新しい人類の歴史に『七日戦争』、または『テッペリン攻略戦』と記された戦いがあった。
その歴史的勝利からおよそ二年――
かつてテッペリンがそびえ立っていた場所には、カミナシティと名付けられた巨大な新興都市が誕生していた。
「ロシウ、これは多すぎないか?」
その都市の中心――そこに新政府の政府機関があった。
街の治安維持や人類の未来を守るために結成されたその組織は、人々に空の見える世界をもたらした英雄『大グレン団』のメンバーで構成されており、総司令官シモンの名の下、優秀な人材が集まる地上最大の勢力と今や成長していた。
街が一望できるその場所の最上階――総司令官室と札が立て掛けられた部屋に、この街の最大権力者の一人であるシモンが頭を抱えて座っていた。
シモンの机の上には乗り切らないほどの書類の山が積まれており、この書類の山を持ってきた当人のロシウは、その横で頭を抱えるシモンを無視して次々に必要書類に目を通していく。
「総司令、まだ他にもやってもらう仕事は山ほどあるんです。
さっさと目を通して、必要な物にはサインをお願いします」
「ま、まだあるのか!?」
実はカミナシティが完成し、この組織が出来てからと言う物、ずっとこんな毎日が続いていた。
アキトが事前に用意していた再編プログラムは確かに優秀な物だったが、それを実行するのは他ならぬ人の手だ。
今、このカミナシティは急激な人口増加傾向にあり、拡張から拡張に継ぐ工事で、人手がいくらあっても足りない状態にあった。
まだ、末端の人間であれば良いかも知れない。だが、それを指導する人間、取りまとめれる人材の確保が難困していた。
組織の幹部、そしてそれを取りまとめているものは、ほとんどがかつて大グレン団の一員として獣人と戦った者たちだ。
だが、彼等とて戦うことは出来ても、ちゃんとした教育を受けた物は少なく問題も少なくない。
その対策として、カミナシティでは最低限の生活を補助する物として、文字の読み書きなど生活に必要な教育に関しては完全に義務化を提唱していた。
その中でも特に優秀な者は大人、子供を問わず、上位教育機関への推薦が認められる。
とは言っても、それもこの先のことを考えられて作られたシステムであると言うだけで、今すぐに効果があると言うものでもなかった。
結局のところ、当面は今いる人材でなんとかするしかないのである。
当然、そのしわ寄せはシモン達にもやってくることとなる。
それに加え、シモン達には未来に確実にやってくるとされるアンチスパイラルに対しての対処もあった。
「そ、そろそろお昼だろ? ニアを誘ってメシでもどうだ?」
「ニア総司令は、チミルフ副司令を連れて新しく設立した孤児院の視察だそうです」
「うっ……」
どうにか逃げ場を確保しようとしたシモンだったが上手くはいかなかった。
そう、このカミナシティには、実はもう一つの政府機関が存在した。
そちらは獣人のみで結成された第二政府と呼ばれるものであり、戦犯とされ今も追われる獣人による犯罪の防止や、戦争によってさらに溝の深まった人間と獣人の関係改善を目的に結成された組織だった。
アキトが危惧したことの一つに獣人達のことがあった。
確かにチミルフ達のように、大グレン団に協力して一緒に戦った獣人達も少なくない。
だが、だからと言ってすべての人が彼等の今まで行ってきた罪を許せるものでもないと言うことがあった。
このまま人類主導の世界政府が結成されれば、今度は逆に戦犯である獣人達に対して弾圧と、一方的な支配の押し付けがはじまるかも知れない。
それは獣人と人間の立場が逆転するだけで、何も変わらないのではないかとアキトは考えていた。
そのために、人々に再編計画を残すと同時に、チミルフやアディーネにも独自にその枠組みに加わっていけるような計画案を残していた。
その結果生まれたのが第二政府『ビーストガバメント』――
「しかし、総司令……なぜ、あんなことを許可したのですか?」
「また、それか……言っただろう? オレは人間にも獣人にも、どちらにも争って欲しくない」
「だからと言って、最高機関であるはずの政府が二つもあるなんて……」
ロシウはずっとこのことに納得がいっていなかった。
アキトの提唱した物だから間違いはないと思いたいが、政府が二つあると言うことは何をするにしても対立が起こる可能性があると言うことだ。
共存と都合の良いことを言っていても、獣人に権力を残したに他ならない。
人類解放に協力した獣人がいる一方、ロージェノムに与した獣人も多くいる。
そんな彼等に人間と同じだけの権力を与えて、本当に良いのかとロシウは考えていた。
そうなれば、いつか『テッペリン攻略戦』のように再び大きな争いが起こるのではないかと言う危惧があった。
むしろ、人類主導の下、ちゃんと更生できるように厳しく監督する必要があるのではないかと彼は進言したのだ。
だが、シモンは――
「そんなことをすれば、また余計な反発を生むだろうな。
オレは、人間の押しつける未来じゃない。獣人にも獣人の手で未来を作ってほしいんだ。
そして、オレの信じたニアなら、きっとオレ達を裏切らないと信じている」
シモンは、はっきりとロシウの考えを否定した。
アキトが、カミナが本当に望んでいた未来をシモンは知っている。その未来を信じたいと思った自分の気持ちも――
それに、獣人を信じられないと言うことは、ニアも否定すると言うことだ。
だからこそ、シモンの答えは決まっていた。
「あなたは……甘過ぎる」
ロシウは拳を握り締め、強く唇を噛み締めた。
紅蓮と黒い王子 第38話「ただいま……シモン」
193作
「ああ……ニアなら今日は帰ってこないよ。まだ、政府の方でやることがあるらしいからね」
家に帰ったシモンを待っていたのはアディーネだった。
シモンの家は、カミナシティでも一等地にあり、一人で生活するには大きすぎるほどの屋敷を与えられていた。
ほとんど政府で働き詰めな彼にとって、家というのはあってもなくてもよかったのだが、それでもニアとの生活を考えると、やはりちゃんとした家は必要だと思い、この屋敷を建てることにしたのだ。
本来はもっと小さな家で十分だったシモンだが――ロシウが「警備の観点からもオススメしません」、アディーネから「王様がそんなしみったれた考えでどうすんだい……」、チミルフが「姫様がお住みになるなら大陸一の立派な建物にしなくてはっ!!」と話がどんどんと大きくなり……いつの間にか、目立ってこの上ないほどの大豪邸が建っていた。
チミルフはそれでも納得行かなかったのか、まだブツブツと文句を言っていたらしい。
人伝にシモンが聞いた話では、チミルフはもはや家でなく、城を建てようと計画していたと言うから驚きだ。
そして、この大きすぎる屋敷には、使用人や警備の者の他に、ニア、アディーネ、チミルフ、そして――
「ありがとう、ココ爺」
差し出されたお茶を手に取るシモン。
シモンにお茶を持ってきた老人――テッペリンの中でシモンが出会った謎の老人が、このココ爺だった。
ココ爺はシモンも後で知ったことだが、ニアの執事兼、教育係としてロージェノムに作られた獣人だったらしい。
「シモン、おっかえり〜!!」
――ダイビングジャンプ!! 小さな影がシモンの胸に飛び込む。
零しそうになったお茶を慌てて手で押さえ、その影の方に声をかけるシモン。
「……まったく、危ないだろ? ――ミア」
「うっ……ごめんなさい」
年の頃は七歳前後、今のダリーと同じくらいだろうか?
清楚な白いワンピースを着た人形のような少女がシモンの胸にうずくまっていた。
クリっとした大きな目に、クルクルとした金髪、それにマシュマロのように白い肌――
幼いニアを連想させるその少女は、あの時の女の子だった。
シモンがロージェノムの研究所から助け出して連れてきた少女。
その少女も少し成長し、今はシモンやニアの妹のように大事にされ、この屋敷で生活を送っていた。
「だって、シモンもお姉ちゃんも全然帰って来ないから」
ミアは寂しかったのだろう。シモンがひさしぶりに帰ってきたことで嬉しさの余り、思わず抱きついてしまった。
だが、それをシモンに叱責され、落ち込んだ様子を見せる。
「シモン、帰ってきた時くらい少しは構ってやりな。
あんたがいない時も、その子はいつも『シモンっ、シモン!』って五月蝿いんだからさ」
「アディーネのオバちゃん!! そ、それは言わない約束だったでしょ!?」
「――って!! だれがオバちゃんだい!?」
今日もシモンの屋敷はにぎやかだった。
「お疲れ様です。あとはこの書類にサインを頂ければ終わりですな」
第二政府の執務室では、ニアとチミルフが坦々と仕事をこなしていた。
ニアは元々、テッペリンでそれなりの教育を受けてきていた事もあり、こうした執務などの覚えは非常に早かった。
そういう意味では、シモンよりもずっと優秀だと言えるだろう。
チミルフも戦場をかけるその勇ましさとは裏腹に、意外と執務もそつなくこなし、ニアを上手くサポートしていた。
元々、四天王の一角としてロージェノムに大軍団を与えられていた武官だ。
こうして机にかじりつく仕事も決して苦手と言うわけではなかった。
もっとも、好きでもないのか、チミルフは執務中はずっと渋い顔をしていることが多い。
「――はい。チミルフも、お疲れ様です」
最後の書類に目を通し、サインを終えたニアは手を交錯し、背もたれに向かって大きく後ろに仰け反る。
「お疲れのようですな」
「それを言うなら、あなたも大変でしょう? 本当ならここで事務仕事なんてしないで――
昔みたいにガンメンに乗って、ラピスと一緒にアキトを捜しに行きたかったのではないですか?」
「さすがに見抜かれてましたか。たしかに、その気持ちはなくもないですが――」
チミルフはフッと微笑むと、ガラス張りの大きな窓の側に立ち、暗闇に灯る街の灯りをを見下ろした。
「ここでしか出来ないこともあります。そして、ワシはどうもあの男に心から心酔しきってしまっている。
だからこそ、あの男の託したこの場所で、あの男の夢見た未来を見てみたいのですよ」
「未来――」
アキトが残した計画書から、彼がどれだけこの世界の人たちのことを考えていてくれていたのか、ニアにもわかっていた。
だが、その彼はテッペリンの消失と共に姿を消し、行方不明――
最大の功労者であるはずのアキト、カミナ、そしてヨーコ、サレナを欠いたまま、自分達は未来に進んでいく必要があるのだ。
「不安……ですか?」
「少し不安……でも、私にはチミルフが、アディーネが……そしてシモンがいます。
きっと一人じゃ出来ないことでも、みんなと一緒なら出来ると私は信じていますから」
「みんな……ですか。それはシモンの間違いでは?」
「シモン? たしかにシモンも大事ですけど、チミルフや他のみんながいないと、私たちだけじゃ何もできませんよ?」
少し突っ込んだ質問をしたつもりのチミルフだったが、天然のニアにはそれでも通じなかった。
チミルフは仕えている姫様の鈍さに呆れながら、シモンに同情する。
「そこまで肩肘を張らなくてよいと言うことです。最近、シモンにもちゃんと会ってないのでは?」
「ええ、シモンがちゃんとご飯を食べてるか心配で……」
――気になるのはそこかよっ!
と心の中から叫びたくなるチミルフだったが、アディーネに言われていたこともあり、グッと我慢する。
「ニア様は、シモンに会いたくないのですか?」
「会いたいですけど……でも、私には役目が……」
「それでもですっ、会いたいなら会いに行ってくだされ!!
一日や二日、いなくてもワシの方でどうとでもなりますっ――
でないとワシの命が――」
「……え?」
実は執務室に来る前、アディーネからの連絡を受けていたチミルフはニアに休みを取らせるように言い含められていた。
チミルフにしても、働きすぎなニアを心配していたので不服はなかったのだが、そこでアディーネに釘をさされたことの方が怖かった。
「もし出来なかったら――わかってるだろうね?」
受話器越しでもわかるアディーネの嫌な笑顔――
それはチミルフの背中を押すのに十分な破壊力を持っていた。
「誰かに命を狙われてるんですか!? まさか――反政府――」
思いっきり勘違いをして、慌てだすニア。
チミルフもここまでストレートに言って無駄なら、何をしても無駄な気がしてきた。
「とにかく明日は休みにしておきますから……今日は屋敷に戻ってゆっくりと休んでください」
チミルフは、最後にそう言うだけで精一杯だった。
「それでね……ダリーが……うみゅ……」
「寝ちゃったみたいだね?」
「夕食の後から、ずっと話しっぱなしだったからね。
ミアにも随分と寂しい思いをさせてしまってすまないと思ってるけど……」
「そう思ってるなら、せめて家には帰ってきてやりな。どれだけ遅くなってもいいからさ。
人からの受け売りだけど、家族ってのは一緒にいるもんなんだろ?
あたしは獣人だから、その辺のことはよくわからないけどね――
でも、大切な人に一緒にいて欲しいって気持ちは少なくとも分かるつもりだよ」
「……アディーネ」
そう言うアディーネは表情はどこか寂しげだった。
「アディーネ、本当にアキトを捜しにいかなくてよかったのか?」
「だれも、待っててやらないんじゃ……ここに帰ってきたとき出迎えてやる奴がいないじゃないか。
それは、寂しすぎるだろ?」
アディーネはそのままソファーから立ち上がると、シモンの手からミアを奪い取って抱き上げる。
「この子は私が部屋で寝かせてきてやるよ。
あんたは、あんたのお姫様の相手をちゃんとしてやりな」
「……え?」
そうして、シモンが部屋の入り口を見ると、そこにはニアが立っていた。
その二人を見て優しげに微笑むと、満足したのかアディーネはミアを抱き上げたまま部屋を後にする。
残された二人はお互いに向かい合ったまま、しばらく無言だった。
シモンも不意をつかれたため言葉にならず、何を言って良いかわからない。
そんな沈黙を先に破ったのは、ニアの一言だった。
「ただいま……シモン」
シモンはたった一言、ニアに声をかけて貰えるだけで心が弾む自分に気付く。
忙しさにかまけて家になかなか寄り付かなくなったのも、ニアとのすれ違いが多くなったのが原因だった。
今はお互いに立場もあり、多忙な毎日を送っている。
それが、以前のように一緒にいることが当たり前な二人の関係を変える切っ掛けとなっていた。
今まで体験したことがない別種の寂しさを感じ、お互いに燻っていた二人――
「――おかえり」
二人は手を取り合ってバルコニーに向かう。以前と同じように、優しく白い月明かりが二人を照らし出す。
「シモン、今は無理でも、いつかきっと――私たちのこの手のように」
しっかりと繋ぎあった手を上げ、ニアは言う。
「人と獣人、みんなが幸せになれる世界を――大切な人の手を繋げる時代を――」
シモンも笑顔で頷く――それは、二人で決めたことだった。
新政府の代表になると決めたあの時、シモンとニアは誓い合った。
アキトが望んだように、自分達が人と獣人の架け橋になれるのなら、必ずその夢を叶えようと――
その日から、シモンとニアは家に帰ってくる日が多くなった。
ロシウは渋い顔をしたが、それでもチミルフとアディーネに睨まれ、月に数回の休みは必ず取るようになっていた。
一番二人が嬉しかったことは、それ以来、ミアが今までよりもずっと元気に笑うようになったこと――
世界は二人が思っているよりも、ずっと優しく温かい。
そう思わせる出来事だった――
……TO BE CONTINUED
あとがき
193です。
第三部開始しました〜。第三部は短編ぽい話がぽつぽつ挟まれます。
アニメの方では一気に七年もぶっとんじゃいましたが、その七年間でそれぞれにどんな変化があったのかと言うのも重要かと考えますので、本作では飛ばさずに頑張るつもりです。
兄貴やヨーコ、それにアキト、サレナの出番が中々ありませんが、この他のメンバーにもスポット当てていきますのでその辺はゆっくりとお待ちを。
次回は、ダリーとミア、おまけにギミーは政府の上位教育機関への推薦が認められ、見事入学を果たす。そこで始まった新しい生活とは?
紅蓮と黒い王子は定期連載物です。毎週木曜日の夜定期配信です。
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m