【Side:太老】
シンシアが一緒に風呂にまで付いてきたことには驚いたが、それだけ心細かったのかも知れないと俺は考えていた。
父親も二年前に亡くなったと聞いている。詳しくは聞かなかったが、それが原因でシンシアは口が聞けなくなってしまったらしい。
それに母親もあんな事になって、子供ながら色々と心労が溜まっていたのだろう。
「このままじゃ、風邪を引いてしまうな」
俺は上着を脱いで、シンシアの小さな体に覆い被せるようにその上着を掛けた。
お風呂に入って、その後の食事でお腹も一杯になって眠くなったのか?
幸せそうな寝顔を浮かべ、シンシアは俺の膝を枕にしてスヤスヤと眠っていた。
船が屋敷に着くまで、まだ時間はある。その間くらいは、こうして寝かせておいてあげよう。
「太老様、こちらにいらっしゃいましたか」
「マリエル? うん、シンシアちゃんが疲れて眠っちゃってね」
「も、申し訳ありません! 直ぐに連れて行きますので――」
「このままでいいよ。眠っているのを起こすのも可哀想だしね」
見ている方が幸せな気分になるような、そんな穏やかな寝顔だ。
こうしていると何となく、子供を溺愛する親の気持ちが分かる気がする。
保護欲が掻き立てられると言うか、シンシアを見ていると守ってあげたい、そんな気持ちにさせられるからだ。
俺と一緒にいてシンシアが安心が出来るのなら、少しでも寂しさを紛らわせることが出来るのなら、出来るだけ傍にいてあげよう。
そう、心の底から思えるほどに――
「太老様――村のこと、それに妹達のこと、母の病気のこと、ありがとうございました」
マリエルが深く頭を下げ、俺に感謝を述べる。
俺としては、そこまで感謝されるほど大したことをしたつもりはないのだが、律儀なマリエルのことだ。
ちゃんと礼を言っておかないと気が済まなかったのだろう。
「気にしなくていいよ。俺がしたくてしたことだしね」
村人への土産物は突然押しかけて迷惑を掛けたのだから、ある意味で俺は当然だと思っている。
それにシンシアとグレースのことは、当然のことだ。
誰かに頼まれるまでもなく、変質者に美少女が襲われていたら必ず助けていた。
マリエルの母親の件に関しても、俺はマリエル達にそれ以上に世話になっていると思っている。
「マリエルの妹なら、俺にとっても妹のようなものだし、お母さんの件も一緒だよ。
家族なら尚更、大切にしないとね」
「太老様……」
それに、彼女達は俺にとって使用人である前に大切な家族だ。
いや、家族のように大切に思っている、と言った方が正しいかも知れない。
その大切な人達のために何かをする。人として、ただ当たり前のことをしたに過ぎない。
マリエルがどこか嬉しそうな、艶っぽい潤んだ瞳を俺に向けていた気がするが、おそらくは気の所為だろう。
俺のようにシンシアの寝顔を見て癒されていたに違いない。
(本当に可愛いな。うん、これぞ究極の癒しだよな)
ああ、言っておくけど俺はペド≠カゃない。どこかのミスターロリペドフィン≠ナもないからね?
単に可愛いものが好きなだけだ。変な勘違いをされると困るから、そこだけはちゃんと否定しておく。
それにだ。シンシアの可愛さの前には、何もかもが無力だった。
【Side out】
異世界の伝道師 第62話『シンシアのパパ』
作者 193
【Side:マリエル】
太老様に一言お礼を言おうとお姿を捜していると、談話室の暖炉の前で赤い絨毯の上に腰掛けられている太老様を見つけた。
傍に歩み寄り、太老様にお声を掛ける。どうやらお部屋には戻らず、ずっとこちらで寛がれていたようだ。
視線を下に移すと、太老様の膝の上で幸せそうに寝息を立てているシンシアの姿が目に入った。
「このままでいいよ。眠っているのを起こすのも可哀想だしね」
ご迷惑になると思い、直ぐにシンシアを部屋まで連れて行こうとすると、太老様がそう仰られ、私の手を遮られた。
よく見るとシンシアの体に、温かそうな上着が掛けられている。どうやら太老様のお召し物のようだった。
ここで、こうしていらっしゃったのも、シンシアを起こさないようにと配慮されたからだろう。
シンシアがよく懐く訳だ。太老様の膝の上で、とても安心しきった様子でスヤスヤと寝息を立てるシンシアを見て、私も思わず笑みが零れていた。
「太老様――村のこと、それに妹達のこと、母の病気のこと、ありがとうございました」
太老様には感謝してもしきれない。すでに一生を掛けても返せないほどの恩が、この御方にはあった。
しかし苦笑を漏らされ、本当に何でもない様子で「気にしなくていい」と仰ってくださる太老様のお言葉が胸に染みる。
本当にこの御方にとっては、何でもないことなのだろう。そのお言葉どおり、極当たり前にされていることに過ぎないのかも知れない。
だが、そのことにより私達や村人達がどれだけ感謝をし、救われているか分からない。
太老様からの御心遣いで分け与えられた大量の食料や物資を前にして、村人達は両手両膝を地面について涙を流して感謝を述べていた。
その気持ちはよく分かる。これで芋のツタや雑草を食すようなひもじい思いをしなくても、次の収穫まで食い繋ぐことが出来る。
一番は子供達にちゃんとした食事を与えてやれることが、本当に嬉しかったのだろう。
太老様の侍従と言うだけで、私も村人達から身に余るほどの感謝をされてしまった。
確かに私はこの村の出だが、太老様はそうでなくても、この村の状態を知っておられれば必ず同じ行動を取られただろう、という確信が私にあった。
そう言う御方なのだ。私のご主人様、正木太老様という御方は――
「マリエルの妹なら、俺にとっても妹のようなものだし、お母さんの件も一緒だよ。
家族なら尚更、大切にしないとね」
「太老様……」
そのお言葉に嘘はないのだろう。
私達のことを『家族』と、そう仰ってくださる太老様のお言葉が嬉しくもあり、畏れ多くもある。
マリア様の仰っていたように、やはり太老様にとって身分の差というものは大した問題ではないのかも知れない。
しかし、私は本当にその太老様の優しさに甘えてばかりでいいのだろうか? と言う心の葛藤もあった。
マリア様の勧めてくださった『同盟』というのは、身分などの垣根を抜きに、太老様を愛する同じ女性として協力し合い、公私ともに太老様を支えていくことを主な目的としていると仰っておられた。
太老様の掲げられている理想は果てしなく高い。それは一朝一夕に成し遂げられるものではない。
そして太老様が本当に自分の幸せを見つけられる時が来るのだとしたら、その目的が達成された時以外にありえないとも、マリア様は語っておられた。
それは、私もそう思う。太老様にとって自分の幸せとは、二の次なのだと言う事は私も分かっていた。
どんな時も、何をしていても、太老様の頭の中にあるのは、まず民のこと国のことばかりだ。
この御方にとっての幸せとは、皆が幸せに笑っていられることが前提にある。
『より住みよい世界に』
そんな途方もない理想を口にされたのも、そうした太老様の強い想いがあってこそだ。
だからこそ、あの公爵達のように、今回の山賊達のように、力を振りかざし理不尽に平和を乱す輩、人々の生活を脅かす相手を、非情なまでに太老様はお許しにならない。
いつもそうだ。何もかも、太老様は一人で解決しよう。全て自分だけで抱えようとなされる。
貴族達の粛清の時も、一人で悪役を演じることで、フローラ様やマリア様、私達に恨みの矛先が向かないようにと矢面に立たれた。
そして侍従達の話によれば、今回の山賊討伐の時も全て一人でやられたとのことだ。
その時に太老様が仰った言葉を、嬉しそうに侍従達は聞かせてくれた。
『分かって欲しい。これは俺の戦いなんだ。大切なものを守るための戦い。
その中に、キミ達も含まれていることを忘れないで欲しい』
そう言って、山賊討伐に一人で出向かわれたらしい。
しかも、いつもの太老様からは考えられないほど悪辣な言葉を吐き捨て、まるで山賊達を挑発するような態度をとって戦われていたとのことだ。
普段の太老様を知っている私達からすれば、それが本心≠ナはなく演技≠セと言う事は直ぐに分かる。
今回も以前と同じだ。山賊達の恨みを一身に受けられるつもりで、そのような行動を取られたに違いない。
街の自警団に協力させなかったのも、そうした理由があったからだと私は推察していた。
今回の討伐に自警団が表立って前にでていれば、各地に散っている山賊の仲間達は街に報復行為に出ていただろう。
当然、山賊達の目はマリエルの村に向き、飛び火する可能性は高い。だからこそ、太老様は全てお一人でやられたのだ。
黄金の鎧をつけた英雄――
その噂を聞きつければ、山賊達は自然と疑いを太老様へと向けるだろう。
この黄金の船も大勢の人々に目撃されている。山賊達が今回のことが、全て太老様の犯行だと気付くのも時間の問題だ。
その上で、太老様は態と山賊達を挑発されているのだ。
恨みがあるのなら、報復したいのなら自分の元に来いと――
(本当に、この御方は……)
分かっていることだとは言っても、自分の力の無さが不甲斐なく思えてならない。
マリア様もずっとこんな思いをされていたのだろうか?
だから、あのような同盟≠フことを口にされたのかも知れない。
確かに私達一人ずつでは、太老様のお力には成れない。
この御方が背負っておられるもの、目指しておられる理想は果てしなく遠く、高いものだ。
だからこそ、心の底から太老様をお慕いし、損得関係なしに太老様の味方でいられる方々が必要なのかも知れない。
マリア様が仰られる同盟≠ニは、そうした意味が強いのだろうと私は考えた。
太老様とただそう言う関係を望むのではなく、本当の意味で太老様を支えられる存在に――
そうした強い意味を込めて同盟≠ニマリア様は仰られたのだ。
(私は……)
答えは最初から出ていた気がする。
私は侍従だから太老様を支えたいと思ったのではない。使用人だから太老様に御仕えしている訳でもない。
太老様だから支えたいと、御仕えしたいと思ったのだ。
(ただの憧れでも、恩義があるからでもない。私は太老様のことが好き……いえ、心の底から愛している)
マリア様に勧められたから、グレースに言われたからではない。それが私の本当の気持ちだった。
私達のことを『家族』だと仰ってくださるこの御方に心から御仕えしたい。
想うだけでも憚られることだと考えていた。でも、本当に許されるのなら私は――
【Side out】
【Side:太老】
屋敷に戻った俺は、シンシアを膝に乗せた状態で久し振りの書類整理をしていた。
懐かれるのは嫌じゃないんだが、どこに行くにもシンシアはピッタリとくっついて来るので、正直どうしたものかと困り果てていた。
とは言え、シンシアの無垢な瞳で見詰められると、とても駄目なんて言えるはずもなく、今に至ると言う訳だ。
こんなに懐かれることをした覚えはないのだが、本当に俺に父親の面影でも重ねているのだろうか?
だとすれば余計に離れてくれなどと言えるはずもない。
「よし、これで終わりと」
こう言う時、侍従達が優秀だと助かる。
俺にまで上がってくる仕事は、俺でないと決裁が出来ないものだったり、確認を必要とするものくらいで、殆どのことは侍従達がやってくれているため、仕事と言えるほどの仕事は実は少ない。
前なら山のように積み重なっていた書類も、今では多くても精々一冊のファイルに収まる程度だ。
取り敢えず、留守にしていた分の仕事も終え、俺は席を立つ。
その後をちょこちょこと小さな歩幅で、少し早足にくっ付いて来るシンシア。
後は風呂に入って休むだけなのだが、この様子だとまた風呂にまで付いて来そうだ。
「俺はこれから風呂に入って寝るんだけど、シンシアちゃんも自分の部屋で――」
「…………フルフル」
「えっと、だから……」
「…………」
やはり無駄な抵抗だったらしい。皆、本当にすまない。俺は意志の弱い人間だ。
とてもではないが、俺にシンシアを説得して引き離すようなことは出来そうにない。
結局、またシンシアと風呂に一緒に入ることになった。
何やら、廊下で擦れ違った侍従達にクスクスと笑われていたような気がするのだが、正直気の所為だと思いたい。
何度も言うが俺はペド≠ナも、どこぞのロリペドフィン≠ナもない。
とは言え、世間様にそのことを分かってもらえるかどうかは全くの不明だった。
「はあ……仕方ないよな」
部屋まで付いて来て、俺のベッドで眠ってしまったシンシア。
マリアやマリエルが何か言いたげな様子だったが、シンシアが俺の服の裾をギュッと握って放してくれないので、取り敢えず二人には事情を説明して立ち去ってもらった。
変な噂をされてないことだけを、今は祈るばかりだ。
「おやすみ、シンシア」
そう言って、俺もベッドに横になって目蓋を閉じる。
明日は水穂が帰ってくる。そうしたら、シンシアの母親のことも二人で話し合わないと。
変質者共のこともあるし、その後は領地にやってくる三人の聖機師を出迎えないといけない。
(いつになったら首都に帰れるんだろ……)
まだまだ、心休まる日は遠そうだった。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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