「ここは反統合勢力の島か!?」
「私は風の導き手――ざわつく風が聖なる恵みを遮って、だから私にはわかった。
血塗られた戦人が目覚めると、風が濁る――」
森の中から姿を見せた褐色の美女に、持っていた儀式用の木刀を構える青年。
体の至るところには傷を負った後があり、そこにいる誰かに手当てをされたのだろう、包帯が撒かれていた。
だが、彼は彼女と、その後ろに控えている島の人々に警戒を解かなかった。
「マヤンの風が濁り、カドゥンが草の裏に巣くうようになる。
目が覚めたのなら、島から立ち去るがよい」
「くだらさないっ、オレの他にもう一人いたはずだ!!」
声を荒げる青年。この島に墜落する前、一緒に乗り合わせていた相手のことを心配してのことだった。
だが、目の前にいる褐色の美女はそんな彼の質問に答えるどころか、手にしていた木刀を目にし、驚きの声をあげる。
「これは……」
「触るなっ、答えろ! もう一人はどこだ!? どこにいる!?」
「あんた一人だったよ。流れ着いたのはアナタだけ」
そう言って、二人に割って入るように舞い降りる影――
青年が木刀を構え、意識を向けた先にいた少女は――
この物語のもう一人のヒロイン、マオ・ノーム――それに扮したランカ・リーだった。
鳥の人――五十年前に起こったとされる、ある事件を元に製作が進められている映画のことである。
話の流れはこうだ。
後にマクロスと呼ばれることになった監察軍の宇宙艦が地球に落下することになった事件から九年――
人類は宇宙からもたらされた様々なオーバーテクノロジー技術を巡り、世界大戦規模の戦争を経験していた。
その戦争の末期、2008年――統合軍パイロットの工藤シンは反統合同盟の可変戦闘機SV−51に撃墜され、伝説が生きる孤島マヤン島に流れ着く。
そこで出会った島の巫女、サラ・ノーム。そして、彼女の妹、マオ・ノーム。
二人との出会いにより、彼は後に『鳥の人事件』と呼ばれることとなる統合軍と反統合同盟の抗争に巻き込まれていくことになる。
マヤン島の近海に眠る巨大なエネルギー反応、それを地球に眠る未知のOTMと判断した統合軍は回収を決定し、それに乗じた反統合同盟との激しい戦いに発展していく事になった。
VFシリーズの雛形と言われる可変戦闘機、VF−0フェニックスを実践投入した統合軍と、同じく可変戦闘機SV−51を配備した反統合同盟の戦いは苛烈を極め、マヤンの二人の姉妹に救われたシンもまた、同じくVF−0に搭乗し、戦いにその身を置くことを決意する。
だが、数奇な運命の巡り合わせは、信じあう、彼、彼女達を引き離し、人類を滅ぼすために現れた伝説の人『鳥の人』が目覚めることにより、事態は思わぬ方向へと傾きはじめた。
統合軍、反統合同盟、どちらも関係なく殲滅し始める異形の怪物『鳥の人』――
次々と仲間、そして敵が落とされていく中、シンもまた、鳥の人の中に捕らわれた少女サラを救うため、鳥の人へと向かっていく。
そんな中、統合軍上層部の決定により、鳥の人に向けて放たれた反応弾。
サラは、マヤンの人々と、そして愛する人――シンを守るため、反応弾諸共、空間の裂け目へと姿を消してしまった。
それが、この事件『鳥の人事件』の全容――
今は新統合軍によって機密文書として隠されてきたこの事件も、五十年を経た今、新統合軍の本部にある政府研究機関の手により、公開されることとなった。
それが工藤シンが記したとされる伝記、この映画が製作されることとなった切っ掛けだった。
今、フロンティアでは、その映画の話題で持ちきりであった。
今年度ミス・マクロスフロンティアのミランダ・メリンを主演に迎え、制作期間約三ヶ月と言う過密スケジュールの中、この作品はクランクインされることとなった。
ミランダ・メリン――彼女は伝説の歌姫リン・ミンメイと同世代の女優、ジャミス・メリンを祖母に持ち、生まれながらの女優としての資質を持ちあわせ、この世に生を受けた。
他の同世代の娘たちと比べても、才能も地位も、そして華もあり、彼女は目立った存在だったと言える。
彼女自身も名の売れた女優であった祖母のことを尊敬しており、両親からの期待を一心に背負い、今まで稽古に仕事と自分を磨き続けてきた。
その自負があったからだろう、露出する部分では人辺りもよく謙虚な出来る女性を演じている彼女だったが、シェリルに負けず高慢な性格をしているため、スタッフや他の女優など、同輩からは良く思われていないところがあった。
それは、ミス・マクロスフロンティアで競い合ったランカ・リーにも同じで、監督の目に留まり、急遽配役が決まったランカのことを快く思っていないこともあり、ランカを見下し冷たい態度を取っていた。
「私、嫌われてるのかな……」
ランカは彼女に何故、そんなに嫌われているのか分からない。
だが、その原因が自分にあると言うことをこの時の彼女は知る由もなかった。
スクリーンに映し出されるマオ・ノームを演じる自分を見て、ランカは恥ずかしいやら嬉しいやらで、複雑な気持ちで一杯になる。
だが、そこに映し出される自分を見て、純粋に自分が大役を演じられたということ、そして夢に近づいたということを実感できた。
そんな、瞬間だった――
歌姫と黒の旋律 第9話「インタープレイ」
193作
話のはじまりは、そんな映画制作の発表から三ケ月ほど遡る。
「シェリルさんのイメージソングも素敵で、クランクインが待ち遠しいです――」
昼の長寿番組、その時期の話題の人をゲストとして呼んで、質問したり話題をふる番組を見て、ナナセは大きく溜息を流していた。
その話題の人として注目を浴びているのは、あのミス・マクロスフロンティアでランカと競い争ったミランダ・メリンだった。
あそこでランカがミス・フロンティアに選ばれていれば、そこにいるのがランカだったのかと思うと悔しさも今更になって込み上げて来る。
当事者であるランカはと言うと、そんなナナセの心配をよそにテレビを眺めながら、お昼の賄いで出されたを食事を黙々と口に運んでいた。
「なんか、悔しいですよね。こっちは手渡しのプロモーションしか出来ないって言うのに……」
そんな友人の様を見て、耐え切れなくなったナナセは、遂、愚痴を零してしまう。
ネットでの宣伝活動など、ことごとくを何者かの妨害で封じられていたランカは、エルモの指示でずっと人通りの多い場所での手渡しの宣伝活動を行っていた。
確かにテレビに出ているミランダのように華やかではないかも知れない。
大きく宣伝したりすることは出来ないし、このまま地味に活動していても、たくさんの人の目に自分が留まる日がいつ来るかわからない。
そう、ランカはわかっていたが、でも特別、焦りや悔しさと言うものは湧いて来なかった。
「でもね、エルモさんが言ってたの。歌って、そもそも人から人に、口伝えで広められるものなんだって」
信じていたのかも知れない。ランカはエルモの一言がなくても地道に歩き続けるだけの意志と力を持っていた。
今は確かに、自分の歌を聞いてくれる人は少ないかも知れない。
でも、ナナセやルカ、ミハエル、たくさんの友人に支えられ、そしてアルトに応援してもらった夢を諦めるつもりはなかった。
「そうですよねっ、きっといますよ!!
あのディスクを見て、ランカさんのことを好きになってくれる人が――」
そんなナナセの励ましの言葉に、ランカは笑顔で答える。
そんな時、後ろからドタバタとした足音が聞こえ、息を切らしたエルモが部屋の中に飛び出してきた。
「エルモさん――社長!?」
「ラ、ランカちゃんっ、ニュースですよ!! ビックニュースです!!」
「鳥の人か――これに彼女が?」
アキトの目の前にあるのは、関係者用に配られている映画の台本だった。
その台本を手に、アキトは興味津々にそれを開き見る。
「なんの皮肉か……彼女がこの映画に出演することになるとはな」
「アキト、例の調べ物終わったよ。でも、本当にいいの?
このまま彼の動きを静観してて……ランカの妨害をしてるのだってあいつがっ」
「……やはり、あのミス・マクロスの件もあの男が手を回したものだったか」
ラピスの憤りも無理はない。
ランカがどれほど夢に真摯に向き合って、頑張っているかを彼女も側で見ていて知っていた。
だが、それを踏みにじるかのように、その行動を監視し、邪魔していたのはレオン――彼だったのだからラピスは許せない。
ラピスがレオンを嫌っているのはアキトも知っていたし、シェリルと同じようにランカのことを気にかけているのは理解していた。
それでも、レオンを泳がせていたのには理由がある。
「奴の背後関係はかなり根深い。ここで妨害をすることは簡単だが、それだけでは根本的な解決にはならない」
レオンはリチャード・ビルラーだけでなく、LAIとも個人的な繋がりがある他、新統合軍内部でも不審な動きを見せ、秘密裏に計画を進めている節があった。
それに最近ではグレイスが積極的に彼になんらかの情報を流し、接触を図ろうとしていると言った不審点もある。
「でも……」
「ラピスの言いたいことはわかる。だが、今は我慢してくれ。
それとシェリルの方は――」
「お姉ちゃんは大丈夫。商会のSPがついてるみたいだから――
随分とルリにも気に入られたみたいだね」
「まあな……シェリルの行動力にも驚いたが、まさか、プロスさんがあんな行動を取ってくるとは思わなかったよ」
それは数日前、シェリルを引き連れたプロスが、グレイスとアキトの前に姿を見せたことから始まった。
「どういうこと?」
「だから、そのままの意味ですよ。シェリルさんの身柄はこちらで預からせていただき、そちらから商会の方に移籍すると言ったのですよ」
「シェリル、答えなさい!! どういうことなのっ!?」
「…………」
これほど感情を顕にして、声を荒げるグレイスをシェリルは見たことがなかった。
グレイスにしても、そんな話を大人しく看過出来るものではない。
シェリルは『銀河の歌姫』と称されるほど価値がある商品で、それに自分の計画にとっては欠かせない素材の一つなのだ。
「ごめん、グレイス。でも、もう決めたことなの」
「そんなこと、私が許すと思っているの?」
「あなたに許してもらうとか、そんなことは関係ないわ。
グレイス、あなたこそ私に他に言うことはないの?」
「あなた、何を言って……」
「じゃあ、こうお聞きした方がいいかしら? ――ドクター・グレイス」
「――――!?」
シェリルの言葉ですべてを悟ったグレイスは歯軋りをしながら、その横に控えているプロスを睨みつけた。
今まで多少の歪みはあっても順調に計画通りに進んでいた道筋が、ここにきて大幅な修正を余儀なくされるほどに傾き始めている。
そのことにグレイスは目の前にいる男プロスペクターと撫子商会が起因していると考えていた。
そして、もう一人――
「アキトくん、あなたも知ってたの……?」
「いや、シェリルがこんなに大胆な行動に出るとは思っていなかったが、いつかはこうなると思っていたかな?」
「そう……そういうことなのね」
ここまですべて彼等の計算の内なのだろうと、グレイスは込み上げて来る憤りを抑えこみ耐えた。
ここで彼女一人がごねたところで、おそらくシェリルは意志を曲げない。
そして、商会も外交ルートからシェリルを守るための様々な手段を講じているものとグレイスは確信していた。
情報戦で向こうに一日の長がある以上、まともに彼等とやり合えば、世論を巻き込んで自分達の方が不利になる可能性を拭えないと考える。
そのことが原因となり、計画そのものが完全に瓦解する可能性までを考慮していた。
「移籍金額は相応の提示させて頂くつもりですよ」
「あなた達に……そこまで肩入れするほど、彼女の価値があると言うの?」
金額の問題ではない。これは商会からグレイスに対しての宣戦布告なのだ。
グレイスには彼等がすべてを知った上で、シェリルの味方に付き、計画を妨害すると言っているように聞こえた。
だからこそ、聞きたかった。シェリルにそこまでの価値があるのかと――
「フフ……これは失礼。あなたもマネージャーなどされていたのだ。
そのくらいはお分かりかと思いましたが――」
「――どういう意味かしら!?」
プロスの態度が気に食わなかったためか、グレイスは抑えきれなくなった感情が声に出る。
「彼女の価値を決めるのは、私達ではありません。お客さまです」
「だが、それでは答えになってないっ! それがシェリルに肩入れする理由には――」
「やはり、あなたは優れた研究者ではあるが、優れた経営者ではなかったようだ」
そう言って、プロスは眼鏡を片手で少し上に持ち上げる。
そして、グレイスの心を見透かすようにその鋭い眼光で睨みつけた。
「交渉とは必ず損得の出るもの――商売とは常にリスクを伴うものです。
そんなにリスクを背負い込みたくないのなら、諦められてはどうです?
興味本位で相手が出来るほど、私達は甘くない」
「――――!!」
プロスの一言で飛び出そうとしたグレイスの首筋に、アキトの銃が突きつけられる。
「次はない」
「テンカワ……アキト」
「では、これで失礼しましょうか」
そう言ってその場から立ち去るプロス。その後に続くようにシェリルが同行する。
去り際、最後にグレイスの方を振り向くと、シェリルは一言別れを告げた。
「さよなら、グレイス……そして、今までありがとう」
消えた二人を無言で見送ったグレイスは、その視線をアキトの方に移す。
「あなたは、行かなくていいの? シェリルの護衛でしょ……」
「オレには他にやることがある。傍でくっついているだけが、護ることとは違うさ」
アキトの言葉に苦笑をもらすと、グレイスは背中を向けその場を立ち去ろうとする。
だが、そんな彼女の気を留めたのはアキトの何気ない一言だった。
「グレイス……オレはバジュラの件を除けば、アンタのしていることに文句を言うつもりはない。
ただ……シェリルと過ごした日々、そしてラピスや俺達と過ごした数ヶ月は嘘じゃない。
だから――せめて、彼女達の言葉に、嘘で返して欲しくなかった」
「……私は過去も現在(いま)もすべて、嘘で塗り潰してしまっているわ。
シェリルのマネージャーであるグレイス・オコナーと言う仮面もそう――
私もあなたも、そういう意味では何も変わらないのかも知れないわね」
「そうか……」
それはアキトにとって、最後の願いだったのかも知れない。
アキトは、グレイスのことを交え、楽しそうに話すシェリルの顔を思い出す。
グレイスに打算があったとしても、嘘があったとしても、シェリルに手を差し伸べ、一緒に過ごしたあの時間は嘘ではなかった。
だから、シェリルも最後に感謝の言葉をグレイスに残したのだろうとアキトは思う。
だが、グレイスから返ってきた答えは、アキトの願いを裏切る結果と言えた。
「次に会ったときは――オレは迷わず、この引き鉄を引く」
「私も、計画の邪魔になるなら、全力であなた達を排除するわ」
それは二人が自分を戒めるために、お互いに決めた誓約――
背中を向け合い別々の道を歩き始めた二人を、暗闇に灯るフロンティアの街灯りが寂しげに照らし続けていた。
「――映画?」
「そうなのっ、監督さんがね、私のディスクを見て気に入ってくれたんだって!!」
「へ〜っ、よかったじゃないか」
夜遅く、バイトから帰ったランカからの電話を受けていたアルトは、その電話でランカが最近話題の映画に出演することが決まったことを知らされた。
ランカも早くアルトにこの喜びを知ってもらいたかったので、その電話でアルトから「よかったじゃないか」と言われた瞬間は本当に嬉しくなり、自分でも分かるほどテンションが高くなっていた。
「でも、あたし今までお芝居とかしたことないし、本当に上手く出来るかどうか、心配で心配で……」
「あ〜、無理だろうな」
お芝居など学園生活でも一度も体験したことがないランカにとって、映画で演じるというのは相当に重圧の大きな物だった。
アルトからもしかしたらと、優しい励ましの言葉を期待していたランカにしてみれば、アルトの現実を直視した容赦ない一言は非常に堪える。
「やっぱり意地悪だよ、アルトくん。こう言うときは嘘でも出来るって言おうよっ」
その答えに納得が行かなかったランカはアルトに訂正を願い出る。
だが、次にアルトの口から出た言葉は、そんなランカの落ち込んだ心を大きく揺さぶるものだった。
「思わざれば華なり、思えば華ならざりき」
「え?」
「頭で演じようとすれば、必ずどこかに嘘が残る。
考えず、ひたすらに感じて、その役になりきれってことさ」
「凄いやっ、アルトくん! お芝居のことも分かるんだ!!」
素直にアルトの言葉に感銘を受けたランカは、アルトのことを感心していた。
だが、アルトの気の利かない一言が、そんなランカの感動に冷や水をさす。
「でも、台詞もなんもない配役なんだろ?」
「そ、それはそうだけど……」
それは事実であっても、ランカにとっては信じているアルトに言われたのでは言葉の重みも随分と違う。
「おいっ! アルト、てめえ!! いつまで電話してやがる!?」
「ヒッヒッヒッ! 僻まない、僻まない。
アルトく〜ん、彼女との電話ならごゆっくり〜」
「だ、だれがっ、彼女だ!?」
「――か、かのじょ!?」
ランカは電話を手に持って、受話器越しに聞こえてきた声に反応して思わず赤くなる。
「私がアルトくんの彼女……」
「おい、ランカ? 大丈夫か!?」
「あ、うん! な、なんでもないよっ!! 大丈夫っ!!!」
「そ、そうか……」
ランカの様子が少しおかしいことに気付いたアルトは心配するが、すぐにランカが何事もない様子を見せると言葉ながらに安堵の声を上げる。
「悪い。軍の仕事の一貫で、これから合同訓練があるんだ」
「う、うん。がんばってね」
電話が切れたことを確認すると、ランカは大きく溜息を吐き、携帯を片手に座っていた椅子の背もたれに身体を預けて天井を見る。
電話の先から聞こえてきた女性の声に覚えはないが、アルトが最近忙しそうにしているのは知っていた。
そして、それがSMS絡みであろうことはランカにも分かる。
だが、何分、機密の多い仕事だ。それが分かっているだけにアルトに詳しい内容を聞くわけに行かず、ここ最近一方通行な会話が多いことをランカは危惧していた。
せめて外で会えれば良いのだが、ランカにバイトや芸能活動があるように、アルトにもSMSでの仕事がある。
先日、アルトに誘ってもらった撫子商会の来艦イベントも、お互いに忙しかったこともあり、予定が合わずお流れになってしまっていた。
「会いたいな……アルトくんに……」
擦れ違いの日々が続くことで、一層、ランカの心の中では不安が強く表へと現れ始めていた。
「くっ、なんで、親父の言葉なんて……」
電話が切れた後、その受話器の向こうではアルトは忌々しそうにそんな言葉を漏らしていた。
「で、LAIの技術者の意見は?」
「反応速度から見て、無人機では有り得ないとのことでした。ただ――」
「――ただ?」
執務室でレオンは側近からの報告を受けていた。
そのレオンの見るモニタの映像には、先日の赤いVFと、ブラックサレナ、それに夜天光の姿が映し出されている。
「EXギアシステムを使っても、あの出力と運動性には生身の人間では耐えられないだろうとも……」
それは以前にブラックサレナを解析していたミハエルとルカが出した答えと同じ物だった。
現実問題として考えられるのは、パイロットが普通の人間ではないこと、もう一つは自分達が知らないだけで未知の技術があの機体には使われていると言う点だ。
それらを考慮しながら、レオンは机上のモニタを見て微笑を浮かべる。
「……おもしろいね」
そう言うレオンの瞳には、個人回線に割り込んできた差出人不明の謎のメールが目に留まっていた。
「お前達、相手を甘く見るなよっ!!
撫子商会のエステバリス隊と言えば、民間軍事プロバイダーの間でも噂に名高い精鋭揃いと聞く。
それに、実際にお前達は目の辺りにしているはずだ。奴らのとんでもない実力を――」
オズマの声が通信越しに、機体に登場している部隊全員に届く。
今、フロンティア近くの演習宙域ではSMSの主力部隊であるスカル小隊と、ピクシー小隊が部隊を展開していた。
その遥か前方には、撫子商会の旗艦から発進したエステバリス隊が陣取っている。
ただ、少し違うのは、SMSが精鋭七人で望んでいるのに対して、あちらはエステバリス三体で待ち構えていたと言うことだ。
「ハンデとでも言いたい気かよ……」
アルトは緊張の余り流れる汗を耐え、じっと目の前のエステバリスを見据える。
口では不平不満を漏らしてはいても、彼等の実力はこの中ではアルトが一番よく分かっていた。
何度も目にしたその小柄な機体――
ギャラクシーの戦艦を助けに出たとき見たエステバリスの実力は、VF−25こそ最高の主力機と信じきっていた彼等の自信を根本から打ち破る物だった。
パイロットの技量、機体性能、そのどれをとっても自分達の方が優れていると自信を持って言える要素が見当たらない。
そんな相手と、これから模擬戦とは言え戦うのかと思うと、アルト達は緊張の色を隠せない。
「この模擬戦、向こうさんから提案してきたらしいな。――ルカ、お前はどう見る?」
「可能性としては軍や政府への牽制、いえ、警告でしょうか?」
「警告? 力を誇示しておいて、軍への抑止力とすると言うことか?
確かに最近の政府の動きはきな臭いが……」
ミハエルはこの時期に撫子商会から提示されてきたと言う模擬戦に違和感を感じていた。
商会と軍の関係は決して良好なものとは言えない。
政府は大量の支援や、物資を提供してくれる商会を、市民感情の問題もあり受け入れざる得なかったと言う現状がある。
だが、大統領のハワードはどちらかと言うと商会の逗留に関しては肯定的で、むしろ積極的に彼等の支援を受け入れるつもりでいた。
先行くものがなくては戦争は出来ない。その際たるフロンティアの財政面を影から支えているリチャード・ビルラーやLAIでも、いくら資金があったとしても物がなければ補給することもままならない。
その両方を持っているのは、彼ら撫子商会以外にいなかった。
フロンティアは新天地を求めて航行している最中――
どこかの星系に立ち寄って補給しようにも、近隣宙域には目ぼしい惑星や船団は存在しない。
比較的近くを飛んでいたギャラクシー船団もその消息は不明。
バジュラの度重なる襲撃で物資が急激に減少してきているフロンティアにとって、商会とのラインは生命線であるとも言えた。
だからこそ、ミハエルはこの模擬戦の意味を図りかねていた。
少なからずフロンティアは彼等に恩がある。
どれほど彼等が不審であろうと、船団の多くの人々は撫子商会のことを歓迎していると言ってよい。
それなのに、ここで煙たがられるような演習を行う必要があるのかとミハエルは不審を募らせる。
軍内部では確かに彼等のことをよく思っていない噂が聞こえるようだが、それでもここで力を誇示すれば抑止になるどころか、最悪の場合、彼等の力を恐れた新統合軍の中から更なる反発の声が上がるかも知れない。
「まさか、それが狙いなのか――」
「ミシェル先輩?」
「いや、なんでもない。とにかく勝ちに行くぞ」
「――はいっ!」
彼等の狙いがどこにあるかは分からないが、ミハエル達も負けてやるつもりはなかった。
相手がどれほど強かろうが、SMSの隊員である以上、安易な敗北は認められない。
ミハエルは操縦桿を握る手に力をこめた。
「おほ〜、あの隊長さんやるね〜」
ナデシコMからモニタで、その模擬戦の様子を見ていたサブロウタは思わず喚声を上げる。
慣れない相手のために追い込まれてはいるが、オズマはあの部隊の中では一番よい動きをしていた。
VFとエステバリスという機体の違いはあるが、単純な腕前だけなら、リョーコや自分にも比肩するほどだとサブロウタは愚考する。
「サブロウタさんは出なくてよかったんですか?」
「オレが出たら一瞬で終わっちゃいますよ?」
「……じゃあ、そうリョーコさんに伝言をお願いしておきます」
「ちょ、ちょっとまった――っ!!」
そんなことをリョーコの耳に入れられればサブロウタは破滅だ。
微笑みながら真っ赤な炎をまとって近づいてくるリョーコが、サブロウタの脳裏をかすめる。
「艦長も人が悪い……そんなことしませんよね?」
「私はいつでも真面目ですよ」
「頼みます! 絶対に黙ってて下さいっ!!」
ルリに土下座して嘆願するサブロウタ。そこには恥も外聞もなかった。
「ちっ、また、かわしやがった! あのオズマって奴、戦いなれてやがる!!」
技術もそうだが、オズマの経験から来る危機回避能力は他の隊員よりも数段優れていた。
それがリョーコの攻撃をギリギリで見極め、かわしきる。
ヒカルとイズミも、二人で残りの五人の相手をしているために、リョーコの援護に回ることが出来ないでいた。
「やはり、勝てそうにないな……だが、こいつをこっちに引きつけておけば――」
彼女達の以前の戦い方を見ていたオズマは、真っ先にエステバリス隊の連携の錬度の高さを恐れた。
リョーコ達の実力は、その技術の高さもあるが、お互いの長所短所を補いあう連携にこそ本領がある。
だから、まずは彼女達を分断することにオズマは念頭を置いた。
個々の実力がいくら高くても、分断してしまえば数で勝るオズマの部隊が有利になるのは間違いない。
だが、それでもオズマは勝率は半分、いや三割に満たないだろうと思っていた。
事実、引きつけたは良いが、オズマは逃げることが精一杯で、まったく反撃の糸口を掴めないでいた。
それは他の隊員も同じで、数では勝っているはずなのに、逆に追い込まれ始めていることに驚くしかない。
「アルト、動きを止めろ!!」
「無茶言うな! こいつっ、動きが早くて――ぐあああっ!!」
「アルト――っ!!」
ヒカルは高速機動で追いかけてくるアルトの意表をつき、トリッキーな動きで機体を反転させ、スラスターを一気に最大出力で逆噴射することによりアルトの機体の直上に射線を並べた。
一瞬の隙をついて、ヒカルのライフルがアルトの機体を捉える。
それにアルトが気付いたとき、すでに彼の機体の識別信号は光を失っていた。
「アルトが落とされた!? ――続けてミハエルも!!!」
一瞬で二体のビーコンが消えたことに戦慄を覚えるオズマ。
だが、意識を余計なところに向けたことが致命的になった。リョーコの機体が左右に揺れる。
一瞬ブレたかと思うとオズマの視角から姿を消すエステバリス。
「もらった――っ!!」
「――――!?」
オズマの機体の下に潜り込むようにして、ライフルを構えるリョーコ。
それが彼が最後に目にした赤いエステバリスの姿だった。
「結局、一体も落とせずか……」
アルトはSMSの格納庫で大きく溜息を吐く。
その後――オズマが落とされてからの決着は早かった。
ヒカルはすぐに残されたルカを撃墜し、オズマを撃破してからイズミに合流したリョーコは、イズミとエレメントを組み、ピクシー小隊に対して相乗攻撃を開始した。
一気に突貫力を増した二人の動きに、さすがのピクシー小隊もついていけず、クランは他の二人が落とされた後も健闘するが、待ち構えていたヒカルの狙撃を受けて撃墜された。
「機体のこともあるが、あのパイロット達はどいつも歴戦のエースパイロットだ……。
少なくともオズマと対等か、それ以上の実力がある。勝てなかったのはある意味、必然と言えるな」
「随分と冷静な分析じゃないか? クラン、お前は悔しくないのか?」
「悔しいさ……だが、それを今更言っても始まらない。次は負けないように努力する。
腕を更に磨くことだけが、戦場で生き残る唯一の道だ。
それにミシェル、お前だってアルトがやられた途端、あっさりと落とされたそうじゃないか?
いくら狙撃がメインといっても、機動戦で競り合えないようでは生き残れないぞ」
「う――っ!」
確かにアルトがやられたことで動揺したとは言え、一分も持たなかったのは事実だった。
狙撃には自信があるが、最近のアルトの操縦センスには自分でも敵わない物があるとミハエルも認めている。
例えるならば、アルトの機動は生粋のインファイター型なのだ。
オズマやクランはまだ、接近戦寄りではあるがどちらかと言えば接近戦〜中距離戦闘まで幅広くこなすバランス型だ。
そういう意味では、アルトの戦い方はピクシー小隊のララミアに近いと言えた。
彼女もどちらかと言えば、敵の懐に飛び込んでいって攻撃を仕掛けていく突撃思考な戦い方を好む。
無数に弾が飛び交う中を無謀にも突撃し、恐怖を押し込めながら死とギリギリの線でせめぎ合うような戦いをすることは自分には出来ないだろうとミハエルは確信していた。
そういう意味では、アルトはいつもギリギリの線で飛び続けているのだ。
そんなアルトだからこそ成長も早い。ここ最近のアルトの成長は、オズマほどとは言わないがクランに迫るものがあった。
逆を言えば、アルトだから、あの相手にあそこまで持ちこたえることが出来たのだとミハエルは思う。
だが、結局それを口にしても、それは言い訳にしかならないことをミハエルは知っていた。
これが実戦ならば二度はない。
接近戦が苦手だとか言ってられる立場ではないことを自分が一番よく理解していた。
「だからと言って……オレにあんな動きが出来るのか?」
アルトを落とした時のエステバリスの常識はずれな動きが頭を過ぎる。
あんな機体を180度回転させたり、スラスターの全力逆噴射など使って急停止なんて無茶をするパイロットを彼は他に知らない。
エステバリスの性能だから出来るのかも知れないが、身体にかかる負担を考えたら普通そんな無茶は出来ないし、そもそもあんなトリッキーな動きが自分に思いつくとは思えなかった。
「前途多難だな……」
あそこまでとは言わないまでも、なんとか戦える程度には力量を引き上げないといけないと思うと、ミハエルはただ溜息を吐くしかなかった。
「で、どうだったんだ?」
「うん、アルトくんだっけ? 彼、なかなか伸びると思うよ。
あれで戦闘機に乗って数ヶ月なんて誰も思わないよ」
「まあ、アキトが推薦するくらいだしな。腕には問題ないんだろうけど……」
「あのオズマって隊長さんは?」
「向こうはまったく問題なし。まあ、機体の差もあるけど、同じ条件で対決したら今度は勝てるかどうか……」
「リョーコちんにしては随分と弱気発言っ!?」
「いや、マジ強えよ。あのオズマって奴――」
「「……バトルマニアが燃えてる」」
オズマとの戦いを思い出して興奮してるリョーコを見て、後ろに退くヒカルとイズミ。
このリョーコに関わるのだけは、付き合いの長い二人でもさすがに嫌だった。
「でもま、んじゃ、予定通りってことか。
これで軍がこっちの思惑通りに動いてくれれば全部、ルリっちとプロスさんの計画通りってことか。
怖いね……私はあの二人だけは敵に回したくないよ」
「同感だな……」
ヒカルとリョーコの目には、あの二人がバジュラよりも恐ろしい悪魔のように映っていた。
「青い海、白い砂浜、そして輝く太陽――!!」
「空も、そして海も山も全部、船の中に作られた人工物ですけど?」
「夢がないわね……あなた……」
ランカ一行は映画の撮影のため、環境区にあるレジャー施設に来ていた。
ここでは地球と同じ夏の環境が人工的に作られており、海やそこに浮かぶ島に至るまで、自然により近い形で再現されている。
ランカのメイク担当として同行してきていたボビーは、夢のないことを言うエルモに冷たい視線を向ける。
「いや……ところでランカちゃん、大丈夫ですか?
ずっと元気がないようですが――」
ここに来る前から、いつもよりずっと無口なランカをエルモとボビーは心配していた。
それ故に、沈んだランカの気持ちを盛り上げようと、無駄に自分達のテンションを高くしていた。
「大丈夫です。社長も、ボビーさんも、ありがとうございます」
無理に笑顔を作って元気そうに笑おうとするランカが、二人には痛々しく見える。
だが、彼女の問題である以上、二人はそれ以上、ランカに何も言うことが出来なかった。
「ようこそ、マヤン島へ!!」
「え――?」
ランカが声のする方に振り向くと、そこにはミハエルとルカが立っていた。
「どうして、みんなが?」
「SMSも協力してるのよ。ほら、バルキリーがたくさん出るでしょ?」
「それじゃ――」
ランカは目を輝かせ、自然とアルトの姿を捜していた。
撮影にSMSが協力しているのなら、アルトもここに来ているのかも知れないと思ったからなのだが――
「あいつなら、きてないよ。なんか、色々とやばいらしくてね」
ミハエルの答えで、ランカのその期待が泡沫に消えた。
誰の目からも見ても、暗く、落ち込んでいる様子が見て取れる。
さすがに、何気なく言った一言でそれほど落ち込まれては、冗談を言うことも冷やかすことも出来ず、ミハエルも冷や汗を流しながら困り果ててしまう。
さらに、その一部始終を見ていたボビーとエルモから、怒気をはらんだ無言のプレッシャーをミハエルは受ける。
さすがにそれには困り果てたのか、ミハエルは話題を逸らそうと、島に上陸してきたヘリコプターに目を向けた。
「おっ、主演女優さまのお着きだ!!」
ミハエルのその一言で、ランカは砂浜に着地してきたヘリコプターに目をやる。
そこにはテレビで見ていた話題の女優――ミランダ・メリンの姿があった。
「シェリルの歌はそっちがねじ込んできたんだ! 風の歌だけは絶対に譲りませんよ!!」
設営のテントの下では、映画のスポンサーと監督側の間で口論が起こっていた。
ことの発端は『鳥の人』で使われるイメージソングを巡ってのことなのだが、スポンサー側がねじ込んできたシェリルの歌を巡って、その曲が映画に合う合わないなどで、いざこざが起きていた。
風の歌はこの映画を主張する上で重要な位置づけになるものなので、製作側も退くわけにいかず――
そしてスポンサーとしてもシェリルの歌を使うことは経済効果から見ても、映画の宣伝にも効果的だからと決して退こうとしなかった。
そんな大人の事情を知らないランカは、ただ呆然とその争いを見詰めていた。
「あら、あなた、ミス・マクロスの……」
声のする方にランカが振り向くと、そこにはミランダが立っていた。
「ふ〜ん、でるの? 役は?」
「マヤンの娘、エイです」
「まあ、素敵っ、私の映画を台無しにしないよう、精々、頑張って頂戴ね」
ミランダの嫌味に「はあ……」と曖昧に答えるランカ。
ランカにしてみれば、今はミランダの嫌味よりも、アルトのことの方が気がかりだった。
「聞き捨てならないわね」
「あ――」
先程、言い争いをしていたテントに近づく女性の影――
それを見つけたミランダとランカの視線は、そちらの方へと釘付けになる。
「妥協で私の歌が使われるの?」
「ミス・シェリルっ、妥協だなんてとんでもない!!」
そこにいたのは、シェリルだった。だが、ランカの視線はそのすぐ後ろに控えていた男性の方に向く。
「え? アルトくん?」
何故、シェリルと一緒にいるのか分からないランカだったが、偶然とは言え、アルトに会えたことで嬉しさで胸が一杯になる。
「冗談よ。この映画のために書き下ろした曲じゃないんだから嵌らないのは当然よね。
監督さん、なんなら、その曲――私が書きますけど?」
シェリルの一言で少し熟考する監督。
助監督が監督からの意見を聞くと、シェリルの申し出に「少し考えさせて欲しい」と告げた。
「必要ならいつでも言ってください。良い作品を作りましょう」
「シェ、シェリルさ――」
「アルトく―――んっ!!」
「ラ、ランカ!?」
嬉しさの余り、ランカは体当たりする勢いでアルトの胸に飛び込んでいく。
シェリルに声をかけようとランカの前にでていたミランダは、ランカの愛の突撃に巻き込まれ、砂浜に突っ伏す形で顔を埋める。
「アルトくん、アルトくん、アルトくんっ!!」
「いや、ちょっとまてランカ……そんな抱きしめられたら」
ランカに押し倒され、砂浜に尻餅をついた状態で抱きつかれたアルトは困り果ててしまう。
だが、涙で両目を濡らしながら必死に自分に抱きついてくるランカを見て、アルトはそれ以上何も言わず静かにされるがまま胸を貸したままでいた。
「……えっと、あなた大丈夫?」
憧れのシェリルに気に掛けてもらえたミランダだったが、その出会いは彼女にとって最悪の幕開けだった。
「えっと、ごめんね。アルトくん」
「まったくだ。――てか、どうしたんだよ。一体?」
「うん、なんか、最近アルトくんと全然会えてなかったじゃない。
それに、せっかく誘ってくれたライブもいけなくて……
そう思ったら、突然、寂しくなって……」
「何度も、電話で話してるだろう?」
「うん……そうだよね。変だよね……」
ようやく落ち着きを取り戻したかと思うと、また肩を落とすランカにアルトは苦笑を漏らす。
そうしてランカの頭にポンっと手を置くと、ボビーが綺麗にセットしたその髪をかきむしった。
「え? ええ!?」
「たくっ、そんな風になるまで溜め込むヤツがいるか?
いくら忙しいと言ったって宿舎には帰っているし、それにまったく時間が取れないわけじゃない。
その、お前がどうしてもって言うなら、こっちから会いに行ってやったっていいんだから……」
「ほんと? 本当に会いにきてくれるの!? わたし、迷惑じゃない!?」
「う……」
身を乗り出して迫るランカに少し引き気味なアルト。
だが、せっかく元気を取り戻したランカに、今更、嘘だとは言えず――
「ああ、時間があればな」
「あ……」
先程までとは打って変わって、ランカの表情が満面の笑顔に変わる。
「アルトくん、ありがとうっ!!」
また、さっきのように抱きつかれるアルトだったが、先程よりも悪い気はしなかった。
ランカが笑顔でいるなら別に良いかと、どこかで思っていたからなのかも知れない。
「で? 二人だけの世界はもういいかしら?」
「「え――!?」」
シェリルの一言で現実に戻される二人。
そして自分が何をしていたかを思い出したのか、ランカは顔を真っ赤にしてアルトから離れる。
「あうあうあうあうあうあう……」
「まあ、落ち着きなさい。それよりも、ここにいるってことは、ちゃんと上ってきてるのね」
「え……」
ランカは顔を赤くしながらも、シェリルの一言でどうにか落ち着きを取り戻す。
「は、はいっ!!」
「アルトも何か言ってあげなさいよ」
「オレは別に……」
「そう言えば、アルトくん……どうして、シェリルさんと?」
今までアルトに会えた嬉しさで忘れていたランカだったが、冷静になってみると、どうしてシェリルとアルトが一緒にいるのか不思議になってくる。
アルトのことは信じたいランカだが、シェリルは美人だ。
いらぬ詮索をするなと言うのも無理があった。
「こいつは……仕事だよ」
「……仕事?」
訝しむランカに、アルトは渋い顔で答える。
「この間、商会との模擬戦をやることになったんだが……
その模擬戦を行う条件として、シェリルの護衛を軍から頼まれたんだ」
「アルトくんが!? どうして?」
「そうね、それが彼等のせめてもの矜持だったんじゃないかしら?
人質のつもりなのかしらね?」
「え? それってどう言う……」
僅かに曇りを見せたシェリルの笑顔をランカは見逃さなかった。
だが、そこに踏み込んでよいものかランカは悩み、踏みとどまる。
シェリルの事情は分からないが、彼女の瞳は死んでいなかった。いつもと同じように、自信に満ち溢れた目をしているのがランカにもわかる。
「その……大丈夫……なんですよね?」
「ええ、新人は新人らしく、あなたはあなたの心配だけをしてなさい」
「……はい」
確かにそこにいるのはランカもよく知る、いつもと同じシェリルだった。
「さ、早乙女アルトさんではっ!?」
その時――三人の話を遮るように大きな声が後ろから聞こえてくる。
それは、先程の映画の監督と助監督だった。
ガシ――っとアルトの両手を握り締めると、光悦な瞳を輝かせアルトに迫る。
「あ、ああ……」
「あのっ、映画に出て下さいませんか!?」
「なっ――」
「見ましたよ! あなたの舞台――桜姫東文章の桜姫っ!!」
「ぬあ――っ!!」
桜姫という名を聞いた途端、顔を引き攣るアルト。
それは今のアルトにとって一番触れられたくない過去でもあった。
「さくらひめ?」
なんのことか分からないランカは、ただ呆然とそんなアルトを見守る事しか出来なかった。
「うわ〜、美人っ!」
「本当にこれ、アルトくんなの?」
「三年前の公演です。桜姫東文章――」
「歌舞伎の演目の中でも屈指の濡れ場がある作品で、彼の演じた桜姫は今だ多くのファンを持つそうよ」
その頃、SMSのマクロスクォーターではオペレーターの三人娘とキャサリンが、桜姫に扮した昔のアルトの映像を見て、話に華を咲かせていた。
「もったいない。それがどうして戦闘機パイロットに?」
「彼にも色々とあるらしいわよ」
キャサリンは軍の調査内容で、ある程度、アルトの事情を知ってはいたが、あえてミーナの質問をはぐらかした。
「ほら、それよりも仕事に戻りましょう」
「お願いします! あなたが出てくれれば、ランカちゃんの出番を増やしてくれるらしいんです!!」
エルモは地面に頭をこすりつけて必死にアルトに嘆願する。
アルトをどうしても映画に出させたい監督は、アルトと仲が良いランカに目をつけて「アルトが出るならランカの出番を増やしていい」とまで条件を提示してきたからだ。
今までの宣伝活動も上手く言っているとは言い難かっただけに、僅かなチャンスでもエルモは棒に振りたくなかった。
「勘弁してくれ……オレはもう芝居を辞めたんだ。それに女装なんて……」
「逃げんのか?」
「違うっ!!」
ミハエルのいつもの挑発に乗ってしまうアルト。
「ランカちゃんのためだぜ。それにお前もその方が、色々と楽になるんじゃないのか?」
ミハエルはアルトの事情を少なからず知っている数少ない友人の一人だ。
それだけにアルトのことを心配しての進言だったのだが、いつもの調子で軽くふざけた調子で言ったのがまずかった。
「わかったような口を聞くなっ!!」
ミハエルの一言は完全にアルトを怒らせてしまい、そのままアルトは怒ってどこかに行ってしまう。
「あああ……」
「はあ……」
エルモは両膝をつき、説得に失敗したことで項垂れるばかり――
そして、ミハエルもただ溜息を吐くしかなかった。
「驚いた……アルトくんが歌舞伎のお家の跡取りだったなんて」
「そう? 私は知ってたわよ。触れられたくないみたいだから黙ってたけど――
有名よ。嵐蔵(ランゾウ)・早乙女は――」
「ルカくんも知ってたの?」
「一応……先輩、家を継ぐのが嫌で、お父さんと大喧嘩してパイロットになったらしいって」
「そう……なんだ」
シェリルの歌の世界とは違うが、歌舞伎の早乙女と言えば、フロンティアだけでなく、ギャラクシーネットワークでもかなりの人気を誇る役者一家だった。
その演目には熱狂的なファンも多く、ギャラクシーや他の船団との交流があった時期には、それを目的にフロンティアを訪れる旅行客も少なくなかったほどだ。
アルトもそんな役者の跡取りとして生まれたため、小さい頃から役者一筋で厳しく指導されてきた。
そして、三年前の晴れ舞台となった演目――『桜姫東文章』、そこで演じた桜姫で多くの人々を魅了するが、跡取りを巡っての父親との確執が原因で今は絶縁状態となっていた。
シェリルやルカが知ってるアルトを自分が知らなかったことが悔しく、そして少し悲しかったランカは暗い表情を落とす。
だが、その話を聞くことでランカにもようやく分かったことが一つだけあった。
「ランカさん?」
「えっと、ちょっとね……」
「あ……」
そのまま、ルカの制止も聞かず、ランカは森に向かって走っていく。
「私、自分のことばっかりで……何もアルトくんのことを分かってない」
アルトから話してくれることはなかったが、ランカは自分からも聞こうとしなかった。
いつも話をするのは自分のことばかり――今日は何があって、どうしたのか――
それを黙って聞くアルトもそうだが、ランカは何一つ、アルトの話を聞くことが出来ていなかった自分が情けなかった。
「どうした?」
「シーン47で問題が――彼、水中撮影は契約に入ってないからやらないって」
「――何!? で、監督は!?」
「さっき、釣竿持ってウロウロしてましたけど……」
「ああ、もうっ!! マオ役のユウちゃん遅れてるし、この撮影、呪われてるのか!?」
助監督は苛立っていた。
スポンサーがねじ込んできたシェリルのイメージソングの件もそうだが、肝心のサラ役のミランダは高慢な性格のせいでスタッフとあまり関係が上手くいってない上に、工藤シン役の主人公の青年も契約を盾に撮影拒否をしてくる始末――
さらにはマオ役の少女まで時間に大分遅れてきていた。
そのせいで思うように撮影が進まない。ただでさえ、三ヶ月という過密スケジュールの中で撮影を進めているのだ。
時間も足りないところに、これでは、寡黙な監督に代わって、まとめ役を担っている彼の心労は増えるばかりだった。
「おいっ、アンタ!」
「はいはいっ、今度は何!?」
苛立っていたために頭を掻き毟りながら、きつい口調で声のする方を振り向いた助監督だったが、そこにいるのがアルトだと分かると、完全に凍りついてしまった。
まさか、このタイミングでアルト自らが会いに来てくれるとは思ってなかっただけに、油断していたと言うのもある。
だが、それだけに――「一度、お払いしとくか……」と本気で言葉を漏らしていた。
監督は現地のスタッフを連れて、気持ちを落ち着かせるために小さなボートに乗って釣りを楽しんでいた。
そんな時、どこからともなく歌声が聞こえてくる。
綺麗な澄んだ歌声が岩に反響して、静かな島の入り江に響き渡る。
監督は不思議な感覚だった。先程まで撮影が上手くいっていなかったこともあり、少し苛立っていた。
だから、気持ちを落ち着かせるためにこうして釣りに出てきたのだ。
だが、不思議とその歌を聞くと、荒んだ心が洗われていくみたいだった。
そうして、歌声のする方に目を向ける。
「――――」
監督のいる場所からは見上げないといけない高い崖の上に、腰掛けて歌うランカの姿があった。
日の光が彼女を照らし出し、一枚の絵のように幻想的で美しい情景を映し出す。
監督は指を交錯させ、四角い縁を作り出すと、そこにランカの姿を納める。
「おお――」
そこには彼が理想とする少女の姿が映し出されていた。
ランカ達がいた島から海を隔てた場所にあるホテル。
そこに大統領の補佐官であるレオン・三島の姿があった。
ホテルの中にあるレストラン、たくさんの観光客が食事を楽しむ中で、レオンは一人――
大きなガラス張りの窓から島を見渡せる位置に座り、じっと誰かを待っていた。
「ん――?」
黒いサングラスに黒いスーツの男。レジャーを楽しみにきた観光客と思えない出で立ちの男性が、レオンの後ろの席に座る。
「約束通り、監視はつけてませんよ」
「これが問題のバルキリーとバジュラについて、我々が知るデータだ」
そう言って机の下から、スーツの男は持っていた端末のデータをレオンの端末に投げつける。
「引き換えに、こちらは何を?」
「フ――」
データを受け取ったレオンの机の上に投げつけられた小さなケース。
そこには、シェリルのイヤリングと同じ形と色をした宝石――フォールドクォーツが納められていた。
「なるほど……頂いた情報が真実と言う保証がない限り、何も約束はできませんが――」
「この船はエデン原産の生物、ヒュドラを輸入していたな」
「それが何か?」
そのスーツの男が何を言っているのかレオンは分からなかった。
ここで何故、ヒュドラの話がでてくるのかと――
「いずれ分かる。バジュラの本当のおそろしさが――」
愉悦に歪む男の表情。その視線はランカ達がいる島を捉えていた。
……TO BE CONTINUED
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