【Side:太老】

 まさか、この世界が『異世界の聖機師物語』の舞台だとは思いもしなかった。
 と言うか、なんで俺? 剣士が主人公じゃなかったっけ? 予期せぬイレギュラーにも程がある。
 あれほど関わりたくない、平和に、静かに、地味に過ごしたいと願っていたのに、思いっきり本編に足を踏み入れている現実。
 ああ、そうかよ。鷲羽(マッド)、鬼姫、アンタらの仕業なんだろ? きっと、この状況をどこかで観察して楽しんでるに違いない。
 だったら、俺も好き勝手やらせてもらう。本筋とか、正史とか関係ねえ。俺は俺の好きなようにやらせてもらう。

 どの道、『異世界の聖機師物語』に関しては、俺も内容を殆ど知らない。
 多少の設定資料なんかは雑誌やネットとかで目にしたことがあるが、俺があっちにいた頃はまだアニメも完結していなかった。
 だから、俺と言うイレギュラーが関わることで、どう未来が変わるかなんて俺には予想もつかない。

 それに、フローラやユキネのような美人もいることだし、マリアも将来有望だ。
 亜法のお陰で生活水準も高く、テレビやゲームがないくらいで地球と比べても不自由と言うほどでもない。住み心地もいいし、もういっそ、この世界に永住しても良いとさえ思い始めているくらいだ。
 あんな怪物連中の相手をしたり、宇宙でドンパチやるような生活よりは今の方がずっとマシだろう。
 何より、ここには鷲羽(マッド)と鬼姫がいない。それが俺にとっては一番重要だ。
 ちょっと両親のことは気になると言えば気になるが、延命調整で何百、何千年と生きられるのだし、数十年俺がこっちの世界で好き勝手やったところで、あの両親なら気にも留めないだろう。
 勝仁なんて樹雷飛び出して七百年も好き勝手やってたわけだしな。

 方針は決まった。誰が自分からあんな世界に帰ってやるものか。
 今の俺の力なら、そうそう本編に巻き込まれて死ぬようなことはないだろう。
 最悪、剣士にさえ関わらなければいいんだし。
 やり直すんだ。いや、ここから始めるんだ。この世界で、俺のハッピーライフを!





異世界の伝道師 第3話『異世界の風習』
作者 193






「それでは、ユキネちゃんの聖機師就任祝いと、太老ちゃんの歓迎の儀≠執り行いたいと思いまーす!」

 ドンドンパフパフ〜と軽快な音頭を取りながら、マイクを片手にステージに立つフローラ。
 やたらとハイテンションだ。ユキネの聖機師就任祝いと俺の歓迎会らしいのだが、それにしてもこれ≠ヘ一体なんなのだろう?
 畳の大広間にズラーッと並べられた無数の布団。ここって、城の中だよな?
 フローラは当然として、ユキネもマリアも、侍従達でさえ、みんな浴衣姿だ。もちろん俺も。
 地球じゃないよな? 日本じゃないよな? 異世界だよな? 俺は夢でも見ているのだろうか?

「ルールは至極簡単っ! この枕を投げ付け合い、それを上手く掻い潜りつつ、相手の帯を掴んで引っ張ります!」
「あ〜れ〜〜っ!」
「――と、帯を取られた時点で失格となります」

 フローラが侍従の浴衣の帯を勢いよく引き抜き、侍従は回転したままわざとらしく倒れ込む。
 見えそうで見えない浴衣の乱れが、どことなく淫靡だ。
 と言うか、枕投げ、しかも「よいではないか! よいではないか!」って……。
 どうせ、フローラの冗談だろ? とマリアに視線を投げかけるが、事実らしい。しかも、ハヴォニワに伝わる歓迎の儀式だとか。
 悪い夢でも見ている気分だ。何やら、この行事も過去にこの世界に来た異世界人が伝えた風習だとか。
 その異世界人、間違いなく同郷人だな。他にも色々と異世界の風習が残っているらしく、それは彼女達の伝統や文化に深く関わっているらしい。
 本当にやりたい放題だ。しかし、着眼点は素晴らしい。気持ちも分からなくはない。
 現実で叶わないから異世界でその趣味を広めようと言う、後ろ向きで欲望に正直なのは評価出来る。

「甘い、甘過ぎる! このルールは俺にとっての独壇場だ!」

 前世にバカをやった杵柄と言うヤツだ。修学旅行や合宿における定番行事。
 日本のとある温泉街には公式大会も存在し、ある海外の大都市では数万人規模のイベントも行われた歴史があるほど、枕投げは地球でポピュラーなスポーツだ。そう、今や日本だけではなく、世界規模で注目される地球の伝統文化。
 枕投げとは戦争だ。奪い合いだ。殲滅戦だ。
 今や純粋な地球人とは言えないが、それでも心は日本人としての意地が俺にはある。だからこそ、異世界人に負けるわけにはいかない。
 よし、フローラとマリアを取り巻く侍従達はすべて片付けた。
 あとは――マリア、まずはお前だっ!

「うきゅ〜〜」
「マリア様っ!?」
「クククッ……後はユキネさん、あなたとフローラさんで最後です」

 所詮は子供。マリアの身体能力で、この俺に敵うはずもない。普段は幼女に甘い俺だが、勝負となれば別だ。
 乱戦において、手っ取り早く戦力を減らすには、弱いところから削っていくに限る。これは戦いにおけるセオリーだ。
 外道、卑怯と罵られようが勝てばいいのだよ、勝てば。
 勝てば官軍、負ければ賊軍。いつの時代も、勝者がルールを決める。弱者に情け容赦など必要ない。

「タロウッ! 許さない!」

 マリアが倒され、ユキネが敵意を顕にする。問題は、ユキネとフローラだ。
 身体能力の点において、俺は彼女達を凌駕しているが、実戦はそれだけでは勝てない。
 実戦経験や戦闘技術の点に置いて言えば、二人と俺の差は殆どないと思って間違いないだろう。
 だが、差がないからこそ、一対一ならば身体能力の差で、俺が確実に勝つ。

「……フローラ様」
「ええ、太老ちゃん、あなたの実力見させてもらうわ」

 ――やはりか!? 一斉に枕を手に襲い掛かってくるユキネとフローラ。
 さすがにスピードでは俺に分がある。それでもこのレベルの相手が二人掛かりは辛い。

「なっ、足!?」

 ユキネの突きを回避したところに、フローラが枕を足で挟んで攻撃を合わせてくる。
 枕で攻撃さえすれば何でもありと言う訳か。
 それにしたって、まさか足で枕を掴んで攻撃してくるとは、やはりフローラは手強い。
 俺は咄嗟の判断で、フローラの足技に左手で持っていた枕を放ち、それを足場に前に転がるように飛び跳ね回避した。

「……やりますわね。まさか、あれをなんなく回避するなんて」
「いやいや……かなりギリギリでしたよ?」

 前言撤回だ。精々同じくらいだろうと思っていたが、聖機師のユキネよりも、フローラの方が遥かに実力が上だ。
 この人、本当に女王さまか? マリアの話によれば、ユキネはかなりの実力者のはず。正式に聖機師になる前から『アイスドール』なんて二つ名で呼ばれており、他の聖機師からも注目されるほどの腕利きだと聞いた。
 そんなユキネよりも強いだなんて、この女王さま侮れなさ過ぎる。

 まずい。今のところ俺の方が身体能力の高さで勝ってはいるが、技や経験の点において俺は多分フローラに敵わない。
 一対一ならなんとかなる相手かも知れないが、ユキネもいる以上、一筋縄ではいかないだろう。
 なんとか、ユキネの動きだけでも封じることが出来れば……ちょっと卑怯だけどアレ≠試してみるか。

「フローラさんは確かに凄いけど、ユキネさんは思ったよりたいしたことないね。
 そんなんじゃ、護衛としてどうなのかな? マリアちゃんを本当に守れるの?」
「――!?」

 やはりマリアのことを引き合いに出されると、そういう反応をするのか。
 普段の氷のように冷静な判断力が、この時ばかりは激情に駆られ、繊細さを欠けさせていく。
 フローラの制止も聞かず、飛び出してくるユキネ。慌ててフローラもそのユキネの動きに合わせようと追従するが、先程のように連携が上手く噛み合っていない。怒りと焦りから、ほんの一手、ユキネの方が深く踏み込みすぎているためだ。
 だが、それこそ俺の狙い通り――俺は防戦一方に見せかけ、マリアの方へとユキネを誘導する。

「ユキネちゃんっ!」

 フローラは気付いたか。だが、もう遅い。
 目を回して倒れているマリアを担ぎ上げ、ユキネの方に放り投げる。

「――!?」
「もらった!」

 マリアを見捨てれば回避できただろう。だが、ユキネにそんな真似が出来るはずもない。
 手にした枕を放り捨て、自分の方に飛んでくるマリアを受け止めるユキネ。
 その隙をついて、俺は彼女の横に回りこみ、勢いよく浴衣の帯を引き抜いた。

「太老ちゃん、さすがね。ユキネちゃんの弱点をよく見抜いている。
 それに、勝つためなら手段を選ばない卑劣さといい、感心するわ」
「フローラさんに言われたくないですけどね。
 咄嗟の判断でマリアちゃんとユキネさんを見捨てて、俺の背後をとろうとするなんて」
「チャンスは活かさないとね。でも、それも見事に回避されたわ」

 そう、ユキネの帯を引き抜いた瞬間、俺は背筋に言い知れぬ悪寒を感じ、超人的な反射神経で背後をついたフローラの攻撃をギリギリのところで回避することに成功した。
 あの一瞬でユキネとマリアの影に潜み、俺の背後をつくとは、やはりこの人は侮れない。
 普通は一瞬迷いそうなものだが、フローラは容赦なくマリアとユキネを切り捨てた。
 その決断力の速さと、冷徹なまでの勝利への拘り、正直ここまで怖いと思った相手は、鷲羽(マッド)と鬼姫を除けば彼女が始めてだ。

「ククク……」
「フフフ……」

 枕を片手に不気味に笑い合う俺とフローラ。勝負や賞品のことなど、すでに頭から抜け落ちていた。
 この人に勝ちたい。屈服させたい。そんな欲望が俺の中に渦巻くのを感じる。
 これまで巻き込まれ、流されるだけの人生を送ってきた俺が自ら望んだ、初めての自分自身の戦い。
 俺とフローラは、互いに枕を片手に同時に飛び出した。

 勝負は一瞬――


   ◆


 俺の手にフローラの浴衣の帯が握られている。勝ったのだ。
 互いに持てるすべての力を出し尽くした名勝負だった。この戦いは後世までハヴォニワで語り継がれることだろう。
 それほど白熱した、素晴らしい戦いだったと俺は思う。

「――太老ちゃん! んー」
「ちょ、フローラ、いやフローラさん何を!?」

 勝利の余韻に浸っていたところを、何故か半裸のフローラに羽交い絞めにされ、いいようにされるがままキスをされる。
 かなり気持ちいい……じゃなくて! 何がどうなってる!?

「あら、聞いてなかったのかしら? 副賞に『私の熱い抱擁とキスが贈られます』って、確かに言ったわよ。
 ほら、遠慮しないで。太老ちゃんになら、もっと先までだって私は大丈夫よ♪」
「いや、俺が全然大丈夫じゃねー! フローラさん、やばい、これ以上はマジやばい!」
「もう、フローラって呼び捨てにして」

 この女王さま何を考えてやがる。そりゃ、実はかなり嬉し……いや、実際かなりまずいだろう。
 色々と今後のことを考えると、ここで早まった行動をとったら、どうなるかなんて俺でも分かる。
 相手は一国の女王さま、しかもマリアの母親だぞ。マリア……そう言えば……。

「お母様……タロウさん……」
「あら……」
「ひぃっ!」

 修羅が、鬼がいました。
 もうこれ以上ないと言うくらいドス黒いオーラを漂わせたマリアが、両手に枕を持って立っていた。
 ――って、いつの間にかフローラいねえ!
 周囲を見渡せば、いつの間にか自分だけ安全圏に逃げ延びているフローラの姿が。
 こちらに向かって手を合わせて「ごめんなさい♪」って、なんて無責任な。
 あんたが原因でマリアがこうなってるんだから、親なら娘の暴走を止めてくれ!
 え、ちょっ! 侍従もユキネさえも、いつの間にかいなくなってるし――終わった。何もかも終わった。

「えっと……マリアちゃんもギュってする?」
「タロウさんの、バカ――ッ!」

 どうやら地雷だったようです。
 元は枕の癖になんて破壊力。マリアの投げた枕の直撃を受け、ゴロゴロと(ふすま)目掛けて転がっていく俺。
 最初からこの力が出せていれば、マリアが優勝だったのでは? と俺は愚考します。
 動きの止まったところに追い討ちとばかりに、もう一つの枕が飛んでくる。
 その枕の直撃を正面から顔面で受け、俺の意識は暗闇に呑まれていった。


   ◆


 まあ、色々とあったが、枕投げ大会の優勝賞品として賞金の方はフローラから無事に頂くことが出来た。
 結構な額の臨時収入が入ったので、まだ給金を貰っていない一文無しの身としては助かる。
 そんな訳で俺は今、マリアとユキネに案内してもらって、身の回りの物を揃えるために城下町に買い物に来ている。
 先日の負い目もあるため、申し出てくれた二人の案内を断ることが出来なかったからだ。
 ユキネも口では「気にしてない」などと言っているが、先日の枕投げのことを引き摺っているのが丸分かりだし、マリアはマリアであれからフローラを警戒して、俺に近寄らせまいと孤軍奮闘していることからもあのこと≠引き摺っているのは明白だ。

「あら……これ、可愛い。ユキネも、そう思うでしょう?」
「はい、マリア様にとてもお似合いだと思います」

 こんなところは、二人ともやはり年相応の女の子だな。
 小さな宝石が散りばめられた色とりどりの銀細工に目を輝かせ、会話に華を咲かせる二人。
 どうやらマリアは気になる物を見つけたようで、買うか買うまいか悩んでいる様子だ。

「気に入ったなら買えばいいんじゃ?」
「今日は自分の買い物をするつもりはありませんでしたし、タロウさんのお買い物に付き合うだけのつもりで来ましたから、生憎と持ち合わせが少なくて……」
「マリア様、では私が――」
「ダメよ、ユキネ。今日のところは諦める事にするわ。また来ればいいんだし、その時になければ縁がなかったってだけの話ですわ」

 普通の子供ならユキネに甘えたり、駄々をこねたりするところなのかも知れないが、こう言うところがマリアらしい。
 経済観念がしっかりしていると言うか、余りこうしたことで子供らしい我侭を言ったりしない。
 俺に対しては時々遠慮がないが、それでもしっかりと公私の区別を彼女はつけている。
 フローラも派手で羽振りが良さそうに見えるが、普段締める所はしっかりと締めているのだから不思議だ。
 そう言う意味では、やはりフローラはこの国の女王、マリアも皇女なのだと実感出来る。
 為政者としての自覚と責任を、ちゃんと身に付けていると言う事でもあるのだろう。

「お姉さん、それ包んでくれる? あと、そっちのお揃いのも。あ、プレゼントだから袋にリボンつけてね」

 先程、マリアとユキネが見ていたペンダントを指差し、店主にリボンを付けて包んでもらう。
 あれからと言うもの二人には世話に成りっ放しだ。ここらで少しくらい恩を返しておいてもいいだろう。
 ちょっと痛い出費だったが、基本的に従者の仕事は食事付きで、家賃を請求される訳でもない。必要なのは着替えと簡単な生活用品くらいなので、これからの生活に支障をきたすようなことにはならないだろう。
 大通りの人込みを掻き分け、先に行ったマリアとユキネに追いつく。
 姿の見えない俺のことを捜して、周囲をキョロキョロと見渡しているマリアを見つけると、俺は「ごめん」と罰が悪そうに声を掛けた。

「もう、いつの間にかいなくなってるから、また迷子になってるのかと心配しましたのよ?」

 迷子って……さすがにあの時のことはもう忘れて欲しいのだが、マリアは度々初めて会ったときのことを話題に出す。
 どうもマリアのなかの俺の評価には、迷子≠竍うっかり¢ョ性もついているようだ。
 不本意ながら否定出来る材料がないので甘んじるしかないのだが、一度二人でじっくりと話し合う必要性がありそうだ。

「え、これ……私にですか?」
「マリアちゃんには色々と世話になってるしね。はい、ユキネさんも」
「私にも……ですか?」

 忘れないうちにと、先程買った銀細工のペンダントを二人に手渡す。
 マリアのは天使の片翼を形どったデザインの付け根に赤い宝石が嵌められており、ユキネの方は左右対称のデザインで青い宝石が付け根に嵌められていた。
 マリアは袋からそのペンダントを取り出すと早速身に付け、嬉しそうに俺とユキネに見せながらクルクルとその場を回る。
 ユキネの方は最初困惑している様子だったが、マリアに「私とお揃いね」と言われると嬉しそうに微笑んでいた。
 こんな自然な笑顔のユキネを見たのは、この時が初めてだ。
 それだけでも、無理をして買った価値はあったと思う。

 これから、この二人とは長い付き合いになるだろう。

 マリアは山賊から助けたことを恩だと思ってくれているようだが、俺は別にそのことで彼女に貸しを作ったなどと考えてはいない。
 たった一人、この世界に放り出され、途方にくれていた俺に優しい手を差し伸べてくれた少女。
 帰る術のなかった俺に居場所≠与えてくれた彼女に、俺はそれ以上の感謝を抱いている。

 正直、この先にどんな未来が待ち受けているかは俺にも分からない。
 異世界の聖機師物語――剣士が主人公として活躍するその舞台に、もし彼女達の役割があるのだとしたら、俺は俺の居場所≠守るために最後まで彼女達の味方であることを貫くだろう。
 例え、そのことで剣士を敵に回すことになったとしても――
 それが俺の意志であり、俺の覚悟だ。それは自分の意思で、初めてこの物語に関わることを心に決めた瞬間でもあった。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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