【Side:太老】

「それで? 能力査定には後、どのくらい掛かりそう?」
「三日頂ければ十分かと、何分、人数も多いですし、細かく審査基準を設けて調査していますので」

 マリエルから手渡された途中経過の報告書に目を通しながら、これからの予定の確認を行っていた。
 三日か、結構な時間がある。だとすれば、他のことも並行して進めておくべきかも知れない。
 使用人達の生活環境の改善策は、幾つかまとめてある。

 使用人用に用意されている部屋も、四畳一間の大きさの部屋に、三人、四人と寝起きを共にしているような最悪な環境だった。
 屋敷には普段使われていない部屋が有り余っているのだし、客室を何部屋か残して、他をすべて開放すれば、一人一部屋とまではいかなくても、二人で一部屋回すことが可能だろう。
 あとは食事の改善や、昨日改装した風呂以外の設備、トイレや洗面所と言った共同設備の見直しだが、設備の数を増やすこと自体は難しくない。
 別に貴族用とか分ける必要性もないのだし、普段使ってなく、余っているそれらの設備を、使用人達にも開放すればいいだけのことだ。

「じゃあ、ちょっと時間掛かっても構わないから、こっちも手配しておいて」
「はい――太老様? これは本気ですか?」
「うん、当然。と言うか、公爵もバカだよね。何も分かってないんだから」

 寝ぼけ眼のメイドさんとバッタリ出会わせるといった、何のハプニング性もない生活の何が楽しいのか。
 この屋敷の前の持ち主の公爵は、その辺りのことが何も分かっていない。

 マリエルに、共同設備の見直し案を書いた紙を渡して、手配をお願いする。
 部屋を移すにしても部屋割りなんかあるだろうし、そうなって来ると能力査定を行い、配属部署を決めてからと言う話になる。
 だから、取り敢えず、可能な部分から徐々に改善しようと考えた。
 洗面所やトイレなどの簡単なところからなら、直ぐにでも実施することが可能だろう。

「あの……太老様、一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「ん? 何?」
「能力査定の件なのですが、使用人達の適性を知りたいと言う事で間違いないのですよね?」
「うん、そうだよ。でないと、どんな仕事を割り振っていいかとか、給金の額も決めようがないからね」
「……え?」

 何か、驚いた様子のマリエルを見て、俺は「ん?」と訝しい表情を向ける。
 間違ってないと思うのだが、何か認識の相違でもあったのだろうか?

「いえ、申し訳ありません。それでは、こちらの件は手配して置きますので」
「ああ、よろしく」

 何だかよく分からないが、マリエルは納得した様子だったので、敢えて何も聞かなかった。
 仕事は、きちんとやってくれてるのだから、問題はないだろう。
 俺も、説明不足な点があったのかも知れないし、根掘り葉掘り問い質す必要はない。
 さて、マリエル達だけに仕事をさせている訳にもいかない。俺も自分の仕事を進めるとしよう。

【Side out】





異世界の伝道師 第46話『私のお兄様』
作者 193






【Side:マリエル】

 やはり、私の早合点だったようだ。
 太老様のことだから、そんな事はないとは思っていたが、それでも、太老様の本当のお気持ちを知ることが出来て、やはり嬉しかった。
 解雇とか、振り落としとか、そう言う話ではなく、単純に、使用人達の給与査定≠したいと言う意味だったと言う事だ。
 そうとは知らず、恥ずかしい勘違いをしたものだと反省する。

 だとしたら、昨日の風呂の件といい、今回のこの共同設備の見直し案といい、理由に説明がつく。
 使用人達の生活環境の改善に努められたいと言う事に違いない。

 しかし、相変わらず太老様は、思い切ったことをなさると感心した。
 普通、貴族の方と使用人の共同設備を、一緒にしようなどとは考えない。
 幾つか、来客用に設備を残されてはいるが、屋敷内の殆どの設備を、使用人達にも開放すると言う事だ。
 やはり、あの方にとって、貴族も平民も関係ないのだろう。

「さすがは太老様――え?」

 計画書を詳しく見ていると、後の方に別の資料が挟まっていることに気付いた。
 太老様が間違って、一緒にしてしまったのだろうか? あの方にしては珍しいミスだ。
 間違いなら、太老様にお返ししないとと、その紙に目を通した瞬間だった。
 その内容に驚きを隠せず、私の目は点になる。

「領地運営の予算案? でも、これって……」

 そこに記されている金額が普通ではなかった。
 以前に私達が提出した計画書を元に予算配分を決められたようだが、私達が想定していたものの十倍近い予算がそこには記されていた。
 確かに、太老様の財力なら決して不可能ではない額だが、それにしたって多過ぎると、私はその内容を訝しく思う。

 まず驚いたのは、屋敷に割く予定の人件費の算出欄だ。
 最低でも、私達が想定していた三倍以上の予算がそこには記されていた。
 人を増やす等と言う話は聞かされていない。だとすれば、現行の使用人達でこの額を分配すると言う事。
 人数は百八名。屋敷に奉公に上がっている使用人達と同数が数えられている。
 と言う事は、人身売買や税金のカタに合い、無償奉公されている子達にまで、ちゃんと手当てが支払われるように配慮されていると言う事だ。

「太老様、そこまで使用人達のことを考えて……」

 他にも治水工事や、街道整備、それに街や村の補修工事に掛ける予算も、大幅に増額されている。
 これなら、予定していた工事も、一年と掛からずに終わらせることが出来る。
 貧困層に対する補助金や、食料の配給など、これは私達ではなく、後から太老様が付け足されたものだろう。
 教育の促進と言う名目で、修学金制度の導入まで、そこには記されていた。

『マリエル、作成してもらった領地運営の計画書なんだけど、あれに少し手を加えても構わないかな?』

 船の中で仰られた太老様のお言葉が頭を過ぎる。
 あの言葉も、私の村を直接見てみたいと仰られたのも、すべては、このためだった。
 そう思うと、零れ落ちる涙を抑え切れなかった。

「太老様、ありがとうございます……」

 太老様は本気で、この領地の領民達を救おうとしてくださっている。
 一瞬でも、太老様の言葉を疑った自分を恥じたい。
 そんな方ではないと分かっていたはずなのに――

 太老様に御仕え出来て、本当によかった。そう、あらためて思った。

【Side out】





【Side:太老】

 マリエルに渡した書類に、例の修正を盛り込んだ予算案の書類≠ェ挟まっていたらしく、恥ずかしい思いをした。
 たまに真面目に仕事をしたかと思えば、一つ、二つと何か抜け落ちている。我ながら情けないこと、この上ない。
 あの予算案、適当に書き出して、まとめた仮案に過ぎないので、まだ他人に見せられるようなものではない。
 あんな穴だらけの書類を見られるとは思いもしなかった。

 本当なら、能力査定を終わらせて、マリエルの村を視察してから、ちゃんと予算編成を決めるつもりでいた。
 あくまで、あれは予定としている本予算の見積もりであり、状況によっては修正も必要になる。
 俺の予想が正しければ、この領地の改善をきちんと行うには、あの程度の額では済まないはずだからだ。

「何はともあれ、手元に返ってきてよかった……。
 控えはあるけど、失くしたなんてバレたら、マリアに怒られるところだった」

 マリアは生真面目なので、書類一枚失くしただけで凄い怒られた経験がある。
 まあ、あれは俺が悪いのだが、『何で、仕事をするんですか!』って剣幕だったから驚いたものだ。
 あれはきっと、『何て、適当な仕事をするんだ』と、怒っていたに違いない。

 まあ、あの書類は、俺が商会に泊り込んで飲み食いしていた飲食代を、『経費で落とせないかな?』と、悪巧みして作成したものだったので、罰が当たったんだと俺は思っていた。
 仕事を理由に泊り込んでいるとは言え、あれは、やってはいけない行動だった。今では凄く反省している。
 自分のこととなると、どうも貧乏性が抜けないのが困りものだ。
 十円でも安いと、別のスーパーに足を運ぶ、あの感覚。貴族になっても、染み付いた庶民根性は、なかなか抜けない。

「マリアって、小言が長いんだよな」
「お兄様、私が何ですの?」
「いや、だから――――ぶっ!」

 いつの間にか、マリアが書斎に入って来ていたので驚いた。
 危ないところだった。慌てて、予算案の書いた書類を机の下に隠す。

「ノックならしましたわよ? 返事がないものでしたから、勝手に入らせて頂きました」
「ああ、そう……ごめん、ちょっと仕事に集中しててね」

 本当は失敗をマリエルに見られたことを気にして、身悶えてましたなんて言えない。
 しかも、マリアにそのことがバレなかったことを安心し、ほっと胸を撫で下ろしていたなどと、言えるはずもなかった。

「あの、マリア? 何かな?」
「だから、私も仕事を手伝いますわ」
「いや、だからって、何で俺の膝の上?」
「こ、この方が、私は仕事がやり易いんです!」

 俺の膝の上に、横向きにちょこんと腰掛けるマリア。どう考えても、この状態では仕事がやり難い。
 まあ、昨日の今日だし、寂しかったのかも知れない。俺も嫌ではないし、別に構わないだろう。
 昨日の件を切っ掛けに、俺は『マリア』と、マリアは俺のことを『お兄様』と、互いに呼び合うようになった。
 ちょっと照れるが、そのことで少しでもマリアが寂しい思いをしなくて済むのなら、安いものだと俺は思う。

「お兄様、ここの字が間違ってますわよ」
「あ、本当だ。さすがはマリア、よく見てるな」
「い、いえ……当然ですわ」

 こうして懐かれると、実際、嬉しいものだ。
 帰ったら、フローラ辺りに冷やかされそうではあるが……。

 しかし、まさか自分に仮≠ニは言え、妹≠ェ出来るとは思いもしなかった。
 よく本物の妹なんて、いいものじゃないと言うが、マリアみたいに可愛らしい妹なら文句のつけようがない。
 実際、マリアのような妹を持った俺は、『勝ち組』と言っても間違いではないだろう。
 マリアのためにと取った行動の結果ではあるが、一番得をしたのは間違いなく俺だと思う。

 コンコンと扉を二回ノックする音が聞こえる。
 とは言っても、マリアは膝の上から退いてくれそうもない。
 羞恥プレイもいいところなのだが、無視する訳にも行かないし、入ってくるように返事をした。

「えっと、太老様?」
「ああ、気にしないでくれ……」

 昨日、遭難者を助けたと言う、侍従の一人だ。
 俺の膝の上にいるマリアを不思議に思っている様子だったが、俺が困った顔で返事をすると、納得した様子でスルーしてくれた。

「実は、お願いがありまして……」
「お願い?」

 どうも、昨日の遭難者は帰るところがないらしく、しばらく雇ってあげてくれないかと、侍従に相談された。
 近くの村の娘か、旅人かと思っていたのだが、思っていたよりも事情が深そうだ。
 ここで放り出すことも出来るが、それはさすがに酷と言うものか。

「なら、その人も同じように能力査定≠受けさせてやってくれ」
「よ、よろしいんですか?」
「まあ、別に一人増えるくらい、どうってことないよ」

 すでに百人もいるのだし、今更一人増えるくらい、それほど大きな問題ではない。

「ありがとうございます!」

 そう言って、嬉しそうに頭を下げ、部屋を退室する侍従。
 あの様子だと、その助けた遭難者とも上手くやれているようだ。
 少し気になっていたのだが、あれなら心配はないだろう。

「お兄様、よろしいのですか? そんなに簡単に決めてしまわれて」
「まあ、困ってるみたいだしね。放り出す訳にもいかないでしょ?」
「……お兄様らしいです」

 何だか、微妙な納得のされ方をされてしまった。
 俺らしい? それは、よく物事を考えないで、いつもノリ≠ニネタ≠ノ走って、適当に決めてしまうことを言っているのだろうか?
 いや、あれはあれで、ちゃんとリスクくらいは計算しているんですよ?
 今回の件も、遭難者は女性だと言う話を聞いていたので、『メイドさんが一人増えるといいな』と言うメリットと、彼女をここで放り出すことで『薄情もの!』と評価されるデメリットを比べた上での決断だ。
 これだけ、メリットとデメリットがはっきりしていれば、迷うはずもない。どう考えても前者だろ。

 コンコンと、また扉をノックする音が聞こえる。
 向こう側から「太老様」と聞き慣れた声が聞こえたので、今度はマリエルだろう。

「ところでマリア」
「はい、何ですか?」
「一人で椅子に座る気はない?」
「却下ですわ」

 しばらく、この羞恥プレイは続きそうだった。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



押して頂けると作者の励みになりますm(__)m


<<前話 目次 次話>>

作品を投稿する感想掲示板トップページに戻る

Copyright(c)2004 SILUFENIA All rights reserved.