「「ぐあっ…!!」」

 

 

 二人分の苦しげな呻きが重なり、同時に空中で姿勢を崩した。

 

 千雨の放った機関銃は、近右衛門の右脇腹から右膝までを疎らに撃ち抜いた。

 近右衛門の放った雷のレーザーは、千雨の左脇腹を貫通した。

 

 近右衛門のレーザーは千雨が引き金を引くより遅い発射だったが、着弾は千雨のそれより速かったため千雨の銃口が逸れ、近右衛門は胴体を蜂の巣にされるのを避けたのだった。

 

 

「………………チッ。」

 

 

 千雨は舌打ちをかましながら、重力に身を任せて落下していき、途中で一瞬だけ羽ばたいて、半分溶けた校舎の屋上に不時着した。

 

 

(…情けない悲鳴を出さなくて済むって点では、声が出ない事は幸いだな…。)

 

 

 撃ち抜かれた千雨の脇腹は、傷口がしっかりと灼けており、出血は一滴たりとも無い。有るのは更なる激痛と風穴を空気がすり抜ける感覚、肉が焼ける匂いだけだ。それが無駄に芳しいものだから、千雨としてはたまったものではない。

 

 

(…さて、まだ戦うことは出来るが…。本格的にどうするかな。散弾銃も使っ(バレ)ちまったし、もうそろそろ、アレ(・・)を使うべきか…?いや、にしてもやっぱり、魔力無尽蔵ってのが厄介過ぎるな…。)

 

 

 すでに喉の感覚は“糸”を使って断ち切ってある。

 これは全身に張り巡らし操作する“糸”の応用方法で、甚大な激痛を感覚ごと麻痺させる技だ。喉の負傷は演奏その物に悪影響を及ぼしてしまうため、麻痺させておくに越した事はない。

 とはいえ、さすがに火傷したとはいえ皮膚感覚まで断ち切る訳にはいかない。粗塩を塗り込まれたような痛みが、千雨の体力を容赦なく削っていく。

 

 止血を終えたのか、近右衛門の姿勢が元に戻った。すでにその視線は、校舎の屋上に座り込む千雨を捉えている。

 近右衛門に魔力切れが無い以上、ここから先はゴリ押ししてくるだろう。ただでさえ負傷度合いは千雨の方が上だ。5分と経たず追い詰められる事は目に見えている。

 

 

(…となると、私一人じゃもう逆転は無理だな。)

 

 

 当然勝利を諦めた訳ではない。サックスを構えて立ち上がって、遠い空中に浮かぶ近右衛門に中指を立てて見せる。それに呼応したかのように、近右衛門が空を翔けて来た。校舎まで五秒とかからなかった。

 

 

「…正直驚いたわい。全身に火傷を負っておきながら、それ程までに動けるとはのう。しかも喉も確実に潰したはずなのに、衰えること無きその戦意―――誠に天晴れじゃ。」

 

 

 近右衛門の嫌味ったらしくも本気で感心したような口調に、声を出せない千雨は戦意と殺意を込めた視線で睨み付けるだけだ。

 

 

「最早お主に勝ち目は無いとはいえ、侮るべき人間で無い事は先刻承知。現に、全身火傷であれ程動けるのじゃからのう。」

 

 

 近右衛門を中心に、魔力が渦巻いていく。

 溶岩か、業火か、雷撃か、吹雪か。魔力だけでは如何とも判別出来ないが、あの太陽の弾丸と遜色ない威力である事は間違いない。

 

 

「わしがやった事とはいえ、この初等部校舎はすでに廃墟同然。それ故、この廃墟ごと破壊出来る魔法で、お主を倒そう。」

 

 

 近右衛門の言葉は殆ど右から左へ聞き流している。聞く価値があるとも思えない。

 千雨は只管待っていた。いずれ訪れるはずの逆転のチャンスを。ただ一つの可能性を。

 

 

(まだか…まだなのか、近衛…!)

 

 

 近右衛門の魔力供給についての話を聞いた時から芽生えていたその機会(チャンス)を、千雨はずっと待ち続けていた。千雨にとっての、勝利の方程式を。待つ間にこれ程の大怪我を負ってしまったが、勝つための道筋はまだ全く途切れていない。

 

 集束していく魔力が、焼け焦げた千雨の肌をざわつかせる。

 この感覚は雷か、と直感を働かせた直後、頭上に黒雲が立ち込める。

 

 千雨が武器をサックスから十字架に変えた直後、近右衛門が空中に飛び上がった。

 

 

「さあ―――――喰らうがよい。 “千の雷”集束術式“万の雷”!!」

 

 

 そして黒雲が、吼えるように嘶き、そして―――――――

 

 

 

 

 ―――――ドクン。

 

 

 大地の波打つ鼓動が響いた。

 

 

 

 

「な、何が…!?」

 

 

 空中に浮かぶ近右衛門が、あからさまに狼狽する。

 それを見る千雨の表情は、正にしてやったりと言わんばかりの、会心の笑みだ。

 

 

「…お主、いやお主ら、一体何をした!?この学園都市全土に、何を仕込んだ…!?」

 

 

 近右衛門が恐れ戦くような声で問いかけたのを聞き、ますます喜悦に顔を歪める。

 もし喉が無事だったなら、自信満々にこう答えていただろう。

 

 

 

 

―――――自分は、単なる囮なのだ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――1ヶ月前、『別荘』内。千雨が目覚め、作戦概要を説明していた日のこと。

 

 

「―――とまぁ、7つの魔力溜まりを制圧し、世界樹の魔力の使用権限を手に入れる、ちゅうのが、今説明した作戦の大まかな内容やけど―――」

 

 

 

「ここまでは全部、本命の作戦のための陽動に過ぎひん。」

 

 

 

「世界樹の魔力を制御するための、都市全体を使った魔法陣。その管制システムを全て制圧することが、世界樹を我が物とするための最初にして最終の目標、そして最大効率たる定石。

―――――その、定石を引っ繰り返すのが、ウチの仕事や。この魔法陣を崩して、新しい魔法陣を構築する。」

 

 

 

「―――…あーもう、今から懇切丁寧に説明したるさかい、そうやいのやいの騒がんといて。ただ、それを説明する前に色々知っておいてもらいたい事あるさかい、少し長なりますえ?」

 

「ほんならまずは、理論説明からや。まずこの地図と、そして魔力溜まりの位置関係をざっと見回してウチが得た結論は、この魔法陣が完全に人為的な物である、っちゅう事や。この陣は自然にこの形になったモンやない。綺麗過ぎるしな。それに、六角形ちゅうのも違和感がある。」

 

「うん、西洋魔法使いやと、この違和感には勘付けれへんやろうな。アンタらにとって六角形や六芒星の形は馴染み深いモンやし。」

 

「ここに関わってくるのは、日本固有の魔道体系である陰陽道や。知らへん人間も多いやろから、少しこれに関しての簡単な説明を入れさせてもらう。」

 

「まずは陰陽についてやけど、簡単に説明すれば古代中国由来で日本に根付いた思想や。太極図ぐらいは見たことあるやろ。簡単に言えば森羅万象あらゆる物を陰と陽に分ける考え方なんやけど、これが意外と現代でもよう浸透しとってな。十二支とか風水とか、その他細々日常生活の中に紛れ込んどる。ま、それはええんやけど。」

 

「さて、ここで知っとかなならんのは、陰陽はすなわち天と地。陽の気たる天と陰の気たる地の二種に大別出来るっちゅう事や。そして日本に古来より根付く魔道、呪術の類は、天地万物に宿る八百万の神を謳い祈る巫術(シャーマニズム)が主やったさかい、この二つは綺麗に融合出来た。

そうして出来た新たな形の、日本固有の魔道を扱う者を、“陰陽師”と呼ぶようになった。それが、関西呪術協会の起源でもある。宮崎、アンタは関西の要職に就いとるねんから、これぐらい知っとらな話にならへんで?」

 

「―――ん、勉強熱心でいいことや。何ならウチが教えたるからしばらく下について―――…冗談に決まっとるやろ。どいつもこいつも過剰反応しんといて。続けるで?」

 

「さて、話を麻帆良に戻しまひょか。麻帆良は日本における西洋魔法の本拠地。その中央に聳え立つ世界樹は、その象徴。

 だがここで疑問が浮かぶ。その世界樹が根付く地面が、日本の―――陰陽を基調とした、全く異質な魔道が染み込んだ国土であった時、その影響を受けることなく、西洋風の六芒星形の魔力放出路を描く事が有り得るのか?1000年を経たその土地固有の魔道を無視するような魔法陣を?地に根ざし、魔力を流す世界樹が、天地を力の源とする陰陽を無視して、精霊魔法に制御されることが?」

 

「答えは、否。前例はなくとも、千年単位で国土に染みた魔道の影響力を考えれば、そんな事は有り得ないと断言出来る。故に、西洋魔法的な六芒星形の陣形を描く世界樹の魔力溜まりは、全て人為的に作られたものと推測出来る。陰陽と六の数字は、そこまで関連深くないしな。」

 

「おそらく麻帆良を作った人間が、世界樹の防御機構として作ったんやろ。魔力が流れる地脈を作り、同種族の若木を植えて、陣を形成。後々まで不自然に思われないよう、都市計画を策定。内部漏洩の可能性も考えて、代々学園長のみに伝えられる魔力溜まりの存在を設定。相当未来まで視野に入れた計画やったんやろ。」

 

「そこで、この元から存在する魔法陣を利用すると見せかけ、その陣を崩壊させて新たな魔法陣を構築し、利用する事。この際陰陽道を元にした八卦の陣―――言うても分からんか。平たく言えば八角形(・・・)の陣を描く。ああ、場所的に大きく変わるわけやあらへんから、安心しぃ。」

 

「具体的には、こう―――――広場、公園、高校、神社の左右4箇所のポイントは少しずつずらして、教会と丘の上下2箇所のそれぞれ左右に。見て分かると思うけど、正八角形や。うん、六角形より和風めいて見えたな。

 というわけで、この8箇所が本当の制圧箇所となる。まぁどれも手薄なトコばっかやからそんな難かしい事は無いと思うけど、実力ある人間が往くに越した事は無いやろ。せやから第一魔力溜まり制圧部隊(ビースト)、よろしゅう頼んますえ。」

 

「…で、元の6箇所についてやけど、ここに向かう人員は囮ちゅうことになる。各魔力溜まりに向かう機械兵管制部隊(パペットマスター)、教会に向かうアルビレオ、エヴァンジェリン、そして南の丘に向かう長谷川。出来るだけ教会に戦力を集中させたいところやけど…まぁ、その辺は後で話そか。」

 

「そして魔法陣の再構築は―――近衛嬢に頼む。」

 

「―――…騒がんといてくれますか、元護衛?説明しようにも出来ひん。

 魔法陣は世界樹前広場を中心点として、地脈という形で各魔力溜まりと繋がっている。この地脈を一時的に途絶えさせ、その間に新たな陣形で魔力を流し、それを固定させて新しい魔法陣とする。当然普通やったら出来る真似やあらへんねんけど、唯一それを行える人材が、都合よく存在する。」

 

「それが、近衛嬢。太古の鬼神をその身に宿す少女。今回の作戦の成否は、近衛嬢の双肩にかかっていると言っても過言やない。近衛嬢さえ無事に作戦を遂行出来たなら、長谷川が負けたかてウチらが勝てるくらいや。」

 

「魔法陣は世界樹前広場を中心点として、地脈という形で各魔力溜まりと繋がっている。この地脈を一時的に途絶えさせ、その間に新たな陣形で魔力を流し、それを固定させて新しい魔法陣とする。言葉にするだけなら誰でも出来るが、それ以上に世界樹の魔力の流れる地脈を一時的に制御するなんて真似、地脈の魔力量を遥かに上回る持ち主でないと出来ひん。それを十分も無い時間の中で行うとなれば、特にな。」

 

「せやから、一番効率の良い形にせなアカンねやけど…。そこはそれ、餅は餅屋、言うてな。専門集団の力が必要になる。」

 

 

 

「―――――そう、お察しの通り、関西呪術協会や。」

 

 

 

「陰陽の歴史は連中の歴史。八卦の陣を、より土地の魔力性質に適した形で、より効率の良い形で敷けるのは、アイツらしかおれへん。この国の土地と陰陽の繋がりを知り尽くしとるからな。関東が麻帆良に根付いて未だ百年かそこいら、この国に千年根付いた組織の知には敵わん。」

 

「今日から一ヶ月以内に、関西の術者たちに麻帆良の土地に適した陰陽魔法陣の原案を作成させる。近衛嬢には当日、その陣形を作ってもらう。作り方―――というか、魔力の流れの掴み方については、ウチが手取り足取り教えたる。近衛嬢には、長谷川と同じくらい苦労してもらうで?」

 

「当日の近衛嬢の護衛には、絡繰茶々丸に入ってもらおか。鬼神倒したその実力なら、十分守りきれるやろ。」

 

「ウチらの目的は、近衛近右衛門を倒すことやない。世界樹の魔力を使用する事や。上手く魔法使い共を引き付け、新たな魔法陣を築くことが出来れば、誰が負けてもウチらの勝ちや。」

 

「近衛を守り、魔法陣を作る。これがウチらの勝利条件で、世界をひっくり返すための必要条件。

 さぁ、ほんなら―――全部ブチ撒けに行こか。」

 

 

 

 

 

 

 ―――――そして、学園祭当日。世界樹前広場。

 

 

「―――こちら地脈制御部隊(クリムゾンネイル)。“ビースト”各員に通達。

 こちら第一段階終盤に突入。間もなく第二段階に移りますので、準備をお願いします。」

 

『―――“ビースト”了解。これより準備に移る。』

 

 

 無線機からの報告を聞きながら、茶々丸は広場中央で舞い続ける木乃香の周囲を警戒し続けていた。真っ先に駆けつけた魔法使いたちはすでに広場の外にまで吹き飛ばされ、襲撃は一段落してしばらく誰も来ていないものの、ここで侵入者の手によって木乃香の演舞が止まるような事があれば、泣くに泣けない。

 

 

「…にしても、凄まじい魔力のうねり…。まるで荒れ狂う海でも見ている気分ですね。」

 

 

 思わず金属質な自分の肌を擦りながら、木乃香の緩やかに踊るような足捌きを見つめる。

 勿論単なる踊りではなく、反閇という陰陽由来の歩法に、麻帆良や世界樹そのものの魔力性質を踏まえたアレンジを加えた舞踊だ。魔力の流れと踊り手の感覚を一体化し、操作するための舞だが、その踊り手は太古の鬼神。普通の人間なら数十時間踊り続けねば流れを知覚することすら出来ない所を、ものの数分で我が物としていた。

 

 

『―――こちら作戦本部(ブルーサマーズ)、聞こえるか?』

 

 

 無線機の奥から、千草の声が響いてきた。少し切迫したような様子が気にかかる。

 

 

「こちらクリムゾンネイル。聞こえていますが、どうか致しましたか?」

 

『ようやく南の丘方面との地脈の繋がりが薄れてきた。予定より結構時間喰ってもうたけど、そろそろ地脈を一斉に“引っ張る”事が出来そうや。近衛嬢の様子は?』

 

「少し表情に疲れが見られますが、舞そのものはしっかりしていま―――――」

 

 

 茶々丸の報告を、南方から響く爆音が遮った。先ほどから千雨の戦う初等部南の丘の方角から、大音量の爆発音と激しい閃光が何度も観測されている。

 

 

「…もっと大人しく戦えないものでしょうか。近衛さんが鍵ということは、彼女も重々承知しているでしょうに。」

 

『十中八九、近右衛門の仕業やけどな。湯水のように魔力を使とる。世界樹の予備防御システム、っちゅう所か。長谷川はともかく、近衛嬢の疲労は目に見えてる以上のモンやろな。』

 

 

 さらにその爆発に合わせて、魔力が南の丘の方角に大量に引っ張られていた。そのため、他の5箇所は存外あっさりと地脈を掴むことが出来たのだが、南の丘については、ネオジム磁石のようにきつくくっ付いており、なかなか引き剥がせないでいた。

 

 

(っ………!やっぱり、南の丘方面の地脈の接合力が強い…!家一軒、引っ張ってるみたいや…!)

 

 

 世界樹の地脈と同化するということは、その分だけ魔力知覚感覚を広げるということであり、今木乃香は、蜘蛛が張った巣の糸の微弱な震えすら感じ取るように、麻帆良中の魔力の流れをその全身で感じ取っていた。

木乃香にとっての精神的疲労は半端なものではない。6本の釣竿を一度に操るようなものだ。

そして引き寄せるのも一斉でなくてはならない。魔法陣の崩壊は、特に近右衛門には、容易く勘付かれてしまう。引くときは一度でなければ、即座に気付かれて、千雨との戦いを放り出して食い止めに来るだろう。

 

 

「…とはいえ、そう心配する事でもないかと。すでに綱は握っているのでしょう?ならば後は引っ張るだけ。精神的な戦いだと言うのなら、近衛さんに―――我等がクラスに、敗北は有り得ません。」

 

 

 茶々丸が自信ありげにそう口にした瞬間、その言葉がそのまま激励となったのか、舞が激しさを増し、波打つ魔力がその濃さを増した。

 

 

(そうや…!ここでっ…!ウチが負ける訳にはいかへんねん…!負けて、たまるかぁっ…!)

 

 

 再度、爆発音。そして南の丘に引っ張られる感覚。

 しかし木乃香は全く動じない。近右衛門に気取られないよう、慎重に地脈に自身の意志を染み込ませて行く。引く側と引かれる側が完全に逆転し、木乃香が綱引きの主導権を握った。

 

 

『―――よし、地脈鎮静化及び近衛木乃香の魔力浸透確認!そろそろいけるで!“ビースト”、対ショック体勢!そして“釘打ち”用意!“クリムゾンネイル”、第一段階終了カウント開始!』

 

 

 茶々丸が千草の指示と同時に、指先に青い光を点して木乃香に知らせる。木乃香が即座に反応し、事前に茶々丸に教えていたラストステップに入る。

 

 

「“クリムゾンネイル”、第一段階終了まで、5、4、3―――」

 

 

 茶々丸のカウントが始まると同時に、作戦本部や“ビースト”の緊張が無線の向こうから伝わってきた。

 

 

「2、1―――――第一、終了!」

 

 

 木乃香の舞が止まる。茶々丸の声が無線を通じて伝わる。

 

 ―――そして。麻帆良全体が、ドクン、と大きく鼓動を打つ。

 

 

 

 

 

 

「―――来た!」

 

 

 フィアテル・アム・ゼー広場近くの街路樹の脇で、楓は歓声を挙げたいのをグッと堪え、ただ小さくガッツポーズするだけに留めながら、半分地面に突き刺さった真っ赤な杭に手をそえた。

 

 この杭は鬼神の―――すなわち木乃香の腕を素に作られた、陰陽術式魔法陣構築補助装置―――すなわち、魔法陣を築く上で鬼神(このか)が魔力を流すべき方向を示すための目印だ。これがあると無いとでは、魔法陣を構築する速度が圧倒的に違う。

 それを、第二段階開始と同時に、8個同時に定点に打ち込むのが、“ビースト”の本当の任務だ。

 

 

『地脈断絶、確認!第二段階用意!』

 

 

 否応なく緊張が高まる。大きく息を吐き出し、無線から聞こえる声に集中する。その一方で、周囲の索敵も怠っていない。その程度のことが出来ずして、長谷川千雨の弟子だと名乗れはしない。それに誇りを持っているからこそ、ここで失態を見せるわけにはいかない。

 

 

『“ビースト”準備完了(スタンバイ)。第二段階用意。』

 

『“クリムゾンネイル”了解。“釘打ち”用意。第二段階開始カウント5秒前。4、3―――――』

 

 

 杭の上部に乗せた手に少しだけ力を込める。

 先ほどまで聞こえていた爆発音は、今は聞こえない。千雨の激しい戦いは、目に見えずとも心で理解している。『別荘』での2年間の特訓も、これまでの戦いで流した血も、涙も、その全てを楓は心に刻んできた。

 

 

「2、1―――――」

 

 

 両腕に力を溜める。

 自分は、千雨に頼られ、この戦いに身を委ねた。成り行きは兎も角、クラスメイトのために戦う彼女に、誰よりも強く、誰よりも孤独であろうとした彼女に、力になってほしいと頭を下げられた。

 

 その日、胸に抱いた思いを。誇りを。

 果たす時は今ここに。今この杭に。

 

 刃の下の、心のために。

 

 

 

「――――――GO!」

 

 

 

 茶々丸の声が無線から響く。

 腕に溜め込んだ力を、全て目の前の杭に叩きつけ、地面に押し込んだ。

 

 そして、一拍遅れて、電流のような魔力が世界樹の方角から地面を伝って、杭に辿り着く。

 杭は一瞬その真紅の体を小さく震わせた後、数本の魔力線を走らせ、他の杭と繋がっていき、魔法陣を構築していく。

 

 

 

 

 

 

『―――――よし、全魔力線接続確認、陰陽魔法陣構築確認!第二段階成功!』

 

 

 無線から千草の声が、そしてその後ろで歓喜する超とハカセの声が聞こえる。

 茶々丸は無線を持っていない木乃香に、サムズアップで成功を伝えた。未だ舞を続ける木乃香だが、その意味を察して少しニヒルな笑みを浮かべると同時に、その眦に薄っすらと涙を浮かべた。

 

 

「『それでは―――――最終段階!」』

 

 

 千草と茶々丸が声を挙げたのは同時だった。

 茶々丸が広場の中央―――木乃香が舞い続けるその場所に駆け寄る。

 

 

武装召喚(エウォコー・ウォース)、14番!」

 

 

 茶々丸の手に現れたのは真紅の杭。ただし、楓たちのそれより3倍は大きい。それを担いだまま速度を緩めることなく、木乃香のもとへ向かっていく。

 

 

「最終段階―――杭を打ち込み、新たに出来た魔法陣を固定(・・)する!」

 

 

 木乃香がその場で大きく跳躍した。そして、がら空きになったその地点に、茶々丸が真紅の杭を勢いよく突き立てる。

 

 そして、木乃香が杭の上に着地する。

 

 

「これで―――終いや!!」

 

 

 杭の上で一歩、二歩、三歩。

 全身全霊の力を込めた、力強い、かつ鬼神の魔力を込めた神聖な足踏みで、杭を押し込み、固定した。

 

 杭の上で舞が終わり、それを見届けて茶々丸が無線を飛ばした。

 

 

「“クリムゾンネイル”より―――最終段階、終了。」

 

 

 そして、無線の奥から、千草の声が呼応してきた。

 

 

『最終段階終了、及び成功、確認―――ブルーサマーズより全部隊、全作戦隊員に通達。

 陰陽魔法陣構築完了。作戦は、成功した。』

 

 

 

 

 

 

「これ、は―――――」

 

 

 近右衛門が愕然とした面持ちと声で、世界樹の方角を見つめる。

 何が起こったのか、何をされたのか、近右衛門は即座に悟った。

 だからこそ、信じられない。こんな短時間で出来る事でもないし、考え付いても出来ることではない。思考は瞬く間に混乱の渦に叩き込まれ、夢か現かの区別も付かなくなってしまいそうになっていた。

 

 

「っ――――――――!?何処に行った!?」

 

 

 しかし、千雨が忽然と姿を消していることに気付き、現実に意識を戻す。尤も、思考は未だに混乱の極致だ。息は荒く、体中に脂汗がじんわりと滲んできている。

 

 

(また、目の届かない領域からの、衝撃波攻撃…!不味い、何処を狙ってくる…!?防御は…駄目だ、魔力のバックアップが無くなった以上、衝撃波を防げるほどの防御壁を作る魔力は―――――)

 

 

 戸惑いながらも魔力による広範囲索敵をかけ、必死に千雨の姿を探す。

 

 だが―――その索敵の結果に辿り着くより速く、真後ろから濃密な殺気を感じた。

 

 

(しまった、無音化演奏を行いながらの、死角を伝った高速移動―――――!!)

 

 

 まるで皮一枚下が丸ごと南極の海水に変わってしまったかのような、強烈で酷薄な冷たさが、近右衛門の全身を伝う。

背後を取られたという致命的な失態に、この日初めて、近右衛門は自身の死を予感した。

 

 

「馬鹿なっ…!このわしが…!こんな、こん―――――」

 

 

 放たれた衝撃波は、機関銃によって抉られた脇腹をさらに細かく、ずたずたの挽肉(ミンチ)にして、空中に撒き散らす。

 あまりの激痛に悲鳴すら出せず、空中でもんどり打つ。臓腑からせり上がってきた血が一気に口から溢れ出し、鼻からも滴り落ちた。

 

 

「おのれっ…!小童共がぁっ!!舐めるなぁーーーーーーっっ!!」

 

 

 裂帛の気合を込めた絶叫と共に、近右衛門が抉られた脇腹に手を当て、炎で焼いた。

 真っ赤な蒸気が肉が焦げる匂いと共に立ち上り、同時に地獄の責め苦もかくやという激痛が神経を切り裂くように奔り、意識だけでなく正気すらも粉々に砕けてしまいそうになる。

 近右衛門が一瞬の硬直を余儀なくされる。その隙を狙い、追撃の衝撃波が放たれる。

 

 

「舐めるなと、言っておろうが…!風花・風障壁(フランス・バリエース・アエリアーリス)!」

 

 

 千雨が作るそれよりもさらに分厚い風の障壁が、衝撃波の威力を和らげる。

 その風の層の中を突っ切って、近右衛門が剣を振りかぶりながら千雨に突進してきた。千雨は慌てず騒がず、サックスを十字架に持ち替えて、剣の一撃を受け止める。怪我のせいか、それまでよりも一撃の重さが軽く感じられた。

 

 

(…にしても、喋れないってのは存外辛いもんだな。)

 

 

 試しに喉から声を出してみるが、亡者か死にかけの獣の呻きのような音しか出てこない。焼け爛れた喉の方も、神経を遮断しているので痛みは無く、声帯も無事だが、サックスを吹くような激しい呼吸動作は傷口を拡げる一方だろう。脇腹の風穴も気になるし、全身火傷がどうにかなった訳でもない。

 さらに、たった今撃った衝撃波も、かなり威力が減衰されているのが分かった。あの程度の風の防壁を破壊出来ないなど、千雨としては言語道断だ。

 

 

「他所事を考えておる暇が、あると思うか…!」

 

 

 隙あり、と言わんばかりに千雨を剣閃が襲う。それも一閃だけではなく、十数条もの斬撃が、同時と見紛う程の速度で、千雨を囲い込むようにして、迫っているのだ。

 

 しかし千雨はまるで慌てた様子もなく、両手の十字架をヌンチャクのように振り回して、あっさりと全て迎撃してみせた。

 

 

(コイツは、ウチの屋台を狙ってくれた分―――――!!)

 

 

 さらに、剣を握る近右衛門の手首を握り返し、動きを封じた上で、もう片方の手で思いっきり近右衛門の頬をぶん殴った。

 

 

「ごふっ――――――!?」

 

 

 空気と血と歯を撒き散らしながら、空中で錐揉みしながら吹き飛ばされる。

 麻帆良の魔法陣が再構築され、完全に超たちの手中に納まってしまった事、世界樹からの魔力供給という必勝の方程式が瓦解させられた事、魔力供給が途絶えた事で、“魔法の射手・燃える天空”のような大威力の魔法が自由に放てなくなってしまった事、千雨との趨勢が拮抗状態になってしまった事。それらの揺るぎようの無い、近右衛門にとって不利にしかならない事実の数々が、近右衛門を焦らせ、剣筋を鈍らせていた。

 

 千雨にとっては、間違いなく最大の好機だ。畳み掛けるのならば、今しかない。

 

 

(行くぜ、最後のアーティファクト―――――――!)

 

 

 千雨の周囲で空気と魔力が渦を巻く。その渦の中から、清澄な歌声が響いてきた。

 近右衛門が注視する中、その渦が次第に人型へと形を歪めていく。

 

 

(さぁ、演奏(ギグ)の時間だぜ、私の専用楽団(バックグラウンド・ヴォーカルズ)―――――)

 

 

 渦巻く風が消え、そこから現れたのは―――――妖精。

 胴体に五線譜と音符が描かれ、白黒で全身を塗り分けられた、まるで楽譜のような7体の小さな妖精たち。

 

 

(―――――“妖精合唱団(ショアーラ・メディオクリーザ)”)

 

 

 

 

 

 

 

 

(アーティファクト解説そのB)

名称:“白紙の切符『狂信の糸』”(テッセラ・ペルプレクソール『フォルティトゥード・ファナティーズモ』)

能力:自分が過去に見た事のある道具を召喚。以後、その召喚された物がアーティファクトとして固定される。

 “狂信の糸”:擬似神経繊維。魔力による身体能力強化のオマケ付き。

契約主:ザジ・レイニーデイ

説明:レガート・ブルーサマーズが使用していた武器。

レガートはこの極細の繊維を敵や他者に刺し込んで自在に操る卓越した技術を持っているが、千雨はそこまでの技術を持ち合わせている訳ではない。

代わりに、最初からこの擬似神経繊維を自分の体内に展開させる事で、筋力、反射能力等の基礎身体能力を爆発的に増大させている。

“糸”使用時の腕力はおよそ250キロ。気を用いている楓と同じくらい。(作中最高は鬼神モードの木乃香で、5トン超。ちなみに近右衛門は500キロ弱。)

千雨はほぼ常時このアーティファクトを展開しており、その維持に少ない魔力のほぼ全てを費やしているため、普通の魔法は全く使えない。

 

 

 

 

(一言後書き)

そろそろ忘れてる人も多いかと思いますが、この作品の長谷川千雨は、TRIGUNのミッドバレイ・ザ・ホーンフリークの転生体です。

 

押して頂けると作者の励みになりますm(__)m


<<前話 目次 次話>>

作品を投稿する感想掲示板トップページに戻る

Copyright(c)2004 SILUFENIA All rights reserved.