どこまでも広がる海、そして澄み切った青い空。
今、大グレン団はテッペリンのある大陸へと向かい、その航海を続けていた。
ニア・テッペリン――彼女はそのどこまでも広がる地平線を眺めながら、近づいてくる故郷の事を思い、父親の事を思い、押し潰されそうな重圧の中、自分の考えを必死にまとめようとしていた。
このままではシモンが、自分の大切な人達が父であるロージェノムと戦い、どちらも傷つく事になるだろう。
だが、ニアにはそれを止める事は出来ない。きっとどちらにも言い分はあり、正義があり、そして納得した上で剣を取った。
なら、自分はどうすればよいのだろう? 「お父様を説得したい」でも、どうすればそれが叶うのか?
今の彼女には分からない。その自信も――
「大丈夫だよ。ニアなら」
「――シモン」
気付けば、シモンが隣に立っていた。その真っ青なコートを羽織り、シンボルのゴーグルを頭にかけた少年。
胸に下げた黄金色に輝くドリルは、シモンの宝物であり、力。
彼は私に言ってくれた。「君はオレが守る」と……どんな想いで言ってくれたにせよ、私は嬉しかった。
実際、彼には力がある。大きく今の時代を変える事が、終らせる事が出来る力が……。
でも、私にはシモンの様に戦う力は無い。そして、今の私に出来る事は――
「ニア、手を出して」
「……え? はい」
そう言って、シモンが差し出してくれたのは綺麗な桃色の貝殻だった。
上下全く同じ大きさで綺麗に合わさる貝殻。それを片方取り出すと、そっと私の手に握らせる。
「前に砂浜で見つけたんだ。アキトが言ってた、沢山ある貝殻の中でも、その貝にピッタリと合う同じ物は二つとないんだって」
「シモン……?」
「だからニア、片方を君にあげる。どんな時もニアは一人じゃない。
オレはニアを守りたい。そして一緒に未来を掴みたいと――そう思う。二人は半身、そうだよね?」
二人は半身。それは私が言い出したこと。
でも、シモンはそれでも私を守ると言ってくれる。私の正体を知っていても、ロージェノムの娘であってもその態度を変える事は無い。
シモンを含め、ここにいる皆が私を信じ力を与えてくれる。
それが分かった時、私は――
「シモン、力を貸してくれますか? 私はこれ以上、皆さんに嘘をつきたくない」
それは、本当は敵側の娘であると言う事、そしてそれを隠している後ろめたさを残したまま、父親に対峙したくないと思う私の我が侭だったのかも知れない。
でも、シモンは笑って答えてくれた。
私がその笑顔に、どれだけ助けられているのかを知らず、彼は今も傍で微笑んでくれる。
それが、今の私には何よりも大切な、大きな力となっていると彼は知らない。
紅蓮と黒い王子 第28話「いくぜ、野郎どもっ!! この背中、見失うなよっ!!!」
193作
「あんたは驚かないんだね?」
「まあ、薄々気がついてたしね」
ユーチャリスの艦橋で、皆に自分がロージェノムの娘である事を告白したニア。
オモイカネの計らいで、それは大グレン団全員に放送されていた。
皆の反応は様々だ。複雑な表情をする者もいるし、それは当然の事なのだろう。
だが、誰一人暴動を起こす者、それを責める者はいなかった。ここで過ごした一ヶ月以上、ニアと言う少女を見て来た彼等には、ロージェノムの娘だと言うだけで叱責する事が出来なかったからだ。
ニアが心優しい少女だと言う事はここにいる誰もが知っている。
それに、アキトやカミナの後ろ盾も大きかった。自分達が信頼して着いて行くと認めた二人が彼女を信頼している。
その事実だけでも彼等には十分だったのだろう。それに、すでにチミルフやアディーネと言った獣人達が自分達に協力している。
今更、ニア一人増えた位で、それは変わりようが無い事実だった。
まだ、時間は掛かるだろうが、もう彼女は大丈夫だろう。そう心の中で締め括り、アキトはそっとその場を後にする。
そんな光景を後ろから見ていたヨーコとアディーネは、取り敢えず何事も無かった事に安堵していた。
「でも、私にまで黙っていたなんてアキトも人が悪いわね……」
「あの時、あの場所にいたのは私とアキトとラピス、それにサレナの四人だからね。
どう言う訳かシモンは知ってたみたいだけど、他に知ってたのってチミルフくらいじゃないかね?」
「それにしたって、私に位は教えてくれてもいいじゃない……」
「だよな……オレらだけ仲間外れだったってのは気に食わないよな」
いつの間にか隣で会話に参加していたキヤルがヨーコの言葉に同意する。
二人がこう言うのは、安にラピスとサレナが知っていたのに、自分達が知らなかったと言うことにだ。
それが面白くないらしい。
アキトにして見れば言い触らす事でもないだけに黙っていただけなのだが、彼女達にとってそれとこれとは別だった。
一時とは言え、自分達の知らない共通の秘密を、彼女達がアキトと共有していた事に嫉妬していたのだ。
「まあ、今回は許してやりな。あの時のアキトの判断が無ければ、こうして笑って冗談も言ってられなかったかも知れないしね」
アディーネのそう言う言葉は正しいのだろう。
人間達は分からないが、あの時、自分の部下達はロージェノムに裏切られた、見捨てられたのだと思い、その怒りの矛先を嘗ての自分達の主人に向けていた。そこにあのお姫様がポンと現れれば、おそらく今の様に丸く治めることは難しかっただろう。
結果的には一ヶ月と言う期間は、ニアと言う個人を彼等に考えさせる、よい時間になったと言える。
「本当に興味が耐えない男だよ……アキトは」
そう言うアディーネを見て、ヨーコとキヤルの乙女の直感が危険を知らせていた。
――まさか!? アディーネまで――っ!!
その後の二人の行動は素早かった。示し合わせたかのように、真っ直ぐにアキトの元に向かうヨーコとキヤルだった。
「でも、本当に大変なのはこれからだよ。私等(獣人)にも夢を見せた責任は取ってくれるんだろう?」
漆黒の姿に身を包んだ奇妙な男――テンカワアキト。
問い掛けるその相手に、アディーネは何故か笑っていた。
信じているから? その強さを知っているから? どれも違う。
確信していたからだ。自分を酔わせた男が、こんな所で簡単にくたばる筈がないと。
だからこそ夢見る。彼がどんな未来を自分に見せてくれるのか? どんな世界を作るのかと――
「まて……ヨーコ、キヤルっ!! それは何かやばくないか!?」
「この状況でまだ言い訳するかぁ――っ!!」
そこには日向ぼっこをしながら、アキトに膝枕をしてもらい仲良く眠るラピスとダリーがいた。
アディーネとの事を軽く問いただすつもりで来た二人だったが、まさかラピスはともかくダリーにまで手を出していたと言う事にショックを隠し切れない。
本当はアキトもそんなつもりは無く、ダリーもアキトを正義の味方か何かと勘違いし、父親の様に慕っているだけで、今はただの憧れのような物なのだが(てか、二人ともダリーの歳を考えろよっ!!)興奮しているヨーコとキヤルにはそんな言葉が届くはずも無い。
「アキト……何もこんな小さい子にまで手を出さなくても……オレならいつだって」
「普段、アディーネや私みたいにスタイル抜群の女性に囲まれてるのに、何もアプローチが無いと思ったら……
アキトは平坦な方がいいのね……だからラピスをいつも……」
ブツブツと、アキトの尊厳を傷つける様な事を言ってのける二人。もはや理性の欠片もなかった。
キヤルはどこからか取り出した爆弾を両手に持ち、ヨーコは愛用のライフルを構える。
「「てんちゅぅぅ――っ!!!」」
静かな昼下がり、ユーチャリスに男の悲鳴と爆音が響き渡った。
静かで穏やかな日々。これから待ち受ける戦いの前の、泡沫のようなそんな温かくも幸せな時間。
ずっとこんな時間が続けば、誰もがそう思う。
そして、そんな幸せを知っているからこそ、彼等は戦えるのだろうとチミルフは言った。
彼等が見ているのは過去でも、今でもなく、明日なのだと。
この時間がいつまでも続くように、それを叶える為に彼等は戦い続ける。
――世界を救う? 世界を変える? 違う。
彼等は守りたいのだ、掴みたいのだ、その明日を安心して迎えられる未来を――
「ワハハ、随分と酷い目にあったようだな」
「まったく、陰でコソコソ見ていたなら止めてくれれば良い物を……」
「そう言うな。ああなった女性に関わるのは自殺行為だぞ? ワシも巻き込まれたくはない」
部屋で酒を酌み交わしながらアキトとチミルフが二人で話をしていた。
あれから随分と経つと言うのに、こうして二人で向かい合って酒を飲むのは初めてだと言うのだから不思議な物だ。
チミルフはそんなアキトの事を気に入り、アキトもまたチミルフの気性を好ましく思っていた。
出会いは最悪な物だったと言えるだろう。自分達の出会いは戦場、そして敵同士。
自分達の信念を貫く為に命を懸けて戦い、そして実際に死際までお互いにその矛を納める事はなかった。
だが、こうして生きて、自分たちは酒を交わしている。
「不思議な物だ……」
「ああ、まったくだ」
だが、それはそれで悪い気がしなかった。今はこうして友と呼べる人物と出会えた事に感謝しても良いだろう。
運命とは皮肉な物だとアキトは思う。
どれだけ仲が良くても、それが家族であったとしても殺しあう者もいるし、言葉を聞き入れない者が存在する。
しかし敵であったとしても、こうして語り合う事が出来る相手もいる。
自分の人生はまさに前者であったのだろう。
友の手を払い、大切な人の言葉に耳を傾けず、ただの復讐者として生きたテンカワアキトと言う名のテロリストは……
「だが、それも含めてお前なのだろう?」
「――!?」
チミルフに自分の過去をちゃんと話した事はない。だが、漏れ出していたその殺気から察したのだろう。
人生経験、武人としての格で言えば、この男には敵わない。アキトはそう思い苦笑を浮かべていた。
恐らく、チミルフがこの酒の席に自分を誘ったのも意味があってのことだろう。
「アキト、その身体どこまで持つのだ?」
「……やはり気がついていたのか?」
「その動きや気配を見ていれば分かる。もっとも些細な違いであるが故に、他の者は気付いていないとは思うが……
誰にも知られたくないのであろう?」
「すまない……」
「だが、あのラピスと言う少女と、サレナは薄々気付いているようだな。まあ、それも当然か」
「あの二人にまで隠せるとは思ってはいないさ……だが、ここで止まる訳にはいかない。
オレに残された時間が少ない事は、この世界に来る前から分かっていた事だ」
「そうか……」
そう言うチミルフの表情からは何も読み取れない。ただ、悲しんでくれていると言うのはアキトにも感じ取れた。
「チミルフ、もしオレがいなくなったら、その時はラピスやサレナの事を頼まれてくれないか?」
「……それが、お前の意思か?」
「ああ……頼む」
重い空気が辺りを支配する。だが、チミルフだからこそ、彼女達の事を任せても大丈夫だとアキトは思っていた。
彼は、情に厚く、義理堅い武人だ。一度約束した事を決して違える事はないだろう。
それに、そんなことを抜きにしても、チミルフという個人は信用できると思う。
「……分かった。だが、アキト。ワシもアディーネもお前を死なせるつもりはない」
「しかし、オレは……」
持っていた酒を一気に飲み干すと立ち上がるチミルフ。
その瞳にユーチャリスから望む、地平線を目にする。
彼にとっての故郷であり、これから自分達が変えようとしている世界を――
「我々に夢を見させた責任を取らぬまま死なせんよ。そして、その未来にはヌシが必要だ。アキト」
アキトに差し出された大きな手。そこには様々な物が詰まっていた。
チミルフの想い、皆の願い、この星の明日。どれを取っても自分には重く、大層な物だと思う。
だが、この手を取らないと言う選択肢は、すでに自分にはないのだろう。
チミルフの言うとおり、その責任を果たさぬまま死ぬ事は出来そうにない……アキトは観念してその手を握り返した。
「全く、人使いが荒いな……お前も」
「ワシに全部押し付けて去ろうとするお前の方が性質が悪い。
それに、あのような女達を面倒見る自信はワシにはないぞ」
違いない。チミルフの滅多に聞かない冗談にアキトは笑っていた。
「そう、死なせんよ。ワシの目が黒いうちは……」
――どれだけ、お前が死にたがっていようと
そのチミルフの想いは誰にも聞かれる事なく、彼の胸の内に仕舞われた。
その決意と共に……。
テッペリン前線基地司令部――ダイガンテン。
そこに神速のシトマンドラの姿があった。空中に浮かぶダイガンテンから、その地上の光景を見下ろすシトマンドラ。
彼は四天王の中でも僅か二百年程しか生きていない新参者ではあったが、その実力は本物だった。
卓越した知識に優れた技量、獣人の中でもエリートとして絶対の自信と誇りを持っていた。
だが、グアーム等からは結果ばかりを追い求め先走るその性格と、プライド高い態度と言動に「小僧」呼ばわりされていた事を思う。
しかし、結果として彼はロージェノムに任命され、最高司令官の座に着いていた。
自分に不遜な態度を取っていたグアームは死に、チミルフとアディーネは裏切った。
その事により、自分が自他共に、ロージェノムの寵愛を受ける唯一最高の獣人となったと言う自信があった。
ロージェノムから与えられた全軍、その大艦隊を目にし笑みを溢すシトマンドラ。
彼にとって力とはテッペリンその物であり、誇りとは自分が獣人であり螺旋王の寵愛を受ける子供であると言う事。
だからこそ、チミルフとアディーネの裏切りが、ロージェノムの期待を裏切り果たせなかったグアームに憤りを感じる。
「この私が、私だけが螺旋王を、このテッペリンを守ることが出来る」
それは彼にとって当然であり、絶対であった。
彼にとっての全てがここにある。ロージェノムが世界を治める事こそ、彼にとっての世界の摂理なのだ。
それを乱す者を彼が感化出来る筈がなかった。
彼の名は神速のシトマンドラ。空を統べる最後の四天王。
若き空の王がその牙を磨き、最後の決戦の時を待ち侘びていた。
赤土の大地。テッペリンのある大陸に辿り着いた大グレン団一行は、最後の休息を取っていた。
「……遂にここまで来たな」
「兄貴の夢も、そしてオレ達の願いもここで叶うんだね」
カミナとシモン、旅立ったあの頃の様に二人でその赤く染まる大地を見詰める。
ガンメンが落ちて来たあの日、このコアドリルを手にした瞬間から始まった物語。
その終着点が、すぐ傍にまで来ていた。
「シモン、ここが最後じゃねえ……ここから始まるんだ」
自分達の時代はまだ始まってすらいない。カミナはそう自分に言い聞かせる。
まだまだこの世界には自分達の知らない世界が広がっていて、その先には無限と言う名の未来が待っている。
カミナはきっとどこまでも見えないその何かを追い求め、そして突っ走っていくのだろう。
「うん。オレもオレの道を……約束を果たす為に戦うんだ」
――自分が信じられないならっ! オレを信じろ! お前を信じるオレを信じろっ!!
そう言ってくれたカミナの言葉がシモンを満たしていく。
だけど、ここに居るのは、その言葉にすがって来た今までの自分とは違う。
それに気付かせてくれたのは一人の少女との出会い。
カミナと同じ世界を見てみたい。その道に立ち塞がる全ての物を突き破る力を――
そう思い、カミナと誓い合ったあの約束はシモンの中で変わる事はない。
しかし、それはカミナの願いを叶えるという事だけではない。皆の願い、ニアとの約束、そして何よりも――
シモンはシモンの望む未来を、自分の意思で自分の力で掴みたい。
その先にある未来を……明日を見てみたいと思ったからこそ、そのドリルを手にしたのだ。
「オレのドリルは――」
「そうオレ達の魂は――」
二人の願いも結局は、行き着く先は同じ。皆の願いもその先にある。
「「天をっ!! 世界を貫くっ!!!」」
カミナはその拳を、シモンはその輝くドリルを天に向かって上げ宣言する。
最初に望んだのは、見えない空ではなく、どこまでも広がる空。――無限の可能性。
人は夢を見る。大切な人の事を想い、守りたい物の為に、譲りたくない物の為に――
出来る出来ないなどと言う計算や、考えは彼等には必要ないのだろう。
そこに空があるから、海があるから、山があるから、彼等は飛び、泳ぎ、登る。
馬鹿みたいだが、やりたいから、したいからする事に理由なんかない。出来る出来ないではないのだ。
「いくぜ、野郎どもっ!! この背中、見失うなよっ!!!」
カミナのシンボルである、その赤いマントが風になびき、皆を誘う。
その背中に彼等はそれぞれの想いを抱き、そして託したのだ。大グレン団と言う名の結束に。
彼等が望みはただ一つ――
あの背中に秘められた無限の可能性を、明日(未来)を見る為に――
……TO BE CONTINUED
あとがき
193です。
遂に幕を開ける最終決戦。
ロージェノム、そしてシトマンドラ率いる大軍団を相手に彼等に勝機はあるのか?
望んだ事は決して大きな事ではなかったのかも知れません。しかし、それを許してくれない運命が彼等には待っていた。
ただ、それに抗い。そして可能性を、夢を見せてくれた漢の背中に未来を託したかったのでしょう。
力を持つ者が正しいと言うならば、それはこの最後の戦いで証明されると思います。
世界を統べる強大な悪と、人々の願いと想いを受け立ち上がる正義、異邦から現れた死神。
次回から、いよいよテッペリン編序章スタートです。
次回は、彼等の前に立ちふさがるは、嘗てない大軍団。獣人と人間、その雌雄を決した最後の戦いが幕を開ける。
紅蓮と黒い王子は定期連載物です。毎週木曜日の夜定期配信です。
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