九羅密美星――『偶然の天才』と称される彼女の才能は、破壊や混乱といった矮小なる確率を引き寄せ、偶然≠ノよる最良の結果を導き出すという実に希有なものだ。
山田西南の『不幸』もまた同様。確率の天才と呼ばれる確率に偏りを持つ天才達を予測・回避する事は不可能。
それは伝説の哲学士『白眉鷲羽』とて例外ではなかった。
「うぅ……鷲羽さんに出張をお願いして直してもらえないかしら?」
いつものシャトルならまだしも母船が水没し、美星はほとほと困り果てていた。
それに背中に暗い影を落とし元気が無いのは、吟鍛に捕まって先程まで美兎跳と一緒にこってりと絞られていたからだ。
美兎跳の失踪騒ぎは今に始まった事ではないが、今回の美星は宇宙船を落下させ、公的な場で樹雷皇を溺れさせるといった多大な迷惑を掛けた事になる。幾ら樹雷皇がその事を許したとしても、立場上、何もお咎め無しと言う訳にはいかない。
吟鍛と美守の二人が相談をして決めた結果、美星の宇宙船の修理費と壊した会場の修繕費は美星と、その美星に特別製の宇宙船を買い与えた美瀾≠フ二人が責任を持って支払う事を約束させられ――
『な、何故! 儂がそんな物を払わねばならんのだ!?』
『良い機会です。いつもいつも美星を甘やかして非合法な代物ばかり与えて、その結果がこれですからね』
『いや、しかしだな。姉さん。それは美星の事を思えばこそで』
『私に意見すると? 随分と偉くなった物ですね』
美守にそう言われては美瀾もそれ以上は何も言えなかった。
事実、美星の所有する宇宙船や装備品の数々はGPの支給品ではなく、孫バカの美瀾がこっそり美星に買い与えたものばかりだ。
少なくとも被害が大きくなる一因を担っているのは、そうした美瀾の孫バカが原因とも言えなくはなかった。
だが美瀾は一つだけ大切な事を失念していた。よく考えれば分かる事だったのだが、美星には海賊艦の囮を果たした事で報奨金の一部が支払われる事になっている。樹雷軍、西南、それに美星の三人で割った一部とは言っても、二千からなる海賊艦の報奨金だ。それは海賊討伐と言うよりは、戦争と言っても過言ではない規模の戦闘による結果。通常では考えられないような報奨額だった。
例え、宇宙船の修理費と会場の修繕費を美星が一人で出したとしても、それは問題なく全額払ってもお釣りが来るほどの額だ。
この場合、大損をしたのは美瀾だけという事になる。何事も因果応報。現在、幾ら真面目にコツコツと働いていようと過去に犯した過ちまでは無かった事にはならない。巡りに巡ってやってきた不運と考えれば、まさに孫バカが招いた自業自得と言えなくはなかった。
後でその事に気付き、美瀾が枕を涙で塗らす事になるのはまた別の話だ。
「あれは! 太老さん!?」
林檎と桜花と一緒に居る太老を見つけ、美星の表情に晴れやかな笑顔が戻る。
吟鍛に怒られた後だというのもあるが、遠く離れた異国の星で家族のように慕っていた少年の姿を見つけたのだ。
嬉しさと懐かしさが同時にやってきたようなウキウキとした感情が湧き起こり、美星の胸は勢いよく弾みを見せていた。
「太老さぁぁ〜ん!」
再会の喜びが待ちきれず、両手を大きく左右に振りながら太老の元へと走っていく美星。
しかし彼女が大抵こういう行動に出た時は、思い掛けぬアクシデントが起こるものだ。
確率の天才。『偶然』の名は伊達や酔狂ではない。
「あらぁ?」
何もないところで、本来転ぶはずの無い場所で転倒する美星。しかしそれこそが破壊と混乱を招く事象の起点≠セった。
偶然――その一点に置いて、彼女は『フラグメイカー』や『ローレライ』をも上回っていた。
異世界の伝道師/鬼の寵児編 第61話『鬼の財団』
作者 193
【Side:太老】
「太老様。どうかされましたか?」
「いや、何か誰かに呼ばれたような……気の所為か?」
聞き覚えのある声に呼ばれた気がしたのだが、周囲を見渡してもそれらしい人物は居ない。
やはり空耳か何かだろう、と考え思考を切り替える事にした。いよいよ設立式の開幕だ。
船穂がステージに姿を見せると歓声に沸き立つ会場。それだけで船穂の人気がどれほど高いかが窺える。
「林檎さんはステージに上がらなくてもよかったの?」
「はい、私は裏方が担当ですから。あくまで財団の顔は船穂様でないと」
「なるほど……」
情報部、経理部、それに瀬戸の女官達は全員、表舞台に顔を出す事は無い。裏方に徹する仕事だ。
損な役回りと言えばそれまでだが、その事に感謝している人達は大勢居るし、ステージに立っている船穂自身が一番その事を分かっているはずだ。
誰にでも、その人にしか出来ない役割と言うものがある。
船穂にしか出来ない事。林檎や水穂、女官達にしか出来ない事。そして鬼姫や、俺にしか出来ない事。
どれが欠けても組織は機能しないし、イベント一つとっても上手くは行かない。何事も適材適所という奴だった。
「お兄ちゃん」
「ん? どうした?」
「……船穂と龍皇の姿が見えないんだけど」
「え?」
そう言えば居なくなっていた。あれ? いつから居なかったんだっけ?
あの二匹の定位置の肩には桜花の小さな太股があるし、てっきり桜花に乗り移ったとばかりに思っていたのだが姿が見えない。
周囲を見渡してみるが、生憎とこの人の多さだ。この中からあんな小さな生物を二匹捜し出すなんて、さすがに無理があった。
「どこを彷徨いてるんだ? あいつら……」
「捜しに行く?」
「いや、取り敢えず式典が終わるまでは待とう」
仮にもあの二匹は魎皇鬼と同じ生体コンピューターだ。
福や魎皇鬼といった迷子になる生体コンピューターも確かに居るが、ここは天樹。あの二匹にとっては家のようなものだ。正直、迷子になるとは考え難い。
それにいざとなれば水鏡に捜して貰うという方法もある。
ここで待っていれば帰ってくるかも知れないし、それならば式典が終わり人が少なくなってから捜した方が安全だと考えた。
「太老様。よろしいのですか? 女官達に捜させますが?」
「いや、気を遣わないで。大騒ぎするほどの事でもないし」
林檎も心配してくれるが、こうしてフッと居なくなるのは今に始まった事ではない。
大方、そこらで珍しい物でも見つけて二匹で遊んでいるのだろう。
「――ような経緯があり、この財団は設立される事になりました」
壇上では財団の説明と挨拶が行われていた。
船穂の演説は初めて聴くが、長すぎず短すぎず簡潔に分かりやすくスッと耳に入ってくる実に上手いものだ。
第一皇妃という肩書き上こうした席に出席する事も多いのだろうし、人前で演説するのにも慣れている様子だった。
普段は余り気付かないが、こういうところを見ると皇妃様なんだな、と感心する。
船穂の話が終わると女官達がステージの上にズラッと現れ、一枚の大型スクリーンと腰ほどの高さの長方形の端末が船穂の前に現れた。
あそこにデータを入力し、最後に船穂の生体認証を済ませる事で連盟の承認を得て、財団の設立が決定すると言う訳だ。
そこで俺が苦労して考えた財団の名称≠熹ュ表されるという段取りだった。
「いよいよですね……」
時が止まったかのような物音一つない静寂が訪れる。
感慨深そうな様子で、林檎がその瞬間を見守っていた。それは会場に居る人達も同じだ。
女官から受け取ったデータチップを端末に差し込む船穂。
そしてスッと息を吸い込み一呼吸間を置くと、次の瞬間――手の平を端末上部にある認証パネルへと押しつけた。
【Side out】
「うぅ……太老さんを見失ってしまいました」
転倒した美星は、その間に人垣の中に姿を消した太老達を見失い、先程よりも大きく肩を落としていた。
ようやく会えると思っていた太老を完全に見失ってしまったのだ。その落胆は大きい。
しかし――
「でも、船穂ちゃんと龍皇ちゃんが一緒なら大丈夫ですねー」
転んだ美星を心配してか? 擦り寄ってきた船穂と龍皇を発見したのは遂、先程の事。
太老には会えなかったものの、ここで知り合い(?)に会えたのは美星にとって幸運だった。
コンピューター端末である二人に案内を頼めば、太老と直ぐにでも再会出来ると考えた美星は二匹に頭を下げて案内を頼む。
だが、それこそが女神すら予測の出来ない混乱≠招く前兆だったのだ。
「ここに太老さんが居るんですか〜? でも真っ暗で何も見えませんよ〜?」
会場脇。湖の畔にある四角いカタチの大きな建物。そこには会場にエネルギーを供給している設備の全てが集約されていた。
当然ではあるが入り口には警備員も居るし、不測の事態に備え女官達も目を光らせている。
セキュリティだって並ではない。樹雷の鬼姫の女官達、それも林檎が先頭に立ち構築した警備システムだ。どれだけ優秀なスパイであろうと侵入する事など出来るはずもない。
しかし、ここにはそうした不可能を可能とする人物が居た。
――白眉鷲羽の研究所を自由自在に動き回り、ただの『偶然』の一言で鷲羽の居る最深部の工房にまで辿り着く幸運
――柾木アイリの工房自慢の空間結界をものともせず、元凶へといとも容易く辿り着く幸運
侵入に関しては銀河中のテロリスト、スパイを遥かに超越する九羅密家の確率の天才――九羅密美星。
しかも、ここは天樹。第一世代の皇家の樹である『船穂』と、第二世代の皇家の樹である『龍皇』に行けない入れない場所など存在しない。
こうした条件が揃ったのは、美星の偶然≠ノよるものか、はたまた太老のフラグ≠ノよる影響か?
何れにせよ、林檎や水穂、それに女官達。あの鬼姫でさえ、誰も予想もしなかった事態が起こっていた。
「あらあら、こんなところにスイッチが。これかしら? いえ、こっち?」
明かりを求めて近くにあるスイッチを手当たり次第に押していく美星。バチバチと何だか嫌な音を上げ、ピカピカと光る機械にも気付かず、美星の行動は止まらない。彼女の行動を止められる者は、そこに誰一人としていなかった。
船穂と龍皇は遊んで貰っているとでも勘違いしたのだろう。
チカチカと光を放つ機械の周りを飛び跳ね、キラキラと身体から光を放ち喜びを身体全体で表現していた。
そして、その船穂と龍皇の身体から伸びた光の先に、この施設で使用されている管制用端末があった。
機械の上部に備え付けられたメインモニター。そこに青い三文字が浮かび上がっていた事に気付く者は誰も居なかった。
【Side:船穂】
パネルに手を触れた瞬間――突然会場の一角から凄まじい爆発音が響いた。
「何の騒ぎです!?」
「何者かにエネルギー施設が破壊されたようです! 現在、補助電源に切り替わっていますが――」
女官達も状況を掴めていない様子だった。連絡を取り合い、近くにいた女官達を原因の特定に走らせているようだ。
それに呼応するかのように会場の至る所に空間モニターが出現し、状況は益々混乱を来す。
宙を飛び交うモニターの群れ。これを見れば、システムの一部にエラーが生じているのは明白だった。
しかも――
「……ZZZ?」
青いZZZ。先日のアカデミーの一件で報告書に書かれていたもう一つの撃滅信号≠セ。
何でそんな物がここに――しかもこの騒ぎは一体?
「え? 俺じゃないですよ?」
その場に居た関係者全員の視線が太老殿に集まった。しかし、それを全面否定する太老殿。まあ、それは当然だろう。
彼はずっとこの場に居たしアリバイもある。それに財団の設立を願ったのは彼だ。動機がない。
「船穂様、大変です! 財団名が登録されちゃってます!」
「登録されてる? では、無事に済んだのですね」
アクシデントがあったとはいえ、取り敢えず無事に登録が済んだのであれば不幸中の幸いだ。
順調な滑り出しとは言えないが、これで何とか財団としてのスタートを切れるのだから――
「違うんです! 名称が『ZZZ』で登録されちゃってるんですよ!」
『…………は?』
女官の一言に場が凍り付いた。
次の瞬間――全員が『信じられない』といった言葉を口にした。
太老殿がそんな名前を自分から態々つけるとは思えない。第一、最終確認は林檎殿がしたはずだ。
「いえ、太老様が考えられたのは別の名称で……まさか、そんな『ZZZ』だなんて」
林檎殿の横でコクコクと首を縦に振る太老殿。疑っている訳ではないが、林檎殿が言うのであれば確かなのだろう。
なら、一体この騒ぎは――
「それよりも会場の混乱を鎮める方が先じゃない?」
桜花ちゃんの一言で、全員がステージから会場の方へと視線を移す。
「ZZZ! 樹雷の鬼姫の撃滅信号だ!」
「逃げろ! 巻き添えを食うぞ!」
「いやああぁぁ! まだ死にたくない!」
まさに阿鼻叫喚の地獄絵図。
錯乱し逃げ惑う人々の群れで、会場は嘗て無いほどの混乱に陥っていた。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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