【Side:太老】

「お医者様の話では、ここの設備では治療することは難しいとのことでした……」

 マリアの説明を受けて、マリエルの母親の症状を大まかに知ることが出来た。
 どうやら医者にもお手上げの状況らしく、症状を和らげる薬を飲ませはしたらしいのだが、それも一時凌ぎにしかならないだろうと言う事だった。
 後は設備の整った首都で精密な検査をしてみなければ何とも言えないが、薬に頼った治療ではこれが限界だろうと言う事も、悲壮な面持ちでマリアは教えてくれた。

 こっちの医療技術は、薬剤に頼った漢方療法や、亜法による回復治療が主となる。
 あちらの世界に比べて、外科技術が余り発達していないことが主な原因だ。
 それと言うのも、やはり亜法が有益すぎることが、他の技術を遅らせる原因として深く影響しているからと俺は考えていた。

 ただ、一見便利に見える亜法にも欠点がある。
 亜法による治療は、治療を受ける側も、聖地で女神の洗礼≠ニ呼ばれるものを受ける必要があることだ。
 そしてそれは教会関係者や一部の王侯貴族、聖地での修行を終え、正式な聖機師に成ったものにしか与えられない栄誉でもある。
 だとすれば、マリエルの母親が洗礼を受けさせてもらえる可能性は、極めて低いとしか言えないだろう。

 常々思っていることだが、この世界は平民に優しくない世界だと思う。
 貴族社会故の悪しき問題と言うべきか、同じ治療でも平民が受けられるそれと、貴族が受けられるそれでは大きな差があった。

「一つ俺に考えがある。彼女を俺の屋敷にまで運んでくれないか?」
「え? それは……」

 確かに、こちらの技術では不可能かも知れない。
 でも、俺達の世界の技術なら、マリエルの母親の病気をきっと治せるはずだ。
 色々とこちらと向こうでは勝手も違うが、俺にはアカデミーの知識の数々がある。それに水穂もあちらにはいる。
 二人で知恵を出し合えば、不可能とされることでも、きっと何か方法があるはずだ。

「確約は出来ないけど、一つだけ思い当たる方法がない訳じゃないんだ」
「お兄様! そうは、本当ですか!」
「うん、まあね」

 今日、明日でどうにかなる病気でもないなら、何とか出来る可能性は高い。
 そこは屋敷に帰ってから水穂と相談して考えるしかないだろう。
 本当なら恒星間移動技術のない初期文明の惑星に、こうした技術を伝えることは禁止されてるんだが事態は一刻を争う。
 そもそも、ここが異世界である以上、銀河法も適用はされない。文句があるなら俺をこの世界に送った鷲羽(マッド)宛にお願いするまでだ。

 マリエルや、シンシア、それにグレイスが悲しむようなところを見たくはない。
 ルールを侵すための理由。俺にとっては、それだけで十分な理由だった。

【Side out】





異世界の伝道師 第60話『太老の怒り』
作者 193






【Side:マリア】

 私も色々と考えはしたが、シュリフォンの薬剤師であっても、マリエルの母親の病気を治療することは難しいと考えていた。
 やはり、これまでの無理が祟ったのだろう。病魔は、弱った彼女の体を内側から酷く蝕んでいた。
 医者の見立てでは、もって半年から一年。このまま仕事を続けることなど出来るはずもない。

 私に思い当たる解決策といえば、彼女に亜法による治療を受けさせることだが、それも洗礼を受けていなければ意味がない。
 彼女が聖機師、もしくは貴族であるのならば、それも可能だったかもしれない。
 しかし、教会関係者でもなく、貴族でもない只の平民の彼女が、すんなりと洗礼を受けさせてもらえるとは思えない。
 皇族としての権限を振りかざせばそれも可能かも知れないが、私にも王女としての立場がある。
 酷なようだが何の理由もなく、マリエルの母親だけを特別視するようなことは出来ない。お母様も許してはくれないだろう。

「一つ俺に考えがある。彼女を俺の屋敷にまで運んでくれないか?」
「え? それは……」

 しかし、お兄様には何か考えがあるようだった。
 医者も匙を投げた病気を治せる手段に心当たりがあると言うのだ。これには私も驚きを隠せない。
 亜法も用いず、薬剤による治療も効果がないような患者を治す治療方法。
 そんなものがあれば、ここまで頭を悩ませはしない。
 とは言え、何の確証もなくお兄様がそのようなことを言い出すはずもない。
 考えられることは、お兄様の育った故郷だけに伝わる秘伝の技術のようなものがあるのかも知れないと、私は考えた。

 これまで、誰にも思いつかないような知識を披露し、難解と言われて来た問題を解決してきたお兄様だ。
 だとすれば今回のこともきっと、私達には思いもつかないような方法を考えているに違いない。

「わかりました。お兄様を信じますわ」

 人の命が懸かっている。お兄様は当然、見過ごされるような方ではない。
 こんな時、王女としての立場やしがらみが邪魔をして、何一つ出来ない自分が情けなく悔しかった。

【Side out】





【Side:マリエル】

 お医者様を手配して頂いただけでも十分すぎるご厚意だと恐縮しているのに、治療に専念できるよう屋敷に母を移すようにと、マリア様が仰ってくださった。それらはすべて、太老様のご指示だと言う。
 ここまでして頂けるとは正直思ってなどいなかった。いや、太老様の性格を考えれば、ある意味で必然なのかも知れない。
 心の御優しい方だ。きっと、事情を察して放って置くことなど、出来なかったのだろう。

 村人達にコンテナの中身を全て分け与えるようにと仰られたのも、この村の惨状を見てのご決断に違いない。
 農作物の殆どを前の領主に徴収されてしまったこの村の食糧事情は、かなり厳しい状態にある。
 話に聞いた限りだが、太老様の行った政策により、公爵は財政的にも相当に追い込まれていたらしく、この領地の人々は更に厳しい領民税の取り立てに遭わされていたらしい。

 そのため、以前は何とか食い繋ぐことが出来ていたこの村も、相当に厳しい状況に追い込まれていたようだ。
 そのようなこと、母の手紙には微塵も書かれていなかったが、おそらくは私に余計な心配を掛けまいと思ってのことだったのだろう。
 太老様が分け与えるようにとご指示されたのは船の三ヶ月分の食料や物資。
 それだけあれば、次の収穫までの数ヶ月を村人達は無事に乗り切ることが出来る。
 ほんの僅か村の様子を見ただけで、そこまでのことを読みきって行動される太老様は、やはりさすがとしか言いようがない。

「マリエル、その久し振り」
「グレース! あら? シンシアは?」
「シンシアなら、太老と一緒にいるよ。随分と懐いちまったみたいで」

 少し寂しそうな様子で、そう説明するグレース。
 シンシアが家族以外に懐くこともそうだが、グレースと離れて行動するなんて珍しいことだ。それには私も驚いた。
 とは言え、太老様のことだ。シンシアに懐かれたとしても、決して不思議な感じはしない。
 シンシアは人の本質を見抜くことに凄く長けているところがある。邪な考えを持つものや、悪い人に決して心を開くような子ではない。
 だとすれば、自然と太老様の優しさに触れ、心を開いたのだろう。

「母さんが太老様のお屋敷に行くことになったの、だからあなたとシンシアも――」
「なあ、マリエル」

 そう説明しようとすると、グレースが何やら思い悩んだ様子で話を切り替えしてきた。

「マリエルは太老のことを、どう思ってるんだ?」
「……え?」

 一瞬、グレースに太老様のことを聞かれ放心状態になる。
 太老様のことをどう思っているのか? そう問われれば答えなど分かりきっている。
 しかし、以前にマリア様に言われたことが、まだ頭から離れないでいた。

『マリエル、あなたを――いえ、あなた達を同盟≠ノ誘いたいのです』

 ――同盟。マリア様の言うそれは、一人の女として、太老様をお慕いすると言う事。
 私は太老様のメイドだ。とてもでないが、素直に『はい』とお受けできる話ではない。
 しかしマリア様の言う事も理解できる。
 太老様は貴族だから、平民だからと、そのような些細なことを気にされる方ではないと言う事が。

 ここまで私達にしてくださるのも、自らの使用人に対してとはいえ、特別扱いするにしても度が過ぎている。
 あの方にとって、私達は本当に只の使用人なのだろうか? その答えは出ないままだ。

「私にとって太老様は……」

 私にとって太老様は、只の主人ではない。恩人であり、憧れの人であり、そして――

「太老様は私にとって、何よりも大切な方です」

 様々な想いと、意味を籠めた一言だった。
 グレースに言われ、やはり確信した。私にとって太老様はすべて≠セと言ってもいい。
 あの方がいたから、今の私がいる。あの方なくして、今の私はありえないのだ。
 そしてこれからも、あの方の御傍に居続けることが、私にとっての最上の喜びだと断言できる。
 グレースは何だか嬉しそうな様子で「そうか」と微笑んでいた。

「グレース、それよりも太老様を呼び捨てにするなんて――」

 何があったのかは聞く気はないが、これだけはハッキリとさせておかないといけない。
 グレースのご主人様と言う訳ではないが、この領地の領主様、更には恩人に向かって、敬称も付けずに呼び捨てにするなど不敬もいいところだ。
 グレースはいつもそうだ。目上の人に対しての礼儀がなっていない。
 以前から口を酸っぱくして何度も言い聞かせていると言うのに、まったく治らないのだから困ったものだ。

「た、太老は何も言わなかったぞ! それにマリアだって!」
「それでもです! それにマリア様まで――待ちなさい! グレース!」

 不敬罪で捕らえられてもおかしくない暴言を吐きまくるグレースを追い掛ける私。
 幾らそのようなことを気にされない方だと言っても、分はちゃんと弁えさせないと。
 後で太老様からもちゃんと言ってもらおう、そう私は心に固く決めていた。

【Side out】





【Side:太老】

 あれから半日。日は暮れ、時刻はすでに深夜一時を少し回っている。
 マリアに後のことは任せ、俺は別行動をとって変質者共の一掃作戦に乗り出していた。
 まだ変質者と決まった訳ではないが、色々と制御の利かない厄介な連中であることに変わりはない。
 男の話では随分と前から似たようなことを繰り返していたそうだ。
 一体、どれだけの少女達が犠牲になったかと考えるだけで、腸が煮えたぎる思いだった。

「太老様、街の自警団にも協力してもらい、包囲の方は完了しました」

 一緒に同行した侍従の報告を受けて、俺はグッと拳に力を籠め気合を入れ直す。
 連中は岩肌に面し、崖に囲まれた山間部にアジトを(こしら)え身を隠していた。
 ここに少女を言葉巧みに連れてきては、悪さを働いていたようだ。全くもって許せない不埒な連中だった。
 あの男には約束したが、外道な輩には容赦するつもりはない。
 全員拘束した上で、しっかりと事情聴取を行った後、反省のないそう言う奴には、しっかりと罰を受けてもらうつもりでいた。

「ご苦労様、危険だからキミ達は後方に下がっててくれる?」
「ですが、太老様だけをそんな危険な目に遭わせる訳には――」

 侍従達の気持ちは嬉しい。だが彼女達を連れて行く方が俺としては不安が残る。
 そんな変質者の巣窟に、かよわい少女を連れてなどいけるはずがない。
 俺は久し振りに本気で怒っていた。これは公爵達と決闘した時以上の怒りかも知れない。
 だからこそ、この件だけは俺の手でカタをつけたかった。

 普段、面倒臭がってはいるが、時と場合は弁えているつもりだ。
 俺にだって大切にしたいもの、守りたい矜持はちゃんとある。
 そして今回、奴等は俺にとって一番許せない大切なものに触れてしまった。
 シンシアとグレースのような、可愛らしい美少女に不埒な真似を働いた報いは必ず受けてもらう。
 しかも、これまでに幾度となく犯罪を繰り返していたような連中なら尚更だ。

「分かって欲しい。これは俺の戦いなんだ。大切なものを守るための戦い。
 その中に、キミ達も含まれていることを忘れないで欲しい」
『太老様……』

 ちょっと格好いいことを言ったと自分でも思う。
 そう、メイドさんは宝だ。美少女も宝だ。
 奴等は俺にとって、全国の美少女ファンにとって至宝≠ニも言える宝を汚したのだ。
 許せるはずがない。俺は感じる。目に見えない全国の屈強の猛者達≠フ怒りが、悲しみが――
 彼等の応援という力を得て、俺は奴等に制裁を加える。

「行って来る!」

 侍従達に別れを告げ、俺は奴等のアジトへ向けて疾走する。
 そう、この力は、あらゆる理不尽を打ち破るためにあるのだから――

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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