水の無くなった湖に、雨上がりの湿った風が吹く。

 その優しい風は、千雨たちがいる湖岸を覆い、全員の頬を軽く撫でていった。

 

 まるで、俯いたままの木乃香を慰めるかのように。

 

 

 一連の事件とその顛末、被害を伝え終え、場には沈黙が満ちていた。誰も何も話さない。ただ、千草が煙草の煙を吐く音だけが、全員の耳に届いていた。

 

 

「近衛。別にお前が悪かったわけじゃない。お前は―――――」

 

「アホ抜かさんとき。その小娘が悪いんやなかったら、誰が諸悪の根源なんどすか?」

 

 

 千雨の同情(フォロー)を、千草の冷たい言葉が無情に断ち切った。全員の批難の視線も意にも介さず、言葉を続ける。

 

 

「もしその小娘が大まかな事情を知っとったら、こない大事にはならへんかったやろ。関西呪術協会会長の娘、関東魔法協会理事長の孫娘、膨大な魔力、いずれか一つ知っとるだけでもよかった。違うか?」

 

「け、けどその長や理事長が、関わらせたくないからって教えないようにしてたんじゃ…。」

 

「それがどないした?日常生活で気付くべきところが無かったなんて、ちゃちな言い訳は通用しまへんえ?何より、親友の変調にすら気付けへんかったんは、どういう理屈や?」

 

「―――っ、オイ手前、いい加減に――――!」

 

 

 千雨が激高し、胸倉を掴もうとするが、フェイトに止められる。

 それでも怒鳴りつけようとしたが、不意に自ら静まり、溜め息と共に後方の森を指差した。

 

 

「…お着きだぜ、近衛。」

 

 

 その瞬間、全員の視線が千雨の指の先に固定される。木乃香は誰よりも早く顔を上げ、そちらを見つめていた。

 

 長瀬楓と、桜咲刹那だ。

 楓が千雨たちに歩み寄り、背負っていた刹那を降ろす。

 

 

「お疲れ様。楓。」

 

「勿体ない言葉でござる。」

 

 

 ひとまず楓の労をねぎらい、刹那に視線を向けた。鼻から下は見るも無残なことになっており、千雨の胸に渦巻いていた憎しみもだいぶ晴れた心地だった。

 

 

「…茶々丸は?」

 

「スッとしました。私たちがこれ以上手を下す必要もないでしょう。本当にお疲れ様でした、楓さん。」

 

「どういたしまして。…ところで、何故ここに神楽坂殿と綾瀬殿がいるのでござるか?まさか見られたということは――――」

 

「そのまさかだ。後で話す。とりあえず山降りるぞ。ネギ先生と3−Aの連中のことも心配だし―――」

 

 

 絶句する楓を連れ、千草たちと共に車の方へと歩いて行く。

 が、木乃香の言葉がそれを押しとどめた。

 

 

「ごめんなさい。みんな、もう少しだけ、ここに居てください。」

 

 

 消え入るような、されどはっきりとした口調に、全員の動きが止まった。

 木乃香は刹那の方へと歩いていく。項垂れ、立ち尽くす刹那とは違い、前を見据え、しっかりとした足取りで。

 

 二人が向き合った。

 

 誰も身じろぎひとつしない。何の音もしない。まるで風までもが、二人の話に耳を欹てているかのように。

 

 

「…せっちゃん。」

 

 

 先に沈黙を破ったのは、やはり木乃香だった。刹那が顔を上げる。

 

 

「…ちょっとだけ、歯ぁ食い縛ってな?」

 

 

 そして。

 次の瞬間、頬を打つ鋭い音が響いた。

 

 

 

 

 

#30 厄神様の通り道

 

 

 

Side 千雨

 

 

 予想はしていた。

だが、実際にその現場を目の当たりにするのとは全く違う。死体だらけの血まみれの地獄を見てきた、作ってきた私だが、近衛が桜咲に平手を打つ瞬間、思わず目を背けたくなってしまった。

 

「…これが、ウチからの分な。」

 

 打った近衛は、平手を振り切った体勢のまま固まっている。

 打たれた桜咲は、先ほどと同じように項垂れている。

 

 ふと、近衛が桜咲の手を取った。両手で包みこむように右手を握り、肘まで撫でていく。

 

 

「…せっちゃんの腕、傷だらけやね。手のひらはタコだらけやし。」

 

 

 苦笑気味にそう言いながら手を離した。そのまま、今度は近衛が項垂れた。今の近衛は桜咲より背が高くなっていて、項垂れてもまだ桜咲が見上げる形になっていた。

 

 

「…ウチは、こんなことも知らへんかった。」

 

 

 近衛が静かに懺悔(ことば)を紡ぐ。

 

 

「ウチ、何も知らへんかった。魔法のことも、魔力のことも、お父様のことも、お爺ちゃんのことも。せっちゃんのことさえ、何にも知らへんかった。知ろうともせえへんかった。知らんままのうのうと過ごして、ずっとせっちゃんを苦しめてた。」

 

 

 次第に近衛の声は涙ぐんでいく。

 誰からも責められることは無いであろう、自らの無知を、罪を言葉に乗せて、一つ一つ背に負い、纏っていく。

 

 

「ホンマに、ホンマにゴメンなぁ、せっちゃん。ウチがもっとしっかりしてたら、みんなにこんな、迷惑かけへんかったのになぁ…。」

 

 

 桜咲が近衛の肩を掴んで、違う、と声を出せないまま首を振り続ける。もし声が出たなら、これまた涙声であったに違いない。

 だが近衛には、そんな桜咲の声なき声が、しっかりと聞こえていた。

 

 

「違わへんよ、せっちゃん。ウチがせっちゃんを追い詰めてた。せっちゃんが身も心も傷つけて、それでも歯ぁ食い縛って耐えてたのに、ウチはせっちゃんに置いてけぼりにされたなんて思って、一人で勝手に寂しがってた。」

 

 

 傍らの楓が、何かを叫ぼうとして押し留まった。私も、あの二人の詳しい事情を知っているわけではないけれど、近衛の自虐が正しくないことは分かる。桜咲を追い詰めた原因は、私にあるのだから。

 

 

「確かに、せっちゃんのした事は許されへん。一生かけて償ってかなアカン。」

 

 

 桜咲が頷く。あいつも、自分の仕出かした事の責任はしっかり感じていたようで、また少しだけ安心した。

 

 

「――――けどウチはもう、せっちゃん一人に辛い思いを押し付けるのだけは嫌や。」

 

 

 そう言って、近衛は桜咲を優しく抱きしめる。

 天使の抱擁という言葉がしっくり来る、一枚の絵として切り取れそうな姿だった。

 

 

「許されへんのは、ウチも同じや。ウチが自分の置かれた状況を知ってたら、こんな事にはならへんかった。誰も傷つけへんかった。だからウチも、人生かけて償ってかなアカン。せっちゃん一人に、この罪を背負わせへん。だから―――安心して。」

 

 

 う、あ、と声にならない声をあげながら、桜咲の両目から涙が溢れ出す。

 

 

「いっぱい待たせて、辛い思いさせてゴメンな、せっちゃん。」

 

 

 近衛も桜咲を胸に抱きしめたまま、一筋の涙を流す。頬を伝った涙は、抱き寄せる桜咲の肩に流れ落ちていく。

 

 

 

「これからはずっと―――――一緒に生きていこうな。」

 

 

 

 桜咲の声なき嗚咽が、近衛の静かな嗚咽が、二人の心の隙間に沁み渡り、塞いでいく。

 

 何もかも遅すぎて、あまりにも大きなものを巻き込み、重すぎる罪架を背負ってしまった。

それを二人で背負い、生きていくというのは、贖罪としてはあまりに虫が良い方法かもしれない。近衛の言っていることだって、単なる我が儘とも責任逃れともいえる。

 

 でも、それでいいじゃないか。

 背負う物なんて、軽い方がいいに決まってる。支え合う人が居るなら、互いに寄り添っていきれるなら、きっとそんなに嬉しい事はない。

 

 のどかが、私を支えてくれているように。

 

 

「のどか…。」

 

 

 思わず口から漏れてしまった。そして私の友人たちは、それを耳聡く聞きつけたようだった。

 

 

「拙者では千雨殿を支えるには足りないでござるか?」

 

「そういう弱い部分を見せられるとムカつきますので、自重して下さい。」

 

 

 暖かい言葉と辛辣な言葉がいっぺんに浴びせられる。苦笑しながら、近衛たちに背を向けた。

 

 

「茶々丸。のどかの居る病院の位置、分かるか?」

 

「ええ。ですが、まだ意識は戻っていないかと。」

 

「構わないさ。行こう。」

 

 

 楓も頷きだけで賛同し、茶々丸も異論は無いらしい。ようやく終わったと、報告だけはしておかないと。

 

 

「長谷川さん!」

 

 

 と、歩き出した私たちの背に、近衛の声がかかる。振り向くと、その隣で抱きしめられたままの桜咲と目が合った。その申し訳なさそうな表情で、近衛が何を代弁しようとしているのか気付いた。

 

 

「私じゃなくて、のどかに直接謝れ。退院するまで、全部面倒見ておけよ?」

 

 

 それだけ吐き捨てて、私の中の桜咲への憎しみを断ち切り、さっさとその場を立ち去る。

 私がクラスメイトを憎むことなんて、のどかは望んでないはずだから。

 

 

 

 

 

 

 

 一夜…と語るにはとてつもなく長い夜が明け、翌朝。

 この日、麻帆良学園女子中等部は、警官隊付き添いの元、麻帆良に帰還することになった。朝一番で新田先生からその旨の連絡があり、昼に京都を発つことになった。誰からも何一つ文句は出なかった。

 近衛と桜咲は、親族が京都での連続事件に巻き込まれ命を落とした、という理由で京都に残ることになっている。のどかは入院中。一命は取り留めているものの、未だ意識は戻っていない。

 

 教師も生徒も皆一様に、暗い表情を浮かべていた。

 間違いなくこの修学旅行は、誰にとっても最悪の思い出として残ってしまうだろう。

 

 

「…何や、らしくない事考えとるやろ?ただでさえらしくない事しとるのに、これ以上そないな真似したら、呪われてまいそうや。さっさと終わらせてくれまへんか?」

 

「お前の指図に従う気はねぇ。第一お前、呪いも恨みも人一倍買ってるだろうが。それに後少しで終わる。見りゃ分かるだろ。」

 

 

 後ろからかかる天ヶ崎の厭味に返しつつ、淡々とスコップを動かす。

 私は本山の、鬼神が封印されていた湖の畔に戻って来ている。京都を去る前にどうしてもやっておきたいことが見つかってしまい、楓と茶々丸にフォローを頼みつつ、帰りの準備が進む旅館内に分身符を残して脱出し、アーウェルンクスに本山まで連れてきてもらったのだ。新幹線に乗る駅でクラスと合流する予定だ。

 

 

「…よし、出来た。」

 

 

 ある程度土を盛り、その上に血でどす黒く変色した剣を突き立てる。

 金魚の墓と大差ない、非常にお粗末な墓の前で合掌し、目を瞑る。

 

 ―――――お母さん。

 

 今でも鮮明に思い出される、月詠の最期。アイツの最期の笑顔は、救われた者にしか出せない、子供のような純粋な笑みだった。たとえ偽りだったとしても、最期にアイツを救った母の愛情を、それを演じた私が蔑ろにすることは許されない。

私が月詠の墓を作ったのは、そんな理由だ。きっともう、京都を訪れることは無い。チャンスは今日しか無かった。

 

 

「…やっぱり似合わんなぁ、そういう殊勝な心がけは。淡々と殺しをこなす方がアンタらしい。協会の連中皆殺しにした時みたいに、な。」

 

 

 合掌を解いた途端、天ヶ崎のそんな辛辣な言葉が聞こえた。自分が殺した者の依怙贔屓をする私を、言外に貶しているのかもしれない。私は何も言わずに立ち上がった。どうせなら、花の一つでも持ってくればよかった。

 

 

「…なあ、天ヶ崎。」

 

「何や?」

 

 

 煙草に火を付ける手が止まり、私の方を見る。

 

 

「生きるって…どういうことなのかな。」

 

「はぁ?」

 

 

 訳が分からない、と言わんばかりの口調。天ヶ崎の方に顔を向けていないので分からないが、さぞかし不審気な眼差しなのだろう。

 

 

「…例えばさ、元人殺しが殺されて、何故か生き返って、夢見た平穏な、幸せな暮らしを手に入れたとする。けれど、そいつは考えるんだ。『何で自分が、こんな平穏を謳歌することを許されているのだろう』って。老若男女関係なく、罪無き人間を何百人も殺してきたくせに、幸せで居続けていいのか、ってさ。」

 

 

 坂から転げ落ちるかのように、つらつらと喋る。この女に来歴を明かすような真似など、自殺行為にも等しいことだと分かっている。

 

 だがどうしても、コイツにこそ聞きたかった。

 

 己の命のためならば、どんな悪逆非道な行為にも手を染めれるこの女は、私の胸に巣食い続けるこの疑問に、どんな答えを見出しているのか。

 

 

「はっ、小賢しいこと考えよってからに。」

 

 

 返ってきたのは、そんな辛辣な回答だった。

 

 

「生きる理由やと?アホらし。そんな面倒なモン考えたこと無いわ。生きとるから生きる。生きたいから生きる。死にたないから生きる。これ以外に何が必要なんどすか?」

 

 

 予想だにしなかった答えに唖然とする私を尻目に、天ヶ崎の発言はさらに過激さを増していく。

 

 

「そらウチは仰山恨み買うとる。この世から亡うなった方が、よっぽど住みよい世界になるやろな。けど、それがどうした?何でウチにとってどうでもいい人間に気ぃ使わんといけまへんの?」

 

 

 咥えっぱなしだった煙草にようやく火を点けながら、心底阿呆らしいと言わんばかりにのたまう。どうでもいい人間、とコイツは言うが、コイツにとってどうでもいい人間とは、自分以外の全人類を指している。

 

 

「どう言われようが思われようが、構わへんけどな。ウチの生きる(あゆむ)足を引っ張ることだけは許さん。障害になるなら躊躇なく蹴散らす。足枷になるなら容赦なく葬る。―――ウチの生きる道に、他人は要りまへん。」

 

 

 天ヶ崎の演説を聞き届け、嘆息する。

 人殺しは一生その罪架を背負い、他者に向けられる怨嗟と憎悪を背負って生きていく。それが当然の在り方だ。

 

 だがコイツは、そんな在り方に真っ向から反している。

 

 自分さえ良ければ、後先どうなろうが知ったことではない。付随してくる怨嗟など、負け犬の遠吠え程度にしか思っていない。そんなものは面倒な枷でしかないと歯牙にもかけず、ただ己の生を、何の意義もないままに邁進する。闇より暗い人生(いっぽんみち)を、疑うことなく嗤って歩む。

 

 誇りなき孤高。揺るぎなき傲慢。妄執としか呼べない程に強い、己が命への執着。

 月詠とはまた別ベクトルの、狂ったまま正しく回る歯車だ。

 

 だが、そうと分かると、当然の疑問が湧いて出てくる。

 

 

「そんなに死にたくないなら、何でこんな危ない橋ばっかり渡ってんだ。ご自慢の符を売り捌いてた方が、よっぽど稼ぎがいいだろ。」

 

「それは違いますえ?そういう道を渡り歩いとったからこそ、ウチの符の性能は磨かれていったんやから。それに何より―――――」

 

 

 煙を吐き出し、吸いかけの煙草を親指で宙に弾く。舞い上がった煙草が重力に従って落ち始めた途端、炎に包まれ、あっという間に灰も残さず消え去った。

天ヶ崎はその一部始終を眺めながら、顔を醜悪な笑みの形に歪めた。

 

 

「炎とか火薬とか、そういうの見てると、心が躍るからなぁ♡」

 

「………そうかよ。」

 

 

 それだけ吐き捨てて、もう一度月詠の墓前に向き直る。

 こんな奴の考えを聞こうとした私が馬鹿だった。何が『生きる道を妨げるな』だ。どうせ他の人間を見下して、全能感とか優越感に浸りたいだけだろうが。

 そんな私の心を見透かしたかのような、天ヶ崎の笑みが酷く勘に障る。なのでこちらも、殺気をこめて睨み返した。

 

 そうして睨み合いを続けて一分もしないうちに、背後にアーウェルンクスの気配を感じた。

 互いに視線を切り、アーウェルンクスに向ける。アーウェルンクスも剣呑な雰囲気が満ちていたことを感じたのか、面倒そうに溜息をついた。

 

 

「月詠のお墓は作り終わったみたいだね。」

 

「ああ。近衛と桜咲は?」

 

「近衛詠春の葬儀。環たちが連れ添ってる。もうすぐ埋葬だけど、行くかい?」

 

 

 一瞬考えてから、アーウェルンクスの提案に乗ることにした。近衛と桜咲はしばらく京都に残るみたいだし、今のうちに挨拶くらいはしておこう。

 ちなみに、近衛と桜咲はアーウェルンクスたちの組織に所属することになったらしい。麻帆良に居る間はスパイとして。中学卒業後は、アーウェルンクス達と共に、魔法世界に移住するそうだ。

 

 アーウェルンクスの元に行く前に、もう一度だけ月詠の墓の前で合掌する。

 

 ―――――もうしばらく待ってろ。もうすぐ私も、そっちに行くことになるさ。

 

 口には出さずに、月詠の顔を思い浮かべながら念じかける。

 一見慰めのような言葉だが、ひょっとしたらそれは、自分自身への慰めだったのかもしれない。

 

 

「ああ、それと。」

 

 

 去ろうとした私の背中に、天ヶ崎の声がかかる。

 それは、今まで天ヶ崎が発したどの声よりも、冷たく、辛辣さに満ちた台詞だった。

 

 

「報酬の件やけどな。アンタがウチの手下になるっちゅう、アレ。きっぱり断らせてもらいますえ?アンタと数日付き合うて、アンタっっちゅう人間が身に染みてよう分かった。

ハッキリ言うて、オドレみたいな疫病神とは関わりとうない。」

 

 

 その言葉を最後に、視界が切り替わっていく。

 

 こうして、悪夢のような修学旅行は、ようやく幕を閉じた。

 

 

 

Side out

 

 

 

 

 

 

「ハイもしもし、天ヶ崎千草どす。」

 

『――――――――――』

 

「ああこれはどうも。ご依頼の方、達成しましたえ?」

 

『――――――――――』

 

「あら、何がご不満なんどすか?近衛木乃香の身の安全(・・・・)は、しっかり守りましたえ?多少成長してまいましたが、本人には傷一つございません。それとも、関西呪術協会と近衛詠春の保護もせんとあかんかったんどすか?もしそうだったなら、前もって言うてくれんと。」

 

『――――――――――』

 

「…ふふっ。いつもの飄々とした態度が崩れかけてますえ?さすがの貴方でも、義理の息子を亡くしたんは、最悪に想定外やったんどすか?」

 

『――――――――――』

 

「ああ、これは失敬。口が滑りましたわ。まあウチかて、協会幹部の執念は予想外どしたからなぁ?それと、桜咲刹那の背信も。前者はともかく、後者に関しては貴方の手抜かりやな。…一人の小娘に囚われすぎたん違います?あの、長谷川千雨っちゅう小娘に。」

 

『――――――――――』

 

「無言、か。ますますらしくない。せっかく修学旅行を出汁に麻帆良を追い出して、小娘一人追い詰める計画を進めてたっちゅうのに、それ以外は何もうまく進まんかったんやから、これじゃ割に合わん―――」

 

『――――――――――』

 

「ああ、また口が滑りました。堪忍しておくれやす。そんな、化けの皮剥がれるまで怒るとは思いませんでしたわぁ。ふふふ。…けどまぁ、時間は稼げたんやろ?なら、責められる謂れはありまへんわなぁ?ちゃんとアンタの指示通り、本人とも接触しといたし。これで準備万端ですやろ?」

 

『――――――――――』

 

「ウチと話すだけで虫酢が走るくらいやったら、最初から依頼なんてせんことやな。ま、これくらいで大概にしときまひょ。後金は指定した口座に振り込んどいて下さい。ほな―――」

 

『――――――――――』

 

「…聞きたいこと、ね。何どすか?答えられる範囲で頼みますえ?」

 

『――――――――――』

 

「…はぁ。今言うたとこやろ、答えられる範囲で、って。」

 

『――――――――――』

 

「さあなぁ?居るかもしれへんし、居ないかもしれへん。ご想像にお任せします。ま、アンタが自分の部下がウチと密通してるかもしれへんと疑うような、猜疑心の強い人間やと知れただけでも十分どす。

 ほなまた、ご贔屓に♡」

 

 

 

 

 

 

「…電話は終わったかい?」

 

「ああ、フェイトはんお帰り。とりあえず殺気抑えてくれます?背筋寒うて敵わんわ。」

 

 

 千草の軽口に応じることなく、フェイトは若干の怒りを交えた冷やかな視線で睨み続ける。

 

 

「…今回の事は、結局全部君たちの掌の上だったってわけかい?」

 

「嫌やわぁ、あの陰険クソジジイと一緒くたに括らんといて。」

 

 

 対する千草の軽い態度は変わらず、されど凶悪な笑みを滲ませながら、煙草に火を付ける。たったそれだけの仕草で、殺気を撒き散らすフェイトにも負けぬ程の凄絶さを醸し出していた。

 

 

「サムライマスター近衛詠春。東洋有数の魔力保持者近衛木乃香。この2つを失くしたのは、2個師団全滅に等しい被害や。楽観し過ぎやったな。関西の幹部共の意地は、ウチとあの爺の想定を遥かに超えてきた。あの爺にとっちゃ、片手の指全部落した位の痛手やろ。」

 

 

 煙草を咥え、口いっぱいに煙を含み、味を噛みしめる。

 その様子を見ながら、しかめっ面だけはそのままに、フェイトも殺気を解いた。

 

 

「…そんな高い代償を払わなければならない程に、彼女を―――長谷川千雨を警戒しているのかい?確かに彼女の存在は脅威の一言に尽きる。だけど、たった一つの障害を排除するためにしては、あまりにも―――」

 

「ウチはこれでも不十分やと思うけどな。ほんで、あの爺もおそらくそれを痛感しとる。」

 

 

 煙を輪っかの形にして吐き出しながら、不愉快そうな口調に変わる。

 

 

「確かに、小娘一人嵌めるには、あまりに手が込み過ぎてる。そんなことせんでも、あの爺なら真正面から闘り合えば勝機はある。あの小娘は、接近戦苦手やしな。

 せやけど、そんな問題と違うねん。アレは最強ならぬ最凶、そこに居るだけで災厄を呼び込む特異点、関わったモン全てを滅茶苦茶に破壊して突き進む破滅因子や。大凡、ウチらみたいにキメ細かい計画を売りにしてる人間にとっては、悪夢みたいな存在や。」

 

 

 千雨が去って行った方角に、苦虫を噛み潰したような視線を向ける姿は、天ヶ崎千草という稀代の策略家の苛立ちと、そこはかとない安心を、如実に示していた。

 

 

「…そんなに、彼女が恐ろしかった?」

 

「正直言えば、もう二度と関わり合いたない。あの娘が居る限り、麻帆良に近づくんも嫌やねんけど、そうもいかへんねんなぁ…。」

 

 

 千草にしては珍しく憂鬱そうな様子であるが、フェイトはそんな彼女の発言に喰いついた。

 

 

 

 

「…それなら、『完全なる世界(ぼくたち)』が貴方を勧誘しても大丈夫かな?」

 

 

 

 

 千草が煙草を吸う手を止め、フェイトを見る。その顔には、先ほどまでの憂鬱さなど微塵も感じさせない、凶悪な笑みが浮かんでいた。

 

 

「はッ―――自分から毒蛇抱え込もう言うんか?感心せぇへんなぁ、いつ寝首を掻かれるか分かりませんえ?」

 

「百も承知さ。危険は大きいが、見返りも大きい。貴方の策謀があれば、僕等の計画はさらに前進する。環たちは反対するだろうけど、危険を冒すだけの価値が間違いなくあると、僕は信じている。」

 

 

 口説き文句とも取れそうな賛辞を、無表情のまま投げかける。

 卑怯卑劣を地で行く謀略家を懐中に入れるなど、独断でしかなし得ない暴挙だ。そうまでしてなお、フェイトは彼女が欲しいと語った。

 場合によっては、この命すら辞さない、そんな覚悟で勧誘をするフェイトだったが、千草本人は変わらず飄々とした態度だった。

 

 

「ええよ、分かった。アンタらの参謀、この私が請け負ったる。」

 

 

 あまりにもあっさりと、拍子抜けするほど気軽な口調だった。

 

 

「…本当に?」

 

「自分から誘っといて何疑っとんねん。アンタ等『完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)』が何企んどるのか知らんけど、その計画、キッチリ成就させたる。あ、前金で3割な?」

 

 

 あっけらかんとした様子の千草に、やはり多少の疑いを持ちつつも、兎にも角にも優秀な人材を手に入れられた事に安堵する。

 

 

「あ、だけど先に麻帆良の件片付けときたいねんけど。場合によっては、手ぇ貸してもらえたら有難いなぁ。」

 

「…別にいいけど。何者なの、その協力者って?」

 

 

 近衛近右衛門の名は魔法界にも広く知れ渡っている。全世界でもトップクラスの実力、卓越した政治手腕など、、その名声は枚挙に暇がない。それ故に敵も多いが、よりにもよってそのお膝元で、天ヶ崎千草という世界屈指の凶悪犯を抱え込んで潜んでいる。

 そんな薄氷を踏むような計画に何故彼女が付き合っているのか。そして誰が、どんな計画を建てているというのか。気にならないはずがない。

 

 そんなフェイトの心情を察してか、千草が口を開いた。

 

「確かに、こっちの計画手伝ってもらえるんなら、きっちり話しとかなあきまへんな。けど、ウチの一存で決めれることやあらへんし――」

 

 

 そこでわざとらしく言葉を切り、不安感を煽るような笑みを投げかけた。

 

 

 

「―――行きまひょか。雇い主に会いに、本拠地、麻帆良学園へ。」

 

 

 

 

 

 

 

 夕刻。麻帆良学園。

 散々な修学旅行から何とか帰還し、精神的に疲れ果てた体を引きずりながら寮へ向かう生徒たちの群れ。他の生徒たちがひそひそと顔を寄せ合いながら見つめている。

 

 ―――だが、そんな他の生徒の重い足取りなど意にも介さず、全力で走る生徒が2名居た。

 

 

「千雨殿、少々揺れるでござるよっ!!」

 

「構わねぇ、突っ走れ!!」

 

 

 正確には、長瀬楓が、長谷川千雨をおぶった状態で、目にも止まらぬ速さで駆け抜けていた。

 これは千雨の足では楓の速度に到底追いつけないための苦肉の策であるが、そんな手段を取らざるを得ないほど、彼女たちは切羽詰まっている。

 新幹線の中で、茶々丸が発した一言によって。

 

 

 

「千雨殿は、もう聞こえているんでござろう?何があったか―――」

 

「っ―――!黙って走れ!!」

 

 

 楓を叱咤しながら、全力疾走を続ける。目的地はクラスメイトにして頼れる仲間の住居―――エヴァンジェリン邸。

 

 そして、茶々丸の悪寒が正しかったことを痛感する。

 

 小洒落たログハウス風の佇まいだったエヴァンジェリン邸は、焦げ、折れ、砕け、崩れて、無残な様相を呈していた。家を取り囲んでいた木々も、半径十メートルに渡って焼け野原となっている。

 

 そんな原型を留めていないログハウスの前、玄関があったと思しき場所に、二人の人影があった。

 

「相坂…。」

 

 相坂さよが、泣いていた。茶々丸も目を伏せ、拳を握りしめている。

二人の先には、つい数日前まで、訪れた彼女たちを気さくかつ物騒に出迎えた、茶々丸の姉貴分たる人形の残骸。

 

 

 校門に降り立った時点で、何が起こったか分かっていた。聞こえていた。

 だけど、認められなかった。今まで自分を支えてきたこの聴力を、それが伝える現実を、信用出来なかった。

 

 

「長谷川さん、長瀬さんっ…!ゴメンナサイ…ゴメンナサイっ…!」

 

 

 だが、廃墟と化したログハウスと、号泣し、謝り続けるさよの声が、千雨に否が応にも認識させる。

 

 悪夢のような現実を。

 彼女たちの、最大の失敗を。

 

 

 

 

「エヴァンジェリンさん…!封印されちゃいました…!」

 

 

 

 

 

 ――――――雨が降り始めた。そんな気がした。

 

 

 

 

 

 


≪後書き≫

第30話。エヴァの霊圧が…消えた…?回。しかしもう一人、霊圧どころか存在自体無かったことにされかけてる人が居ることに、お気づきでしたでしょうか?描写されてません(し忘れた)が、真名に付き添われながら、ひと足先に山を降りてます。降りた直後に眠らされましたが。

 

木乃香と刹那はしこりの残らない形で決着です。読者の方のご期待には沿えていないかもしれませんが(特に刹那に関しては)、あんまり二人の関係を悪くすると、書くのが辛くなってしまいそうだったので。自分が思う限り、木乃香も刹那も心の内側に何でも抱え込むタイプなので、まぁこんな感じに収まるんじゃないかなと思います。

 

そしてようやく裏の裏暴露!電話相手は想像通りの方です。13話で仄めかしていた本命の策はこれから発動、修学旅行はその準備のための囮でした。

 

ただし本編でも言っていたように、詠春の死亡と刹那の裏切りだけは全くの予想外でした。詠春はもちろんのこと、刹那がのどかを撃ったことで、処理しきれない大事となってしまい、麻帆良と一連の事件の関連性も疑われる、と悪い事ずくめ。相当高いコストを払いました。

 

ともあれ、ようやく2章終了です。最後の方駆け足になった感が否めませんが、それにしても長かった…。就活とか移転とかスランプとか、本当に色々あったからなぁ…。でもここまで来れば終わりが見えてきました。卒業後の進路も決まったわけですし、遠慮なく書くことが出来ます。卒業までに書き終えるぞー!

 

今回のサブタイは東方風神録より、2面道中曲「厄神様の通り道」です。第5回東方M−1のスピンカッパーを見た事ない人は、東方の知識とか関係なく見てほしい。カラーボールBaaaaaaan!!

 

次回より、急転直下の第3章が始まります。お楽しみに!

 

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