3人を睨みつける。

「ここからは、そんな物期待するな―――こっちもそろそろ、自分の戦闘態勢(スタイル)で戦わせてもらうぜ?」

 その言葉に、エヴァは少なからずぞっとする。ついに、この底知れない怪物がベールを脱ぐ。それだけで、この場に不気味な空気が流れるのを感じた。あの サックスケースに隠されている、奴の武装。これまで数々の武器、アーティファクトを見てきたが、コイツはどんな武器を使うのか。自然と視線が、ケースのベ ルトを外す両手を注視する。


 そして千雨の手がベルトを外し―――――



 千雨が3人に向け、思いっきり右足を振り上げた。
 その足から、黒い何かが3人に向け飛んできた。



 千雨の手にしか注目していなかった3人は対応が遅れ、結果、その黒い何かが爆弾であり、目の前で炸裂するのを防ぐことが出来なかった。爆音が響き、エヴァ達の体が吹き飛ばされる。



 千雨がベルトを外していたのは右手のみで、左手はベルトを外すふりをしながら、爆弾のピンを抜いていたのである。そしてピンを外してから素早く足もとに落とし、勢いよく、かつ適度な力加減で蹴り飛ばしたのだった。ちなみに爆弾の中身は、火薬など必要な物を千雨が集めて手作りしたものである。しかも内部には、金属片なども混ぜてある。



 なので、その爆発を零距離で喰らったエヴァ達はひとたまりもない。何より、完全に千雨のミスリードに引っ掛かっていた。自動防御があるにせよ、目前で起こる爆炎と爆風を防ぎきることは出来なかった。

 飛んでくる金属片から身を守りながら、エヴァの矮躯が爆風に吹き飛ばされる。そのまま校舎のガラスを突き破る寸前で、魔法の射手で破壊し、教室内に着地した。

「茶々丸!チャチャゼロ!無事か!?」

 大声で従者の安否を確かめる。まさかやられたということはないだろうが、奴の狙いがこちらの戦力の分散だとしたら厄介だ。

「マスター!ご無事ですか!?」

「大丈夫カゴ主人!?」

 従者たちが教室になだれ込んできた。二人とも服がところどころ切れたり焼けたりしている。だが、戦闘に支障は無いようだ。エヴァも立ち上がり、服の汚れをパンパンとはらう。

「ああ、大丈夫だ…。くそっ、まさかあんな古典的なブラフにこの私が引っ掛かってしまうとは…。だが、この程度の不意打ちで倒せるとでも―――――」



 その瞬間。
 エヴァの腹部に衝撃が走り、吹き飛ばされた。



「ガ、ハッ――――――!」

 口から血を吐き出しながら、教室のガラスを突き破って廊下に転がった。破ったガラスの破片が背中に刺さり、倒れ込んだ廊下を血に染めた。
 腹部を手で押さえ、震える足で何とか立ち上がる。

(今のは坊やを倒した衝撃波―――!抜かった―――――!)

 目の前でネギがやられるところを見ておきながら、すっかりそのシーンが頭から抜け落ちていた。

 否、ここまでの千雨の発言や攻撃・回避行動の数々が、衝撃波の存在をすっかりエヴァから忘却させていた。ブラフにブラフを重ね、衝撃波という最も危惧すべき攻撃の印象を薄れさせ、ここぞという場面で不意を打つ。 激しい戦闘の中でこうした策略を組み立てていく能力も、千雨が戦闘慣れしている証拠だと言えた。

(くそっ、完全にヤツの罠にはまった…!内臓が少しやられたか…!)

 臓腑の奥から血がこみ上げてくる。消化器官系のどこかが潰れたのかもしれない。背中にはガラス片が多数突き刺さっている。口から血のかたまりを吐き捨てながら、前方を見つめた。


 その瞬間目に入ったのは、自分と同じように吹き飛ばされてきた茶々丸だった。自分よりずっと背丈の大きい茶々丸が、エヴァに正面からぶつかってきた。声を上げるヒマもなく衝突し、先ほどと同じように倒れ込んでしまった。

「ぐっ…申し訳、ありません…。大、丈夫ですか、マスター…。」

「だ、大丈夫だ…。とりあえずどいてくれ、重くてかなわん…。」

 自分の真下から聞こえたその言葉に、茶々丸は急いで脇に避けた。エヴァはむくりと起き上がるも、茶々丸と激突した際に鼻を強く打ちつけたため、鼻血が滝のように溢れ出ていた。

「申し訳ありません、マスター。」

「いや、いい。気にするな。そんなことより、ダメージはあるか?」

「…損傷率32%。腹部の一部機器、ボディがひどく損傷しています。飛行、高速移動の際、損傷が悪化する可能性が高いため、機器の損傷部位、ボディと武装の一部をパージして戦闘を続行します。」

 茶々丸に戦闘を中断する気は一切無いようだ。おそらく首一つになっても、変わりなく戦おうとするに違いない。その滲み出る勝利への執念こそ、今の茶々丸を茶々丸たらしめているものであった。


 しかし恐ろしいのは、先ほどの衝撃波。衝撃波という攻撃の特性上、防御壁を貫いてダメージを与えてくる。しかもその一撃の威力がとんでもない上、それが音速で飛んでくる。防御不可能・不可視・音速の砲撃だ。はっきり言って洒落にならない。魔法や気を使ってくれた方が遥かに安心できた。

「ところでチャチャゼロは―――――」

 エヴァが未だ姿の見えぬもう一人の従者を呼ぼうとした瞬間、塵埃で煙る教室内から、一体の人形が飛び出し、エヴァの目の前に叩きつけられた。

 叩きつけられた際に右手が折れ、鉈の柄だけ持った手首が転がった。胴体はガラス片まみれで、顔には大きなヒビが入っている。それは人形というより、残骸に近かった。

「チャチャゼロっ!!」

 すぐにその残骸に駆け寄り、抱き起こす。しかし、教室内から感じた殺気に、バックステップで距離を取った。

「まずは一人目。いや、一体か?木偶人形にしちゃ、よく戦ったと思うぜ。」

 嘲るような冷たい声。あの夜、千雨がエヴァと対峙した時に出していた声だ。煙の中から足音が聞こえ、白い燕尾服が現れる。姿が見えた瞬間、燕尾服にかかった何かが、エヴァの後ろの窓から差し込む月明かりを反射してキラリと光った。
 エヴァには、その光に見覚えがあった。

「それが貴様の武器というわけか。なるほど、ミュージシャンを気取るわけだ―――――!!」

 教室で、路上で、桜通りの夜でも吹いていた、金色のサクソフォン。いつも観客を喜ばせていた、長谷川千雨の代名詞ともいうべき、その楽器。普段吹いている物より一回り大きい。ということは、衝撃波を発することのできる改造サックスということか。



 殺人音楽家。正にその称号が相応しい出で立ち。


 なるほど、自らの過去に悩むはずだ。自身の殺人方法と今の生き方が、ほとんど変わらないものだったのだから。

「ヨ…ヨオ、ゴ、主人…。」

 と、手の中から弱弱しい声が聞こえてきた。エヴァが手の中を覗き込む。
 ――――その、エヴァが視線を外した瞬間、千雨がサックスに息を吹き込んだ。

 校舎が震え、衝撃波が廊下の窓をことごとく叩き割る。エヴァは手の中のチャチャゼロを守りながら横に飛び避けようとするも、避けきれずに窓の外へ吹き飛ばされる。

 茶々丸は衝撃波を喰らいながらも、損傷部位をパージして千雨に接近し、ブレードでサックスを破壊しようとする。無論それを許す千雨ではなく、拳銃でそれをいなす。
 その間にエヴァは空中へ飛び上がった。

「スマネェ、下手ウッチマッタ…。コンナ小セェ体デ、アンナ衝撃波喰ラッチマッタラ、ソリャヒトタマリモネェヨナ…。」

「もう喋らなくていい!チャチャゼロ、後は任せろ!」

 壊れかけたチャチャゼロを服の胸元にしまい、呪文を唱え始める。

「来たれ氷精 闇の精」

 校舎内で千雨は茶々丸と戦っていたが、後方の上空から聞こえてきた声に耳を傾ける。おそらく、高威力の魔法を放つ気なのだろう。面倒だ。せめて自分に防御能力があれば。
 ここでふと、千雨の脳内にある考えが浮かんだ。




(そういえばさっきもライラックがどうとか、呪文を唱えてたな…。)




 茶々丸の右手のブレードが迫る。後ろのエヴァが詠唱を続ける。




(ひょっとして、魔法の発動には呪文が必要なのか?)




 ブレードによる突きを首の動きで避け、左ブローをひらりとかわす。




(それなら、途中で呪文を止めれば―――――!)




 魔法の根幹を為すのが呪文ならば、声ならば、音ならば。
 音界の覇者(わたし)に、掌握できないはずがない。




 ブローを放った茶々丸を前蹴りで蹴り飛ばす。その隙にサックスを口に咥え、エヴァの声を、音階を聞く。そして、サックスに息を吹き込んだ。

「闇を従え 吹雪け ――――――!?」

 エヴァの詠唱が途中で止まる。否、エヴァがそれ以上詠唱出来なくなる。
 唱えているはずの呪文が聞こえない。自分が口に出している言葉が、自分の耳に届かない。


 呪文、詠唱とは、魔法を発動させるための合言葉のようなものであり、その合言葉が途切れた以上、魔法は発動しない。魔法が不発に終わったと分かり、千雨はほくそ笑んだ。茶々丸は千雨の“演奏”を、衝撃波攻撃だと勘違いし、距離を取って防御態勢になっている。



 ―――――これで、勝機が見つかった。



 一方のエヴァは混乱していた。詠唱が途中で止められたということは、詠唱封じか。しかしどうやって?やつのサックスは衝撃波を出す改造兵器であることは確かだが、魔力は一切感じられないので、マジックアイテムやアーティファクトではない。ではどうやって詠唱を封じたのか?それともあのサックスが封じたのではなく、衝撃波の後遺症か?



 いずれにせよ、詠唱が封じられたのは痛手だ。だが、詠唱を封じられたからといって、攻撃手段が無くなったわけではない―――――!

「魔法の射手 闇の139矢!!」

 エヴァの掌から黒い弾丸が次々と飛ぶ。一直線に校舎の中へと向かうが、それよりも速く千雨が衝撃波を放った。

 しかし今度はエヴァや茶々丸を狙ったものではなかった。数度の衝撃波の余波でヒビが入り、脆くなった天井が、壁が、崩れ落ちていく。ガラガラと崩壊し、瓦礫が廊下と教室を塞いだ。魔法の射手が崩れ 落ちた瓦礫に遮られる。

「…ふぅ、危ねぇ危ねぇ。そういやあの呪文は何も唱えなくても使えてたな…。」

 瓦礫に埋もれた教室で千雨が呟く。耳をすませば、エヴァが校舎を大きく迂回してこちらに近づく音が聞こえた。



 その瞬間、千雨はその場から飛び退いた。先ほどまで千雨が居た場所に、銃弾が雨あられと撃ち込まれる。



 茶々丸の左手首から2本の銃口が伸びていた。超が対千雨用に備え付けたマシンガンである。逃げる千雨を追って茶々丸が数十発の銃弾を放ち、机を、床を、黒板を、粉々に破壊していった。

「アイツはアイツで何でもアリかっ!」

 千雨は悪態を付きつつも拳銃で応戦し、教室の扉を突き破り、瓦礫だらけの廊下を走りだした。その後ろを茶々丸が追う。千雨の無防備な背中を狙い、蜂の巣にせんと銃弾を撃ち込んだ。



 だが発射直後に、千雨が微妙に走る向きを変えた。そのまま直進した無数の弾丸は、千雨の体に隠れて見えなくなっていた屋内消火栓を易々と貫いた。
 破壊された消火栓から大量の水が噴出する。千雨の姿は水の壁の向こうに消えた。チッ、という舌打ちが茶々丸の口から漏れる。


 ちょうどその時、迂回してきたエヴァが教室内から姿を現した。

「茶々丸!大丈夫か!?」

「ハイ、私は大丈夫です。何発か長谷川さんの銃撃が命中しましたが…。私のマシンガンによる銃撃は一発も当たりませんでした。まるで銃弾の軌道が撃つ前から予測できているかのようです…。」

 マシンガンを収納しながら、悔しそうに報告した。

「…ところで姉さんは…?」

「…戦闘続行は不可能だな。最早まともに動くのは首だけだ。」

 そう言って胸元から壊れかけた人形を取りだす。ボロボロで、つい十数分前の姿など見る影も無かった。

「姉さん…。」

「…ソンナショゲテンジャネェヨ、妹…。最後ニ俺達ガ勝テバ、勝チダ…。悔シイガ、後ハ任セタゼ…。悪ィ、少シ寝ルワ…。」

 そう言ってチャチャゼロは眠りにつく。とはいっても永遠の眠りというわけではなく、普通に眠るだけであるが。エヴァと茶々丸は安心しながら、街路樹の根元にそっと置いた。

「さて…やつを追わねばな。しかし、あの衝撃波をどうするか…。」

 千雨の弱点は間違いなく接近戦であると踏んでいるが、そのためにはあの衝撃波をくぐっていかなければならない。だが、正直アレを何発も叩きこまれて耐えられる自信は無い。

 では遠距離からの攻撃はどうか?いや、ヤツの回避能力は神がかっている。とてもじゃないが、着弾までに時間のかかる攻撃が当たるとは考えられない。考えれば考えるほど、あの女が人間かどうか疑わしくなってきた。

(…こんな時、あの馬鹿なら力押しでどうにかするんだろうな…。)

 思い出すのは、自分をここに閉じ込めた男。戦い(バトル)が大好きで人懐っこく、不思議な魅力のある人間だった。死んだ、という話を聞いた時は、だいぶ落ち込んだものだった。

(―――――光に生きてみろ。)

 そう言ってあの男は私の目の前から去って行った。私の呪いを解かぬまま、永遠に。

(―――――平穏に、楽しく、笑って毎日を過ごす。それ以上の幸せがあるってのか?)

 先ほどの長谷川千雨の叫びが蘇る。アイツは―――私に、平穏(それ)を望んでいたのか?楽しく笑って、自由に生きていけと、そう言っていたのか?

 だとしたら、皮肉なことだ。その一人息子は、それとは真逆の立場に置かれてしまっているのだから。そして私は、平穏を崩す側に回っているのだから。
 エヴァが自分の思考に没頭していると、茶々丸から、あ、と素っ頓狂な声が上がった。
 何事かとエヴァが茶々丸の方を見ると、茶々丸がエヴァの方に向き直っていた。

「…マスター。作戦があります。」

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