ルイズが「中庭に行きましょう」と言った。
サイトは従ったが、シエスタは夕食の用意をしなければならないので外すことになった。
シエスタは去り際にサイトに「頑張ってくださいね」と耳打ちしていった。
その光景を見て、ルイズの血圧はやや上がった。




中庭に出ると冷たい風が迎えてくれた。
だが、北の地に吹く風に比べれば暖かいくらいである。
サイトはそんなことより、中庭に花壇があることに驚いた。
てっきり内装と同じで何もないだろうと思っていたのだ。
その顔を見てルイズは笑った。

「そんなにあの花壇が不思議?」
「いえ。花壇くらいはあって当然ですよね」
「元からこの屋敷にあったものだそうよ。前に住んでいた老夫妻の趣味だったそうね」
「ここは新築ではないのですか。もしやとは思っていましたが」
「貴族とは言え、戦時下だから派手な行動はできないのよ。それに、私はこの館を一目見て気に入ったの。ちょうど老夫妻も田舎暮らしをしたかったらしいから、すぐに交渉は済んだし」
「なるほど。それで、この花壇は」
「シエスタが管理しているわ。あの子、花が好きなんですって」
「シエスタらしいですね」

ふと笑う。

「おかげでこの屋敷も華やかになったし、あの子といれば退屈しないからいいわ」
「日常生活も、ほとんどはシエスタがしてくれているんですよね?」
「ええ。それがどうかしたのかしら?」
「シエスタは気づいていないようですが、私は誤魔化せません」

すっと動いて、後ろから肩を抱きとめる。
ルイズは振りほどこうとしたが、思いの外力が強いので諦め、そのままサイトの胸に身を預けた。

「いつ気付いたの?」
「応接室で一目見た時から。重心が右足に寄っていました。それに、物を掴む時に左側が見えづらそうでした」
「目ざといのね」
「主人のことですから」
「使い魔は騙せないわね」

ルイズは軽く肩をすくめた。
そのちょっとした行動すら、酷くけだるそうである。

「やはり、後遺症が残りましたか」
「ええ。あれで目立った外傷がないのが不思議だそうよ」
「外傷は残りましょう、特に左足に」
「……本当、たまにあんたは犯罪者なんじゃないかと思うわ」
「褒め言葉として受け取っておきます」

サイトはこれでもかと言うほど、清々しく笑っていた。
当事者のルイズとしては苦々しい思いであるが。

「ま、丈の長い物であれば傷は隠せるから問題ないわよ」
「しかし、杖でも持たなければ日常生活に支障がでましょう。左目も」
「支障はないわ、今のところ。第一、私の身体がおかしいと気付いたのはあんたが初めてよ。だから、余計な物もいらない」
「私が差し上げると言っても?」
「当然、断るわ。と言うか、買ってきたらその場でへし折るから」

ルイズがこう言ったら、本当にそうする。
それを分かった上でサイトは尋ねたのだ。

「相変わらず強情ですね」
「そうでなければ私ではないわ」
「ですが、現実に私に背を預けています」
「あんたは別よ。使い魔なんだから」

その一言で、サイトの心は満たされた。

「ああ、このまま貴女を抱きしめたい」
「いやらしい男ね、欲望を言葉にするなんて。……まあ、そんな男に背を預けている私も私か」
「感極まって言葉にしてしまいました」
「どうしようもないわね、本当」
「ええ、私はルイズがいないと、どうしようもない男なのです」
「既に私より階級も上でしょう? それに貴族にもなったはずよね?」
「はい」
「それで、私を無理やりものにしようとは思わないの?」
「私は貴女の使い魔のままです。これからも変わることはありません」

これはある意味、サイトなりのプロポーズであったが、ルイズとしては釈然としないものである。
男なら自分で大切な人を奪い取ってみろ、と言いたかったが、サイト相手にそれは無駄なことであると、これまでの経験から悟った。
ともすれば主人である自分がやるしかあるまい。

「しようがないわね」

ルイズは身じろぎし、サイトと向い合う。
サイトの手は、まだ肩にのせられたままだ。

「何をしているの?」
「それは、こちらの台詞ですが」
「鈍いわね、あんた」
「?」
「はぁ……本当、戦闘以外はからっきしね」
「申し訳ありません」
「謝らなくていい。それよりあんた、私を抱きしめたかったんでしょう?」
「ええ」
「だったら早くしなさい」
「……これは夢でしょうか?」
「ふざけたこと言っていると殴るわよ」
「しかし、使い魔が主人にそのようなことをして――」
「ああ、もう!」

業を煮やし、ルイズからサイトに抱きつく。
サイトは、何が起きたか理解できなかった。

「……え?」

そして理解した瞬間、気が動転しかけた。

「な、何をするのですか!」
「あんたがまどろっこしいからよ。そんなことより、腕」
「腕?」

言われて気付いた。
サイトは慌ててルイズを抱きしめ返す。

「こうで、よろしいでしょうか?」
「顔を見るな」

ルイズの顔はかすかに赤らんでいた。

「し、失礼しました……」

サイトとしても、心音が上がりすぎてそれどころではない。
そのことに気付いたか、ルイズは押し殺したように笑いはじめた。

「笑わないでください」
「緊張し過ぎなのよ」
「仕方ないじゃないですか……」
「ま、私を意識してくれるのは、悪くはないけどね。でも」
「でも?」
「まさか、他の女にもこんなことをさせたりしていないでしょうね?」
「……」

言葉に詰まる。

「沈黙したということは、そういうことね」

ルイズの声が冷え冷えとしたものになる。
そしてトンと、サイトの胸をおして数歩離れる。
手にはいつの間にか、杖を持っている。

「ま、待ってください!」
「まさか、言い訳でもする気なの?」
「違います! ですが、その、魔法だけは止め――」
「黙らっしゃい」

直後、サイトの視界は閃光に包まれた。




ルイズの機嫌はかんばしくなく、「反省しなさい」と言って自室に戻った。
サイトも一人、中庭で倒れているわけにもいかないので、おとなしく応接室にでも行っていようと思い、炭をあたりに撒き散らしつつたどり着いた。

「ただいま戻りました。って、あれ? サイトさん、全体が焦げていますよ?」

丁度、買い物から帰ってきたのだろう、シエスタが開口一番にサイトの惨状に首を傾げた。
元々、サイトは服装が黒色なのだが、それをおいても見事に黒く仕上がっていた。

「まあ、その、なんだ。お叱りを受けてね」
「手当致します。ええと、救急箱……」

バタバタと、近くの棚を探す。

「ああ、気にしないで。外傷はないから」
「でも」
「本当、大丈夫だから」

事実、ルイズはサイトに攻撃を加えたが、これといった外傷はなく、せいぜい肌の表面をなで、衣服を焦がしただけである。
魔法が苦手だと当の本人は公然と言っているが、それも彼女からの視点からで、実際にはかなりの使い手であることがわかる。

「そこまで言うのでしたら。でも、痛くなったらすぐに言ってくださいね?」
「うん。ありがとう」

シエスタはやはり、気の利く子だとサイトは感じた。
だからこそ、ルイズにはこの子が必要である。
……しかし、彼女は消毒液だと思って持っているのだろうけど、そのビンは明らかに酒である。
消毒には確かになるが、たとえ我慢強いサイトでも傷にかけられたら悲鳴を上げていた。
どことなく抜けているところもあるが、それも1つの愛嬌だろう。




夕食まではまだ時間がかかる。
そう言われて、ただでさえ手持ち無沙汰であるサイトは再度中庭に戻り、腰に佩いた剣を抜き鍛錬していた。
鍛錬と言っても、サイトの場合は構えもなく、動かないだけである。
目もつむっている。
ただ、サイトのまわりには恐ろしいほどの気が立ち込めていることが、素人目から見てもわかる。
抜き身の、赤い刀も微動だにしない。
ただ、その刃からだけ、禍々しい雰囲気が漂っているように思えなくはなかったが、今は関係あるまい。
それが30分ほど続いた時だろうか。
サイトは後方に人がいることに気付いたが、あえてそのまま受け答えることにした。
これもサイトなりの鍛錬である。
目潰しをされた想定でよくやっていて、サイトは既に目をつむりながらも10人20人は簡単に相手にできる技倆を身に着けている。

「機嫌をなおされましたか」
「気づいていたの?」
「ええ。貴女も、あえて気配を消してはいませんでしたし」

くるりと身体を後方に向けて、目を開ける。
相手、ルイズは心底驚いたようだ。
今も、互いの距離は5メートルある。

「やはりルイズは鋭い。後少し、間合いに入られたら斬りつけているところでした」
「主人に対して、随分な言い様ね」
「仕方ありません、こればかりは。私も遊びで鍛錬しているわけではないのですよ」

納刀しながら、苦笑する。

「それで鍛錬と言い切れるあんたがすごいわ。シエスタが見たら『新しいお遊びですか?』とかまじめに言ってくるわよ」
「そうかもしれませんね。ですがルイズ、貴女は現に気づいているわけですから」
「あんたの主人だもの」
「それでも、気づくのは流石です」
「ほめたって、さっきのことは許さないわよ」

ルイズは眉根をよせた。

「先程のことは、私に非がありました。申し訳ありません」
「あんたはいつもそうよね。申し開きすることがない。それは美徳ではあるかもしれないけど、とても苦労するわよ」
「申し開きしないのはルイズにだけですよ」
「それはそれで、何か嫌なのだけど」

眉間のしわが深くなる。

「そう怖い顔をしないでください。私はルイズの使い魔ですし、もしかして貴女が道を外すことがあると思えば、お止めします」
「ちょっと待って。それだと私が間違うこと前提で、あんたが正しい物の見方をしているみたいじゃない?」
「その通り、とは言いませんが。私は元来、この世界の住人ではありませんし、ゆえに物事を俯瞰して見ていると思いますが」
「過信は自分の足をすくうわ」
「何も私は、自身の経験から物事を判断しているわけではありません。愚――」
「『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』でしょう?」

サイトが言う前にルイズが諳んじる。
思わずサイトは瞠目した。

「何もそんなに驚かなくていいじゃない。あんた軍学校時代に良く言っていた言葉よ」
「まさか、覚えていらしたとは思いませんでした」
「私を誰だと思っているの? 伊達にトリステイン魔法軍学校を主席で卒業していないわ」
「流石、我が主」

サイトは感動し、思わず泣きそうになるのをこらえる。
自分が言っていたことをルイズが覚えていてくれて、本当に嬉しいのだ。

「どうかしたの?」
「いえ、何でもありません」

幸い、ルイズは涙ぐんだことに気づかなかった。
サイトはさっと目尻をぬぐい、平静を装う。

「それより、ここに来られたということは、何か御用ですか?」
「いいえ、特に用事はないわ。ただ、あんたの調練を見たかっただけよ。できれば、あんたの相手をしたかったけど」
「お体に障ります」
「そう言うでしょう?」
「ええ。今ももう、立っているのはお辛いでしょう」

近寄り、支えようとしたが手で制止される。

「これくらい大丈夫よ。今はシエスタもいるから、下手にあんたに甘えるわけにもいかないし」
「……甘えるとはいかに」

サイトは複雑な表情をした。
先程のことで、甘えたとは思えないのだ。

「何よ。さっきのは、あんたがいけないのよ」
「それは重々承知していますが」
「承知しているなら明日、私に付き合いなさい」
「なぜですか?」
「罪滅ぼし。明日も休暇でしょう?」
「それはもう?」
「決定事項よ」

有無を言わさず、明日はサイトを連れて行くと決めているらしい。

「分かりました。主の仰せのままに」

特に断ることもない。
むしろ、ルイズと一緒にいられるなら願ったり叶ったりである。

「サイトさーん、こんなところにいたんですね。ご夕食の準備ができましたよー」

館の中からシエスタが駆けてきた。

「あれ、ルイズさんも一緒だったんですか?」

近くにきてルイズの存在にも気づいたようだ。
確かにもう、外は暗いので人がいるか判別しにくい。

「『も』とは何よ?」
「だって、ルイズさんはお部屋にいると思っていましたから。こんなところでお2人、何をしていたんですか?」
「私は鍛錬をしていたところ」
「それを見学していたところ」

1、2、と見事な拍子で言葉が並ぶ。
シエスタは二人を交互に見た。

「なーんだ。こう、良い感じだったのかと思ったのにー」

そして口を尖らした。

「変なことを期待するんじゃないわよ」

ちょっと怒ったように、ルイズは返す。

「変じゃありませんよ、ルイズさん!」

急に語気を強め、ルイズに迫る。

「どうしたのよ?」
「どうしたもこうしたもありません!」
「いや、そう言われても困るわ。ねえ?」
「ええ、そうですね」

そう言った2人をキッと睨む。

「絵になる2人がひっそりとした中庭でやることなんて1つしかないはずです!」
「「なに?」」
今度は二人、見事に言葉がかぶる。
本当に理解できていないのだ。
「『なに?』じゃありませんよ! ああ、これだから何時まで経っても……」
今度は意気消沈となったシエスタを見て、2人は。
「疲れているのかな」
「疲れているのね」
という答えを導き出した。



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