聖地からも、それほど遠く離れていないシトレイユ皇国北西部にある田園地帯。そこに一際大きな屋敷があった。
庭には小型船を停泊させている私設の離発着場。屋敷の離れには、プールや温泉などの娯楽設備をまとめた施設もある。
一介の貴族の屋敷や別荘にしては、随分と金の掛かった豪華極まりない設備が整っていた。
その屋敷の地下施設。沢山のモニタが立ち並ぶ薄暗い部屋に、三つのモノリスが怪しげな光を放ち、異様な存在感を放っている。
「我等を集め、一体、何を企んでいるのですか?」
モノリスの向こう側、三人の中でも一際、背の高い老人が、怪訝な表情を浮かべながら小太りの老人に、そう問い掛けた。
彼等は、嘗て、この世界に召喚された異世界の男性聖機師。太老が来るよりも前、半世紀以上も昔に、この世界に迷い込んだ老人達だ。
今は精根枯れ果て、種馬としても機能しなくなった彼等は、男性聖機師を引退し、こうして自由気ままな隠居生活を送っていた。
悪友とでも言った方が正しいだろうか?
似たような境遇の彼等は、互いを貶し合い、憎まれ口を叩くことはあっても、異世界人同士、強い絆で結ばれている。
時々、こうして集まっては悪巧みをしたりして、退屈な隠居生活を楽しんでいた。
「最近、大陸を騒がせている正木太老≠ニ言う男を知っておるか?」
そう言って、小太りの男性は手元のキーボードを器用に操作し、ハヴォニワ全土で放映された封建貴族と太老の決闘の一部始終をモニタに映し、二人にも見せて聞かせる。
感心した様子で『ふむ』と声を揃えて唸る二人の老人。
黄金の聖機人、それに太老の凄まじい戦闘力を目にして、老人達は強い興味を覚えていた。
「黄金の聖機人、それなら私の情報網にも引っ掛かってますよ。
聖機師の特権を使うのではなく、己の才覚と実力だけで、ハヴォニワの大貴族、大商会の代表にまで上り詰めた男」
白髪の老人は自分の情報を自慢げに披露して聞かせる。
「先日、新年の席でシトレイユの小娘に会ってきたのじゃが――
案の定、あの小娘がハヴォニワに滞在していた理由は、この男のようじゃった。
本人は隠している様子じゃったが、一目瞭然。儂の目は誤魔化せんよ」
「そう言えば、シトレイユでも正木商会の支部が勢力を拡大しておるようですな。
それも、彼女が後ろ盾となり、商会の発展に尽力しているとか」
小太りの男性、そして、白髪の老人が何やら面白そうに、その話を補足する。
正木太老の噂は、今やハヴォニワだけでなく、大陸中で有名なものとなっている。
二人の話を聞いて、小太りの老人に通信で呼び出された背の高い老人は、合点がいった様子で、『ふむ』と頷いて見せた。
「相変わらず鼻が利くようですな。カンと情報網、ボケてないようで安心しました」
こうした皮肉も彼等にとっては日常茶飯事、このくらいであれば賛辞と言ってもいい。
面白いことを見つけることに関しては、この二人の嗅覚は疑いようがないことを、背の高い老人は熟知していた。
「と、言う事は、この青年はやはり」
「儂等と同じ異世界人≠ナ間違いないじゃろう。それも、歴代の異世界人の中でも、飛び抜けた逸材。
聖機師の常識を塗り替えてしまうほどの、存在じゃて」
ニヤけた意地の悪い笑みを浮かべ、背の高い老人に、そう答える小太りの老人。
三人の老人達の黒い思惑が、舞台の裏側で、静かに動き始めようとしていた。
異世界の伝道師 第57話『マリエルの母』
作者 193
【Side:太老】
マリエルの家の前に俺はいる。こう言ってはマリエルに申し訳ないが、予想通り小さな家だ。
外見からも、内部の広さは大体想像がつく。屋敷にある俺の部屋や、皇宮のマリアの部屋よりも、ずっと狭いだろうと言う事は。
とは言え、あの無駄に広い部屋の方が、俺はどうかしていると思うのだが。
まあ、外見のみずぼらしさは別として、向こうの世界じゃ、都市部のもっと狭い部屋で、四人家族が鮨詰め状態で生活していることなんて、結構よく聞く話だ。
マリエルを除いて、少女二人に母親一人の家族構成だと聞いているし、広さとしては生活に不自由はないのだろう。
ただ、問題は見た目の貧相さだ。この様子だと、大型の台風でも直撃すれば、家ごと吹き飛んでしまいそうだ。
雨漏りも酷いのではないだろうか? と遂、憶測で邪推してしまう。
それほど、木材で補修に補修を重ねた継ぎ接ぎだらけの家だった。
「おかしいですね……誰も出てこないなんて」
マリエルが入り口の扉を何度ノックしても、一向に返事がない。
怪訝な表情を浮かべ、マリエルは俺とマリアに「しばらくここでお待ち頂けますか?」と言うと、扉を開いて中へと入って行った。
(鍵も掛かってないのか……)
田舎などは、鍵が掛かっていないと言う話を耳にしたことがあるが、ここでも同じなのだろうか?
一説に『取られるものが何もないのが最高の防犯だ』何て話があるが、幾らなんでも不用心だと俺は思ってしまう。
特に自分にとってはどうでもいい物でも、他人にはお宝に見える物なんて、この世に腐るほどあるし。
そうした物を専門に集めている泥棒も、世の中にはいると言う話だ。
鍵なしは、やはり不用心だろう。
「遅いですわね」
「そうだね」
マリエルにしては遅い。誰か居ないか確認するだけで、こんなに時間など掛からないだろう。
俺は不審に思い、失礼だと承知しながらも、扉をそっと開ける。
中は物音一つなく、不気味なほど静まり返っていた。とても、子供二人がいる家とは思えない。
寝ているのかとも考えたが、こんな真昼間から、しかもマリエルが帰って来ているのに、それは考え難くい。
俺は人の姿を捜して、キョロキョロと周囲を見渡した。
「マリエル?」
入り口から入って左手にある扉を開けると、そこにマリエルの姿を見つける。
床に両膝をつき、ベッドに寝ている女性の手を握って、必死に何かを訴えているようだ。
「お母さん! 何で、もっと早くに連絡をくれなかったの!?」
「ごめんなさい……あなたに心配を掛けたくなかったの……」
凄い剣幕のマリエルに、悲しげで困惑した表情を浮かべ、そう答える女性。
その姿は、どことなく儚い。色は白く、随分と痩せ細っていた。
傍目にも、何か病気を患っていることが見て取れる。
俺はマリエルの肩にそっと手をやり、今にも掴みかからんとする勢いで、涙を流しながら女性に攻め寄る彼女を制止した。
「太老様……」
「病人に、そんな乱暴なことをしちゃ駄目だよ。マリエルのお母さんですね?」
「は、はい……あなた様は?」
失礼とは思いつつも、女性の容体を診させてもらう。
俺は医者ではないが、彼女が重い病を患っていることは見れば直ぐに分かる。
マリエルが取り乱すはずだ。先程の話から察するに、何も聞かされていなかったのだろう。
「この御方は新しい領主様、タロウ・マサキ辺境伯様です」
「――! これは、大変、粗相を」
マリエルが母親に、そう俺のことを紹介すると、慌てて身なりを正し、ベッドから起き上がろうとするマリエルの母親。
さすがに病人に、そんな事をさせる訳にはいかない。
俺はマリエルの母親を「そのままで」と寝かしつけ、取り敢えず事情を聞くことにした。
「そういう事ですか」
どうやら、以前から病気の兆候はあったらしい。
しかし、今の生活はマリエルの仕送りに殆ど頼りきったもの。
医者に掛かれるほどの金もなく、出来れば下の娘達も、マリエルのように学校に行かせてやりたい。
そのため、随分と無茶をして仕事も続けられていたようだ。こんな体になるまで――
「その、妹さん達は?」
「それが……」
母親が倒れたことで事態を重く見た双子の姉妹は、なけなしの貯金を握り締め、ここから三里も離れたところにある街に、医者を呼びに行ったらしい。
その貯金は二人を学校に行かせてやりたいと、母親が相当な無理をして貯えていたものなのだろう。
ただ、二人の姉妹は学校に行くことよりも、母親が元気で居てくれることの方を強く望んだ。
いつも、病気を患った体を酷使して、遅くまで働いて帰ってくる母親の姿を見て、心を痛めていたに違いない。
(な、何て良い子達なんだ!)
ポツリと俺は涙を零していた。
自然に涙が溢れてくるほど、双子の姉妹の母親を思う優しい気持ちに、心を打たれていたからだ。
ここから街まで随分と距離がある。子供の足では、向こうに着いて帰ってくるまで、相当に時間が掛かるはずだ。
無事に帰って来れればいいが、山賊や野党にでも襲われたらと思うと気が気ではなかった。
そう思ったら、じっとなどしていられない。こんな話を聞いて、何も思わない奴は鬼だ。
「お兄様、何が?」
一向に戻って来ない俺を心配して、我慢が出来ずに中に入ってきたのだろう。
マリアが事情が呑みこめないと言った様子で、困惑した表情を俺に向けてきている。
とは言え、時間が惜しい。事情説明の方はマリエルに任せ、俺は双子の姉妹を追いかけることにする。
「マリア、彼女のことをお願い」
「お兄様、どちらに!?」
「迎に行って来るよ。俺の大切≠ネ子供達を――」
そう言い残し、俺は双子の姉妹を追って、全速力で話に聞いた街の方へと向かう。
(待ってろ! お兄ちゃんが直ぐに行ってやるぞ!)
マリエルの妹達が、俺の幼……少女達が苦しんでいる、悲しい思いをしていると思うと、居ても立っても居られなかった。
【Side out】
【Side:マリエルの母】
マリエルが帰ってくれば、直ぐに発覚することだったと言うのに、私は駄目な母親だ。
娘に心配を掛け、泣かせてしまうなんて……。
この子が、これほど取り乱すなんて珍しい。それだけ、私のことを心配してくれているからだろう。
でも、城に勤められただけでも驚きだったのに、その上、女王様からの信頼も厚い大貴族の方に御仕え出来るようになった、と嬉しそうな手紙を寄越すマリエルのことを考えると、私は自分の病気のことを手紙に記すことが出来なかった。
マリエルが必死になって勉強をし、城に勤めるようになったのも、原因は私にあると言う事を知っていたからだ。
「お母さん! 何で、もっと早くに連絡をくれなかったの!?」
「ごめんなさい……あなたに心配を掛けたくなかったの……」
毎月、決まって、かなりの額の仕送りが、マリエルから手紙と一緒に届けられていた。
そして、それは先月の手紙を境に、更に大きな額へと変わっていく。
新しいご主人様が、よくしてくださっていると、そこには書かれていたが、一介の使用人が、おいそれと手に出来る金額ではない。
また、私達のために無茶をしているのではないかと、マリエルのことが気掛かりでならなかったのだ。
だから、マリエルに余計な心配など掛けたくはなかった。
本当なら、マリエルには家のことなど気にせず、もっと自分のやりたいことを進んでやって欲しい。
しかし、二年前に夫が他界し、この家には男手が居らず、下の娘達もまだ幼い。私とマリエル以外に働き手がいなかった。
そんな現状では、マリエルの仕送りに頼らなくてはやっていけないと言う現実もある。
それに出来れば、下の娘達もマリエルのように学校に行かせてやりたい。
夫が他界して、経済的にそれも難しくなっていたが、マリエルの仕送りのお陰で、ここ半年はどうにか持ち直してきた。
とは言え、それでもまだ蓄えが足りない。そのため、私は病んだ体を押して、仕事を続けた。
しかし、結局、その無茶が祟り、娘達に心配を掛けることになったことが、心苦しく、恥ずかしい。
「太老様……」
「病人に、そんな乱暴なことをしちゃ駄目だよ。マリエルのお母さんですね?」
「は、はい……あなた様は?」
突如、取り乱したマリエルを諌め、私に優しい笑みを向け、そう問い掛けてくる男性。
「この御方は新しい領主様、タロウ・マサキ辺境伯様です」
「――! これは、大変、粗相を」
マリエルと一緒にいる時点で、直ぐに気付くべきだった。
まさか、そんな御方がこんなボロ屋に足をお運びになられるとは、微塵も思っていなかったからだ。
慌てて身なりを正し、起き上がろうとする私の手を、領主様はそっと握られ、「そのままで」と首を振ってお止めになった。
ほんの少し触れた大きな手からは、とても優しい温もりが感じられた。
「そういう事ですか」
領主様に事情を聞かれた私は、掻い摘んで、これまでのことをお話しする。
恥ずかしい話だが、領主様は私の話を聞いても笑うことなく、真剣な面持ちで話に聞き入っておられた。
時折、悲しそうに揺らめくその瞳が、私を惹きつけて放さない。
「その、妹さん達は?」
「それが……」
娘二人が、街まで医者を呼びに言ったことを告げると、領主様は思い悩んだような暗い表情を浮かべられ、ポツリと涙を零された。
私の手に落ちる一滴の涙。その涙の温もりが、私の心を激しく揺り動かす。
マリエルが手紙に書いていた御方。強く、気高く、そして何よりも優しさに満ちた御方。
娘が褒め称えるほどの御方、どんな御方か一度お会いして見たいと言う思いは、私の中にもあった。
この涙は、只の同情ではない。本気で心配し、そして自分のことのように、悲しんでくださっているのだと、私には分かった。
そう、マリエルが言うように、この御方は――
「お兄様、何が?」
もう一人、見知らぬ少女が入って来る。
領主様のことを『お兄様』と呼ぶからには、領主様のご家族の方だろうか?
領主様は私の手から、そっと手を離されると、その少女の方を振り返り、
「マリア、彼女のことをお願い」
「お兄様、どちらに!?」
「迎に行って来るよ。俺の大切≠ネ子供達を――」
そう仰って、こちらを振り返らずに立ち去ってしまわれた。
大切な子供達、それは私の娘達のことを言ってくださっていたのだろう。
あの話を聞いて、あの子達を迎えに行ってくださったに違いない。
「病を患っていらっしゃるのね」
「マリア様……」
「あなたはここで、お母様に付いていて差し上げなさい。
直ぐに船から、お医者様に来てもらいますわ」
そう言う少女に、畏まった様子で頭を下げるマリエル。
話から察するに、相当に身分の高い御方のようだ。
私も挨拶をしようと体を起こそうとするが、先程の領主様と同様、「寝ていなくては駄目です」と少女に諌められてしまった。
「お兄様にお願いされたからには、あなたは私にとっても大切な方です。
ですから、もっとご自身の身を労ってください」
そう言い残し、部屋から出て行く少女。
こんな風に優しい言葉を掛けて頂いたのは、何十年振りのことだろうか?
あの少女が何者かと、マリエルに問い掛けてみると、とんでもない答えが返ってきた。
「フローラ・ナナダン様の御息女、マリア・ナナダン様です」
驚きから、思わず息を呑む。この国の王女様だとは思いもしなかった。
そして、その王女様に『お兄様』と慕われ、あれほどに信頼されている領主様。
凄い御方だとは、マリエルの手紙で知らされていたが、想像以上の御方らしい。
「マリエル、あなたは今――」
『幸せですか?』と、一言そう聞きたかった。
だけど、そんな言葉は不要なのかも知れない。ほんの僅かだが、あの領主様を一目見れば分かる。
マリエルが今、どれだけ恵まれた環境に居るかが――
「はい、太老様の御仕え出来ることが、私の幸せです」
満面の笑顔で、そう答えるマリエルの表情が、とても活き活きとしていて、私も嬉しかった。
要らぬ心配、気苦労だったようだ。娘は立派に自分の道を見つけ、巣立っていた。
全ては、あの領主様のお陰。そう思うと、胸の辺りが熱く打ち震えるのを感じていた。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m