時間は少し遡り、旅館にて。
神楽坂明日菜と近衛木乃香は旅館の温泉に浸かっていた。
「…だからウチな、この修学旅行終わったら、もう一度せっちゃんとお話するんや!せっちゃんがどんだけ逃げても諦めへん、しっかり捕まえて、きっちりお話したる!」
「うん、その意気よ木乃香、頑張れ!」
二人は湯船の中で仲良くおしゃべりに花を咲かせている。話題は専ら、木乃香による
一方の明日菜は、実は先ほど刹那に「少し席を外さなければならないので、私の代わりにしばらくお嬢様の護衛を頼む」と言われていた。何の用事かは聞いていなかったが、ネギも現在脱衣場の外で見張っているし、刹那本人も結界を張っておいてあると言っていたので、そう心配することは無いだろう。
「…ほんでなー、明日菜、昨日何か凄い怖い夢見たんよー。」
「…え、そ、そうなの木乃香?だ、大丈夫?何かその、思い出したりとか…。」
「うーん、よく覚えてへんのやけどなー。けど、スッゴイ怖い夢だったんよー。その…ウチの目の前で、誰かが死んでまう、そんな夢…。」
木乃香自身は何気なく語っているだけだが、明日菜の心臓は爆発しそうな鼓動を刻んでいた。木乃香は自分が誘拐されたことなんて全然気付いていないし、それどころか魔法のことすら知らない。刹那からも、「お嬢様に魔法のことを教えないように」と厳命されている。
もし気付かれてたらどうしよう。そう考えていたのだが、ふいに木乃香の表情が嬉しそうな物へと変わる。
「けどな、目ぇ覚めた時、せっちゃんからもらったお守り握っててん!昔せっちゃんと、京都のお寺さんお参りに行った時におそろいで買うたやつでなー。今でも大切に持ってるんやけど、ああ、せっちゃん、ウチを怖い夢から守ってくれてたんやー、って。」
嬉しそうに語る木乃香の姿に、明日菜は内心ほっとする。どうやら結局親友自慢につなげたかっただけらしく、その怖い夢が現実の物であったということなど微塵も気付いていないらしい。
(……でも…。私も昨夜の記憶が曖昧なのよね…。)
しかし、今度は自分のことが不安になった。昨夜の顛末は刹那から聞き及んでいるが、どうも記憶が中途半端なところで途切れている。
神楽坂明日菜には、幼少期の記憶がほとんどない。親も親類も無く、ずっと麻帆良の中で過ごしてきた。別に自分の過去が無いことを嘆いているわけではないが、こうも不自然に記憶が飛んでいると、病気的な物か、はたまた別の何かがあるのではないかと疑ってしまう。
話が逸れた。結局、明日菜が昨夜の記憶で覚えている最後の場面は―――――
(金色の光―――――)
向かいの建物の2階から漏れる、月光にも負けない程強く輝く金色。
何故か明日菜は、それを見慣れたもののように感じていた。
#22 禁じられた遊び
『―――――ハイ、結界は張り終えました。後は外側から結界の綻びが無いか見て回ります。』
「分かりました、それでは、その結界の調査が終わり次第、近衛さんの警護に戻っていただいても構いません。」
『ではそのように。見張りの方、よろしくお願いします。』
茶々丸が刹那との通話を切り、眼下の景色を一望した。暗闇だからこそ、茶々丸のセンサーは活躍できる。感じる熱源と魔力は、同級生と見張り役だけだ。
「結界、張り終えたって?」
茶々丸の隣の熱源―――フェイトが、茶々丸に話しかける。この旅館に残された中で最も戦力の高い二人だが、現在フェイトは茶々丸の魔力を鍵にした鈴で封じられている。なので、なるべくこの二人は近くに居なければならない。有事の際にフェイトの封印を解くためにも、万一彼が暴れた際に抑えつけるために も。
「ハイ、索敵結界を3重に張ったそうです。」
「なるほどね、確かに結界の存在を感知できるよ。」
また、旅館内に張った結界に加えて、旅館の半径500m圏内を対象とした結界を張ってある。こちらは事前に千草が用意したものだ。魔力反応を探知した場合、旅館外部を巡回するフェイトの部下たちが先鋒として、後詰めで茶々丸が駆け付ける手筈になっている。また、洗脳符を仕込まれた仲居たちも、フェイトの指示ひとつで動くようになっていた。
「…貴方がたは、天ヶ崎千草の部下なのですか?」
茶々丸が尋ねると、フェイトは無表情のまま首を横に振った。
「もちろん違う。僕等はあくまで彼女の仕事の手伝いに雇われただけ。まあコタロウ―――あの黒学ランの少年は、チグサが雇い主から押し付けられた戦力が役に立たないからって、こっちで見繕ったらしいけど。」
「―――それは、天ヶ崎さんが貴方がたを探したのですか?それとも貴方たちの方が近付いたのですか?」
茶々丸の鋭い視線がフェイトの澄まし顔に刺さる。だが、そんな刃物のような視線を受けても、フェイトの非人間じみた無表情は一片も揺らがなかった。
「好きで彼女に近付く人間が居ると思うかい?僕だって本当は関わりたくないんだから。」
「それは朗報ですね。世界平和的な意味で。」
茶々丸が冗談では済まないような軽口を叩く。フェイトもやれやれと肩をすくめて、再度旅館の屋根からの眺望に視線を移す。
その時だった。
「「―――――――ッッ!!?」」
旅館街の探知結界が反応する。500m圏内に張った結界内に、同時に5つ。
「―――随分と速い御到着ですね。しかも最高戦力が欠けている、このタイミング。見張られていましたか?」
「チグサがそんなヘマ犯すわけ無いと思うけど。とにかく、全員に連絡を。」
フェイトが仮契約カードを手に環たちに連絡を取ろうとした時、また新たな反応が生まれた。その魔力反応に、茶々丸の表情が目に見えて強張った。
「ッ!!?この魔力反応パターンは、まさか…月詠!!?」
「何だって!?」
さすがのフェイトも焦りを隠せない。意識を張り巡らせると、確かに新たに反応が生まれたその一か所だけ、フェイトの身に覚えのある気が立ち込めていた。
だが同時に、怪訝な表情も浮かべる。茶々丸の横顔を見ると、彼女も同じような表情を浮かべていた。
「…おかしいですね。反応が弱い。彼女とは一度会っただけですが、それでも…何というか…彼女らしくない、反応の弱さです。」
「その認識は正しいよ。無理やりご主人さまに引っ張り出されてきたけれど、さすがの彼女も、まだ怪我を引き摺ってるってことかな。…でも、やはりおかしい。」
そこで二人は顔を見合わせる。同じ考えに辿り着いたようだった。
「偽物かな。魔力反応だけコピーした感じの。」
「おそらくは。ですが、本物を召喚するための囮とも考えられます。だとすれば―――」
その瞬間、20を超える反応が生まれた。そしてその内6つは、たった今感じた月詠の反応だ。それも、弱弱しさまで全く同じの。
「…このように、こちらの戦力の分断と攪乱を狙ってくるものと。」
茶々丸の口調にも僅かに苛立ちがこもるが、放置しておくわけにもいかない。敵は茶々丸たちの4倍以上居るのだ。守りに徹するよりは、攻め潰す方が得策だ。
茶々丸はすぐさまフェイトの封印の解除に取りかかる。その間にフェイトが仲間たちへの通達を済ませた。
フェイトの封印はすぐに解け、魔力が一気に溢れ出た。その圧倒的な魔力に、茶々丸も思わず驚嘆する。が、すぐにしかめっ面になった。
「…魔力の有無ごときで怯んでいるようでは、彼女にまた哂われてしまいますね。」
その言葉の意味を図りかねるフェイトだったが、一つ気がかりだったことを聞いておくことにした。
「敵はかなり数が多いから総力戦になるけど、旅館の方の守りは大丈夫なの?」
敵は刻一刻とその数を増やしている。先ほど30と伝えた数はすでに40を超えた。数で劣るこちらの隙を掻い潜って、旅館に立ち入る者が出る可能性があるのだ。一応刹那は木乃香の護衛があるため、旅館周辺の守りに徹するが、一人ではいざという時どうしようもない。
だがそんなフェイトの心配を余所に、茶々丸は、機械らしからぬニヤリとした微笑みを浮かべた。
「心配ありません。そちらの守りは完璧です。」
フェイトが首をかしげるのを見ながら、茶々丸は続ける。
「マスターや千雨さんと張り合える女性が、ここに残っていますから。」
『―――それでは、何かあったらすぐに連絡してくださいね。』
「ハイ、分かりました。桜咲さんも気を付けて。」
のどかは携帯を閉じ、ふぅ、と息を吐いた。すでに外は戦場同然、平和なのはこの旅館の中だけだ。ならば、この旅館の平和を守るのは自分の役目。自分の戦いだ。
「こら宮崎!何で外に出ているんだ!」
後ろから怒鳴り声が飛んできた。生徒指導の新田先生だ。そういえば室外に出るの禁止だっけ、とのどかは思い出す。
「ご、ゴメンナサイ、ちょっと電話使いたかったんですけど、部屋だと皆騒がしくてよく聞こえなくて…。」
「そうか…。まぁ騒がしくしたい気持ちは分かるがな、昨日の旅館のすぐ傍であんな事が起きたんだ。今日くらいは我慢して、部屋にこもっててくれ。」
新田先生の宥めるような声に、のどかは適当な嘘を吐いたことに少し申し訳なく思いながら、一礼して部屋へ戻る道を行くことにした。無論またこっそり抜け出して見回るつもりだが、一度部屋の様子を見ておこうかな、と考えたのだ。
そしてその判断は、少し遅かったことを除けば、まったく正しいものだった。
「ただい…?」
部屋に戻った瞬間のどかの目に入ったのは、TV画面を食い入るように見つめるハルナと夕映の姿だった。
「あ、お帰りです、のどか。」
「のどかっ!?帰ったの!?」
夕映がのどかの帰室に気付き声をかけた瞬間、ハルナものどかに顔を向ける。その顔には非難じみたものが浮かんでおり、それに気付いたのどかが少し仰け反った。
「ちょっとちょっとちょっとぉっ!!のどか何処行ってたのよ!?せっかくの、せっかくの大チャンスだったのよ!?アタシもユエものどかを応援する気満々だったのに、のどかが居なかったせいで、風香と史伽が出場しちゃったじゃない!」
がなり立てるハルナを、夕映が抑える。
「いきなりそんなこと言ったって、のどかが混乱するだけですよ、ハルナ。確かに、のどかの運が悪かったことは否めませんが。」
抑えながらも、夕映ものどかを非難する台詞を呟く。その事にますます混乱するのどかだったが、その時、TV画面に雪広あやかの姿が映ったことに気付いた。同時に、漠然とした嫌な予感も感じる。
「…何か、やってるの?」
のどかの声も胸中も、不安と言い知れぬ恐怖に染まっていたが、ハルナはいつも通りの明るい声で、残酷な現実を告げた。
「その名も“ネギ先生とラブラブキッス大作戦”!!一番最初にネギ先生を見つけた人が、ネギ先生とキス出来るんだよ!どうよ、残念でしょ!?」
―――世界が、反転してしまったかのような錯覚が、のどかを襲う。
「………何、ソレ。」
一瞬でズタズタにされた精神を、何とか振り絞って出た言葉は、壊れかけのスピーカーのように掠れきっていた。顔面は蒼白、頭は真っ白、今にも崩れ落ちそうな膝を支えるのが精一杯だ。
「だからさ、ネギ先生とキス出来るんだって!いやぁ、せっかくの修学旅行だってのに、こんな何となく暗い雰囲気のままじゃ楽しくないもんね!あ、そうだのどか、今から乱入してきたら!?今ならまだ間に合うから――――…って、のどか?」
一方的に捲くし立てていたハルナだったが、のどかの様子がおかしいことに気付き、言葉を途切れさせる。それよりも早くのどかの変調に気付いていた夕映は、すでにのどかを支える体勢を取っている。
「………誰が。」
のどかが小さく呟く。
「誰が、この、ゲームを?」
のどかが静かに問い詰める。顔は俯いたままだが、ぐっと歯を食い縛っているように見えた。まるで、飛び掛らないように自分を必死で抑えているかのように。
「だ、誰って…こういう大々的な、賭け付きのゲームを開催できるのって…。」
ハルナがおずおずと、視線を宙に泳がせながら答える。
その瞬間、のどかの口元から、歯が砕けるような音が響いた。
「朝倉さん、ですか…。そうですか…!」
それだけ言い残し、のどかは部屋を飛び出した。取り残された二人の声など、今ののどかの耳には一切届いていない。
「ふざけるな…!ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなぁっ!!」
のどかの激しい怒りが、罵倒となって廊下に響き渡る。
最悪と呼ぶのも生易しい、悪夢のような状況。ほぼ間違いなくキスと言うのは級友たちを釣るためのエサで、本命は仮契約の大量ゲットだろう。だとすれば裏にオコジョが関わっていることは確実だ。だとすれば、朝倉はすでに手遅れなのだろう。
絶対にこのゲームを成立させるわけにはいかない。それは、千雨の想いを、戦う理由を、完膚無きまでに踏み躙ることと同義だ。それだけは、絶対に許すわけにはいかなかった。
しかし気付かなかった。廊下の陰から、のどかを見つめていた人影が、激しい舌打ちをしていたことに。
「…ん、こっちには居ないアルな。」
左右を見渡し、他の
「それにしても意外アル。ザジが参加するなんて。やっぱりザジもネギ坊主とのチューを所望アルか?」
「…別に。」
古のからかうような声に、感情のこもらない声で応答したのは、レインだった。
「あー…そういえば、宮崎が乱入してきてるみたいアルな。最近の宮崎はすごく活発になってきたと思わないアルか?」
「………そう。」
古は慣れない話相手に四苦八苦しながら話題を振るも、レインの応答は素気無い物ばかりで、少し途方に暮れていた。
6班代表として参戦している二人だが、そもそもこの2人以外には、明日菜、木乃香、刹那、さよと不在者ばかりなので、2人とも出てきた、という方が正しい。
現在カメラを通したTV画面の向こうでは、ザジ・レイニーデイという予想外の参加者に沸いているが、古も1人で参加するつもりになっていたため、まさかレインが参戦するとは思っておらず、度肝を抜かれたのだった。
「…そういう古は、何で参加したの?」
しかし今度はレインから話を振ってきた。訝しげな、だが何処か刺々しい言葉に、古は一瞬怯む。
「いや、大した理由は無いアルよ?ネギ坊主とチュー出来るのも、それはそれで魅力アルが…何と言うか、こう、力が有り余ってしょうがないアル。発散させたいアル。」
不満気に頬を膨らませ、手をバタバタと暴れさせる姿は、鎖に繋がれた子イノシシを彷彿とさせた。レインはますます仏頂面になり、古の顔も見ずにさっさと前へ歩き出す。
「…せっかくの修学旅行でこんなことになって、ストレスが溜まってるのは分かるけど、皆軽率すぎる。」
「うっ…で、でも、そういうザジだって参加してるアル!人のこと言えないアルよ!」
ザジの冷淡な視線と酷評に耐えかね、古が不平の声を漏らす。しかしザジは止まることも振り向くこともせず、ただ何かを探しているかのように、ぎらぎらとした空気を漂わせながら、古の先を歩くだけだった。
「…言ったはず。私は、ネギ先生とのキスなんかに興味は無い。」
彼女が醸し出す空気に怒りが混じる。古は目の前の級友が滅多に見せない怒りに、少し体を強張らせた。
「…このゲームの裏で手を引いてるやつを、とっちめる。それだけ。」
それきり口を閉ざしたレインに、古もそれ以上声をかけることなく、二人は静かに廊下を移動していった。
―――が、突如レインが立ち止まり、辺りを見回し始めた。
その表情を見て古は驚く。何故なら今のレインの顔に浮かんでいるのは、紛れもなく「焦り」。3年間同じ教室に居て、一度も見たことの無い表情だった。
「これは…結界?だけど―――…!まさか!」
その直後、レインが来た道を全力で駆け出していった。あっという間に姿が見えなくなり、古も訳が分からないまま追おうとするも。
「あーっ!古ちゃん見っけ!!しかも一人!覚悟ー!!」
「アイヤー!」
角から現れた明石&和泉のペアが急襲してきた。チラリとレインが走り去っていった方向を見るも、すでに姿は無い。
「もう、ホントに訳が分からないアル…!」
ぼやきながらも、枕を振りかざし応戦する。だがその一方。
(…でも、何か…嫌な感じアル…。)
抱えていた言い知れない不安が、古の心の中で少しずつ大きくなっていく。レインの言った通り、参加するべきでは無かったのかもしれない。そう感じる古だった。
無論、時すでに遅いのだが。
「はぁっ…はぁっ…はぁっ…!」
のどかが息を切らしながら走る。このゲームを止めるために。だが状況は少しずつ悪くなっていった。
部屋を飛び出してすぐ、鳴滝姉妹と出会ったのだが、どうやら『
つまり、全員のどかに出会うことを避けるはずなので、参加者を捕まえて止めさせるという手は使えない。そして、主犯である朝倉をとっちめたとしても、ここまで
だが、同情するつもりはない。直接が無理なら、間接的に止めるしかない。そして息を切らしながら曲がった角の先に、ようやく目的の物を見つけた。
「あった…!火災報知機…!うん、カメラも無い!」
探していたのは、周囲にカメラ監視の無い火災報知機。鳴らせば確実に騒動が起きる代物だ。少なくとも屋外避難の指示は出るはず。そうすればこのゲームもご破算になるはず。
咄嗟に思いついた案ではあったが、最適の作戦であった。のどかの考えに間違いは無いし、成功すればゲームは確実にぶち壊しになる。
―――――そう、鳴りさえしていれば。
のどかが押そうとしたその瞬間、彼女は違和感に気付いた。
「――――え?な…何で!?」
消火栓のランプが点灯していなかった。すなわち、電源が入っていないということ。
のどかは力を込め、必死でボタンを何度も押す。しかし、当然何の反応もない。それならばと、のどかは懐から携帯電話を出し、刹那か茶々丸に繋ごうとして―――
携帯電話が、圏外になっていた。
「そんなっ…!?」
有り得ない。先ほどまで刹那と携帯で話をしていたのだ。今になって通じなくなるなど、そんな非現実的な話があってたまるものか。そこまで考えた瞬間、のどかは気付く。
「…まさか…、敵の罠…?」
もし結界を張る前から、すでにこの旅館内に敵が潜伏していたとするなら。そして、こちらの動向を全て掴み、さらにこのゲームを利用して、木乃香を攫う算段を立てていたとしたら。
―――このイベント自体が、仕組まれていたものだとしたら。このゲームを企てたという朝倉を、操っている人間が居るとしたら。
そこまで考えが及んだ所で、のどかの手は繋がらない携帯電話を必死で操作していた。せめてメールが繋がらないかと、震える手で文面を打ち、送ろうとするも、無駄なあがきでしかなかった。携帯電話をその場に放り捨て、再度ボタンを連打する。何の反応も無い。
「何でっ…!何でぇ…!」
涙を目に溜めながら、必死でボタンを押し続けるのどかだったが、反応があるわけもなく、ついには力なくその場に崩れ落ちた。同時に、溜めこんでいた涙が零れる。
「どうしよう!…このままじゃ、このままじゃ、千雨さんの想いが、全部無駄になっちゃう…!」
それは千雨が戦う理由を失うということ。千雨の祈りを、決意を、踏み躙るということ。彼女の親友として、それだけは決して許してはならない。許してはならないのに。
「どう…すれば…。」
のどかの声は絶望に満ち満ちていた。床についた手はガタガタと震え、顔は涙でくしゃくしゃになっている。
大切な級友を|暴力の世界に巻き込ませない(おなじみちをあゆませない)ために戦う千雨の、一番守りたかった
なのに、現実はどうか。今や彼女が願う平穏は、自分が守るべき平穏は、今や風前の灯だ。救援は居ない。いるのは自分だけ。だが自分には、何も出来ない。何の力も無い。その事実に絶望しかけていた。
(―――――これは、人殺しの道具だ。のどかに使ってもらいたくはない。だけど―――。)
唐突に、今朝の千雨との会話との会話が脳裏に蘇ってきた。胸に手をやると、懐に固い感触があるのを感じた。高鳴る心臓の音を感じながら、懐からそれを取り出し、包みのハンカチを初めて解く。
黒だった。血が固まったような、深い闇の底のような、固く、重く、底冷えするような、黒。
人の命を奪う色が、道具が、そこにはあった。
のどかの心臓は不自然なほど激しい動悸を刻んでいた。力。彼女が望んだ力が、今まさに彼女の手の中にあった。唾を飲み込む音が脳に響く。知らず手に力がこもり、冷たい拳銃を握り締める。そして、この騒動の関係者の顔と名前が、走馬灯のように浮かぶ。
ネギ・スプリングフィールド。
朝倉和観
近衛木乃香
この旅館に潜入している敵。
この傍迷惑なゲームの参加者たち。
この旅館内に存在する、ありとあらゆる邪魔者たち。
そうだ、今の私には力がある。この馬鹿げた遊びを止める力が。
私の誓い。私の親友。私と彼女の願い。私と彼女の宝物。私の級友たち。私の戦い。私の力。私しか出来ない。私がやるしかない。やるしかない。やるしかない。やるしかないんだ。
■すしか――――――
そこまで考えたところで。のどかは傍らの電源の切れた消火栓に、思いっきり頭をぶつけた。
ガアァン、という痛々しい音が響き、のどかは頭を押さえ、倒れ込むようにうずくまった。消火栓は大きくへこみ、どれだけ勢いよくぶつけたのかが分かる。しかもへこんだ部分には、薄らと血が付いていた。
しばらく痛そうな呻き声をあげていたのどかだったが、ゆっくりと立ち上がった。打ちつけた額からは血が流れ出している。その傷口をわざとつねるように押さえながら、深呼吸を繰り返していた。
「バッカじゃないの、私…!私が千雨さんを裏切ってどうするのよ…!」
そう言いながら傷口をギリギリと締め上げ、溢れ出る血も気にせず苦痛に耐える姿は、普段の大人しい彼女を知る者からすれば、とても同一人物とは信じられないであろう形相だ。
床に血を滴らせ、ふらふらと歩きだす。これ以上は一刻の猶予もない。せめて先にネギ先生を確保して―――
そこまで考えたところで、血まみれの自分の顔が窓に映っていることに気付いた。さすがにそんな姿で出歩くわけにはいかないので、ハンカチを探す。
「…あ、拳銃と一緒に捨てっぱなしだった。」
先ほど頭をぶつけた時に取り落としたと気付き、床に落ちているはずの拳銃を探そうと振り返ろうとして―――
―――――パン。
乾いた音が響く。のどかの体が床に沈んだ。立ち上がろうとするも、力がまったく入らない。妙に足が涼しく感じる。まるで、風穴でも空いているかのように――――
そこで初めて、のどかの目が現実を映した。
右足の脛からどくどくと血が流れている。溢れ出る真紅が床を染める。その、あまりにも鮮やかな赤色は、再度のどかの思考と現実感を麻痺させた。だが代わりに、耐えられないほどの
「あ―――――あああああああっっっ!!?」
灼熱の痛みに身を捩らせ、絶叫する。だがその悲鳴が響き渡ることはない。もしここに千雨が居れば、遮音結界が張ってあることに気付けただろうが、生憎今この場に居るのは、傷ついた獲物と狩人だけだ。
狩人は荒々しく息を吐きながら、再度のどかに銃口を向けた。のどかが堪え切れない痛みに顔を歪ませながら、必死で首を向けようとする。だが、3発の銃声がそれを遮った。
「―――――――っ!!」
3発中2発は外れ、血塗れの床に穴を空けるだけに終わった。だが残る1発はのどかの左肩を捉え、容赦なく貫いた。
最早悲鳴すら出せないほどの苦痛が襲い かかる。痛みは全身に伝播し、咽返るような血臭が吐き気を引き起こす。いっそ死んだ方がマシだと、のどかは真剣にそう思った。
ふと、のどかの目に何かが映った。赤一色の床の上で異様さが際立つそれは―――
だが、止めを刺そうとしていた狩人は、突如として逃げ出した。まるで自らを狙う天敵の目に気付いたかのように、即座に己が造り出した鮮血地獄から離脱していった。離脱する間際に、のどかが目にしたそれを拾い上げながら。
そしてその直後、窓ガラスが派手に壊され、顔馴染みの少女が飛び込んできた。
ザジ・レイニーデイだった。
「ッ―――――!?貴方――――!?」
レインが血だまりを蹴立てて、のどかの許に駆け寄る。のどかは血と涙にまみれた顔をレインに向け、精一杯の力を口と喉に込める。
「私の、ことは、いいから…、木乃香を…。もう、敵は…旅館、内に…。」
息も絶え絶えに、必死で紡ぐ。大量出血のショックか、次第に視界が薄れてきた。暗転しそうな意識を必死で支え、レインに呼び掛ける。
「この、ゲームも、止めて…!千雨さんの、想いが、全部、無駄になっちゃう…!そんなの、そんなの絶対、千雨さんは、耐えられないから…!だから、だからっ…!私のことは、いいから、どうか、どうか…!」
のどかの目からは血涙が滴る。実際には、額からの流血と涙が入り混じっているだけだが、本当に流していると思われても不思議ではない程の懇願だった。その慟哭のような懇願を聞くレインは、自分の唇をきつく噛みしめていた。
「…ハッキリ言う。私は、貴方が嫌いだ、宮崎のどか。」
レインが静かに口を開く。僅かばかりの怒りと、それ以外の感情をこめて。一瞬のどかが絶望に染まったような表情を見せるが、それが完成するより速く、レインが言葉を続けた。
「…安心して。近衛木乃香は助ける。この馬鹿げたゲームも止める。千雨を悲しませることだけは、決してしない。」
その直後、廊下の奥から誰かが駆けてきた。
「ザジー、どうしたアル――――っ!?宮崎!?何があったアルか!?」
古だった。明石と和泉を振り切り、見失ったレインをずっと探していたのだが、妙な臭いを感じてここに駆けつけたのであった。
「ザジッ!?何があったアルか!?速く、速く救急車!!宮崎が、血を、こんなに…!!」
武に長ける彼女だが、さすがに目の前でクラスメイトが大量の血をまき散らして倒れている姿に、完全に気が動転してしまっていた。
「…古、誰でも良いから、ここに人を連れてきて。一刻も早く。」
「わ、分かったアルっ!!」
レインが言い終わるや否や、古は血だまりを蹴立てて走り去っていった。本来ならレインはどうするつもりなのか、と聞くべきところだったのだろうが、数歩歩くだけで足が縺れるような今の彼女に、そんな判断力があったとは言い難い。
古が去ったのを見届けると、レインはそっとのどかの耳元に口を寄せた。
「…すぐに人が来るから、少し、耐えててね?」
レインが耳元から顔を離し、のどかの顔を見る。
のどかは笑っていた。激痛に喘ぎながら、死の恐怖に怯えながら、顔を血と涙で濡らしながら、それでも、全ての心労から解放されたかのように、本当に安心したように笑っていた。
血に濡れたその唇が小さく動く。声は出ていないが、口の形が「ありがとうございます」と言っているのが分かった。
「…大丈夫。貴方は千雨の宝物を守りきれた。貴方は自分の仕事を果たした。それを――――誇るといい。」
それだけ言い残し、レインは全力で走りだす。木乃香を守るために。
のどかはそれを見届け、嬉しそうに微笑みを浮かべたまま、眠気がこみ上げてくるのを感じていた。
だが、恐怖は無い。きっと千雨さんは悲しむだろうなぁ、 とぼんやり思いながら、級友を守れたことに安堵する。朝倉とカモはどうなるだろうか。おそらく操られて利用されているのだろうが、せめて朝倉だけでも無事であることを願う。
意識が暗転する直前、のどかの脳裏に浮かんだのは。
金色のサックスを抱え、楽しそうに微笑む、親友の―――――
(後書き)
第22話。ハルナがあそこで「てめーには教えてやんねー!」とか言ったら面白かったかなぁ回。まさに外道。
とりあえずのどかさんはここで退場。2章ではこれ以上出番はありません。ぶっちゃけここから先は人外魔境ですので、居ても邪魔なだけです。
原作2日目のラブラブ(以下略)については、さすがにこの状況下で開催するのは無理がありますので、洗脳されたから、という理由にしました。
今回のサブタイはローゼンメイデン1期OP「禁じられた遊び」またアリプ(以下略)。え?一番可愛いドール?金糸雀に決まってんじゃん。何言ってんの?
…さて皆様、お待たせいたしました。これにてにじファン掲載分は全部終了。次回より最新話をお届けします。これまでのような定期的更新は出来なくなりますが、すでに修学旅行編も佳境に入っていますので、どうかお楽しみに。なお次回は原作キャラが死にます。ご注意ください。
それでは次回からも、よろしくお願いします!