「始まったようやな。…バケモン共が。麻帆良丸ごと焼け野原になるんちゃうか?

 

 

 

 人気の無い道を歩く千草が、千雨の戦う展望台の方角に顔を向けながらポツリと呟いた。未だ魔力反応等を上手く感知出来ない明日菜には分からなかったらしく、首を傾げながら戸惑っていた。

 

 

「え、えっと…長谷川さんの事ですよね?そんなにヤバいことになってるんですか?」

 

「なってる、っちゅうか、これからなる、っちゅう方が正しいな。伝わってくるんは近右衛門の魔力だけやけど、洒落にならん出力や。至近距離での戦術核のぶつけ合いみたいなモンやな。」

 

「せ、戦術核って…。それはさすがに言い過ぎなんじゃ…。

 

 

 まるで現実味の感じられないそんな比喩に、明日菜がおずおずと否定する。しかし千草の表情はますます固くなる一方だ。

 

 

「…それが冗談にならへんから、ウチも少し警戒しとるんどす。余波に巻き込まれたら骨も残らん。…もちろん明日菜はん、アンタもな。」

 

 

 まるで氷でも入れられたかのように、明日菜の背中がブルリと震えた。口にした千草本人も、お得意の脅しをかけた後の嫌らしい笑みを浮かべていない辺り、それが現実となる可能性の高さを暗に示していた。

 

 

「そんなに…強いんですか?学園長って…?」

 

 

 思わず明日菜の口を突いて出たその質問に、千草が考えこむ素振りを見せる。

 

 

「ん…。あのジジイが戦場駆けずり回っとったんは、大よそ5〜60年前―――第二次世界大戦の時やからな。ウチかて直接見たわけやあらへん。ただ、あの時代は魔法界含め全世界が混沌としとって、何処も彼処も戦争戦場やったらしいけど、その中でもあのジジイの名は広く知れ渡っとったらしいどすえ?」

 

 

 確かに近右衛門の年齢と学園長歴を考えれば、活躍時期はそれぐらいになるだろう。詳しい事は知らないし分からない明日菜ではあるが、何となく納得出来た。

 

 

「アルさんかフェイト君かが話してましたけど、確か、“戦鬼”って呼ばれてたんですよね?」

 

「ああ、世界中の戦場に顔出して、一騎当千っちゅう言葉も生温いぐらいの勢いでバッタバッタと敵を薙ぎ倒してたそうや。あのジジイ一人居るだけで戦況も趨勢も覆しようがなくなるとか、そういう逸話は枚挙に暇があらへんわ。」

 

 

 千草がさも嫌そうに顔を顰めているのは、彼女自身がアルと手を組んだ直後に近右衛門の情報収集を行い、数多く仕入れたからであり、それらの情報のいずれも、近右衛門の武勇の高さを示す、彼を陥れる計画をたてる本人にとって、非常にやる気を削がれるものであった事を思い出したからである。

 

 

「そんで、その“戦鬼”に並ぶくらい有名な異名があってな。」

 

 

 そしてその中でも一番多く耳に入ってきた、近右衛門の噂。実際に見た者が震えと共に語った、その伝説。千草が近右衛門を戦術核に例えた理由。

 

 

 

「“太陽を創る男”、だそうや。」

 

 

 

 

 

#50 H.T.

 

 

 

 

 

 展望台に、旋風が舞い踊っている。

 当然それは風などではない。肉眼では捉えられない程の速度で動く二人の戦いの軌跡である。

 

 

雷の暴風(ヨウィス・テンペスタース・フルグリエンス)!!」

 

 

 近右衛門の放った雷撃が、疾風が、展望台を破壊しながら千雨に迫る。

 

 

「遅えっ!!」

 

 

 千雨が吹き鳴らしたサックスが分厚い空気の障壁を作り出し、風も雷もあっさりと弾き飛ばす。

 それが完全に散った直後、砕かれた展望台の床を跳び越えて、近右衛門が直接襲いかかってきた。その手に持つ剣が夕陽の光を反射し、千雨の目を眩ます。剣の軌道を見切られなくするための策だ。

 

 が、視覚を超える聴覚を持つ千雨に、そんな小細工は意味を為さない。目を瞑ったまま突きを易々と避け、お返しとばかりに柄を持つ手に銃口を突き付け、引き金を引く。

 

 しかし、銃弾が近右衛門の手を貫くよりも、近右衛門が手を柄から離す方が速かった。

 弾丸は硬い柄に弾かれ、勢いを失って重力に従って落下を始める。その時にはすでに、近右衛門の手は再度柄を握っていた。

 

 

「――――斬岩剣」

 

 

 げ、と千雨の喉から呻きが漏れる。

 ノーモーションで振り下ろされた近右衛門の剣は、展望台の木張りの床を木屑より細かく粉砕した。

 

 喰らっていれば半身抉られ骨も残らない、と感じさせるに足る一撃。

 千雨はそれを、近右衛門の真後ろに回り込みながら眺めていた。

 

 

「くたばれェっっ!!」

 

「餓鬼がっ!!」

 

 

 “糸”によって身体能力を向上させた千雨のハイキックと、近右衛門の振り向き様の一閃が、甲高い金属音を響かせながらぶつかり合う。千雨の蹴りは大きいが平べったい剣の腹に当たっており、切れることなく力で拮抗している。

 

 

「へぇ…!剣術も使えるのかよ、芸達者なこった…!」

 

「何、己の音楽を殺人技術にまで昇華させたお主程では無いわい…!」

 

 

 剣と靴の鍔迫り合いは、地力で勝る近右衛門が次第に押し始めた。

 それを悟った千雨は素早く発砲して牽制。近右衛門が銃弾を避けている隙に剣から靴を離し、バックステップで大きく距離を空けた。

 

 

「愚か者め、遠距離こそ魔法攻撃の真髄と知れ―――――!」

 

 

 唸る近右衛門の背後に、目算だけでも優に300は超える数の光球が次々と現れる。スポットライトでも浴びてる気分だ、と千雨は暢気に考えていた。

 

 

「魔法の射手―――光の499矢!!」

 

 

 近右衛門の号令と共に、およそ500の光弾が一斉に千雨に襲い来る。文字通り流星群(シューティングスター)とでも呼ぶべきその圧巻の光景を前にして、千雨は期待外れだと言わんばかりに鼻を鳴らす。

 

 

「舐めんじゃねえ、距離が空けば空くほど私が有利!たかが500の弾丸なんざ、目ェ瞑ってたって―――――!?」

 

 

 ―――が、千雨の小馬鹿にした口調は、すぐさま驚愕に塗り潰された。

 

 近右衛門が、自分の放った魔法の射手よりも速く動いて、千雨の背後に回り込んでいた。

 

 

「っ―――!何が真髄だ、最初(ハナ)っから遠距離戦仕掛けるつもりなんざ無えんじゃねえか…!」

 

 

 すでに近右衛門は剣を振りかぶっており、いつでも千雨の胴を断てる体勢だ。すでに500本の魔法の射手は、目と鼻の先にまで迫っている。正に四面楚歌だ。

 

 逡巡している暇は無い。

 千雨は迷わず、魔法の射手の雨の中に飛び込んでいった。

 

 

「っ―――――!」

 

 

 近右衛門が驚き、唾を飲む。

 千雨はまるで風か陽炎のように、魔法の射手の弾幕をすり抜けていく。

 

 千雨の自負は間違いなく的確だ。銃弾すら欠伸しながらでも避けれる彼女にとって、それより遅い魔法の射手など話にならないレベルだ。『別荘』で見慣れた攻撃である事も相まって、500程度の数なら掠りもしない。

 例えそれが、針の穴ほどの隙間しかない弾幕であっても、だ。

 

 500発の魔法の射手は、まるで避けられているのではなくすり抜けているかのように、千雨の体を通り過ぎていく。追尾性能を備えている魔法の射手はUターンして再度千雨を狙おうとするが、同じく千雨を通り過ぎてきた魔法の射手にぶつかり、相殺して消えていった。

 

 そして、499本の光弾が全て消え去る。

 千雨は四つん這いでサックスを背中に回し、体どころか服さえ無傷でその場に佇んでいた。

 

 一方の近右衛門はすでに空中に浮かび上がっており、その周囲の空気が不気味に帯電していた。

 

 

轟き渡る雷の神槍(グングナール)―――――7柱!!」

 

 

 神槍の名を冠するに相応しい巨大な雷が、千雨目がけて迸る。先ほどの魔法の射手が星だとすれば、これは最早7つの彗星だ。

 

 

「さすがにコイツはキツイな…!」

 

 

 眼前の雷霆は、どう見ても余波ですら致命傷になる一撃だ。それが七発も猛然と迫っているとなれば、さすがの千雨も大きく距離を空けて避ける他ない。

 

 千雨が脚部に“糸”を集中させ、後方に飛び退いた途端、一発目が着弾した。

 

 轟音と閃光が全感覚を一瞬で麻痺させる。雷霆は展望台はおろか真下の特別応接室すら貫き、直の地面に突き刺さった。

 そこへ、残る6発が次々に着弾する。

 着弾の瞬間に迸った電気が、紙一重でそれを躱した千雨の耳元を掠めていった。

 

 回避し終えて千雨が顔をあげれば、見晴らしのよい展望台と応接室は絨毯爆撃でも受けたかのように跡形も無くなり、丘の地面は電熱で溶けて抉れていた。

 

 

「…人間重爆撃戦闘機、それも弾数無制限ってか…!」

 

 

 展望台に聳える大樹の枝に掴まりながら、その惨状に冷や汗を流す。最初からこの木の枝に逃れるつもりではあったが、攻撃速度が想像より遥かに速く、かなりギリギリだった。文字通り一歩間違えば、展望台の燃えカスの一部となっていただろう。

 

 千雨が登った枝は、近右衛門の視点からだとちょうど生い茂った葉が身を隠し、千雨の姿を捉える事が出来ない位置だ。さらに、盛大に破壊した展望台と溶けた地面から溢れる土煙が、千雨が木に登る瞬間まで完全に隠し通していた。人間が普段から視覚情報にほぼ全てを頼っている以上、近右衛門もその例外からは漏れ得ず、千雨の姿を捉える事が出来ないでいた。

 だが、千雨の圧倒的な聴覚は、まるで衛星写真でも見ているかのような、立体的な周辺地形把握を可能としている。今こうして、枝に掴まって眼下の惨状を眺めながらも、視界外の近右衛門の一挙手一投足を完璧に捉えているのだ。

 

 

「―――索敵し、爆殺せよ。紅蓮蜂(アペス・イグニフェラエ)。」

 

 

 近右衛門の声と複数―――正確には21の羽音が、千雨の鋭敏な鼓膜を打つ。

 その一体一体の動きを見極めながら、千雨は枝から枝へ飛び移っていった。

 

 蜂が千雨を見つけ、近右衛門がそこへ急行しようとした時にはすでに、千雨は演奏体勢に入っていた。

 近右衛門の様子を伺いながら探りだした、21匹の蜂と迫る近右衛門を同時に仕留められる地点で。

 

 

「―――――ッ!風花旋風・風障壁(フランス・パリエース・ウェンティ・ウェルテンティス)!!

 

 

 勘付いた近右衛門が咄嗟に風の障壁を作り出すと同時に、サックスが唸りをあげた。

 

 衝撃波が蹂躙する。

 葉を散らし、枝を軋ませ、蜂たちを砕き、近右衛門の脳を揺さぶった。

 

 

「――――――ッ、ぐっ…!これが、エヴァを倒した衝撃波か…!」

 

 

 

 風の防御はダメージを減らす事には成功したものの、完全に衝撃波を殺しきる事は出来なかった。

 頭がふらつく。心臓の鼓動が不自然だ。手も足も痺れ、視界も定まらない。

 

 これが―――“闇の福音”をも下した、“音界の覇者”の殺人音楽(マスターピース)

 

 想定はしていた。戦闘シミュレーションも幾度となく積んできた。

 だが、衝撃波は自分の予想を遥かに超えた威力だった。今防御が間に合っていなければ、確実に意識を失って墜落していただろう。

 

 しかし、近右衛門の心に焦りは無い。

 

 

「…断じて手を抜いていたわけではない。これまではその都度“最適”たる攻撃を取っていただけの事。じゃがあ奴の攻勢が、儂の“最適”を上回ってくるのならば―――」

 

 

 爆散した蜂が木の葉を燃やし、その奥の枝に立つ千雨の姿を露わにしていた。

 

 

「こちらは常に“最大”をぶつける!」

 

 

 戦闘機と見紛いそうな速度で、近右衛門が千雨に一気に迫り寄った。今度は背後に回り込まず、真正面から仕掛ける。

 

 

「っ…!速ェ!」

 

 

 近右衛門の速度を鑑みるに、今からサックスを吹く暇は無い。銃も効果が期待出来ない以上、迎撃という手段は取れない。

 

 

「斬鉄閃ッ!!」

 

 

 近右衛門も千雨がサックスを吹けない事を見抜き、斬撃を放ってくる。

 狭い足場で避ける事もままならないため、千雨は下方の枝に飛び移る他なかった。

 

 

「―――って、うおおぉぉっ!?」

 

 

 だが千雨が枝に乗った瞬間、根元から枝が折れた。

 否―――切られていた。すでに、近右衛門の手で。

 

 周囲の枝は悉く伐採され、千雨の手足の届く範囲内には木の葉一枚無い。そして元々居た位置がそれ程高い位置では無かったため、すぐに焼け爛れた地面が目の前に広がった。

 

 

「くそっ、こうなりゃ仕方ねえ…!アーティファク――――」

 

「させんよ―――引き裂く大地(テッラ・フィンデーンス)!!」

 

 

 雷撃で剥き出しになった丘陵が、突如波打ち、火よりも血に似た紅に染まる。

 煮え滾る溶岩へと姿を変えた地面が、津波のように千雨に覆い被さり、その巨躯を支える根を失った大樹を、棒倒しか何かのように押し流し、溶解する。

 

 長閑な丘は原型を失いながら火山の噴火口へと変わり、丘陵は溶岩流となって飛沫を散らし、煌めかせながら、麓を延焼させていった。

 

 これが近衛近右衛門の“最大”。

 余波被害(コラテラル・ダメージ)を一切考慮せずに戦った場合の、恐るべき殲滅力。

 

 近右衛門はそれを誇る様子も無く、夕陽の赤さにも負けず煌々と流れる溶岩を睥睨しながら、千雨の姿を探していた。

 

 

(…この程度でくたばるはずがない。むしろこれを好機と捉え、衝撃波を放ってくる…!)

 

 

 そしてその勘は見事に的中した。

 溶岩の海の中から一瞬だけ顔を覗かせた金色の光を、近右衛門は見逃さなかった。

 

 

「神鳴流、奥義―――」

 

 

 近右衛門が急降下する。その眼の先には、溶岩に飲み込まれゆく展望台の柱に乗り、上半身を大きく反って息を吸い込む千雨の姿。

 

 

「雷光けッ――――――――!?」

 

 

 剣を振り下ろそうとした瞬間、千雨の姿が消えた。

 逃げ場の無い溶岩流の真上で、忽然と。

 

 

「―――――テメエが墜ちろ。」

 

 

 ―――声が、近右衛門の真後ろから響く。

 

 振り向くのと蹴られるのは同時だった。

 蹴りの勢いで飛ばされた近右衛門が、溶岩流に突き落とされ、飲み込まれようとする。

 

 

流水の縛り手(ウィンクトゥス・アクアーリウス)!」

 

 

 背後に回した手から迸った水流が溶岩を冷やし、着地可能な地面を作る。出来たての滑走路は、近右衛門が着陸し、再離陸した直後に溶岩に飲み込まれて消えた。

 

 

「往生際が悪いぜ、クソジジイ!」

 

 

 息つく暇など一切与えず、千雨が襲いかかる。

 

 その背中には、白と黒の双翼。

 その両腕には、鎖で繋がれた石造りの十字架。

 

 

「それがお主のアーティファクトか!」

 

「応よ。出し惜しみしててもしょうがねえからな、一気に二つ御開帳だ―――!」

 

 

 手に持つ十字架が矢継ぎ早に振るわれ、近右衛門を押し込んでいく。

 上方に逃げれば、白と黒の翼が羽ばたき、重力に逆らい空を翔ける。

 

 近右衛門の剣が千雨の首目掛けて振るわれる。

 千雨はそれを十字架で防御し、さらにもう片方の十字架で近右衛門のカウンターを仕掛ける。

 が、近右衛門は剣から手を離すと、左右それぞれの十字架に掌をかざした。

 

 

風花・武装解除(フランス・エクサルマティオー)!!」

 

「うおぉっ!?やべ―――」

 

 

 

 近右衛門の掌から発生した爆発的な風が、千雨の十字架を弾くように押し返す。

 その結果、千雨は無防備な胴体を曝け出してしまった。近右衛門がその隙を見逃すはずもなく、落ち行く剣に見向きもせずに追撃に移る。

 

 上方に逃げようとした千雨だったが、近右衛門の手が千雨の右肩を掴む方が速かった。

 そしてそのまま背負い上げて、溶岩目掛けて投げ落とす。見事な一本背負いだ。

 

 

「―――戻れ、剣よ。」

 

 

 千雨が空中で体勢を立て直すのを見計らい、溶岩に飲み込まれかけた剣を呼び戻す。

 まるでロケットの射出のような勢いで、差し出された近右衛門の右手目掛けて剣が空を飛ぶ。

 その進路上には、体勢を取り戻したばかりの千雨が居た。

 

 

「ぐっ――――!」

 

 

 咄嗟に避けた千雨だったが、完全には躱し切れず、腿に一線の切り傷が走った。肉が裂け、噴き出た鮮血が白いズボンを染める。

 

 そして剣を手に取ると同時に、近右衛門の身体から噴き出す魔力が一気に増大した。

 

 

全雷精(オムネース・スピリトゥス・フルグラノレース)全力解放(フォルティッシメー・エーミッタム)!」

 

 

 空気が不気味に震動し始める。

 千雨の背筋がぞわっと粟立ち、第一級の警報を鳴らす。その視線の先に浮かぶ雷神が、天譴とも言うべき鉄槌を振り下ろした。

 

 

 

千の雷(キーリプル・アストラペー)!!」

 

 

 

 何百という稲妻が、目が潰れてしまう程の閃光と鼓膜を細切れにするかのような雷鳴を伴いながら、溶岩が流れ煌めく大地に殺到した。

 紅蓮のマグマと黄金の雷光が重なり、地面がクッキーのように砕け散る。マグマの飛沫、青白い放電、裂ける大地、燃える木々、地獄の原風景のような光景。

 

 しかし千雨は、そんな光景など視界に入れることもなく、雷群の中を翔けていく。

 

 

「舐めんなァァァァァァァっっっっっ!!」

 

 

 十字架を正面に構え、その陰に隠れるようにしながら突き進んでいた。

 降り注ぐ稲妻が十字架に弾かれる。弾けた雷の欠片が千雨の脇を掠め、服を焦がす。新調したばかりの燕尾服は、すでに焦げ付きだらけだ。

 

 

(対魔法防御―――違う、“精霊の加護”か!だとすれば、儂の“千の雷”が通らんのも納得がいく、あの十字架は、それそのものが最大防御魔法にも匹敵する対魔法硬度を備えておる―――!)

 

 

「捉えたぜぇ、ジジイィィィィ!!」

 

 

 雷群の隙間を通して、ほんの一瞬千雨と近右衛門の目が合う。

 互いに血走り、憎しみに満ちた目で、射殺さんばかりに睨み合った。

 

 

「千の―――――」

 

「させねえっ!!」

 

 

 近右衛門がさらに雷を放とうと手を伸ばしたのを見計らい、千雨が左手の十字架を思いっきり投擲した。千雨の剛腕で放たれた十字架は、もう一つの十字架に繋がる鎖をけたたましく鳴り響かせながら、槍のように稲妻を突っ切って直進し、近右衛門の掌を掠めた。

 

 真っ直ぐ千雨の方に向けられていた近右衛門の手が僅かに逸れる。

 そこから近右衛門が覗いた光景は、十字架の投擲によってこじ開けられた風穴を、ロケットのように翔けてくる千雨の姿だった。

 

 

「小癪なっ!」

 

「オラァッ!!」

 

 

 千雨の振るう十字架と、近右衛門の振るう巨剣が激突し、火花を上げる。

 そのまま鍔迫り合いに持ち込みながら、互いに鼻先が触れ合う程の距離に近づく。

 

 

「オイオイオイ、大事な学園がお前のせいで地獄絵図みたいになってるぜ?手荒にも程があるんじゃねえか、学園長殿?それともテメエにとっちゃこの学園はその程度のモンか?」

 

「ほざけ。学園は壊れても建て直す事が出来る。だが貴様は壊れればそれまで。排除すべき対象を最優先にしている、それだけの事―――――!」

 

「どう見たって建て直せるレベル超えてんだろうが、目と脳に蛆でも湧いてんのか―――!」

 

 

 拮抗はすぐに崩れた。

 二人が同時に武器を引き、そして即座に振りかぶる。

 

 

「「うおおおおおおおおおおおおっっっっっ!!」」

 

 

 振るわれ、ぶつかり合う十字架と巨剣。残像と火花だけが、二つの武器が描く軌跡と衝突を物語っている。

 

 ―――千雨の十字架が振り下ろされる。

                ―――近右衛門の剣が受け流す。

 ―――もう一方の十字架が近右衛門の左の死角から。

                ―――受け流した動きそのままに塞ぎ止める。

 ―――十字架を顔の真正面に構える。

                ―――首筋を狙った突きが十字架に受け止められる。

 ―――もう片方の十字架を背後に振るう。

                ―――真後ろに回った近右衛門の剣が弾かれる。

 

 

 何十合も何百合も、眼にも止まらぬ速度の剣舞が繰り広げられる。それはまるで二つの台風がぶつかり合い、覇を競っているかのようで、超人の頂上決戦といった様相を呈していた。

 

 その果てに、二人の武器が弾かれ合い、互いの眼前に自身の無防備な姿を晒す。

 

 二人が取った行動は、同時にして同一。

 敵の首目掛けて、全身全霊で己の武器を突き出した。

 

 十字架の先端と剣先が掠め合い、甲高い悲鳴のような衝突音と派手な火花を散らす。

 

 

「「ぐぅっ――――!」」

 

 

 そして、苦しげな呻き声があがるのも二人同時だった。

 千雨はチョーカーごと首の皮一枚を。近右衛門は十字架の角が掠めた額を、それぞれ負傷していた。特に千雨は後1、2センチで頸動脈を断たれていた事もあってか、少し出血が激しい。

 

 

「…てめえ、このチョーカーかなり気に入ってたんだぞ?クラスメイトお手製の一品モノだってのによぉ?」

 

「…女性らしい趣味を持っているようには到底見えんがの。」

 

 

 滴る血を鬱陶しげに拭いながら悪態をつく。対する近右衛門の反応は冷淡かつ辛辣だった。

 さらに言葉を重ねようとした千雨だったが、不意に感じた悪寒に、口だけでなく全身の動きが止まる。

 

 

「―――さて、ようやく身体も温まってきた。ここで一つ…面白い物を見せてくれよう。」

 

 

 千雨の嗅覚が厄災の臭いを嗅ぎつける。出所は間違いなく、近右衛門の右手。

 仮契約によって獲得し、鍛え上げた魔力知覚が、近右衛門の右手に魔力が流れていくのを感じ取っている。それも、氾濫しかけた大河のような大質量の激流だ。

 

 

「―――魔力充填(スプレーメントゥム・プロ)集い来たれよ(コエウンテース)炎の覇王(ホ・テュラネ・フロゴス)!」

 

 

 ―――突如、魔力が熱を帯び始めた。

 本来一般人には全く感知出来ないはずの魔力だが、これは別物だ。近右衛門を中心に熱量を伴って吹き荒れており、普通の人間でも業火の前に立っているような熱さを覚えるだろう。魔法使いたちなら尚更の事だ。

 

 しかし、その酷暑の中心に居る近右衛門は涼しい顔だ。

 そして、魔力の流れが変わる。近右衛門の掌を中心に、魔力が集束していき、球形を為す。

 

 その熱は、放たれる光は、正しく小さな太陽だった。

 

 

我が手に授けん(イン・マヌム・メアム・デット)浄化の炎(フロクス・カタルセオース)ソドムを焼きし火と硫黄(ピュール・カイ・テイオン・ハ・エペフレゴン・ソドマ)!」

 

「―――――っ!させるか!」

 

 

 チリチリと肌を焼く感触は、間違いなく死の悪寒だった。かつて月詠と戦った時に感じたそれが、背筋を震わす冷たさではなく、肌を焦がす熱さとなって蘇ってきた。

 ならば―――それを予感させるあの球体を、そのままにしておいていいはずがない。

 

 十字架(アーティファクト)を消し、サックスを口にする。

 近右衛門が使おうとしているのは、間違いなく“魔法”だ。ならば無音化演奏で詠唱を途切れさせるのが一番効果的だ。

 後はそれが、間に合うかどうか―――――――

 

 

術式固定(スタグネット)!」

 

 

 詠唱が終盤に入る。千雨がサックスを咥える。

 千雨が一瞬耳に意識を集中させ、そして―――――

 

 

 

 

(コンプ)レ―――」

 

 

 

 

 ―――間に合った。

 

 近右衛門の詠唱が止まる。その口から漏れるのは、何の意味も為さない吐息。

 そして無意味に立ち尽くす無防備な老人に向けて、目一杯の衝撃波を放つ。

 

 

 

 

 ―――――だが。

 

 

 掌に集束する魔力は、全く止まっていなかった。

 それどころか、近右衛門の身体から莫大な魔力が噴出し、掌に浮かぶ球体に注がれていく。

より熱く、より眩く、より丸く、より小さく。

 

 

 

 

「…なるほど、これが“無音化演奏”。凄まじい魔技じゃ。大凡人間が到達出来る領域ではない。」

 

 

 近右衛門が静かに口を開く。

 千雨は衝撃波を放っていない。無意識に、身体が衝撃波を放つ事を止めた。

 

 そして―――悪寒がさらに増した。

 

 

「じゃが、思い違いをしておったようじゃのぅ…。詠唱とは、より安定した形で魔法を放つための、いわば潤滑油。それを途中で止められれば、魔力が安定しなくなり、形を為さなくなってしまうのじゃが…。そこはホレ、倍以上の魔力で以て(・・・・・・・・・)暴走を抑え込み、無理やり形作るという荒業で何とかなるのじゃよ。」

 

 

 その掌に浮かぶのは、太陽。

 例えテニスボール程の大きさしか無かろうとも、その眩さと熱は、間違いなく太陽だった。

 

 

「それでは、喰らうがよい―――儂の編み出した、最速にして最強の“魔法の射手”を。」

 

 

 太陽が近右衛門の掌をゆっくりと、静かに放たれる。

 その球面には何も描かれていないが―――千雨には、まるで悪魔がほほ笑んだかのように見えた。

 

 

 

 

「征くがよい―――魔法の射手(サギタ・マギカ)燃える天空(ウーラニア・フロゴーシス)”!!」

 

 

 

 

 千雨は迷わなかった。

 放たれた太陽の軌道に、衝撃波用の空気を繊細に放つ。

 網膜が焼かれてしまいそうな程の発光の中で、注意深く耳を澄ませ、慎重かつ素早く魔法の射手の軌道を空気によって逸らしていく。

 

 太陽は千雨の数十センチ横を擦り抜け、背後へと飛んでいく。

 

 

「―――――――――!!」

 

 

 すれ違っただけで、その熱量が全身を舐めた。

 その熱さを堪えながら、背後の魔法の射手に向かって空気を吹き付ける。追い風で加速した太陽は、そのまま初等部の校舎に呑み込まれていき―――――

 

 

 

 全世界に存在する全ての火薬が爆発したかのような轟音が、麻帆良中に響き渡った。

 

 

 

 「っ、ず―――――――!!」

 

 

 轟音だけではない。眼を開けていられない程の強烈無比な閃光。焼き殺されそうな程の熱。

 全てが一秒にも満たない一瞬のことでありながら、もたらされた結果はあまりにも明白で、何よりも恐ろしい物だった。

 

 直撃を喰らった初等部の校舎は、綺麗に抉られていた。

 

 いや、もっと正確に言えば。その一部始終をその耳で捉えていた千雨にしてみれば。

 

 

「…燃えて、消えた…。」

 

 

 千雨は聞いていた。

 近右衛門が放った弾丸が校舎に命中した瞬間の音を。まるで熱したフライパンに水滴を垂らしたかのような、あの心胆寒からしめるような音を。

 

 

 

 初等部の校舎が蒸発(・・)する音を。

 

 

 

「…感じてくれたかね?わが最強の魔法―――“魔法の射手・燃える天空”、その威力を。」

 

 

 悠然と、まるで大統領の演説のように、近右衛門は呆然としたままの千雨に語りかける。

 

 

「“燃える天空”―――炎属性の魔法の中で最高の威力を誇る魔法を、魔法の射手のサイズにまで圧縮して撃つ、わし独自の魔法じゃ。対軍殲滅用とも言われる火力が掌サイズにまで圧縮された事で、破裂時の威力は別物となり―――鉄すら一瞬で蒸発させ得る爆炎を引き起こす。」

 

 

 千雨は焼失した校舎を横目で見ながら、爆炎なんて代物じゃねえだろ、と内心で毒づいた。口にしなかったのは、言葉に出してしまうと負けた気分になってしまうからである。

 

 初等部の校舎は完全に消滅した訳ではなく、あくまで校舎の上部が抉られているだけだ。だがその断面は水飴のようにコンクリートが蕩けており、周囲には瓦礫ひとつ無い。まるで硫酸でもかけられたかのような惨状は、千雨の感じた死の悪寒がそのまま最悪の現実につながったかのようであった。

 

 

「そして、魔法の射手の利点といえば―――一度に放てる、その弾数。」

 

 

 その悪寒が再度、より大きくなって千雨の背筋に戻ってきた。

 振り返ればそこには、またしても太陽。激しく照りつける光と熱と魔力。

 

 

 それも―――――6個。

 6つの太陽が、近右衛門の手から放たれるのを、今や遅しと待ち構えている。

 

 

「…オイジジイ。能書き垂れる前に答えろ。テメエさっき…、“倍以上の魔力で無理やり形作れば何とかなる”って言ってたよな?それが本当として、あれだけの威力ある魔法を使おうとしたら、とんでもなく魔力消費するはずだろ?」

 

 

 事実、あの魔法の射手を作っている時に漏れ出ていた魔力は尋常な量ではなかったのだ。例え木乃香とて、あれを作り出そうと思っても数個が限度のはずだ。

 

 

「なのに今度は、完全に詠唱なしで、6個だと?お前の魔力残量は、一体どうなってやがる?」

 

 

 6個の太陽は、さも当然のように浮かび、出撃を待っている。それはほとんど、ダムの水量をその身一つで堰き止めているようなものであり、常識では考えられない話だ。千雨の言い分は、全く持って正しい。

 

 

 だが、近右衛門は。

 

 

 

 

「何、今のわしは世界樹からの魔力供給を受けている。それだけの事じゃよ。」

 

 

 

 

「―――――っ!!」

 

 

 怖れから鳥肌が立った。

 世界樹からの魔力供給。その不味さがどれ程のものか、少なくともこの騒動に関わる者であるなら、誰もが直感出来るだろう。

 

 それはほぼ、無限に魔力が使用出来るという事に他ならないのだから。

 

 

「世界樹の防衛システムの一つでのぅ。世界樹に危機が迫っていると判断された時、その防衛システムによって管理者と認められた者―――大抵の場合は学園長になるが、その者の戦闘を補助するため、世界樹から魔力が供給されるのじゃよ。具体的に例を挙げれば、秘密にしていた魔力溜まりの存在が明るみに出た時などにの。」

 

 

 その口調がからかうような嘲るような物に変わっている事を見逃す千雨ではない。当然衝撃波を撃ち込んでやりたい気持ちで一杯だが、今から襲い来る6個の太陽を捌かねばならない以上、無駄な空気を使う訳にはいかない。

 

 それに―――よくよく考えてみれば、大した脅威ではないのだ。

 

 

「オーケー、自慢話はもう結構だ。いいから撃って来いよ、馬鹿の一つ覚えみたいによォ?」

 

 

 不敵な笑みを乗せ、近右衛門に向けて中指を突き立てる。夕陽を反射して煌くサックスも、まるで近右衛門を誘い、挑発しているかのようだ。

 

 少しばかり耐え所になるが、確実にこの状況は引っ繰り返せる。その時が、反撃の時だ。なるべく負傷を最小限に抑え、じっと機会を待つ他ない。

 

 

「テメエは今の一撃で私を仕留めておくべきだったんだ。それを逃し、みすみす最強の技を見せ付けてしまった今―――もうその攻撃には、隙しか存在しない物と思え。」

 

「小娘が―――粋がるな!」

 

 

 近右衛門の長年に渡って積み上げてきた己の強さへの自負を、あからさまに侮辱する千雨の言葉は、近右衛門の憤怒を加速させるには十分だった。

 

 

「魔法の射手“燃える天空”―――6柱!!」

 

 

 

 

 

 

(アーティファクト解説その@)

名称:“白と黒の双翼”(ニージア・クォル・アルバス・アラス)

能力:飛行能力の付与

契約主:ネギ・スプリングフィールド

カードの色:藍色

解説:白と黒の翼。能力も単なる飛行能力の付与のみ。

    正直大したアーティファクトではないが、空中戦が可能になった事で千雨は結構喜んだ。

ただし慣れるにはそれなりの練習が必要で、千雨もリハビリ後の半年近くを飛行訓練に費やしている。

何よりも、“消音演奏しながら移動”が可能となった事が大きい。

千雨のお気に入りアーティファクト。風を切って飛ぶ感覚がたまらなく気持ち良いらしい。

 

 

 

 

(後書きは最後に回すので、一言だけ)

やっぱりラスボスはMP無限じゃないとねー。

 

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