【Side:太老】
「シトレイユにですか? でも、またどうして?」
水穂と一緒にシトレイユ皇国に行く予定になっていることを、アンジェラに伝えた。
どうして? と彼女が思うのも無理はない。ほんの一ヶ月ほど前にシトレイユから帰ってきたばかりだ。
しかし、色々とあって忘れかけていたが、シトレイユ皇改め、ヌイグルミ皇の問題をどうにかしないといけない。
さすがにこのまま放置という訳にもいかないので、水穂に一度診察してもらうことになっていた。
「向こうで少しやり残したことがあってね。
それに、ラシャラちゃんやシトレイユ皇の容態も気になるから」
本当のことを言う訳にもいかないので、アンジェラにはそう言って事情を説明した。
言っていることは嘘ではないので、これで納得してもらうしかない。
まさか国皇が、ヌイグルミになっているなんてショッキングな話、伝えられるはずもない。
「では、私が案内役を務めればよろしいのですね?」
「こっちに来たばかりで悪いけど、頼まれてくれるかな?」
シトレイユへの連絡役など、アンジェラからやってもらった方が話もスムーズに行くだろう、と考えた。
一応、シトレイユ支部の方へ連絡してみたが、ラシャラは城の方に籠もっていて、最近は余り商会に顔を出さないらしい。
国皇が急に不在となったこともあって、公務の方が忙しいのだと、予想出来る。
とは言え、シトレイユ支部の職員は優秀だ。ラシャラが動けない程度で、運営に支障が出るようなことはない。
そうは言っても、ラシャラのことだ。国皇の分まで頑張ろうと、頑張りすぎてやしないか、やはり少し心配ではあった。
「分かりました。私でよろしければ、引き受けさせて頂きます」
「助かるよ。それじゃあ、予定の方だけど――」
こちらの予定をアンジェラに伝え、向こうへの連絡と日程の調整をお願いする。
「分からないことは、マリエルと相談してもらえればいいから」
「はい。こちらも、ラシャラ様に確認を取ってからになるとは思いますが、多分大丈夫だと思います」
シトレイユ行きの予定は、二週間後と言う事になった。
こちらにいながらもラシャラの予定を把握している辺り、アンジェラの優秀さが窺えた。
【Side out】
異世界の伝道師 第116話『ポスター効果』
作者 193
【Side:アンジェラ】
「シトレイユにですか? でも、またどうして?」
太老様から『二人きりで話がある』と言われ、胸をドキドキと弾ませながら後についていくと、思い掛けない相談をされた。
シトレイユ皇国に、また行かれると言うのだ。それも、半年、一年先という訳ではなく、出来るだけ早い内に。
遂先日、シトレイユを来訪されたばかりだというのに、視察に行かれるにしては随分と早すぎる。
そのことを尋ねてみると、
「向こうで少しやり残したことがあってね。
それに、ラシャラちゃんやシトレイユ皇の容態も気になるから」
それだけで、全てを察することが出来た。ラシャラ様のことを、気に掛けておいでなのだと。
確かにシトレイユは今、皇族派と宰相派に分かれ、次のシトレイユの実権を巡って水面下では、熾烈な争いが繰り広げられている。
やはり、皇が不在ということで、皇族派の方が分の悪い状況が続いていた。
正木商会の後ろ盾があるとはいっても、その正木商会や太老様に対し、不満を持つ者は少なくない。
シトレイユは他の国よりも格式や伝統を重んじる傾向が強く、誰よりも優秀な聖機師でありながら商人の真似事をし、聖機師の立場を軽んじる太老様の行動を快く思っていない貴族達は大勢いた。
その結果が、先日の決闘騒ぎだ。
特に、三大商会の一角が倒産に追い込まれたことで、大きな損失を被った方達も少なくない。
結果的に見れば、シトレイユの利益には繋がっているのだが、自分達が損をした貴族達にとっては、そんな事はどうでもいい話だ。
しかし結局、決闘を企てた貴族達の策略も上手くはいかず、男性聖機師の方々も恥を掻かされただけに終わり、あのダグマイア様も大きな罪には問われなかった物の聖地に送り返され、修行名目でシトレイユに帰ってくることすら許されない軟禁状態になった。
(そう上手くは行かないと思っていたけど……)
あの一件で少しは大人しくなってくれるかと期待していたのだが、逆に彼等の強い敵愾心を煽ってしまったようで、宰相派の貴族達の動きは活発化してしまっていた。
特に、シトレイユ皇が倒れたことが、彼等を増長させる大きな原因となったようだ。
最近では、妨害工作の方も過激になり、事故を装って対抗勢力の有力貴族を殺そうとしたり、暗殺者を差し向ける者まで現れていた。
ラシャラ様が城に籠もられているのもそのためだ。
城と商会との行き来が多くなれば、それだけ襲撃を受ける可能性も高くなる。
この大切な時期、ラシャラ様の身にまで何かあれば一大事だ。
周辺各国、それに教会も、事がただの内乱とあれば不介入を貫くのが通例だ。
それに手を借りれば、その見返りに何を要求されるか分かったものではない。
そうしたこともあってラシャラ様も、他国や教会に頼る、といった考えをお持ちではなかった。
しかし――
「分かりました。私でよろしければ、引き受けさせて頂きます」
太老様ならば、ラシャラ様の良い味方になってくださるはず。
幾ら、次期国王とはいっても、ラシャラ様はまだ十一歳。皇族として、どこに出ても恥ずかしくないよう、特化した英才教育を受けられ、今の力と能力を手にされるまでに至ったが、普通であれば親の愛情が恋しいお年頃だ。
何一つ、普通の子供らしい生活を送ることすら許されなかったラシャラ様。
そんな方が、命の危険と背中合わせな日常を送っておられることを、私は歯痒い思いで見守っていた。
そんな折、突如舞い込んできたハヴォニワへの出張の話。私は、その話を聞いた時、これはチャンスだと思った。
太老様と直接お話しすることが出来る、またとないチャンス。
ラシャラ様の現状をお伝えし、力添えを頂けないかと考えたのだ。
こんな事、ラシャラ様は望んでおられないかもしれない。しかし、私は今のラシャラ様を見ているのが辛かった。
後で、どんなお叱りも受けるつもりで、私は自らの意思でハヴォニワへと訪れ、その機会をずっと待っていた。
それがまさか、太老様から仰ってくださるとは……やはり、この御方は違う。
私の考えなど、最初から見越しておられたのだろう。だからこそ、『二人だけで話がある』と仰り、私へと話を持ち掛けられた。
水穂様に相談をされ、ここまで用意周到に準備を進められていたことを考えると、ハヴォニワに戻られる前から、既に先のことを見越しておられたのかもしれない。
本当に底の知れない、凄い御方だ。
「分からないことは、マリエルと相談してもらえればいいから」
「はい。こちらも、ラシャラ様に確認を取ってからになるとは思いますが、多分大丈夫だと思います」
太老様なら、きっとラシャラ様を救ってくださる。
私は、そう――確信していた。
【Side out】
【Side:太老】
アンジェラのお陰で、シトレイユへの再訪問も思ったよりも早く叶いそうで助かった。
折り返し連絡をくれる話になったが、順調にいけば来週の末にでも出発することが出来そうだ。
残り十日ほど――最近は少しランが使えるようになって、俺の仕事も楽になってきている。
ワウという優秀な聖機工とも知り合いになれたし、コノヱという頼もしい味方も出来た。
後は、メイド隊の増員の話が済めば、安心してシトレイユに発つことが出来る。
「嘘だろ……まさか、これが全部?」
「いえ、こちらにまだ三箱ありますが」
侍従達が書斎に持ってきてくれた履歴書は、中型の段ボールに四箱という、とんでもない数の物だった。
まさか、メイド隊の募集ポスターを見て、これだけの応募があるとは思いもしなかった。
就職難じゃあるまいし、今のハヴォニワは街に出れば仕事が溢れ返っている。
にも拘らず、ざっと見ただけで数千、いや一万通以上に上る応募が殺到していた。
確かにあの制服は可愛いとは思うが、この国の女性達は、そんなにメイドをやりたい人達が多いのだろうか?
「しかし、さすがにこれを全員雇うってのは無理があるな……目を通して絞らないとダメか」
「あ、それなら、私達がやりますよ!」
「ん? でも、いいのか? お前達だって仕事があるんじゃ……」
「大丈夫ですよ! それに、私達の同僚になる子達を選ぶんですよね?
だったら、私達にお任せ頂いた方が、効率がいいと思うんですけど……ダメですか?」
俺は少し考えたが、確かにそれもそうか、と思った。
彼女達の仕事が大変そうなので、侍従を増やそうと考えたのだから、仕事内容に応じて彼女達が選んだ方が手っ取り早いかもしれない。
そもそも侍従の仕事など、細かな部分まで俺には分からない。自慢じゃないが、俺の生活能力はあるとは言い難い。
何とか生活を送れる程度のレベルで、他人の面倒を見れるほど高度な家事炊事能力は、俺には備わっていなかった。
今まで、そう言う必要性に駆られなかったのだから、こればかりはどうしようもない。
特に、こちらの世界にきてからは、侍従達が何でも身の回りの世話を焼いてくれるので、益々酷くなっていると思う。
これじゃあ、自分でいけないとは自覚しているのだが、周りが何故かやらせてくれないのだ。
「それじゃあ、お願いしようかな。採用数の方も特に決めてなかったから、この家に相応しい数でよろしく頼むよ」
屋敷の規模から考えれば、追加で十人、多くても二十人程度採用すれば十分に何とかなるだろう。
とは言え、やはり素人判断で決めるよりも、ここは専門家に任せた方が安心だ。
その辺りの人数調整も、侍従達に全て任せることにした。
【Side out】
「太老様に、あんな大見得切って大丈夫なの?」
「ああでも言わないと、太老様、また余計な仕事を抱えちゃうじゃない。
マリエルだって、そのことを心配してたんだし、ここは私達が頑張らないと」
「確かに……でも、これは重要任務ね」
「うん、太老様にお仕えする侍従選びだものね」
マリエルを除く四人の侍従達は、屋敷の広間に陣取り、段ボールを広げると、一つ一つ履歴書を手にとって書類選考を始めた。
以前に屋敷で行ったような能力試験や、面接を行う必要はあるが、これだけの人数だ。
ある程度の数に絞らなければ、それも難しい。
まずは、太老に相応しい侍従ということで、容姿、能力、経験、あらゆる点からこれぞと思った人材を抜き出していく。
「そう言えば、どのくらいの人数を採用すればいいのかな?」
「屋敷の維持だけなら、十人もいれば十分じゃない?」
「でも、太老様は『家に相応しい数』って仰ってたよ?」
「家柄≠ノ相応しい数か……そうなると難しいね」
雇い入れている使用人の数も、その貴族の力を誇示する意味で、とても重要な部分だ。
下級貴族でも三人から五人。大きな屋敷に住む大貴族ともなれば、百人単位で使用人を養っているところも珍しくない。
使用人一人養えないような貴族は一人前とは認められず、屋敷の規模と家柄に似つかわしくない数の雇用しか出来ないようであれば、それを原因にバカにされ、低く見られることだってある。
それが、この世界の現実、貴族社会の常識というものだった。
領地の屋敷には、確かに元公爵から引き継いだ使用人達を含め、百人余りの使用人が働いてはいるが、首都の屋敷には彼女達メイド隊の侍従達と、マリアの計らいで皇宮から手伝いにきてくれている数人の使用人が控えているだけだ。
太老の持っている権威と影響力は、そこらの貴族とは比べ物にならないほど大きな物だ。
そのことを考えれば、ハヴォニワ一の大商会を代表し、聖機師としての力も大陸随一と噂される『天の御遣い』の屋敷としては、余りに使用人の数が少ない。
本来、本邸の方も、百人という人数は決して多いとは言えず、あれでも最低限必要な数に過ぎない、と彼女達は考えていた。
「それじゃあ、百人は最低必要だよね」
「でも、太老様だよ? それじゃあ、幾ら何でも釣り合わないと思うけど」
「メイド隊の増員ってことは、本邸の不足分も考えていいってことじゃない?」
「なら、百五十……いや二百人くらい?」
ああでもない、こうでもない、と雇用する人数を巡って激しい討論を繰り広げる侍従達。
正木卿メイド隊――太老の予想を大きく超えた拡充計画が進められていた。
……TO BE CONTINUED
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