「-――――…以上、現場から中継でした。」


 ハイ、オッケーです、というADの言葉を聞き、女性レポーターは肩の力を抜いた。

 昨日の夜、突如飛び込んできた、嵐山で起きた謎の爆発事件。京都随一の観光名所である渡月橋が崩壊するというとんでもない事件に、ほぼ全てのマスコミが朝からその変わり果てた姿を生中継している。

 そしてこのレポーターは、昨日の第一報を受けて大急ぎで現場入りし、早朝から川の中州に立ち、中継を続けていた。

 しかし彼女としては、昨晩仕事が終わ り、ようやく一息ついていたところで急遽駆り出されたのだから、機嫌が良いはずがない。おそらく今日いっぱいは嵐山にカンヅメだろうと思うと、憂鬱さも不機嫌さも増してくる。


(…さっさと東京に帰って、お酒飲みたいなぁ…)


見ると、後片付けを終えたスタッフの顔にも、疲れが見える。さもありなん、彼らは情報収集や編集作業などで、彼女以上に寝ていないのだ。おそらく対岸などで報道を続ける、他社のスタッフたちも同様だろう。心の中で彼らの労をねぎらいながら、中継車に戻ろうとした時、ある物が彼女の目に映った。


「…え?あれって…血、だよね…?」


彼女が中継していた川の中州は、少し背の高い雑草に覆われている。彼女が目をやったその一角が、不自然なほど赤く染まっていた。それを血と断定したのは、単なる直感に他ならない。


だが、おかしい。さっきまで、あそこは血で染まってなんてなかったはずだ。


「ね、ねぇ…ちょっと待って、アレって…。」


言い知れない不気味さに怯えながら、前を行くスタッフたちに声をかける。だが。


「……………………え?」


彼女の前には、誰も居なかった。先ほどまで機材をガチャガチャさせていた、スタッフたちが、居なかった。


彼女の全身を怖気が駆け抜ける。本能が最大級の警告を鳴らしている。酷寒の大地に裸で立っているかのように、全身の震えが止まらない。


逃げろ、逃げろ、逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ。

 ここに居てはいけない。急いでこの場を離れろ。脇目も振らずに逃げろ。

 さもなくば―――――喰われる(・・・・・)ぞ。

 何故か分からないが、そんな思考が脳裏を支配していた、その時だった。


『―――――…さん、どうかしましたか?』


耳につけていたイヤホンから聞こえる、中継車で待つスタッフの声に、意識が覚醒する。途端に、彼女は足をもつれさせながらも走りだした。そして、イヤホンの向こうに助けを求める。


「たっ、助けて!何か―――――」


だが。それ以上言葉を紡ぐことなく。
彼女は、真横から飛びついて来た何かによって、草むらに押し倒される。
イヤホンごと側頭部を齧られる音が、彼女の脳に直接響いた。






―――――数分後。駆けつけたスタッフたちが見たのは、川の流れを赤く染めながら沈む、三日月のように欠けた仲間たちの姿だった。



#21 曇天



「…全く、とんだ修学旅行でござるなぁ…。」


修学旅行2日目の夜。自由行動を済ませて2日目の旅館に着いた楓は、廊下で一人嘆息する。初日からテロ顔負けの重犯罪のオンパレードだ。実際楓自身もあわやという目に遭っている。


「…拙者には分からんが、親書とはそれほどまでに大事な物なのでござろうか…?」


昨日から幾度となく頭を掠めてきた疑問が、口をついて出る。死人を出してまで届ける価値があるとは到底思えない、というのは、千雨や真名など、関係者全員の総意であり愚痴でもある。刹那はその辺りの事情に詳しいと思われるが、本人の任務が隠密行動なので、気軽に聞けるわけではない。


しかし昨日の交戦以来、楓の心中には何かモヤモヤした疑念が渦巻いている。まるで狸に化かされているような、何か重要なことを見落としているような、スッキリしない気分であった。


「あれー?長瀬さん、そんな難しい顔してどないしたんやー?」


木乃香が、眉根を寄せるという、楓にしては珍しい仕草に首をかしげてきていた。


「いや、何でもないでござるよ。ただ、明日の朝食は何でござろうか、と。」


本当に適当な嘘だったが、そんな楓の誤魔化しに木乃香はあっさり納得したらしく、そのまま楓に歩み寄り、隣に座った。

 楓はそんな木乃香の横顔を見て、眉根を寄せた。何やらいつもの彼女と雰囲気が違うことを察したのだ。


「…木乃香殿、何か悩みでもあるのでござるか?拙者でよければ、話を聞くが?」


「…アハハ、やっぱり分かってまうかぁ…。」


乾いた笑いを浮かべ、俯く。ひょっとして昨日のことを憶えているのではないかと楓は不安になったが、木乃香がぽつぽつと語り出し、そうではないと分かって、少し安心した。

小さい頃からずっと仲が良かった彼女。
一緒に遊び、一緒に笑い、一緒に過ごしてきた。
けれどある日、自分が川で溺れてしまい、その親友の心をひどく傷つけてしまった。
そして麻帆良で彼女と再会する。
しかし、いくら自分が話しかけても、素気ない態度を取られるばかり。
まるで、自分のことなど眼中にないかのように。

「…ウチ、何かせっちゃん怒らせるようなことしたんかなぁ…。ウチはただ、昔みたいに喋りたいだけやのに…。」


話し終えた木乃香の目には涙が浮かんでいた。おそらく必死で嗚咽を噛み殺しているのだろう。楓は何も言わず、木乃香の頭をそっと撫でていた。


(……何をやっているでござるか、刹那殿…。)


楓は心の中で、この少女を陰から見守っているはずの級友に悪態をつく。無論刹那とて、好きで冷たい態度を取っているはずがない。ひょっとしたら、自分の知らない事情があるのかもしれない。だが、現に彼女は傷ついている。それは紛れもない事実だ。
楓はこの旅館の近くに居るであろう刹那を見つけ出し、木乃香の前で土下座させようかと本気で考えたが、すぐに止めた。それよりもしなければならない事が、今楓の目の前にあるのだから。


「…その親友殿は果報者でござるなぁ。」


「え?」


楓の発言に驚き、顔をあげた木乃香だったが、上げた瞬間溜めこんでいた涙が一筋流れ、それを慌てて拭った。その様子にクスリと笑いながら、楓は続ける。


「そうでござろう?木乃香殿にこんなに長い間愛され続けて、大切に想ってくれている。これほど喜ばしいことはあるまい。きっとその親友殿も、内心では何より嬉しく思っておるはずでござる。きっと、木乃香殿を心配させたくない事情があるのでござるよ。
―――だから、木乃香殿?挫けてはいけないでござるよ?きっとその想いは通じる。木乃香殿が諦めてしまっては、そこでお終いでござる。だから―――今だけ泣いてスッキリして、泣き終わったらまた立ち上がれば良いでござるよ♡」


そう言って、少々手荒に木乃香を抱き寄せる。木乃香は少し呆けていたようだったが、すぐに楓の胸の中で、しゃくりあげる声が響いてきた。楓は再び木乃香の頭を撫でる。撫でながら、楓はその内刹那殿とお話せねばならぬな、と心に決めていた。


「楓さん、お取り込み中申し訳ありません。」


楓の真横から茶々丸が現れた。楓が木乃香を抱き締めた直後には、すでに楓の視界に入っていたのだが、全く気付いていなかった木乃香は、慌てて楓の胸から頭を離した。目も頬も真っ赤である。楓も茶々丸も見ない振りをして、それじゃあ、と一言だけ残してその場を去ろうとした。


「あっ…な、長……か、か、楓さん!」


木乃香が上ずった声で楓の背中に呼び掛ける。


「ホンマに、ホンマにありがとう!ウチ頑張る!絶対に、絶対にまた、せっちゃんと仲良うなってみせるから!」


そう叫んで楓に背を向け、逃げるように走り去っていった。楓と茶々丸は、その後ろ姿を微笑ましげに見送る。


「本当に、木乃香殿は心根が優しいでござるなぁ…。刹那殿が全てを振り捨ててお守りしようとするのも理解出来る。…まぁ、それで傷つけていては何の意味も無いが。」


「桜咲さんにも相応の理由と苦悩あって故の行動かと。楓さん、軽挙妄動は慎んで下さい。」


楓の心中を察したのか、茶々丸が先んじて釘を刺す。楓はバツが悪そうに頭を掻いた。


「…さて、もうすぐ天ヶ崎千草が迎えに来ます。ロビーで待機しましょう。」








「ああ、ようやく来たか。遅いぞ、楓。」


ロビーでのどかと真名が待っていた。楓は真っ先に自分に気付いた真名の言葉に首をかしげる。


「拙者が何処にいるのかなど、千雨殿なら分かっておったはずであろう?遅いなどと―――――む?」


そう言いながら近づいた楓の目が、驚きに見開かれる。そこには大凡楓が想像し得なかった光景、否、充分想像の範疇でありながら、考えようともしなかった光景が広がっていた。のどか、真名、茶々丸は、悪戯が成功した子供のように笑っている。


ロビーのソファで、長谷川千雨が眠っていた。すやすやと、小さな寝息をたてながら。


「千雨さん、ここ2日間ずっと気を張りっぱなしでしたから…。楓さんが来るまで、少し寝かせてあげることにしたんです。だいぶ疲れてたみたいで、すぐ寝ちゃいました。」


「龍宮さんが持っていた安眠符がかなり効いているようです。どうやら千雨さんは、昨日から常時索敵し続けていたようで、さらに天ヶ崎千草の件でずっと考え事をしていたため、肉体的精神的疲労がピークに達していたものと思われます。」


「当然だろうな。周囲数百メートル圏内の音全てに、意識を張り巡らせ続けていたんだ。普通の人間なら5分と保つまい。それを昨日の朝からおよそ36時間。想像を絶するよ。私たちの前では疲れた素振りは一切見せなかったが、よく気付いたな、宮崎?」


「親友ですから!」


自慢げに胸を張るのどかにつられ、楓がぷっと吹き出した。それを合図に、真名と茶々丸の笑い声が、千雨を起こさない程度に響く。

 ひとしきり笑ってから、楓は千雨の傍らにそっと膝を着いた。千雨の寝顔は、まるで戦いの最中に居るとは思えないほど安らかなものだった。


「…そういえば、拙者の修行にも手を抜かず付き合ってくれていたな…。本当に…申し訳ない。」


楓の台詞には、どこか後ろめたい響きがこもっていた。楓は修学旅行直前に、千雨に頼みこみ、特訓を受けていた。それは楓にとって地獄と呼ぶのも生ぬるい試練だったのだが、ともかくその修行は修学旅行前日まで続いた。

 つまり、千雨はほぼ1週間近く、ろくに体を休めることが出来ていないのだ。


「…本当に、こうして見ていると、マスターを倒した殺人者とは思えません。」


魔法界の生ける伝説、最強の悪の魔法使いを破った、元殺し屋。
しかし今、こうしてソファに横たわり、安らかに眠る姿は。




「―――本当に、普通の女子中学生の様でござるな…。」




そして、刹那が合流するほんの数秒前まで、千雨はぐっすりと眠っていた。











「さて、それじゃ最終確認だ。」


目を覚ました千雨は、先ほどまで子供のように眠っていたのが嘘のように、戦闘部隊の指揮官のような顔つきに変わっていた。


「天ヶ崎との会談には、桜咲の提案通り、私と龍宮、楓が行く。旅館の警護は茶々丸とのどか、桜咲だ。天ヶ崎の仲間が、私の不在を狙う可能性は十分あるからな。…もっとも、心配しだしたらキリが無いんだけどさ…。」


千雨が深々と溜め息を吐く。この2日間で分かった天ヶ崎千草の恐ろしさとは、「何時、何を仕掛けてくるか分からない」という一点に尽きる。千雨がこの数日で精神的に困憊しきったのも、天ヶ崎がいつどんな襲撃をしてくるか分からない恐怖故である。


「私たちはアイツとの会談に全神経を注ぐ。罠の一つや二つあるだろうが、姿さえ見せてくれれば、私が力技で押し切ってやるさ。」


楓や真名も頷いている。千雨が居る以上、戦闘で遅れを取ることはあり得ないので、むしろ戦闘になってくれた方が都合が良いくらいだ。当然、天ヶ崎がそれを把握していないはずがないのだが。


「だから茶々丸、のどか、桜咲。旅館の防衛はお前たちに任せる。まぁネギ先生と神楽坂も居るし――――」


が、千雨はそこまで言ったところで言葉を切り、後ろに飾られている鹿威しに鋭い視線を向けた。鹿威しがコォン、と小気味良い音を立てた瞬間、石鉢から水があふれ、見る見る内に数人の人型を取っていく。


―――――が。


「「「「「「………え?」」」」」」


人型が色を帯びていき、天ヶ崎一味の姿を取っていく。そして、その一番前に立つ千草を見た瞬間、千雨たちは言葉を失った。見ると、彼女の仲間たちも、目の前の千草から目を逸らしている。


「おまっとーさん、迎えに来ましたえ?」


千草が笑顔を浮かべながら千雨に近付く。相変わらずの人を小馬鹿にしたような笑みだが、千雨たちはそんな些事を気にしていられる状況では無かった。


何故なら、今千雨の目の前に立つ天ヶ崎千草は、下着姿だったからである。


「…何してんの、お前。」


「ああ、この格好どすか?単に無抵抗の意思表示や。こうでもせぇへんと、あんさんは信用せぇへんやろ?」


そう言ってニヤニヤと笑う千草に、千雨はどう反応していいか分からなかった。所業こそ最悪だが、外見だけならミステリアスな美女、という感じなのだ。そんな彼女の下着姿は、正しく男女問わず骨抜きにしてしまいそうな程の妖艶さを誇っていた。


「ま、ウチは別にあんさんを誘惑しに来たわけやおまへんし?時間も差し迫ってますから、さっさと案内させてもらいますえ?」


そう言いつつも妖艶さは微塵も崩さず、長い髪を揺らしながら鹿威しまで戻り、水鉢に腰掛けた。千雨の表情にもようやく感情が戻り、不愉快そうに千草を睨みつけた。


「…朝も言ったと思うけどな。何でお前が招く側なんだ?お前等は私たちに『お願いする』側だろ?なら、私たちの旅館(ホームグラウンド)でやるのが普通だろ。何でわざわざ、罠仕掛けられてるかもしれない場所に足運ばなきゃいけないんだ?」


「言うたはずやで?これは和平条約や。条約結ぶんやったら、普通は中立地帯でやるやろ。この旅館の従業員かてウチの洗脳が効いとる。せやから、手出し出来へん場所用意したんや。私にも、アンタ等にも、な。」


抜け抜けと語る千草に、さらに不愉快さが増す千雨たちだったが、さっさと済ませたいのは彼女たちも同じだったので、何も言わず千雨、楓、真名が千草のもとに歩み寄る。

 すると、フェイトたちが千雨たちとすれ違うようにして、ロビーの方に歩を進めていく。


「…何のつもりだ、糞餓鬼。」


「文句ならチグサに言ってもらえるかな。僕たちはただ、この旅館を護衛しろって命令されただけだ。それと、糞餓鬼っていうのも訂正してほしい。」


フェイトの反論に、千雨の殺意のこもった視線が千草に向けられる。千草は意に介した様子もなく、優雅に足を組み直していた。


「ウチの無抵抗の証その2や。ウチ等が裏切ったさかい、関西の老害共は独自に近衛木乃香を狙ってくる可能性が高い。そやから、護衛の足しにしておくんなはれ。好きに使うてくれて構いません。まぁ、そないなこと言うたかて信用でけへんやろうし―――」


と、千草は左耳のピアスらしき物を外し、千雨に向かって放り投げる。千雨が受け止め、見てみると、それはピアスではなく、鈴だった。


「フェイトはん、首輪しとるやろ?その首輪には、魔力封印の術式が組んである。で、その鈴が首輪の鍵や。鈴に魔力込めて首輪に付けたら、同じ魔力通さへん限り絶対に外れんようになっとる。アンタ等の中でこの旅館に残るヤツが、魔力込めたらええ。」


確かに、千草のあられもない姿に気を取られていて気付かなかったが、フェイトの首には太めの首輪が付いていた。傍目に見ても、変な趣味があるとしか思えない格好である。

 千雨は茶々丸に鈴を投げ渡す。刹那は木乃香の傍で護衛せねばならず、のどかはそもそも魔力が無いため、当然の判断であった。鈴をキャッチした茶々丸はフェイトに歩み寄り、首輪に鈴を引っ掛けた。


「…なるほど、確かに魔力を一切感じなくなった。」


真名が感心したように呟き、茶々丸や刹那も頷く。魔力を感じ取ることの出来る3人が揃ってそう言っているため、納得しないわけにはいかない。千雨は不承不承といった感じで、苛立たしげに髪を掻きながら、千草に向かい直った。対する千草は満足げな妖しい笑みを浮かべている。


「満足してもろたところで、ほな、行きますえ?」


千草の催促を受け、千雨はサックスケースを持ち直しながら、のどかの方を見る。


「…じゃ、頼むぜ、のどか、茶々丸、桜咲。」


「ハイ、任せてください!」


「任せてください。」




「ご武運を。」




3人の力強い返答を代わる代わる聞き、千雨も強く頷いた後、再度千草に向き直る。千草は右耳のピアスを外し、何やら呟いた後地面に落とした。途端、鈴が落ちた地点を中心に魔法陣が描かれ、千雨たちを光と風が渦巻き、包みこんだ。





千雨が浮遊感を感じていたのも一瞬のこと、気付けば足元に固い感触を感じていた。


「…ここは…日本庭園…?」


真名の言葉を聞き、千雨も耳を澄ませる。真名の言った通り、池や石灯籠、その奥の庵のような建物などを音で感じた。が、同時に、逆方向にある和風建築の母屋から聞こえてきた『声』に、千雨は全身を強張らせた。


「お、オイ、天ヶ崎、ここって―――――」


「こっちや。着いて来。」


千草は有無を言わさず歩き出した。楓と真名は、千雨の苦虫を百匹まとめて噛み潰したような表情が気にかかっていたようだが、その疑問はすぐに氷解した。
飛び石を渡っていったその先にある小さな茶室に、明りが灯っている。そして、その入り口近くで数人の男たちが待ち構えていた。


「おまっとうさん。親父さんは中か?」


「へい、先刻より、中で姐さんたちの御到着をお待ちなさっておりやす。」


入口近くに控えていたスーツ姿の、どうみてもその筋の者である男が、千草に慇懃に言葉をかける。他の男たちも皆似たような風貌だ。楓と真名も、ここがどういう所であるのかを理解したらしく、顔が青褪めていた。


「御嬢さん方、お荷物をお預かりいたしやす。」


さらに残る男たちが、千雨たちを取り囲み、サングラスの奥から千雨たちを睨み付けていた。暗に「持ってる武器を全て置いていけ」と言っているのだ。3人は顔を見合わせ、そして静かに武器(もちもの)を一つずつ渡していった。その間に千草は、男の一人が羽織らせた着物に袖を通していた。


武器を取出し終えると、千雨たちの目の前に立っていた男が道を開けた。そして、最初に千草に声をかけた男が、茶室の入り口を開けた。


「…くれぐれも、御無礼の無いよう。」


入る直前にそう釘を刺されながらも、小さな扉をくぐる。中には先に入った千草の他に、白い髭をたくわえた厳めしい老齢の男が、手慣れた手付きで茶を煎じていた。だが、その男から発せられる、樹齢数百年の大樹の如き風格は隠し様が無い。


「…本日は仲介人として御足労いただき、恐悦至極に存じます。」


「抜かせ。おんどれみたいな汚れが儂に礼なんぞ、反吐が出るわ。」


心底うんざりしたような、皺枯れた口調で老人が返答する。彼が天ヶ崎を嫌っているのは一目瞭然だが、それならば何故仲介役を買って出たのだろうか。千雨はそう考えていたが、彼の視線が自分たちに移るのを感じて、思考を中断する。


「突然のご訪問申し訳―――」


「下手な挨拶なんて要らへん。儂かてこんな茶番に突き合わされるんは真っ平御免や。速よ終わらせて、とっとと去ねや。」


千雨の言葉をばっさりと切り捨て、険しい目付きを向けた。千雨もそれ以上何も言わず、囲炉裏を挟んで向かいに座る天ヶ崎に向き直った。


「ほんなら改めて…この度の近衛木乃香嬢誘拐につきましては、私天ヶ崎千草が、関西呪術協会の幹部数名の合名の下に依頼され、実行したものでございます。今回私どもがお嬢様並びに貴殿等に負わせた御怪我の数々、謹んでお詫び申し上げます。」


つらつらと謝罪の口上を述べながら、五指と額を床に擦りつける。あまりにも手慣れたその一連の仕草に、千雨は嫌悪感を催さずにはいられなかった。おそらく楓も真名も、そして仲介人の老人も、内心は千雨と同じ感情を抱いているのだろう。なおも千草は白々しい口上を続ける。


「無論謝罪だけで済む話とは思っておりません。この落とし前はきっちりつけさせていただきます。何より、私どもに依頼をした協会幹部数名は、未だに木乃香嬢を狙っています。すでに幹部たちからも裏切り者と認識されている私たちではございますが、せめてもの情報として、依頼を下した幹部の名を―――」


「―――別にそんな情報は欲しくない。」


千雨が千草の言葉を遮った。千草も顔をあげ、向き直る。


「勘違いしないでほしいんだが、私たちは関西のゴタゴタなんかに一切興味は無い。身内で潰し合ってんなら、勝手にやって勝手に消えてくれ。私たちを巻き込むな。」


「………。」


「死ねとは言わねぇさ。だが、お前等はそれなりの事はしてんだ。たかが情報なんかで、私たちを釣れると思うなよ?白々しいんだよお前は。本気で反省してるってんなら、指の一本でも切ってみたらどうだ?」


「まぁちょいと落ち着けや、嬢ちゃん。」


千雨の言葉に怒りが混じり始めたところで、老人(ちゅうかいにん)から待ったがかかる。冷や水のような冷静な声が、千雨の熱を一気に冷ました。


「長谷川、少し焦り過ぎだ。ちょっと冷静になれ。らしくないぞ。」


「…そうだな、ありがとう龍宮、仲介人さん。そして天ヶ崎、済まなかった。」


さすがに千雨も昂り過ぎたと感じたのか、すぐに冷静さを取り戻す。千草も「構いません」とだけ返しただけだった。


「…ともかくだ。天ヶ崎千草、私たちは出来るだけ穏便に事を済ませたい。というか、こんな面倒事からはさっさと手を引きたいんだ。」


真名、楓も頷いて同意する。


「だが、先ほど旅館でお前が言っていたように、関西呪術協会の連中が独自に私たちを襲うつもりなら、すなわち私たちが京都に居る間は、安息の地は無いことになる。ここはあいつ等の本拠地なんだろ?だとしたら、いくらでも遣り様はあるわな。近衛に拘らなくても、ネギ先生を闇討ちするだけでも、あいつ等の目的は十分達成できるはずだ。」


すると、千草の白々しい表情に初めて揺らぎが見えた。千雨の今の言葉の真意を探っている、そんな感じだった。


「そこでだ、今回の埋め合わせとして、お前たち天ヶ崎一味は、私たち麻帆良学園女子中等部の護衛と情報収集に回ってもらいたい。期限は修学旅行最終日まで。ネギ先生が親書を届けた後に、八つ当たりで襲撃されちゃ困るからな。」


「………。」


千草はウンともスンとも言わず、ただ難しげに眉根を寄せていた。彼女にしては珍しい反応なのか、老人が時折チラチラと千草の表情を覗いている。


「だからせめて、お互い無事にこの街を脱出出来るように したいんだけど…えーと、何か不満あるのか?」


千草の険しい表情がさすがに気になったのか、千雨が尋ねる。千草は何かを考えるような素振りを崩さなかったが、やがて重い口を開いた。


「…なぁ、アンタ等は、どないな任務で京都(ココ)に来とるんどすか?」


慇懃な口調を崩した千草が、怪訝そうに聞いてくる。むしろその疑問の方が疑問だと言わんばかりに、千雨が答えた。


「何って…。ネギ先生の親書運搬の後方支援だろ。関東と関西の争いに終止符を打つべく、関東からの親善大使として、“英雄の息子”ネギ・スプリングフィールドが遣わされた。私たちはその親書の受け渡しを滞りなく進めるため、関西の和平反対派による襲撃を未然に防ぐ役割だ。だから、ネギ先生が親書を渡しさえすれば、平和的に解決(ハッピーエンド)じゃないのか?」


「ん…なるほどな。チッ、あのクソジジイ…。」


千草が何やら納得気に小さく頷いていた。一瞬真名も何かに気付いたような顔を浮かべたが、正面に座る千草以外には見えていなかった。


「一つ質問や。何で関西の連中は、近衛木乃香を誘拐しようとしてるんやろな?」


「…確かに。」


反応したのは楓だった。とは言っても非常に小さい声だったので、千雨以外の誰も聞こえてはいなかった。


「それは近衛木乃香が、関東魔法協会会長の孫娘だからだろ?和平を申し入れている関東のトップの孫だなんて、正しく棚からぼた餅だ。後は煮るなり焼くなり好きにすりゃいい。どっちにしろ和平なんざご破算だろ。…それとも何か、まだ他に理由があるのか?」


「そやな。アンタの語る理由も間違いやないけど、一つ重大なピースが抜けとりますえ?単に知らへんかっただけなんでっしゃろけど、これを知らんことには始まりまへん。」


千草は居住まいを正し、千雨たちを正面から見据えた。


「近衛木乃香は確かに、関東魔法協会会長、近衛近右衛門の孫娘や。これは相違ありまへん。せやけど―――同時に、関西呪術協会会長、近衛詠春の一人娘でもある。」


「「はぁッッ!?」」


狭い茶室中に、千雨と楓の驚愕に満ち溢れた声が響き渡る。真名だけは声を出さなかった物の、瞑目して天井を仰いでいた。


「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれ!?すると何か、関東と関西のそれぞれの代表者は、親子関係にあるってことか!?」


千雨の狼狽しきった声が、彼女の混乱を如実に物語っていた。本来千雨を抑えるべき老人も、興味深そうに千草に視線を向けていた。


「正確に言えば、関西の会長の近衛詠春は婿養子やけどな。ついでに言うと、近衛詠春はネギ・スプリングフィールドの親父さんと一緒に旅して、一緒に魔法世界救うた英雄の一人や。巷やと『サムライマスター』なんて呼ばれとるけどな。」


「んな情報はどうだっていいんだよ!!関東と関西の頭が親子だっていう事実は変わらねぇんだろうが!!」


千雨が囲炉裏を蹴飛ばしてしまいそうな勢いで激高する。老人が宥める声も、完全に無視しているようだった。


「何が親書だふざけんな!!親子仲良く日本を半分ずつ牛耳ってるんだったら、今さら友好条約なんざ何の意味があるってんだ!?私たちが必死になって守ってたのは、単なる親子の文通か!?子供のお使いか!?そんな下らねぇモンに、私たちは命かけてたってのか!?あァ!?」


「気持ちは分からんでもないけど、少し落ち着き。五月蠅い。」


「そ、そうだ長谷川、少し落ち着け!気持ちは分かるが、それを天ヶ崎にぶつけたってしょうがないだろうが!!」


真名と楓が、暴れ牛を宥めるように千雨を押し留める。すでに老人からは剣呑な雰囲気が立ち込め始めており、彼の合図一つで外の若衆たちがありったけの銃弾を撃ち込んで来かねない状況だ。

 怒りのやり場が無くなった千雨は、歯を軋らせながら荒々しく座布団に腰掛けたかと思うと、熱い茶を一気に飲み干した。湯呑みを叩き割らなかったのは、千雨の自制心がギリギリで働いたからであろう。


「とにかく、アンタの依頼はネギ・スプリングフィールドの護衛やって、近衛木乃香の事は何も知らされてへんかった、そやな?」


「…ああ、そうだよ。」


晴らしきれなかった鬱憤に満ち満ちた声が、千雨の喉から響く。楓も声には出さないものの、かなり怒りを溜め込んでいるようだった。


「…ま、あんさん達は関東の爺に一杯喰わされたっちゅうことやな。一番の目的は、英雄の息子(ネギ・スプリングフィールド)に箔付けさすことやろうけど、何やアンタ、恨まれることでもしはったんどすか?大方関西の息子と共謀して、アンタを陥れる策でも練っとったんやろ―――例えば、ウチの推測やとな。」


ここで千草は、久方ぶりに笑みを見せた。彼女お得意の、見る者を不愉快な気分にさせる笑みだ。


「アンタの聞こえん所―――例えばネギ先生が訪れることになる、関西呪術協会の総本山とかで、ネギ先生にある事無い事吹き込んで、アンタと戦わせるようにする、とかな。これやったら、勝っても負けてもオイシイ話やろ?」


千草の言葉を受け、千雨も考える。もし千草の言う通りの状況になるとしたら、間違いなく私はネギ先生に勝てる。

 だがその場合、私は英雄の息子を屠った大悪人として、全世界に指名手配されるだろう。そして万が一ネギ先生が勝ったとしても、ネギ先生の輝かしい経歴の1ページになるだけだ。


千草の推論はやや強引かもしれないが、あの爺が千雨を陥れるために何らかの嘘をついた可能性は非常に高い。

 すでに渡月橋や旅館の崩壊など、陥れるための材料は十分過ぎるくらいに揃っている。この数々の被害を盾に、自分を追い詰めていく気だろう。千雨は腸が煮えくり返る気分であった。


「…真名、お主と刹那殿は、どこまで知っておった?」


楓が沈黙を貫いていた真名に問いかける。確かに関西出身の刹那と、彼女と同室だった真名が、事情を知っていてもおかしくはない。千雨も千草も、楓の言葉を受けて真名の方に視線をやった。


「………………。」


対する真名は苦渋の選択を迫られたような表情で俯いている。誰も催促一つせず、ただ静かに真名の答えを待った。


「…知ってはいた。前に、刹那から聞いたことがある。」


千雨の目が細められるが、何も言うことなく先を促した。


「私自身、今回の任務はあくまで親書の受け渡しを“円滑に”進めよ、ということだ。長谷川の言う通り、“子供のお使い”かもしれない。だが、私の依頼であることに他ならない。一応プロのつもりなんでね、請けた依頼に疑問は抱かないようにしている。…というか、てっきり刹那から事情を聞いてるものと思っていたぞ?」


「…まぁお前のポリシーにとやかく言うつもりは無ぇし、確かにこれは相互間での事実確認、情報交換を怠ってた私のミスだ。…ああクソッ、こんなことなら昨日、旅館に帰る前に桜咲と話しておくんだった…!」


もしくは超との会話を断るか、旅館に入る前に刹那を捕まえるか。少なくとも、刹那から話を聞いておけば、事態の食い違いに気付けたはずだったのだ。千雨は改めて、自分の運命の巡り合わせの悪さを呪いたくなった。


千雨の深い溜め息がこぼれる中、次に口を開いたのは楓だった。


「…しかし木乃香殿は、関西にとっても重要な人物であろう?その彼女を誘拐するとは、一体どういうことでござるか?長にばれたらただでは済まんでござろう?」


「ただで済ませてくれなくて結構、ってことだろ。」


楓の問いに答えたのは千雨だったが、非常にうんざりしたような口調だった。


「何となく裏が掴めてきたぜ。和平反対派の本当の狙いは親書の破棄じゃなくて、現体制の転覆だな?実質的に関東の配下になっていることに我慢がならなくなった連中が、その手先である近衛一族を排除して権力を握ろうとしている、そんなところか?」


「ほぼ正解や。付け加えるとしたら、近衛木乃香の『使い道』やろな。」


千草の答えに、3人の視線が集中した。


「近衛木乃香はその身に莫大な魔力を溜め込んどる。ウチ等の依頼主は、おそらくその魔力を使うて、本山に封印されとる大鬼神を呼び出すつもりや。関東侵攻のための兵器として、な。」


まるで今日の天気を思い出すかのように、事もなげに話す千草とは対照的に、千雨たちの顔は怒りに歪む。昨日今日で多くの人の命を脅かしたそれが、詰まる所武装集団の内輪もめでしか無かったのだから。


「…また一つ疑問なんだが。」


千雨は内心の怒りを噛み殺しつつ、努めて冷静な声を出す。


「近衛は魔法の存在を知らないものと思っていたんだが…、アイツの周りの人間関係を見ている限り、知らなきゃおかしい、というか不味いと思うんだが?」


千雨の問いに千草は軽く首を振るだけだったので、全員が真名に視線を向ける。


「…いや、実際知らないはずだ。刹那から聞いている。何でも、近衛の父親、つまり関西呪術協会の会長が、出来るだけ魔法と関わらせたくないと考えてるらしくて―――」


「―――ハッ、アホくさ。」


千草が吐き捨てるように呟く。これまた珍しいことに、彼女の顔にはありありと嫌悪感が浮かんでいた。


「教育方針は立派やけど、何も教えへんのは逆効果でしかない。マフィアのボスの娘が親父の職業知らんのと一緒や。魔法のこと教えた上で遠ざけるのが普通やと思うんやけどな。」


千草の真正面の千雨も、うんうんと何度も頷き、同意していた。楓や真名も、仲介の老人さえも、神妙な顔をしている。ひょっとして近衛木乃香が魔法について教えられていたら、今回の茶番劇(ゆうかいそうどう)は防げていたかもしれない、と考えながら。


次第に千雨たちも落ち着いてきて、場に沈黙が訪れた。落ち着いた、というよりは、強烈に冷めさせられた、という方が正しいのだろう。あまりにも下らない権力闘争の有様に、今自分たちが巻き込まれていること自体が馬鹿馬鹿しい、そんな気分だった。


「…いい加減、話を戻しますえ?」


千草が逸れ過ぎた話題を元に戻す。千雨たちも気を取り直し、始めのように向き直った。


「アンタ等の要求は、関西の追撃からの護衛。期間は麻帆良学園帰還まで。これでええんか?」


「ああ。一応ネギ先生の護衛も頼む。多分ネギ先生は親書を渡そうとするだろうからな。学園長の掌の上とはいえ、ネギ先生は真剣なんだ。さすがにそれさえ踏み躙るのは気が引ける。」


エヴァとの決闘に真横から乱入してきた千雨が言うのもおかしな話ではあったが、楓も真名も突っ込まなかったので、滞りなく話は進む。


「そしてもう一つ依頼がある。というか、もう一つ出来た。」


真剣な顔で千雨が切り出した。





「関東魔法協会会長、近衛近右衛門の企てる『計画』の破壊と―――当人の暗殺。」





千雨が言い切った瞬間、真名が険しい表情で立ち上がった。千草も目を細めて千雨を見つめる。


「さっきの話で痛感したよ。あの爺は油断ならなさ過ぎる。そして私は、あの爺の『計画』にとって目の上のたんこぶ以外の何物でもない。今後もっと悪辣な手段に打って出る可能性も高い。―――だから、速めに決着(ケリ)を付けておきたい。」


千雨の殺意に満ちた言葉が茶室中に広がり、室内の空気を一気に冷却した。それで気圧されるような人間はただ一人も居ないが、もし手元に武器があれば、即座にそれに手が伸びていただろう。



「殺すのだけならそう難しいことじゃないけどさ。あの爺のことだ、その辺の対策はしてあるに違いない。だからお前たちに頼みたいのは、あの爺が敷いた計画、対策、準備、その他諸々全ての“破壊”だ。ヤツを守る全ての物が無くなった後は、私が引導を渡す。一応私も殺人者の端くれだ。証拠隠滅なら手慣れたモ ンさ。」


「千雨殿…。」


楓が千雨の自嘲的な雰囲気を感じ取り、複雑な気分に陥る。一方その隣で、真名が立ったまま千雨を睨み付けていた。千雨も振り向き、真名と視線を交わす。先に口を開いたのは真名だった。


「私の目の前で、そういう会話は止めてくれないか?お前を止めなきゃいけなくなるだろうが。」


勝てない(とめられない)ことは自覚してるんだろ?なら聞かなかったことにしとけ。」


「…とりあえず、あなたの返答次第だ、天ヶ崎千草。」


胃が痛い、と言わんばかりに腹をさすりながら、真名は千草の方を見る。二人の会話をさもつまらなさそうに聞いていた千草だったが、返答は速かった。


「断る。」


「何ぃ!?」


予想だにしない答えに、千雨と楓が身を乗り出す。一方真名もひどく驚いてはいたが、どことなくホッとしているようだった。


「理由か?簡単や。割に合わん。それだけ。」


「割に合わんって…。」


絶句する千雨とは対照的に、千草は淡々と話す。


「アンタの近衛近右衛門に対する評価は正しい、けど、合格点には足りへん。あの爺はアンタが思うてる以上に老獪で、強大で、俊敏で、全能や。殺すのは難しくない?アホンダラ。仮にも関西出身で、敵対する関東の頭にまで上り詰めた男ですえ?舐めてかかるんも大概にしとき。
要するにな。あの爺を嵌めるんやったら、今回の件チャラにする程度や圧倒的に割に合わへん。―――そうやな、それこそ、近衛木乃香が死ぬくらいで、ちょうどええ位やと思いますえ?」


「ッッ…テメェ…!」


千草がわざと付け加えた一言に、千雨たちが憤る。仲介役であるはずの老人でさえ、千草を強く睨みつけていた。


「…少しジョークがキツ過ぎたようやな。スマンかった。
―――けど、今ウチが言うたことは真実や。あの爺を消すなんて依頼は、よっぽどウチに勝算が無い限り請けへんよ。」


そこまで言って千草は居住まいを正し、最初の慇懃な口調に戻る。


「麻帆良学園女子中等部の護衛、及び敵対する関西呪術協会の情報収集の依頼、こちらの方は、謹んで請けさせていただきます。期限は修学旅行最終日、護衛対象が麻帆良学園に到着するまで。これで宜しいですか?」


「…ああ、構わねぇよ。本当は戦力別に役割分担させたいところだけど、詳しい能力とかは教えちゃくれねぇんだろ?」


「その通りどす。ウチ以外の面子は全員フェイト・アーウェルンクスの配下で、契約上彼を雇っているに過ぎひん。せやから、フェイトはんの許可無しに勝手な真似は出来ん。ま、こっちで最適な戦力配置考えておくさかい、安心しぃ。」


千草の発言に千雨が顔を顰める。千草が適切な戦力配置を考えられるということは、彼女がこちらの戦力を把握しているということに他ならない。どうにも彼女の掌の上で弄ばれているような気がしてしまい、理性が彼女の提案を拒みたがるのを抑えられなかった。


「…頼む。」


とはいえ、向こうが情報を渡す気がない以上、自分たちにそれを考えることなど出来ない。千雨は渋々、千草たちが敵ではないという事実に寄り掛かることにした。


ここでふと、千雨にある考えが思いついた。


「…なぁ、また近衛近右衛門の話に戻るんだけどさ。」


そう切り出した途端に、千草が嫌そうな顔を浮かべたが、気にせず千雨は続ける。


「直接手出しすることはしなくていいから、代わりにあの爺の情報収集頼めないかな?どんな能力なのかとか、部下の情報とか。」


「ああ、麻帆良の魔法関係者一覧なら持ってますえ?あげましょうか?」


「…マジでか。」


驚く千雨と、焦る真名。学園警備担当者として、焦るのは当然であった。すぐさま断ろうとするも、肩を掴まれ動きが止まる。楓が、薄ら笑いを浮かべて真名を押し留めていた。楓は千雨の味方であり、老人は意に介した素振りも見せない。八方塞がりだった。


「是非頼む。私宛に送ってほしいが、どうせ住所は判ってるんだろ?」


「ええ、もちろん。それではまた後日お送りさせていただきます。」


あっさり交渉は成立し、真名は膝をつく。胃に穴が空きそうだ、と言わんばかりに、自分の腹部をさすり始めた。


「…さて、今回の件はこれで手打ち、ということで宜しいですか?」


「…いや、待ってくれ。もう一つある。」


千雨はそこで言葉を切り、千草に向き直った。






「天ヶ崎千草――――お前を、私たち長谷川・エヴァンジェリン同盟に迎え入れたい。」






「「なっ―――――!!?」」


真名と楓、二人分の驚く声が響き渡る。同盟の一員である楓さえ、何も聞かされてはいなかった。対して、千草は冷ややかな表情を一切崩さない。


「…さっき言うたはずですえ?あの爺に関わる依頼なら、よっぽど勝算が無い限り動く気はない、と。」


「確かに、力押しだけじゃ難しいかもしれない。だからこそ、お前の力が必要なんだよ。私とエヴァ、武力だけなら誰にも負けない私たちを、より効率よく動かせる人材が。
その知謀を、能力を貸してくれ天ヶ崎千草。エヴァは気に入らないかもしれないが、何とか説得する。あの爺を斃すにはまだ手が足りない。今の私たちに一番必要なのは―――お前だ。」


千雨が会議の時以上に真剣な表情で千草を見つめる。千草も表情から冷淡さを消し、一人の策謀家として千雨に向き直っていた。


「…大変魅力的なお誘い、ありがとうさん。けど、そう易々と頷くわけにはいかん。第一、それは今回の件の穴埋めとは違う、れっきとしたウチへの依頼やろ?報酬は?ウチがそれを受けるメリットは?」


「…とりあえず、私の中学卒業まで待ってくれ。」


一転、千草の表情が怪訝な物になる。楓も、真名も、老人も、今の千雨の発言の真意を測りかねたらしく、じっと千雨の次の発言を待った。


「中学を卒業したら―――――私は、お前の手駒になろう。」


「なっ―――――!!?どういうつもりでござるか千雨殿!!」


真っ先に反応したのは楓だった。立ち上がり、掴みかからんばかりの勢いで千雨に喰ってかかる。


「どうもこうも、そういうつもりだよ。私は天ヶ崎千草の部下になる。こいつの手足となって、馬車馬のごとく働く。それだけだよ。」


「だが―――」


「四の五の言うな。どの道、私はほぼ確実に麻帆良にいられなくなる。今のうちに就職先決めておくようなもんさ。
―――さて、どうだ天ヶ崎。これでも最低一万ドル無きゃ買えない程度にゃあ、腕と技術はあるんだ。超一流の殺人鬼と、無料で専属契約結べるぜ?結構美味しい話だとは思わないかい?」


ここで言葉を切り、千草の反応を待った。千草はしばらく、顎を掌に乗せて考えるポーズを取っていたが、ふとニヒルな笑いを浮かべた。


「まぁ確かに、面白い話ではありましたなぁ?ウチの部下になるっちゅうんがどんなことかってことくらい、分かっとるとは思いますけど。
せやな、昨日のアンタの戦いぶりは身を以て知っとるし、推考には値する報酬かもしれへんなぁ。」


千雨は少し胸を撫で下ろしつつも、推考という千草の言葉に引っ掛かりを覚える。


「考えるのに時間が要るのか?どのくらい?」


「そらウチのパートナー決める、大事な案件や。ま、この依頼が片付くまでには―――――」


千草がそこまで語ったところで、茶室の扉の奥から声が響いてきた。


「お話し中申し訳ありやせん。少々よろしいでしょうか?」


外に控えていた若衆の声だ。老人が威厳たっぷりの声で「何だ」と聞き返す。


「へい、先ほどから、天ヶ崎の姐さんの携帯が鳴っておられたので、至急の用事かと思いまして、声かけさせてもらった次第です。」


老人の視線を受けた千草は、ドアの傍に歩み寄り、携帯を受け取った。千草の表情が怪訝な物に変わる。


「…フェイトはん?何やの?」


『会談中に本当に済まない。まだそこに、商談相手は居るかい?』


携帯から漏れるフェイトの声が、千雨の耳に届く。その声にはあからさまに焦りが見られた。それを認識した瞬間、千雨の背筋にゾワリとした嫌な感触が走る。千雨の第6感がけたたましく警報を鳴らし、災厄(エマージェンシー)を告げていた。


「…まだ居る。何があった?」


千草もフェイトの焦りを感じ取り、声に緊迫感がこもる。楓も、真名も、老人も、嫌な予感に満たされていた。聞きたくない、千雨の本能が、その先の未来を受け止めたくないと、拒否反応を示す。


無論それは叶わぬ願いだった。










『先ほど旅館内で発砲事件が起きた。生徒一人が重体だ。』

 


(後書き)

 21話。女子中学生が〜、極道屋敷で〜、テロリストにぃ〜、出会ったぁ〜回。何でウルルン終わっちゃったのかなぁと今でも思います。結構好きだったのに。

 そんなわけで修学旅行第2ラウンド、雨草会談。終始千草が主導権握りっぱなしでした。下着の件はツッコミ禁止で。任務と実情のズレにここでようやく気付くわけですが、ここまで来ると展開的にはもうあんまり関係なかったり。

 原作読んでた時も感じたんですが、やっぱり木乃香に魔法関係のことを教えないのって絶対おかしいと思うんですよね。千草に代弁させましたが、マフィアの娘が自分の親の職業知らないのと同じで、ある程度権力があって、人に恨まれるような仕事してるなら、リスクマネジメントの一貫として、危険性を伝えておくべきかと。詠春の親心自体は素晴らしいことだと思いますが、まず本人に事情を説明してからにしとけと。そうすれば修学旅行編の事態のほとんどは未然に防げたんじゃないかなー、なんて思ったり。

 今回のサブタイは、アニメ銀魂OPテーマで、DOESの「曇天」。いつぐらいのOPだったっけな…?銀魂は連載1話から読んでますが、まさかこれほどまでの人気コンテンツになるとは(笑)一番好きなのは柳生編のトイレの紙のアレ。

 次回は旅館での顛末です。そして次回でにじファン掲載分終了…!ようやく最新作をお届けできます!エライことになりますので、お楽しみに!

 

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