【Side:太老】
『お帰りなさいませ! 太老様っ!』
「…………はい?」
首都の屋敷に戻った俺を出迎えてくれたのは、百人を軽く超そうかという侍従達だった。
「何? 何か、今日イベントでもあったっけ?」
「いえ、太老様のメイド隊一同、こうしてお出迎えに――」
「俺の?」
「はい」
「メイド隊?」
「そうですが?」
マリエルの返答に頭が痛くなった。いつの間に、正木卿メイド隊はこんな大所帯になったんだ?
確か、出掛ける前はマリエルを含め五人のはずだった屋敷の侍従達が、十日ほど留守にしただけで百人以上に増えていた。
いや、常識的に考えておかしいだろう。とは言え、この件は侍従達に任せておいたはずだ。
必要な数を揃えるように、と言っておいたので、だとすればこれが必要な数だと言う事で……。
(いや、どう考えても大袈裟だろう……)
領地の屋敷に比べて、こちらの屋敷はあの一棟分くらいしかない。規模で考えたら三分の一ほどの広さだ。
あっちで百人ほどなのに、こっちに同じ人数が必要だとは到底思えない。
そのことをマリエルに聞いてみようとしたら、思い掛けない言葉が返ってきた。
「はい、それは勿論考慮してあります」
「ああ、なんだ。ちゃんと考えてくれてたんだ。そうだよな」
「はい。こちらと釣り合いが取れるよう、向こうには追加で二百名の増員をしておきました」
「…………はい?」
更に頭が痛くなった。
追加で二百人、と言う事は、こちらの人数と合わせて三百人の増員をしたと言う事だ。
先日まであちらとこちら合わせて、メイド隊の侍従は十名だったのに、突如合計三百名を超す大所帯になった、と言う事になる。
正直、何が何だか分からない状況だった。いや、しかしマリエル達がそんな意味のないことをするとは思えない。
きっと、そこには何か理由があるはずだ。
「何か、まずかったでしょうか? 家格に応じた人数を、とのことでしたので、これでもまだ少なく見積もったつもりだったのですが」
「ああ……家格に応じたね」
屋敷の規模に応じた数と言うつもりで言ったはずの言葉が、どういう訳か家柄に応じた数と解釈されていた。
何となく理由が分かった。ここでも『天の御遣い』や『大商会の代表』と言う肩書きが、予想外の結果を生んでくれたと言う訳だ。
とは言え、俺の言葉通りに、一生懸命仕事をやってくれたマリエル達を責められるはずもない。
「問題があるようでしたら再考いたしますが……その場合、彼女達は職を失うことになり、路頭を迷うことに」
「いや……問題ないよ。彼女達の仕事の分担と教育をよろしく頼むね」
「はい、太老様!」
それに、『手違いでした』などと言って、折角集まってくれた三百人もの人間を解雇して、大量の失業者を出す訳にはいかない。
マリエル達の仕事が楽になることは間違いないのだし、少なくとも当初の目論見通りには成った、と言う訳だ。
肩を落とし溜め息を吐きつつも、暫くは様子を見守ることにした。
異世界の伝道師 第130話『太老の指輪』
作者 193
「お兄様、長旅お疲れ様でした。お腹も減っていらっしゃるでしょう? やはり先にお食事になさいますか?」
「太老殿、それよりもお風呂は如何ですか? 疲れた体を癒すには、温かいお風呂に浸かるのが一番ですわ」
で、屋敷で待っていたマリアとフローラに俺は絡まれている。
食事を勧めてくるマリア。風呂を勧めてくるフローラ。
何だか、二人の様子があからさまにおかしい。いや、おかしすぎる。何かある、と言っているようなものだった。
「二人とも何が……」
「お母様と一緒にお風呂になど入ったら、疲れなど取れるどころか余計に疲れてしまいますわ」
「あら、食事と言ってもマリアちゃんの手料理ではないのでしょう? こちらは誠心誠意、私の真心を籠めた持て成しで、太老殿の背中を流して差し上げようと、ただそれだけだと言うのに」
「お母様の場合、それだけですまないでしょう!」
また、俺の目の前で親子喧嘩を始める二人。
原因はどうやら俺にあるらしいのだが、さっぱり理由が分からなかった。
ふと視線を横に逸らすと、通路の影で手招きをしているユキネを発見する。
一先ず二人を放って置いて、ユキネのところに話を聞きに行くことにした。
「何がどうなってるんだ?」
「これ……お二人に、太老から貰った指輪が見つかってしまって」
ユキネの指に填っている一つの指輪。そう、俺がプレゼントした手作りの指輪だった。
事情を察するに、ユキネにだけ贈り物をした結果、それを快く思わなかった彼女達の態度が急変してしまった、と言う事らしい。
まあ、確かに普段世話になっているのはユキネだけではない。彼女達がそのことを考え、不公平に感じても無理のないことだ。
「あの、二人とも……この指輪にはちゃんと意味があって、別に二人を除け者にしようと思った訳じゃないんだ」
「意味? それはどういう意味ですの?」
「そうね。太老殿の口から、その辺りのことを聞きたいわ」
理由が理由だけに、直ぐに同じ物を二人に用意する、と言う訳にはいかない。
なので、正直に事情を説明することにした。
世話になっているお返しに何か変わりの物を贈るにしても、この様子では別の物を贈ったとしても二人は納得しないだろう、と考えたからだ。
「(皇家の樹のために)必要だったんだ。ユキネさんが」
そう、ユキネでなくてはダメだった。現状、皇家の樹と一番親和性が高いのはユキネだ。
あの樹が懐いている以上、ユキネにキーを渡しておくことは、意味のある重要なことだった。
「ユキネが……」
「ユキネちゃんが……」
『……必要』
「うん。そう言う訳で、二人には悪いんだけど、同じ物は直ぐに用意できないから、出来れば別の――」
「納得いきませんわ」
「そうね……その話を聞いて、尚更その指輪が欲しくなったわ」
ちゃんと説明したと言うのに、納得してくれない二人。と言うか、何故か更に状況はまずくなっていた。
何だかよく分からないが、二人の背後に決意に満ちたオーラのような物が見える。
どうやら、さっきの一言で、二人のやる気に火を付けてしまったようだ。
「あの……二人とも?」
「必ず、お兄様の方から指輪をプレゼントしたくなるように、心変わりをさせて見せますわ!」
「覚悟しておいてね、太老殿。私も一度欲しいと心に決めた物は、絶対に手に入れるまで諦めきれないの」
そう俺に笑顔で宣戦布告をして、背中を向けて立ち去って行くマリアとフローラ。
「……何がどうなってんだ?」
一つだけ分かったことは、俺の生活に『平穏』と言う名の安息の日々は、暫く訪れそうにない、と言う事だけだった。
【Side out】
【Side:ワウ】
「それで逃げてきたんだ。太老様も大変だね」
「ごめんよ。急に工房を使わせて欲しい、なんて言って」
「それは全然。寧ろ、こんな設備の充実した工房をタダ同然で使わせてもらって助かってるのは、私だし」
この言葉に嘘はない。この屋敷にある工房は、そこらの軍施設でもなかなかお目に掛かれないほど充実した設備が整っている。
さすがはハヴォニワ随一の大商会。そこの代表の屋敷に備えられている工房と言ったところだ。
しかも、太老様は結界工房出身の私から見ても、とても優秀な技師と言える。いや、太老様だけではない、正木商会の関係者は何れも凄い人達ばかりだった。
シンシアとグレースと言う双子の天才少女や、そして特に凄いと感じたのは太老様の従者の水穂さんだ。
――人工知能搭載型機工人『タチコマ』
基本設計は私の機工人をベースとした物だが、あれの設計を水穂さんが提案して来た時には、その完成度の高さに身震いがした物だ。
太老様と同じく、設計図を見て、ほんの何度か私の機工人を見ただけで、その欠点を見抜き、更には修正点を的確に指摘してくるその眼力は間違いなく超一流の技師の物だった。
しかも、水穂さんが持ってきた『タチコマ』の設計書は、結界工房ですら見たこともない凄い技術の数々が記されていた。
正木商会の最高機密に当たるとのことで『MEMOL』のことなどは固く口止めをされたが、タチコマに使われている基本的な技術だけでも、私の研究数十年分に相当する革新的な物ばかりだった。
あれは機工人をベースにしてはいる物の、全く別のロボットと言っても過言ではない。
私が正木商会、いや太老様の周囲に興味を覚えた要因の一つは間違いなく、そこにあった。
これだけの技術力、恐らくは教会ですら保有していないはずだ。
それを国家ではなく、一個人が作った商会が保有していると言うだけでも、私には十分な驚きだった。
「太老様は、さっきから何をされてるんですか?」
「枝を削って指輪を作ってるんだよ……訳ありでね」
「ああ、さっき言ってた。マリア様とフローラ様の……」
この人も大変だな、とこの点に関しては深く同情する。私も太老様のことを技師として尊敬しているし、聖機師としても憧れを抱いている。
これだけ何でも出来る、理想を絵に描いたような人だ。女性の方が放っておかない、と言うのにも頷ける。
ましてや、あのマリア様とフローラ様のお二人に迫られていると言うのだから、その苦労は相当な物だと言うのは想像に容易い。
シトレイユでの出張を終え、屋敷に戻られてから二週間。毎日のように、お二人の執拗な責めにあわされていたようで、こうしてこっそりと『工房の一角を貸して欲しい』と私の元を尋ねてこられた。
その理由も、あのお二人関係のこと。問題となっている指輪作りだと言うのだから、本当に苦労の絶えない方だと心底思う。
「太老様、折角の機会なんで一つだけお聞きしてもいいですか?」
「ん? まあ、俺に答えられることならいいよ。ワウには何かと世話になってるしね」
本当に世話になっているのは私の方な気もするが、その言葉に甘えさせてもらい、どうしても聞いておきたかったことを尋ねてみることにした。
「太老様って、本当は何者なんですか?」
「何者って?」
「……では、ズバリ聞きます。太老様って、本当は『異世界人』なんじゃありません?」
私が聞きたかったことは、太老様の正体だった。
この大商会の件といい、保有している技術の高さ、そして全く他者を寄せ付けない高い聖機師としての能力。
とてもではないが、ただの高地出身者という話は信じられない。寧ろ、これだけの人物が、これまで何の野心も抱かずに隠れ住んでいた、と言うだけも十分な驚きだった。
高地には色々と訳ありの人々も多く住んでいる。分かりやすく言えば、国の手から逃れてきた聖機師のカップルなども良い例だ。
そうした何らかの事情を抱えた人達が多く住んでいるため、高地は身を隠すには最適な場所という側面も確かにある。
しかし、太老様のような方がいれば、噂になっていても不思議ではない。
なのに、太老様のことを私が知ったのはハヴォニワに出て来てからのこと。しかも興味があって少し調べてみれば、ハヴォニワに現れる以前の足跡が一切掴めない、と言うのにも不自然さを感じずにはいられなかった。
異世界人のことを多少なりともよく知っている私の常識が、そんな事はありえない、と否定しつつも、そうでなくては説明が付かないと感じている部分がある。
「うーん、それに関しては答えをもう少し待ってくれないか? ワウには話してもいいとは思うんだけど、相談したい人もいるし」
「それって、殆どそうだって言ってるようなものじゃ……」
「ここまで色々な物を見せられて、疑問を抱かない方が不思議だし、俺としてはワウには知られても構わないと思ってたから。隠そうとしたところで、気になるでしょ?」
「それはまあ……」
「なら、ある程度秘密を共有しておいて、黙って置いてもらう方が安全かな? って」
太老様の言いたいことは分る。その上で、私にここまで話してくれると言う事は、それなりに信用されているのだと言う事は分かった。
いや、試されているのかも知れない。太老様の言う通り、あれだけの技術を私に明かして見せたのだ。
既に正木商会の『機密』と呼べる部分にまで、私は足を踏み込んでいる。今更、無関係を装うには不可能なほどに。
ハヴォニワにも正木商会にも所属している訳ではないが、これだけの秘密を知ってしまった後では、すんなりと解放はしてもらえないだろう。
そのことが分かっているからこそ、太老様は私を試しているのだと、そう考えた。
「では、一つだけ聞かせてください。太老様は、この世界で何をしたいのですか?」
「んー、別に大層な願いがある訳じゃないしな。平穏な日々が送れれば、それ以上は何も望まないよ」
何でもないと言った様子で、そういう太老様の返事を聞いて、私は正木商会のスローガンを思い出した。
――より住みよい世界に
表向きは平和に見えても、この争いの絶えない世界で平穏な日常を送りたいなど、それこそただの理想でしかない。
誰もが望み、一度は夢見ることだが、現実にはそんな事は不可能に等しい。
だが、太老様ほどの方が、そのようなことを分かっていないとは思えない。
だとすればやはり、この商会を作ったのも、ハヴォニワに協力しているのも、全てはその理想を現実にするための布石。
私は、太老様の考えの深さ、思いの強さを、今一度思い知らされた。
「分かりました。太老様が打ち明けてくれるその時まで、先程の話は私の胸の中に仕舞っておきます」
それが、どうしようもない、ただの個人の野心のためならば、私は協力するつもりなどなかった。
しかし、私はその夢のような話が、太老様ならば可能かも知れない、本気でそう考え始めていた。
見てみたい――そう思ったのかも知れない。
――平和を願う、この世界に生きる一人の人間として
――血と争い無くして語ることの出来ない、この世界の歴史を知る一人の技師として
太老様の作る未来、その世界を――
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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