「それでは、本日の授業はここまでです。明石さん、お願いします。」

 

「きりーつ、礼。さようならー。」

 

『さようならー。』

 

 

 日直の明石の後に続き、教壇のネギ先生に一礼する。ネギ先生が私たちに心配そうな視線を投げかけながら扉から出ていくのに合わせて、全員が三々五々散っていく。

 

 

「じゃあな、いいんちょ。」

 

「ええ、また明日。長谷川さん。」

 

 

 すれ違いざま、偶然目が合ったいいんちょと挨拶を交わす。普段ならそれだけで終わるが、いいんちょの沈んだ表情に、思わず言葉を続けてしまった。

 

 

「…疲れてるみたいだな。大丈夫か?」

 

「…ええ、問題ありませんわ。ありがとうございます。」

 

 

 にっこりと微笑むいいんちょだったが、どうしても無理をしている感が否めない。後ろに立つ那波や村上も、心配そうな視線を向けている。

 

 だが、いいんちょだけではない。

 

 3−Aにいつもの騒々しさは無い。クラス全体を覆う、重苦しく淀んだ空気。級友が欠けているという事実が、修学旅行が終わってからずっと、こびり付いた汚泥のように、全員の心に圧し掛かって来ている。

 

 

「…長谷川さん。今度、教室でコンサートを開いてくださいませんか?そうすれば、クラスの雰囲気も良くなるかもしれませんし…。」

 

「…そうだな。考えておくよ。」

 

 

 いいんちょはそう語るが、私の演奏一つでクラスの雰囲気を変えれるなら苦労はしない。いいんちょとて、その位分かっているはずだ。分かっていても、口にせざるを得なかったのだ。

 それに何より、3−Aをこんな風にした元凶は、私に他ならない。

 

 窓の外には、重く立ち込める鈍色の空。

 

 ―――悪夢のような修学旅行から帰還して、今日で3日。

 悪夢のような日常は、泥沼のように続いている。

 

 

 

 

#32 結ンデ開イテ羅刹ト骸

 

 

 

 エヴァが封印されてすでに3日が経過した。

 突然襲撃され、エヴァに逃がされ、チャチャゼロに庇われ、命からがら逃げ出し、戻った時には何も無くなっていた、というのが、泣き崩れるさよの口から語られた顛末だった。しかし詳しく聞いてみると、襲撃された時刻はちょうど私たちが京都を離れた時間と合致していた。

 間違いなく、学園側による計画的襲撃だ。私や茶々丸が身動きが一切取れない状態を狙い撃たれたのだ。

 

 

「ハイ、肉まん一つ、おまちどうネ。」

 

「ん、ありがと。」

 

 

 超包子で肉まんを買い、その場で頬張る。いつもなら部活動前の栄養補給に多くの生徒が群がる時間帯だが、通りにも人影はまばらだ。

 

 

「…客足悪そうだな。」

 

「ご明察、ヨ。京都から帰ってきてから、とんと売り上げ落ちたネ。麻帆良は今、悪い意味で世界中から注目されてるから、生徒全員相当居心地悪く感じてるはずだヨ。…ホント、何であんなことになってしまったのやラ。」

 

「アレの全てを私のせいにすんな。ていうかお前も旅館に居たなら、のどか助けてくれれば良かったじゃねえか。」

 

「それこそ想定の範囲外だヨ。誰が旅館でクラスメイトが撃たれると思うカ。」

 

 

 お互いに溜め息を吐く。修学旅行以来、超とはギクシャクしているが、それで超包子の美味しい料理まで否定する気にはならない。超も客を蔑ろにする気は更々ない。どうせ人が居ないなら、肉まん喰いつつ牽制し合うぐらいは構わない、と互いに思っている。

 

 

「…エヴァの居場所、予想付かないか?」

 

「一番可能性が高いのは、図書館島の最奥ネ。ただし、行くも帰るも迷い道、千雨さんの聴力でも、把握し切れないと思うヨ?それに、今はエヴァさんのことより、自分たちの心配をした方がいいんじゃないかナ?だいぶ追い詰められていると見たガ。」

 

 

 超の試すような口調を無視し、肉まんを頬張る。

 追い詰められている、なんてものではない。崖っぷちだ。のどかは未だ意識不明、エヴァは封印、チャチャゼロは半壊状態の上魔力枯渇で休眠中。現時点で動けるメンバーは私を含めて4人。内茶々丸を除く3人は、魔法に関する見識が少ない。

 

 唯一救いなのは、あくまでエヴァは封印されているだけであり、まだ生きている可能性が高いということ。もし死んでいれば、同時に契約(ライン)を通して自分に流れ込んでいるエヴァの魔力も途切れるはずだから、というのが茶々丸の見解だった。未だ茶々丸は、エヴァの魔力をその身に感じているらしい。

さよは自分のせいだと口にし、今も休まずエヴァの捜索を続けている。楓も茶々丸も私も同じだ。

 

 …だが実際は、私のせいなのだ。

 あの会談の時、エヴァが関東魔法協会との協力関係を断絶した時点で、関東にとってエヴァは単なる大物賞金首でしかなくなった。放置しておく理由はない。

 

 私はそれに気付かず、エヴァを一人残した。

 見殺しにしたのだと言われても、反論は出来ない。

 

 

「…せめて後一カ月ぐらいは保ってくれヨ?学園長の目がそっちにかかりきりになっていれば、私たちへの注意はその分逸れるんだからナ。」

 

「私らは風除けか。しかもほとんど終わりだと思われてるし。」

 

 

 辛辣な超の言葉が耳に痛い。確かにこのままでは、間違いなく私たちは負ける。

 とはいえ、向こうも決め手には欠けるはずだ。私たちを完全崩壊させるにはまだ足りない。逆にこちらも攻め手には欠けているが、こちらは最悪あの爺さえ潰せれば―――

 

 

「…ん?」

 

「どしたネ、何か逆転の策でも閃いたカ?」

 

「いや…。でも何か、脳の奥に引っ掛かる物が…。」

 

 

 強いて言うなら、それは警報。ミリオンズ・ナイブズを初めて目にした時に感じた、怖れが拒絶感となって全身を駆け抜ける感覚。

 でも何故、何がそう感じさせた―――――?

 

 すると、近くの時計の鐘が大きく鳴り響いた。時計の短針は5を指している。

 

 

「―――っと、いけねぇ。早く行かないと。」

 

 

 思考に埋没しかけていた私を、現実が引き戻した。肉まんの残りを頬張り、駆け出そうとした所、超の手から肉まんがもう一つ、ぽいと放り投げられる。

 

 

「サービスだヨ。それ喰ってせいぜい足掻ケ。」

 

「…余計なお世話だクソッタレ。」

 

 

 悪態を吐きつつ超包子を後にする。

 

 向かうは図書館島。

神楽坂明日菜と綾瀬夕映が、そこで待っている。

 

 

 

 

 

 

 初めて立ち入る図書館島の奥は、現実感という言葉を脳内の辞書から根こそぎ削除するのに十分な景色だった。

 上下の果てが見えない大瀑布。何処からか差し込む眩い光。その二つが重なり作り出す淡い七色の弧。

 

 …改めて思うが、ここは本当に日本なのか。間違っても図書館に分類できる施設ではないと思うのだが。そして今日の天気は曇りなのに、何処から光が差し込んでいるのか。

 

 本当ならこの絶景を心行くまで楽しみ、お気に入りスポットの一つとして通い詰めたい所だが、生憎そんなことを考えられる空気ではない。

 

 

「……………」

 

「……………」

 

 

 何せ、私を間に挟んで歩く二人―――神楽坂明日菜と綾瀬夕映は、図書館島の玄関で会ってから、一言も発していない。私の数歩後ろを歩く神楽坂はずっと私を睨み続けているし、前を行く綾瀬は振り返りすらしない。

 

 図書館島に入ってから、本棚の迷宮を無言のまま歩くことおよそ15分。すでにかなり地下深く潜っている。別に帰り道の心配はしていないが、ひょっとしたらエヴァが居るんじゃないかと思い、なるべく遠くまで耳を澄ませてみているのだが、私の聴力を以てすら、この図書館全域をカバーし切れない。

 

 

(やっぱりここの何処かに居る可能性が高いな…。けれどこんなの探しきれねぇ…。クソッ、せめてのどかが居れば…。)

 

 

 相棒の不在を痛感し、二人に見えないよう顔を歪める。

 京都の一件を含めた事情説明のために設けられた話し合いの場であるが、やはりネギ先生を利用した学園の計画にも触れなければならなくなるだろう。そうなれば、この二人の過剰反応は目に見えている。

 

それを抑え込むためにも、やはりのどかには居てほしかったところだ。茶々丸か楓に声をかけてもよかったかもしれない。しかしあの二人もエヴァ捜索にかかりっきりだし、これ以上の負担はかけられない。

本当に、のどかが居ないだけで全てが悪い方向に回転してしまっている気がする。やはり桜咲は一発殴っておいた方が良かったかもしれない。

 

 そういえば綾瀬は、修学旅行から帰ってきた次の日に学校を休んでいる。『聞いた』ところ、どうやら京都にのどかのお見舞いに行ったようだ。だとしたら、のどかの事について問い質されるかもしれない。

 

 

「こちらに座ってください。」

 

 

 その綾瀬の声が聞こえたので、視線を向ける。事前に聞こえていた通り、円形のスペースと中央にテーブルがあった。綾瀬が無言で人数分の席を引き、座った。

 

 そこで初めて綾瀬の顔を見る。感情の見られない、冷えて固まったかのような表情。

 

 まるで殺し屋のような、かつての自分のような―――

 

 

「―――――チッ。」

 

 

 自分自身の下らない思考に、思わず舌打ちが漏れる。

 神楽坂が私の舌打ちに反応したので、何でもない、と手ぶりで示し、改めて席に着いた。

 

 

「…され、それじゃ、色々説明してもらうわよ。長谷川さん。貴方何者なの?」

 

 

 神楽坂のきつい視線が、私を真正面から捉える。一方綾瀬は相変わらず、感情の読めない目をしている。正直、神楽坂よりも綾瀬の方が怖い。

 

 

「何者、か。何なんだろうな。自分でも何て言ったらいいのか分からないけど。ただ、魔法使いではない。私には私の目的があって行動している。その過程で、お前たちには危害を加えるつもりは無いことだけは保証する。」

 

「…信用できないわよ。あんな躊躇いなく、銃を撃てるような人なんて。」

 

 

 神楽坂の視線には、私への怯えが巣食っている。ここに来るまで、ずっと私の後ろについて歩いていたのも、私の視線を浴びながら歩く恐怖に耐えられないからだろう。私を信用出来ないというのも仕方のない話だ。何せ、目の前で人を殺す所を見せつけてしまったんだし。

 

 

「信用してくれ、としか言いようがないな。第一アレは正当防衛だ。撃たなきゃ私が殺されてたんだよ。」

 

「だからって…!」

 

「だからもどうこうもねぇ。」

 

 

 立ち上がろうとした神楽坂を、殺気を込めた睨みと共に封じ込める。神楽坂は開けかけていた口を咄嗟に閉じ、歯を喰いしばって私の視線に耐えていた。

 

 

「言っただろ?お前等と私じゃ、住む世界が違うんだよ。そしてお前たちが私の世界に関わって良いことなんて一つも無い。理解も協力も要らねぇ。無視してくれればそれで構わない。私もお前たちには絶対に危害を加えない。約束する。」

 

 

 有無を言わさず語り尽くし、視線だけで神楽坂に座るよう命じた。神楽坂は渋々といった感じで座る。

内心で少しほっとする。何とかこれで、事情説明のための土台は作れた。

 

 

「…そうだな。とりあえず私の話から――――――」

 

 

 

 

 

 

「…その前に、私も、長谷川さんに聞きたいことがあるです。」

 

 

 

 

 

 

 綾瀬の声が、私の意識を一瞬にして冷却した。

 

 神楽坂と揃って綾瀬の方を向く。

 綾瀬は俯いたままだ。表情は見えない。だが、机の上に置かれた両拳が、金槌と見紛わん程に握り締められているのが分かる。

 

 

 

 

「…のどかが修学旅行で殺されかけたのは…長谷川さんのせいですか?」

 

 

 

 

 身体の芯が凍りつくような錯覚。知らず、私の手も固く握り締められる。

 

 聞かれると、覚悟はしていた。だが、こうして問い質された瞬間、そんな覚悟は泡のように消えた。

 ―――それほどまでに、綾瀬の声色は、剣呑さに満ちていた。

 

 沈黙が私たちの間を満たす。一分か、十分か、ともすれば永遠のように感じられる程の時間。滝の音など微塵も聞こえない。

 

 

「…のどかを、撃ったのは、私では、ない。」

 

 

 あまりにも寒々しい言葉。綾瀬の拳は力一杯握り締められたままだ。

 飲み込んだ唾が喉を伝っていく。まるで胃液を吐き損ねた時のような、不快な生温かさと感触が全身を駆け抜けた。

 

 

「―――でも。」

 

 

 でも。

 でも、でも、でも―――――でも。

 

 

「そんな、危険な目に遭わせた責任は―――私にある。」

 

 

 喉の奥から言葉を絞り出す。自分でも声が震えているのが分かる。

 あの時、のどかに全てを託してしまったのは。

 のどかを死地に追いやったのは――――――――――

 

 

「…のどかの事は、謝っても謝り切れない。本当に申し訳なかった。のどかの―――――」

 

 

 

 

 

 

「―――――それ以上、のどかを語るなっ!!」

 

 

 

 

 

 

 綾瀬が、叫んだ。

 

 

「アナタがっ…!アナタが、のどかを危険な目に遭わせたんでしょう!?アナタのせいで、のどかは殺されそうになったんでしょう!?どの口がのどかの事を語るですかっ!?友達面して、のどかを殺しかけておいて、どの口がっ!!」

 

 

 綾瀬のか細い手が、私の胸倉を掴み上げる。神楽坂の制止も聞かず、そのまま私を手摺り際まで追いやった。

 

 私は、抵抗出来なかった。抵抗することが、出来なかった。

 

 

「巻き込む気はない!?信用しろ!?ふざけるな!!じゃあ何でのどかは巻き込まれたのですか!?アナタがのどかを巻き込んだんでしょう!?どうせ――――どうせ、無理矢理巻き込んだんでしょう!?」

 

 

 ―――思いだされるのは、桜通りでの一件。

 茶々丸と、エヴァと、初めて交戦したあの夜。

 

 そうだ、のどかはあの時、私とエヴァの戦いに巻き込まれて―――

 

 

「ええ、完璧に思いだしました!のどかがアナタと親しくなったのは、今学期の始業式直後からでしたよね!?私は覚えてます、のどかがその前々日、震えて青褪めて帰ってきたのを!!次の日学校を休んだことを!!そしてその日、アナタも休んでいたことを!!」

 

 

 その悪夢のような符号性に、思わず寒気がした。

 綾瀬はこう言いたいのだ―――すなわちその日、私がのどかを脅したか、洗脳でもしたのではないか、と。

 

 誤解だ、と小さく呟く。

 しかし私の消え入るような弁解は、侮蔑と共に捨て去られた。

 

 

「誤解、ですって?それを私が信用すると思いますか?アナタの言葉が、信用出来ると思いますか?」

 

 

 綾瀬の目から零れる大粒の涙が、私の靴を濡らす。

 怒りと哀しみに満ちた瞳から零れる、憎悪の塊のような涙が。

 

 

「アナタさえっ…!アナタさえ居なければ、のどかが殺されそうになることなんて無かった!修学旅行も、3−Aも、あんな悲惨なことにならなかった!アナタの、アナタのせいで!」

 

 

 血を吐くような罵倒。憎しみに満ちた絶叫。

 

 私は。

 私は、何のために頑張ってたんだろう。

 のどかのように、クラスメイトを危険な目に遭わせないために、銃を手にしたはずなのに。

 綾瀬のように、クラスメイトにこんな想いをさせないために、この道に戻ったはずなのに。

 

 私は、何のために―――――――――――

 

 

「お前のせいで―――――」

 

 

 反論する気力さえ無い私に、綾瀬は追い撃ちとばかりに呪詛を吐き続ける。

 

 

「お前のせいで、こうなったんだ!お前のせいで、のどかは死にかけた!京都で沢山の人が巻き込まれた!それなのに、のうのうと学校に通って、人畜無害なふりをしてクラスに溶け込んで、みんなを騙してる!」

 

 

 手摺りの外、見えない滝壺に突き落とさんばかりの勢いで詰め寄る。

 綾瀬は溢れ出る涙もそのままに、私の胸倉を掴む手にさらに力を込め、大声で叫び放った。

 

 

 

 

 

 

「のどかを返せっ!!この疫病神!!」

 

 

 

 

 

 

「綾瀬さんっ!!」

 

 

 神楽坂が叫びながら腕に力を込め、綾瀬の体を無理やり引き離した。私の体は手摺りに崩れ落ち、立ち上がることもままならない。

 …いや、立ち上がるどころか、指一本動かす気力さえ無くなっていた。

 

 

 私は、私は、何のために―――――

 

 

「――――――――っ!」

 

「あ、ちょっと、綾瀬さんっ!!」

 

 

 綾瀬は何も言わず、来た道を走り去って行った。去り際に、隠すつもりの無い憎悪の念をよこしながら。

 神楽坂が慌てて後を追おうとするが、ふと立ち止まって、私の方を複雑な思いを込めた視線で見た。

 

 

「…私はさ。別に、長谷川さんが疫病神だとか、宮崎さんに酷いことしたとか、そういう風には思ってないよ。」

 

 

 神楽坂の声が聞こえる。だが、聞こえるだけだ。ほとんど耳から耳へ素通りしているようなものだ。何一つ、頭に入ってきはしない。

 

 

「…けれど、それとこれとは別で…。…やっぱり、今の長谷川さんは、信用出来ないよ。」

 

 

 そう言い残して、神楽坂も去っていった。

 私は手摺りに凭れかかったまま、力なく項垂れていた。

 

 

 ――――――――私のせいでこうなった。

 ――――――――私が居なければ、誰も危険な目に遭う事は無かった。

 

 

 私は何のために戦っていた?

 ―――クラスメイトを、暴力の世界から遠ざけるために。

 

 のどかは何故私と共に居てくれた?

 ―――私の戦いを、平穏を求める生き方を、肯定してくれたから。

 

 私は何のために生きている?

 ―――人を殺めるしか知らないこの腕で、周りの笑顔を守るために、生みだすために。

 

 私は前世で殺した人々をどう思っている?

 ―――許されてはいけないと、この生涯をかけて背負っていくべき罪だと。

 

 

「はっ…はははっ…。」

 

 

 口から乾いた笑いが漏れる。

 吐き気がする。視界が滲む。こめかみがキリキリと痛む。

 

 綾瀬の言った通りだ。何一つ間違っていない。疫病神以外の何物でもない。

 

 

 

 

 私は、私自身の誓いを、何一つ碌に守れていないじゃないか。

 

 

 

 

「あははははっ…あははははははっ…!」

 

 

 笑いは止まらず、少しずつ大きくなっていく。吐き気も、こめかみの痛みも、それに合わせて増していく。

 

 ―――クラスメイトを巻き添えにした。

 ―――平穏な生き方を自ら否定した。

 ―――人を傷つけ、壊し、滅茶苦茶にした。

 ―――同じ罪を犯した。

 

 何て偽善。何て醜悪。

 何が平穏のため。何が級友のため。

 

 私のような殺人鬼が、幸福を謳歌出来るはずが。誰かと幸福を分かち合えるはずが、ないじゃないか。

 

 

「あははははははははは!あはははははははははははは!あははははははははは!」

 

 

 出来損ないの道化を、思い切り嘲笑う。

 視界が滲んで何も見えない。滝の音が五月蠅くて何も聞こえない。笑いが込み上げてきて何も考えられない。

 

 笑う。笑う。笑う。笑う。――――――――笑う。

 

 そうだ、笑え。笑うんだ。道化は笑われてこそなんだから。

 

 私自身の道化ぶりを、無能ぶりを、愚かな殺人鬼の末路を、精一杯嘲笑ってやれ。

 

 

「あは、あはははははははははははは!ひひっ、ははははははははは!ひはははははははははははは!あははっ、あははははははははははは!ひっ、ひはっ、ははははははははははは!あははは、あっははははははははははははははははっ!あははははははははははははははははははははははははははは!」

 

 

 

 

 

 

「―――――五月蠅いですねぇ。彼女に言われたことが、そんなにショックだったんですか?」

 

 

 

 

 

 

 突如、真横から、それも手摺りの上から、声が響いた。

 穏やかな男の声だ。嫌悪の情を込めた響きではなく、慰めや同情に似た響き。だからこそ余計に、腹立たしかった。

 

 

「…帰れ。鬱陶しい。耳障りだ。」

 

 

 哄笑を止め、殺意を滲ませた声で命じる。だが、男は従うどころか、手摺りを降りて私の正面に回ってきた。

 

 

「自分の住処の近くで、か弱い女の子の泣き声が響いたら、誰だって駆け付けますよ。…私を睨むのはかまいませんが、まずは顔を拭いてはどうですか?涙と鼻水でグチャグチャですよ?」

 

 

 そうして差し出されたハンカチを、躊躇なく手摺りの外へ放り投げる。男は肩をすくめるだけだった。

 

 

「…随分と気が立ってらっしゃるようだ。紅茶でもご用意しましょうか。ちょうど私も、貴方と話がしたかったところです。長谷川千雨さん。」

 

 

 そうしてテーブルに近づき、パチンと指を鳴らす。途端にテーブルの上にはティーセット一式が用意され、椅子が勝手に引かれた。問答無用、ということだろう。

 

 

「ああ、申し遅れました。」

 

 

 ティーカップに紅茶を注ぎいれながら、見るからに人の良さそうな、胡散臭い笑みを浮かべて、私に向き直った。男の細い目が、しっかりと私を捉えている。

 

 

「私、アルビレオ・イマと申します。以後、お見知りおきを。」

 

 

 

 

 

 

「待ってって!待ってってば綾瀬さん!」

 

 

 明日菜が夕映に追いついたのは、図書館島の玄関を出てからだった。夕映にとって図書館島は庭のような物であり、滅多に訪れない明日菜ではなかなか距離を詰められなかったのだ。

 しかし追いついたはいいものの、何と声をかければ良いか分からない。迷っているうちに、少し離れた場所から自分を呼ぶ声に気付いた。

 

 

「あれ、アスナさんに綾瀬さん、どうかしたんですか?…って、綾瀬さん、泣いてる!?ああああアスナさん、何したんですか!?」

 

「何もしてないわよっ!!てか、私が何かしたって決めつけるんじゃないわよ!!」

 

 

 偶然にもネギが通りかかった。そしてすぐに目を真っ赤に充血させている夕映に気付いて動揺し、思わず明日菜に嫌疑をかけてしまったが、明日菜のツッコミで我に返った。

 

 

「あ、ご、ごめんなさい!えっと、綾瀬さん何があったんですか!?」

 

 

 すぐに綾瀬の傍らに駆け寄る姿を見て、明日菜が毒気を抜かれたかのように苦笑した。初めて会った時は、頼りない、生意気なガキだと思っていたが、知らない間に教師らしい面構えになってきている。

 まるで出来の悪い弟の成長を見守っているような気分で見守っていた、その直後だった。

 

 

「ネギ先生、それに神楽坂さん…。お二人は、魔法使い、なんですよね?そういった類の、超常的な力が使えるんですよね?」

 

 

 ネギと明日菜の思考が、ほぼ同時に凍りついた。

 それは尋ねるような口調ではなく、断定するかのような口調。その眼に剣呑な光を宿し、夕映はネギに掴みかかる。

 

 

「お願いです…!私に魔法を教えてください!彼女を倒せる力を!のどかの敵を討てる力を!」

 

 

 

 

 

 

 学園長室に、電話の音が鳴り響く。

 受話器を手に取った近右衛門は、神妙な顔で小さく頷く。

 

 

「…うむ、ご協力感謝する。それでは、よろしく頼んだぞい。」

 

 

 電話を切って、窓の外を眺めた。

 空は分厚い雲に覆われて、光が差す様子は無い。夜を待たず雨が降り出しそうな、そんな陰鬱な景色を見上げながら、呟いた。

 

 

 

 

「悪いがこれで、チェックメイトじゃよ。長谷川千雨君。」

 

 

 

 

 

 


(後書き)

第32話。夕映「ちさめ、あとで、なかす」回。多分のどかがとーちゃんです。あれ、そうするとジャンボは誰だ?

 

てなわけで、事情説明、明日菜といざこざと見せかけて、夕映さん闇堕ちフラグでした。京都編終盤でいきなり夕映が出てきたのは今回のため、千雨を精神的にへし折る役です。そしてついでに弟子入り。元々ネギに魔法を教えてもらおうと思っていた所に、千雨の発言とネギが偶然通りかかったことから、衝動的にその場で弟子入りした感じです。

 

何か夕映に批判が集中しそうですが、あんまり責めないであげてください。今回夕映がキレたのは、千雨の失言が原因です。「危険な目に遭わせた」って自分で明言しちゃってますし、それで謝られても薄っぺらいだけです。気付いたら自分の親友に取り入り、厄介事に巻き込み殺しかけた、という印象しか持てなくなるかと。洗脳云々はさすがに考えすぎですが。まぁ、さっさと事情話しておけばよかったのに、っちゅうことです。修学旅行終わってから3日間話さなかったのは、夕映のお見舞いやら何やらで、3人が揃える時間を作れなかったからです。

 

ちなみに今回は、かなり書くのに苦労した末、大分バッサリ切りました。具体的には、千雨とさよの会話とか、旅館の件に責任を感じ、引きこもる朝倉とか、千雨を心配する楓と千鶴の会話とか。小さな目標として、3−A全員に出番を、というのがあるので、ここで千鶴を書けなかったのが地味に残念です。4章で書けるかしら。

 

今回のサブタイはボカロのヒットメーカー、ハチさんの「結ンデ開イテ羅刹ト骸」です。アーケードのテンポ良さは、暗い曲なのにやってて楽しくなります。そういえば自分がボカロにはまる切っ掛けになった曲が、ハチさんの「マトリョシカ」でした。あの曲はホントに、全ての人に一度は聞いてほしい。

 

次回はとうとう学園長の策が発動!千雨にトドメを刺します(笑)。

 

最後に、10万ヒットありがとうございました!これからもよろしくお願いします!それでは次回をお楽しみに!

 

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