――撫子船団旗艦軍事用格納庫。
 そこに、エステバリスと並んで、ブラックサレナの姿もあった。
 機体から取り外された動力機関の前には、白衣をまとった金髪の美人イネス・フレサンジュと、桃色の髪に金色の瞳、白き妖精と呼ばれる少女ラピス・ラズリがいた。

「これが、完成したVユニットですか?」
「ええ、そうよ。でも……」
「肝心の出力が予定の数値にまで達しなくてなあ。小型化したことで、相転移エンジンの出力が、かなり落ちちまってるのよ。
 グラビティブラストを撃てるほどには達してないし、精々高密度のディストーションフィールドを張れて、重力波ビームの影響を気にしないで活動できるようになったくれえだぜ?」

 二人の話を聞いて作業を中断し、スパナを片手に話に加わってくるウリバタケ・セイヤ。
 この世界で三年、火星でのクーデター事件から四年。
 技術の革新と共に、相転移エンジンの小型化が進められる中、撫子商会が次に考えたのはエステバリスなどの人型兵器への転用だった。
 だが、通常のエステバリスのサイズに乗せられるほどの小型化はやはり見込めず、二年前より、このプロジェクトは頓挫していた。
 しかし、そこで登場したのが、ラピスの提唱した熱核バーストタービンエンジン、通称、熱核エンジンとの併用運用だった。
 通称Vユニット呼ばれるこの機関は、VFシリーズなどでも使われている小型の熱核エンジンを用いる事で、相転移エンジンを小型化することで問題となっていた、起動エネルギーの問題を解決する事に成功したのだ。

 相転移エンジンを搭載する戦艦は、相転移エンジンの起動エネルギーを補うために、核パルスエンジンを数機搭載している。
 結局のところ、真空という状況でしか、その力を発揮する事が出来ない相転移エンジンでは、大気圏内での動作に影響を残す。
 そのため、相転移エンジンを起動させるためのエネルギー供給源、補助動力として核パルスエンジンを搭載しているのだが、この発想をエステバリスなどの兵器にも転用することを思いついたのだ。

 今までのエステバリスは機体にジェネレーターを取り付け、艦からの重力波ビームを受け、エネルギー供給を得る仕組みを取っていた。
 だが、これでは相転移エンジンを小型化するに辺り発生した問題。
 火をともすだけの起動エネルギーを、ジェネレーターだけでは得ることが難しくなったことにある。
 だが、この世界には相転移エンジンと比べても遜色ない、OTM(オーバーテクノロジーマクロス)と呼ばれる技術が存在した。
 その研究の成果として生まれた熱核バーストタービンエンジン。
 これは、従来の核反応理論にOTMで授かった重力制御技術を導入したもので、通常の核機関よりもずっと小型で、高出力のエネルギーを生み出す反応機関だ。
 これのお陰で、動力部の小型化に成功したVFシリーズは、変形機構導入が可能となり、あの大きさで、あの機動力を可能としていた。

 Vユニットとは、特殊な連結機関を使用することで、この熱核エンジンと相転移エンジンを波状リンクさせることに成功した新型エンジンのことだった。
 火をつけるためのマッチが熱核エンジンだと考えればいいだろう。
 足りなければ他所から持って来ればいいと言う力任せなやり方ではあったが、これが思いのほか上手く成功していた。
 しかし、ここで問題となったのはやはり動力機関の肥大化だった。
 予定よりも小さくなったとは言え、従来のジェネレーターに比べて遥かに大きな規模になってしまったため、エステバリスのフレームから見直すことを余儀なくされた。結局、全長約十メートルと大きくせざる得なかったのが開発の遅れの原因でもあった。
 だが、ブラックサレナは、一次装甲自体が巨大な蓄電池となっていたため、エステバリスよりも大容量エネルギーの使用を可能とし、単独での運用を行えていたのだが、逆にこのスペースが今回のVユニットを転用することに大きく働いた。
 元々あった外部フレームのスペースを利用する事で、エステバリスのような大幅な改修をせずとも、Vユニットの換装が可能だったためだ。
 そのため、撫子商会からの依頼を受け、ブラックサレナでのVユニットの試験運用をこの半年、アキトとラピスは行っていた。

「それよりも、ブラックサレナに取り付けてあった試作型のリミッター、見事にはずれてるみたいなんだが……」
「え……そうなの?」
「はい。それは、アキトが反応が鈍いからと自分で外したんですが……何かまずかったですか?」
「いくら出力が規定値に達してないと言っても、前よりも40%以上機動性が向上してあるのよ? それで鈍いなんて……」

 イネスの驚きは、もっともだ。
 Vユニットは単に相転移エンジンを小型化することで生まれた問題を解決するだけでなく、熱核エンジンを採用したためにエネルギー伝導率が大幅に上昇し、各部出力も以前とは比べ物にならなくなっている。
 たしかに、ナデシコなどで採用されている相転移エンジンなどと比べれば出力その物は遥かに小さく、単機でグラビティブラストを放てるほど大きい物でもない。
 それでも、機体性能においては、以前のエステバリスやブラックサレナとは比較にならなかった。
 そのため、パイロットの身体がついて行かないことなどを理由に、出力にはリミッターが設けられていた。

「お兄ちゃん、身体の方は、もう、いいのよね?」
「はい。完全とは言いませんが、こちらに来てから回復しています。
 五感の方も全体で五割弱回復してますし、今までの事を考えれば生活には支障がないレベルと思います」
「だとすると、感覚が戻って、より反応が鋭敏になったか……
 それとも、お兄ちゃん自身が更に成長を遂げているのか?」

 最初はアキトの身体の事を気遣って、心配の色を見せていたイネスだったが、段々と研究者らしい悪い顔つきへと変貌してきている。
 それを敏感に感じ取ったのか? ラピスは、そんなイネスから少し距離を取っていた。

「博士……お願いですから、アキトを解剖するようなことはしないで下さい」
「大丈夫よ。お兄ちゃんに、そんなことをするはずないじゃないっ!」

(その微笑みが一番信用できないんですけど……)

 と、ラピスは心の中で呟いていた。





歌姫と黒の旋律 第7話「スクールデイズ」
193作





「ねえ、今度の休みに行ってみない?」
「あ〜、知ってる。ナデシコモールでしょ? 私も新しい服、見たかったんだ〜」
「私は、ナデシコパークの方が興味あるかも。あそこで、メグミ・レイナードの野外コンサートやるらしいよ」

 美星学園――
 アルトの通うクラスでは、クラスの女子達の間で先日フロンティアに来艦した撫子船団の話で盛り上がっていた。

「撫子商会ね……アルトはどう思う?」
「別に……」
「そう言えば、一緒にあのホーメイガールズや、メグミ・レイナードも来艦してるらしいですよっ!」
「オレはどっちかって言うと、あの麗しの妖精。ホシノ・ルリ嬢にお目にかかりたいけどね〜」

 アルトの席の周りにも、撫子船団の噂を聞きつけたミハエルとルカが集まっていた。
 先日のカイトス、ダルフィム救出作戦のあと、帰艦したアルト達を出迎えたのは、巨大な商業船団と連結したマクロスフロンティアの姿だった。
 ルリ達は何も、ナデシコMだけでアキトの救出に向かったのではない。
 同時期、他の移民船団で商業活動を行っていた商会の旗艦に連絡を取っていたのだ。
 フロンティアで予測されるのは何も戦いばかりではない。
 兵器、弾薬などの補給も当然あるが、水や食料の問題、戦争状態で抑圧されている人々の精神状態など問題は多岐に渡る。
 それらも考え、商会の船団をフロンティアに向けて先行させていた。
 事実、今のフロンティアは度重なるバジュラとの戦闘で、水や食料などに関しても厳しい状況にあった。
 だからと言って、船団規模で航海を続けているフロンティアは、そう頻繁に外部から補給を受けられるものでもない。
 そこに撫子船団の来艦は、市民にとっても政府にとっても渡りに船だったと言える。
 そのことを好ましく思っていない人物がいようと、物資がなければ戦争は出来ない。今の生活を維持することは出来ない。
 彼等も、それはよくわかっていた。

「しかし、ここまで準備と手際がいいと、勘繰りたくもなるね。
 まあ、さすがは三年で、天下の新星インダストリー≠ネどに次ぐ大企業にまで成長した商会ってとこかね?」
「うちの会社でも、なんどか、あそこの技術部の人と意見交換したことありますけど、確かにあの商会は凄いですよ。
 一流どころか、歴史に名を残すような技術者、研究者がたくさんいますからね」
「それに、あの時出て来たエステバリスだっけ? あれを操縦してたパイロットも並みじゃなかったな」

 ミハエルとルカが驚くのも無理はない。
 撫子商会の出している製品は、軍、民間を問わず広く浸透していた。
 芸能関係においても、メグミ・レイナードや、ホーメイガールズなどの多くのスターを輩出し、船団のライフラインを維持するための貿易活動、それに移民惑星の開拓事業や、慈善活動など、この宇宙で彼等のニュースが流れない日などない。
 それだけに、今度の来艦は暗いニュースで陰を落としていたフロンティアの市民にとっては大きな朗報となっていた。

「まあ、あれだけ凄い企業なんですから、護衛についてるパイロットも凄腕でもおかしくないですけど……」
「それでも、あれを見ると自身を失くすよ……結局、あの黒い機体も商会のだったのかね?」
「さあ? 少なくともエステバリス自体は一般にも販売されてる機体ですし、うちのVF−25みたいに、まだ実用化されてない先行試作機の可能性も……」
「なんにしても、あの船団が来てくれたお陰で、食料とか色々な問題が解決したんだ。
 今は感謝しとこうぜ。それよりも……」
「……!?」

 アルトの前に二枚のチケットを差し出すミハエル。
 そのチケットには撫子船団来艦イベントライブ≠ニ書かれている。

「これを持って、ランカちゃんでも誘って行ってこい」
「なっ! なんで、オレがっ!?」

 突然のことで動揺するアルト。
 実は、ミハエルがこんな行動に出たのには理由があった。



 ――時は少し前に遡る。

「あなたが、ミハエル・ブランね」
「シェ、シェリル!!」

 護衛艦救出から二日。報告書の作成をようやく終えたミハエルのもとに、彼女の使いから連絡があったのは、その翌日のことだった。
 だが、ミハエルには覚えがない。アルトと彼女の接点は聞き知るところで大体知っていたが、自分とシェリルに接点はない。
 あるとすれば、フロンティアでの初ライブが始めてなのだが、そこでも直接見知ったと言うほどの接点はなかった。

「ミス・シェリルからお呼びたてとあれば、来ないわけに行きませんからね?
 どうです? このあと、よろしければお食事でも……」
「ごめんなさい。軽い男は好みじゃないの。それに相手ならいるからっ」

 そう言って、隣にいたアキトの腕をとるシェリル。
 ミハエルも隣のスーツ姿の男性は、ボディガードか何かだと思っていたので目を丸くして驚く。

「あなたを呼び立てたのは他でもないわ。このチケットをアルトに渡して欲しいのよ。
 アルトの一番の親友なんでしょ? だから、あなたからってことでね」

 彼女から手渡された二枚のチケットを見て、訝しむミハエル。
 「デートの誘いなら、何故自分から渡さないのか?」と不思議に思ったミハエルは彼女に聞いた。
 そして見せられたのが、先日のシェリルのファイナルライブの会場前で、ランカに向かって叫ぶアルトの姿が映った記録映像だった。
 それを見たミハエルは、予想だにしなかったアルトの行動に、そこにシェリルがいることも忘れ、腹を抱え笑い出す。
 あの時、どこに行っていたかと思えば、アルトがこんなおもしろいことになっているとは思わなかったからだ。
 シェリル自身も別に悪気があって、この映像をミハエルに見せたわけじゃない。
 先日のライブでランカに助けられたお礼と、そんなランカを元気づけたアルトへのちょっとした感謝のつもりだった。
 入手困難なイベント物のチケットには違いないが、それも、商会から依頼された仕事で貰った物だったので、シェリルにとってはそれほど難しい物ではなかった。

「こんな、おもしろいこと……いや、もとい、必ずアルトに渡しますよ。ミス・シェリル」

 結局、こんなおもしろいことを他に譲れるはずもないミハエルは、シェリルの話に乗り、チケットを預かった。
 しかし、彼のそんな性格も考慮し、チケットをミハエルに渡すように仕向けたのがラピスだったとは、彼は知る由もなかった。



 そんなこんなで結局――

「まあ、そう言うな。ホーメイガールズとかだけじゃなく、ゲストでシェリルもでるらしいぜ?
 先日のランカちゃんとのライブの約束も、結局、行けなかったんだろ?」
「う……っ!」

 出動が重なったは言え、自分から誘っておいて、シェリルのライブに行けなかったことには違いない。そのことはアルトも気にしていた。
 だからこそ、ミハエルの気遣いが痛い。普段なら、こんな怪しいチケットは受けとらないアルトだったが、さすがにそれを引き合いに出されては分が悪かった。

「まあ、頑張って来いっ! 隊長には内緒にしておいてやるから、安心しな」

 そう言いながら、アルトの背中をバシバシと叩くミハエル。
 その笑顔に、複雑なものを感じるアルトだった。






 結局、統合軍はダルフィムの乗員から一つも有益な情報を得ることが出来ないでいた。
 ダルフィム、カイトスともに、ギャラクシー船団が襲われてから、民間人を乗せてすぐに戦線を離脱したこともあり、現在のギャラクシーの安否などについては一つも知らされていなかったからだ。
 無理をして救助してみたはいいが、結局のところ手詰まりとなっていた。

「撫子船団ね……まったく、厄介な物を持ち込んでくれた物ね」
『それでも、市民の生活を預かる立場としては、彼等の訪問を断り難いのは確かだからね』
「それで? 乗員の隔離はいつ解かれるの?」
『検疫が確実に済むまでは当分は無理だね。例のV型感染症の心配もあるし』
「そう……」

 マクロス25では先日の報告書をまとめながら、キャサリンとレオンが通信で会話をとっていた。
 キャサリンにとっても、帰艦して早々、撫子船団来艦の報告は寝耳に水だった。
 だが、フロンティアが度重なるバジュラとの戦闘で物資不足になっているのは紛れもない事実であり、物資を売り歩く移動商業船団である彼等を拒む理由などなかった。
 そこにどんな思惑があったとしても、結局のところ、物がなければ戦争は出来ない。
 現在、ギャラクシーとの交流も断たれ、孤立状態にあったフロンティアにとっては、彼等の訪問は渡りに船ではあった。

「こっちの乗員から気になる報告が一つあって……」

 そう言いながらアルトからの報告書にあった赤いVFや、錫杖を持った機体のことをレオンに問うキャサリン。
 あの時、その現場にいたアルトの機体は大破。残されたルカの機体にも、それらしい映像は残されていなかった。
 それに、SMSの機体はLAIの解析班に全てデータを押収され、キャサリンにはその真実を知るすべがなかっと言える。

「フーファイターってやつかい? ある意味、ロマンチックだけどね」

 何事もないように話を逸らすレオン。キャサリンも気になってはいたが、それ以上詮索することも出来なかった。
 それに、それ以上に気に掛かっている件もある。

「それで、カイトスの乗員の方は……」

 結局、あのままナデシコMに捕縛されたまま撫子船団に運ばれたカイトスのことを気にするキャサリン。
 いくら、逃げ延びた民間人が乗り合わせているとは言っても、あの船は新統合軍の護衛艦なのだ。
 軍に帰すのが当たり前で、彼等の行為は軍の権利を侵す、越権行為以外の何者でもないと彼女は思う。
 レオンもそのことには同意するが、相手は船団をも所有する大企業。
 向こうの主張する権利も正当性がある以上、権力を主張して強行策に出ることは難しかった。

『艦と軍の人間は即座に解放されたよ。でも、こちらが要求した民間人の引渡しとかは応じてもらえなかった』

 撫子商会は民間人の人権保護を盾に、新統合軍の民間関係者の引渡し要求を拒否していた。
 隔離して検査や、事情聴取を取りたかった軍の思惑と真っ向から対立した形となる。
 結局、民間人は撫子船団の病院で検査を受けることになり、軍には回答文を持って答えると言うことで決着が着いた。
 それには、フロンティアが抱えていた事情に対して、商会が物資の援助などを申し出たことも大きかった。

「結局は、煮え湯を飲まされたってことか……」
『戦争はお金がかかるからね。このことに関して、君のお父様も、素直に彼等の援助を受ける腹積もりらしい』
「はあ……当面は、彼等に笑顔で応対しろってことね」
『キミには無理を強いるね。それよりもキャシー、どうだい? 今晩あたり……』

 ――プシュー。
 一言、「入るぞ」と告げると、ノックもせず部屋に立ち入るオズマ。それには、キャサリンも驚く。
 レオンと密会していることが周囲には内緒だったのもあったが、オズマには知られたくない理由が彼女にはあった。
 元々、オズマとキャサリンは過去に言い知れぬ仲だったと言う噂がある。言って見れば、男と女の仲という奴だ。
 過去に何があったのかを、二人は誰にも話そうとしない。だが、実際には、円満に別れたと言うわけでもなかった。
 そのため、キャサリンもオズマに対して未練のようなものを持ち合わせていたし、オズマもそんなキャサリンに冷たい態度を取る。
 彼女にして見れば、レオンとのことは何がなんでも、オズマには勘ぐられたくないことの一つだった。

「こ、今晩はダメ。また、こっちから連絡するわ!!」
「――キャ、キャシー!?」

 レオンが何かを言い切る前に、キャサリンは通信を一方的に切る。
 そんな慌てふためく彼女の前に、オズマは持参した報告書の束を机に投げつけた。

「ほらよっ。まったく、なんでオレがこんなことを……」
「と、とっくに提出日は過ぎてます! それにノックくらいなさい!!」
「フン! また、小じわ増えたんじゃないか?」
「――えっ!?」

 オズマの態度にカッとなったキャサリンは抗議するが、目を細め悪態をつくオズマの一言に過敏に反応し、鏡を取る。
 実際には、彼女もそれほど歳を食っているわけでもない。だが、軍人といえど、彼女も女だ。
 見た目には随分と気を使っていた。それが、今もまだ気になっている相手から言われた言葉なら尚更だ。

「もう……なんなのよ」

 キャサリンは、鏡を見ている間に部屋から姿を消したオズマに苛立つ。
 実際、オズマだけじゃない。彼女のもとには厄介な問題が山のように積み重なっていた。
 撫子船団、護衛艦の問題、軍や政府との窓口としての役目。SMSに配属された彼女には、四方から様々な問題が積み重なっていく。
 そこに加え、SMSの隊員はよく言えば現場主義、悪く言えば事務ベタと言うべきか、報告書諸々の提出率が非常に悪く、ほとんど軍とのそう言う書類のやり取りは彼女の仕事になってしまっていた。
 キャサリンは「若くして禿げるのではないか?」と思うくらい頭を掻き、机に突っ伏す。
 彼女の苦悩の日々は、こうして続くのだった。





 ギャラクシー護衛艦救出作戦から、およそ十日。

「うう〜ん、やっぱり私の見立ては間違いないわね」

 フロンティアの、とあるショッピングモール。
 娘々(ニャンニャン)も立ち並ぶ、学生にも人気のその区画に、シェリルとラピス、それにアキトの姿があった。
 三人は、見た目には仲の良い親子連れに見えるかもしれない装いで、ショッピングを楽しんでいる。
 だが、アキトだけは「この買い物に乗り気ではないのか?」疲れきった顔をしていた。

「もう、仏頂面しないの。どう、似合う?」

 そう言って、アキトの前に立った二人が着ていたのは美星学園の制服だった。
 白に橙色のラインを基調とし、大きな赤いリボンが特徴のその制服は、木彫を中心としたカジュアルな店内で一際よく目立つ。
 確かによく似合っているのだが、何故、制服なのか? と言う点がアキトは疑問でならなかった。

「なんで、制服なんだ?」
「もう、似合ってるの? 似合ってないの?」
「いや、似合ってるが……」
「うふふ〜、ラピス、アキトが似合ってるってっ」
「…………」

 シェリルから答えは得られなかったアキトだったが、ラピスが思いのほか、その制服を気に入っていることはわかった。
 考えてみれば学校などというものにラピスは通った事がない。それも、自分がずっと戦いに連れ出して、こんな生活を続けていたのだから仕方ないとアキトは思うが、出来ればラピスには、叶わないにしても「年頃の少女と同じような生活をさせてやりたい」という思いもあったので複雑な気持ちだった。

「んじゃ、次に行きましょうか?」
「まだ、どこかに行くのか?」

 ここに来るまでに、もう十件以上、買い物に付き合わされているアキトは嫌な顔をする。

「もう、そんなに疲れきった顔をしないっ。次で最後よ」
「はあ……、わかったよ。で? どこに行く気なんだ?」

 その行き先を聞いて、アキトは目を丸くすることになる。






「芸能科に転校してきたランカ・リーです。皆さん、よろしくお願いします」
「な……!?」

 ミハエルからチケットを貰い、すでに三日。
 どうやってライブにランカを誘おうか悩んでいたアルトの前に、朝のHRの静けさを打ち消すように現れた転校生。
 大きなリボンに、橙色が基調の目立つ美星学園の制服。そこに、トレードマークの緑色の犬の耳のような愛くるしい髪型が際立つ。
 それは話題の当人、ランカだった。
 戸惑うアルトに、笑顔で手を振るランカ。それには、アルトも驚きと困惑の色を隠せない。
 実はランカがこの学園に転入してきたのには理由があった。



 シェリルのファイナルライブから明けて十日。ランカはベクタープロモーションで慣れない芸能活動に奔走していた。
 最初のうちは商品の街頭PRなど、小さな仕事ばかりではあったが、それでも初めてのことに戸惑いや驚きを含みながらも楽しくやっていた。
 だが、ここで問題になったのが学校のことだった。
 ランカが通っていた学校は、フロンティアでも有名なお嬢様学校であり、勿論のこと芸能活動など許されるはずがない。
 当然のことながら、ミス・マクロスの件で停学になったように、ここでもまた、ランカは転校するか退学かを迫られていた。
 そこで思い立ったのが、アルトやナナセが通う学校、美星学園のことだった。
 美星学園は、航宙科、情報科、芸能科など、専門の分野に学科が分かれ、多くの専門エキスパートを排出するフロンティアきっての名門だ。
 ランカは、ここにある芸能科に目をつけ、即座に編入届けをだした。
 だが、実技試験などもある難しい事で有名な学校。そんなところに「自分が合格できるだろうか?」とランカは不安ではあった。
 しかし、元々、有名なお嬢様学校に通っている彼女は、その(アホっぽい)見た目とは裏腹に頭が良い。
 問題は実技だけだったのだが、芸能科コースは元々が他の学科に比べて実技審査がゆるいこともあり、持ち前の歌唱力を披露した彼女は無事に合格を果たすこととなった。



「これから、ずっと一緒なんて嬉しいです」
「楽しくなりそうですね。アルト先輩っ」
「ああ……まあ……」

 休み時間――
 アルト、ランカ、、ミハエル、ルカ、ナナセの五人は、校舎入り口近くの階段でランカを囲んで談笑していた。
 ランカが美星学園に編入したことを喜ぶ三人。だが、アルトは何が気に入らないのか、いつも通り不機嫌そうな顔をしていた。

「アルトくん……あの、怒ってる?」
「いや、別に……」

 実際には心構えも何もできてないところに、急にランカが現れたものだから、どうやってチケットを渡すかを考え、アルトは頭を悩ませていた。
 それが顔にでているのか、周りには不機嫌そうに見える。

(やっぱり怒ってるのかな? あれから事務所の仕事とかで忙しくて、あまり連絡できなかったし……
 それに今度のことも一言も相談しなかったから? どうしよ……)

「ラ、ランカ……っ」
「あ、あのね、アルトくんっ」
「何してるの? あなたたち?」

 顔を近づけあい、顔を赤くして名前を呼び合う二人。
 それにツッコミをいれるように割って入る声。それは二人もよく知る女性の声だった。

「シェ、シェリル!?」
「シェリルさんっ」

 後ろにアキトとラピスを引き連れ、高級車から降りてくるシェリル。
 すでに周りにはそのことに気付き、遠巻きに観察する生徒達で円ができていた。

「な、なんでここに……」
「見学よ、見学。学校の許可も当然、もらってるわよ」
「けんがく〜?」

 一斉に、複雑そうな顔をするアルト達。そんな中、周囲の生徒達は本物のシェリルの突然の訪問に沸き立っていた。
 周りからはチラホラ、「シェリルがなんでここに?」、「私のアルト姫が〜」とか不穏な声も聞こえてくる。
 それに気付いてかミハエルも嫌な汗を流し、少し、少しと距離をとっていた。
 先日の件で、シェリルがどういう人物かミハエルは嫌というほど理解している。
 ここにいては、また厄介ごとに巻き込まれると確信していた。

「あら、ハンサムくん。どこに行く気?」
「い、いや〜、これからオレは授業が……」
「却下。奴隷くん一号、二号は私の案内をしてもらうことにするわっ」
「ど……奴隷くん!?」

 アルトとミハエルを指差し、奴隷一号アルト=A奴隷二号ミハエル≠ニ名付けるシェリル。
 二人して、シェリルの奴隷くん発言に不満そうな顔で一斉に声を上げていた。
 だが、そんな抗議の声に耳を貸すシェリルでもない。二人の意見など無視して、先々に話を進めていく。
 そんな状況に何もできず、ただ呆然とするランカとナナセ。ルカはそんな二人の後ろで、言葉を失ったのか目をパチパチさせていた。



「ふ〜ん、結構、いいトコじゃない」

 あれから、周りの生徒や教師達の嫉妬のまじった攻撃的な目に晒されながら、アルト達はシェリル達をつれて、学校の中を案内させられていた。校庭、教室、食堂と、一通り案内し終わったところで、シェリルの要望で、屋上にある航宙科の催している体験実習にきていた。
 練習用のEXギアを身にまとい、やる気満々なシェリル。それを遠巻きに見ながら、疲労困憊といった感じで、アルトは疲れきった表情をしていた。

「アルトくん、お疲れ様」
「ああ、ありがとう」

 隣にちょこんと腰掛け、持ってきた飲み物をアルトに渡すランカ。
 だが、ランカの表情はここにきてからずっと曇りを見せていた。

「ねえ、アルトくん。一つ聞いていい?」
「……なんだ?」
「シェリルさんの言ってた……奴隷ってどういう意味?」
「あ……あれはっ」

 さすがに言葉に詰まるアルト。まさか、シェリルの大事にしていたイヤリングを失くしてしまい、泣き落としに屈したとは言えなかった。
 だが、ランカも退けない。アルトとシェリルの関係は自分のアルトへの気持ちにも直結するのだ。
 だから、勇気を出してアルトに直接聞くことにした。結局、アルトとシェリルの関係はよくわかっていない。
 シェリルがアルトに何かとちょっかいをだしてるのは知っているが、それも直接シェリルに聞いたわけではないので、ちゃんと恋心とはわからない。
 なら、アルトはどうなんだろう? シェリルのことがやっぱり好きなんだろうか?
 恋する乙女真っ盛りなランカには、それはとても重要な事だった。
 仕方なくアルトは、シェリルのイヤリングを失くしてしまい負い目があると言うことだけを告げる。

「そっか……そうだったんだ」

 一変して安心したのか、ランカは笑顔に戻る。微妙によい雰囲気をつくる二人。
 アルトはチャンスだと思った。チケットを渡す機会を伺っていたが、今ならシェリルもEXギアの実習でこちらを見ていないし、ミハエルやルカも、シェリルにつきっきりで、こちらを伺っている余裕などない。

「ラ、ランカっ、よかったら来週オレと……」
「ランカさ〜ん! 酷いですよ。先に行っちゃうなんて」

 アルトが思い切ってランカを誘おうとした時――
 両手一杯にみんなの飲み物を持ったナナセが二人の後ろに立っていた。
 チケットを握り締め、両手両膝をつき項垂れるアルト。何事も、そうは上手く行かないものだ。

「ごめん、ナナちゃん。それ、みんなの飲み物? 半分もつよ」

 項垂れるアルトを横目に、二人でシェリル達のいるところに差し入れの飲み物を持って行く。
 その頃、シェリルは最初の関門とも言うべき、EXギアを着て生卵を掴むと言うお約束実習を受けていた。
 それはタイミングが悪かったと言うべきだろう。
 ランカとナナセが飲み物をシェリルと、近くにいたラピスに渡そうとした瞬間――
 シェリルが掴もうとした生卵がピキピキと音をたて、見事に砕け散った。
 それの煽りを受け、全身を生卵でべっちゃりと汚してしまう四人の少女。

「うぅ……」
「べとべと……」

 そんな何気ない日常を後ろから見ていたアキトは、珍しく優しい微笑みを浮かべていた。






 あれからシェリル達は、汚れた身体を流すため、四人で仲良くシャワールームに来ていた。
 外ではそんなシェリルを追って野次馬たちが列を成している。もっとも、中からは完全に施錠されて、特殊合金で密閉されているその部屋に覗く隙間など全くないし、音が漏れることもない。
 それでも、男とは悲しいものだ。わかってはいても、そこから離れられる者は誰一人いなかった。
 各々に、シェリルラブの旗印を掲げ、妖精が出てくるのを今か今かと待ちわびる。

「そう言えば、仕事の方はどう?」
「えと……ぼちぼちです」

 ランカが事務所に入った事は、すでにシェリルの耳にも入っていた。
 名前も聞いた事がない弱小事務所ではあったが、それでも一歩ずつランカが夢に向かって歩みだしたことは素直に嬉しい。
 あのコンサート会場で見せたランカの歌声は確かに素晴らしいものだった。
 人々をあれほど魅了し、身体の中から風を感じるほどの歌い手を、シェリルは数えるほどしか知らない。
 だからこそ、ランカには期待していた。

「今度ね、あたしの特番があるのよ。あなた一人くらいなら、すぐ捻じ込めるわ」
「バカにしないで下さいっ」

 良かれと思ってランカを誘ったシェリルだったが、それに怒ったのはナナセだった。

「ランカさんはあなたの力なんて借りなくても大丈夫です! 大体なんですか、あなたは!
 いきなり学校に乗り込んできて、女王さま気取りで早乙女くんを小突き回してっ」

 ナナセの剣幕に目を丸くして驚くシェリル。しかし、アルトのことはともかく、ランカを誘ったのは軽率だったと認めていた。
 それは自分はよかれと思ってしたことでも、ランカからして見れば、見下した発言と取られても仕方ない。

「お姉ちゃん……」
「ふう、そうね。ごめんなさい、私が悪かったわ。
 でも、あなた……アルトのことで噛み付いてくるってことは、ひょっとして好きなの?」
「そ、そうなの?! ナナちゃんっ」
「ち、違います、私はっ」

 予想もしなかったシェリルの反撃に慌てるナナセ。そんなことを言われてはランカも落ち着いていられない。
 まさか、「一番の親友が自分のライバルになるなんてっ」とあからさまな動揺を見せていた。
 必死に弁明するナナセ。ランカも、まだ納得はいかないがどうにか頷く。

「それで、気になってたんですけど……シェリルさん、その子は誰なんですか?」

 いつの間にか、その場に馴染んでいたが、学校案内の時からずっと一緒にいるラピスを二人は不思議に思っていた。
 シェリルのことを「お姉ちゃん」と呼んではいるが、少なくとも公式の場に出てくる彼女に妹がいるなんて話は聞いたことがない。

「この子はラピス。これでもあなたと同じ十五歳なのよ」
「あ……ごめんなさい」
「……いい。気にしてない」

 本当に大して気にしてない様子で、黙々と身体を洗い流すラピス。

「ラピス、こっち来なさい。頭、洗ってあげるから」
「ん……」

 シェリルに頭を差し出して、洗ってもらうラピス。
 二人にとってはごくごく自然な、いつもの行為だったのだが、ランカとナナセはそんな二人を目を丸くして見ていた。

「なんだか、本当の姉妹みたいですね」
「時々、言われるわ。でも、最近は『本当にそれでもいいかな?』って、そう思うの」

 そう言いながらラピスに接するシェリルは、テレビに出ている時よりもずっと柔らかい微笑を浮かべる。
 ランカは「こんな顔もできるんだ」とシェリルの意外な一面に触れ、驚いていた。



 生卵を洗い流し綺麗になったシェリル達は、シャワールームに備え付けられている洗濯機で汚れた服を洗濯していた。
 ラピスも普段からやっているのか? 手馴れた様子でシェリルと二人分の洗濯をこなしていく。
 そんな仲良さそうに洗濯をする二人に、後ろから話しかけてきたのは着替え終わり、制服に身を包んだランカだった。

「あの、シェリルさん……」
「ん?」
「お仕事の話、ありがとうございます。でも、私、やっぱり自分で頑張ってみたいんです。
 それに、この後も仕事がありますし……」

 それは、ナナセに言われたからじゃない。ランカの本心だった。
 シェリルに応援され、アルトに勇気を貰って今の自分はいる。
 たくさんの人の想いに支えられているとわかっているからこそ、自分の夢に誠実に向き合いたいと言う思いが彼女の中にあった。
 ここでシェリルに甘えてしまえば、そんな自分の覚悟に嘘をつくことになる。
 それだけは嫌だった。

「そう言うんじゃないかって思ってた。自分の信じるとおり、頑張ってみるといいわ」

 結局、ランカのことをどれほど考えていても、周りが心配していても、頑張れるのは彼女自身しかいない。
 シェリルはランカが、きっと断るだろうと言うことも予想はしていた。
 それは、ほんのちょっとした気まぐれ。
 たしかによかれと思って口にしたことだが、今になって思えば、ランカの夢に自分が土足で踏み込んでよいものでもない。
 自分が認めたランカという少女が、それほど小さな器ではないことを知っている。
 だからこそ、シェリルは不用意にランカの夢に踏み込んだ自分のことを叱責していた。

「あの、シェリルさん。もう一つ……お聞きしていいですか?」
「なに?」
「ア、アルトくんとは……その、どういう関係なんですか?」

 ランカにして見れば、かなり核心をついた爆弾発言だった。耳まで真っ赤になっているのが自分でもわかるほど動揺している。
 そんなランカを、シェリルはおもしろそうに見ていた。
 あの会場の告白から、アルトの気持ちも、ランカの想いもさすがに気がついている。
 どこで勘違いをしたのかわからないが、自分と一緒にいるアルトとの仲をランカが気にしているのはシェリルにもわかった。

「気になる?」

 悪戯っぽく、ランカにそう言うシェリル。それに反応して、髪をピコピコとしながら、さらに顔を真っ赤にし俯くランカ。
 シェリルは別にランカを虐めているつもりはない。
 むしろ、意地っ張りなアルトと、純情なランカのことを思って軽くけしかけるくらいのつもりだった。

「そう言う、あなたはアルトのこと、どう思ってるの?」
「わ、わたしは……」

 アルトのことがそこで好きだと言えれば、どれほどすっきりするだろう。
 だけど、今のランカにはそれが言えるほどの心構えも、勇気もない。
 どれだけ夢に向かう覚悟が出来ても、みんなの前で歌う勇気を身に着けても、それとこれとは別だった。
 なんとか答えないとと、そう思い震える声を搾り出そうとする。

「わたしは――っ」

 ランカが答えをだそうとした時、二人の前を小さな影がかすめる。

「……え?」
「あ、お姉ちゃんの下着……」

 ラピスが指差す先には、シェリルの下着を被った緑色の小さな生き物がいた。
 みんなの視線に晒され、少し怯えた様子の小動物。
 最初は突然のことに呆然としていたシェリルだったが、奪われたのが自分の下着だと気付くや否や、思わず叫びだしていた。

「あ、あたしの下着っ!!」

 タイミングの悪いことに、シャワーを使おうと入ってきた女生徒に紛れ、部屋から飛び出す小動物。
 そして、シェリルの大声は開けたドアから外にいる男子生徒の耳に見事に伝わっていた。

「シェリルさんの……」
「脱ぎたて……ナマ」

 しばらくの静寂の後、状況を理解した男子生徒が、奇声を上げてシェリルの下着に向かって群がる。
 だが、小動物は下着を被ったまま、素早い動きでそれをかわし、姿を消していた。
 当然のことながら、鬼気迫る勢いで小動物を追いかける男子生徒達。
 小動物VS美星学園男子生徒一同の鬼ごっこが、こうして幕を開けた。

「フフフ……」
「あの……シェリルさん?」
「お姉ちゃん?」
「私はシェリルよ。私に喧嘩を売るなんて、いい度胸じゃないっ」

 そう言うシェリルの眼は、いつもの数倍はギラついていた。







 その頃、アルト達は航宙科の格納庫で女性達がシャワーを浴び終わるのを静かに待っていた。
 さすがにシェリルに振り回されて疲れたのか? ミハエルもいつもの元気がない。
 アルトも、ランカに結局ライブのことを告げられず、意気消沈していた。

「まったく、あのお姫さま……いや、女王さまにはまいったね」
「いや、あれは悪魔と言っていい。本当に何しにきたんだ、あいつ……
 まさか、イヤリングを失くしたことに対する復讐じゃ」
「もう、ミハエル先輩も、アルト先輩も……あれでも、シェリルさんの人気は凄いんですよ」

 学校案内と称してシェリルに振り回され続けた二人は、それこそ陰口の一つも言いたくなるくらい精も根も尽きていた。
 そんな二人を見て、あれでも≠ニ付ける辺り、ルカもシェリルに振り回される二人にそこはかとなく同情を抱いていた。
 しかし、シェリルの人気が凄いのは三人ともわかっている。
 案内している間でも、男女問わず多くの学生が遠巻きに、切望と嫉妬の雑じった眼でアルト達を見ていたのは知っていた。
 おそらく近づいてこなかったのも、学園でも有名な首席、次席の二人が案内していることに加え、アキトというボディガードが常にシェリルの傍に控えていたからだと思う。

「シェリルが随分と迷惑をかけたみたいだな。すまなかった。
 できれば、大目に見てやってほしい」

 そう言って、先程まで頭の中で考えていた人物が話し掛けて来たことに、少なからずアルト達は動揺する。
 さすがにシャワー室までは一緒について行けなかったのか?
 アキトもアルト達と一緒に格納庫でシェリル達の帰りを待っていた。

「いえ、こちらこそ、よい勉強になりましたよ」

 少し皮肉がかった答えで言葉を濁すミハエル。別段、嘘はついていない。
 女性の扱いには慣れているつもりだったミハエルだったが、正直、シェリルみたいなタイプは初めてだったし、ある意味、苦手な相手と認めていた。つくづく、クランにしても、ランカにしても、シェリルにしても自分の周りには強情な女が多いと思う。
 彼女達にかかれば、女性に対して百戦錬磨を謳っているミハエルでも形無しだった。

「あんた……シェリルの護衛なんだろ? あんたに聞きたかったことがあるんだ」

 そんな二人の間に割って入ったのはアルトだった。真剣な表情で、今にも因縁をつけそうな勢いでアキトの前に立つ。
 さすがに、それを察したミハエルとルカはアルトを止めに入る。
 だが、そんな二人を逆に制止したのは他ならぬ当事者のアキトだった。

「気にしないでくれ。彼にも何か理由があるんだろう。すまないが、少しだけ二人にしてもらえるか?」

 さすがにここで二人にしてアルトが殴りかかりでもしたら、シェリルの関係者に暴力を働いたとしてアルトが処罰を受けるかも知れない。
 今はアルトも含め、三人とも軍人扱いなのだ。それが一般人に暴力を振るったと知れれば、些かまずいことになる。
 ミハエルはそう考えていた。だが、ミハエル達のそんな考えも察してか、アキトはアルトを見て一言、口にする。

「心配ない。いくらキミ達が特別≠ネ訓練を受けていようと、まだ巣立ったばかりの口だけのヒヨコ≠ノ負けるほど落ちぶれてはいない」
「な――っ!?」

 アキトのその言葉に、バカにされたと思ったアルトは激昂する。
 だが、アルトが拳を打ち出すよりも早く動いていたのはアキトだった。
 一緒にいたミハエルとルカにも気付かせないほどの速度でアルトの横に立ったアキトは、そのままアルトの肩と喉元を掴み上げ、完全に動きを止める。
 その一瞬の流れるような動きに、背中に冷たい汗が流れるのを感じるミハエル。
 ルカも何が起こったのかわからず、ただ呆然としていた。

「ぐはっ、げほ……」

 すぐに拘束を解かれ、両手で喉を押さえながらその場に膝をつくアルト。
 先に手を出した自分に非があるのはわかってはいるが、これほど一方的にやられると思っていなかった。
 それだけに目の前のアキトに対し、強い畏怖を覚える。

「自衛のためとは言え、少しやりすぎてしまった。すまない。
 だが、これで、わかってもらえただろうか?」
「ええ……ルカ、行こう」
「で、でも……」

 今度は逆にアルトのことを心配するルカに、アルトは「大丈夫だ」と答える。
 そう言われてはルカも納得するしかなかった。だが、ミハエルはルカとは違った意味でアキトのことを警戒していた。

 アルトとアキトがなんらかの接点があるのはシェリルの態度からしてもわかる。
 だが、アキトは「いくらキミ達が特別≠ネ訓練を受けていようと」と「キミ達」と確かに言ったのだ。
 ミハエルは自分から関係のない他者に、SMSのことを直接話したことはない。それは、ランカやナナセでも同様だ。
 しかし、アキトは少なくとも、アルトとミハエル達が同じ部隊に所属していることを知っている様子だった。
 そのことから、ミハエルの中でアキトの評価はただのシェリルの護衛≠ゥら、油断ならない相手≠ノ変わっていた。
 そのことを踏まえ、アキトのことをオズマに報告しないといけないと、ミハエルは考える。

「大丈夫。アルトに危険はないさ」

 心配するルカを励ますミハエル。少なくとも、アキトの言葉に嘘はないように思えた。
 どちらにしても、こんな目立つ場所で、シェリルの護衛と言う肩書きを持つアキトが、アルトをどうにかするとは思えない。
 格納庫の隅、少し離れた場所で遠巻きに二人はアルト達のことを観察していた。



「それで? 何か聞きたいことがあったんじゃないのか?」
「あの黒い機体……あれは、あんたなんだろう? 聞き覚えのある声だと思ってたんだ。それにさっきので確信した」
「それで? もし、オレがそのパイロットだとしてお前はどうしたいんだ?
 それを言ったところで、オレが素直に認めるとおもったか?」

 アルトの言っていることは推測に過ぎない。ここでアキトがシラを切れば、そこで終わる話だった。
 だが、それでもアルトはアキトに疑問を投げつけたのだ。
 その確証があったからと言うのもあるが、それ以上にアキトに会ったら言っておきたいことがあった。

「三度、あんたに助けてもらった……それに、あんたがいなかったら、今のオレはいなかったかもしれない……だからっ」

 直立の姿勢から、そのまま大きく頭を下げるアルト。
 あの時にアキトから借りた物は大きい。だからこそ、一言、礼を言っておきたかった。
 オズマの動きを見て、アキトの強さを見て、どれだけ大きなことを口にしても、まだ、本物には遠く及ばないと言うことをあの戦いでアルトは知った。
 自分が一瞬で敗れた夜天光に対しても、アキトは互角以上に戦って見せた。
 実際、あそこにアキトが来てくれなかったら、こうしてランカに会うことも、ルカを助けることも出来なかったと、アルトは思う。

「……意外と律儀なんだな」
「助けられっぱなしてのは気に食わない……それにさっきはカッとなって……悪かった」

 アキトに殴りかかったことを謝るアルト。ここまで素直なアルトも珍しい。
 事実、謝られたアキトも、アルトがこんなに素直に自分に接してくるとは思っていなかった。
 また、殴り合いの喧嘩になることを覚悟していた身としては、あまりに拍子抜けな結果と言える。

「何か、悪い物でも食ったか? シェリルから聞いていたのとも随分と違うが……」
「……本気で怒るぞ? この際、シェリルがオレのことをどう言ってたのかなんて気にはなるが、どうでもいいっ」

 そう言うと、アルトはアキトに対してもう一度頭を下げながら嘆願した。

「オレに、戦い方を教えてくれ!!」

 先程までとは打って変わり、真剣な表情でアキトに頼み込むアルト。
 アキトも、まさかアルトがこんな頼みごとをしてくるなど予想していなかった。
 だが、アルトのその真摯な姿勢は嘘を言っている様子でもない。だからこそ、アキトは即座に断らず、決めかねていた。
 SMSは民間プロバイダーとは言っても、今は新統合軍の一部だ。そのアルトに自分が指南をすると言うのは正直言って無理がある。
 よくも悪くもアキトは軍や政府と対立している立場にあるばかりか、表向きにはただのシェリルの護衛で、存在していないパイロットなのだ。

「一つ、聞いてもいいか? 何故だ? 戦い方ならSMSで教わればいいだろう?」
「確かにミハエルの射撃は凄いし、ルカの探査能力も、オズマ……隊長の動きは凄い。
 それに先任のクラン大尉達も凄い腕をもってる。だけど、それでも……アンタほどじゃない」
「どれほどオレを買い被っているのか知らないが、それでも彼等は一流なのだろう?
 ならば、同じように訓練すればいずれは追いつけるのではないか?」
「ダメなんだっ!!」

 両脇で拳を握り締め、唇を奮わせるアルト。

「ただの一流でも……追いつくだけでもダメだ。オレには守りたいものがある。
 叶えたい夢が、大事な約束があるんだ!! そのために、守るための力が欲しい」

 そうはっきりと答えるアルトの眼は嘘を言っていなかった。
 バジュラと戦い恐怖を感じた時、夜天光と戦って絶望を見た時、そのいずれも、想いだけでも勇気だけでも届かなかった。
 自分には圧倒的に経験――力が足りないと思い知らされた。
 最初の切っ掛けはパイロットになりたかったから、空を飛びたかったらと単純なものだったのかも知れない。
 しかし、今のアルトには約束がある。ランカとの約束が――

「それは、すべてを投げ捨ててでも叶えたい。そんな約束なのか?」

 かつて、過去を家族を、大切な物をすべて投げ打ってでも果たしたかった、そんな想いがアキトにはあった。
 それは一人の女性のため、世界でただ一人の愛する妻のため。
 形は違えど、アルトの眼は大切な誰かのため、そんな眼をしている。

「……オレはもう、何も手放したくない。だから、そのための力が欲しいんだ」

 その答えにアキトは目を丸くして驚く。
 この巣穴から飛び立ったばかりの未熟な青年が、自分とは全く違う、それでいて更に難しい答えを求めていた。
 あの時、自分にもそんなことが言えたら、もっと違う未来が待っていたのだろうか? アキトはふとそんなことを思う。
 だが、それは今更、叶わぬ夢物語に過ぎない。そこまでの勇気と覚悟が自分にはなかった。ただ、それだけのこと。

「考えてみれば、お互いに名前を名乗ったことはなかったな。オレの名前はテンカワアキト」
「オレは……早乙女アルト」

 そんなアルトの前に一枚の名刺を差し出すアキト。

「時間が空いてる時でいい。ここに書いてある場所に来い」
「……じゃあ」
「勘違いするな。あくまでテストをしてやるだけだ。それにこのことを誰にも言うな、友人にも誰にもだ。
 誰かに話した時点で、この話はなかったことになる」
「……わかった」

 有無を言わせない、そんな迫力が目の前のアキトからは感じられた。
 アルトは、その名刺を受け取りポケットにしまう。

「なあ、一つ聞いていいか?」

 話も済み、その場から立ち去ろうとするアキトにアルトは最後の質問を投げ掛けた。

「あんたは、なんで戦ってるんだ?」

 それは、ずっと不思議に思っていたこと――
 新統合軍やSMSに任せておけばそれで済む事なのに、アキトはここぞという戦局には必ず姿を現す。
 それが、政府や軍の反感を買っていることはわかっているはずなのに、そこまでして戦おうとする理由がアルトにはわからなかった。

「たいしたことじゃない。お前と一緒だ。守りたいものがある。果たしたい約束がある。
 ただ、それだけのことだ」

 そう言い残し、その場を後にするアキト。
 アルトはそんなアキトの後姿をただ、見送ることしか出来なかった。






 シェリルが小動物を追いかけた後、そのことが気がかりではあったが、ランカは仕事があるため早退していた。
 更衣室で「自分のことを先に心配しなさい」とシェリルに言われたからと言うのもあるが、今日はテレビ出演の打ち合わせがある日だった。
 今まで、店頭PRなどの小さな仕事しかしてこなかっただけに、今回のテレビの話はランカにとっても大きなチャンスに思えていた。
 それだけに気持ちが逸り、なんとかこのチャンスを物にしようと言う勢いが湧く。

「はあ……はあ……急がないと」

 約束の時間まであまり時間がないため、ランカは学校から続くメインストリートを走っていた。
 息も上がり辛いが、それ以上にこれから待っている仕事への喜びとやる気の方が大きく、充実しているのを感じる。

 プルル……プルル……

 そんなランカを呼ぶようになる着信音。呼び出し音の主はマネージャー兼社長のエルモだった。
 それを確認すると、走りながらも電話にでるランカ。

「すみません、社長。あと、少しで……」
『いやいやいや、もう、まいっちゃったよ』

 ランカが話を最後まで言い切る前に、言葉を挟んだのはエルモだった。
 そのエルモの様子に、何があったのかを察し、立ち止まるランカ。

『いや、それがね。シェリルの特番が入るって言うんでね、番組自体がとんじゃって』

 それは、ランカの頭に過ぎった嫌な予感を肯定する言葉。仕事がキャンセルになったと言う知らせだった。
 楽しみにしていた、なんとかものにしようと頑張ってきた仕事が、何もできないまま目の前を通り過ぎていく喪失感。
 社長の励ましの声も、そんなランカの耳には届かない。
 電話もいつの間にか切れ、ぼーっと街中の至るところに映るシェリルの姿を見上げるランカ。
 今までは感じた事がない。それでいて遠い――
 シェリルとの、銀河の歌姫との絶望的な距離。先程まで、近くに感じていたシェリルが遠く感じる。
 自分が目指す夢の先――その遠さを、その身で実感していた。






「たくっ! あのオテンバめ!!」

 あの後、格納庫に走ってきたシェリルが、アルト達の目の前でルカのEXギアを奪っていく事件が起こっていた。
 もはや暴走と言っても過言ではない勢いで、小動物を追い回すシェリル。
 結局、先の体験実習でミハエルからシェリルが教わったのは基本動作と走り方の二つだけ。
 アルトの予想通り、止まり方や、その他の重要な動作をシェリルは何一つ教わっていなかった。
 しかも、ルカが整備中だったEXギアを持ち出したため、身体を固定するためのロックすらされていないことがわかる。
 さすがにこれにはアルトもミハエルも慌てた。全員で、シェリルを追いかけ校舎内を走り回る。

「アキト、ほっておいていいの?」
「そこまで面倒を見きれん、自業自得だ。ほっておけ」

 校舎の監視カメラにハッキングしたラピスがだした映像には、シェリルがEXギアを着用して校舎内を破壊して回る様が映し出されていた。
 アキトはこめかみを押さえ、少し目を離した隙にとんでもない事態を引き起こした張本人であるシェリルに、怒りを通り越し呆れていた。
 だが、ラピスはそんなシェリルを見て、どことなく楽しそうだったりする。

「……楽しいか?」
「うん。お姉ちゃんを見てると飽きないから」

 それはそうだろうとアキトは思う。
 あんなトラブルメーカーがそこらに転がっていたら、今頃、世界はバジュラにではなく人間に滅ぼされていてもおかしくないとすら思える。
 それほど、シェリルの暴走はアキトの頭を悩ませていた。

「あ、また、ぶつかった……アキト、お姉ちゃん屋上に向かってるみたい」
「な――っ!?」

 すぐにアキトの頭に嫌な予感が過ぎった。



「もう、逃がさないわよっ」

 ついに屋上まで小動物を追い込んだシェリル。男子生徒の追撃を退け、真っ先にその場に到着していた。
 ここまで来ると気合いどうのよりも、執念すら感じさせられる。

「あっ!?」

 あと一歩と言うところまで追い込んだのだが、そこで天運は彼女に味方しなかった。
 突然の強風――風に煽られ、パンツが小動物から離れて空を舞う。
 このままでは校庭にいる男子生徒に拾われてしまう――
 そう思ったシェリルは、後先考えず、屋上からパンツに向かって飛んでいた。

「とった!!」

 手を伸ばし空中で見事に自分のパンツを掴み取るシェリル。だが、そこでもまた、天は彼女を見放す。
 ルカが心配したとおり、固定されていなかったEXギアがシェリルの身体を離れ、校庭目掛けて落ちていく。

「きゃああっ!!」

 スカートを押さえながら地面に向かって落下するシェリル。
 校庭でその一部始終を見ていた生徒達は、誰もがダメだと思い、その待ち受ける最悪の未来に目を瞑る。
 その時だった。
 二つの影が物凄いスピードでシェリルに向かって疾走する。

 ――落下音の代わりに聞こえてくるのは、黒き風の調べ。

「はあ……まったく」

 その声の主はアキトだった。校舎にぶら下がる形でシェリルを抱きかかえ、その場で溜息をもらす。

「アルト、悪いがこのお嬢さまをそいつで下まで運んでくれないか?」
「あ、ああ……」

 アルトもアキトとほぼ同時にEXギアを着てシェリルを助けにでていた。
 だが、あと僅か、手が届かないと思った瞬間。
 横から割って入ったアキトが急に人間とは思えない加速をし、シェリルを空中でその腕に抱え、校舎に張り付いたのだ。

「あんた、常識外れだと思ってたけど……ここまでとはな」
「このくらい出来ないと、シェリルの相手は務まらないさ……」

 何故かそれだけでアキトの異常な能力を納得してしまうアルト。
 そんな二人の気持ちを知ってか知らないでか、宙ぶらりんの状態で空から見える夕日にシェリルは感嘆の声を上げていた。

「アルト、私を抱えて、もっと空の見えるところに飛びなさい」
「シェリル……」
「アキト? ――って痛い! 痛いっ」

 アルトの腕に移ったシェリルの頭を残ったもう一方の腕でグリグリとするアキト。

「アルト、シェリルの我がままを聞く事はない。下に降りてくれ」

 アキトが本気で怒っていること察したアルトは素直に従う。
 そんなシェリルを下で待っていたのは、ラピスによるお仕置きだった。
 滞在先のホテルに強制的に連行されたシェリルは、それから仕事の時間までずっとラピスの手による拷問を受け続ける事になる。
 それがどんな内容だったかは、だれも知らない。
 だが、拷問が終わり、やつれた顔で部屋から出てきた彼女は、一言こう言ったそうだ。

「許して……マシュマロは……マシュマロはもう嫌なの」

 そう言いながら、ただ繰り返すように呟くシェリルは、機械仕掛けの人形のようだったと後にA・T氏は語る。



「うう……ぼくのサムソ〜ン!!」

 ここに、また一人。無残にも屋上から叩きつけられたEXギアを見て、涙する少年がいた。
 彼はルカ・アンジェローニ。結局、この事件の一番の被害者は彼だったのかも知れない。






「困りますな。この先は関係者以外、立ち入り禁止なのですが」
「――!?」

 撫子商会の旗艦、その最重要機密ブロックの入り口に商会の交渉人、プロスペクターことプロスと、シェリルのマネージャー、グレイス・オコナーの二人が立っていた。
 プロスは愛用のメガネを片方の手で軽く持ち上げ、グレイスの方を軽く威圧する。

「すみません。道に迷ったみたいで……それに、こんな大きな船ですもの。
 何を隠しているのか? 少し気になったもので」
「そうですか。それはお困りでしょう。帰りはこちらの者に案内させますよ」

 含みを持たせた言い方で牽制するグレイスに、何事もないかのように接するプロス。
 その穏やかな会話とは裏腹に、二人の間には緊張と張り詰めた空気がひしめき合う。

「プロスさん、お客さまを警戒させてはいけませんよ」

 いつの間にか二人の間に割って入るように現れたルリに警戒を強めるグレイス。
 ここは商会のテリトリーである以上、秘密裏に処理をされてもおかしくないとグレイスは警戒する。

「そんなに殺気がこまっていたら、隠せるものも隠せなくなりますよ? グレイス・オコナーさん」
「電子の妖精……そう、あなたが商会の創設者にして、稀代の天才と言われるホシノ・ルリ」
「私としては過大な評価と思いますが、あなたのご想像通り、私がホシノ・ルリです」

 ラピスと同じ金色の瞳に、白い肌、それに青みがかった藤色の髪。
 年齢や姿は違えど、それはあの少女、ラピスを髣髴とさせる雰囲気を持っていた。
 逆にその正体の見えない異様さが、グレイスを焦らせる。

「私をどうするつもりなのかしら?」
「どうもしませんよ。ただ、ここから先は限られた方以外は立ち入りをお断りしているので、残念ですがお帰り願うだけです」
「……どういうつもりなの? 敵かも知れないとわかってる相手に、あなたの行動は理解できない」
「敵味方と言う以前に、別に私達は戦争をしているわけではありませんし、ただの民間企業ですよ?
 それとも、あなたは個人的に私たちの敵≠ノなるのですか?」
「…………」

 そのルリの質問にグレイスは即座に答えることができなかった。そこでイエスと言ってしまえば、殺されるかも知れない。
 そう思わせるほどの不気味さを、そのなんでもない少女から感じたからだ。
 自分ならば、あの細い首……少女が瞬きする隙に、一瞬でへし折れそうではないか?
 グレイスの頭に、そんなことが過ぎる――

「やってみますか? でも、そうするとあなたの計画は果たせない。
 そして、あなたはここで確実にリタイアすることになる」

 ただ、諾々とそう言うルリの言葉は嘘偽りのない真実のように聞こえた。
 彼女がどこまで知っているのかはわからない。それでも、ここは大人しく退くべきだろうとグレイスは心を決める。

「一つだけ、聞いてもいいかしら?」
「なんでしょう?」

 それは、ここ数ヶ月、見えない誰かにずっと問い続けた質問。
 得体の知れない相手。アキトにしても、撫子商会にしても、その姿はそこにあるようで、まったく何も見えてこない。
 確かにいるはずなのに、存在していることがおかしい。そんな疑問を抱かせる、不気味な存在。

「あなた達は……何者なの?」

 グレイスは思い切って、その質問を投げ掛けた。

「……渡り鳥。そう、私達はここで生きていくしかない。ただの訪問者です」

 その話を聞いた時、グレイスは背中に冷たい汗が流れるのを感じていた。





 暗いホテルの一室。そこには空中に映し出せれた色とりどりの画面に囲まれたラピスの姿があった。
 その白い肌には神経のような淡く光るラインが浮かび上がり、金色の瞳がゆらりと鈍い光を放つ。

『新シイ携帯リンクシステムノ調子ハドウデスカ?』
「オモイカネとの接続も悪くない。博士の作った物だし、心配はしてなかったけど……」
「どうした? ラピス?」

 表情に曇りを見せるラピスに、アキトは心配して近づく。

「あのキノコが、また何か企んでるみたい。ううん、実際にはすでに行動を起こし始めた後と言うべきかも」
「あの三島と言う補佐官か……」

 そこに映し出されたのは、レオンが企てた計画の一部だった。
 その中にあるレオンとLAIの密会に上がっている赤いVFと夜天光の映像回収。
 それに加え、ランカのことを必要以上にレオンが気に掛けていることが伺えた。
 ランカのテレビ出演、それ以前にミス・マクロスフロンティアの審査でもレオンが手を回し、ランカが表舞台に出て来れないように企てた形跡が残されていた。
 さすがに、それを見たラピスは更なる憤りをキノコことレオンに対して向けていた。
 ラピスが曇りを見せるのも無理はない。シェリルがランカのことを大切にしているように、実際にランカに会ってみて、彼女がどれほど歌に、夢に向かって誠意を持ち頑張っているかをラピスも見てきていた。
 それだけに、それを当たり前のように利用し、踏みにじろうとするレオンの行いが許せない。

『スデニ、彼ヲ失脚サセルダケナラ十分ナ証拠ガ揃ッテマスガ? ドウシマスカ?』
「…………アキト」
「ラピスの気持ちはわかる。だけど、まだダメだ」

 レオンを今の地位から引き摺り下ろし、フロンティア政府の膿をだし、作り変えることは今の段階でも商会の力を借りれば可能だろうと思う。
 だが、LAIにしろ、グレイスにしろ、まだレオンの後ろには影が潜んでいるのも、また事実だった。
 そしてその先には――

「……北辰がいる」

 あの男の尻尾を掴むまでは、レオンを泳がせておくつもりでいた。
 今の北辰が忠誠心や義理などと言うしがらみで動いているとは思えない。
 ここでレオンを追及して失墜させてしまえば、北辰への足がかりを失う可能性があった。
 アキトの予想では、LAIは北辰、または火星の後継者のいずれかと繋がりがあると考える。
 そう疑わせる証拠として、この世界には存在するはずのない動力機関がLAIの技術部に持ち込まれていた。

「先日、LAIの技研に持ち込まれた相転移エンジン……」
「ルリちゃん達がこの技術を外部に漏らすとは考えられない。だとすれば……」
「その先に北辰がいるってことだね」

 ランカのことは気がかりではあるが、アキトやラピスにも大きな目的がある。
 北辰をこのまま放っておけば、バジュラ以上の人類の脅威になる可能性を拭えない。
 それ以上に、アキトは北辰との決着を望んでいた。そして、また、北辰もアキトとの決着を望んでいる。

「決着は……必ず着ける」

 それは、アキトの決意の現われだった。






 小高い丘の公園、そのお気に入りの場所にランカは一人立っていた。
 地平線に沈む夕日を眺めながら、その黄昏の時を静かに見守る。

「あなた……もしかして、さっきの?」
「きゅ?」

 学園で騒動を起こした緑色の小動物を見つけるランカ。
 たいして警戒心も抱かず近づいてくる小動物に、ランカは優しく手を頭に乗せ撫でる。

「あんまり見かけない子だね。あなた、どこの星から連れてこられたの?」

 ランカの質問に答えられるわけもないが、撫でられて嬉しいのか「きゅいきゅい」と声を上げ、ランカの手に頬擦りする小動物。
 そんな迷子の小動物を前に、ランカは優しく微笑むとその手を離し立ち上がる。

「あなたは、聞いてくれる? 私の歌――」

 公園にただ一匹の小さな観客を前に、夕焼けに染まる公園で歌いはじめるランカ。
 この公園に来るときは、いつも悩んだとき、落ち込んだとき、悲しかったとき、そんなどうしようもない気持ちに駆られた時ばかりだった。
 でも、そんな時にいつも励まして、傍にいてくれたのはいつもアルトだった。
 ランカはそんな思い出の場所が、この公園が一番のお気に入りになっていた。
 ここに来ればアルトに会える、そんな気がいつもしていたから――
 本当はそんなことはない。アルトに会いたければ、公園なんかに来ないで、学校に行けばいいのだ。
 でも、自然とこの公園に足が向いていた。

「……ん?」

 歌声に乗って、綺麗なハーモニカの調べが乗っているのにランカは気が付き振り返る。
 そこには、自分と同じ緑色の髪の毛をした青年がハーモニカを銜え、立っていた。

「あなた……」

 その青年に不思議な懐かしさのようなものを感じるランカ。
 夕暮れ時――
 その出会いを見守るかのように、赤い夕日が二人の姿を色濃く照らし出していた。






「パイロットコースに編入しました。シェリル・ノームです」
「情報科に編入した。ラピス・ラズリです」

 朝のHR――金魚のように口をパクパクさせて驚くアルトとミハエル。
 ランカも、ナナセも、ルカも呆然と壇上の二人を見て、言葉を失っていた。

「よろしくねっ」
「よろしく(ぺこり)」

 歓声と驚きの入り混じった声が、校舎中に響き渡る。
 その日、美星学園に二人の妖精が舞い降りた。






 ……TO BE CONTINUED

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