「これが最新のVF25――撮影後、CGでVF0に加工されちゃうんだけどね」
「うあ〜、格好いい〜〜っ」

 撮影にきていたエキストラ、関係者の子供達にルカはバルキリーの紹介をしていた。
 撮影の合間に出来た休憩時間――と言うのも、監督は釣りに出掛けたとかで行方不明。
 そして主演の男優が水中撮影の契約などしていないとゴネたこともあり、撮影は難航していた。
 このことで胃を痛めていたのは、両者の間を取り持たされている助監督であったことは言うまでもない。

「この撮影、呪われてるのか!?」

 そう言った彼の言葉は心からの叫びだった。



「ルカ、ランカを見なかったか?」
「ランカさんなら岬の方に……」
「わかった」
「で? 結局、女装する気になったの?」

 ランカを捜しに行こうとするアルトの後ろ髪を引くように、シェリルが皮肉めいた言葉を漏らす。

「断った」
「な〜んだ、残念。せっかく伝説の女形が見られると思ったのに」
「その代わり、水中撮影のスタントを引き受けてきた」

 アルトが助監督と話をつけてきたのは、水中撮影を拒んでいる男優の代役だった。
 スタントをする代わりにランカの出演を考慮して欲しいと約束してきたのだが、それをすぐ傍で聞いていたルカが目を見開いて驚く。

「だ、大胆ですね」
「何が?」

 ルカの様子を疑問に思ったシェリルが、ルカに質問を投げ掛けた。

「キスシーンがあるんです。マオと」
「――ええっ!!」

 それを知らなかったのかアルトは素っ頓狂な声を上げる。
 ルカの話を聞いていたシェリルも、お腹を抱えて笑い出していた。

「先輩、まさか知らずに……」
「し、知ってたさ」

 強がって見せるアルトだったが、内心は相当に焦っていた。
 ランカのためをと思い、引き受けた代役だったが、当人にしてみればキスがあるなど予想もしていなかったからだ。

「ふ〜ん……じゃあ、するんだ? キス」
「くっ! なんてことないだろ!! キスくらい!!」

 いやらしく微笑みながら挑発するシェリルに、アルトは顔を赤くしながら立ち去る。

「はあ……彼女も大変ね」

 同じく朴念仁な男を好きになったシェリルから見れば、アルトも相当厄介に思えてならなかった。
 ランカも苦労しそうだと思いながらも、それを出来るだけ口に出さないようにする。
 自分も、ランカとそう立場上は変わらないと言う自覚があったからだ。
 そして、シェリルが「やれやれ」と振り向いた先、助監督のいるテントの下には――
 その問題の原因となっている男の姿があった。




「いやっほー!!」
「リョーコさん、元気ですね」

 岩肌を一気に駆け、海に飛び込むリョーコを少し呆れた様子で見るメグミ。
 だが、当の本人もミナトと一緒にパラソルの下で水着を身にまとい、ビーチチェアーに寝そべってレジャー気分を満喫していた。

「昨日、サブちゃんがキスマークつけて帰ってきたらしくてね。いつものアレよ」
「でも、ミナトさん、いいんですか? たしか、私たちも仕事で来てたんじゃ……」
「もう、メグメグも固いこと言いっこなし! せっかくレジャー施設にきたんだから、しっかりと楽しまなきゃ」
「で、でも……ラピスちゃんや、アキトさんがちゃんと仕事をしてるのに……私たちだけ楽しむなんて……」

 メグミが目で追いかける先には、助監督と何かを話しこむラピスの姿があった。
 その後ろにはアキトがそんなラピスを見守るように立っていた。

「気になるのは? やっぱりアキトくんかな〜?」
「……! ち、ちがいますっ!? アキト……さんとは……もう、そんなんじゃ……」

 顔を真っ赤にして否定するメグミを、優しい笑顔でからかうミナト。
 だが、メグミは一転して悲しそうな表情をすると二人の方を向いて話し出す。

「ただ……あの二人には、もっと笑っていて欲しいんです。
 こんなこと、私が心配することじゃないかも知れないけど、余計なお節介かもしれないけど……
 あれからルリちゃんも皆、ほとんど笑わなくなったし」

 声を震わせて塞ぎこむメグミを見て、ミナトは優しくメグミの頭を撫でる。

「大丈夫よ。ルリルリも、あの二人もそんなに弱くないから――
 今は少し擦れ違ってるみたいだけど、いつか手を取り合って笑える日がきっと来るわ」

 ――そう、家族なんだからきっと。






「そうですか――アキトさん達は無事に島に潜入できましたか。
 それでは引き続き例の者の監視、そしてサンプルの捕獲をよろしくお願いします」

 ナデシコMの執務室でルリはプロスから報告を受けていた。
 淡々と報告を聞き指示を送るルリに、プロスは「はい」とただ一言答え、その通信を終えた。

「動き出した――彼女、彼等の計画――」

 ルリの周囲に半球型のバーチャルコンソールが浮かび上がったと思うと、その金色の瞳にギャラクシーを含める様々な情報が映し出される。
 高速で流しだされる沢山の情報の中で、一つルリの目に留まった文字があった。
 ――F計画――

「フェアリー……妖精」

 調べていくうちに少しずつ分かりだした彼等の動き。
 そしてその理由――そこには必ずと言ってよいほどギャラクシーの影があった。

「二度とあんな悲しいことがおこらないように――」

 ルリはそっと瞳を閉じる。
 その夢に何を想うのか? その眼で何を見るのか? その手で何を求めるのか?

 彼女の孤独な戦いはすでに始まっていた。





歌姫と黒の旋律 第10話「ステップアップ」
193作





「本気ですか!? 監督っ!!」

 いつになく凄い迫力で助監督に迫る監督。無言で頷く監督に、助監督は驚きを隠せなかった。
 その監督が提示してきた内容とは、ヒロインの妹であるマオ役の俳優を別の人間に変えると言う物だった。
 しかも、今まで進めていたシェリルの歌を使わずに、その少女の歌う新しい歌で押すということ――
 そこまで変えるとなると、撮影の根本に関わるもので、すでに関係者に通知している内容とは大きく異なる。
 すでに配役を決めている以上、プロダクションとの契約もあるし、違約金などの問題も発生する事だけに、いつになく唸りながら悩む助監督だった。
 だが、いつもは寡黙な監督が、これだけ強く推薦してきたこともあり、どうにかしたいと言う気持ちも彼にはあった。

「大変ですっ!!」

 その時、他のスタッフから入った事故を知らせるニュース。
 それは諸手を上げて喜べる内容ではなかったが、助監督の心を決める切っ掛けにはなった。
 マオ役の少女が乗った車が事故を起こし、来れなくなったという知らせだった。
 突然、動物が飛び出してきて事故にあったと言うことだが、少なくとも怪我をしただけで死んではいないらしい。
 だからと言って、撮影スケジュールが押している中、怪我人をそのまま使い倒すわけにもいかない。
 代役を立てる理由としては十分と助監督も判断した。

「監督」

 助監督の一言に頷く監督。一人の少女の運命を左右する選択が、動き出そうとしていた。






「――ひぃっ」

 岬で歌っていたランカの目の前に、四足歩行の怪物が降り立つ。
 島に放逐されているヒュドラと呼ばれる原生生物――通常であれば無闇に人を襲うような危険な生き物ではないはずだった。
 だが、ランカの目の前にいるヒュドラは凶暴性も増し、低い声で唸りを上げている。

「やだ……誰か」

 獲物に狙いを定めるようにギラギラとした眼光でランカを威圧するヒュドラ。
 ランカも必死に逃げようとするも、そこは崖になっており、後ろは海――
 恐怖から焦る気持ちばかり先走り、ランカは完全にパニックになっていた。

 そんなランカに飛び掛る巨大な影。ヒュドラの強靭な牙がランカに迫ろうとした、その時――
 森から、ヒュドラに目掛けて何発もの銃弾が飛び出した。

「ランカ、こっちだ!!」

 アルトの声が、パニックになってたランカの耳に届く。

「ランカから離れろ――っ!!」

 銃を撃ちながらヒュドラに接近するアルト。ヒュドラを追い込みながら、ランカの方に転がるように位置を移す。

「ランカ、大丈夫か!?」
「アルトくん――前!!」

 僅かな隙をつき、銃弾の隙間をぬってヒュドラが一気にアルトに向かって距離を詰める。
 ヒュドラの強靭な腕が二人を捉え、迫ろうとした瞬間――
 咄嗟にアルトは弾の尽きた銃を捨て、ランカを両手で庇うように抱えると横に飛びのいた。

「くそっ! このままじゃ……」

 今の攻撃も咄嗟の切り返しも、確かにアルトは的確な判断でヒュドラの攻撃をいなしていた。
 ここ最近、SMSでの訓練以外でも、ナデシコ勢との特訓にも参加していたアルトだったが、だからと言って、こんなバケモノとの対峙方法を学んだわけではない。
 身体能力が向上した、対処方法が上手くなったと言っても、経験の乏しいアルトでは想定外の強敵に太刀打ちするのは難しかった。
 銃もなく、今のアルトに残っているのは護身用にと持たされていた腰のナイフのみ。
 しかもランカを守りながらの状態では、分が悪いとしか言えなかった。

(このままじゃまずい……なんとか、ランカだけでも)

 後ろは海。自分一人なら飛び込めば助かるかも知れないが、ランカを抱えた状態では危険すぎるとアルトは考える。
 だが、そうこうしている間にもヒュドラはジリジリと様子を窺いながら距離を詰めていた。

「……ランカ、オレが注意をひきつけている間に森に向かって走るんだ」
「そんな、アルトくんは!?」
「問答してる時間はない。それにオレ一人だけならどうとでもなる。
 助かりたかったら、言うことを聞いてくれ」
「アルトくん……」

 アルトの必死な訴えに、渋々ながらも首を縦に降るランカ。
 そんな二人の考えを知ってか知らずか、ヒュドラがアルトに向かって迫る。

「今だ! ランカっ!!」
「――!!」

 アルトの大声に押され、一気に森に向かって駆け出すランカ。
 当のアルトはと言うと、ヒュドラともつれる様に組み合い、地面を勢いよく転がっていた。
 なんとか頭半分、崖っぷちギリギリで制止するも、ヒュドラの牙がアルトの頭を噛み切ろうと唸りを上げて迫る。
 必死にヒュドラの口を押さえながら堪えるアルトだったが、さすがに力負けしてまずいのか、じわじわと追い込まれてきていた。

「アルトくん――!!」

 それを見て耐え切れなくなったランカは、来た道を引き返し、アルトの元へと走る。

「来るな――っ!! ランカ!!」

 このままではまずい――そうアルトが思った瞬間だった。
 無情にもヒュドラの注意はランカの方へと向く。
 アルトをその太い足で弾き飛ばすと、そのままランカの元へと走り出した。

「ぐは――っ!!」

 なんとか落ちないように踏ん張るも、地面に叩きつけられて咳き込むアルト。
 頭を揺さぶられ、朦朧とする意識の中、ランカに迫る脅威に必死に声を荒げる。

(アルトくん――!!)

 ヒュドラの牙がランカに届こうかと言うその瞬間。奇跡が起こった。

 ――ブシュッ!!

 噴出す赤い飛沫。ランカの目の前に現れた青年は、その腕を犠牲にしてランカを守るようにヒュドラの前に立っていた。
 食い破られた腕に躊躇することなく、青年はもう片方の腕でヒュドラの顔を殴りつける。
 人間の力とは思えないほどの破壊力で、ヒュドラの巨体を横凪に大きく弾き飛ばす。

「あ……ああ……」

 だらっと潰された腕をたらしながら青年は、飛ばされたヒュドラに向けて殺気を放つ。
 だが、ランカはその青年の腕を見た瞬間、何かを思い出したかのように恐怖に身を震わせていた。
 肉が削げ落ち、その下から顕になる機械の骨子。
 その青年が普通の人間ではないことは明らかだった。だが、ランカの驚きはそんなところではなかった。
 ただ、身を振るわせながら「死んじゃう……お兄ちゃん」と繰り返すように言葉を漏らす。

「グルルルル……」

 だが、そんなランカの様子を気にすることもないように獲物に集中する青年。
 そして彼は、無事な方の腕から仕込み刀を出すと、迫るヒュドラに向けてその凶刃を振り下ろした。



「ん……」
「気付いたか、ランカ?」
「アルトくん……?」

 あの後、意識を失ったランカを背負って、アルトは森の中を歩いていた。
 ブレラ・スターン――あの青年はアルトにそう名乗った。そのまま一言も交わすことなく姿を消したブレラだったが、アルトには彼を引き留めることは出来なかった。
 あれほどアルトが苦労したヒュドラを一瞬で一刀両断した強さも然ることながら、ブレラには一分の隙もなかった。
 腕から覗かせた機械の骨子が、彼が普通の人間ではないことを物語っている。
 だが、アルトが何も言えなかったのは、それ以上にブレラから感じる無機質なイメージ。
 振り返ったときに見せた、あの冷たい眼に恐怖を感じ気圧されたからだった。

「アルトくんが助けてくれたの……?」
「いや、オレは……」

 言葉に詰まるアルト。アルトとランカを救ったのは得体の知れない男だった。
 それは結局のところ、ランカを守ると約束して置きながら、アルトの力が足りなかったことに他ならない。
 だが、あの男のことをどう説明してよいものか分からないアルトは言葉を詰まらせていた。

「ありがとう……」

 アルトが答えを出す前に、ギュッとアルトに背中に抱きつくランカ。
 そこにはまだ、僅かな震えがあった。

「いつも助けてくれるんだね……アルトくん」
「あ……」

 結局、細い腕に力をこめ声を震わせながら静かに泣くランカに、アルトは真実を打ち明ける事が出来なかった。

「ランカちゃ〜ん! ビッグ! ビッグニュースですよっ」
「涙を拭けよ。みんなに見られるぞ」
「うん」

 森を抜けたところで、エルモが満面の笑顔で手を振りながら近付いて来るのが二人にも見えた。
 アルトに言われ、涙を拭いエルモの元に駆け寄るランカ。
 そして、そこで聞かされた内容はランカにとっても、衝撃的な物だった。



「ランカがマオ役に抜擢?」
「よかったじゃないか。それなのになんで、シェリルは機嫌が悪いんだ?」
「主題歌もランカの歌に決まったんだって。
 それでお姉ちゃんは、スペシャルゲストってことで名前は出てるけど――
 プロモーション以外は役回りがなんもないってことに――」
「でも、自分で了承したんだろ? 可愛い妹分の華々しいデビューのチャンスなんだ。素直に喜んでやれ」
「――私はそんなに心が狭くないわよっ!!」

 水着を身にまとったシェリルが、好き勝手言うアキトとラピスの二人に抗議する。
 もっとも、機嫌が悪いのは間違いではなかった。
 だが、歌を下ろされた事で機嫌を悪くしてるのではなく、シェリルが不機嫌になっているのはラピスの着ている水着にあった。

「な、なんでスクール水着なのよっ!!」

 そう、ラピスが着ているのは美星学園の指定水着だった。
 しかしもっとも大きな問題は――

「なんで、こんなに似合ってるのよ……
 これじゃあ、アキトに見せようと張り切ってビキニを着てきた私が馬鹿みたいじゃない……」

 怒っていたのは女としての尊厳の問題だった。
 スクール水着といってみれば、ある意味、最終兵器(アルティメットウェポン)と言える。
 しかも女性のシェリルから見ても、ラピスはお持ち帰りしたくなるほどの小柄な美少女なのだ。
 その彼女がスクール水着を着ている以上、単純な普通のビキニくらいでは霞んで見えてしまうと言うもの。
 事実、砂浜を横切るスタッフなど、男性達の目は先程から一転して、アキトと一緒にいるラピスの方へと向いていた。

「負けたわ……」

 シェリルは地面に手をつき敗北を宣言した。






「見事に真っ二つだな〜。で、こいつをやったヤツは?」
「今、サブちゃんが追ってる」
「んじゃま、オレ達はサンプルを回収して撤収するとしますか」
「え? サブちゃん帰ってくるの待たないの……」

 ヒカルの心配はもっともなのだが……

「必要ない!! あの馬鹿なら泳いで自分で帰ってくるだろっ!?」

 リョーコの怒りはまだ収まっていなかった。



「へっくしょん……まったく、また誰か可愛い子ちゃんがオレの噂をしてるのかね?」

 ブレラのいる岩場から距離にして七百メートルほど離れた森の中に、サブロウタは身を潜めていた。
 ブレラがサイボーグだと分かった時点で、サブロウタは彼の認識外からの監察に切り替えた。
 それほどサイボーグの能力と言うのは人間離れしていると言える。サブロウタの判断はたしかな物だったのだが、それでもこの距離からの尾行では相手の会話までは聞き取ることまでは難しかった。

「誰かと話してやがるみたいだが、会話までは無理か……
 だが、通信機を持ってる様子でも口を動かしてるわけでもない……
 野郎、ただのサイボーグではなくインプラントか……だが、これではっきりしたな」

 今、この船団にいるインプラントの人間と言えば限定される。

「愛の狩人より、愛しのハニーへ。対象を黒と認定し、指示を要求する」
『女ったらしの大馬鹿へ。決定的な足取りを掴むまで帰ってくんなっ――ブチッ』
「…………きびしいね。こりゃ……」

 リョーコの機嫌がまだ相当に悪いと悟ったサブロウタは、泣く泣くブレラの監視を続けるのだった。






 砂浜で膝を抱えてランカは黄昏ていた。
 と言うのも――

「お前がマオ役ってことは……オレとお前がキス……」
「え? キス?? …………えええ――っ!!!」

 ――と言うアルトとの珍事があったから――と言うだけではなかった。
 ランカにしてみれば、アルトとのキスは確かに大きな問題だ。だが、プロモーション活動がずっと上手くいっていなかったと言う現実もある。
 今回の話は、そんなランカにとっても大きなチャンスだった。
 だが、突然振ってきた大役。それが、「今の自分に務まるのか?」と言う重責もあった。
 そんなランカに、ボビーは優しく声をかける。

「どうして、すぐに受けなかったの?」

 いくら責任が重い大役とは言っても、ランカにしてみればチャンスだ。
 だからこそ、ボビーは彼女に頑張って欲しいと思っていた。
 だが、そんなボビーの問いに答えるランカの言葉は――

「怖いんです。あたしに出来るのかな? ――って
 キスのことも、お芝居のことも……」

 それはランカなりに必死に考えて出した答えだった。
 この『鳥の人』の話は、姉妹で同じ青年に恋をするラブストーリー。姉が好きになった人を妹も好きになって、そしてキスまでするマオの気持ちが、ランカにはまだ理解できない。
 それを察してか、ボビーは隣に座ると、そっとランカの頭に手を置く。

「まだ、本気で恋をしたことがないのね」

 恋する乙女のような口調で、優しくランカに接するボビー。
 彼、いや、彼女も辛い恋の経験を、そして今も報われない恋をしていた。
 だからこそ、この未熟な少女の心に触れて、それを愛しく感じていた。



「まだ、決心ついてないみたいね」
「望んでた機会が目の前にある。それを掴めるかどうかはランカ次第――」
「ラピスもあの子のこと、気に入ってたんじゃないの? それなのに随分とシビアね」
「誰でもめぐって来るチャンスじゃない。ランカはそういう意味でも恵まれてる。
 友人にも、環境にも、機会にも――それに、お姉ちゃんも慌ててない」

 ラピスは携帯端末で何か作業をしていた。シェリルは浜辺で黄昏ているランカの様子を見ながら、そんな疑問をラピスに投げ掛ける。
 だが、ラピスはと言うと、シェリルの質問に淡々と答えるだけだった。

「このシェリル・ノームが認めた相手が、こんなところで足踏みなんてしているはずがないでしょ?」

 確かに大変な役割だ。まだ雛にしか過ぎない少女にはその役目は大きすぎるかも知れない。
 だが、機会というものは待ってくれるものではない。チャンスは突然目の前にやってくる。
 幸せなことも、不幸なことも、人はそれを知ることも待ち構えることも出来ない。
 だからこそ、シェリルには分かっていた。
 自分がそうであったように、ランカにもその選択の瞬間が来ていることを――

「あの子は、きっと選ぶは――」

 浜風が波を掻き分け、浜辺を襲う。吹く風に髪を揺らしながら、シェリルは優しい笑みを浮かべる。

「あの子は、風に祝福されている」

 ランカの歌から感じた心を打つ、あの体の隅々まで洗われるような旋律。
 彼女の歌が、メロディーが、声が、たくさんの人を魅了し、シェリルにも感動と畏怖を与えた。
 だからこそ、シェリルは確信していた。望んでいた。
 彼女が同じステージに上がってくるその時を――



「ランカ――」
「……アルトくん?」

 思い悩むランカの前に姿を現すアルト。
 だが、彼もランカに上手い言葉をかけてやれるほど、恋愛経験が豊富な訳でも、人生経験がある訳でもなかった。

「隣……いいか?」
「う、うん」

 どれだけ、その沈黙が続いただろう。ボビーも気を利かせて二人から距離を取っていた。
 紡がれない言葉、ただ、波の音と風のせせらぎだけが静かに場を支配する。

「ごめんね。変なことに巻き込んじゃって……」

 最初に口を開いたのはランカだった。だが、その口から出た言葉は謝罪。
 キスのことも、岬でアルトに助けてもらったことも、今までのこともすべて、自分はアルトに迷惑ばかりかけて、助けて貰ってばかりだと言う負い目が彼女にはあった。

「気にするな。前に約束しただろう」
「うん……でも、やっぱり、ありがとう」

 アルトは優しい。ぶっきら棒に見えても、ランカにはいつも自分のことを気に掛けてくれているのがよく分かっていた。
 こうして、ここに来てくれたのもアルトの優しさからなのだろうとランカは思う。
 彼が傍にいるだけで、言葉がなくても安心するランカが確かにそこに居た。
 これが恋なのかは、彼女にはまだハッキリと分からない。だが、確かにアルトを大切に想う気持ちと――
 アルトの、そしてこんな自分を応援しくれる人たちの為に頑張りたいという気持ちは、ランカの中に確かにあった。

「アルトくん、私ね。頑張ってみる。
 アルトくんとの約束もあるし、それにみんなも応援してくれるから」

 だからこそ、口にした言葉――
 だが、ランカの迷いが混じった答えに、アルトは不服そうな顔をする。

「約束か……ランカ、それは本当にお前のやりたいことに繋がるのか?」
「……え?」

 喜んでくれると思って口にした言葉を、アルトは肯定しなかった。

「オレはお前の言葉で、自分の夢にちゃんと向きあうことが出来た。だから、ランカ――
 オレはお前の夢を応援したいと思った」
「アルトくん?」
「だから、この映画がお前のチャンスになるのなら、オレは応援したいと思う。
 なのに――お前はオレ達の為≠ノこの話を受けるのか?」
「あ……」

 それは、ランカという少女の直向さにある種の憧れを、劣等感を抱いたアルトだからこその想いだったのかも知れない。
 だが、それはランカも一緒だった。アルトの実直さに、悩みながらも、傷つきながらも、その誰かを大切にしようとする強さに――
 自分にはない行動力の高さに、強い憧れを抱いていた。
 それはランカにとって、シェリルへの憧れと同じだった。シェリルの強さや華やかさに抱いた憧れを思い出す。

 だが、自分は――
 シェリルと出会った頃、アルトに助けられた頃、あの時から自分はどれほど変わったのだろう?
 ランカはそんなことを考えながら、今のアルトの言葉の意味を考えていた。

 いつだって、傍にいてくれたアルト。後を押してくれたシェリル。応援してくれた友達。事務所の社長。

 だが、歌手になろうと――オズマと喧嘩してまで決めたのは自分だ。
 切っ掛けはどうあれ、それはランカがはじめて自分で選んだ選択でもあった。

「……私、やる! そして、みんなに歌を届けるのっ!! 私の歌を――」

 今はたくさんの人に助けられている。これからもきっとそうなのだろうとランカは思う。
 だが、目の前で照れくさそうに笑うアルトのためにも、そして自分で決めた夢を現実にするためにも――
 ランカはやり抜こうと言う気持ちを新たにしていた。






 翌日から、一転して撮影は順調に進んでいた。
 今までの不調が嘘の様に撮影も順調に進み、シーン47――アルトとランカのキスシーンの舞台まで撮影は進んでいた。

 海の中、洞穴の中で不気味に輝く鳥の人のオブジェの前で、二人はその唇を重ねていた。
 あれほどマオの気持ちが分からないと言っていたランカも一転して、素晴らしい演技を見せていた。

 ――シン、お姉ちゃんのことが好きなの?

 触れ合う吐息と吐息。撮影とは言え、真に迫ったランカの演技に、アルトもいつになく真剣に取り組む。
 ランカはマオを演じる内に、マオの気持ちに気付き始めていた。
 前にシェリルとのことを誤解して感じたアルトへの嫉妬。それはアルトのことを好きだと言う以上に、シェリルと自分を比べて劣等感を感じていたからだと気付いたからだ。

 シェリルは綺麗で、歌も上手く、皆から尊敬と憧れ、羨望の眼で見られる銀河の妖精。
 そして自分は――歌手を夢見るだけの見習いに過ぎない。

 その劣等感が、アルトとシェリルが仲良くするだけで感じる不快感としてランカの心に影を落としていた。
 だが、この物語の登場人物であるマオも、自慢の姉であり、憧れの巫女でもあるサラに対して、同じような気持ちだったのではないかとランカは思う。
 そして、もしアルトの気持ちがシェリルになびいたとしても、マオと同じように、決して自分も諦めきれないだろうとランカは気付いてしまった。
 それが、人を好きになると言うこと――
 大切な人を想うと言うことは、苦しくて、そしてとても切ない。

 ――私を見て、シン。

 だけど、大切な人の目に映る自分の姿。
 その瞬間は誰よりもその人に近づけて、そして――幸せな気持ちで満たされていくのを感じる。

 ――私はあなたのことが……

 その口づけは、彼女の願いだった。
 ボビーが言った本当の恋。
 ――ランカは気付いたのかも知れない。
 唇をそっと離すと、ランカはアルトの顔を見て、今までに見たことがないほど綺麗な――
 幸せに満ちた微笑を返していた。






「ランカ・リー。実に面白い少女だ」

 ニヤけた笑みを浮かべながら、薄暗い部屋でモニタに映し出されたランカの出演している映画を見ている男たちがいた。

「いや〜、可愛いですな〜」
「うむ。シェリル嬢もいいが、某はランカちゃんの方が……」

 それに相槌を打つように我先にと声を荒げる男たち。
 よく見てみると、中には『鳥の人』に感動し、号泣している男たちもいた。

「ふむ。実に興味深い……」

 だが、最初に声を上げた白衣に身を包んだ優男は、ランカを見て光悦な笑みを浮かべる。

「ヤマサキ、彼女がぬしの言っていた少女なのか?」

 笠の下から鋭い眼光を光らせ、先程まで口を開こうとしなかった北辰がはじめて声をだした。
 北辰の言に、周囲も一瞬にして静まりかえる。

「ええ、電子の妖精、それにF計画の少女、そしてリトルプリンセス――
 すべての鍵はここ、フロンティアに集まりつつある」
「では、計画は予定通り?」
「ええ、ビルラー氏に連絡して頂けますか? それと、ガリアの件、手配を御願いしますよ。
 あなたの願いを叶える為にも、そして私の研究のため、我々の未来のためにも――」
「――心得た」

 返答と共に闇に姿を消す北辰。

「相変わらず仕事の早い方ですね。もう少しゆっくりとなされてもいいのに――
 さて、みなさん、私たちも準備をはじめますよっ」

 手をパンパンと叩いて全員の腰を上げるヤマサキ。

「さあ、みなさん、張り切ってお仕事を致しましょう」

 その笑顔はいつになく嬉しそうに、愉悦に浸っていた。






「因縁か……」

 試写会のチケットを肴に、オズマはいつものバーで酒を飲んでいた。
 オズマの表情には、寂しさと共にどこか曇りが見えた。

「お前がドクターマオの役をやることになるなんてな……」



 クランクインから三ヶ月――。
 試写会の会場では、白い光に包まれて飛び去るVF−0と、それを見送るランカの映像が流されていた。
 マオ役に扮したランカの歌、『アイモ』に乗せられ、エンドロールが流れる。
 会場は余韻に浸る人々の静かな静寂に包まれていた。

 その後、湧き上がる拍手喝采。

「それでは、出演者の方々に挨拶を頂きましょう」

 明るくなったステージの上で、司会者が淡々と舞台を進行していく。
 まずは主演のミランダ・メリンが紹介され、そして――

「フレッシュな歌声で我々を魅了してくれた――ミス・ランカ・リー!!」

 司会者の一言で、スポットライトが前列の席に座っていたランカに当てられる。
 呆然としながらも、友人のナナセ、そして周りの人々の拍手喝采を受け、ランカは立ち上があった。

「…………」

 自分のために贈られてくるたくさんの拍手。夢のようなその状況に、ランカは心がついていかない。
 だが、そんなランカを現実に引き戻すかのように、壇上からシェリルの声が会場に響く。

「答えてあげなさい。みんな、あなたを呼んでいるのよ」
「あ……」

 そして、ステージ下まで降りてきた監督がランカの手を取りエスコートするように言葉を述べる。

「昨日までのキミは何者でもなかった。だが――伝説はここからはじまる」

 たくさんの応援を受け、ステージに上がるランカの姿。
 その一歩一歩を、その眼に焼き付けるようにアルトは観客席から彼女を見守っていた。

「おめでとう、ランカ」

 少女の夢が叶った瞬間。いや、歌手としての第一歩がここからはじまったのだ。
 そんなランカの門出を、みんなが笑顔で祝福していた。






「アキト、本当にいいの?」
「止めたところで、シェリルが素直に言うことを聞いてくれると思うか?」
「無理……だね」

 鳥の人の試写会が行なわれている裏で、アキトはナデシコからもたらされた新たな情報に頭を悩ませていた。
 グレイスとその仲間の動向、そしてLAIに秘密裏に持ち込まれた機体。
 相転移エンジンの裏に見え隠れするクリムゾンと言う組織の影。
 そして、今、現在、アキトの頭をもっとも悩ませている問題は――

「ガリア4か……ラピスはどう思う?」
「罠だと思う。少なくともグレイスは何かを狙っている。
 そして、その誘いにお姉ちゃんなら乗ってくると言う自信があるんだと思う」
「もしくは、シェリルが誘いに乗らなくても保険があるからか……」

 アキトは、ステージの上で華々しく喝采を受けるランカに視線を移す。
 ――シェリルに代わる保険。
 おそらくシェリルが誘いに乗ってこなかった時点で、彼女を使うつもりだろうとアキトは予測を立てていた。

「その依頼が政府からの正式な物である以上、シェリルは確実に受けるだろう。銀河の妖精として――」
「ラピス、LAIから決して目を離すな。それとルリちゃんに連絡を頼む……」
「……アキト、まだ自分からルリに会えないの?」

 ラピスやプロスを通じての接触はあったが、まだアキトはルリに直接対面は出来ていなかった。
 それは過去の負い目があるからかもしれない。そして、北辰が生きていると分かった時から、アキトの心にはまだ、復讐という種火が消えず燻っていたからと言うのもあった。

「オレは変わってしまったんだ。ルリちゃんの知るテンカワアキトはもういない」
「アキト……それが会えない理由? でも、ルリは……」
「…………」
「……わかった。ルリには私から連絡を入れておく」
「……すまない」

 アキトがルリに会おうとしないように、ルリもアキトを避けている節があった。
 お互いに相手のことを想っているはずなのに擦れ違い続ける二人――
 ラピスにとって、もっとも優先するのはアキトの気持ちだ。だが、最近になって、ますます笑わなくなったアキトを心配していた。

(これじゃ……あの時と一緒だ)

 ラピスの考えは正しい。火星の後継者を追い続けていた時のアキト。
 復讐と言う業火に身を焦がし、精神をすり減らし、心を凍らせたアキト。
 そんなアキトを、ラピスは傍で見続けてきた。
 だからこそ、今のアキトの状態をラピスはよくは思っていなかった。
 少なくともこちらの世界に着てから、アキトはラピスから見ても、優しい顔をするようになっていた。
 それはシェリルとの出会いが、アキトを変えたのだろうとラピスは思う。
 自分の心を塗り替えたように、やはりシェリルには人の心を奮わせる何かがあるとラピスは感じていた。
 アキトが柔らかくなったのも、笑顔を見せるようになったのも、彼女が切っ掛けだと分かっていたから、ラピスはそんなシェリルを尊敬し、敬い、いつの間にか「お姉ちゃん」と慕うようになっていた。
 ラピスにとって、それほどアキトの存在はそれほど大きい。

(北辰と出会ってから……アキトは変わった)

 あの北辰との邂逅からアキトが再び笑顔を見せなくなった。いや、正確には昔に戻り始めたとラピスは確信していた。
 だからこそ、アキトはルリに会えないと言うのだろう。そして、ルリもそんなアキトの気持ちに気付いている。
 ――とラピスは考える。

(でも……私は復讐なんかに囚われないで、アキトには笑っていて欲しい)

 それはラピスがはじめて自分の意思で、アキトに反抗した瞬間だった。
 アキトのことを想い、アキトのことを信じているからこそ、ラピスは計画を練る。

(ごめん……アキト。でも、私は、アキトに幸せになって欲しい)

 ルリに連絡を取るラピス。その声はかすかに震えていた。







 ……TO BE CONTINUED

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