ガリアに対し発動した「雪崩」作戦。
同作戦中に別の戦場でルイズが負傷し、退役することになってしまった。
橋頭堡を確保する間に、ティファニアを含め多くの住人を守ることができなかった。
また、サイトが対峙していた敵軍にかつての学友、タバサがいたことも大きな衝撃であった。
それだけではない。
挙句の果てには、サイトが前線で確保し続けた橋頭堡も崩され、トリステイン軍はガリアとの国境線上まで後退を余儀なくされた。
作戦は結果として失敗したことに加え、百万人を越える戦死傷者を出した。
戦力を各戦線に分散配置したことが招いた悲劇と言うべきであった。
加えて、いたずらに兵員を補充したことが失敗の要因としてあげられる。
現在の苦境は、この作戦が失敗したことに他ならない。
そして何より、サイトは戦死者の数を聞き慟哭した。
ルイズが死ななかったことは救いであるが、それでも後遺症は免れない。
さらに国を守るために、これほど多くの犠牲を払いつつも未だに終わらぬ戦乱をサイトは嘆いた。




サイトにとり、ルイズはとても大切な女性である。
そのルイズが酷い怪我を負ったことで、サイトは自分の考えが揺らいでしまった。
本当に、王室への忠誠が自分の戦う意味であったのか、と。
ティファニアは自分の失態で死んだ。
タバサは自分の手で国に仇なす者として殺した。
部下にさえ、国家への忠誠を押し付け死なせてきた。
全て、それは国のためだと嘘をつき、自分の行動を正当化しようとしていただけではないか。
サイトはもはや、戦う意味を見出せずにいた。
それを見かねたマティアス中佐はサイトに対して、ルイズに会いに行ってくるように取り計らった。
サイトはガリアから帰還して後すぐに、オルニールに発つはずであったので王都滞在期間は二日しかなかった。
その2日もほとんど軍務で潰れるはずであったが、中佐がほとんど引き受けてくれたのでなんとか時間ができたのだ。
おかげでサイトは、戦傷で入院していたルイズに会うことができたのである。




ベッドに横たわるルイズの姿は痛ましかった。
全身を包帯で覆われていた。
それでもサイトの気配に気付いたのか、ルイズは目を開けた。

「来たのね」

顔だけ、サイトの方に向ける。

「ええ、私は貴女の使い魔ですから」

そう言い、静かにベッドの横に座った。
そしてルイズの左手を、両手で包むように握った。
そのぬくもりに触れただけで、サイトは泣きそうになってしまった。

「私の責任です」

必死に泣くことをこらえ、サイトは言葉を紡いだ。

「どうしてそうなるのかしら」
「私がもっと、敵の兵力を漸減していれば貴女の方面に敵が流れ込むことはなかった」
「結果論ね、それは」
「しかし」
「サイト」

怪我をしている人間とは思えない凛とした声だった。
サイトは思わず押し黙る。

「あんた、私に泣き言を伝えるために来たのかしら? ならさっさとここから立ち去りなさい、目障りよ」
「な、なぜそのようなことを……!」

一層サイトの顔に悲壮感が増す。

「今のサイトの顔、惨めよ。いい顔が台無しじゃない。そんな顔で私を見ないで欲しい。……貴方には、いつだって笑っていて欲しいのよ」

こんな時だからこそね、とルイズは小さな声で続けた。

「でも……」
「“でも”じゃない。去りたくないならせめてその情けない顔を何とかしなさい。それから、何か他に言いたいことがあるなら話しなさい。幸い、私は入院中で退屈中。良い暇つぶしになるわ」

言い方は冷たい。
しかしそれがルイズなりの思いやりである。
それを感じ取ったサイトは「分かりました」と言って顔を洗いに席を立った。

「世話の焼ける使い魔ね……」

ルイズは嘆息した。




さて、サイトは病室に戻ってきてから簡潔に今までのことを話した。
ルイズはサイトが止めようとしたのを無視し、あえて上体を起こして聞くことにした。
そして、サイトが話し終えるまでただじっと聞いていた。
全てを話し終えると、つかの間沈黙が流れる。
その沈黙をルイズが破った。

「タバサが死んだのね」
「ええ、この手で」

タバサは良い同期生であった。
軍学では及ばなかったが、ルイズに比べて魔法が優れていた。
無口であるが決して無愛想と言うわけでなく優しき子でもあったが。

「最後に彼女は何と?」
「『すまなかった』。そして『ありがとう』と」
「そう、彼女らしいわ」

これはルイズを含めわずか数人だけが知っていることだが、タバサはガリアにおいて複雑な立場に置かれていた。
ガリア王国、王位継承権を持ちながらもトリステインに留学していたことから分かる通り、邪魔な存在として厄介払いされていたのだ。
そのタバサも両国の関係悪化に伴い帰国、ガリアの将軍の1人として参戦していた。
聞けばタバサも、多くの同期生をその手で殺したそうだ。
だから「すまなかった」と言ったのだろう。
しかし戦争であったからそれは仕方なく、殺された誰もタバサのことを恨むまいとは思っていた。

「タバサは、自由になったのね」

一足先に旅だった、それだけのことだ。
そして彼女は死ぬことで全ての呪縛から解き放たれたのだろう。
だから最後に、サイトへ「ありがとう」と言ったに違いない。

「自由」
「そう、自由よ。誰にも縛られない。本来ならば、誰もが有する権利」

ルイズが理想とする、言葉だ。
その自由が、トリステインにはない。
ルイズはトリステインがより豊かになれば、いつしか皆が自由を持つことができると信じていた。
そのためにも負けるわけにはいかなかったのに……。
忸怩たる思いがルイズの心中では渦巻いていた。

「ルイズ。貴女は、自由に憧れていたのですね」

見透かしたように、サイトは言った。

「そう、ね。私が結局、国のため、女王のためと叫んでいたのも、皆が自由になれると思えばこそだった」
「同じです、私も」
「貴方も自由を?」
「いえ、そちらではなく。私も、ただ王室を守ることが国を、人を守ることだと盲信し戦ってきました。それが間違いであったとは言いません。しかし、正しい答えではないとも思えたのです」
「サイトも私と同じように悩んだのね」
「はい」
「でも悩むだけ無駄よ」
「は……」
「正しい答えなんてこの世には存在しないわ。だからこそ、誰か、何かを依り代に人は戦うのではないかしら」
「そう、ですね」
「だからサイト、貴方は自分が正しいと思うことを実行なさい。それでたとえ傷つき、倒れようとしても、必ず貴方を支えてくれる人はいるのだから」
「そんな人が――」

いるのだろうか、という言葉をサイトは飲み込んだ。
眼前にはサイトが敬愛してやまない女性の、真摯な眼差しがあったからだ。

「何か?」
「いえ、なんでも。ただ私は、ルイズに教えられました」
「ならもう迷いはもうないわね」
「はい。私は迷いません」
「ふん、ようやくいつものようになったわね。それでこそ、私の使い魔よ」
「はい、私はいつまでも貴女の使い魔です」

たとえ死に別れようとも。
サイトはこの時に改めて決意した。
ルイズが望む世界のために、トリステインを守ろうと。
皆が自由に暮らせるような国を目指そうと。




思えばルイズと会い、決意を改めたあの日からそこまで日数は経っていなかった。
サイトの戦いは、ルイズの理想を、守るための戦い。

「全てルイズのために」

声は不思議と自室で響いた。
考えれば、サイトが戦う理由も1人の女性の願いを叶えるためである。
そして今までならば、サイトはこの理由を否定したに違いない。
しかしルイズに話したことにより、何か肩の重荷が外れたのである。
故に今、サイトの戦う理由は『ルイズの理想を掲げるために、トリステインを守る』となった。
もう少し加えて言うならば、トリステインが失われればルイズの地位も財産も全て失われる。
そんなことを許すわけにはいかないのである。
ましてルイズだけではなく、トリステインの国民全てが戦争に負けてしまえばガリアに隷属することになる。
それこそ、ルイズの理想たる『自由』が失われることと同義だ。
なればこそ、戦争に負けるわけにはいかない。
また、ルイズが『誰か、何かを依り代に人は戦う』と言ったことを思い出し、イグナイトを己の考えで縛るべきではないと思えた。
偽らざる心境を吐露すれば、サイトはイグナイトを戦場に立たせたくない。
その為にもイグナイト等、子供の代になる前に戦争を終わらせなければなるまい。
左手を掲げる。
その手の甲に刻まれた不可思議な文様を見て、サイトは自嘲めいた薄笑いを浮かべた。
たとえ強大な力があっても1人で戦争の帰趨を決められるわけがないのだ。
そして、自分の考えは善意の押し付けだ、と思えた。




気分転換に出た外の空気は冷たかった。
この調子だと、明日は雪かもしれない。
営舎の近くにも多数の難民用の家屋がある。
そこでせわしなく動いているイグナイトを見かけた。
思わず話しかけようと思ったが、ためらって口にすることができなかった。
するとサイトの存在に気づいて、イグナイトが駆け寄ってきた。

「閣下。なぜこのような場所へ?」

以前に比べ、明るい声になったと、感じた。
同時に、言いようのない違和感を覚えた。

「イグナイト。私も今日の午後は休暇なんだ」
「そうですか」
「つまり、少なくとも今の私は閣下ではない」
「はい?」

イグナイトは何が何やら、と言った感じだ。

「何と言うか、君や、他の子供達に閣下と呼ばれるのは嫌なのだ。だからサイト、と呼んでくれて構わない」
「しかし、閣下は年長者です」
「サイト、な。呼びづらいならば他の言葉でも構わないが」
「では、サイト兄様と呼ばせて頂きます」
「待て、それは色々と語弊がある。もう一歩譲って『兄さん』にしてくれ」

危ない性癖は、特にサイトにはないが。
割と昔から「兄」と呼ばれているので、そのほうがいいと思ったのだ。

「分かりました、サイト兄さん」
「うん、それでいい」

少しこそばゆいが、後は慣れの問題であろう。

「ここでの生活には慣れたか?」
「はい。少し寒いところを除けば、前よりよっぽどいい生活をさせてもらっています」
「子供達は元気か」
「元気が有り余っているくらいです。皆、ここを気に入っています」
「嬉しいな、それは」

北の地はすでに、サイトにとって第二の故郷だ。
そこを気に入ってもらえて、悪い気はしない。
ただ、今話す機会を得たのだ、何とかサイトはイグナイトに午前のことを確認したかった。

「その――」

言葉に詰まる。
だが、何とか言葉を吐き出す。

「今日の午前の調練を、君は見ていたそうだな」
「はい」
「何故だ?」
「強くなりたいからです」
「強く?」
「はい、強く」
「それは、復讐のためか」
「は?」

イグナイトは間の抜けた返事をした。
それだけ、サイトの発言が突拍子もないのだが、比して問うた内容は苛烈である。
だがイグナイトはすぐさま気を取り直すと、かすかに首を横に振った。

「復讐のためではありません。私は、ただ私が守りたいと思う人を守れるようになりたいのです」
「守りたいもの」

それはティファニアではなかったのか、とは言えなかった。
サイトには呵責があったからだ。
サイトの面持ちがこわばったのを見て、イグナイトは微笑んだ。

「私は今、幼い弟、妹を守れるようになりたいのです。他にも、ここに住んでいる人を守れるような人に、私はなりたい」

それはイグナイトにとって全てだった。
不幸を背負った身でありながらも、ずっと一緒に生きてきた子供達。
そして、今このオルニールでイグナイト達を受け入れてくれた北の民。
彼らが居て、イグナイトはイグナイトとして生きられる。
だから生きる意味である、彼らを守るため強くなると願った。
当然のことだと、サイトは思った。
だが、その当然のことを素直に口にできるイグナイトを羨望した。
いつしか自分は、愚直に誰かを守ることを忘れていたのだ、と。
同時に、国を、国家の安寧を願いさえすれば民は幸せになれると考えていた自分の浅ましさを恥じた。
目の前に立つイグナイトは、遠い日、ルイズを守ると誓ったサイトの姿と重ねて見ることができた。

「……皆を守ると言うのは大変だ」

辛うじてサイトが口にできた言葉だった。

「はい、分かっています。だから、少しでも強くなれるように早く訓練をしたい」
「……それならば、君ももう少し大きくなったら調練を始めないとな。身体がまだ完成していないのに鍛えても、意味がない。だが、その前にやることは沢山ある」
「それは何でしょうか?」
「人と触れ合い、認め合うこと。幸いにして、君には通じ合っている弟や妹がいる。大切な人だ、絶対に離れてはならない」
「はい」
「……良い返事だ」

サイトはイグナイトの肩を掴んだ。
そして同じ目線までしゃがんだ。

「後は君が道を違えぬことだ、イグナイト。その為には能く学び、家族や友を大切にし、公正であることを忘れてはならない。決して武のみが、世を変える力ではない。徳を持って世が導かれること、それが最上だ。だから絶対に、私のようにはなってくれるなよ。ただ武のみしか頼ることの出来ぬ、無様なこの私に」

イグナイトを諭すように言ったが、実際は自分に言い聞かせていた。
肩を離し、立ち上がるとサイトはイグナイトに背を向け営舎へと足を向けた。
先の発言が偽らざるものであるのは明白だ。
だから、イグナイトには自分のように道から外れてほしくない。
そう願わずにはいられないサイトであった。




無様なこの私に。
そう言ってサイトはイグナイトの目の前から去った。
残されたイグナイトはサイトが見えなくなるまで、ずっとその場にいた。
イグナイトが調練を見たのは、確かに強くなるためである。
しかし、それだけで調練を見物したのではない。
真の目的はサイトを見ることだった。
イグナイトは過去に、ティファニアの口からサイトについて色々と聞かされていた。
ティファニアとサイトの出会い、暴漢に襲われたのを助けられたとか、時には一緒に近くの泉に行ったこと(子供達も一緒だったが)など、楽しそうに口にしていた姿を、イグナイトは今も鮮明に覚えている。
イグナイトは最初サイトが好きではなく、むしろ嫌いであった。
ティファニアを取られた気分になったのだ。
だからこそティファニアが死んだ時、イグナイトは深い悲しみと共に、サイトに深い憎悪を覚えた。
そんな気持ちを知らずにか、サイトは敵味方問わず遺体を埋葬するなど、イグナイトにとって怒りを募らせる行動ばかり取っていた。
特に敵の将軍(若い女性だった)の遺体を敵に返還した時に、イグナイトの怒りは頂点に達した。
それでも、イグナイトは怒り以上にティファニアを失ったことが悲しく、立ち上がることはできなかった。




暫くして、サイトがトリステイン領内に帰還することになり、ガリア領民も希望するならば一緒に連れて行くとの命を出した。
イグナイト含め、ティファニアに面倒を見てもらっていた多くの子供もトリステインへ行くことになった。
子供達は皆、ティファニアが死んで頼れる人などいなかったから、ガリアに残ってもしかたなかった。
それに、身寄りのないイグナイト達の世話を申し出てくれた将官がいた。
その将官は、サイトの副官をしていると言った。
そこで、色々とサイトのことに関する話を聞いた。
決してイグナイトが求めて聞いたのではなく、まわりの子供達がその将官にしつこくお願いをしたから、話を聞くことになったのだが。
ただ、イグナイトは話を聞くたびにサイトのことを色々と知り、いつの間にか彼に対する怒りがなくなっていた。
サイトは一所の英雄とは違う、それが話の端々から感じ取れた。
彼もまた、自分と同じく悩み、苦しんでいた。
いつも見せているすました顔の裏に、多くの同胞の死と、また奪ってきた人命を悼む心があった。
ティファニアが死んだ時も、決してサイトは泣かなかったが、それは彼の立場が泣くことを許さなかったから。
敵味方問わず遺体を埋葬し、敵の将軍の亡骸を返還したのも、ともすれば殺したことへの罪の意識が、サイトにそうさせたのかもしれない。
それほどまでに苦しみながら、でもサイトはひたむきに戦う。
いつしか、ティファニアが言っていたサイトの持つ強さの意味がこの時、イグナイトには分かった気がした。
それに比べて、自分はちっぽけで無力だと、イグナイトは思った。


自分のせいでティファニアは死んだ。
結局、その考えから抜け出すことができたのも、サイトの一言があったから。
不器用ながらも、何とか自分を励ましてくれた。
そして貰った新たな名、『イグナイト』。
奥底で燻っていた思いが、この時まさに着火し燃えた。
そして、イグナイトは思う。
サイトのように、強い人になりたいと。
彼の言う、徳がなんなのかまだわからない。
けれどいつか、分かるような人間になりたい、そう思わずにはいられなかった。



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