千雨は校舎の3階、教室内で、サックスの手入れをしていた。
点検したところ、先ほどからの衝撃波の連発で、楽器にだいぶガタが来ていた。もともと試作品であったというのも理由の一つだが、あの砂の星で使っていた『シルヴィア』は、それ自体がこの時代では未開発の金属で出来ていた。故に、強度で劣るのは当然であり、そう連発できる物でないことは分かっていたが、想像以上に限界が速い。今夜放つ分には問題ないだろうが、今日以降でどのくらい使用することになるか分からない。
―――――と、千雨の耳が、エヴァが接近していることを告げる。ちょうど2階から3階に登って来ようとしているところだ。千雨はゆっくりと立ち上がる。
「さて、そろそろ佳境かね。」
そう語る千雨の顔には、一切笑みが浮かんでいない。目前の敵を狩らんと、その鋭い双眸を音の方向へ向けるのみであった。
そして先ほど、激しい戦いの中でエヴァが浮かべていた楽しげな笑みを思い出し、吐き捨てるように呟いた。
「楽しい戦いなんて存在しねぇ…少なくとも、私にとってはな。」
エヴァは3階の廊下を歩いている。さきほど2階を見て回ったが、何の気配もしなかった。ここ3階も特に何の気配もしないが、あの小娘のことだ。気配を消すぐらいの真似は楽々出来るはずだ。おそらく奇襲をかけるつもりなのだろう。
しかし隠れられたままでは、茶々丸の作戦は実行できない。何とか見つけ出し、おびき出さなければ。成功すれば、確実にヤツを仕留められる。
痛む腹部をさすりながら、警戒を怠らずに廊下を歩いていた、その時。
通りがかった真横の教室の窓ガラスが、突然一斉に割れた。
砕けたガラス片がエヴァに降り注ぐが、自動防御がエヴァの身を守る。砕け散るガラスの奥。暗い教室の中で、それよりもさらに暗い瞳で、エヴァを睨みつける白装束の少女。
「魔法の射手 闇の47矢!!」
千雨の姿を確認した瞬間、素早く魔法の射手を放つ。千雨は教室後方の黒板側に逃げるが、ホーミング機能を持つ魔法の射手は、狙い違わず千雨を追う。正面から、真横から、千雨を狙って魔法の射手が包囲網を形成するが、当たる直前に千雨は床に伏せて回避する。魔法の射手は黒板に当たり、黒板を塵に変え、隣の教室にまで貫通していった。
それを狙っていた千雨は、素早くその穴に飛び込み、隣の教室に逃げ込んだ。しかし今度はエヴァ自身が、扉をぶち破って襲いかかってくる。
「はぁぁぁぁぁっっ!!」
魔力で強化し、加速をつけたエヴァの拳が迫るが、千雨はそれをひらりと避けた。一歩さがった千雨に、エヴァがさらに魔法の射手を放ち追撃する。千雨は傍らの机を盾にして防ぎ、教室後方の扉へ向かって走り出す。
「倒れよ!!」
エヴァが千雨に手を向けた瞬間、教室中の机が、椅子が、一斉に浮き上がって、千雨に襲いかかる。
千雨は舌打ちする。銃弾や魔法の射手のような小さい物なら避けるのに最低限の移動で済む。しかし机や椅子のような大きくて歪な形の物は、軌道が読みづらく、避けにくい。身を低くして、何とか避けながら進むも、多少の被弾は避けられなかった。左腕、右膝、左腰、右肘、そして後頭部。多少痛むが、擦り傷程度だ。戦闘に支障は無い。のどかはすごく心配するだろうが。
そして扉まで辿り着き、エヴァの方に向き直る。千雨には聞こえていた。机が自分を襲っている間にエヴァが唱えていた呪文が。
「氷爆!!」
迫りくる冷気の爆風を前に、千雨はサックスを咥えて息を吹き込んだ。
サックスから爆音が放たれた。そしてその爆音が生みだす空気の衝撃が、迫る冷気とぶつかり合い、相殺された。拡散した冷気は空気中の水分を凍らせ、教室 内にダイヤモンドダストを産み出した。幻想的な光景ではあるが、見惚れている暇は無い。千雨は廊下に飛び出す。エヴァも全く同じタイミングで飛び出した。 そしてまた千雨に接近してくる。
「空気の衝撃による防御か…!器用な真似を…!」
「不器用なヤツに音楽家が務まるか!」
そう言いながら、エヴァの回し蹴りをかわす。素早く後ろに下がるも、エヴァが追撃する。左からの鎖骨打ち。
これを右手で払おうとした瞬間、エヴァに右手を掴まれる。そしてそのまま投げられた。合気道の投げ技だ。何とかサックスは庇えたが、その代わりしこたま背中を床に打ちつけた。
「がはっ―――――!」
肺の中の空気が全部漏れ出る。リノリウムの冷たい感触を地肌に感じる。千雨がニヤリと笑うエヴァの顔を見た。エヴァはそのまま千雨の体を氷漬けにしようとする。
「舐めんじゃねぇっ!!」
千雨は寝転がったままエヴァの腹部に銃口を押しつけ、躊躇いなく引き金を引いた。エヴァは素早く避けるも、その間に千雨は片膝を立て、演奏体勢に入り、サックスに息を吹き込んだ。
「氷爆!!」
しかし千雨が衝撃波を放つ直前、エヴァが魔法を放った。
膨大な冷気が衝撃波の壁となり、威力が減衰される。先ほどの千雨とエヴァの攻防の、正反対の立ち位置でのデジャブだった。
「ククク…さっき自分がやったことを、そっくりそのまま返される気分はどうだ、長谷川千雨?」
「そういう強がりは完全に相殺できるようになってから言え。痛いんならさすってやろうか?」
千雨の言うとおり、『氷爆』の威力だけでは衝撃波を完全に相殺することは出来ず、ボディブロー並の威力が残った。
しかし元の威力からここまで減らせただけでも十分と言えるし、エヴァ以外の者が同じことをやろうとしても、エヴァ並の威力を出せなければ意味は無い。詠唱無しでここまでの威力を出せるエヴァだからこその防御術である。
「というかさっきの投げ技の時、そのまま締め技に移ればよかったのにな。そうすりゃ勝敗は決まってたぜ?」
「貴様の勝ちで、だろ?不用意に締め技なんかしたら、貴様の爪の餌食になることぐらい分かっている。」
だからこそ、エヴァは拘束しきれなかった。近づきすぎれば間違いなく致命傷を喰らう。拘束するなら氷漬けにするしかないのである。しかし遠すぎれば衝撃波の的だ。
―――だが、ようやくヤツを良い位置に置くことが出来た。そろそろ、『作戦』に移るとしよう―――――!!
「―――――こおる大地!!」
詠唱無しで唱えられた呪文。巨大な氷柱が、千雨とエヴァの間に何本も突き立つ。そして、千雨の真後ろにも。
教室と教室の間の壁部分、2歩分程の狭いスペースに千雨は閉じ込められた。
「楽しい戦いだったよ、長谷川千雨。だが―――――これで幕引きだ!」
そう言いながらエヴァは廊下の端に立ち、天井を砕いた。3階建ての校舎の3階天井が崩れ、星空が見える―――ことは無かった。
エヴァが砕いた穴から、茶々丸が降りてきた。右手に大きな鉄筒を―――88mmレールガンを抱えて。
エヴァと千雨が戦っていたこの校舎は、茶々丸がレールガンを発射した場所でもあったのである。
もともとこのレールガンは、移動には転移符を用いなければならないほど重くて大きく、戦闘中に持ち運びなど出来るはずもない。そこで茶々丸が考えたのが、レールガンを階下に落とし、その直線上に千雨を誘導し、エヴァが動きを封じた上で撃ち抜く、という作戦だ。
問題は、その直線上にどう誘導するかということであったが―――――
「まさかレールガンのちょうど真下の廊下にいるとは…。運が悪かったですね、長谷川さん。」
茶々丸は氷柱の壁の向こう側に語りかけながら、チャージを開始する。エヴァは窓から空中に飛び、千雨の窓からの脱出を阻もうとしていた。
しかし千雨は一切動揺を見せていない。チラリとエヴァを見た後、サックスを口に咥えた。衝撃波かと身構えるも、すぐに音色が聞こえてきた。いつも教室で見せる通りの、美しい演奏だった。その間に茶々丸のチャージカウントが進んでいく。
「4、3、2―――――」
千雨は変わりなく演奏を続けている。だが、言いようのない不気味さを感じる。不味い。何か、ろくでもないことをしようとしている。
「1―――――」
嫌な予感を感じ取ったエヴァが千雨に近づこうとする。しかし―――――
「発―――!?」
「ぐあっ―――――!?」
茶々丸とエヴァが大きく姿勢を崩した、と、傍からは見えたことだろう。しかし本人達にとってはそうではない。彼女たちにとっては、視界が大きくぐらりとぶれたのである。
平衡感覚が根こそぎ奪われ、例えようのない吐き気がこみ上げ、天地が逆さになる。とてもじゃないが、空中飛行など不可能だった。墜落する前に地面に降り立つ。
それと同時に、校舎上から轟音と閃光が広がった。茶々丸がレールガンを放ったのだ。
しかし千雨には掠りもしていないだろう。なぜなら、レールガンの閃光が、校舎を斜め下方向に貫いていたのだから。
ぐらぐらと揺れる頭で、エヴァは息を荒げながら考え、原因に思い当たった。
(まさか、超音波―――――!?脳と三半規管に作用する低周波を奏でたのか―――――!?)
超音波を発し、敵の平衡感覚を麻痺させる。言葉にすれば簡単だが、実際それを実行に移せるのは、普通の感覚では出来ない芸当だ。特に、砲口を突き付けられ、逃げ場も完全に無いという状況に陥りながら、瞬時に考案、判断、実行した。
―――――いや?本当に?
絶体絶命の状況に追い込まれながら、超音波による状況の破壊を試みた?それが成功するかどうかも分からなかったのに?いや、経験上、確実に成功すると分かっていたから?だが、ひょっとすると、まさか―――――
一方の茶々丸は、ぐるぐると回る視界の中で、かなり焦りを感じていた。
この一撃で仕留めるはずだったのに、姿勢を崩されたことで、レールガンを抱えきれ なくなって砲口が斜め下を向いてしまった。斜めに貫かれた校舎は半壊状態で、黒焦げた床と熱で溶けたガラスが砲撃の凄まじさを物語っていた。そして溶けかけた氷柱が崩れ落ち、階下まで床を砕きながら落ちていく。
氷柱の壁の奥から、元凶が姿を現す。同じ床の上に立っているにも関わらず、冷え切った冷淡な目で、茶々丸を見下していた。
歯ぎしりが茶々丸の口からこぼれる。マシンガンを展開し、千雨に向けて撃ちまくった。
対する千雨はそれを避け、爆弾を放り投げる。銃弾が爆弾を貫き、爆炎が迸った。その爆炎を壁にして、千雨が衝撃波を放とうとする。
しかし、それよりも速く爆炎を破って茶々丸が接近してきた。サックスから口を離し、茶々丸の拳を避ける。千雨の頭上を通過した茶々丸の拳は、溶けかけた氷柱を容易く砕いた。
しかしその代わりに出来た大きな隙。千雨はガラ空きになった腰部に数発の銃弾を叩きこむ。そしてぐらつく茶々丸の体をすり抜け、砲撃で空いた穴から階下に飛び降りた。
しかし、そこにはエヴァが待ち構えていた。
「魔法の射手 闇の21矢!!」
チッ、という舌打ちが、着地したばかりの千雨から漏れる。着地した直後のタイムラグがあり、避けきれない。
それでも何とか、襲いかかる21本の魔法の射手をギリギリまで避けるも、内2本が千雨の胸と腹に直撃した。千雨の口から血が漏れる。何とか踏ん張り、無様に床に転がることはしなかった。
しかし、当たらなかった 魔法の射手が、千雨の背後の床を大きく砕き、千雨の退路を断っていた。エヴァはそれを狙っていたのだろう。すると後ろから何かが落ちてくる音が聞こえた。 振り向かなくとも分かる。茶々丸とレールガンだろう。
「今度こそっ…!!」
チャージが始まる。千雨がサックスを口に咥えた。エヴァが茶々丸の援護のための呪文を唱えようとする。
「リク ラク ラ ラッ――――――!?」
しかし始動キーの詠唱が止まる。またもや、途中で自分の声が聞こえなくなった。エヴァは確信する。間違いない。コイツが、詠唱を途中で止めているのだ。 しかし一体どうやって?魔法も気も使えない(魔法世界的観点から言えば)普通の人間が、どうやって詠唱を止めている?サックスを口に咥えたということは、 あのサックスを使ったのか?
だが詠唱を封じられようと、茶々丸の援護は出来る――――!
「氷爆!!」
冷気が廊下を、教室を、天井を、そして千雨の足を凍らせる。とっさにサックスの爆音で全身凍るのは防いだが、千雨はその場から動けなくなった。チャージカウントは残り4。前には砲門、後ろには吸血鬼。
チェックメイトだ――――エヴァがそう言い放とうとした時。気付いた。
千雨の様子がおかしい。慌てるでも抵抗するでもなく、じっと、サックスを咥えて動かない。
静かに――――何かを聞いているかのように。
――――――――聞いている?『聞いて』、いる?
(―――――襲うだの襲わないだの、不穏当な会話が『聞こえた』もんでな。)
あの夜、千雨がエヴァに言った言葉が思い出される。エヴァの背中に寒気が走る。
詠唱を紡いでいるはずなのに、自分の声が聞こえなくなる。つまり、詠唱封じではなく、『詠唱の自己認識の阻害』。しかし長谷川千雨は気も魔法も使えない。そして武器は改造サックス。そして―――――『聞く』能力。
(まさか―――――――)
もしも。有り得ないことではあるが。
長谷川千雨が。あの夜、本当に私たちの話が聞こえていたなら。
数十メートル離れた木の陰の、非常に小さい声での会話が聞こえていたのなら。
先ほど詠唱を打ち消したのが、私の予想通りの方法であるとしたら。
「2、1―――――」
茶々丸のカウントが終わりかけている。千雨がサックスを口に咥えた。
もし、エヴァが最初に詠唱を消された時、千雨が見える位置にいたのなら。もっと速く気付いていただろう。千雨の真の武器がサックスでは無いことに。魔法をも凌駕する超常の能力に。
そして察しただろう。自分と茶々丸が話しあっていた作戦が、校舎内から全て聞かれていたことに。
レールガンに近い場所でエヴァを待ち伏せていたことも。超音波で茶々丸の姿勢を崩し、レールガンの射線をずらすことも。最初の一発目でレールガンの充電時間とタイミングを調べていたことも。
千雨が全ての作戦を盗み聞きし、それを利用する作戦に出たことも。
そして最後の詰め、エネルギーが一番溜まる瞬間を狙っていたことも。
―――――チェックメイトをかけられていたのは、自分たちだと。
「―――発射!」
「止めろ茶々丸!罠だぁぁぁぁぁぁっっっっ!!」
レールガンが発射されるその瞬間。千雨が衝撃波を放った。誰にでもない。レールガンの内部に向かって。
溜まり切ったエネルギーが放たれるその瞬間。飛び込んできた衝撃波が、レールガンの内部機器を破壊する。破壊された機器が火花を散らし、スパークする。弾ける火花が、解放されようとしていたエネルギーに引火する。そして―――――
今日一番の爆音が轟いた。一瞬の閃光が漆黒の闇を照らす。しかしそれも一瞬の事。大爆発が起こり、校舎が吹き飛び、紅蓮の炎に包まれる。
爆風でエヴァが吹き飛ばされた。千雨自身も、余波で割れたガラスで切り、火の粉で火傷した。炎が氷をあっという間に溶かし、焼き尽くさんとする。氷が溶けたのを見て、急いで階下に飛び降りた。あちこちから、天井が崩れ落ちる音がした。
「うっわ、想像以上…。よくあんな危険兵器使ってたなアイツ…。」
千雨は自分が引き起こした爆発に軽く引いていた。が、その時、爆炎から人影が姿を現した。
茶々丸だった。フラフラとした足取りで現れ、2階の崩れた廊下の先に立ち、1階にいる千雨を見下ろしていた。
しかし零距離で爆発に巻き込まれたため、 レールガンを持っていた右半身が消し飛んでいた。肩から腰まで、右半身はすっぽりと抜け落ち、顔の右側には炎が燃え移り、燻っていた。服どころか人工皮膚まで焼け、ロボットのボディが剥き出しになっている。
茶々丸と千雨の目が合う。茶々丸は千雨を見て、弱弱しくニコリと笑った。
「………次は、負けません。」
その言葉を最後に、ぐらりと体が傾き、そのまま1階に落ちた。そしてピクリとも動かなくなった。
千雨は数秒ほど茶々丸を見ていたが、ふと目を閉じて、右手に銃を持った。
そして素早く振り向き、後ろから急接近してきたエヴァに銃口を突き付けた。
エヴァの右手の氷柱は千雨の喉元に、千雨の銃はエヴァの眉間に突き付けられている。
「よくもやってくれたな、貴様…!!」
エヴァの端正な顔立ちに青筋が浮かぶ。拳にも力が入り、今にも氷柱は砕けてしまいそうである。千雨は冷やかな表情を一切崩さなかったが。
エヴァの内心の驚愕はとても言葉に表せる物ではない。二人の従者を倒されたこともそうだが、何より目の前の少女の持つ、その異常極まりない能力に。 異常、という言葉でも足りないくらいだ。吸血鬼たる自分よりもよっぽど怪物だ。一体どんな人生を送れば、そんな能力や技術を身につけることが出来るというのか。いや、そもそもどうして身につけようと思えるのか。
眼前の怪物に畏怖しながらも、共に戦い、先に敗れた二人の従者の無念を想う。
茶々丸はコイツを宿敵と見ていたし、チャチャゼロは私とともに退屈な15年 を過ごしてきた。二人とも、勝ちたい気持ちは私と同じだったはずだ。だからこそ、主人たる私が、二人の敵を討たねばならない。それだけが、二人の無念を晴らす唯一の方法なのだから。私の勝利は、三人の勝利だ。
二人はその体勢のまま微動だにしなかった。5秒か5分か、当事者二人にとっては永遠ともとれるほどの時間が流れた。そして、二人の背後で、2階の床の一部が崩れ落ちた。
エヴァが氷柱を振るうのと、千雨が引き金を引くのは完全に同時だった。氷柱は千雨の喉を切りつけ、千雨の放った弾丸はエヴァの右目のすぐ横を掠った。
そして千雨はバックステップで一歩下がる。下がりながら、爆弾のピンを外して投げつけた。エヴァは投げられた爆弾を一瞬で凍らせ、千雨に向かって掌を突き出す。
「魔法の射手 闇の99矢!!」
エヴァの掌からマシンガンのように魔法の射手が飛び出す。砕けた壁から逃げた千雨を数十本が追いかけてくる。と、途中でサックスを咥えながら振り向き、爆音を出す。発生した空気の壁に遮られ、魔法の射手がかき消える。しかし全弾消しきれず、20発以上の魔法の射手が千雨に迫る。
千雨は直撃する直前に見切り、だいぶ掠りながらもギリギリで避けきる。そしてエヴァの方を見るが、姿が見えない。
ということは、と千雨が空を見上げる前に、上空から声が飛ぶ。
「氷神の戦鎚!!」
上空から巨大な氷塊が落ちてくる。千雨は飛び避け、また校舎内に入っていく。それを追ってエヴァも校舎内に入る。入った瞬間、エヴァの目に、サックスを咥えた千雨が見えた。
「氷爆!!」
分厚い冷気の壁が衝撃波を遮る。それでも、ガンと来る衝撃がエヴァを襲うが、耐えられないほどではない。
「こおる大地!!」
素早くエヴァが呪文を唱えた。床から、壁から、天井から、氷柱が生えまっすぐに貫く。氷柱の列は、どんどん千雨に迫って行った。
しかしそれを見る千雨は、苛立っていた。エヴァにではなく、自分に。
先ほどから放つ衝撃波も、避け方一つ取っても、どれ一つ自分の思うようにいかない。
正確には前世のように動けないでいるのだ。体が違うので当然なのは分かっているのだが、どうにもイライラする。衝撃波も、もっと鋭く、致死性の高い攻撃であったはずなのに。
こんな弱い吹き方しか出来ないのか?私はこんな鈍い動きしか出来なかったか?もっと速く動けたはずだろう?何をノロノロと闘ってるんだ?
―――――もっと。もっと速く。もっと鋭く。もっと猛々しく。
―――――研ぎ澄ませ。知覚し尽くせ。走り抜けろ。手を伸ばせ。足を動かせ。目を見開け。力を解き放て。血を滾らせろ。神経を震わせろ。
思い出せ、あの血で血を洗う日々を。思い出せ、己が体に刻みこんだ、戦いの記憶を。思い出せ、『俺』の、戦い方を――――!!
そして、眼前に迫る氷柱を前にして、千雨は―――――
「なっ――――――――!?」
高速で生え貫く氷柱を足場に、次々と忍者のように飛び越えながら、氷柱の隙間を縫って進んできた。氷柱が生える速度は尋常ではないが、エヴァが狙おうとしても、生えてくる場所が事前に分かっているかのようにヒョイヒョイと飛んでいく。
氷柱の迷路を越え、エヴァの頭上に躍り出た。頭上を越えながら爆弾を2つ落としていく。
「氷盾!!」
エヴァが防御魔法を素早く発動する。しかし素早く発動し過ぎて気付けなかった。爆弾のピンが抜かれていないことに。
爆弾を落とした千雨は、空中で前転するような体勢になりながら、両手に銃を持ち、ありったけの銃弾を放った。その全てが『氷盾』に当たり、盾を削る。そして内2発は、爆弾を貫通した。
爆炎と爆風をバックに千雨は見事に着地した。そして素早くサックスを咥えて衝撃波を放つ。
炎の中から人影が飛び出し、廊下に転がる。エヴァは立ち上がろうとしたが、その瞬間に大量に吐血した。
(衝撃波の威力が上がった…!今までのは全力じゃなかったのか!?)
血反吐を吐き捨てながら、冷静に今の攻撃を分析した。並の人間なら確実に内臓破裂で死ぬ一撃だ。自分の再生力をもってしても、回復には結構時間がかかる。
しかしエヴァが何より腹立たしかったのは、今の今まで千雨が手を抜いて戦っていたということ。自分たちが、本気を出すに値しない敵だと見くびられ続けていたという事実が、敗れた従者を汚されたと感じさせた。
「このっ…!!」
この怒りをぶつけようと、爆炎に目を向けた瞬間。
爆炎の中から、千雨が特攻してきた。サックスを庇いながら、一気にエヴァに走り寄る。
(バカな、自ら接近戦を…!?)
しかし怯んだのも一瞬のこと。すぐに体勢を立て直し、エヴァも千雨に向かって走り出す。そして千雨とエヴァが―――――
すれ違った。
「――――――――…!?」
エヴァが、自分の脇をすり抜けた千雨の方を振り向くより速く、千雨は後ろも見ずに天井に銃弾を撃ち込んだ。
ヒビが入り、脆くなった天井が崩れ落ちる。その真下に、エヴァが居た。
「くそっ!!」
崩落に巻き込まれるより速く、エヴァは千雨に向かって駆け出した。そして手刀で千雨を串刺しにしようとする。しかし、千雨が銃を突き付けるほうが速かった。
パンパンと乾いた音が連続して響き、足を撃ち抜かれたエヴァの体勢が崩れる。そして体勢の崩れたエヴァの目に、千雨の指が伸びる。
「ぐぁぁっっ!!」
目から頭部を貫通されるのは避けたが、右頬から右目を通り、額まで爪で引き裂かれた。特に右目は深く切り裂かれて出血がひどく、とても目として使い物に はならなかった。顔を血に染めながら、千雨を睨みつける。千雨もエヴァを睨みつけた。が、千雨の視界からエヴァの姿が消えた。
千雨は慌てずに耳を澄ませる。上だ。見上げた瞬間、天井が崩れ落ちる音が聞こえてきた。素早く避ける。
今度は右だ。廊下の陰に隠れながらダッシュ。魔法の射手が窓を、壁を破って襲いかかる。急いで階段を駆け上がり、踊り場で魔法の射手を迎撃。
今度は真後ろ。爆風と冷気が壁を突き破る。察知して、階段を駆け上がる。
音が変わった。無数の何かに分裂するような音。仔細ない。サックスを咥えたまま待ち構えていると、四方八方から巨大な蝙蝠が襲いかかってきた。慌てることなく、サックスに息を吹き込む。超音波攻撃。悲鳴を上げながら蝙蝠たちが墜落していく。蝙蝠たちがふらふらとしながら空中の一か所に集まり、次第にエヴァの姿に戻っていっ た。
「魔法の射手―――――」
千雨にとって、今日一日だけでも聞き慣れた呪文。後ろの教室に飛び込み、迎撃姿勢を整える。
「―――――闇の199矢!!」
魔法の射手が千雨の居る教室の廊下側の窓を破壊し尽くし、千雨の視界いっぱいに漆黒の弾幕が広がった。
千雨は傍らの椅子を掴み、机を蹴っ飛ばす。千雨の正面から迫ってきた魔弾が机を粉々に砕く。そして椅子を振るい、四方から迫る魔弾をかき消す。しかしすぐに椅子は使い物にならなくなった。千雨は己の身一つで避け続ける。避けながら移動し、新しい椅子を掴む。
振るう。砕ける。避ける。移動する。掴む。振るう。砕ける。避ける。移動する。そしてまた掴む。戦いの神に捧ぐ祈りのように、暗い教室で弾幕に舞う。
気付けば199発の魔弾は尽き、教室には瓦礫と木屑と、無傷の千雨だけが残っていた。
千雨はようやく自分の思い通りの動きが出来たことに満足する。
ずっともどかしい思いをしていたのだ。例えば魔法の射手を避けている時。自分では全弾避ける動きをしているのに、どうしても何発か掠ってしまう。そこにずっと違和感を感じ、イライラしていたのだが、ここに来てようやく自分の記憶と動作が一致した。正確に言えば、砂の星で培ってきた経験と記憶が、自然と最適かつ最小限の動きをとらせたのである。
エヴァは背筋がゾクリとなるのを感じた。コイツは本気を出していなかったんじゃない、本気が本当の実力に追い付いていなかったのだ。
だがついに、完全に覚醒した。100%中の100%。その一端が、今見せた動きか。
倍以上の威力の衝撃波を放ち、人外の反応速度を持ち、199発の魔法の射手の全てを避ける。魔法や気、そんな物でこの動きが、反応が、再現できるか?不可能だ。600年修練を積んできた私でさえ、間違いなくコイツの反応速度には及ばない。
詠唱は封じられ、無詠唱の魔法は効果が薄い。全弾避けられた魔法の射手がいい例だ。一撃の殺傷能力も千雨が上である。向こうの攻撃は防御壁を貫いてくるのだ。自分が戦いをリードされ、上に立たれるというのは生まれて初めてだ。
今ここに、エヴァは認めた。目の前の、気も魔法も使えない少女は、世界で10本の指に入る強者だと。最強の魔法使いたる自分と張り合える、否、殺せる存在だと。
「ククク…クハハハハ、アーッハッハッハッハ!アハハハハハ!!ハハハハハ!!ハーッハッハッハ!!素晴らしい!!素晴らしいぞ長谷川千雨!!全くもって素晴らしい!!最高だ!貴様は最高だ!!神なんぞ信じていなかったが、今なら信じてやってもいい!!お前のような人間と出会わせてくれたことを!!お前のような人間を世に出してくれたことを!!アーッハッハッハッハッハ!!」
エヴァの大笑は、崩れかけた校舎全体に反響した。楽しそうに、嬉しそうにに笑い続ける。千雨は不快そうに目を細めるだけだった。
「アハハハハハハ!!楽しい!楽しいなァ!!こんな楽しいのは何十年ぶりだろうなァ!!良いなァこの、命を賭けて戦う極限感!!生と死の狭間に立つ感覚!!血が滾る、喉が渇く、体が震える、心が沸き立つ!!すっかり忘れてたよ、これが、これが、これが!!これが、本当の、闘争だ!!アハハハハハハハハハハハハハ!!」
「五月蠅ぇよ。」
いい加減業を煮やしたのか、千雨がエヴァに冷や水のような一言を浴びせた。エヴァは笑うのを止め、千雨を見る。
「悪いが私は、いちいち殺し合いを楽しむような、マゾな気質は持ち合わせてねぇ。私は戦いたくないんだよ。死にたくないんだよ。殺し合いなんて真っ平御免だ。
…お前みたいに、死にたがってるわけじゃない。」
「…そう言うな。私にはもう、この生き方しか出来ないんだ。」
急にエヴァの声が弱弱しい物へと変わった。悔いるような、哀しむような声だった。
「言っただろう?私は不死身だ。だがな、死ねないというのは、ずっと生き続けるということではない―――ずっと、死に続けるということなんだ。終わりなき死―――生ける屍というわけだ。
私は人間が羨ましい。けれど、人並みに生きることなんて出来ないから、死ぬことが出来ないから、死に近い場所に立つことしか出来ないんだよ。…お前はどうだ?」
「…さあな。まぁ、闇の底で生きてきた自覚はあるけどな。だけど私はお前とは違う。私が戦ってきた理由は唯一つ。『死にたくない』、それだけだ。」
エヴァはそうか、とだけ返して黙り、その場に沈黙が訪れた。きっとエヴァも、強さを求める原点はそこであったはずだ。エヴァも千雨も、生き残るために強さを求め、戦い続けた。
二人とも感じていた。目の前の敵は、自分の鏡像であると。そこに『死』があるかどうかの違いだけで、似た物同士の化物二人。不死身の吸血鬼は死に憧れ、明日をもしれない毎日を過ごす音界の覇者は生を求めた。
「…機会が違えば、貴様とはいい友人になれたかもな。」
「…奇偶だな。私もそう思った。」
エヴァは笑い、千雨は笑わなかった。
「さて―――そろそろ、最終楽章だ。」
「―――――よかろう。この下らん戯曲を幕引きにしよう。」
その場に殺気が満ちる。形も何も無いはずなのに、嵐のように激しく渦巻く何かが見えるようであった。
二人はすでに限界だった。エヴァは怪我の再生が間に合わなくなってきていたし、それ以上に出血が激しい。千雨も自分の体のスペックを遥かに超えた動きを続けたせいで、全身にガタが来ていた。
「我こそは『闇の福音』、最強の悪の魔法使い、エヴァンジェリン・アタナシア・キティ・マクダウェル。名を名乗れ、強き者よ。」
エヴァが厳かに名乗りを挙げる。千雨は面倒臭そうに頭を掻き、溜め息をついた。
「私は長谷川――――――――いや、違う。」
「サウザンドレイン・ザ・ホーンフリーク。――――『音界の覇者』と呼ばれた、殺し屋だ。」
「ホーンフリーク…管楽器の怪物、か。なるほど、貴様も化物だったか。素晴らしい二つ名だ。」
エヴァは思いだす。『角』とは古来より、力の象徴だ。そして聖書では、救いを導く力でもあった。目の前の女、『角持つ怪物』は、救いを導く戦乙女ということか。ならば肩にぶらさげるサックスは、黄昏を呼ぶ笛といったところか。エヴァは苦笑する。どうにもらしくないことばかり考える日だ。
「よかろう、サウザンドレイン・ザ・ホーンフリーク―――私の名を脳裏に刻みつけて逝くが良い。」
「お断りだ。私は死なない。」
エヴァは魔力を溜め、千雨はサックスを口に咥える。一瞬の沈黙―――――
「闇の吹雪!!」
詠唱無しで放たれた中位攻撃呪文。本来より威力は落ちるが、目くらましとしては充分だ。無論千雨はサックスから爆音を放ち、冷気を遮る。
エヴァが一気に接近する。その爪は鋭く長く伸びている。千雨も爪を振りかざした。
エヴァの爪と千雨の爪がぶつかり合う。エヴァの爪が切り裂かれ、千雨の付け爪が剥がれ落ちた。
だが、まだ互いに左手がある。エヴァの左手は千雨の顔を、 千雨の左手はエヴァの喉を狙う。千雨はエヴァの左手を避け、空いた右手で素早く掴んだ。エヴァも右手で千雨の左手を掴もうとして―――
千雨の左手が向きを変え、エヴァの体を左肩から斜めに一閃した。
エヴァは激痛に耐えつつ、掴まれた左手を捩じって脱出し、払われた千雨の右手を掴んで、片手で千雨を投げ、床に叩きつけた。そのまま千雨の左手を離さず、ジャイアントスイングで壁に叩きつけようとするが。
千雨の左手がいつの間にか拳銃を握っていた。千雨を持つ右手に銃口を押し付け、撃ち込んだ。
エヴァの右手が銃創を作り、血をまき散らしながら千雨を離す。すでに遠心力が少しついていたため、千雨は教室後方まで投げ飛ばされた。壁に叩きつけられ、千雨の口から血がこぼれる。
エヴァは傷口を凍らせ、出血を抑えた。この傷に限らず、エヴァは塞がり切っていない傷口を、魔力で無理やり抑え込んでいる。そう でなければ、まともに歩くことも叶わないのだ。
千雨は口もとの血を拭いながら、片膝で立ち上がり、爆弾を投げつけた。エヴァが窓から空中へ飛び出すと同時に炸裂し、窓や壁を砕く。
今のエヴァの状態は最悪と言っていい。高威力な攻撃魔法や広域殲滅呪文は、詠唱が封じられているため使用不可能。相手の攻撃は防御出来ない。すでに満身創痍で、常人なら数回は死んでいる。だが、まだ戦える。この呪文なら、詠唱無しでも最強クラスの威力を持っている。これで、一気に蹴りをつける ―――――!!
「エクスキューショナー・ソード!!」
『闇の魔法』を除けば、エヴァの誇る最強クラスの攻撃魔法である、断罪の剣。無詠唱ではあるが、現在エヴァが持てる限り全ての魔力をつぎこんでいる。それは、エヴァがこの戦いに全てを賭けている証でもあった。
今、エヴァの右腕は、煌々と輝く、10メートル程の巨大な剣となっていた。
「うぅおおおおおおおおおーーーーーーーーーっっっっっッッッ!!」
空中から、エヴァが大きく右手を振るった。黄金の光剣が、闇夜を真一文字に切り裂く。
一瞬の間の後、校舎の2階より上がずれた。エヴァの『エクスキューショナー・ソード』にもよって横に両断された校舎が、唸りと共に切り口から亀裂が走り、亀裂が繋がり、割れていき、崩れ落ちていく。ガラガラと轟音を立て、校舎が全壊していく。
それを見ても、エヴァは微塵も警戒を解いていない。確信があった。まだ、長谷川千雨は死んでいない。
そして、2階の砂煙の向こうに、深い前傾姿勢の人影が見えた。
最初の一閃を飛び避けたまではいいが、校舎が崩れるとは思わず、崩れゆく床を次々と飛び越え、何とか安全な場所まで逃げ延びた。しかし、頭の真上から落ちてくる瓦礫を避けきれず、背中に直撃した。
だが、耐えられる。最後の一曲を吹くのに、何の問題もない。
前傾姿勢からサックスを咥えたまま、大きく背中を反らせ、肺一杯に息を吸う。そして、耳を一層深く澄ませる。エヴァが自分を見つけた。もっと、もっと深く。
耳に入るのは、心臓の鼓動。そこに、浜辺の潮騒のようなリズムを聞く。これを聞くのも久しぶりだ。
放つのは、これまでの衝撃波とは一線を画す、音界の覇者最強の攻撃。敵の持つ固有振動数、共鳴、痛覚波長とシンクロさせて奏でる衝撃波。一度放たれれば、秒速340メートルで対象の脳髄を揺さぶり尽くす衝撃超音波。
エヴァが迫る。それを聞きながら、千雨は静かに、だが激しく、己の武器に息を吹き込んだ。
全てが、震えた。
(捕捉)
長谷川千雨ステータス表(Fate風に)
筋力:E
耐久:E−
敏捷:EX
魔力:E
幸運:D
※保有スキル
・絶対音感:EX
直径2キロ圏内の音を全て拾いあげ、ありとあらゆる情報を収集する。人間レーダー。心眼(真)のスキルに匹敵する。
・矢避けの加護:A+++
飛び道具の無効化。上記の絶対音感と絡んだ能力であり、彼女以外の他者にも適用される。
・演奏技術:判定不能
サックスによる演奏。魔技としか言い様のない、彼女を彼女たらしめる“技”。
ピーキーってレベルじゃねぇ…!
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