side 千雨


「…何とか間に合ったけど、何というか、まぁ。」


2階の窓から、向かいの下の窓に耳を澄ませる。別に見なくても、私の場合聞こえる音で大体の状況は判断出来るから、サックス磨きながらでも問題はない。

 

というわけで、私は階下の状況に耳を澄ませながら、サックスを膝で抱え、ここに来るまでの間に立ち塞がった仲居たちの返り血を拭き取っていた。

いや、別に殺してないけどね?頭殴って気絶させるか、足の骨へし折らなきゃ、どこまでも追いかけてきてただろうし。無論楽器を鈍器扱いするような愚も犯していない。 あくまで「返り血」だ。サックスケースに入れる暇も惜しんで駆けてきたのだ。多少手荒な真似は許してほしい。

にしても、げに恐ろしきは天ヶ崎千草、その手練手管。

圧倒的不利な立場に立たされているにも関わらず、自分の優位は揺るぎないかのように振舞う。たった それだけのことで、己の不利を覆した。下手すれば、唯一の味方である少年すら敵に回っていたというのに。

今場の空気は、完全に天ヶ崎千草が支配している。 追い詰められているのは彼女であるにも関わらず、だ。


そしてその千草の唯一の味方である少年。確かフェイトとか呼ばれていたが、はっきり言ってヤバい。天ヶ崎が仲間を連れてくることは予想していたが、あの少年はおそらくエヴァに匹敵しかねない。私の認識の甘さを痛感する。まさかこれほどの人材を引っ張りだしてくるとは。

―――だが、エヴァの時とは違う。あの少年は、私のことを何も知らない。

ならば先手必勝、即死攻撃(しょうげきは)を叩きこむまで。

 

天ヶ崎千草は間違いなく私の存在に気が付いているだろうが、だからといって、私の衝撃波を防げるような都合のいい装備を持ち合わせているはずもない。ネギ先生と神楽坂には、直視に耐えない光景になること請け合いなので、悪いけどついでに気絶してもらうことにしよう。


私はサックスをいつも通りに抱える。後は息を吹き込むだけ。聴力を二人の身体に集中させ、一気に―――――


『―――――ウチらかて、後で依頼主にやいのやいの言われるんは嫌やしな。』


その言葉に、肺に溜めこんでいた空気が一気に抜けていくのを感じた。


(っ―――――、畜生、やられた―――――!)


たった一言。それだけで、天ヶ崎千草は、自らを害そうとする全てに対する防御を作り上げた。

今コイツが喋ろうとしている『依頼主』の情報。それは脅しに 近い。今私を攻撃すれば、永遠にその情報は失われるぞ、と。

確かにその情報は、この誘拐に関わる全ての人間が喉から手が出るほど欲しい情報だ。真っ先にソイツを叩けば、こんな下らない陰謀劇は終わりを告げる。

 いずれにしろ、天ヶ崎千草をこの場で殺すことは叶わない。衝撃波如きでは貫けない最強の盾。あいつはそれを持っていた。


―――私の攻撃も予想されていたのだろう。悔しいが、目の前の敵は力押しだけで敵う相手じゃない。仕方なく武器(サックス)を降ろし、改めて天ヶ崎の話に耳を傾けようとした、その時。



異音を感じるより速く、悪寒を感じた。気付けば立ち上がり、空を見上げていた。階下の連中に姿を見られる位置だが、天ヶ崎たちも同じように空を見上げており、私のことは視界に入っていない。

 

安心する間もなく、何かが近づいてくる音が聞こえる。距離を感じさせないほどに強烈な、まだ下水の方が綺麗だと思わせるほどに淀んだ気配。

 そしてその何かが旅館の屋根から躍り出て、中庭に着地する。その着地の一瞬前に見えた、少女の眼。三日月のような()み。



―――――アレは、ヤバい。



エヴァや天ヶ崎とは別ベクトルの、気持ち悪いの一言に尽きる何か。遅れて湧きあがってくる生理的嫌悪感が、背筋から寒気となって全身を伝う。同じ人間ではない、アレが人型の悪霊だと言われれば、簡単に納得してしまうだろう。


「………ァ…ァァ……。」


少女は剣を持った両手を死人のようにブラブラさせながら、ゆっくりと立ち上がり、呻くような声を出した。顔は下を向いているので、誰も表情は伺えない。
だが、突如、真上を向く。裂けそうな笑みを張りつけたまま、月を見上げた。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ーー

ーーーーーーーーーーーーーーーーッッッッッ!!!!」


聞くに堪えない断末魔のような悲鳴(かんせい)。狂った獣と評するにふさわしい有様。


それは、15年振りに感じる、純粋なる狂気だった。




side out





#18 健啖の悪魔



月詠と千草たちを隔てる窓が、木っ端微塵に消し飛んだ。


フェイトが両手をかざして前に出て、月詠の一撃から千草と木乃香の入ったバッグを守る。だが完全には防ぎきれず、千草は赤く染まった左肩を押さえていた。フェイト自身も、所々に傷を負っている。二人の近くにいた楓は大きく距離をとり、茶々丸はネギたちの前に出ていた。


瞳孔の開き切った月詠の目がギョロリと動き、木乃香の入ったバッグを捉えた。その視線を受け、千草がバッグを勢いよく蹴り飛ばした。

バッグは宙に浮き、一瞬後に床に倒れこもうと傾く。月詠はそれを追い、左手の剣を勢いよく突き出した。


果たして、その剣は空を貫き、壁に突き刺さる。木乃香のバッグは、床に倒れ込む前に、楓によって受け止められた。先ほどまで楓が抱えていた小太郎は、床に寝転がされている。

月詠と楓、二人の視線が交錯する。楓がバックステップで大きく距離を取り、月詠が歪な笑みを浮かべたままそれを追う。楓はバッグを背に回し、苦無を取り出した。そして、向かってくる月詠に対して一歩踏み出し、横に一閃した。




―――だが、楓は、月詠という少女のことを、あまりにも知らなさ過ぎた。



普通の人間なら、己の身を傷つける攻撃が近づけば、避けるか防ぐかする。

この場合無理に戦闘を続行させず、いち早く戦線離脱するのが正解だ。月詠が自分の攻撃を避けるなり防ぐなりしている間に、庭に飛び出し千雨のいる2階に駆け込む、というのが楓の狙い だった。




―――だが、月詠は、避けることも防ぐこともしなかった。


 


迫り来る一閃。月詠は、その斬撃を自ら受け入れた。瞼の真下を苦無の刃先が通り、深々と切り裂いていった。




「なっ―――――!?」


月詠の顔に奔った苦無の軌跡から、鮮血が噴出する。鼻の上部はほぼ真っ二つにされ、確実に骨まで切り裂かれている。間違いなく、生涯肌に残る傷。その痛みも、想像を絶するはずだ。にもかかわらず。


月詠は―――――嗤って、いた。

 一切スピードを落とさず、動きを鈍らせることもなく、狂気は微塵も揺らぐことなく。真っ直ぐ、ただ真っ直ぐ、楓に向かっていく。


「■■■■■■■■■■■■■ーーーーーッッッッ!!」


奇声をあげ、さらに速度を増し、楓に突っ込んでいく。その三日月状に歪んだ口から、異常に尖った犬歯と緋色の舌が覗いている。


その瞬間、楓は気付いた。この少女が、痛みを恐れるどころか、喜んでいることに。


「しまっ―――――!?」


ガラ空きになってしまった楓の懐に、月詠が剣を突き出さんとする。楓の表情と言葉に焦りが浮かぶも、最早避けようがない。
月詠の突き出した剣が、楓の左肩に突き刺さる。そして、そのまま楓の左腕が断ち切られ―――


「ふっ――――!」


「ガァッ!?」


―――否、断ち切られなかった。


背後から急接近した茶々丸が、無防備な月詠の背中に、加速と回転を加えた強烈な鉄拳をお見舞いした。月詠が痛みをどう感じていようが、体幹となる背筋を崩されては、そのまま動き続けることなどままならない。

月詠は無様によろけ、その無防備な身体に、激痛をこらえる楓の蹴りと茶々丸の第二撃が打ち込まれる。

―――が。

月詠は強烈な挟み打ちを喰らいながら、己が身にめりこむ拳を基点にして身体を捩じらせる。捩りながら、楓を斬り殺さんと剣を大きく振るった。

剣は上体を仰け反らせた楓の鼻先を掠めていく。そして、動きに合わせて首と脚を後ろに向け、茶々丸を視界に入れた。


「■■■■■■ッッ!!」


二人の挟撃から無理やり逃れ、笑みを浮かべたまま茶々丸に身体を向ける。茶々丸は急いで拳を引き、迎え撃ってもう一撃喰らわそうと、向かってくる月詠に対して一歩踏み込んだ。


だが、続く月詠の行動は、想像だにしないものだった。




月詠は、ほんの一瞬加速し、茶々丸の脇に潜り込む。そして、迎え撃つ茶々丸の右拳、その上腕部に齧りついた。


メキリ、と月詠の上顎の位置から、何かが軋む音が茶々丸の耳に届いた。




「っっ―――――!?」


あまりに予想外の行動に、茶々丸が一瞬怯む。が、すぐに左手のマシンガンを展開する。

だが、その一瞬の怯みが命取りだった。マシンガンを月詠に突き付け、引き金を引いた時にはもう、月詠は茶々丸の後ろに抜けていた。その口に、齧り取った右上腕の一部を咥えたまま。

 

破損(ダメージ)に顔をしかめながら、茶々丸が月詠を睨みつける。

そのさらに向こうでは、千草、フェイト、ネギ、カモ、明日菜、そして栞が、驚愕を顔に張り付けている。同時にネギ達の表情には、突如現れて縦横無尽に暴れまわる謎の少女に対する恐怖が、ありありと浮かんでいた。


だが、次の瞬間、月詠が吹き飛んだ。
本当に脈絡も無く、五月蠅い小バエの末路のように、月詠は壁に叩きつけられた。月詠の口と鼻から血が滴り、そのまま壁を突き抜け、私たちの視界から消える。


静寂が訪れる。

楓と茶々丸は肩で息をしており、ネギと明日菜は栞を拘束したまま、今目の前で起こった暴虐の嵐に、茫然自失としていた。一方千草は肩の傷を符で癒しており、フェイトにも符を分け与えていた。


突如、楓の懐から電子音は鳴り響いた。楓の視界の端で、ネギと明日菜が身を強張らせるのが見えたが、楓は気にせず通話ボタンを押す。茶々丸も通話口に近づいてきた。


『悪いな、援護が遅れた。怪我は大丈夫か?』


「いや、仕方ないでござろうよ。アレは物の怪の類に相違ない。少なくとも、痛みを快感と為す人間なぞ、人間とは見なせぬよ。だが、左肩を少々深く突き刺された。痛くて泣きそうでござるよ。」


通話口から千雨の声が聞こえる。天ヶ崎千草やネギ先生に姿を見せないための作戦だが、天ヶ崎は大体の事情は把握しているだろう。先ほどチラリと2階を見上げたのがその証拠だ。油断ならない女だ、と楓は思う。


『泣いていいぞ…って、痛みが快感?痛覚が麻痺してるとかじゃなくてか?』


「うむ、拙者の苦無を自ら受けた時のあの恍惚とした笑顔、アレは痛みを感じない者に出せる表情ではなかったでござる。…ただ、喜び、というのとも少々違うような気もするでござるが…。あ、茶々丸殿にお代わりいたそうか?」


『いいよ別に。私に気を遣われるの嫌がるだろうし。』


そんなことより、と千雨は続ける。ネギと明日菜は、誰と通話しているのかと不思議そうな目で見ていた。


『じゃあ木乃香連れてこっち来い。そこの二人は―――――後ろだ、楓ェッッ!!』


通話口の先の千雨の声が、急に怒鳴り声に変わる。その声は通話口から漏れ、ネギたちに聞こえるほどに響いた。だが、それすら遅いくらいだった。


楓が振り向くより速く、彼女の背中に、拳が叩きこまれた。
気絶から目覚めた、小太郎の拳が。


「ガッ―――――!?」


肺の中の空気を残さず吐き出した楓が倒れ込む、その一瞬前、楓が背負っていたバッグがひったくるように奪われる。茶々丸が銃口を向けるも、小太郎がバッグを盾にしたため、引き金を引けなくなってしまった。


「フェイトはん!!」

「分かってる。」


フェイトが素っ気なく返したかと思うと、次の瞬間、向かいの建物の2階に突撃した。そこに潜み、小太郎を攻撃しようとしていた千雨だったが、フェイトの襲撃を受け、中断せざるを得なくなる。

フェイトは破壊された消火栓からの噴水を背に、千雨に冷徹な視線を向けている。


「悪いがこれ以上邪魔はさせない。君にはここで消えてもらうよ、演奏家(プレイヤー)」」


「ハッ、むしろ好都合だぜ―――一番厄介なヤツを始末出来るんだからな!!」


その言葉を皮切りに、戦闘が始まる。フェイトが急接近して掌底を打ち込もうとするが、あっさりかわされ、こめかみに銃を突きつけられる。


だが、引き金を引く直前、千雨は自身の背後から聞こえる異音に気付いた。

 千雨を背後から取り囲む、何本もの透明な腕。振り払う間もなく、肩を、足を、手首を掴まれる。掴まれた部位から感じるその冷たさと感触が、その腕が水で出来た物であることを千雨に伝える。


(しまった、最初の突撃の狙いは―――――!)


フェイトの得意とする水の魔法「水妖陣」。水を複数の腕に変えて意のままに操る魔法。無論水が無ければ発動出来ないが、フェイトは最初の突撃時にわざと 過剰な攻撃を加えて、消火栓を破壊し、この条件をクリアした。

対策の立てようが無ぇじゃねぇか、と千雨はつくづく魔法の多様さを面倒臭く思う。


数本の腕が千雨をがっちりと掴んだまま、手近な壁に叩きつけた。後頭部を打ちつけ、千雨の視界がぶれる。

次に千雨の視界が戻った時には、すでにフェイトが手をかざしている最中だった。


「―――君を相手にしている暇はない。しばらくここで、事の成り行きを傍観しているといい。」


フェイトはそう告げて、千雨の四肢に石で出来た楔を付け、壁に張り付けた。


「くっ…そぉ…!」


もがく千雨だが、所詮女子中学生の筋力程度しかない千雨がいくら暴れようと、手足の楔はびくともしない。そして、両手が動かないのだからサックスも動かしようが無い。今の千雨は完全に無力であった。


そして、それを待っていたかのように、千草一味全員が動き出した。


「ネギ先生。離していただけますか。」

「え!?な、何で茶々丸さんが僕に捕まってるんですか!?」


ネギが自分の腕の中に抱く人物を見て驚愕する。そこに居たのは、先ほどまで敵と戦っていたはずの茶々丸だった。一度も手放した覚えは無いのに、いつの間 に入れ替わったのか―――そう思って廊下の先を見る。

そこには、喰いちぎられた腕を庇いながら、千草の繰り出した身代わり符(フェイト)と戦う楓と茶々丸の姿があった。


疑問に感じる間もなく、ネギは突き飛ばされた。

そして素早く変身を解いた栞は、千草たちのもとへ駆け寄る。千草と小太郎、向かいの2階から飛び降りてきたフェイトも、裏口の方へ走り出した。楓と茶々丸は、未だ身代わりの足止めを喰らっている。


このまま千草たちが逃げ切ってしまう―――誰もがそう考えた。





「■■■■■■■■■■ーーーーーーーーーーーーーッッッ!!」





次の瞬間、身代わりフェイトが横合いからの爆風と共にかき消え、獣じみた咆哮が響き渡った。その場に居る全員が戦慄する。


そして、千草たちに血走った眼を向ける月詠が、そこに居た。四つん這いになり、鼻から下を真っ赤に染めながら、茶々丸のパーツらしき部品を噛み砕いている。


「馬鹿な…!衝撃波は間違いなく効いているはずなのに…!?」


楓の驚愕は尤もだが、誰より驚いているのは、縛り付けられたままの千雨である。千雨は確かに心臓に直接衝撃波をぶち当てたはずだ。普通の人間なら即死間違いなしの攻撃であったはずが、その狂声は変わっていない。


「本当に人間か、アイツは…!?」


千雨の呻きが全てを語っていた。異質で異状で異形な異物。その場に存在するだけで違和感を奏でる、生きた不協和音。


だが、様子がおかしかった。


ゆっくりと立ち上がったかと思うと、きょろきょろと周囲を見回す。爆風の余波を喰らい、完全に腕がもげた茶々丸と、それを庇うように立つ楓が彼女の視界に入るも、不服そうな表情を浮かべて、また周囲を見回し始める。






―――懐かしい痛み。


先ほど自分を吹き飛ばした、あの衝撃。久しぶりに味わう、掛け値なしの痛みを思い出す。


―――内蔵が破裂する痛み。


思いだして、顔がにやける。ああ、なんて懐かしい感覚。かつては毎日のように味わっていたのに、ここしばらく全然感じていなかった。


―――■られ、■られ、■され、■かれ。


舌舐めずりして、口の周りの血を拭き取る。懐かしい。懐かしい。懐かシい。懐カシイ。もう一度。モう一度。モウ一度。今度ハ自分モ、■シテアゲナクチャ。


―――愛している。愛している。愛している。
―――愛されている。愛されている。愛されている。


―――い■かい、■■。


ふと、雑音(ノイズ)が混じる。聞き覚えのある声。懐かしい声。


―――■■■が、何でお前を―――


誰だろう。誰だろう。確か、何て言ってタんだっケ。


―――■■■が、お前を■■のは。


そうだ、私が、痛イのは。


―――お前を、愛しているからだよ。


私が、愛されているから。




急に、月詠の纏う狂気が薄まった。両手は剣を持ったままだらりとぶら下がり、表情には分かりやすい感情が浮かんでいた。千草たちは、それを信じられない面持ちで見ている。

 月詠の顔に浮かぶ表情、それは『哀愁』だった。






「お、かーさん…?何処ぉ…?」






迷子。それがその場に居た全ての人間が抱いた、月詠の姿。母親に置いてけぼりにされた、憐れな子供。

 そんな幻像から、いち早く目覚めたのは、やはり天ヶ崎千草だった。


「――――行くで。」


静かに告げ、中庭から裏口に回っていく。その言葉に全員が正気を取り戻し、追う者も追われる者も、一斉に走り出した。


―――だがそれは、月詠本人も同じだった。


月詠の脳内に、誰かの声が響き渡る。


―――追え。
―――奪え。
―――殺せ。


雷のように迸る、いくつもの言葉。月詠の全身がビクリと動く。停止していた彼女の思考が、身体が、狂気が、再起動を始める。


―――追え。天ヶ崎千草を。
―――奪え。近衛木乃香を。
―――殺せ。邪魔する全てを。


両目が、中庭を抜けていく黒髪の女を捉える。彼女が背負うバッグを捉える。それに群がる人間を捉える。


―――我が命を果たせ、下賤な傀儡よ。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッッッッッッッッッッッッ!!」


三度、絶叫。全員が、彼女の方を向く。一番月詠の近くに居た栞が、声すら出せない恐怖に染まる。

同時に見えた、最初の衝撃波で壁を突き破った時に破れた浴衣の、背中から覗く刺青の一部。そして、それを見た千草が、一つの解答を導き出した。


「“刺青紋様・式化術印”――――!都合よく現れたと思うたら、ただの傀儡人形やったっちゅうわけか!」


千草が呻き、月詠が正気を失った眼差しを千草たちに向ける。月詠の脚力ならば、半歩で千草たちに追いつけるだろう。
千草が持つ身代わり符を繰り出す暇も無い。符が実体化するより早く、後ろを走るフェイトが横合いから殴りつけるより早く、月詠は千草に到達出来る。


故に千草は、何の迷いも無く命じた。


「―――捕まえとき。」


跳び立とうとした月詠を、先ほどまでネギの横で気絶していた仲居が羽交い締めにする。その行為に、千草を除く全ての人間が絶句する。彼女相手に、そんなことをしたら。




 


その結末を考えるより速く、仲居は左肩から右胴まで両断された。


 




その身を断たれながら、仲居は右手で月詠の頭を掴む。掴んだまま、絶命した。その目は千草に操られたままの、虚ろな眼差しだった。彼女の稼いだ数秒の間に、千草は大きく距離を開けた。


「ひ、ア……。」


静かに、悲鳴すら漏らせず、ネギが気を失った。明日菜はそれに気付きながらも、こみ上げる嘔吐感に耐えられず、黄色い液体をドバドバと垂れ流す。カモも同じだ。


「―――ッ、茶々丸殿、ネギ先生たちの面倒を!」

「一人で行くつもりですか、楓さん!?無茶です、私も行きます!」


凄惨な光景から何とか目を逸らし、月詠から距離を取りながら千草たちを追う楓と茶々丸。そうこうしている間に、千草との差は開いていく。仲居の最期を視界に入れた者と入れなかった者の差だった。


不意に、後ろからおぞましい空気が漂う。反射的に楓が振り向く。

月詠が、自分を掴む死者の手を、握り潰していた。

 

支えを失った死体が血染めの床に落ち、ビチャリと生々しい音を立てる。月詠の顔面はトマトのように赤い。その向こうでは、精神的限界を超えた明日菜が、吐瀉物の中に倒れ込んでいた。


月詠が駆け出した。考えるより早く、楓と茶々丸は窓を突き破り中庭に飛び出す。刹那の後、月詠が通過していく。自分の邪魔をしない者は、視界に入っていないらしい。

 

二人は千草たちを追うことも忘れ、安堵に身を浸す。すぐに思いだすも、一瞬の安堵に身を委ねてしまったがため、今の二人の心中には、恐怖の感情が宿ってしまっていた。

追わねばならないが、それは即ち、あの狂獣と敵対せねばならないということ。生き残れる保証など皆無だ。それでも行かねばと、なけなしの勇気を振り絞って走り出そうとした。


「―――――大丈夫だ、休んでろ。後は私たちが何とかする。」


その瞬間、後ろから聞き慣れた声が聞こえた。振り向き、驚く。
そこには縛り付けられていたはずの長谷川千雨が居た。だが、それだけならば驚かない。楓と茶々丸を驚かせたのは、千雨の隣に居る人物。


「―――ネギ先生たちは任せました。それと―――出来れば、あの不憫な方の始末も。」


千雨の隣に居る人物が、悔しげに頼んだ。何故彼女がここに居るのかは分からない。だが、千雨の楔を解いたのは彼女以外有り得ないだろう。ならば、味方であるはずだ。手負いの自分たちでは足を引っ張るばかりだろう。二人は頷き、道を開ける。


それに―――そもそも彼女は、近衛木乃香の護衛なのだから。


「行くぞ桜咲!!」


「ハイ、長谷川さん!」



楓と茶々丸のバトンタッチを受け、長谷川千雨と桜咲刹那が走り出した。

 

 

 

 

 


(後書き)

 第18話。殺された仲居さんは赤沢さんという(嘘)回。名無しキャラとはいえ当作品内で初の死者です。黙祷を。

 

 そんなわけで月詠さん無双。リアルバーサーカーです。一応ステータスはこんな感じ。

 

筋力:A+

耐久:A+

敏捷:B

魔力:D

幸運:C

 

 見よこの最優のサーヴァント並みのバランスの良さ…!どこぞのピーキー殺人演奏家とは大違いだぜ…!ちなみに衝撃波2発喰らっても無事だった理由は次回明らかになります。

 

 サブタイはモンハンシリーズよりイビルジョーのBGM「健啖の悪魔」。まさに月詠さんのためにあるようなタイトルです(笑)ちなみに自分はスラッシュアックス使い。前話の後書きは狙って書きました。

 

 次回はみんな仲良くぽぽぽぽ〜んと暴れます。


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