【Side:太老】
「おお……」
俺達は今、フローラの別荘に来ている。以前に滞在したことのある、避暑地の別荘だ。
そして俺の目の前に広がる光景。それは雄大――まさに、その一言でしか言い表せないほど、素晴らしい絶景だった。
船の上から見た、森や山を染め上げる雪化粧にも感動したが、これもまた素晴らしい。
広大な湖がすべて氷で覆われて、キラキラとしたきめ細やかな光沢を放っていた。
「よし、大丈夫みたいだな」
念のため、工房から送ってもらった冷却装置で、前もって氷の強化は済ませておいてもらったのだが、問題はなさそうだった。
スケート靴を履いた状態で氷の上に立ち、その強度を確かめるように足を滑らせる。
転生してからは、一度も滑ったことがなかったのだが、意外と身体は覚えているもので、俺も驚いていた。
実は前世では、学生時代に友達と一緒によくスケートに行っていた。
一時期のスケートブームに乗せられて、マイブーツを持っていたほどだ。
自慢ではないが、これでも一回転半と微妙だが、ジャンプだって出来る。
当時、学生達の間で密かに囁かれていた『銀盤の従者』とは俺のことだ。
何で従者≠ゥって?
あれは、クラスメイトの男女三人ずつで、スケート場に行った時のことだ。
女子に良いところを見せようと、格好をつけてジャンプしたところまではよかったのだが、着地に失敗して女子の方に俺はダイブ。
気がつけば、ヒラヒラとしたスカートを手に握り締めていた。
後のことは、語るまでもないだろう。
それが原因となり、俺はクラスの女子に後ろ指を差されることになった。
それ以来、その大衆の面前でスカートを脱がしてしまった女には一切逆らえなくなってしまい、残りの学園生活を彼女の従者≠ニして過ごすことになってしまった。
文化祭では実行委員≠ニして忙しく扱き使われ――
体育祭では準備委員≠ノ任命され、設営やら後片付けやらを仕切らされ――
クラス委員、生徒会入りと続き――
気がつけば、彼女が生徒会長、俺が副会長と言う意味の分からない構図が出来上がっていた。
元々、クラスの厄介ごとを進んで引き受けてくるようなお節介な女≠ナ、あの時も――
「勘違いしないでよね? クラス委員長として、監督についてきたのよ」
とか言っていた。
そして彼女に逆らえない俺を見た周囲の連中が付けた渾名が、『銀盤の従者』だったと言う訳だ。
一つ言っておくが、皆が思ってるような甘いラブロマンスはなかったからな。
あの女は、俺には他の奴と違って、鬼のように態度が悪かった。
あんな事があったんだ、嫌われていて当然だ。
だから、この世界に来て従者の仕事に慣れていたとか、抵抗感がなかったとか、そう言うわけじゃないぞ?
文句は言っているが、あれはあれで今となっては結構楽しかったと思ってるんだ。
確かに人のことを便利な従者くらいしか思っていない最悪な女だったが、見た目には結構可愛い部類に入るし、それにあの女のお陰で学園生活が充実していたと言うのも嘘ではない。それなりに楽しかったと言うのは本当だ。
しかし、それも今となっては随分と昔の話なのだが――
「タロウさん、お、置いていかないで下さい」
「なんじゃ、これは……上手く立てんぞ」
初めてのスケート靴に、悪戦苦闘しているマリアとラシャラを見て、ちょっと萌えたのは内緒だ。
ちょっと昔のことを思うと、懐かしく感じることはあるが、今となっては懐かしい思い出だ。
今の俺には、今の俺の生活がある。正木太老としての人生が――
「マリア、ラシャラ、取り敢えずは歩くところから、初めてみようか」
異世界の伝道師 第20話『銀盤の従者』
作者 193
「タロウさん、見て下さい! ほらっ!」
「ほら、どうじゃ、太老! 我のスケート捌きは」
「あはは……」
まさか、こんなに短時間で、ここまで滑れるようになるとは思いもしなかった。
二人とも、すでにバックまで出来るようになってるし、無駄にハイスペック過ぎだろ。
そこまで出来るようになるのに、前世の俺がどれだけ金と時間を費やしたことか。
それよりも、もっと不思議なのは――
「太老ちゃん、ほらほら!」
目の前で、高速スピンで回っているフローラを見て、俺は愕然とする。
本当に今日が初滑りか? こっそりと練習していたんじゃ? と思えるほどの成長速度だ。
いや、これはそんな生易しい話じゃないな。
ハヴォニワきっての稀代の女王と言われるほど、何でも万能にこなす完璧超人≠セとは話に聞いていたが、ここまで凄いと同じ人間かも疑わしい。
フローラだから何でも有り≠ニ考えるべきか?
マリアがよく――
「お母様ですから……」
と言っている言葉の意味が、これで分かると思う。遊びの達人と言っても良いかも知れない。
頭を使うことでも、体を使うことでも、楽しいことならば何でも人並み以上に、この人はこなしてしまう。
人間誰しも苦手なもの、不得手なものがありそうなものだが、正直、フローラには思い当たらない。
本当に、そんな弱点があるのだろうか?
マリアも探しているが、今までに一つも見つけられたことがないと、悔しそうにぼやいていたしな。
「止まらない――と、止めてっ!!」
こっちはこっちで、キャイアは運動神経が良さそうだし、大丈夫かと思っていたのだが、スケートに関して言えば、とにかく酷すぎた。
滑ることはどうにか滑れるのだが、何故か止まれない。しかも真っ直ぐにしか進めない。
スケート靴に呪いでも掛かっているのではないか? と疑ってしまうほど不器用だった。
「で、何でユキネは滑らないんだ?」
「……寒いのは苦手」
まるで、ダルマのように防寒着に身を包んだユキネは、火の側を片時も放れようとせず、岸で本を手にずっとこちらの様子を窺っていた。
寒いのが苦手なら、無理をせずに別荘の中に入ってればいいと、言うには言ったのだが――
「私はマリア様の護衛。それにフローラ様もいるから」
と、職務に忠実なのか? 融通か利かないだけか?
頑なに譲ろうとせず、その場から離れようとしなかった。
何れにしても、スケートは思いのほか、好評のようで安心した。
ラシャラ達もそうだが、一緒に連れてきた商会で働く職員や、皇宮の使用人達も各々に楽しんでいる様子。
ラシャラのお別れ会にと企画したものだけに、本当に楽しんで貰えるか不安だったので、この結果は俺も嬉しい。
「うんうん」
思わず笑みを溢し、腕を組んで満足気に頷いてしまった。
まあ、俺にしては、中々のアイデアだったしな。
【Side out】
【Side:フローラ】
先程から、太老はずっと周囲の様子を観察しているようで、やはりスケートの皆の評価を知りたいのだろう。
しかし、これは確かに楽しい。マリア達も楽しんでいる様子だし、使用人達の受けもいい。
街で出しても、十分に人気が出るに違いない。
「うんうん」
皆の様子を見て、太老も確信したのだろう。ラシャラも、そんな太老の様子を窺っているようだ。
確かにハヴォニワより裕福なシトレイユでなら、よりこういった娯楽は流行する可能性が高い。
彼女が帰る前に、太老がこれ≠見せたかったと言うのも、私は頷けた。
それだけ、商会全体の利益を、常に考えているのだろう。
「太老ちゃん、やっぱりあなたに賭けて見て、正解だったわ」
正木商会は確実に大きくなる。
その確信が得られたことが、私はとても嬉しかった。
【Side out】
【Side:ラシャラ】
「お別れの前に、贈り物があるんだ」
そう言って連れてこられた、この旅行。
ここに来るまでは、太老のその言葉の真意が分からなかったが、しかし、それはすぐに理解できた。
この『スケート』と言う遊戯を、見せたかったのじゃろう。いや、これは遊戯≠ニ言う寄り、すでに競技≠ノ近いものかも知れぬ。
太老にジャンプ≠ニ言う技を見せてもらった時に確信した。
氷のステージの上で可憐に舞うその姿は、まさに芸術と言っても良い物じゃ。
「確かに、これを我が国に広めれば……」
おそらくは一般大衆、貴族を含め、流行することは間違いないじゃろう。
議会に話を通して、協会を設立し、明確なルールを定め、競技として売り出しても良いやも知れぬ。
芸術とスポーツ。その両方を兼ね備えたこの『スケート』は、きっとシトレイユを代表するスポーツになれるに違いない。
「まさに、最高の贈り物じゃ」
我のことを考え、ここまで準備しておいてくれるとは――
太老の贈り物に報いるためにも、我も気合を入れなおし、頑張らねば成るまい。
【Side out】
【Side:太老】
ずっと外に居て体も冷えたこともあり、風呂で十分に温まった後、密かに持ってきておいたコタツ≠ノ皆で足を突っ込んでいる。
夕食の時間まで、まだ少し時間があるとのことだったので、まったり寛ぎモードだ。
特にユキネは本当に幸せそうな顔をして、コタツに足を突っ込んでいた。
「これだけ寒い日だと、鍋が一番だよな」
そう言った俺の案が採用され、今日の晩飯は皆で鍋≠囲むことになった。
こちらにも鍋の風習はあったらしく、おそらくは前に来た異世界人の誰かが広めたのだろうと俺は思う。
まあ、食材なんかは違うだろうから、完全に同じものは無理だろうし、何が出てくるのやら。
やはり、無難なところで、寄せ鍋≠ニかだろうか?
あれなら、具材に左右されることもないので、こちらの食材でも十分に可能だろう。
んー、しかし似たような食材も色々とあるしな。今度、何が可能か、色々と試して見るのもいいかも知れない。
「しかし、このコタツって良いものですわね」
「まったくじゃな。なんと言うか、心身ともに休まるわい」
マリアとラシャラも完全にリラックスモードに入っているようで、机の上に頭を置いてだらしなくしている。
皆、案の定、コタツの魔力に魅了され、ほだされているようだ。
キャイアとフローラは、まだ風呂に行っているようだから、帰ってきたら教えてやろう。
冬と言えばコタツと言うくらい、日本人の冬の友≠ノは欠かせない必需品がこれだ。
蜜柑はさすがに無くて悔しい思いをしたが、代わりに似たような果物で代用することにした。
これが机の上にあるのとないのとでは、随分と違うからな。乾いた咽を潤してくれる重要なアイテムの一つだ。
「しかし、これは本当にいいのぅ」
「ですわね。ラシャラさんと、初めて意見があった気がします」
(――――!?)
俺は今、とんでもない幻覚を見た気がする。
ぬこ衣装セットを身に付けてないにも関わらず、マリアにネコミミとシッポが見えたような……。
「――はあ!?」
幻覚でもなんでもなかった。確かにマリアはネコミミとシッポを身に着けていた。
ブーツとグローブはさすがに付けてないようだが、なんでこんな事に……。
(もしかして、風呂に入りに行ったときか?)
何で、そんな事になっているのかは分からないが、実に良く似合っている。
今のマリアを見て、萌えない奴はいないだろう。
と言うか、誰一人、今のマリアを見て、突っ込みを入れようとする者はいない。
余りに自然過ぎて、俺も実際、気付かなかったほどだ。
(このまま放っておけば、ずっとこのままで居るつもりか?)
案外、マリアも気に入ってるのかも知れない。
でなければ、こんなに自然に身に付けはしないだろう。
「あの、マリアちゃん……」
しかし、気になって仕方ない。俺の魂が、突っ込めと訴えてくるのが分かる。
俺の声に反応して、「ううん?」とマッタリした様子で反応を見せてくれるマリア。
「何ですか〜? タロウさ〜ん」
――ぐはっ!
もう、言葉が間延びするほど、コタツの魔力にほだされたマリアの反応に、俺は完全に参ってしまっていた。
これで突っ込みをいれる? マリアにネコミミとシッポを外させる?
否! 否! 否! そんな人類にとって大きな損失を生み出すような真似、俺に出来る訳がないじゃないか!
「なんでもないよ。鍋、楽しみだね」
「ですわね〜」
ぬこ衣装セットにコタツ。その破壊力は計り知れない。
今の俺に言えることは、ただ、それだけだった。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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