【Side:太老】
この世界に来て、フローラやマリアに厄介になり、早一週間が過ぎ去ろうとしていた。
「大丈夫ですか?」
「ああ……随分と気分は楽になったから、ありがとう」
俺の身を心配して付きっ切りで看病してくれるマリアに、どうにか元気な姿を見せようと微笑んで見せる。
あれから一週間。身体の不調を訴えた俺は、フローラの掛かりつけの医者に症状を見てもらい、『ロデシアトレ』と呼ばれる風土病に侵されていることが分かった。
この世界には俺達の知る海≠ニは別に、『エナの海』と呼ばれる大気で形成されたもう一つの海≠ェ存在するらしく、それはハヴォニワだけでなく、この『ジェミナー』と呼ばれる世界全体を覆っているらしい。
俺達のいる地上から海抜五百メートルの高さまで浸透しているそれは、彼等の生活に欠かせないエネルギー源であると同時に、耐性のない人間にとっては毒にもなる危険な物らしい。
「でも、高地出身ならそうと仰って下さればよかったのに……こちらに来る前に予防接種はなさらなかったのですか?」
「えっと……まあ……」
通常、エナの海で生まれた人はこの耐性が生まれつきある程度はあるらしく、俺の症状がロデシアトレだと分かるとマリアは驚いていた。
俺のことを他国出身の傭兵か何かだと思っていたらしく、旅慣れしてるはずの俺が風土病に侵されるなどと思ってもいなかったらしい。
まさか、別の星から来ましたなんて信じて貰えないだろうし、彼女達の話に合わせて高地出身と言う事で通させてもらった。
高地とはそのままの意味で、山岳地帯、エナの海の喫水外のことらしく、そこに住む人々は独自の文化や風習を持っているらしい。
ただ、彼等はエナの海を忌避しているようで、進んで山から下りてくることは余りないのだとか。
高地から下りてくる人もいることにはいるらしいが、それでも簡単な予防接種で回避出来る病気だと言う事で、この風土病を発症する人は殆どいないらしいので、そりゃマリアが驚くのも理解出来る。
「そう言えば、フローラさんは?」
「ああ見えても、一応はこの国の女王ですから公務があります。余り長く留守にする訳にいきませんからね」
マリアの話によると、フローラは一足先に保養地から南にずっと行ったところにある、この国の首都に戻ったらしい。
普段の素行から全く結びつかないが、あれでも一応は一国の主だと言う事だろう。
今頃は長い間留守にして溜まっているであろう公務に掛かり切りだろうと、マリアは何やら嬉しそうに笑っていた。
そんな彼女は、俺のことを心配してここに残ってくれたらしい。
恩人を放って置けないとか、それに意外と抜けているところがあるので、目を離すのが心配だとか。
今回の病気の件で、マリアの中で俺は、『予防接種も忘れるほど抜けている』か『そんな事も知らない世間知らず』とでも思われているのだろう。
マリアの言うように知らないことが多いのは事実なんだが、十歳の少女にあれこれと心配されると言うのも悲しい話だ。
やはり、この世界のことをもっと真面目に勉強しようと心に決めた。
異世界の伝道師 第2話『異世界人』
作者 193
「ユキネさん。おはよう」
「……おはよう。もう、身体はいいの?」
「はい。えっと、薬の材料を取りに行ってくれたのはユキネさんだとか。ありがとうございます」
「太老はマリア様を助けてくれたって聞いてる。だから、気にしなくていい」
あれから一日で大体起きられるようにはなったのだが、無理をするなとマリアに叱りつけられ、ベッドから出して貰えたのは三日経ってからのことだった。
薬の材料に必要なトリアム草と言う薬草は普段余り必要としないものらしく、備蓄がないと言う事でユキネが採取しに行ってくれたらしい。
そのことをマリアから聞かされ、ユキネにもきちんと礼を言うようにと言われていた。
どの道、礼は言うつもりだったのだが、ユキネにしてみれば主人であるマリアの恩人を助けることは、恩返しみたいなものだったらしい。
しかし、マリアの言うとおり、本当に口数の少ない、寡黙で物静かな人だ。
スレンダーな肢体に白い肌、艶やかな銀色の髪の毛も相俟って、まるで童話の中の妖精が飛び出してきたかのようだ。
フローラも綺麗だとは思ったが、ユキネも負けず劣らず美しい。
「……太老?」
「あ、いや、なんでもないよ。ところで、これからどうするの?」
いかんいかん。ユキネを見て、思わず見惚れてしまっていたらしい。
相手の顔を見て考え込んでしまう癖は、どうにかした方がいいな。
こんな美人相手じゃ、仕方ないと言えば仕方ないが。
「マリア様に伺ってみないと分からないけど、もう数日こちらに滞在した後、皇宮の方に戻ることになるかと」
「ああ、なるほど。忘れがちだけど、ここって別荘なんだよね……」
ユキネの返答で思い出させられたが、これだけの大豪邸にも関わらず別荘なんだよな。
まあ、マリアも皇女ってことは普段は城に住んでいるんだろうし、さすがにそこまでは着いて行けないよな。
こんな身元不明の怪しいヤツ、いくらなんでも城では厄介になれないだろう。
となると、どうするべきか? 取りあえず数日だけでもマリアに許可を貰って書斎の蔵書を見せてもらうか。
余りに知らないことが多すぎる以上、旅をしてる途中で、どんなボロが出ないとも限らない。
せめて、この世界の一般常識くらいは知っておくべきだろう。歴史や文化、あとはこの地ならではの風習なんかを調べるのが先か。
「じゃあ、ユキネさんとも数日でお別れか。なんか世話になりっ放しだったな」
「いえ、太老はマリア様の恩人。それにお客様ですし」
「ところで、お別れ≠フ前に出来れば、ちょっと頼みがあるんだけど――」
――バンッ!
凄い勢いで開かれた扉の音に驚き、俺とユキネは一斉に扉の方を振り返った。
扉の前で、マリアがなんだか凄い形相でこちらを睨んでいる。どう見ても、その視線は俺へと向けられていた。
なんか怒らせるようなことしたっけ? まったく見に覚えがないのだが……。
「タロウは私の従者です! 護衛ですっ!」
「えっと……」
早口早足で迫ってくるマリアの迫力に、思わず後ずさるしかない俺。
冷や汗を流しながら横目でユキネに助けを求めるが、彼女もマリアの豹変振りに驚き、思考がついていっていない様子。
と言うか、何かまずいこと言ったか? 全然、マリアの怒っている理由が分からないんですが!?
「タロウさんは……私のことが嫌いなのですか?」
「いや、そう言うわけじゃ」
「……私のことを捨てていくつもりなのですね」
「いや、捨てるって何!?」
「私のことは遊びだったんですか!?」
ちょっ――マリアさん、あたな何を口走ってるか分かってます!?
目元に涙を浮かべ、ズズっと身を乗り出して迫ってくるマリア。すると、部屋の空気が変わった気がした。
悪寒が背筋を襲い、ピリピリとした殺気が肌を刺すのを感じる。
俺は嫌な予感がしつつも、ゆっくりとユキネの方を振り返る。そこには抜き身の剣を構え、黒いオーラを発するユキネの姿があった。
「ちょ、それはヤバイ! マジヤバイ! ユキネさん、タンマ!」
この時、俺は痛感した。ユキネを怒らせてはダメだと。
マリアに庇って貰わなかったら、本気でやばかったかも知れない。
しかし十歳に泣かれ、十歳に助けてもらってばかりの俺って……本当に情けない。
【Side out】
【Side:フローラ】
「正木太老――名前の響きからもしかしてと思っていたけど、どうやら当たりのようね」
身体つきや身のこなしを見ていれば、彼が只者でないことは一目瞭然。
最初は何か狙いがあって娘のマリアに接触してきたのかと警戒もしたが、実際に太老に会い、人柄を知り、その疑念は払拭された。
これでも人を見る目は確かなつもりだ。そうでなければ、女王などと言う立場は務まらない。
しかし、そうなると益々、太老の正体が分からなくなった。
無知と言っても間違いではないほど、彼はこの国のこと、いやこの世界のことを知らなさ過ぎた。
最初は高地出身者であることも考慮に入れたが、それにしても不自然♂゚ぎたのだ。
幾ら高地出身者だとは言っても、エナの存在を知らないなんてことは有り得ない。
あれはこの世界の人にとって、風習や伝統、生活に結びつく重要なものだからだ。
極め付きはエナの耐性が弱い者にだけ発病すると言う風土病、『ロデシアトレ』を彼が発症したことだろう。
私の考えは、その時点で推測からかなりの確率で確証へと変わっていた。
「――異世界人」
そう、それならば彼の正体にも納得が出来る。ならば誰が彼を召喚したのか?
星の配置の問題もある。時期的に見て、彼が今の時期に呼び出されるはずがないのだ。
ましてや彼の言葉をそのまま信用するならば、彼は森の中を長い時間彷徨っていたことになる。
それはどうして? 通常、呼び出された異世界人を手放すとは考えにくい。
彼が自分の意思で逃げてきた? いや、それも考えにくい。
そんな素振りは微塵も見せなかったし、それにしては自分の置かれている今の状況すら、分かっていないかのような様子だった。
「あれこれとここで考えても答えはでなさそうね」
彼が異世界人であるのなら、今後のためにも彼を手元に置いておきたい。
娘の恩人でもあるし、マリアも彼のことは気に入っている様子だ。その点は問題ないだろう。
「彼ならマリアの護衛にも打ってつけだし、既成事実さえ作ってしまえば周囲も何も言えなくなるわよね」
女王としての立場と、娘を思う一人の母親としての想い。
マリアがダメなら仕方ないが、あの様子を見ている限りそんな事はないだろう。
――コンコンと、扉をノックする音がする。
侍従、いや大臣か? ただでさえ連日の公務で疲れているのだから、これ以上仕事を持ってきて欲しくないのだけど。
疲れた様子で、私が「入りなさい」と返事をすると、一人の侍従が手の平サイズの小さな通信機を持って現れた。
この通信機もまた、エナの恩恵を受け、亜法の技術を用い作られた物の一つだ。
これがあればエナの海限定ではあるが、予め設定された通信機同士、どこでも相手の顔を見て会話が出来る。
こうした便利な道具は、私達の生活の中に欠かせないものとして存在する。
エナの存在がこの世界の住人にとって大切且つ重要である理由の一つがこれだ。
高地にはエナを用いない動力や技術があるにはあるが、それもエナを利用した亜法動力に比べれば性能、出力、利便性、あらゆる点で見劣りする。それだけに、エナがもし存在しなければ、今の私達の生活は成り立たなくなるだろう。
「フローラ様、マリア様から通信が入っております」
さすがは私の娘。余計な気遣いだったようだ。
この後、マリアに「太老さんを私の従者として正式に雇いたい」と相談された。
勿論、私の返事は決まっていたが――
【Side out】
【Side:太老】
結局、マリアの泣き落としに負け、彼女の従者として厄介になることになった。
身元の保証や、面倒なことは全部フローラがやってくれるから問題ないとマリアは言うが、果てしなく不安だ。
本音を言えば、フローラのようなタイプに余り借りを作りたくない。
まあ、こうして屋敷で面倒になったり、病気を治療してもらったりと、すでにマリアを助けた分はチャラになっていてもおかしくないくらい世話になりっ放しではあるんだが……。
どちらにせよ、今のままでは怪しい人物この上ないのだから、フローラが身元を保証してくれると言うのなら乗っておこう。
これを俺が借りと考えるか、向こうが貸しと考えるかどうかは、今後の付き合い方次第だろう。
それに給金もちゃんとくれるって言うしな。先立つものがないのだから仕方ない。
正直、今の俺の状態はマリアのヒモだ。助けた恩を盾に十歳の少女に養ってもらうってのは、さすがに俺のなけなしのプライドにも傷がつく。
すでにマリアに食わせてもらって仕事を紹介してもらってる時点で、そのプライドもあってないようなものなんだが……。
幼女……ゴホッ! 可愛い子の涙には弱いんだよ! 悪いか!?
「太老。これからも、よろしく」
「ああ……こちらこそ」
なんとかマリアの説明もあって誤解も解けたようで、ユキネとも和解した。
それなりに今回のことでユキネとも相互理解を深めることが出来た……とは思う。
ユキネの場合、マリアのこととなると見境がなくなるようなので、その点だけは注意して俺も自重しよう。
フローラが現在、今回のことで色々と根回しをしてくれているらしく、その間はもうしばらくここに滞在することになった。
遅くとも十日ほどで済むとのことなので、その間、マリアに許可を取ってもらった書斎での勉強に勤しむとしよう。
しかし、不思議だったのがこの世界の文字だ。最初は文字の勉強からしないといけないかと考えていたのだが、何故か幼少時から母親に無理矢理勉強させられていたアカデミーの知識が役に立った。
余り深くは考えたくないが、ここまで来ると作為的な何かを感じざる得ない。
「エナの海に亜法か」
マリアに聞かされてある程度は知っていたが、このエナがないと亜法と呼ばれる不思議な力はどうやら使えないみたいだ。
この間、乗せてもらった空飛ぶ船もこの亜法を使い、エナのエネルギーを利用することにより空を飛んでいるらしい。
正確にはエナの海に浮かんでいると言う方が正しいか?
実際、乗り物や通信機、更には湯沸かし器などにまでこの亜法が使われていることからも、かなり生活に密着した汎用性の高い技術だと言う事が窺える。
「亜法って随分と便利なものだな。でも、どっかで聞いたことがあるような気がするのは気のせいか?」
なんだか聞き覚えのある名前なんだが、よく思い出せない。
もしかすると文字が読めたのだ。昔読んだアカデミーの資料の中に、そうしたものがあったのかも知れないと俺は思った。
亜法の力や、その実用性の高さに感心して読んでいると、あるページが俺の目に留まった。
「……聖機師?」
人型の大きなロボットのような絵が載っており、その横に聖機師と呼ばれる操縦者のことが書かれていた。
各国が保有する高出力の亜法動力炉で稼動する人型兵器。その数は教会によって定められており、また操縦者となる聖機師は亜法結界炉の発する振動波に対して生まれ持ち耐久持続性の高い者だけが選ばれる。
マリアも、ユキネは聖地に修行に行っていたと言っていた。それがこの聖機師のことだとすると――
「ちょっと待て……聖機師ってまさか」
異世界の聖機師物語――
この世界がどこかの未開惑星などではなく、あの物語の舞台になった異世界なのだと、俺はこの時知ることになる。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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