【Side:水穂】
「いいでしょう。嘘を言っているようでもないし、あなたの話を信じて、皇家の樹とこの船には一切私は干渉しない。
それを約束しましょう。それに、この地下都市の今後についても、全てあなたに一任しますわ」
「……へ? お母様、そんなにあっさりと、本当によろしいのですか?」
「あら、だって……危険な物なのでしょう? 一つ間違えば世界を滅ぼしかねないような兵器。
おいそれと使える物じゃなし、私だって国を滅亡させたい訳じゃありませんもの」
随分とあっさりと引き下がったフローラの態度に、私は毒気を抜かれてしまった。
せめて、何らかの条件を出して来るなり、譲歩を迫られると考えていたからだ。
この地下都市や皇家の樹には、それだけの価値がある。
だからこそ、私もその危険性を彼女に伝えるため、対等な交渉をするためにも話すべき所は正直に伝えた。
その結果が、この返答だ。
「マリアちゃんの言うとおり、本当によろしいのですか?
その気になれば、世界を支配することも容易い力ですよ?」
「その結果、人の住める場所がなくなってしまえば意味がないわ。必要なのは国ではなく、そこに住む人よ。
扱いきれないほど大きな力を、私は欲しいとは思わないわ」
為政者らしい、重みのある言葉がそこにはあった。
必要なのは国ではなく、そこに住む人――それが、彼女の本心なのかは分からない。
しかし、迷うことなくその言葉を口にしたフローラの言葉を、今は信じてみよう、と私は思った。
少なくとも、この国のことを考え、想っていることだけは確かなはずだ。
「でも……水穂さん、そして太老くんも皇族だったのね」
「こちらに向こうのルールは通用しませんし、今はただの一般人と違いはありません。
それに皇族とは言っても眷属も含め、かなりの人数がいますし、太老くんは皇眷属、私は直系の血筋とは言っても裏方の仕事が主でしたから」
皇家の樹のこと、樹雷のことを説明する以上、私達が皇族だということを隠す訳にはいかなかった。
それ故に正直に話はしたが、私はある部分を彼女達に隠している。
太老くんが、ただの皇眷属だと言う部分だ。
皇家の樹、その全てに認められ、愛されている太老くんは、樹雷にとって最も重要な人物としてその存在を秘匿されている。
天地くん同様、その扱いは難しく、樹雷の国家機密に関わるほどの重要な人物だ。
公式にはそのことは伏せられ、ただの皇眷属ということになっているが、樹雷皇、そして瀬戸様も認められていることからも、太老くんの存在価値は計り知れない。
だが、こんな事を正直に話せるはずもない。
樹雷の国家機密に関わること、そして太老くんの能力の価値と危険性を考えれば、無闇矢鱈と口外出来る話ではなかった。
「まあ、そういう事にしておきましょう」
しかし、太老くんはこちらで随分とやり過ぎている。
彼女のことだ。自然と、太老くんがただの皇眷属などではないことに、勘付いているのかもしれない。
それでも、私は口を閉ざし、太老くんのことを隠し続けるしかないのだが……恐らくは、そのことも察しているのだろう。
やはり彼女も、母さんや瀬戸様と同じカテゴリの存在だと、私は認識せざる得なかった。
まだ、あの人達に比べれば優しいような気もするが、その知略と狡猾さは油断がならない。
「それに、どちらにせよ。何れは、この国も太老ちゃんの物になるのだし、そうなれば今、皇家の樹や地下都市のことを水穂さんに任せるのも、後で任せるのも同じ事よね?」
『…………はい!?』
私とマリアちゃんの言葉がハモった。
「いえ、『太老殿』とお呼びしなくてはならないわね。私の未来の旦那様になられるのですもの」
「ちょっと、お母様っ!?」
「ああ、勿論マリアちゃんやユキネちゃんも一緒よ。それに水穂さんも。太老殿が望むなら、他の方だって。
皇族なら側室を持つことも認められているし、いざとなれば法改正の方も進めて――」
「そういう事を言ってるのではありません! もう、だからこの人は!?」
目の前で、親子喧嘩が始ってしまった。
頭に血が上ったマリアちゃんをからかいながら、飄々と反論をかわして遊ぶフローラ。
どこまでが本気か冗談か分からない発言だが、私はこの手の人物を嫌と言うほどよく知っている。
あれは間違いなく――本気の眼だ。
(太老くん……頑張ってね)
私にとっても他人事ではないのだが、一番の当事者となる太老くんの今後を思うと不憫でならなかった。
【Side out】
異世界の伝道師 第121話『マサキの誓い』
作者 193
【Side:太老】
「ええと……もう少し離れてもらえません? 他人の目もありますし」
「あら? 未来の旦那様にご奉仕するのも、妻の務めと思いますわ」
妻とか未来の旦那様とか、また何を企てているのか分からないが、間違いなく良からぬことを企んでいるに違いない。
腕を掴んで胸を押しつけて、べったりくっついてくるフローラに、どうしたものか、と冷や汗を滲ませる。
と言うのも、マリアの突き刺さる視線が痛かったのだ。
いや、マリアだけではない。興味がない素振りをして、何も言ってくれない水穂とユキネの方が不気味で怖かった。
「お兄様、そんな年増≠謔閧焉A若い方がいいですわよね?
私が一生≠ィ側にいて、養って差し上げますわ」
「あらあら、マリアちゃん。それを言うなら、もう少し脂肪≠付けて成長≠オてからでないと、太老殿も満足しないのではないかしら?」
「――! わ、私には未来があります! お母様こそ、お歳なのですからお肌の手入れには気をつけられないと、小皺が気になってきているのではないですか? 今でこそ、それでよいかも知れませんが、数年後には確実に立場が逆転してますわよ?」
「……言うわね。悲しいわ、一人の男性を巡って、親子で本気の争いをすることになるなんて」
「……色惚け女王に、お兄様のことなど任せられませんもの」
「フフフフフフフフフ」
「ウフフフフフフ」
親子で対抗心を燃やして張り合わないで欲しい。
マリアに『年増』と言われた時の、フローラの笑顔が凄く怖かった。
マリアのヒモ生活も勘弁だが、鬼姫やアイリと同じ匂いのするフローラと一生生活を共にするのは、それはそれで勘弁して欲しい。
間違いなく老ける。ストレスで病気になることは間違いない。
苦労することが目に見えているだけに、正直な話、神木内海……あの人のようにだけはなりたくなかった。
「太老、そろそろ首都に着く」
「ああ、結構早かったな。知らせてくれて、ありがとう」
親子で壮絶な争いを始めた二人を放って置いて、ユキネに首都に到着することを知らせてもらった俺は、船のデッキに出る。
そう、今この船は、地下都市をでてハヴォニワの首都に向けて飛んでいる真っ最中だった。
何で、こうなったのかは知らないが、フローラとマリアは、水穂と三人での話し合いを終えて帰ってから、ずっとあの調子だ。
「何を吹き込んだんです? あの二人に?」
「人聞き悪いわね……あれはフローラ様が勝手にやっていることよ」
デッキで風に当たって涼んでいた水穂に、俺はそう言って話し掛けた。
「モテモテでよかったじゃない。瀬戸様がこのことをお知りになったら、きっと大喜びでしょうね」
「やめてください……確実に弄ばれることくらい分かってますから」
こんな事を鬼姫に知られたら、向こう百年はこのネタで玩具にされることは間違いない。
鬼姫のことを知る者からすれば、慰めにもなっていない、きつい冗談だった。
大方、先程まで何も言わなかったのは、これが言いたかったのだろう。
俺を、こうしてからかって楽しんでいるのも一種の憂さ晴らし、と言う奴だ。
兼光が、『瀬戸様に似てきた』と言っていた理由も、何となく分かる黒い水穂≠ェそこにいた。
「ねえ、太老くん。一つだけ聞いてもいい?」
「何ですか? あの二人の相手で疲れてるので、きつい冗談は勘弁して欲しいんですけど」
皮肉でも何でもなく、これは切実なお願いだ。
「太老くんは、向こうの世界に帰りたい?」
「……え?」
しかし俺の予想に反し、水穂の口から返ってきた質問は、意外とまともな物だった。
愁いを帯びた瞳。真剣な表情で、そう質問してくる水穂に、俺はどう答えていいか迷いを見せる。
その場の雰囲気が、冗談を言っていい場ではないことを知らせていた。
向こうの世界に帰るために、水穂が情報部を立ち上げ、色々と動いてくれていることを知っている。
しかし、俺の本心はどこにあるのだろうか?
当初、鬼姫や鷲羽のいるあちらの世界と離れ、こちらで悠々自適に生活を送るのも悪くないか、と考えていた。
それから色々とあって、マリアやフローラ、ユキネに、ラシャラ達、他にも沢山の人達と出会って、この世界に俺は自分の居場所を見つけた。
だがそれは、帰るのを嫌がっていた向こうの世界も同じだ。
確かに嫌なこともあったし、色々と面倒な人達の所為で、退屈しない苦労の絶えない毎日を送っていたが、決して楽しくなかった訳じゃない。
それに、向こうには俺の家族と呼べる人達や、沢山の知人と友人、大切な人達がいる。その中に、水穂も当然含まれていた。
向こうの世界に帰らなければ、その人達には会えない、ということだ。
この世界の住人には、俺達の一生から比べれば短い、限られた寿命がある。
俺達の寿命を考えれば、数十、数百年というタイムスケールはそれほど長い訳じゃない。
彼女達の最期を見届けてから帰る、というのも考え方としてはあるが、その時に確実に帰れるという保証はどこにもない。
結局、どちらの世界に残ろうと、数十年、いや百年という時を、離ればなれになることに代わりはなく、どちらか一方の人達に会うことが出来なくなる、ということだ。
それを考えると、確かに少し寂しい思いを感じた。水穂が心配をして、俺にそう尋ねてきた理由も分かる。
何だかんだ言っても、彼女が俺を本当の弟のように、そして家族のように大切にしてくれていることには、幾ら鈍感な俺でも気付いていたからだ。
「正直に言えば、分かりません。でも、あちらの世界に残してきた人達のことが、俺は好きです」
「だったら――」
「でも、それと同じくらい。こちらで知り合った人達のことも大好きなんですよね」
「……太老くん」
何となく欲張りな気もするが、これが俺の正直な気持ちだった。
今のように、どちらか一方を選べと言われても、俺には片方だけを選ぶことなんて出来ない。
「一方で誰かが笑えないなんて悲しい結末、誰も喜んでくれないと思うんですよね。
そんな綺麗事ばかりじゃない、現実は甘くない、って分かってはいても、俺は欲張ってしまうんだろうなって」
取り繕った言葉や、いい加減な嘘を並べるよりも、俺の正直な気持ちを伝えようと思った。
それが俺のことを心配してくれた、水穂への誠意だと思ったからだ。
「それに、うちの母親や鷲羽なら『男なら打算せず、欲しい物は全部手に入れるくらいの気迫でいけ!』って言うと思いますし、逆に暗い顔をして帰ったら、何を言われることやら……」
「あはは……かすみさんや、鷲羽様なら言いかねないわね」
こちらの世界に送り返されるだけなら良いが、『その根性を鍛え直してやる!』とか言われて、特訓と言う名の拷問を科せられる方が厄介だ。
「だから選べません、どちらも。選ぶとするなら、こういう場合どっちもってことになるのか?
こっちと向こうの世界を繋いで、行き来できるようにするのは大前提だけど、元凶の鷲羽ならそのくらい出来そうな気もするし……最悪、一番手を借りたくない相手だけど訪希深の力を借りるって手も」
「太老くん……それって他力本願って言うんじゃ」
「悪魔だろうが神様だろうが、使える物は何でも使う。それが、うちの家訓なんで」
実際、俺がそう考えるようになった一番の原因は、鷲羽、鬼姫、それに母さんの三人だ。
本来なら、頭を下げて敬うべき神様も、現実があれじゃ、段々とありがた味も薄れていくと言う物だ。
最初から答えを求めてる訳ではないが、その結果、必要とする物が頂神の力だったりする場合、俺は手段を選ばずあの人達を利用する。
それは、向こうも同じ。鷲羽や鬼姫が、俺を使って何かを企んでいるように、訪希深が俺に対して妙な拘りを持っているように、俺も彼女達を利用することに一切の躊躇いはなかった。
それは別に、彼女達のことが嫌いだから、と言う訳ではない。
迷惑を掛けられること、玩具にされることは納得が行っていないし好きではないが、本人達を嫌っている訳ではない。
それに誰よりも、その力は認めていた。
評価はしている。それに、今の俺にこの力があるのは彼女達のお陰だ。本人には口が裂けても言えないが、そのことに関しては感謝している。
とは言え、厄介事や嫌なことの方が多すぎて、感謝の気持ちも述べられないほどに相殺してしまっているだけだ。
「ご都合主義って言われようが、俺はハッピーエンドが大好きなんで。
だから――水穂さん、これからも力を貸してくれませんか?」
「鷲羽様や訪希深様の力を借りるのではなかったの?」
「あの二人に借りると利子が高そうなんで……出来るだけ、自分達で解決したいな、って」
あの二人の場合、神様にお願いすると言うより、悪魔に魂を売るのと同じだ。
最終手段ではあるが、一番頼りたくない相手だったりする。
「くっ、うふふ! なら私も太老くんから、たっぷり報酬を請求しないとね」
「うっ! 藪蛇だった」
水穂への対価。あの二人や、鬼姫に支払うことを考えたらまだマシとは思うが、それが何かを読めないだけに恐い物があった。
しかし、先程までの思い雰囲気から一転、楽しそうに笑っている水穂を見ると、それでもいいか、と思えてしまう。
「そうね、皆が笑えないと意味がないものね。太老くんのそのバカなところ、私は好きよ」
「バカって……」
自覚はあるが、家族同然に思っている人にそう言われると、グサッと胸に突き刺さる物があった。
「いいわ、私も覚悟が出来た。いっそ、瀬戸様や鷲羽様が、ぐうの音も出ないような結果を出してあげましょう。
こんな風に振り回されて、頭に来てるのは太老くんだけじゃないんだから!」
「あの、水穂さん……」
別にあの二人に喧嘩を売ろうなんて、恐いことを考えている訳ではないのだが、水穂は燃えていた。
余程、今までの鬱憤が溜まっていたのだろう。
それを晴らさんとばかりに気合いの入った水穂に、俺はそれ以上、掛ける言葉がなかった。
「フフフ、あの二人の思惑通りになんてして、たまる物ですか」
――黒水穂降臨
怒りの矛先がこちらに向いていないだけマシとも言えるが、何となく地雷を踏んだ気がしてならなかった。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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