王都へ進発する日、北の地では珍しく快晴となった。
青空の下、サイトは何とも言えない表情で全兵員の前で訓示をした。
その姿を見て、古くからサイトを知る者達は苦笑いをした。
彼らは、サイトがこういうことが苦手なのを知っている。
ともかく、訓示の中でサイトは自軍を『才家軍』と称することを話し、また自由のために戦う旨を訴えた。
そして、多くはない北の地の人々に見送られ、『才家軍』は王都に向けて進発した。
見送りの人々の中に、子供達の顔を見られてサイトは安心した。
それから3日の後、王都にたどり着いたのである。
王都に到着した後、すぐにサイトは軍令部に出頭することになった。
今回、北の地への食料供給に便宜を図ってくれた人物に会うのだ。
赤レンガでできた美しい建物。
その内部に軍令部と近衛隊の本部がある。
その赤い色を、内外の知識人は「人々の血によって紅くなった」と揶揄している。
理由は簡単で、近衛隊という組織がもっぱらトリステイン国内の反乱鎮圧だけをしていたからである。
そして、今次戦争でも近衛隊は反乱分子の鎮圧のみをしている。
まして、本来は王家を守護する要であるから人員も30万人と、地方軍管区の中核部隊に匹敵する数を有している。
それが全部内地に対して目を光らせているのだから、これだけ敗北が続いている戦争でも、反乱で止むことはないのである。
ただ、サイトが会う人物の名誉のために言っておくが、その人は決して軍令部と、近衛隊の有り様を正しいとは思っていない、良識のある人間である。
サイトは今、その人がいる部屋の前に立っていた。
ノックをすると「入れ」と凛とした声が聞こえた。
「サイト・ヒラガ中将、只今到着致しました」
部屋に入り、丁寧に敬礼をする。
中にいる人物、アニエス・シュバリエ・ド・ミラン近衛隊中将も敬礼した。
「よく来てくれた。長旅、ご苦労だったな」
「いえ」
「まあ取り敢えず、座ってくれ」
「はい」
サイトはあらかじめ用意されていた椅子に座った。
「この度は、オルニール領における食料の件でご助力いただき、感謝しています」
「ああ、そのことなら気にしなくていい。と言うより、階級は同じなんだ、もう少し普通に話しても」
「アニエス中将は近衛隊所属ではありませんか。階級が同じとはいえ、地方の一将官の私とは違います」
トリステイン軍内では、近衛隊に所属する者は地方に配属されている者達と同じ階級であっても、同等ではない。
近衛隊所属将官は地方軍将官と同列階級だとして、扱いは1つ階級上となる。
だから、サイトにとってアニエスは地方軍の大将と同じである。
「私は、そういうのは嫌いなんだがね。と言うか、君の主人もこう言うのは嫌いだったはずだが」
「軍には規律があります。みだりにするわけにはいきません」
「はあ……頑固なところだけ、主人似か」
「それは、使い魔ですから」
サイトにしては珍しく、笑って答えた。
ルイズと同じと言われ、嬉しかったのだ。
「やれやれ。それで、ガリアの難民の様子はどうかね」
「皆、北の民と良くやっています」
「そうか。やはり、難民の扱いを君に一任したのは正解だったな」
アニエスの越えには安堵が混じっていた。
難民の処遇に関しては、軍令部でもかなり揉めたのだ。
アニエスも会議に参加し、それこそ議論だけで物事が決まらず辟易した。
中には、難民受け入れを断固拒絶するべきと言う者、各地に分散させると言う者、様々だったがどれも一長一短である。
そして最終的には、サイトを昇進させて領地を持たせ、そこに難民が住むことで決まった。
その提案を出したのが、アニエスなのだ。
「私の力ではありません。私の副官、他の兵員の人柄ゆえでしょう。皆、優しい者です」
「謙虚なのは結構だが、少しは自分の影響力も自覚したらどうかね?」
「は?」
「そもそも、ガリアの民が焼き出されたとは言え、トリステインに来ようと思うかね?」
「居場所がないのです。仕方のないことでしょう」
「それだけならガリア領内の、他の場所に移り住んだとしても同じだ」
「そう、なのですか?」
「そうだろうよ。だから、難民がトリステインに来た理由は他にある」
「ですから、皆の――」
「違う。いくら君の部下が優秀だとして、それでついてくるわけがない。つまり、部下もそうだが、指揮官である君に付いて行けば間違いないと難民も考えたのだろう。君の優しさが、彼らをトリステインにこさせるきっかけになった」
「彼らからすれば……言葉は悪いですが、私は侵略者ですよ?」
「それは部下も同じだ」
「ですが」
「いいか中将。そもそも民にとって国とは大した要素ではないのだ」
「……」
アニエスの言うことに、以前のサイトなら反発していただろう。
何せ、その国を守ることがサイトの信念だったのだから。
「民は戦争を望みはしない。彼はただ、安全に日々を生きられればそれでいいのだ。そして、自らの安全が保証されるのであれば、敵であろうが平然と従う」
それが民というものさ、とアニエスは付け足した。
サイトはそこまで、アニエスの言うことに賛同はできないが、確かに一理あるのかもしれない、と思った。
それでも、サイトは難民を悪く思うことはできなかった。
オルニールでの子供達との交流で、サイトはそう思わずにはいられなかったと言うのが正しいか。
「ま、これは私の考えだ。気にしないでくれ。何、私だって民をむざむざ殺すのが生業じゃない」
「そう、ですね」
今のは少し、答えに困る発言だった。
思わずサイトは苦笑いした。
「さて、難民の話はここまでにしよう。本題に入るがいいか?」
「問題ありません」
「では、この書類を」
「はい」
書類を受け取る。
表紙には、編成表と書かれている。
「これは」
「まだ正式な辞令は出ていないが、それが君の部隊に新たに加わる者達だ」
「なんですって?」
驚き、素早く書類をめくって確認する。
そして合計人数の欄を見て、さらに驚愕した。
既に2万名、加わることは把握していたがその他にもいたとは聞いていない。
「歩兵隊1万5千名、他に野砲隊5千名。合わせて2万名……どこから、これだけの兵を捻出したのですか」
「復員兵だよ。北の民で戦場から帰還した」
「もう1度、彼らに戦うことを強いるのですか」
「仕方あるまい。これは戦争なのだ。私だって心苦しいが、軍令部の会議で決定したことだ。それに、君が北の地で定数を集めなかったことも、影響している」
それを言われると、何も言い返せない。
「ま、これで君は軍集団長だ。一番の出世頭だな」
「望んでなったものではありません。それこそ、私よりも将として秀でた者は沢山いました」
「同期生のこと、か」
「はい。既に百名以上の戦死者を出したと聞き及んでいます」
「そうか。確か、君の同期生は全体で」
「164名です」
サイトの言った数字には、除籍されたタバサも含まれている。
そのことをアニエスは読み取り、あえて数値については何も言わなかった。
「すでに、3分の2以上の仲間を失ったか」
「皆、祖国のために殉じた。後悔はないでしょう」
「ならば、いいんだけどな」
「私は彼らの分も戦わなければならないのでしょう。それが、生き残った者の使命だと思っています。そして、この戦争には絶対、勝たなければならない」
「そうだ、今まで死んでいった英霊のためにも、我々は死力を尽くして戦わなければならない。同期生に恥じない戦いをしてくれ」
「心得ております」
サイトとて、無為に死ぬことは嫌である。
それは隷下の兵達にも同じ。
しかし、新たに加わる二万人の兵員を抱えることになり、サイトの心はまた、重いものを背負わされることになった。
それから諸注意などをアニエスと話し、サイトは赤レンガを後にした。
王都の滞在期間は3日。
内1日は昨日、軍令部などでやることで潰れた。
だが後の2日は、自由に行動することが許された。
サイトは部下達が王都周辺で野営している手前、心配で自分も残ろうと思ったが、マティアス中佐を含め多くの部下に「少しは軍務を忘れてお行き下さい」と言われ、後ろ髪を引かれながら軍営を後にした。
たしかに、サイトは王都滞在中にやることがあった。
すなわち、王都に居を構えることになったルイズに会うことである。
今までルイズは軍にいたため、どこかに定住ということはなかった。
そのせいですれ違いも多々あり、サイトは寂しい思いをしていた。
だが、戦傷が原因で退役することになったので家を構える必要ができ、王都に住むことが決まったとオルニールにいる間に手紙できたのだ。
何も王都に住まなくても、ルイズは実家に帰ればいいのだが、文面を見るからにそれはかたくなに断ったようだ。
それはともかく、ルイズに会えるものだからサイトの心はどことなく弾んでいた。
そして今、サイトはルイズの住まいを訪ねた。
屋敷は大きい、しかし飾り気はない。
サイトが外観を見て思ったのはそれだった。
家の大きさだけなら貴族が住んでいると言って納得できるが、それ以外は落第点だろう。
取り敢えず、サイトはその貧相な門をくぐり、これまた飾り気無しの玄関ドアと、それに備え付けられていた古びた呼び鈴を鳴らした。
すると、ドアからは以外な人物が覗いた。
「ようこそお出でになりました」
エプロンドレス姿と、やや長めに、切りそろえられた黒髪、間違いがなければ。
「シエスタ、だよね?」
「はい。お久しぶりです、サイトさん」
軍学校時代、その学校で給仕をしていたシエスタが、今ルイズの館でサイトを笑顔で迎えてくれた。
シエスタに案内された部屋でサイトは待たされることになった。
ルイズは出かけているそうなのだ。
それを聞いた瞬間、ものすごく落胆したサイトは表情をしてシエスタに「相変わらずですね」と笑われた。
そのシエスタはサイトを部屋に通した後「お茶を淹れてきますね」と言ってどこかに言ってしまい、サイトは所在なくしていた。
「廊下にも何も無かったけど、この部屋も必要最低限度の装飾品しかないな」
辺りを見ても、本当に物がない。
これは、昔自分が零してしまった『ノブリス・オブリージュ』がルイズに影響しているのかもしれない、とサイトは思った。
ルイズは実直な軍人であるので『ノブリス・オブリージュ』はぴったりの概念だ。
だから前線から撤退する時に進んで殿軍を務め、今回ついに武運つたなく退役となったのだが。
また、サイトが言う『ノブリス・オブリージュ』には高貴なるものの務め以外にも、贅沢はしないなど、東洋的な要素も多く含まれていた。
ようは和洋折衷の『騎士道精神』と言ったほうが適当かもしれない。
「お待たせしました」
そのうちシエスタが戻ってきた、ティーセットを持ってきて。
「すみません、遅れてしまって。どうにもまだ、このお屋敷にはなれてなくって」
「ああ、気にしないで。たいして待っていないし」
「いえ、急いで淹れますね」
テキパキと目の前のテーブルには茶器やら何やらが並んでいった。
その手際は流石元給仕である。
「はいどうぞ。粗茶ですが」
わずか一分程で、用意の全てが終わった。
「素晴らしい手並みだね、相変わらず。……あれ?」
確かに手際よく用意されているが、シエスタの分がない。
「シエスタはお茶を飲まないの?」
「お客様とご相伴だなんて、ルイズさんのメイドとしてやってはいけないことですから」
シエスタは軽くウインクをした。
「なるほど、確かに君が高貴なるラ・ヴァリエール嬢のメイドであるシエスタならば仕方ない。だけど、私の友人であるシエスタとならいいのでしょう?」
サイトも笑い、言った。
「そうですね、久しぶりの再会ですもの。喜んでご一緒させて頂きます」
ささっと、自分の分もお茶を淹れ、テーブルを挟み向かい合わせになる。
他愛もないやり取りだが、サイトはとても嬉しかった。
シエスタはサイトが知る数少ない友人の1人だ、それも軍人ではない。
軍学校の頃に、友人のギーシュと酒保からちょろまかした品物をシエスタなどの給仕と一緒に飲んで、食べたものだ。
大概その後ルイズに見つかってかなり叱られたものだが、叱った後はルイズも加わり、他の同期もやってきて結局はどんちゃん騒ぎ、教官に見つかって翌日には全員でグラウンド50周を命じられた。
今となってはそれも良い思い出だ。
「シエスタは変わっていないようで何よりだよ」
「サイトさんはもっと変わってないと思いますけど、そうですか? これでもわたし、変わったと思いますよ?」
「どのあたりが?」
「まさかわたしが、ルイズさん専属メイドになるとは思いませんでした」
「そうかな。シエスタほどのメイドさんなら、引く手あまたでしょう?」
「まさか! わたしなんかをメイドとして雇うと言ってくれたのはルイズさんがはじめてですよ」
「へえ、以外だ」
サイトや同期生の間では、シエスタは容姿も整っているし、気が利くし、料理も上手、つまりは完璧な女性として人気が高かった。
それでもルイズがはじめて声をかけてくれた、と言うことに少し引っかかりをサイトは覚えたが、それはあえて流すことにした。
確かにサイトが疑問を抱くのは無理がない。
事実シエスタをメイドに欲しいと言う貴族連中(大半が男性、同期生も例外ではない)は沢山いる。
だが、それが今までシエスタの耳に届くことはなかった。
察しの良い人分かっただろう。
もっとも、盲目にルイズを敬愛するサイトは分からなかったことのだけであるが。
そう、ルイズがシエスタに目をつけていて、毒牙にかからないように暗躍していたのである。
ルイズが王族の傍流であることから、その威光は強く、それとなくシエスタのことを口にしておくだけで大半の者が黙った。
それでも果敢にアタックしようとした者は、ヴァリエール家の暗部の方々にコテンパンにやられていたのである。
そして今回のメイド採用につながった。
「まあ、誰だか知らない人のメイドになるよりは、よっぽどいいよ」
「それはそうですね。でも、あの『ゼロ』のルイズさんのメイドですよ? やっぱり見劣りするんじゃないかなって思います」
『ゼロ』のルイズ。
それは同期の中で通じるあだ名である。
『ゼロ』の由来は軍学校時代、様々にあった。
やれ胸がないとか、やれ魔法を一切使わないこととか、しかしまあ、これらを言った奴らはかなり痛い目を見た。
正しくは、誰一人としてルイズに並び立つことができない象徴として「0」の数字が冠せられたのである。
ちなみに、使い魔であったサイトのあだ名は『黒狼』。
これは遙か古代の神話に出てくる神の使いにあやかってつけられたものだ。
サイトが使いならば、神は当然ルイズである。
ルイズとしては面白くないたとえであったが、サイトは大喜びであった。
さながらその姿は、狼と言うより犬であった。
「やっぱりルイズさんのメイドなら、銃器の1つくらい扱えた方が良いんじゃないかと思うんです」
「いやいや。シエスタはそのままでいいと思う。と言うか君のような女性がルイズみたいに銃火器振り回している姿は見たくないよ」
「そうですか?」
「うん。そもそも、あの生活無能力者には、身の回りの世話を完璧にしてくれる人が必要だね」
ははは、とサイトは冗談交じりで言ったつもりだった。
が、シエスタの表情がどこか硬い。
「どうかしたの?」
「いえ、その――」
サイトの後ろを指差そうとしたが、それより早く後ろから声が聞こえた。
「誰が生活無能力者ですって?」
「え?」
思わずサイトは、振り向いた。
そして、凍りついた。
後ろには音もなく現れた、自分の主人がいた。
「アンタはそんなことを私に対して思っていたんだ?」
「ル、ルルル、ルイズ!? これは、その、言葉の綾というか……いえ、失礼しました!」
即座に直立し、最敬礼をする。
ルイズは慌ただしくするサイトを一瞥する。
「ちょっと前までは沈み込んでいたけど、今日は鷹揚としていて、いいわね」
「申し訳ありません! 私としたことが、羽目を外しすぎました!」
「いいわよ、別に。生活無能力者なのは事実だし。それよりシエスタ、私の分のお茶も淹れて」
「あ、はい!」
シエスタも弾かれたようにお茶の用意をはじめる。
ルイズはそのまま立っているサイトに近づき、手をとった。
「サイト、久しぶりね」
「はい、およそ1ヶ月ぶりであります」
「具体的な数字を言うのは無粋ね」
「失礼しました」
「ま、その方がアンタらしいけど」
ルイズは口元をゆるめ、言った。
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