礼拝堂内。
シスター・シャークティが目を覚ました時、真っ先に目に入って来たのは、自分と同じように床に転がる仲間たちの姿だった。
ああ、全滅したのか、とあっさり理解し受け容れるのと同時に、身震いするような寒さがシャークティを襲った。床も氷そのもののように冷たい。
思わず跳ね起きた瞬間、目に入ったのは、氷漬けになった礼拝堂内部の惨状と、自分が起きた事に気付いたエヴァの視線だった。
「お早う、シスター・シャークティ。悪いがこの礼拝堂に詰めていた魔法使いは、タカミチも含めすでに全滅している。貴様は真っ先に目覚めた訳だが、どうするつもりだ?」
意地の悪そうな笑みを浮かべ、シャークティを睥睨する。しかし当のシャークティは、呆れたと言わんばかりに肩を竦めて見せていた。
「そんな安い挑発には乗りませんよ。全面降伏です。私が貴方に勝てる訳無いでしょう。」
「…何だ、つまらん。私とて消化不良気味だというのに。ここはお前らの最重要拠点だろう?そんな簡単に諦めていいのか?」
「陥落してしまった以上、どうしようもありませんよ。ましてや私一人の力じゃどうにも。それに―――――」
軽口を交わし合いながら、シャークティはエヴァの方に歩み寄っていく。
そして、エヴァの座る一つ後ろの椅子で立ち止まり、そこで静かに寝息を立てる美空に寄り添った。
「今は、この子の決意が嬉しいんです。裏切ったとか、魔法をバラそうとしたとか、そんな事気にならなくなるくらいに。ふふっ、いつの間に、こんなに格好良く成長したのかしら。」
美空の横に座りながら、眠る彼女の頭を労るように優しく撫でた。その周囲だけは冷気が一切伝わってきておらず、エヴァも美空の体調を気遣って温度を操作している事が伺えた。
「弟子の成長が嬉しいから、私たちの企みも見逃す、か。フン、良い師匠だな。」
「あら、そういう貴方も、私に対して随分と手心を加えて下さったようですけれど?そうでなければ、私だけがこれ程速く目覚める筈がありませんし。」
シャークティの微笑みまじりのからかいに、エヴァは照れて赤くなった顔を隠すようにそっぽを向いた。
「…まぁ、春日美空の働きが無ければ、私たちの作戦は崩壊していた可能性があった。何より、
半ば逆切れしながら必死に取り繕うエヴァの姿に、これまで彼女に抱いていた敵意などさっぱり消え失せ、奇妙な信頼感のような物さえ感じるようになっていた。
「ふふっ、ありがとうございます。…ところで、ここが捨て場所とは、どういう――――」
お礼を口にしながらも、エヴァの口にした妙な事に突っ込もうとした、丁度その時、天井から大小二つの人影が降りてきたので、二人の注意がそちらに逸れた。
ネギとチャチャゼロだった。二人ともシャークティの存在に気付き、一瞬警戒したようだったが、エヴァの落ち着き払った様子と、諸手を挙げて無抵抗をアピールする姿を見て、一応納得したようだった。
「それで、そんなに慌てて駆け出してどうした?」
「あ、ハイ!
「ジジイモ千雨ニカカリッキリデ、気付イテル様子ハ無サソウダゼ!」
二人の報告はシャークティにとって全く意味の分からないものだったが、聞いた瞬間エヴァが勢いよく立ち上がった。表情は見えないが、発する雰囲気からして、喜色満面である事だけはすぐに分かった。
「そうか―――――そうか、そうか、そうかそうかそうかそうかそうか。それはいかん。いかんな。是非見届けなければいかん。すでにアルビレオは上に居るな?」
「オウヨ、良イ酒用意シテアルゼー。」
「ああ、それは良い。最高の酒の肴になりそうだ――――ああそうだ、シャークティ。」
状況についていけず、ぽかんと口を開けて呆けるシャークティに向かい、予想通り喜悦を顔全体に浮かべたまま、親指で天井を指した。
「折角だ。貴様も来い。春日も…一応、連れて行こう。
一緒に見ようじゃないか。世界が変わる、その瞬間を。」
「魔法の射手“燃える天空”―――6柱!!」
6個の太陽が一斉に放たれた。
本物の太陽よりも遥かに眩い閃光が、一瞬で千雨の視界を塗り潰す。光に満ちた漆黒の闇と形容すべき、無色の海原。
そのど真ん中を突っ切って、千雨は近右衛門に特攻を仕掛けた。
「隙だらけだって―――言ってんだろうがァ!」
一気に懐まで潜り込んだ千雨が、両手に持つ十字架を猛然と叩き込む。近右衛門も剣で捌いてはいるが、攻めに転じきれない。
千雨が回避した魔法の射手が、反転して再度千雨に狙いを定めた。
しかし千雨は、それを待ち望んでいたかのように、片方の手を拳銃に持ち替え、背後に無造作に―――実際は正確無比に、6個の内の1つだけを狙って発砲した。
「この魔法の最大の欠点は―――こういう事だろ?」
千雨が自信たっぷりに口にした瞬間、銃弾と魔弾が接触した。
炸裂した閃光と爆炎が、残る5個の魔弾にも引火し、誘爆する。校舎を飲み込んだ時よりさらに大きな光と熱を背に受けながら、千雨は会心の笑みを浮かべた。
「―――ま、一回見りゃ何の事はねえ、こけおどしだ。こんな三流手品でどうにか出来ると思われてたなんて、心外すぎて涙が出てくるぜ。」
おどけたように、そして挑発的に嘲笑う。児戯にも等しいと、自分の行動で証明して見せた。
魔法の射手“燃える天空”は、確かに常軌を逸した威力と異常な速さを併せ持つ、反則級の魔法であるが、唯一にして致命的な欠点が存在している。
それは―――魔法の射手自体の装甲の薄さだ。
魔法の射手自体が然程防御性能が高いわけではないのだが、近右衛門の放つ魔弾は特にそれが顕著だ。というのも、そもそも“燃える天空”という火属性の最大魔法をテニスボール大の魔弾に圧縮しているため、どうしても薄壁になってしまう。水風船に25メートルプールの水を無理やり詰め込んでいるようなものなのだ。
そのため、外部からの刺激に弱く、さらに破裂時の余波が凄まじいため、大量展開してしまうと誘爆の危険性も高まってしまう。結果的に、多くて十発前後という薄い弾幕を張らざるを得なくなってしまうのだ。
その薄さを補い、魔弾の軌道を読まれなくするための、強烈な発光なのだが―――生憎千雨の聴力の前には、一切意味を為さない。
「…ま、テメエの事だから、まさかこの程度って事はねえだろうが…。威力的には、これより上は無いかな?」
だが、千雨がその事実に胡坐をかいて油断するかと言えば、間違いなく否だ。
魔法の汎用性の高さは、『別荘』での2年間の特訓で嫌というほど思い知っている。今のは偶然相性が良かっただけだ。そして相手は、その汎用性の高さを知り尽くし、手足のように使える男と考えてまず間違いないのだ。
しかし近右衛門は、落胆を隠し切れないかのような表情で、まるで取るに足らない敵だったと結論付けたかのように、大きく溜め息を吐き出した。
「…今の貴様を指して、何と呼ぶか知っているかね?」
そう問いかけながら、三度その手に太陽を作り出す。これまでより少し発光が弱めなのは、即席性を重視して込める魔力と威力を抑えたからであろうか。それでも人一人焼き滅ぼすには充分過ぎる事は間違いない。
「平和ボケ、じゃよ。お主、殺し屋稼業から離れて長いようじゃの?だからこんな風に―――付け込まれる。」
獄炎の魔弾は、まるで千雨が視界に入っていないかのような見当違いの方角に放たれた。千雨は近右衛門との距離を詰め、十字架を振り上げながら、聴力だけで後方に飛んでいった魔弾の弾道を予測する。
「―――――っ、テメエっ!!」
理解した瞬間、千雨の顔がさっと青褪め、そして一気に感情を沸騰させた。
あの方角には、
そう悟った瞬間、千雨の翼がはためき、自然と身体が魔弾を全速力で追いかけていた。衝撃波の方が手っ取り早いが、それを放つにはあまりに近右衛門に接近し過ぎた。なので近右衛門から離れる意味でも魔弾に近付く必要があったのだが、それが追いつけない速度でない事が、ますます千雨の憤怒を加速させる。
「ふざけんじゃ―――――ねえっ!!」
ある程度まで近付いたところで衝撃波を放つ。太陽はあっさりと砕け散り、光と熱を撒き散らして消える。
そして千雨が空中で翼を翻らせ、元の体勢に戻った時には、すでに近右衛門が接近してきていた。
「ぐぅぅっ…!」
「ほれほれ、さっきまでの威勢はどうした?」
直前までサックスを手にしていたため、十字架の展開が遅れてしまい、近右衛門の攻勢を一方的に受ける形となってしまった。
「テメエ仮にも学園長だろうが…!無力な生徒狙ってんじゃねえ!」
「根も葉も無い事を。偶然お主らの屋台が射線上にあっただけじゃ。」
千雨の当然の激高を涼しげに受け流すその様子に、千雨は自分の頭の青筋が完全に切れる音を確かに聞いた。
しかしその千雨の怒りすら嘲笑うかのように、剣を一閃しながら千雨から距離を取る。そして後方に下がると同時に、4つの太陽が生み出された。
「ほれほれ、馬鹿の一つ覚えみたいに撃ってやるぞ?弾切れが無いので好き放題に撃ってしまった末、見当違いの方向に逸れてしまうかもしれんのう?」
「この、クソジジイ…!」
千雨が怨嗟の呻きを漏らすと同時に、近右衛門の手を離れた太陽がまたしても屋台の方角に向けて飛び始めた。当然撃ち落とす以外には無い。怒りに歯を軋らせながらも、衝撃波で先頭の一発を粉砕する。
―――その、粉砕した魔弾の中から、優に500は超える魔法の射手が飛び出してきた。
「魔法の射手“一矢集束・火の499矢”―――破裂した瞬間、中から500発余りの火属性の魔法の射手がポップコーンのように飛び出してくる。」
視界を埋め尽くす魔弾の弾幕の奥から、近右衛門の声が微かに聞こえた。しかしそれに耳を傾けている暇など一切無いまま、蟷螂の卵のように内側から飛び出してきた魔法の射手が襲いかかる。
ブラフだった、という事実にはすぐに気付いた。
「ぐあああっ!!?」
魔弾に接近し過ぎた事、衝撃波を放った直後であった事、そしてサックスを守らなければならない事が重なり、避けるのが遅れてしまった千雨は、それでも無理矢理身を捻って躱し、胸や肩、膝、背中等、数か所への着弾に抑えた。
とはいえ、防御力の低い千雨には、これだけでも手痛い被弾だ。思わず身を少し仰け反らせた途端、さらに倍以上の魔弾が雲霞の群れのごとく襲いかかってきた。
(残る3発も、それぞれ500発の魔弾を内包していたって訳か、畜生…!)
千発を超える魔法の射手を、ひたすら十字架で弾き続ける。追尾弾であるが故に、通り過ぎた弾丸は千雨の背後に帰ってくるので、上から下まで360°全方位を防御しなければならず、動く隙間も暇も無い。
だが、その嵐の中に近右衛門が突っ込んでくる音が聞こえてきた。
それも六人分、様々な角度から。
(分身…!本物はどれ―――違う!攻撃だけは全部本物だ!)
千雨がそう悟った瞬間、六方から剣が振り下ろされる。手に持つ十字架で弾いた瞬間飛び散った火花が目に入りそうになり、思わず目蓋を閉じる。
「本物は―――お前だぁっ!!」
左斜め後方から切りつけてきた人影に、十字架を叩きつける。
が、十字架は近右衛門の右手に捕まれ、ピクリとも動かせなくなった。もう一方の剣は十字架と片手で鍔迫り合いをしており、こちらも動く気配はない。
「
近右衛門が呟くと同時に、エヴァとの戦いでも経験した極低温の爆風が千雨に襲い掛かる。
十字架を展開している間はサックスを持てず、演奏も出来ないため、防御は不可能だ。舌打ちをしながら、近右衛門に動きを封じられたままの十字架から手を離し、下方に避ける。
直撃こそ避けたものの、それでもブリザードと遜色ない凍気が千雨の全身を舐めた。眉毛や髪の毛が、焦げ付きだらけになった燕尾服が、その下のシャツに至るまで、一瞬で霜氷を纏った。
「冷ってえなぁ、オイ…!」
悪態と共に吐き出す息が白い。しかし寒さに震えていては戦いにならないので、“糸”でそれを制御している。
(…さすがに、サックスと十字架の使い分けのタイミングを見切られてきたか。こりゃちょっとマズイな…。)
近距離戦用の十字架と、中遠距離戦用のサックス。どちらも攻防一体の武器であり、互いの弱点を補完しあっているが、如何せんどちらも両手持ち武器なため、どちらか一方しか装備は出来ない。その換装のタイミングこそが、今の千雨にとってのネックの一つである。
十字架を
「
近右衛門の周囲に101体の分身が現れた。聞こえる音からして水で出来た分身だ。本人も合わせれば、同じ顔が102人分並んで千雨を睨み付けているその光景に、さすがの千雨も、気色悪い、と心底嫌そうに零した。
しかし、悠長な感想を抱いている暇はない。羽ばたいて逃げる千雨を、分身体が一斉に追いかけてくる。
(…?近右衛門本人は、追ってきていない?)
ふと耳を澄ませ、分身体の中にいる近右衛門本人を探そうとした千雨だったが、当の近右衛門はどうやらその場から一歩も動いていないようなのだ。
(妙だ…。私が中遠距離戦を得意としているのを知っておきながら、近距離に攻め込んで来ないだと…?だったら、この
今千雨に向かってきているのは、全て分身だ。まさかそんな人形もどきで倒せるとは露ほども考えてはいまい。だとすれあ、何らかの狙いがあっての行動のはずだ。
(だとすれば、倒されるための召喚。倒されると、アイツらは、どうなる…?)
スピードは分身体のほうが僅かに上だ。分身たちはカモメのように空を舞う千雨を逃がすまいと、上下左右から両手の平で包み込むかのようにじわじわと千雨を囲んでいく。
(水で出来た分身…という事は、やられた瞬間水を撒き散らす…?水を…撒き散らして…私を水浸しにして…)
刻一刻と包囲網が完成していく中、千雨は考えを巡らし、そして―――結論に至った。
千雨が突如飛ぶ方向を180°転回させる。すなわち、分身体の群れの真っ只中へと。先回りしていた分身体もその後を追い、千雨を完全に包囲した。
その瞬間―――
分身体の体が崩れ、水へと戻る。水球となって、千雨を包み込もうとする。
「―――――予想通り。」
押し寄せる津波のような水壁を前に、自身の予測が当たっていた事にほくそ笑む。その手はサックスと、冷たく凍りついた燕尾服に触れている。
千雨が読んだ近右衛門の狙いは、千雨を氷系の魔法で凍りつかせる事だ。
今分身体は、千雨を球状に覆おうとしている。かつてまき絵やアキラが閉じ込められたような水球に閉じ込められ、その外側から凍りつかされれば、後は呼吸困難まで一直線だ。内側から力ずくでぶち破る手も一応あるが、所詮は檻の内側だ。外に立つ近右衛門の魔手からは逃れ得ない。
(だけど気付ければ…こっちのモンだ!)
閉じ込められる前に、突き破る。脱出さえ出来れば何の問題も無い。
水飛沫が千雨の全身に飛び散る。水を吸った服が少し重く、冷たい。だが、これ以上濡れるつもりは無い。サックスを口に咥えて、空気の壁を作り出す。
―――――否。作り出そうとした。
千雨が突き破ろうとしていた水壁が、取り囲もうとしていた瀑布が、一斉に千雨を避けるように流れていく。
「え…?」
驚き、一瞬呆けてしまった千雨の周囲で、水が踊るように集まりながら形を為していく。それは千雨の予想した通り球形だったが―――千雨を覆い包む一つではなく、バランスボール程の大きさの数個の球だった。それが衛星のように千雨の周囲を漂っている。
だが、襲い掛かるでもなく、砕け散るでもなく、ただふよふよと浮いているだけだ。千雨の周囲を、付かず離れず、そして逃がさず。
「―――距離目測8.7メートル。軌道修正完了。
聞きなれた詠唱が近右衛門の口から漏れる。
この短い時間で大分見慣れてしまった眩い太陽が、近右衛門の掌の上―――ではなく、千雨の右方に。
「っ―――!?こんな近くに!?」
遅延魔法―――事前に詠唱しておいた呪文を、時間差で発動させる魔法。いつその地点を通ったか覚えてはいないが、地雷代わりに仕掛けておいたのだろう―――分身体に千雨を追いかけさせながら、少しずつその近くまで誘導して。
(この距離でも、何とか避けられる…!でも…!)
―――詰まる所、千雨の結論は間違っていたのだ。
近右衛門は千雨を凍らそうとは考えていない。千雨に“
そして先ほどの水分身も、水球を作って千雨を閉じ込めるのが目的ではなく、
近右衛門は千雨の燕尾服そのものが防御符代わりになっている事を見抜いていた。先ほどから魔法の射手“燃える天空”を何度も至近距離で炸裂させておきながら、その放射熱で身を焼かれる事は無かった。
近右衛門はその事実に何より警戒心を抱くと同時に、上手く利用出来ると考えたのだ。
別に魔法の射手“燃える天空”に拘る必要は無かったが、千雨自身の驕りと、かねてから考えていた“千雨封じ”の作戦と相性が良かったため、防御をすり抜けるという方向性で作戦を練っていたのだった。
(あのジジイの、本当の、狙いは―――――)
いくら防御性能に優れていようと、服の中を通る空気や水分まで防げる訳ではない。それは衣服として当然の機能。
そして服が凍ったり湿ったりするという事は、水分を吸うという事で―――――
(炸裂した時の熱で、服の吸った水分を、蒸発させて―――――!)
近右衛門の狙いは、千雨を凍らせる事ではなく。
千雨を、高温の水蒸気で
「―――燃え散れ、魔法界の天敵よ。」
太陽が―――炸裂する。
閃光が、轟音が、灼熱が。千雨の身を襲う。千雨の服の水分を、千雨の周囲の水球を、一瞬で煮沸し、蒸発させる。
「――――、――――――――!!」
千雨の湿った服が瞬時に乾かされ、出来立ての高温水蒸気が、服の内側から、直接千雨の皮膚を撫でる。周囲の水球も真っ白な水蒸気へと気化して、千雨の視界と全身を覆い尽くした。
千雨の口から漏れた絶叫が、逃げ場無き白い地獄を震わす。
濁りなき純白の世界はほんの一瞬の事だったが、それが終わった瞬間、千雨は殆ど意識を失いかけていた。
服やその袖、隙間からは、千雨の肌を焼き尽くした白い煙が、その役目を終えて線香のように立ち昇って風の中に消えていった。
途切れかかる意識の中、何とか繋ぎ合わせた思考の糸が導き出したのは、自分の身体の状態―――死因としては十分過ぎるレベルの全身火傷、という現実と、もう一つ。自身の喉の状態。
(…畜生、喉を、焼かれたッ…!)
太陽が破裂した瞬間、慌てて目と鼻と口を閉じた千雨だったが、突如水蒸気が蛇のように不自然にうねり、無理矢理千雨の唇の隙間から侵入してきたのだ。
後は最早語るまでも無い。身体の中に侵入した蒸気は、その温度が無害な物に下がりきるまで、千雨にとっての生命線―――呼吸器官を、内部から蹂躙し尽した。
「物体操作魔法―――――蒸気や空気のように、明確な姿が見えない物は操作しづらいのじゃが…。何とかなったようじゃの。」
「ひゅ………ッ、…!ふ……、あ゛、は…………!………!」
歯の裏側から喉の内側まですっかり焼け爛れてしまい、それによって呼吸がおかしくなったためか、声が上手く出ない。
だがそれ以上に、痛い。息を吸うことも、吐くことも、ささくれ立ったかのように痛い。呼吸する度に、唾液が滴る度に、猛獣の爪で引き裂かれたかのような痛みに晒される。口から漏れるひゅうひゅうと掠れた声は、焼き殺された皮膚と細胞の断末魔のようだった。
「そして―――――これでトドメじゃ。」
激痛に喘ぐあまり、近右衛門の接近にすら気付くのが遅れる。至近距離での戦いが苦手な千雨にとっては、絶望的な距離にまで。
(…ああ、認めてやるさクソジジイ。確かに私は、お前を、お前の技量を侮ってた。これは私の怠慢のツケだ。褒めてやるぜ。)
近右衛門の構えた剣が煌めく。それを目前にする千雨にとっては、この上も無く絶望的な輝きであり――――
(―――――けどまだ勝負はついちゃいねえんだよ!!)
声無き叫びを挙げて、焼け爛れた脚を動かし、剣を蹴り弾く。
“糸”は身体の、負傷の具合に関わらず、千雨の意志一つで好きなように動かせる。例え全身火傷であろうと、千雨の戦意が衰えていなければ問題は無い。
突きつけられた絶望の輝きは、千雨の
「何っ――――――!?」
近右衛門の驚きの声は、“糸”の存在を知らなかったが故に、千雨がまるで火傷などしていないかのような挙動をしたが故の物。
そこに更に、目の前で変形していくサックスへの驚きが加わり、視線も身体も固定される。
それは千雨の相棒たる
「うっ…おおおおおおおおおおおお!集束せよ“
この戦いが始まって以来、初めて近右衛門が焦りを露わにした。
両手で握っていた剣の柄から片方の手を離し、その人差し指を千雨に向ける。
「
近右衛門の指先から一条の光線が迸る。
千雨が機関銃の引き金を引く。
銃声が弾け、鮮血が舞った。
(アーティファクト解説そのA)
名称:“咎人の十字架”(ペカトーリス・クロース)
能力:高位の対魔法防御。
契約主:龍宮真名
解説:魔法攻撃に対して格段の防御能力を持つ、十字架型の石造りの盾。これを基点に防御結界を張る事も可能。…というか、それが本来の使い方。
千雨のこれは、千雨の二度の人生を象徴するかのような、二振りの十字架と二つを繋げる鎖という形状。
千雨の主な使用方法は、苦手とする近接戦闘用の殴打武器。すなわちハンマー。ちなみに重さは一つ100キロ前後。当然、“糸”による自己強化が無ければ使えない。また、サックスとの同時併用は不可能。
千雨にとっては唯一のまともな防具でもある。
また、千雨の持つアーティファクトの中で最も稀少性が高く、そもそも聖なる加護を施された魔法具であるため、千雨の使い方は非常に罰当たりと言える。
なお、真名と契約したのは、単にアルや千草と契約するのが嫌だったから。
(後書き代わりの一言)
前代未聞・最終決戦途中で喋れなくなる主人公。