「夢、か」

目を開ける。
まだ夜中だ。
サイトが眠ったといっても、3時間ほどである。
軍生活の影響で、サイトは基本的に三時間以上の睡眠が取れなかった。
起き上がり、腕を伸ばす。
何となく、サイトは右肩に違和感を覚えた。
もう4年ほど前のことだ。
しかし、今まで戦争に従事してもあそこまで危険になったことはなかった。
それほどまでにルイズの母、カリーヌは強かった。
結婚した後、一線から退いたとの話は聞いていたがそれは口実に過ぎないだろう。
カリーヌは、人を殺しすぎた。
彼女の影には拭いきれない、業が潜んでいた。
あの時、サイトが北の蛮族とそしられたのも、もう自分が北の民を見たくないと思ったからなのか。
そしてその後、自分を許したのはせめてもの償いであったのか、その真意はカリーヌ本人にしか分からない。
少なくとも、サイトはカリーヌが罪の意識を持っていたのだと信じていたが。
また、ルイズが自身の素性を語りたくなかったのは、もしかしたら母のことがあったからかもしれない。
『烈風』の名はその残虐な戦い方とともに今も北の地で語り継がれているのだ。
ルイズが必要以上に貴族のプライドを気にしていたのも母と同じようになりたくはないと思ったのだろう。

少尉任官後、ルイズは中央軍管区ではあったが、近衛隊に所属することはなかったことに安堵していたことを、今も鮮明に覚えている。
上の2人の姉は軍に入ることはなかった。
それは、ルイズが生まれた瞬間にそうなった、らしい。
しかしサイトの見立てでは、長女がもっとも軍人としては気性があっているような気がした。
1番、母に似ていたのだ。
対照的に次女は生来の病弱で、軍人になれるわけがなかった。
慈愛に満ちたその顔に、少々戸惑ったことをサイトは思い出した。
そして3女、ルイズは2人の間をとったようと言えばしっくりとくる説明であろう。
ただ、性格はバラバラでも、とても仲の良い姉妹だとサイトは感じた。
2人の姉は、とてもルイズのことを心配していたし、とても愛情を注がれて育てられたのだ。
それも、ルイズが軍人になる運命を背負ったからこそ、だろう。
不意に、扉が開いた。

「寝てしまったかしら」
「寝ていませんよ」
「なんだ、起きていたの」

ルイズは静かに扉を閉めた。

「正確には、先程目覚めました」
「寝付きが悪いのね」
「軍営暮らしが長いもので」
「なるほど」

近づき、ベッドの端に座る。
手には、枕があった。

「……なんですか、それは」
「見て分からないの? 枕って言うのよ」
「それは分かりますが。いや、正夢とも言えましょうか」
「正夢? 何がよ」

そこで、サイトは先程まで夢で見ていたことを話した。
すると、ルイズは苦笑した。

「あの時、あんたは母様のしごきを受けて動けなかったじゃない」
「しごきじゃありませんよ、あれは」
「まあ、ね。でもあんたがあそこで頑張ってくれたから、私とあんたの関係を母様が認めてくれたのよ。感謝しているわ」
「当時からして、複雑な心境でしたけど」
「たとえあそこで負けていたとしても。首と胴体だけなら繋がっていたとは思うわよ」

それは両手足を失うこと前提だったのか。
ルイズがこんな調子だから、サイトは未だにあの時、ルイズの叫び声が本当であったか半信半疑なのだ。

「まあ、母様なりの婿殿への愛情表現よ」
「誰が婿殿ですか……」
「酷い、私との関係は所詮身体だけのものだったのね……!」

これみよがしに、シーツに顔を押し付け泣いたふりをする。

「誤解を招くような言い方しないでください」
「1部は間違ってないわ」

顔をあげ、ルイズは平然と言ってのけた。

「淑女たるものが、そう憚りなく言うことではありません」
「事実は事実」
「ぐぅ……私をからかって楽しいですか?」
「ええ、とても。それにしてもあんた、そういうところは何時まで経っても初心よねぇ」

サイトは黙るしかなかった。
確かに、サイトは純情なところがある。

「ああ、今日もうら若き乙女であるルイズはサイトに襲われることに……」

乙女ではない、とは敢えて言うまい。

「人を獣みたいに言わないでください」
「違うの?」
「断じて。と言うか、貴女は退院したばかりでしょうに」
「何を今更、硬派ぶっているんだか。恥ずかしがることはないじゃない。あんただって男であることに変わりないでしょう? それに、怪我はこの際大して気にならないし」
「貴女という人は……大体、そんなこと言ってもシエスタがいますよ?」
「その点は大丈夫よ」

ルイズは自信満々に答えた。

「なぜ、そう言い切れます」
「あの時、厨房でシエスタも水を飲んだでしょう?」
「ええ」

確かにルイズが飲むついでに、とシエスタも飲んでいた。
ただ、カップに二人分注いだ後、ルイズはシエスタに氷もあるかしら、なんて言ってシエスタをカップから遠ざけた。

「まさか――」
「その通り。用意周到な私は、シエスタが氷を取っている間に、水に眠り薬をいれておきました。遅効性だから、今頃ぐっすりね」
「犯罪だ! 一体どこでそんなもの手に入れたんですか!」

思わずサイトは叫んだ。
しかしサイトが気づかないうちにやるとは、恐ろしい手腕である。

「え? ああ、モンモランシーに貰ったのよ、この間。赤レンガに用事があったついでに、あの子の研究所に寄って」
「モンモランシーはまだそんな薬物を作っているのか……」

数少なくなった同期生の一人、モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシは王立研究所と呼ばれる兵器などの開発をしているところに配属された変わり者である。
他の者とはあまり話すこともなかった人だが、妙にルイズに心を許していたようで、軍学校でも奇妙な薬物を渡していたのをサイトは覚えていた。
というより、サイトはその奇妙な薬物の被害者であるから、明瞭に記憶していた。

「邪魔者はいないわ。だ・か・ら」

ルイズは妖艶な笑みを浮かべ、サイトに這い寄ってきた。
思わずサイトは後退りするが、すぐ背にヘッドボードが当たった。

「観念しなさい」

ルイズの手がサイトの頬に触れた。
冷たい指先に、思わずサイトは震えた。

「ひっ……!」
「逆に傷つくわね、その反応」
「だったら今すぐやめてください!」
「肯んじない」
「な……」

なんでこうなると、サイトは言えなかった。
既に唇は、ルイズの唇で塞がれていた。
その瞬間、サイトの理性はルイズの前に降伏した。




なぜだ?
なぜルイズが隣で寝息をたてている?
昨夜のことを、サイトは考えようとしている自分に気づき打ち消す。
どうにも、昨日からサイトの調子は狂っている。
本来、主と使い魔がこのような、ことはあって良いわけがない。
ルイズは、まさしく主。
サイトは使い魔。
守らなければならない原理が、なければならない。
そう思いながら流された自分の意思の弱さにうなだれそうになったサイトだが、それはまた軍営に入って鍛え直し、自分を律しようと考えた。
ふと、サイトは眠るルイズの髪をすくった。
そのまま、頬に手をあてる。

「美しい寝顔だ」

心からの賛美である。
それにしても、とサイトは昨夜のことを振り返る。
ルイズの行動は、どことなくいつもの凛々しさというか、そういうものが欠如していたのだ。
サイトはその点が腑に落ちなかった。
考えてみれば、ここまでルイズが積極的に近づいてきてくれたのは、初めてのことなのである。
その理由が、あるとすればやはり、自身に刻み込まれた、傷のことなのか。
もしかしたら、ルイズが積極的に行動したのは、傷跡を見られることで、サイト自身が逃げる、ことがあるかもしれないと感じたからか。
だとすれば、サイトに対して疑いの心を持ったことになる。
でも、サイトはそれならそれでいいさ、と笑い飛ばす。
サイトはルイズを絶対に疑わない。
ルイズは、自分のことを疑っても構わない。
主が不安になることは、あるだろうとサイトは考えている。
だが、使い魔たる己が主を疑うことなどあってはなるまい、と心に誓っていた。
精神的なつながりはとても不安定で、目に見えないものであるのは明白であるから、これは仕方のないことだと多かれ少なかれ、人は言うだろう。

ルイズは、生まれた時から孤独を背負わされた、可哀想な運命だった。
王族の血を受ける、高貴な出自。
そしてそれに見合った才覚を、ルイズは持っている。
容姿に合わせ、天はルイズに二物を与え、常人には及びつかぬ知識も付与した。
そして天才少女との触れ込みで軍学校に、当然主席で入学した。
ここで、ルイズの空虚さは極まったと言えるだろう。
皆、ルイズを尊敬し、話はすれこそ、でもどこかで心の距離は開いていた。
その、皆との心の距離を、埋めたのは間違いなくサイトだったろう。
サイトは右も左も分からない自分を救ってくれたルイズに一方的に恩を返す気であるが、ルイズもまた、サイトと出会うことで得難いものを、真に友人と呼べる者ができた。
サイトとルイズは、お互いに足りないものを、補い合う関係として、当初は成り立っていたといえる。
そしてそれは今も、変わらない。
ともかく、決してルイズを裏切ることない。

「ぅん……?」

ルイズが目を覚ます。
そっと手を引こうとしたが、その手をルイズの手が上から押さえる。

「おはよう、サイト」
「おはようございます」
「朝から主の寝込みを襲おうなんて、いい度胸ね」
「……」
「冗談よ」
「わかっています」
「なら反応しなさいよ」
「は、い……!?」

思い切り手を引かれ、ルイズの胸元に引き寄せられる。

「な、何を、むご……!」
「躾のなっていない使い魔を、調教しているのよ」
「ぷはっ! 何をたわけたことを言っているのですか!」
「恥ずかしがることないじゃない」
「ああ、もう。前々から言おうと思っていま――」
「それなら聞かないわ。またいつもみたいにお説教でしょう? もう耳にたこができるくらい聞いたもの」

ルイズは手をサイトの目の前に出し、言葉を遮った。

「まったく、貴女ときたら……」

朝からサイトは、頭痛を感じずにはいられなかった。




ともかく、シエスタが起きる前にルイズを部屋から退去させようとした。
しかしルイズは「まだ眠い」とか「足が痛いわ」と言って横になったまま動こうとしなかった。
おかげで、ルイズは未だに、いや、サイトは思考を断ち切る。

「せめて、服だけでも着てくださいませんか?」
「なら、貴方が着させて頂戴」

シレッとルイズは言うが、サイトとは渋面した。

「昔は、よく着させてくれたじゃない」
「捏造もいいところですよ、それ。結局あの時も、貴女が駄々をこねるから学校には遅刻しました。それで教官に死ぬほど怒られたではありませんか」
「忘れてしまったわ」

クツクツと笑う。

「時間は有限なのですから。かようなことで無駄にするわけにはいきません」
「あんたにとって、この時間は無駄な時間なの?」
「意地の悪い質問ですね」
「ええ。私はあんたをいじめるのが楽しいのよ」
「ご無体な」
「そもそも、昨日もいったけどあんたには思い切りがないのよ。それこそさ――」
「お待ちください」

サイトは慌ててルイズの口を手で塞いだ。
ついでに、ルイズの身体にシーツを巻いた。

「もう、悪趣味ねえ。こんな格好で私を外に出すつもり?」

手を払い、ルイズはマジマジと自分の格好を見て言った。

「まだ続くのですか、この問答……?」
「そうね、いい加減やめましょうか」
「そうして下さい」
「分かったわ」

ルイズは立ち上がり、衣服を身にまとう気になったようだ。
サイトは一安心し、ルイズに背を向ける。

「もういいわよ」
「それはよか――」

振り向くと、ルイズは下着を身につけただけで仁王立ちしていた。

「はあ……結局、私がやらなければならないのですね」
「ええ」

立ち上がり、たたまれていたルイズの服を広げ、着させてゆく。

「手馴れているわね」
「……誰のせいでしょうか」
「少なくとも、私のせいではないわね」
「そうですか」
「そうよ」
「……はい、終わりました」
「うん、中々ね」

いつもどおりの姿になったルイズを見て、サイトはようやく安心できた。

「さて、と。そろそろシエスタを叩き起こしに行ってくるわ」
「叩き起こすくらいしないと、起きないほどの薬を盛ったのですか」

というかそれなら、そんなに焦って着替えさせることもなかった、とサイトは思った。
別に、下心があってのことではない。
サイトが急かすと、いつもルイズはこんなふうになるからだ。

「ふふ、それは秘密よ」

妖しい笑みを見せたルイズに、サイトはどことなく射抜かれたような気がした。
こういう場合、詮索しないほうが身のためである。

「そうですか。では、私も少々支度をした後、ダイニングの方へ向かいます」
「ええ」

同意しながらも、ルイズはこの場から離れようとしない。

「どうなさいました?」
「『どうなさいました?』じゃなわよ。朝、起きたら何をするのかしら」
「挨拶ですね」
「カチンときたわ。次、ふざけたことを言ったら有ること無いことシエスタに吹きこむわよ?」
「じ、冗談です。でも」
「デモもストもない。ほら早く」
「分かりました」

ルイズに近づき、軽く頬にキスをする。

「それでいいのよ」

ルイズの表情が、朗らかな笑みに変わった。

「ああ、恥ずかしい」

対してサイトはうつむいた。

「じゃあ、先に行っているわ」

機嫌が上向いたのか、ルイズはそのまま軽い足取りで部屋を出ていった。
残されたサイトは、ストンとベッドに腰を下ろした。

「こんな姿」

絶対に部下には見せられない。
ルイズといると、いつもの自分の調子が狂ってしまう、サイトだった。



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