「これは……本当なのか?」
アキトは渡された情報を見て表情を歪ませる。そこには困惑と混じって確かな怒りがあった。
その渡された報告書には、軍から提示されたダルフィムの乗員の検査報告書と、V型感染症に関する資料が添えられていた。
第二次調査報告書――乗員の感染経路などの推測について、バジュラによるものではなく人の手による可能性があることがそこには示されていた。
その結論に至った原因の一つとして、V型感染症に感染する経路が体液感染に限定されることにある。
ウイルス型でよくある空気感染などと違い、体液感染型のV型感染症は唾液、輸血、性行為などの体液血液感染に限定されるため、通常であれば艦乗員全員がV型ウイルスに感染している現状に疑問を挟むしかないという結論だった。
だが、それならばもう一つ生まれてくる疑惑――
あの二艦はバジュラに襲われたギャラクシーから、真っ先に離脱して逃げてきたと言うことになっている。
――にも関わらず、乗員のすべてがV型感染症に感染しているという事実には矛盾を覚えざる得ない。
「こちらで保護したカイトスの乗員に感染は?」
「いえ、確認されておりません。不思議だと思いませんか? 艦の被害が一番大きかったのはカイトスの方なのですよ。
なのにこちらでは確認されず――軍が検査したというダルフィムの方では全員感染してるなどと」
「軍の仕業か……いや、一人思い当たる男がいるな」
ラピスに『変態キノコ』の烙印を押された男の顔を思い浮かべる。
何を企んでいるのかは知らないが、ダルフィムの乗員を使ってなんらかの実験をしているのではないか?
とアキトとプロスは同じ考えを巡らせていた。
「それと、もう一つ――これを」
プロスはアキトに赤い石のような物を手渡す。
その石を見て驚きの声を上げるアキト。それはシェリルが大事にしていたイヤリングの石と酷似していた。
「この石の名は『フォールドクォーツ』――ビルラー氏が懸命に研究し求めている力――
そして彼女、いえ彼等の計画の要と言ったところでしょうか?」
「プロスさん、何故……あなたがそれを?」
「いえ、この石のことを知ることが出来たのは本当に偶然でした。
実はわたくし、ギャラクシーで彼女にあったことがあるのですよ。
シェリル・ノームに――」
「――!?」
アキトの顔が驚きで歪む。だが、プロスのその一言で今までのことにも納得がいく。
そもそも、シェリルからの依頼を受けたときもプロスから「よろしくお願いします」と口添えを受けていた。
最初は『銀河の妖精』と呼び声高いトップアイドルの彼女を守るため、企業活動の一つかと思っていたのだが――
「そういうことか……オレはあなたにも上手いように利用されていたと言うわけか。
それで、プロスさん、一体どこまで知ってるんです?」
「いえ、実際のところ詳しくは何も――ただ、この石のことバジュラに関してはおおよそ調査が済んでますよ。
お渡ししたその資料に書かれている通りです」
「救出されたダルフィムの乗員のV型感染症の報告と経緯――それに――」
アキトは写真に写っている三人の女性の姿を見る。プロスもこれを見たときは驚きを隠せなかった。
それこそ、プロスに警戒を促せ、ルリが彼女を危険視した原因の一つ――『V型感染症治療に関する共同研究発表』その共同研究者の欄に、グレイス・オコナーの名前が挙がっていた。
グレイスには何かあると思っていたが、まさかこんなところで名前が挙がってくるとは――
「それは2052年、マクロスギャラクシーで発表された論文の物です。
あなたからグレイス・オコナーの名前を聞いたときには驚きましたがね。
だが、彼女の目的の裏にはまだ何かあるようだ……」
「……というと?」
「あのルリさんでも、ギャラクシーについて調べられなかった箇所が存在するんですよ。
外部からの進入を阻む強固な電子プロテクトがかけられている……」
それは驚異的なことと言えるだろう。
マシンチャイルドの彼女が侵入できないブロックがあるとすれば、それは文字通り――
「北辰……」
「そう言えば、あなたは彼にあったのですな。だとしたら、これを見てどう思われますか?」
ビルラーと関係があるとされる傭兵組織『クリムゾン』に関する資料がそこにあった。
「実はそちらの報告書はほとんど資料としては皆無でして……あの組織は謎が多すぎる。
いや、実際に存在しているのかすら怪しいと言ってもおかしくない。
ただ、一つ――」
「LAIに持ち込まれた相転移エンジン……そこにこのクリムゾンが関与している」
「ええ、だとすると、この組織に関しての見方を一気に変える必要性が出てきますからね」
相転移エンジンを撫子商会以外に製造し、所有している可能性がある存在――
それは北辰を含む火星の後継者の生き残り以外あり得ないと、アキトとプロスは確信する。
「しかし、ビルラー氏と言えば経済界の重鎮、運輸業で財を成した大物だ。
そんな彼の庇護を受けているとなると、こちらとしても手が出し辛い――」
「あなたのことだ。何か、考えはあるんでしょう?」
そうアキトが言うとプロスは口元に笑みを浮かべ――
「ビルラー氏の目的は自ずとわかります。フォールドクォーツを使った通信の独占、それに伴う物流の完全掌握。
もしこれが実現すれば文字通り銀河はひとつとなる。
リチャード・ビルラーの名の下で――」
それは過ぎた技術、過ぎた力――かつてアキト達の世界でもあった遺跡を巡った抗争。
それと同じことがこの世界でも起こりつつあると言う予見だった。
ネルガルが、クリムゾンが企業の利益の独占を目論み、木連が、そして地球の権力者が、火星の人々すべての命と引き換えにしても手にいれようとしようとした危険な力――
あの血塗られた歴史が再び繰り返されることだけは避けなければならない。
アキトだけではない。あの戦争を体験した者達ならば誰もが思うことであった。
「企業利益の追求――いや、夢想家(権力者)の夢ほど、迷惑な夢はない」
「はは……耳の痛い話です……」
ここにかつて自分が使えていた会長が入れば、良い顔をしなかっただろうとプロスは苦笑いを浮かべる。
「だからこそ、ボソンジャンプを含む遺跡の技術の流出はルリさんも危惧された。
この会社はそれを守るため、監督するために作られたのですから――」
「そうか……なら」
――カチャッ! 封鎖された密室に銃鉄の下りる鈍い音がなる。
アキトはその銃口をプロスに向けていた。確実な殺意をこめて――
「あなたには前例がある上に、ルリちゃんがいるとは言え、企業家としての信念も持ち合わせている。
目的のために手段を講じないと言う点では、あなたのことも認めこそしろ信用はしていないんですよ。
この際、グレイスのこと、ビルラーの目的を抜きで聞きたい。
オレはどんなことがあろうとシェリルを――彼女を守るだけ、グレイスが敵に回るなら――彼女でも殺す。
だが、プロスさん、あなたは本当に俺達の味方か? ――それとも敵か? どっちだ?」
それは最後通告だった。
ここでシェリルやラピスに危害が及ぶようなことがあれば、アキトは確実にかつての仲間にもその矛先を向けただろう。
それは、殺気を向けられているプロスにもよくわかっていた。
「こうして、あなたと向かい合うのは久方ぶりですな」
「――答えろっ」
「確かに商会の最優先は遺跡とそれに伴う古代文明の回収と確保、それを監督することにあります。
ですが、そのことと彼女達個人の問題は別です。私たちはシェリルさんに危害を加えるつもりも、そして――
あなた方が気になされている……ランカさんとアルトくんにも何かをするつもりはありませんよ」
プロスからでた言葉に逆にアキトは驚きの表情を見せる。
シェリルの件だけでなく、ランカ、そしてアルトのことまで気付かれているとは思わなかった。
「食えない人だ……知らないことなんてないんじゃないです?」
「ははっ、そんなことはありませんよ。それに私たちもまだ真実に辿り着いていない――
グレイス・オコナー、彼女達の目的がまだはっきりとしていない。
マクロスギャラクシー、そして第117次調査船団――」
銃を下ろし、苦笑をもらすアキト。
プロスはそんなアキトに同じように笑顔で答えると、先程の研究チームの写真を大きく拡大する。
そしてプロスが指し示したその指先は、グレイスの横、共同研究者の女性に挟まれ椅子に腰掛けている一人の老婆の姿があった。
「ドクターマオ。V型感染症、バジュラの第一人者で、第117次調査船団の代表を務め上げた女性。
マオ・ノーム――すべては彼女に繋がっている」
「ノーム……まさかっ」
そのプロスの真剣な表情を見たとき、アキトはこの件の事態の重さを強く胸に刻むことになる。
歌姫と黒の旋律 第8話「フェアリー・フェアリー」
193作
「わたくしどもが知ることは、今のところこれがすべてです。
これをアキトさんに知らせるように指示されたのは、他ならぬルリさんだ。
これからどうされるかは、ご自身でお決め下さい――」
プロスはそう言ってアキトにそれだけの情報をタダで残した。
報酬としてはシェリルの護衛の件、それにVユニットの開発の件で十分にもらっていると言い残して――
ただ、去り際――
「女性は泣かせるものではないですよ。
一度拗ねてしまった女性の機嫌を取ることは、バジュラを相手にするよりも難しいと思います」
何故か額の汗をハンカチで拭いながらプロスはそう言った。
皮肉がかった言葉を付け加えて――
「――くっ」
渡された資料を再度確認して、そこから予測されることをアキトは想定していく。
そこにはシェリルの過去もあった。
彼女がギャラクシーのスラム出身だと言う話は、シェリルが母の形見と大事そうに持って話すそのイヤリングから聞かされ知っていた。
それでも、彼女の事情だと不可侵を決め込み、その過去に踏み込まなかった自分を悔やむ。
「また、オレは同じことを繰り返すのか……」
椅子の背もたれに寄りかかりながらアキトは天井を見上げる。
今回の件は過去に体験したあの事件と酷く似ていた。ひとつのバジュラと言う物を巡り、たくさんの思念と欲望が渦巻く。
そこに人体実験――果ては人の皮を被った野心家、それに夢に酔った夢想家の影がちらつく。
「ユリカ……オレは……」
「アキト……?」
薄暗い部屋の中、ユーチャリスの座席で苦しそうな表情を見せるアキトを見て、学園から帰ったところなのだろう、美星学園の制服を身にまとったラピスが心配して側に駆け寄る。
「どうしたのアキト? 苦しいの?」
ナノマシンの活動は随分と抑えられ、ここ最近はそんなそぶりも見せなかっただけに、ラピスは只ならぬアキトの様子にうろたえていた。
「いや、心配ない……身体が辛い訳じゃないから……」
「アキト……?」
心配するラピスを強く抱きしめ、身体を震わせるアキト。
「アキト……うん、大丈夫、私はここにいるよ。ずっとアキトの傍に――」
泣き叫ぶように身体を小刻みに震わしながら、アキトはラピスを強く抱きしめる。
そんなアキトをラピスは優しく慰め続けた。
「……アキト」
ラピスと同じようにユーチャリスにアキトを迎えにきていたシェリルは、部屋に入らず物陰でそっと二人を見守っていた。
その二人の関係の深さは知っていたが、ラピスにだけ見せる弱さ――そんな関係を築けている二人にシェリルは嫉妬を覚える。
「入るに入れないわね……ん? これ、何かしら」
部屋の床に落ちていた一枚の写真を拾い上げるシェリル。
だが、その写真を見たシェリルの表情は驚きで歪む。それは幼い頃――過去の自分の写真だった。
ただ一つ普通と違うのは、そこに映っている少女はベッドで寝かされ、医療機器から伸びた管で全身を繋いでいる。
その写真の裏には手書きの文字で『被験者――F\』と書かれていた。
「アキトが……なんで……」
――私の過去を彼が調べている。それだけでシェリルは顔を青くして背中の壁に寄りかかる。
それは彼女にとっては他人に知られたくない過去の一つだった。
スラムでの生活は残飯を漁る毎日、人を騙し騙され、奪い奪われ、そんな毎日が日常だった。
そんな自分に手を差し伸べ拾い上げてくれたのが、他ならぬグレイスだ。だから彼女はグレイスに感謝し、信頼を置いていた。
だが、その過去も今のシェリル・ノームにとってはあまり人に掘り返されたくない忌まわしい過去でもある。
昔の惨めな自分を知られるのが怖いと言うのもあるが、もう一つアキトだけには知られたくない、大きな理由があった。
「なんで、どうしてこの写真がここに……」
その写真を握り締めたまま、シェリルはその場を走り去る。
シェリルは混乱していた。アキトの最近の行動のおかしさ、それはあのギャラクシーの所属船を救出に向かった時から続いていた。
グレイスも最近は忙しそうで、あまり自分の前に姿を見せない。
いや、もしかするとグレイスは、アキトやラピスを避けているのかも知れないとシェリルは思う。
「わからない……なんでっ、なんでなのよ!!」
息を切らせながら、彼女は大声で叫ぶ。
無我夢中で走っていると、いつの間にか軍港の外、ランカと出会ったあの宇宙(ソラ)を見渡せる場所にまで来ていた。
シェリルは先行偵察のためか、飛び出していくVFを視線で追う。
「……アキトは何かを調査している。そしてグレイスは私に何かを隠している?」
自分の知らない所で何かが大きく動いているとシェリルは直感していた。
そしてシェリルは向きを変え歩き始める。
「私だけ蚊帳の外なんて……ごめんよ」
そのシェリルの足の向かう先は、フロンティアと連結した撫子船団のブロックエリアだった。
「私は……私はシェリル・ノームなのよ!!」
その頃、アルト、ルカ、そしてミハエルは軍からの先行偵察の要請を受け、近郊宙域を調査していた。
だが、学園に入学してきたシェリルのことを巡り、ミハエルと口論になったアルトは機嫌を損ねていた。
ことの発端はミハエルが、航宙科に編入したシェリルを自分の班に入れたことから始まった。
ミハエル自身、シェリルに言われて仕方なくと言ったところはあったのだが、午後の撮影もあり、付き添いで同席していたグレイスに協力をお願いされたからと言うのもあった。
それでアルト達の練習時間を利用して、シェリルの学園生活をレポートした撮影が始まり、そのことで練習時間を削られたアルトは機嫌を損ね子供のように拗ねていた。
この二人、シェリルに文句を言う度胸までは持ち合わせていなく、ここ数日――お互いに相手の言葉尻をとらえ、嫌味に嫌味で返すといった子供ぽいことを繰り返していた。
だが、頑固でわがままで、気の強い女性に弱いと言う点では似たもの同士なのかも知れない。
そのせいもあって、アルトとミハエルは機嫌が悪い。
そんな二人に板ばさみ状態のルカはただオロオロとし、様子を見守ることしか出来なかった。
「半端なのはどっちだよっ、家から逃げて、趣味で戦争をやってるお姫さまが――」
「ミハエル、テメエ!!」
ミハエルも苛立っていたのかも知れない。
普段ならアルトの言質など皮肉で返すミハエルだったが、学園でのグレイスの言葉が彼の心に尾を引いていた。
ジェシカ・ブラン――ミハエルの姓を聞いたグレイスがその名を口にしたことにより、彼は執拗に姉のことを思い出していた。
ミハエルの姉であり親代わりでもあった彼女は、ミハエルにとっての戦う理由の一つであり、そして忘れられない過去であり、今も引き摺っている現実だった。
ミハエルの挑発に強く反発したアルトが声を荒げた瞬間――緊急通信に軍からの要請が入る。
『メーデー! メーデー!! こちら新統合軍アンバー3、バジュラと遭遇したっ、救援を求む!!』
アルト達が巡回していたすぐ近くのブロックで、バジュラの出現報告が入る。
喧嘩を二の次に、救援に向かう二人――
「オレが抑えるっ、誰が趣味で戦争なんてやるか!!」
ミハエルへの苛立ちを抱えたまま、飛び回るバジュラを追いかけるアルト。
敵は一機――いつものアルトならすぐに捉えられる程度の相手だったが、冷静になりきれてないアルトはバジュラの動きについて行けず翻弄される。
「ルカ、ゴーストのデータを渡してくれ」
「了解」
「あのバカが囮になってるうちに、オレが狙撃で片付ける」
ミハエルはルカからのチャンネルを受け取ると、近くの隕石に機体を固定して狙撃の態勢を取る。
だが、高速で動き回るバジュラに上手く狙いが定まらず苛立ちを募らせていく。
「アルトっ、バジュラの動きを封じろ!! 狙いが定まらねえ!!」
「わかってるよっ!!」
バジュラが向きを変えようと曲線を描いた隙をつき、アルトはVFを一気に加速させる。
腰に装備していたナイフを引き抜き、そのままバジュラの背中目掛けてナイフを降りぬくアルト。
だが、素早く対応したバジュラはその手でアルトのVFの手を掴み取り揉み合う形で硬直する。
「そのまま……抑えてろ。今、片付けてやる」
「お前の援護なんているか!!」
「フ、任せろよ。オレは女も弾も一発必中さ」
ミハエルは自信たっぷりに言い放つ。そのままバジュラの頭部に狙いを定め、銃口を構えるミハエル。
ターゲットが少しずつ定まっていき、ロックオンされた――そう思った瞬間だった。
――残念だったわね。お姉さん。
グレイスが口にした言葉がミハエルの脳裏に過ぎる。
余計なことを考えていたのが災いしてか、わずかに目標がずれた瞬間、ミハエルはその引き鉄を引いていた。
「――――!!!」
アルト、ミハエルだけではない。それを見ていたルカにも衝撃が走る。
ミハエルの放った一筋の閃光は、バジュラを目指すどころか、アルトのVFに向かって真っ直ぐと飛んでいく。
「アルト先輩!!」
ルカは慌てて飛び出そうとするが間に合わない。迫る白い光――
ミハエルは手を震わせ、その先に待つ友人の死という現実を想像し硬直する。
アルトも目を瞑った。かわせない――走馬灯のように今までのことが頭を過ぎる、そして最後に浮かんできたのは――
――アルトくん。
ランカの笑顔だった。
何かにぶつかったことを告げる激突音。晴れていく光の中、ミハエルとルカはその絶望的な状況を想像し、身体を震わせる。
「アルト……せんぱい」
「ちくしょう――っ!! オレは……オレはっ」
『この大バカ野郎!! どこをねらってやがる!!!』
生気を失ったようにその先を見詰める二人の耳に聞こえてきたのは怒りに狂った女性の声と、無事な姿を見せるアルトのVF、それにその前で盾になるように立つ赤いエステバリスの姿だった。
「よかった……」
『よかったじゃねえ!! いいか、テメエら、これが終わったら覚えてろよ!!』
「まだ、バジュラが!!」
そう言ってバジュラを追いかけようとするアルトのVFをエステバリスの蹴りが襲う。
『くんな!! お前らみたいな三流は邪魔だ!!』
「な――っ!!」
そのままバジュラを追いかけていくエステバリス。
だが、アルトもミハエルも、そしてルカさえも彼女のあとを追いかけることができなかった。
実践での初めての大きな失敗――それが彼等の足をそこに繋ぎ止めていた。
基地に戻った三人は、待ち構えていたオズマに連れられ隊員が憩いの場として利用しているバーに通された。
そこで待ち構えていた黒髪の女性に立ち会わされ、それが先程のエステバリスのパイロットだと気付かされる。
「――――!!」
一列に並んだ三人を、その女は一発ずつ拳で殴り倒した。
「い、いきなり何をしやがる!!」
殴られた頬を押さえながらアルトはその女に突っかかるが、逆に女はアルトの胸倉を掴み揚げ声を荒げた。
「いきなりだ? そこの金髪も、お前も、そしてちっこいのも自分達のやったことを理解してやがんのか?」
「誤射をしたのはオレです……二人は関係ありません」
「ミハエル……」
「先輩……」
彼女が怒っているのはあの誤射にあるとミハエルは思っていた。
だからこそ、あの責任は自分が取るべきだと名乗り出たのだが、それが返ってまずかった。
「違うな――お前らはチームを組んでんだろ? なら、その責任はお前ら全員にある。
仲間の言うことを聞かず先走ったバカなアタッカーと、感情に左右され目測を誤った無能なスナイパー、それにいがみ合う二人を見ているだけで諌めることも出来なかった臆病なサポート」
「――誰にだってミスはあります! ミシェル先輩は無能なんかじゃ!!」
大切な先輩を、部隊の仲間を無能呼ばわりされて黙っていられなくなったルカは声を荒げる。
「ミスはある? あたしらのミスはな、そのまま仲間の命、後ろにいる人間のたくさんの命に関わってくるんだ!!
だったら、お前はミスをしたからあなたの恋人は死にました。あなたの家族は死にました。そう言って家族に謝罪する気か!?
ふざけんなよっ、そんな考えで戦場にでてるならテメエらは邪魔だ! 今すぐパイロットを辞めやがれ!!」
三人は何も言い返せなかった。反論したい気持ちはある。言い返した言葉はある。
だが、彼女の言っていることも正論だった。
事実、あのまま彼女が助けに入らなければ、アルトは死んでいた可能性の方が高い。
「熱くなるのもいい。感情の起伏に左右されるのも人間だ。それも仕方ないって言えば仕方ないだろ。
だが、仲間を信頼できないならそれはパイロットとして以前の問題だ。
お前らがなんでその機体を預けられているのか、自分が何を背負って戦っているのか、もう一度よく考えてみろ!!」
彼女に言われた言葉は三人の心に重く響いた。
定まらない考えを頭の中で巡らせながらも、感情がそれについて行かない。
それを察してか、キャサリンが落ち込む三人を連れてその場を後にした。
「本当にすまなかった……うちのバカを助けてもらったばかりか、面倒なことまでやらせちまって……」
「かまわねえよ……それにあたしもそんなに偉そうに言える人間じゃねえしな。
大切な友達と、その恋人を二度も目の前であたしは見捨てたんだ。守れなかった……
だから、その悔しさを後輩には味わって欲しくないだけさ」
「スバル・リョーコ少佐――撫子船団エステバリス隊のトップガンと言われるあなたが、何故アルト達にそこまでいれこむのか?
聞いてもいいか?」
リョーコの前にマイクローン化して縮んだクランが立っていた。
「ん? なんでこんなガキんちょがここにいるんだ?」
「だれがガキだ!! 私はこれでも大尉だっ、ピクシー小隊の隊長だぞ!!」
「……へ?」
「あの……お姉さまの言うことは本当です」
後ろに付き添っていた二人のゼントラーディの女性、ネネとララミアもそう言って頷く。
さすがにこんな子供がと思っていたリョーコだったが、ようやく納得したのかポンと手を合わせクランの方を見て謝ったのだが――
「ごめん、ごめん。でも、随分と優秀なんだな。子供で大尉だなんて」
結局、子供という点だけはリョーコの頭の中から離れなかった。
「私は大人だ――っ!!」
そんなクランの絶叫がSMS中に響いたという。
「まあ、あれだ。大切な戦友に頼まれたんだよ。アルトのことをよろしく頼むってな。
もっとも、会ったのは今日が初めてだったけどな」
「戦友? そいつは、アルトのことを知っているのか?」
「そうだな……まあ、そのうち会えるんじゃね?」
「なんだか、いい加減だな……」
「まあ、そう言うなって、そうそうオズマさんだっけ?」
「なんだ?」
「一つ、迷惑ついでに頼まれて欲しいことがあるんだけど――」
リョーコはそう言って胸元から一枚の手紙を出すと、それをオズマに手渡した。
「……これは?」
「うちの会長さんからの招待状――
そちらの部隊と、うちのエステバリス隊の模擬戦の誘いだよ」
「「な――っ!!」」
クランとオズマ、それにその場にいた全員が驚きの声をあげた。
軍の他の部隊から演習の誘いや指導の仕事をすることはあったが、まさかそれが自分達と同じ民間企業の、しかも他の船団の護衛部隊から来るとは思っていなかっただけに躊躇いを見せる。
「だが、SMSは現在、軍の指揮下にある。そんな勝手なことは――」
「だったら一度、上に通すだけ通してみてくれ……ま、こっちの想像通りならこの模擬戦は確実に実現すると思うけど」
「なっ、どういうことだ?」
「向こうも商会(うち)とコネクションを作りたくてうずうずしてるってことだよ。
あたしもこんな駆け引きは好きじゃねえんだけどな……
たくっ、イズミやヒカルの奴、あたしにだけこんな役目を押し付けやがって」
嫌なことを思い出したのか、ブツブツと愚痴を零しだすリョーコ。
だが、オズマはその真意を量りかねていた。そもそも、最近の政府や軍の動きがきな臭いことは気付いていたが、だからと言って他所からきた商会を信頼できるものでもないとオズマは思う。
「別に、あたしらを信用しろってことじゃない。この場合、あんたはあたしに借りがある。
そしてあたしはあんたに頼みたいことがある。プロスさんの受け売りだけど、ちょっとは協力してくれてもいいんじゃね?」
「……取引と言うことか、いいだろう。だが我々とて、ただ噛ませ犬になるつもりはない。
例え模擬戦であろうと、勝ちに行かせてもらう」
「そうでなきゃ、おもしろくねえ……見せてやるよ。うちの実力って奴を」
そう言って不敵に微笑むリョーコと、闘志を燃やすオズマ。
ここにエステバリス隊とSMSの夢の対決が、実現しようとしていた。
「バジュラの巣だと?」
「はい。この付近の宙域に小規模な巣、もしくは基地が存在するのではないかと」
ハワードはレオンからの報告を受け、眉をしかめる。バジュラの問題は確かに政府が抱える重要事項の一つだった。
だが、以前の大規模な救出作戦にも関わらず事態は一向に良い進展を見せていない。
政府としても問題点は何もバジュラだけではない。度重なる戦闘による資源の減少、そして市民に掛かる負担。
この二つはフロンティアで生活を送る上での、重要な懸案でもあった。
「だが、度重なる戦闘で各種資源、特に水の供給が不安定になっている。
我々の問題はバジュラだけではないのだぞ?」
「ですが、それは撫子商会からの申し入れでかなりの支援物資を受け入れたはず。
たしかに我々の目的、これからの戦闘を想定すれば物資の貯蓄は重要課題でしょうが、それでもその窮乏をもたらしているのはバジュラです」
「むう……」
ハワードは困り果てていた。レオンの言い分はわかる。
だが、ここでバジュラを刺激すれば更に戦闘は激しくなり、最悪、食料や水の供給が行き届かなくなれば、再び統制ラインを引くことも仕方なくなる。
そうなった時、市民の不満を抑えきれる自身が彼にはなかった。
それと言うのも、シェリルのあの会見発表以降、政府、軍への風当たりが強いことも影響している。
そこに加え、撫子船団と言うイレギュラーを加えたことにより、市民の気持ちは確実に政府よりもあちらの方に傾き始めていた。
商会の動きは無駄がなく、そして積極的だった。
フロンティアへの無償の救援物資の提供、市民のためのチャリティーライブや、家を失った住民などに関する居住施設の提供など、今の政府ではどうやっても手が回りきらない箇所をつき、次々に救いの手を差し伸べ、市民からの支持を募っていく。
ハワードにとってこれほど厄介な相手はいなかった。
「ならばこうしましょう。政府から正式に協力を要請すると言う形で彼等にも出てきてもらう。
そして、監視の方はSMSの部隊をつければいいでしょう」
「最悪、彼等を囮に使うというわけか……」
確かによい案ではあるとハワードも表情を緩ませる。だが、その一方、彼等がそれほど甘い存在だろうかと言う不安もあった。
しかし、結局、他によい案も浮かばず、ハワードはその案で合意することになる。
これが後に大きな問題を残すと知らず――
「アルトくん達、今日はお休みでしたね」
「うん、なんか……バイトがすごく忙しいらしいよ」
放課後、そんなことを話しながらランカとナナセは一緒に帰宅していた。
ランカも芸能活動のことや他に思うところが色々とあり、ナナセの前で明るく振舞って見せても、内心は不安な気持ちで一杯だった。
そこのことで本当はアルトに相談したいことも一杯あったのだが、そのアルトは任務でSMSに入り浸りで余り学園に顔を見せないため、二人の間ではすれ違いが続いていた。
「――ん?」
校門を出たところで、ギターとハーモニカの音色が聞こえてくる。
木陰のベンチでギターを片手に、ハーモニカを吹きながら演奏する一人の青年がそこに座っていた。
「あ……」
ランカはそのハーモニカの音色を聞いて、グリフィス・パークの丘で会った緑色の髪をした青年の事を思い出す。
彼にはあれから会えていない。視線を外した一瞬の間に幻のように姿を消していて、話しかける暇もなかった。
だが、ランカは彼に不思議な懐かしさを感じていた。
一目会っただけでおかしな話とは思うが、アルトとはまた違う不思議な温かさを彼から感じていたのだ。
「……ランカさん?」
「――!! あっ、なに!? ナナちゃん?」
ぼーっとして居たところに声をかけられ、ランカは思わず慌ててしまう。
そんなランカの様子に目を細め訝しむナナセだったが、すぐに話題を切り替えると、バイトの話を持ち出した。
「ランカさん、今日は娘々(ニャンニャン)のバイトに来られるんですか?」
「ごめんね。今日はこれから作戦会議なのっ」
最近、事務所の方が忙しくバイトを休みがちなランカを心配しての言葉だったのだが、ランカはそんなナナセに笑顔で答えると「作戦会議」とナナセには理解し難い返事を返す。
「作戦会議?」
「社長が画期的なプロモーションの方法を思いついたって言うからっ」
殴られた傷の治療を受けながらアルトはやり切れない気持ちで一杯だった。
確かにリョーコの言っていたことは理解できるが、だからと言ってミハエルを許す気持ちにはなれない。
「随分と派手にやられたようだな。まあ、今回は状況も相手も悪い」
「カナリア中尉……知ってるんですか? あの女のことを」
「ああ……スバル・リョーコ少佐。撫子船団のトップガンと呼ばれるエースパイロットだ。
彼女のことは、VF乗りの間でも有名だぞ」
「撫子船団……あいつが少佐……」
アルトは顔を手で覆い、自分のやってしまったことを少し考え改めなおす。
以前に学園でアキトからもらった名刺、そこには撫子船団は軍用ドックを示す住所が書かれていた。
ということは、リョーコともまた会う機会があると言うことだ。
それだけでなく、下手をすればアキトの言っていたテストとは「彼女のことなのではないか?」と言う想像まで膨らんでいた。
「それよりも、原因は……ミハエルか?」
「そうだ! あいつ、なんでこんなところにいるんだよ!?
どいつもこいつも後ろからコソコソ陰から撃つだけで、それすらも出来ない奴が――
金を稼いで女にもてたいだけなら二種免でも取って旅客機でも飛ばせばいい!!」
だからと言ってミハエルと喧嘩している中、誤射であと一歩で殺されるところだったアルトは気が治まらない。
カナリアにそのことを怒鳴っても仕方ないのはわかっているが、やり場のない怒りはミハエルの悪態になって吐き捨てられた。
だが、そんなアルトを見てカナリアは言う。
「……理由が必要か?」
「……え?」
「お前にミハエルの理由は関係あるまい。皆、何かしら抱えてる者ばかりだ。
同じだろ? お前も」
アルトはカナリアに諭され、冷や水を打ちつけられたかのように少し冷静さを取り戻す。
「だが、納得はいかない……」
それは本当にミハエルを憎んでのことか、それとも――
今のアルトには答えを出すことが出来なかった。
ライフルの射撃音がマクロスクォーターの甲板に響く。
あれからミハエルは医務室にも行かず、ずっとここで射撃の練習をしていた。
その一発一発に、アルトへの苛立ちや、そして感情に左右されミスをしてしまった自分への叱責をこめ、弾を放つ。
だが、弾は的をそれ、中心に当たることはなかった。
「チッ……」
いつもなら、こんな簡単な訓練で的を外すことなどなかっただろう。
それだけミハエルは心を病んでいた。今でも思い出す、姉の記憶――
引き鉄を握る度に、その光景がフラッシュバックするようにミハエルの脳裏を掠める。
「もう、就寝時間だぞ」
パイロットスーツに身を包んだクランがミハエルを見下ろすように甲板に立っていた。
おそらくは落ち込んでいるであろうミハエルを心配してきたのだろう。
マイクローン化を解き、ゼントラーディ用の大きなパイロットスーツに身を包んだクランは、VFと変わらないほどに大きく、そして子供のようなその容姿は失われ、大人ぽい落ち着いた女性の姿をしている。
「多分、寝付けないのは一人寝が寂しいせいかもな」
「また、お前はそう言う……」
「それとも何? クラン――お前が今夜、相手してくれるとでも?」
「な――!!」
顔を赤くして慌てるクランをミハエルは容赦なくからかう。
「無理か、マイクローン化したお前に手を出したら、淫行罪で捕まっちまう」
「――!!」
言い過ぎだった。心配して様子を見に来たクランをからかい過ぎたミハエルはVFの頭部にクランの平手打ちを食らってしまう。
「何すんだ――」
「――バカ!!」
パイロットスーツのメットから覗き込むクランの瞳は涙で濡れていた。
それを見たミハエルは出しかけていた言葉を最後まで言い切れず、その場で固まってしまう。
そのままミハエルに背を向けると、基地に帰っていくクラン。
ミハエルはそんなクランに声をかけることも、追いかけることも出来ず、そこに一人立ちすくんでいた。
「バカは……オレか……」
「こんばんは――お待たせしてしまって申し訳ありません」
撫子船団の旗艦――通称『ヤマト』と呼ばれるその艦に撫子商会の本社ビルが建っている。
そのビルの最上階、街を一望できるその場所にホシノ・ルリのいる会長室があった。
「あなたが……ホシノ・ルリさん?」
「呼び捨てで構いませんよ。あなたもその方が話しやすいでしょう。
お話は聞き及んでいますよ――シェリル・ノームさん」
「シェリルでいいわ。じゃあ――早速、用件を言うわね。ルリ、私に力を貸して」
シェリルはルリを尋ねて商会の本社ビルを訪れていた。
相手は新鋭企業とは言え急成長を遂げる会社の会長――経済界に名を連ねる盟友だ。
いくら『銀河の妖精』の名を出しても、約束もなしにすぐに会えるとはシェリルも思っていなかった。
だが、そんな悠長なことをしていれば、アキトやグレイスに気取られる可能性もあるし、出来ればまだ知られたくない。
そこでシェリルは一つ賭けにでた。
テンカワ・アキトの名で会長に面会を要請したのだ。
今度、行われる『撫子船団来艦イベントライブ』の話はアキトが持ってきた物だとグレイスが言っていた。
だとするとアキトは商会となんらかの繋がりがあると、今までのことから予想できたからだ。
たまにアキトが連絡を取っている相手が、商会の関係者だと言うのなら話はわかる。
それにもう一つ決定的だったのが、以前に買い物をしていた時、ラピスがふと漏らした名前『ルリ』と言う名前だった。
その時はまさか商会のトップの女性の名前と思わなかったが、そう考えれば色々と辻褄があうところがでてくる。
「びっくりしましたよ。アキトさんの名前を語ってくるんですから――
私のことは、アキトさんから聞いたんですか? それともラピスから?」
「どちらでもないわ……私の勘よ」
「なるほど……あなたは頭も良いみたいです」
少し考え込むと、ルリはシェリルの方を見て本題に入る。
「――で? 何故、私の力が必要なんです?
それにそのことで私達にどんなメリットがありますか?」
ルリのことは良く知らないシェリルだったが、普段、アキトやラピスを見ている彼女はこれがルリの交渉だと気付いていた。
突然やってきた自分のことを、ルリはどう判断していいか対応を量りかねているはずだとシェリルは予想する。
だからこそ、卑怯だとは思いながらもアキトのことを持ち出して、そして正直に自分の望みを伝えることにした。
「私はアキトの重荷になることなんて望んでない。私はアキトのパートナーになりたい。
彼が私のために何か危ないことをしているのは知っている。だから、力を貸して欲しいの」
「それだと、『何故――私に?』と言う質問に答えてませんよ」
「グレイス。マネージャーには頼れない――
彼女も、私に何か隠し事をしているみたいだから……
そして、それはアキトに関係していることだと思う」
苦虫を噛み締めるようにシェリルはそう言い放った。
恩人であり、パートナーと認めていたグレイスを疑い、裏切るような行動は出来れば自分から取りたくなかった。
だが、アキトとラピスのことが関わってくるなら話は別だ。
シェリルはグレイスのことを信頼しているが、アキトとラピスのことも大好きだった。
だから、そんな二人が何もなく自分の身辺を調査したり、グレイスに警戒されるような行動を取るとは思えなかったのだ。
「理由はわかりました……それじゃあ、最後にあなたは私達に何を支払って頂けますか?」
交渉には必ず、それに応じた対価が必要になる。それをルリは言っていた。
ここで言う対価とは金銭ではないとシェリルは考える。情報には情報を、お金にはお金を、命には命を――
それに釣り合い、伴う対価でなくては、それは契約として成立しない。
「私を――銀河の妖精をあなた達に差し出すわ」
「…………いいんですか? あなたのパートナーを裏切ることになるかも知れませんよ?」
「――それでも、ワタシは私に嘘をつきたくない。その時点で、私はシェリル・ノームですらなくなるのよっ」
最初に自分に嘘をついたのはグレイスだ。隠し事をしていたのはグレイスだ。
そんなことは自分の罪悪感を偽るための所詮はまやかしだと、シェリルもわかっている。
だが、アキトやグレイスのここ数日の様子を見ていた彼女は、今までのように完全にグレイスを信頼できないでいた。
だからこそ、彼女は賭けてみたのだ。自分が動くことで何が変わるのかに――
「いいでしょう……撫子商会はあなたを全力でサポートします。ミス、シェリル」
それが『銀河の妖精』と『電子の妖精』の初めての出会いだった。
翌日――
アルトはマクロスクォーターの格納庫で一人、自分のVFを見上げていた。
あの時、ミハエルが誤射した時のことを考えながら――
「オレは……逃げている訳じゃない」
ミハエルに言われた言葉がアルトに深く突き刺さる。
ミハエルの事情は知らないが、アルトにも他人には理解してもらえない複雑な事情がある。
あれからずっと問い続けている戦闘機に乗り続ける答え――
最初は空に憧れたから、そしてランカの夢を応援したいと思ったから――
考えればいくつもの理由があることにアルトは気付かされる。
だが、空を飛びたいなら部活でも、それこそ民間の会社で旅客機を飛ばしていてもできることだ。
SMSに入っているかと言って、好きなように空を飛べるものでもないと今ならわかる。
なら、ランカのことは――? ランカの夢を叶える場所を守りたいと思ったのは確かだ。
だが、それはランカの夢であって自分の夢ではない。
アルトはそんな答えのでない自問自答をずっと繰り返していた。
「自分がなんのために戦うのか……なんのためにこいつに乗り続けるのか……
いつか……オレにも答えがだせるのか?」
思い出されるのは父の姿――稽古に厳しかった父――
アルトの家は古くから伝わる歌舞伎を生業とする役者一家だ。そんなアルトも常に役者としての心構えを教えられ、育てられてきた。
演じること、舞うこと、血筋――家柄に固執し、何をするにもアルトの父は厳しかった。
そんな父親に反発して家をでたアルトだが、今ではそのことによる心の葛藤の方が大きい。
アルトが今ひとつ、最後の踏ん切りをつけられないのも、その過去を引き摺っていることによるものが大きかった。
「オレは……」
「アルトっ、ミシェルはまだ戻ってないのか?」
格納庫に響く声、アルトの後ろにクランが立っていた。ゼントラーディ化したクランを見上げながら返事をするアルト。
「ああ、訓練とか言って出て行ったらしいけどな」
ミハエルがどうしたのかと嫌そうに答えるアルトに、クランは真剣な表情で返事を返す。
「アルト……お前、ミシェルのことが好きか?」
「……はあ?」
クランの突然の質問に、目を丸くして驚くアルトだった。
それは、アルトにとってもミハエル・ブランという悪友のことを今一度考えさせられる内容だった。
ミハエルがあそこまで意固地になることだ。その過去に何かがあるということはわかっていた。
「くそ……オレは……」
自分がミハエルに言った言葉を思い返し、不謹慎な発言をしていたとアルトは思う。
ジェシカ・ブラン――ミハエルの姉は、昨日のミハエルと同じように、任務の最中に上官の機体を誤射して死亡させた。
そしてまずいことにその誤射をする前、その不倫関係にあったとされる上官と口論になっており、彼女がわざと上官を撃ったのではないかと言う疑いの声が上がったのだ。
それに当然反論した彼女だが、受け入れてもらえず軍事裁判にかけられ、彼女はそのことに耐え切れなくなり自殺したのだった。
クランからその話を聞かされたアルトは、ミハエルのことをどこまで自分は知っていたのだろうと思う。
おそらく、彼の外見ばかりを見て、その本音が見えてなかったのではないかと考えさせられる。
「皆、同じか……」
カナリアが言ったことはこう言うことを指していたのだろうと、アルトは気付く。
だからこそ、やり切れない気持ちで一杯だったのかも知れない。
「よろしくお願いします〜」
フロンティアでも人通りの多いその街中で、ランカはプロモーション活動を行っていた。
道行く人々に『ねこ日記』と書かれたティッシュを配って回る。
笑顔でティッシュ差しだし続けるが、その大半がたいして気にも留めずそのまま素通りするばかりだった。
そんな様子をマネージャーのエルモと、ランカのメイクのために呼ばれたボビーが離れた場所から見守っていた。
「いや〜、いい仕事です。さすが、伝説のメイクアップアーティスト!
まさか、ランカちゃんのお知り合いだったとは――」
「……にしても、しょぼいわね〜」
ボビーのメイクを褒め称えるエルモだったが、ボビーはそんなランカのプロモーション活動が気に食わないのか、不満の声を上げる。
「プロモーションなら、もっとやり方があるでしょうに――
せめて、ネットを使うとか」
「いや、それがですね。サイトを立ち上げたり、プロモを流そうとすると何故かすぐにハッキングされて」
エルモの言うことは事実だった。
まるで誰かに監視されているかのように、ネットで宣伝を流そうとするとサイトが消され、かといってテレビに露出するような仕事をとってきたかと思えば先方から断りの電話がきたり、仕事そのものが立ち消えたりする始末。
エルモはこのことで完全に手詰まりになり、頭を悩ませていた。
だが、そんなことはボビーの知るところではない。
ランカが不遇な扱いをされていると思ったボビーはエルモの方を見て――
「あの子はね、私の大事な人の妹なの。徒や疎かな扱いをしたら――殺すわっ!!!」
「ひいいいぃぃぃぃ!!!」
――鬼だった。そこに鬼がいた。
ボビーの剣幕にビビり、ちょっぴりチビってしまったエルモ。
彼の『ランカ・リーデビュー計画』はまだ始まったばかりなのだが――幸先不安な幕開けだった。
「あ……」
ティッシュを配ってる最中、ランカは人込みの中に先日、グリフィス・パークで見かけた青年を見つける。
「あのっ」
だが、声をかけようとしたのも束の間――気付けばその青年は人込みに紛れ、姿を消していた。
突然消えた青年を捜し、オロオロとその場でうろたえるランカを、その影は建物の上から覗いていた。
ランカが捜している青年――緑色の髪に、首にハーモニカを下げたその青年は静かに少女の名を口にする。
「ランカ・リー……」
そこに、どんな意味があるのか?
だが、ランカを見詰める青年の瞳は、確かな興味の色が窺がえた。
「学者達によればこの宙域にバジュラの巣のような物がある可能性が高いそうだ。
今日の任務はそれを捜索、発見、可能ならば持ち帰ることにあるそうだ。そして――」
オズマは、前方を先に飛んでいく三機のエステバリスに目をやる。
今日のこの任務は何故か、撫子船団との共同作戦と言うことになっていた。
「なんで、あいつらが……」
「文句を言うな――これも上からの指示だ。今日の任務には彼等が同伴する。
むしろ我々にはサポートに徹しろとの達しがあった」
「――そんなの!?」
「当然、鵜呑みにするつもりはない。だが、これは任務だ。
各機――散開して捜索にあたれ!! 奴らに遅れを取るな!!」
「「「――はい!!」」」
オズマの一言で、スカル小隊、ピクシー小隊ともに散っていく。
「あっちもやる気満々だね〜。
あっちの隊長さん、本当は何かあれば私らを事故に見せかけて後ろから撃つように――
くらいは言われてたんじゃないの?」
「あのオズマって奴は、んなことしねえよ」
「あれ? リョーコちゃん、随分と肩を持つじゃないですか〜
サブちゃんに言っちゃおうかな〜」
「んなじゃねえよ!! 撃ち落すぞ!!」
「バジュラの巣……巣、卵……たまたま、たまごに遭遇……くくっ!」
「「…………」」
イズミの寒いギャグにテンションを下げながらも彼女達は宙域の探索を続けた。
だが、その動きはちゃんと探索をしているようでどこかおかしい。
後ろについて来ているアルトとミハエルの機体を誘導しているようでもあった。
「どう? サブちゃんとアキトっち、上手くやったかな?」
「ん、まあ――問題ないだろう。ん、この反応――」
「どうやら、あっちが先に見つけたようね。交戦してる――って、あちゃ〜。
例の報告があった赤いVFもいるみたいだよ」
「上等――っ」
「うわ……舌なめずりしてるよ。この人――」
「戦闘狂……」
リョーコたち三機のエステバリス、そして遅れて辿り着いたアルトとミハエルが見たのは赤いVFとクランのクァドランが戦闘を繰り広げているところだった。
その周りではその先で巣穴と化している難破船から次々にバジュラの固体が姿を現し始めている。
「クラン――っ!!」
ミハエルの声が真空の宇宙に響く。
だがその言葉も空しくクランは追い込まれていた。持ち前の技量で応戦はするが、機体性能の差が歴然とでている。
ジワジワとその機動力の差で追い込まれるクラン。
「――くっ!!」
「遅い!!」
完全にクランを捉えたかのようなその銃口――さすがにこれは直撃するとクランも思ったその瞬間だった。
赤いVFの頭上から降り注ぐ、ライフルの嵐。
「何――っ!?」
赤いエステバリス――リョーコが、クランとその赤いVFの前に立ち塞がるように姿を現す。
「こいつはあたしの獲物だ!! 周りのバジュラは任せるぜ!!」
「はいはい……もう、勝手にやってくださ〜い」
赤と赤、その二筋の閃光の攻防が始まった。
「すごい……」
アルトは目の前の攻防に、完全に見惚れていた。
それほど物凄い戦闘が目の前で繰り広げられていた。
最大速度はどう考えても赤いVFの方が上なのに、その驚異的な先読みと運動性をもってエステバリスの方が圧倒し始める。
「こいつ、どういうことだ!? 弾の軌道がまるでわかってるみたいに――っ」
「オラオラ!! んなヘッポコだとすぐに終わっちゃうぜ!!」
だが、その時だった――確かにこのままならリョーコはその相手に勝っていただろう。
しかし、二人の戦闘を邪魔するように――
いや、赤いVFを助けるように、あの男の機体――夜天光が姿を現す。
「て、テメエ!! 北辰っ!!」
「え、嘘!!」
リョーコの通信を聞いたヒカルも驚きの声を上げる。
まさか、ここで北辰が出てくるとは完全に予想外だった。
「貴様にはまだ踊ってもらわねば困る――それに、奴ら三人とは因縁がある。
ここは、我に任せてもらおう」
「ぐっ――!!」
先程とは一転して、完全に防戦一方のリョーコ。北辰の猛攻が迫る。
それを助けるようにヒカルとイズミが加勢するが、それでやっと五分――
いや、僅かにリョーコ達が勝っている程度の戦力差だった。
「今のうちに――任務を続行する」
「――待ちやがれっ!!」
「くっ! 邪魔だ!!」
難破船に向かおうとする赤いVFを追いかけるアルト。だが、その追撃をことごとくかわしていく敵機。
「聞いたぞっ、一発必中なんだろ!! お前もお前の姉ちゃんのジェシカもっ」
「どうしてそれを!? クランか、あのお節介め!!」
追い立てながらミハエルに叫ぶアルトの言葉に、ミハエルはそれがクランの差し金だと気付く。
だが、ミハエルにも悩んでいる時間はなかった。
すでに頼みの綱のエステバリスは夜天光に動きを完全に抑えられており、クランも数を増やしているバジュラの対応で精一杯の様子だった。
かといって、アルトだけであのバケモノのような機動力を持つVFと戦えるとは思えない。
「――くそっ!!」
近くの隕石の上に機体を陣取ると、ミハエルは狙いを定め、その視線でアルトの追いかけ回す赤いVFを捉える。
だが、軸線上にアルトの機体が入るように上手く逃げられ、中々思うように狙いが定まらない。
「速すぎる――っ!」
ミハエルが指先を震わせ、焦りを見せたその時だった。
赤いVFの放ったライフルが完全にアルトの機体を捉えたかに見えた。
だが、爆発が起こった先から寸前に隕石を盾にして、爆発に紛れて距離を縮めたアルトのVFが姿を現す。
爆煙の中から突然姿を現したアルトに対応が遅れ、そのままライフルで右足を破壊され羽交い絞めにされる赤いVF。
「くっ! お前――っ!!」
「ミシェル!! 今だっ、撃てええ!! ジェシカをっ、姉さんを越えろ!!」
必死に取り押さえながら叫ぶアルト。そしてミハエルはその震える手を押さえ、慎重に狙いを定める。
だが、あれからずっと脳裏を過ぎる姉の姿がミハエルの集中の邪魔をする。
「オレは……」
「撃て! ミシェル!! 撃つんだ!!」
「――くっ!」
「撃てええぇぇ!! ミシェ――――ル!!!」
ミハエルの目が開く――後にも先にも、これほど集中力を研ぎ澄ましたことはなかった。
アルトの叫びに答え、姉の亡霊を振り払うかのようにその引き鉄を引くミハエル。
その叫びの声は閃光となって、赤いVFを捉えた。
「くっ――」
「――ガハッ!!」
ギリギリのところで直撃を回避し、赤いVFはアルトを弾き飛ばす。
だが、掠めた頭部は装甲ごと融解しダメージを負っているのがわかる。
「チッ――!!」
受けた任務はバジュラの巣を彼等に渡さないこと――
相手を舐めすぎて遊びが過ぎたことをそのパイロットは後悔していた。
すでに宙域を飛び交っていたバジュラはほとんどクランに駆逐され、今、アルト達と徒党を組まれればまずいと判断したのか、そのVFは手に持っていた量子ライフルを構え、バジュラの巣を破壊しようと銃口を向けた。
――だが、そのライフルが放たれることはなかった。
先に轟音を上げ、難破船が爆発したのだ。
――一体だれが? そんな疑問を思い浮かべるか、先程のエステバリスも夜天光と戦っており、そんな様子はない。
SMSの他の部隊が到着していることもなければ、彼等が任務を放棄してそんなことをするとも思えなかった。
「――くそうっ!」
任務は達成された。だが、不可解なことばかりが起こり、彼は翻弄され続けた。
不可解な機体のパイロットに助けられ、確実に格下と思っていた相手に追い込まれ、そして獲物を誰かに横取りされた格好になる。
だが、このままでは自分も追い込まれると判断した彼は、踵を翻し戦線を離脱していく。
「何が――何がどうなっている!?」
おそらくその問い掛けに答えられる者は彼の側にいない。
そのイレギュラーとも言える出来事は、彼女――彼等の予定にもなかったことなのだから――
「やはり、あの程度か……あんな小僧に敗れるとは、所詮は紛い物の人形と言うことか」
「北辰――!! 覚悟しろ!!」
「お前たちとの戦いは中々に楽しめる。だが、残念ながら我には他にやることがあるのでな」
夜天光の周囲に広がるボソン粒子、それに気付いたリョーコが声を上げる。
「まてっ!!」
「さらばだ――妖精の守護者たちよ!! 跳躍――っ!!」
―――――――。
そうして、完全に姿を消した夜天光。
リョーコは悔しさの余り、その拳をコクピットに打ちつけていた。
「サンプルの搬入終わりました――」
「ありがとうございます」
撫子船団旗艦『ヤマト』――その秘密ドックに一つのコンテナが運び込まれる。
「これが、例の……?」
「ええ、私たちはまだ彼等に比べてバジュラに関する知識が少なすぎる――
だから知る必要があります。それに――」
ルリとプロスが振り返り見る先には、撫子商会の制服を身にまとったシェリルが立っていた。
「彼女との約束がありますから――」
墓標の立ち並ぶ清閑な場所――その中の一つの墓標の前にミハエルは立っていた。
「オレには……まだわからない。姉さんが何を思ってあの時、引き鉄を引いたのか」
ミシェルは姉、ジェシカの墓の前でもう一度自分の過去を見直していた。
だが、アルトの声で引き鉄を引いたあの時――たしかにミハエルは姉の幻を振り払っていた。
「でも……いつか……」
その『いつか』は、わかる日が来るのかそれはミハエルにはわからない。
だが、知りたいと想う反面、別にそれでもいいとミハエルは思い始めていた。
自分は姉ではない。彼女が何を思い、何を考えて撃ったのかはわからない。
だが、自分が引き鉄を引く理由だけはハッキリとしていた。
「フ……」
ミハエルのことを心配してだろう。木陰に隠れて様子を窺がうクランに気が付くと微笑むミハエル。
今の空の色と同じようにミハエルの心はいつになく晴々としている。
「ミシェルせんぱ〜い! おはようございます」
そんなミハエルを心配して迎えにきたアルトとルカの二人もまた、学園の制服に身を包み声をかける。
アルトとミハエルはお互いに顔を合わすと、先日までの険悪な雰囲気はどこにいったのかお互いに微笑み返していた。
「よく……逃げなかったな」
「お前こそ」
ミハエルの皮肉に皮肉で返すアルト。この二人はこれでいいのかも知れないと、ルカも思わず笑顔になる。
「授業に遅れちまう。とっとといくぜ、ミシェル」
「ああ……」
「え……今、ミシェルって!?」
ルカは慌てて先に行くアルトを追いかける。
だが、そこには驚きと困惑とともに、ミハエルのことを『ミシェル』と愛称で呼ぶようになった、アルトのことを嬉しく思う気持ちが隠れていた。
ミハエルは二人の後を追いながら空を見上げ、姉に語りかける。
「でも、いつか……わかる気がする。そうだろ、姉さん」
それは幼き頃からの――姉を想う、彼の願いだった。
大切な誰かのためにその弾を込め、引き鉄を引く。だとするなら、自分が今引き鉄を引く理由は――
目の前を歩く二人に視線をやり、ミハエルは微笑む。
それこそが必中のスナイパー『ミハエル・ブラン』の戦う理由――
青く澄み渡る空は、そんな彼の新しい門出を見守るかのように、青々と色褪せることなく照らし続けていた。
……TO BE CONTINUED
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m