【Side:斗詩】
「はあ……」
シ水関は攻略できたものの、袁紹軍が受けた被害を考えると思わずため息が溢れる。あそこで麗羽様が号令を掛けなければ、こんな事にはならなかったのかもしれないけど、今更その事を悔やんでも遅い。とにかく死人が出なかっただけでも幸いだった。
そうなるように相手に手加減をされたと考える方が自然かもしれないけど、例えそうだとしても犠牲者が出なかった事が一番嬉しかった。
「でも、このまま戦いに出るのはやっぱり厳しいか……」
袁紹軍全体の三割に相当する人達が怪我を負っていて直ぐには動く事が出来ない状態だ。
これは死人こそ出ていないものの事実上の全滅と言っても間違いではない。
残りの兵達も軽傷とはいえ今回の件で士気は最低、疲労も限界に達しているため、このまま休み無しで戦闘を続けるのは困難な状況だった。
だからと言って連合を脱退し、私達だけ冀州に尻尾を巻いて逃げ帰るなんて真似が出来るはずもない。
「やっぱり……麗羽様にはちゃんと言わないとダメだよね」
今回は死人が出なくてよかったが、次もそうだとは限らない。事実、黄巾党との戦いの時は多くの犠牲者が出た。
それに死人こそ出てないものの、今回だって怪我人は大勢でている。その原因を作ったのは麗羽様だ。
私や文ちゃんにも止められなかった責任はある。それでも、まずは麗羽様を諫めるのが先決だと考えていた。
「どういう事ですの! あなたが言った通りにしたら、この有様ですのよ!?」
「あら? ちゃんと役には立ったじゃない。そちらが身体を張って罠を解除してくれたお陰で、こちらは短時間でシ水関まで抜ける事が出来たのだし、そこは感謝しているわよ?」
諸侯が集まって行われている軍議の席では、麗羽様と曹操さんが口論を始めていた。
正確には口論と言うより、麗羽様が曹操さんに一方的に言いたい事をぶつけているように見える。
これからの事を相談するために設けた軍議の席だと言うのに、これでは前と同じだ。
軍議に集まった諸侯の顔にも、『またか』と言った様子で呆れた表情が浮かんでいた。
「よくも、ぬけぬけとそのような……」
「私に怒りを向けるのは筋違いじゃない? 号令をだしたのはあなたの責任でしょ? 麗羽」
こうなる事が曹操さんはあらかじめ分かっていたのだろう。
今回、麗羽様が号令を掛けられたのも、曹操さんが『切り札の出番かもしれないわね』と言ったところから始まった。
罠が仕掛けられていたところまで予想していたかは分からないけど、少なくとも私達をけしかけたのは曹操さんだ。
幾ら麗羽様が馬鹿でも、これだけ目に見える被害を受けた後では自分が嵌められたと気付かないはずがない。
(曹操さんが麗羽様を褒める訳ないと思っていたけど……)
正木商会と同様に、私達の行った政策による嫌がらせを受けていたのは曹操さんも同じだ。
その事からも、これまでの件に対する意趣返しのつもりだったのかもしれないと考えた。
事実、あの件に関しては言い訳も出来ない。どのように言葉を取り繕ったところで、曹操さんの怒りを鎮められるとは思っていなかった。
「この責任はあなたに取ってもらいますからね!」
「それは、今度は私達に先陣を取れ、と言っているのかしら?」
「その通りですわ! 出来ないとは言いませんわよね?」
そう言って曹操さんを挑発する麗羽様。しかし曹操さんは少し思案した様子を見せるも――
「いいでしょう。次は私達が先陣を引き受けるわ。あなたは後で、ゆっくりと見物でもしてなさい」
自信に満ち溢れた表情で、麗羽様にそう返事をした。
異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第66話『噂の北郷隊』
作者 193
「きぃぃぃっ! なんですの! あのクルクル頭は!」
「落ち着いてください、麗羽様。それにクルクルだったら麗羽様も一緒じゃないですか」
「私の高貴で華麗な髪型と、華琳さんの下品なクルクル頭を一緒にされては困りますわ!」
文ちゃんの『どちらも一緒』発言に更に機嫌を悪くする麗羽様。今日は特に荒れていた。
無理もない。シ水関の一件に加え、先程の軍議のやり取りも、誰の目から見ても曹操さんの圧勝だった。
曹操さんと麗羽様は、同じ私塾に通っていた幼馴染みだ。好敵手と言っては曹操さんが嫌がるかもしれないけど、少なくとも麗羽様は曹操さんにそれに近い感情を抱いていた。だからこそ、今回のように曹操さんに嵌められたという事実が、麗羽様の自尊心を深く傷つける結果へと繋がっていた。
とはいえ、今回の件に関しては私の目から見ても自業自得だ。
「そう言えば、あっちの奴はいいんですか?」
「あっち?」
「ほら、北郷両刀とか言う」
「ほんごーりょうとう?」
文ちゃんの言葉の意味が分からないと言った様子で首を傾げる麗羽様。
本当に分かっていないようなので、文ちゃんの言葉を私は補足した。
ちなみに両刀ではなく一刀だ。北郷一刀。連合で、この名前を知らない人はきっと居ないはずだ。
「麗羽様、シ水関を攻略した指揮官の名前ですよ」
「ああ、あの偶々運良く一番乗りを挙げたという冴えない男の事ですか。そんな男の事なんてどうでもいいですわ。それよりも、問題は華琳さんです!」
偶々運良くシ水関に一番乗り出来るはずもないのだが、麗羽様の頭の中は曹操さんへの怒りで一杯になっていてそれどころでは無い様子だ。
義勇軍の部隊長。『両刀』の二つ名で呼ばれている北郷一刀。たった千人でシ水関を攻略したと言う話は、瞬く間に噂となって広がった。
黄巾党本隊との戦いを知っている者であれば、真っ先にあの時の事が頭を過ぎるはずだ。
天の御遣い率いる精鋭部隊が、黄巾党本隊の拠点を襲撃し壊滅寸前にまで追い込んだというのは有名な話。だからこそ、その時の事と今回の一件を重ね合わせて考えている人達も少なく無い。今回の件ではっきりとしたのは、天の御遣いが不在であっても彼等が凄い事に変わりはないと言う事だ。
しかしそれよりも問題は指揮官の方だ。これほどの人物が、今の今まで名も顔も知られずに隠れていたというのが不思議なくらいだった。
それほどに商会の層が厚いと言うべきか、それとも他に何か理由が――
「斗詩、また考え事か?」
「文ちゃん?」
「なんか最近、難しい顔ばっかしてるからさ……」
大丈夫だよ、と動揺を隠すように両手を左右に振りながら、心配してくれる文ちゃんに私は答えた。
文ちゃんの言うように、最近はこうして考え事に耽る時間が多くなっていた。
正直な話、今のままで良いとは私も思ってはいない。だけど、そのためには麗羽様をどうにかして説得する必要があった。
実のところ、それが一番の難題であり悩みの種となっていた。
「あの……麗羽様」
「……なんですの?」
その刺々しい態度からも、麗羽様の機嫌が物凄く悪いのは私にも伝わってきていた。
触らぬ神に祟りなしと言った様子で、文ちゃんも今日は余り麗羽様に声を掛けようとしない。
(うう……。折角、気合い入れてきたけど……)
今の麗羽様に何を言っても耳すら貸して貰えないだろう。今日も駄目そうだと、私は肩を落とした。
【Side out】
【Side:華琳】
北郷一刀と言う名は、私も初めて耳にする名だった。
商会の有力な人材の名前はある程度把握していたつもりだけど、まさかシ水関を単独で落とすような指揮官の名前を知らなかったなんて信じられない。
それほどの人物が今の今まで頭角を現す事無く埋もれていたなどと、正直信じ難い話だった。
「華琳様が気にされるほどの男とは思えませんが……」
「なら、桂花。あなたはただの男が、たった千人の部隊でシ水関の敵を全て追い払ったとでも言うの?」
「それは……」
私の質問に答えられず、言葉を詰まらせる桂花。そう、ただの男にそのような芸当が出来るはずも無い。
しかも話に聞けば、その隊は義勇軍の中でも特に癖の強い兵士達で構成された特別な部隊だったと言う。
あの凪達ですら手を焼いていたという兵士達を統率し、誰も予想しなかった戦果を挙げた人物がただの男≠ネどと信じられるはずもなかった。
「桂花、あなたならその兵士達を指揮してシ水関を落とす事は可能かしら?」
「無理です……。少なくとも、私にはそんな真似は出来ません。まともな軍師なら、絶対に考えもしない方法だと思います」
「だとすると、太老と同じでカタチに嵌らない男という事ね」
「華琳様……? まさか……」
桂花だけではない。そんな真似は私にも不可能だ。いや、恐らくは太老以外の誰にも真似は出来ない。
だからこそ、北郷一刀が太老と同じ世界の出身である可能性を、私は可能性の一つとして考えていた。
今回の一件も、そう考えれば納得の行く話ではあったからだ。
扱い難いと言われている兵士達を指揮し、少なくとも私がよく知る太老であれば同じようにやったかもしれない戦法を、北郷一刀は難なくこなしてみせた。
(もしそうだとしたら、あの諸葛孔明や鳳士元が気付いていないはずがない)
癖のある部隊と分かっていて預けた以上、彼なら上手くやれるという何らかの根拠があったと言う事に他ならない。
その事からも何か事情があって、意図的に情報を隠していたと考えるのが自然だ。
「二人を呼び出して、問い質しますか?」
「いえ、今は止めておきましょう……。それに商会と私達の立場はあくまで対等が原則よ」
「ですが……」
桂花の言いたい事も分かるが、ここで義勇軍と事を構えたくはなかった。
隠している以上、そこには何か事情があると考えるのが自然だ。
そこまでして隠したがっている情報を無理に聞き出そうとしたところで、素直に答えて貰えるは思えない。
少なくともこの遠征が終わるまでは、劉備と事を構えるつもりはなかった。
「でも、探りは入れておく必要があるわね。北郷隊に監視をつけて置いて。何か動きがあれば、私に報告を」
「御意」
今はこれでいい。まずは目の前の虎牢関を攻略するのが先決だ。
(問題は、太老が何を企んでいるかね……)
シ水関の様子からも、今回の一件に何らかのカタチで太老が関わっている事だけは確かだった。
【Side out】
【Side:一刀】
「はあ……」
今日も朝から、気分は青一色だった。それと言うのも朝から会う人会う人に『両刀』の二つ名で呼ばれていたからだ。
たった一日で、連合軍で俺の事を知らない人は居ないところまで、噂は広まってしまっていた。
しかもだ。ちゃんと名前が伝わっているのならいいんだが、『北郷両刀』と言ったように名前と一緒くたに覚えている人が多くて、いつの間にか『北郷』や『一刀』ではなく『両刀』の方が呼び名に定着していた。
「今日も空は青いな……」
空は青かった。まるで、今の俺の心境を色でイメージしているかのようだ。
これで落ち込まない方がどうかしている。どこの世の中に、『両刀』と呼ばれて喜ぶ一般男子が居るのか? 俺は至ってノーマルだ。
確かにシ水関を攻略するといった多大な戦果を上げる事は出来たが、それと同時に俺は人としての尊厳を大きく傷つけられてしまった。
はっきり言っておこう。『一刀』あらため『両刀』なんて名前は死んでも嫌だ。まだそれなら二つ名の方がマシだ。
「隊長も往生際が悪いよな」
「ああ、素直に受け入れた方が楽になれるだろうに」
「お前達が言うな!」
噂を作った原因もコイツ等なら、噂の出所もコイツ等だったりするので質が悪かった。
普通、隊長を売るか? 全然、忠誠心と言うものが感じられない。絶対服従とまでは言わないが、もうちょっと隊長を敬って欲しい。
ああ、なんか……本当に義勇軍に志願してよかったのかどうか分からなくなってきた。
これだけ功績を上げれば報奨金もたっぷりと貰えるだろうし、薬代には十分に届くはずだ。当初の目的は達成した。
そこはよかったのだが、やはり腑に落ちない。何故、俺だけがこんな扱いを受けなくてはいけないのか……。
「そもそも、俺がこの隊で一番まともなのにな……」
『え?』
「なんで、そんな時だけ息がピッタリあってるんだよ!」
俺が一番まとも、と言う部分に反応して一斉に驚きの声を上げ、目を丸くする兵士達。全く失礼な話だ。
まあ確かにそう勘違いされても仕方の無い部分は幾つか俺にもあったとは思う。
主に貂蝉とか、貂蝉とか、貂蝉とか……。しかし、断じてそんな事は無い。俺は変態ではなくノーマルだ。
「いいか、ここではっきり言って置くぞ! 俺は普通に女の子が好きなんだ!」
これ以上、変な噂を広められでもしたら堪ったモノじゃない。コイツ等にはちゃんと言って置かないとダメだと思った。
「それじゃあ、隊長の好みを聞かせてくださいよ」
「そうだよな。それを教えてもらわないと」
「やっぱり、巨乳派ですか?」
「いや、貧乳派ですよね?」
そう聞いてくる兵士達を見て、俺はフッと鼻で笑った。情けない。本当に情けない連中だ。
「貧乳派だ、巨乳派だ、と言い争っているようではまだまだ≠セな」
「それじゃあ、隊長は……」
「勿論、おっぱいは好きだ。巨乳も貧乳もちっぱいも、みんな大好きに決まっているだろう!」
『おおっ!』
兵士達の間に驚きの声が上がる。
「やっぱり、この人は只者じゃねえ……」
「ああ……。それじゃあ、やっぱり尻も……」
「好きだ」
迷いなく答えたぜ、即答だ、などという兵士達の声が聞こえて来る。当然だ。俺はおっぱいだけではなく尻も大好きだ。それは男なら当然と言える。そもそもだ。そうした議論こそがおかしい。貧乳には貧乳の良さが、巨乳には巨乳の良さがある。それが分からないようではまだまだ未熟。好みを否定するつもりはないが、あれはよくてこれはダメだというのは些か狭量な話だ。
しかし、これで分かってもらえたはずだ。俺が本当はノーマルだって事が――
普通に女の子が好きなだけだし、俺には特別なフェチはない。それこそが変態ではない何よりの証拠だと言える。
「さあ、これで分かっただろう? 俺が普通だって事が!」
『え?』
疑問符を頭に浮かべ、またも首を傾げる兵士達。どう言う訳か、俺の言葉は伝わっていなかった。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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