【Side:太老】
俺は一人、温泉に浸かって、マリアの件をどうするか? 思考に耽っていた。
「何が不味いって、あのマリアちゃんが、あんなに取り乱して泣いてたことだよな」
あそこまで感情的なマリアは、俺も初めて見た。
マリアとの付き合いも、もう一年ほどになるが、いつもはあんな風に感情的になって取り乱すような子じゃない。
その原因となった場面を思い起こすが、やはり理由はさっぱり分からない。
あの一言が切っ掛けになったことは間違いないのだが、原因はどこか別のところにあるような気がしてならなかった。
『ごめん、マリエル。一言も相談しなかったことは謝るよ。
でも、仲良く出来る切っ掛けにでもなればと思って』
この言葉のどこに、マリアの涙の原因があったと言うのか?
俺は、使用人達の信頼を少しでも回復させたかっただけだ。でも、そのことと、マリアが謝って泣く理由が繋がらない。
そうやって、延々と思考が堂々巡りを繰り返す。いつまで経っても答えの出ない問題に、俺はずっと頭を悩ませていた。
――そんな時だった。
「太老様」
「マ、マリエル!?」
ガララと扉を開け放つ音を立て、風呂桶を手にしたマリエルが男湯に入って来た。
服は着ているようだが、スカートの裾を捲くり上げ、袖を捲くっているため、白い肌が顕になり、視線のやり場に困ってしまう。
水着に比べれば、何てことのない露出度なのだが、メイド服の隙間から覗かせる白い肌は、何とも言えない背徳感があった。
「お背中を流しに参りました」
「いや、自分で出来るよ! と言うか、ここ男湯だよ!?」
「大丈夫ですよ。皆、すでに入浴を済ませていますし、この時間なら誰も来ません」
大きく嘆息を漏らし、湯から上がってマリエルに背中を向ける。
何を言っても無駄なら、誰かに見られる前に、さっさと済ませてもらうに限る。
「太老様、気持ちいいですか?」
「うん……」
マリエルにゴシゴシと背中を洗ってもらいながら、俺はずっとマリアのことを考えていた。
風呂を上がったら、マリアの部屋に行かなくてはならない。
しかし、何を話せばいいのか? また、マリアの話を聞いて、俺はどうすればいいのか?
その答えは一向に出ることはなかった。
「何か、悩み事ですか?」
「……マリエルは、マリアちゃんのこと何か知ってるの?」
あの時、マリエルは俺の顔を見て、首を横に振った上で確かに微笑んでいた。
何かを気付いている様子で、敢えてその場を見逃したように俺には見えた。
「……太老様は、マリア様のことをどう思われているのですか?」
「マリアちゃんのこと?」
俺がマリアのことをどう思っているか? 俺は考える。
マリアは、小さく可愛らしく、子供とは思えないほど頭も良くて、大人顔負けに仕事が出来て、ちょっぴり融通が利かない、皆に慕われているハヴォニワのお姫様だ。
しかし、それは誰もが抱いている、マリアの客観的な評価≠ノ過ぎない。
マリエルの言いたいことは、そういう事ではないのだろう。
「マリア様に、太老様の正直な気持ちを伝えてあげてください」
そう、俺はマリアのことを――
【Side out】
異世界の伝道師 第45話『兄と妹』
作者 193
【Side:マリア】
私は、月明かりに照らし出されたベッドの上で、タロウさんが部屋を訪ねて来るのを待っていた。
リンリンリンと、自分達の存在を誇示するかのように、虫達の鈴の音が風に乗って、静かな夜の世界に涼やかな協奏曲を奏でる。
もう、何度寝返りを打ったか分からない。四回か? 五回か? 数えるのもバカらしく思えるほど、心がざわついていた。
落ち着かない。虫の音を聴いて、少しでも気持ちを落ち着かせようとするが、胸の動悸は一向に静まる気配はなかった。
コンコンと、扉を二回ノックする音が聞こえる。
彼が来た――私は両手で胸を押さえ、一呼吸、大きく息を吸い込む。
手の平から感じられる胸の動悸は、先程よりも激しさを増していた。
寝間着の上から肩にストールを羽織り、「ただいま」と返事をして、扉の前に立つ。
彼を出迎えようとドアノブに手をやるが、手が震え、思うようにノブを回せない。緊張は最高潮を迎えていた。
「お待たせしました」
「あれ? 少し遅かったかな?」
扉を開けると、いつもの調子のタロウさんが部屋の前に立っていた。
寝間着姿の私を見て、勘違いしたのだろう。彼は、罰が悪そうな、困った表情を浮かべていた。
理由は別にある。寝るために寝間着に着替えたのではなく、着替えを手伝ってくれる侍従達の手を煩わせたくなかったのと、彼との時間を誰にも邪魔されたくなかったからだ。
頭を掻きながら、申し訳なさそうに謝るタロウさんに、私は「いいえ」と微笑んで、彼を部屋の中に招き入れた。
「ここは、ちょっと肌寒いけど大丈夫?」
「はい。部屋の中よりも、こちらの方が明るいですから」
客室のバルコニーに設けた、白いテーブルの席に彼を案内した。
外は、やはり少し肌寒い。そのことを彼も心配してくれたのだろう。
そんな彼に、私は安心させようと、肩に掛けてあるストールを指差す。
部屋の明かりを灯せば、使用人達にも気付かれてしまう。
しかし、ここなら、部屋の明かりを灯さずとも、月明かりが十分な照明の代わりを果たしてくれる。
「どうぞ、ユキネのほど、美味しくはないかも知れませんけど」
「そんな事はないよ。ありがとう」
準備しておいた御茶菓子を出し、温かい紅茶をタロウさんに差し出す。
彼はミルクや砂糖を入れない。私は砂糖を一匙、ミルクを少し入れて彼の向いの席に腰掛けた。
「こうして二人きりでお話するのも久し振りですわね」
「そうだね。最近は、商会の方も忙しかったし、随分と賑やかにもなったから」
この一年、本当に色々なことがあった。
私が、様々なことを経験した十一年の中でも、最も濃く、充実した一年だった。
色々なことを彼と話す。
出会った日のこと、皇宮での安らかな日々、誕生日会や、ラシャラさん達としたスケート、商会での忙しくも充実した毎日を思い起こし、彼と語り合った。
どれも、今となっては、忘れることなど出来ない大切な思い出だ。
「懐かしいな。もう、一年になるんだもんな」
彼が部屋を訪れてから、一刻ほど時間が過ぎただろうか?
思い出話に花が咲いたこともあって、最初の頃よりも、ずっと気持ちは落ち着いていた。
こんな時間に殿方と同じ部屋で、しかも二人きりで過ごすのは、初めてのことだ。
そして今後も、私の寝所に出入りが許されるのは、彼以外にありえないと断言できる。
ゴクッと唾液を飲み込み、膝上に置かれた手に力が籠もる。タロウさんの顔を一目見て、スッと息を吸い込み、私は覚悟を決めた。
「タロウさん――」
【Side out】
【Side:太老】
「タロウさん――」
俺の名前を呼ぶマリア。その表情は真剣そのものだった。
瞳に強い、決意にも似た意志が籠められているのが分かる。ここからが本題≠ネのだろう。
あれから、マリエルに言われたことを、俺もずっと考えていた。
「まずは、謝らなくてはなりません。マリエル達を、私はずっと避けていました。
いえ、敵視していたと言っても間違いではありません」
やはり、そうだったか。薄々は感じていた。
原因は、あの着替え騒動かと思っていたのだが、それもどうやら違うようだ。
マリアは、そんな事を、いつまでも根に持つような子ではない。
「彼女達に嫉妬してたんです。タロウさんと、いつも一緒にいる彼女達を」
嫉妬――悲しげで、暗い表情を浮かべ、そう告白するマリア。
「私は――」
グッと言葉を溜めて、すべてを吐き出すかのように叫ぶマリア。
「私は、タロウさんのことが好き≠ネんです!」
その告白は、俺の胸を大きく揺り動かした。
「そうか……やっぱり、そうだったんだね」
「……タロウさん?」
俺は自然とマリアの傍によって、その小さな体を抱きしめていた。
その体が、小刻みに震えているのが分かる。
寂しかったのだろう。
出会った当時、まだ俺達は一緒にいる時間がたくさんあった。
今日、こうして語り合った時間のように、穏やかで安らかな時間が流れていた。
そこにユキネがいて、フローラがいて、そして使用人達が、そんな俺達を微笑ましく見守っていてくれた。
しかし、俺が貴族になって、商売を始め、商会を立ち上げてから、そんな時間は段々と少なくなっていった。
ハヴォニワは、どんどん良くなって来ている。
仕事が増え、街は人で溢れ返り、市場は賑わいを見せ、そうして齎された富が、人々の暮らしを豊かにしていく。
それは偏に、皆がこの国を良くしよう、豊かにしようと、同じ目的に向って頑張ってきた結果≠セ。
マリアも、そのことは誰よりもよく分かっている。この国の女王であり、母、フローラの背中を見続けてきた彼女には。
だからこそ、我が侭を言えなかった。
この国のため、民のためと、自分の本当の気持ちを、ずっと押し殺してきたのだろう。
ただ、それが封建貴族達の件を境に、ドッと溢れ出てしまった。
マリエル達に辛く当たってしまったり、避けてしまっていたのは、嘗て自分が居たはずのその場所≠ノ、彼女達が居ることが許せなく、そして寂しかったのだ。
これは、俺の責任だ。そんな事とは知らずに、マリアに寂しい思いをさせてしまった。
俺は、マリエル達、そして使用人達にばかり目を向け、彼女の助けを求める声に気付いてやることが出来なかった。
豪華な服も、豪勢な食事も、煌びやかな宝石も、マリアは欲しい物があって働いていた訳でも、贅沢がしたかった訳でもない。
ただ、自分も仕事をすれば、フローラや俺達と、もっと長く一緒に居られると、そう考えたからに違いない。
あの時に気付いてやるべきだった。こうなる前に、もっと早く。
前兆はあったはずなのに、俺は自分のことに精一杯で、そんなマリアの寂しさを理解してあげることが出来なかったんだ。
「マリア、俺もマリアのことが好き≠セよ」
「タロウさん……」
「寂しい思いをさせて、ごめん」
ただ、『好きだ』と、こうして抱きしめてやるだけで十分だった。
ギュッと腕の中に抱きしめ、頭を優しく撫でてやる。
子供をあやすように、大切に、大切に、その腕に抱いて。
「うわああぁぁ――っ!」
溜まっていたものを、すべて吐き出すように、俺の胸の中でマリアは泣き続けた。
子供とは思えないほど頭が良く、大人顔負けに仕事が出来て、周囲への気配りも忘れない。何でも一流に、そつなくこなすマリア。
ずっと、子供らしくない、大人だと思っていた。でも、本当はそうじゃなかった。
まだ、母親の温もりが、家庭の温かさが恋しい、年相応の普通の女の子≠セったんだ。
俺に、何がしてやれるのかは分からない。でも、マリアは俺にとって、掛け替えのない大切な存在だ。
家族と――今では、そう例えても不思議ではない。そのくらい俺にとって、マリアの存在は大きくなっていた。
本当の家族≠フように、実の妹≠フように、俺は彼女を愛しく想っている。
ここまで思い詰めるほどに、俺のことを慕い、想ってくれたマリアに、俺がしてやれること、与えてやれるもの。
「マリアちゃん、いや、マリア」
「……タロウさん?」
「俺の、家族≠ノならないか?」
【Side out】
【Side:マリエル】
「失礼します。マリア様、朝ですよ」
コンコンと、何度ノックしても返事がないので、私は扉を開け、部屋の中に足を踏み入れた。
太陽の日差しがカーテンの隙間から光を漏らし、ベッドの上の二つの影を照らし出す。太老様と、マリア様の御二方だ。
それは、仲睦まじく、手を繋いだままの状態で、寄り添うように眠られていた。
太老様を起こしに行ってみれば、部屋に不在の様子だったので、もしやと思っていたのだが、案の定、昨夜はマリア様の部屋にお泊りになられたようだ。
「お兄様……」
マリア様の寝言だろうか? しかし、マリア様に兄君がいると言う話は耳にしたことがない。
太老様の手を握り締めたまま、幸せそうな寝顔を浮かべられているマリア様を見ていると、起こして差し上げるのが少し可哀想になった。
きっと、幸せな夢を見られているのだろう。この様子から察するに、昨夜の件は上手くいったようだ。
太老様なら心配はいらないとは思っていたが、気にはなっていただけに、大丈夫そうな様子を見られて、ほっと胸を撫で下ろした。
「今日は、もう少し眠らせて差し上げますね」
太老様とマリア様を起こさないよう、そっと部屋を退室する。
あのような微笑ましい姿をお見受けした後では、御二方の邪魔をする気には、とてもなれなかった。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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