【Side:詠】
ここ洛陽は河南省西部に位置し、東に難攻不落で知られる虎牢関、そして西に函谷関を構える漢王朝の王都だ。
そして黄河の中流に位置し、支流の一つ『洛河』との分岐点にもなっているため、非常に水上交通の便が良い事でも知られていた。
「まさか、こんなにも早く到着するなんて……」
その水上経由でここより遥か西、北に渤海、東に黄海と隣接する青州からやってきた一隻の船があった。そう、正木商会の船だ。
特殊なカラクリが施された今までに見た事の無いカタチの船。スクリューと言う物を搭載していて、風が無くてもかなりの速さで水の上を進むというその船は、太老が商会に使いをだしてから僅か一ヶ月余りで到着するという常識外れの速さで、ここ洛陽にやってきた。
こんな船を作ってしまう技術力の高さは言うまでも無く、商会で働く人材の質の高さにも正直驚かされた。
「船が着いたって? 思ったより早かったな。さすがは稟と風、仕事が早い」
「ボクも驚いた……。アンタのところの人材は、皆そんなのなの?」
「あの二人は特別凄いと思うけど……有能な人材なら確かに多いよ」
太老の話す二人が凄いというのはこれを見れば、なんとなくだけど察する事が出来る。
連絡を受けてから行動に移すまでの速さを考えると、最初から準備をして待っていたとしか思えない手際の良さだ。
その対応の早さも然る事ながら、だからと言って手を抜いた様子もなく、こちらが予想していた以上の期待に応えてくれていた。
「ところで賈駆ちゃん。俺宛の荷物も一緒に届いてない?」
「詠でいいわよ。月も真名を預けてるんだし……」
悔しいけど、こいつの助けがなかったら月を助けられなかった。その事には心から感謝していた。
この都の事や、そして今からボク達がやろうとしている事もそうだ。太老がいなかったら、ボク達だけでは絶対にここまでの事は出来なかった。
正木太老。黄巾党との戦いでその名を一気に大陸中に知られる事となった天の御遣い。その凄さを一人の軍師としてボクは間近で見て痛感していた。
(月を守るには力が必要なんだ。だったら、ボクは……)
あの天下無双とまで呼ばれる豪傑呂奉先≠ノ、ただ一言『強い』と言わせるほどの実力。
類い希ない商才と軍師顔負けの頭の回転の良さ。そして天の知識に支えられた高い技術力と幅広い知識。
当初の計画と大きく違ってしまったのは、ボクが太老の力を読み間違えていたからだ。
話に聞いていた通り、本当に世界の在り方を変えてしまいかねない。全てに置いて噂に違わぬ、いや噂以上の人物だった。
「じゃあ、詠ちゃんで」
「ちゃんは……もう、いいわ。好きに呼んで頂戴」
悪意の欠片も無い顔で言われると、変な事で意地を張っている自分の方が嫌になる。
太老の事は認めてはいるし感謝しているけど、月の気持ちを考えると素直になれないでいた。
多分、ボクは太老に嫉妬しているのだ。己が実力を過信したが故に、張譲の罠に嵌って月を人質に捕らえられたのはボクの責任だ。
更にはその失敗を、本来ならボク達とは縁もゆかりもない赤の他人に助けてもらって、不満など言えるはずも無い。
真名を預けるくらいボク達が受けた恩に比べれば、大した問題では無かった。
「ほら、これでしょ?」
「おおっ、やっぱり届いてたか。さすがは稟と風だな」
月が献身的に好意を寄せている相手が、目の前のこの男だと思うと沸々と嫌な感情が沸き上がってくる。
しかも、皇帝陛下に求婚されている上に、他にも張三姉妹や大勢の女性を虜にしているという噂がある男だ。
そんな男に月が、と思うと怒りを通り超して殺意まで込み上げてくるようだった。
とはいえ、助けて貰ったのは事実。しかも月の恩人であり、好意を寄せている相手だ。月の悲しむような顔だけは見たくない。
理性では分かっているのに、感情の上では納得していない。何とも言えない感情のせめぎ合いが、ボクの中で起こっていた。
「ところで、その大きな箱はなんなの?」
「ん? ああ、ちょっとね。後で分かるさ」
そう言って、身体の数倍はあろうかという鉄の箱を軽々と担ぎ上げ、元来た道を帰って行く太老。
箱の中身も気になるが、一番の驚きはその怪力の方だった。
【Side out】
異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第67話『ヒーローの出番』
作者 193
【Side:太老】
皇宮の角にある倉を改造して作った工房に港で受け取った荷物を運び込んだ俺は、早速中身の確認を行っていた。
「太老様。商会から届いた物資と機材の中に用途不明な物が――何をされてるんですか?」
「あ、人和。いや、頼んで置いた物が届いてね。その確認をしてたんだよ」
「……この謎の荷物って、もしかして太老様が頼まれた?」
「あれ? 言ってなかったっけ?」
「聞いてません……」
眉間にしわを寄せて呆れた様子で答える人和。そう言われてみると手紙には書いたが、人和達には言ってなかったような気がする。
ああ、それで詠がこの荷物を見て不思議そうな顔をしていたのか、と納得した。
「随分と大きな荷物ですね? もしかして技術開発局の物ですか?」
「うん。まだ試作段階の物なんだけどね。イベントまでに完成させてしまおうと思って」
「いべんと?」
「連合軍が洛陽に到着するまでにかな?」
俺が商会に手紙で書いて送らせたのは、打ち上げ花火の装置だった。祭と言えば、これは外せない。
玉は技術開発局に籍を置く職人のお手製。打ち上げ用の装置は、俺と真桜が共同開発した物だ。
実はこれ、夏侯惇大将軍の換装ユニットにもなっていて、肩や腕に装着する仕様にもなっていた。
最初は夏侯惇大将軍の武装にと真桜が開発していた物を、俺が花火の打ち上げ装置に改造したのだ。
(ロボットを愛する気持ちは分かるけど、夏侯惇大将軍≠ヘ必要ないしな)
真桜には悪いが、個人的な趣味だけに商会の予算を使わせる訳にはいかない。
用途の分からない使い込みは後で稟に酷く怒られる原因になるし、そこまでは俺も庇いきれない。
俺も結構趣味に金を遣っていたりするが、俺の趣味用途の開発予算とかは自分で稼いだ金から捻出しているものだ。
誰にも文句を言われる筋合いはない。多分、他人には迷惑を掛けていないはずだ。
で、その個人的予算獲得のためにと技術開発局が始めたのが、街の動力炉の余剰エネルギーを利用して沸かした銭湯と言う訳だった。
勿論、銭湯だけの売り上げが収益と成っている訳ではない。あの銭湯は周囲の目を誤魔化すためのカモフラージュだ。
実際には商人や道楽家相手のオークションが、あの銭湯の地下では連日のように開催されていた。
当然、局長を務めている俺にはバレバレだし、あの稟や風にバレていないはずもない。ただ見て見ぬ振りをされているだけだ。
危ない物は競りに掛けられないようにこちらでチェックを入れているし、後々問題とならないように細心の注意は払っている。
それに、基本的に科学者と呼ばれる連中は趣味人≠ナあると俺は思っている。
ここで下手に禁止をして、彼等のストレスを溜めるのは得策ではない。研究を取り上げられたマッドほど危険な物は無いと考えるからだ。
だからこそ、個人的な趣味目的で商会の予算に手をつけられるよりは、そうしてストレスの捌け口を用意してやった方が無難だと判断しての事だった。
この打ち上げ花火の装置もそうした中で生まれた物だ。
例え最初は趣味であっても、その結果、人の役に立つモノや喜ばせられる物が出来るのであれば、それに越した事はない。
(まあ、科学なんて物は実用性が認められてこそ世に認知されていく訳だが、その過程は究極の趣味と言える物だしな)
あの伝説の哲学士『白眉鷲羽』だって、何も世のため人のために研究をしていた訳ではない。
自分の作りたい物、やりたい事をやっている内にいつの間にかそう呼ばれるようになっていた、と言うだけの話だ。
勿論、そうした崇高な目的を持った人がいないとは言わないが、『好きこそ物の上手なれ』という言葉があるように凄い発想と言う物は、そう言ったところから生まれる可能性が高いという事を俺は言いたいだけだ。
実際、その例とも言うべき物を間近で俺は見て、嫌と言うほど体験していた。だからこそ、マッドの扱い方がよく分かる訳だが……本当、嫌な教訓だ。
「打ち上げ花火ですか?」
「あ、そうか『花火』を知らないのか。火薬を詰めた玉を空に打ち上げるんだけど」
「商会にある『大砲』のような物ですか?」
「あれとは違って、こっちは観賞用だけどね」
「観賞用……ですか?」
よく分からないと言った様子で首を傾げる人和に、当日になれば分かるよ、とだけ俺は答えた。
花火を知らない人に説明したところで、こればかりは実際に見てみないと理解してもらうのは難しい。
火薬はこの世界にも確かにあるのだが、それはあくまで戦場で用いる事を前提とした物だ。ロケット花火に似た爆弾を敵陣に撃ち込んだりして、発火させると言った使い方が主だった。
後は現代でよく知られている爆竹のような物が大半で、商会の所有している『大砲』なんて物は、まずこの世界の技術力では再現が不可能な物の一つだ。攻城戦などで用いられる大型の遠距離武器となると、『弩』や『投石機』などが大半だ。
「あ、それと太老様。華蝶戦隊の事なのですが……」
「ああ、上手くやってくれてる?」
「成果自体は確かに上がっていますが、被害報告の方が……」
随分と派手に立ち回っているらしく、家屋などに少なく無い被害が出ていると言う人和の報告だった。
一般人に人的被害が無いだけ幸いと言ったところか?
面子が面子だしな、と俺はため息を漏らす。周囲に被害をださないようにと言ったところで、余り効果があるとは思えなかった。
「ううん……。まあ、程々にするように一応言っておくか」
「よろしくお願いします」
「人和は、やっぱり苦手?」
「馴染んでいる姉さん達の方が異常なだけです」
人和の言葉に、『それって俺も含まれてるのか?』と軽くツッコミを入れた俺だった。
◆
色々と遭った騒ぎも張譲が都を脱し、劉協が宮中の実権を握る事になって、ようやく落ち着きを取り戻しつつあった。
こうして街への外出許可が下りたのも最近の事だ。
それでも何があるか分からない以上、余り外を出歩かないで欲しいと言われているのだが、こうでもしないと息が詰まって仕方が無い。
至れり尽くせりの皇居の暮らしは、俺にとって余り住み心地が良い物とは言えなかった。
「御遣い様! よかったら、一つどうだい?」
「おっ、肉まんか。美味そうだな。それじゃあ、一つ貰うよ」
「あいよ。ほら、袋に詰めるから持ってきな」
「一個で良いんだけど……。えっと、幾らかな?」
「いらねーよ。御遣い様のお陰で、こうして街に活気が戻って来たんだ。俺達はあんたに感謝してるんだ。勘定なんてもらったら、それこそ罰が当たっちまう」
洛陽の街をこうして散策するのは日課の一つとなっていた。
そのため、顔馴染みの人も随分と増え、こうして歩いていると街の人に声を掛けられる事も多くなった。今日のようにタダで物を貰う事も少なく無い。
気前の良い屋台のオヤジさんに肉まんの御礼を言って、肉まんを一つ袋から取り出し試しに一口食べてみる。
程よく味付けされた肉汁がじゅわりと口の中に広がっていく。
「言うだけあって美味いな。それだけ街に活気が戻ってきてるって事か」
洛陽は食糧不足と言う訳ではない。寧ろ、本当に困っている地方に比べれば、洛陽は食べ物にしろ恵まれている方だ。
水上交通の便も良く商人達が集まりやすいこの地は、本来であれば栄えて当たり前の好条件が揃っている。
それがここまで寂れる事となったのは、張譲と宦官達が行った政策によるところが大きかった。
俺達がやった事と言えば簡単だ。民から過剰に搾取されていた税や物資を、街の人達の生活に還元するところから始めたのだ。
仕事が無くて食べるのに困っている人達に公共工事などの仕事を斡旋したり、城の倉を開けて働けない人達を対象に配給などを行ったり、一番大きかったのは、こうして行商人達が洛陽の市に出入りするようになった事だった。
「太老! 何、食べてるの?」
「ん、地和か。よかったら食べるか?」
「肉まん? 気前が良いわね。まあ、ちぃが魅力的なのは分かるけど」
「そこで貰ったんだよ。タダだからな。お裾分けだ」
薄い胸を張っていつものように調子付く地和に、俺は袋から肉まんを一つ取り出して手渡した。
「熱っ!」
「出来たてだからな。気をつけて食べろよ」
「そう言うのは食べる前に言って欲しいんだけど……」
注意する前にがっついたのは地和の方だ、俺の所為にされても困る。
「そんなに腹減ってたのか?」
「あはは……走ってきたからね」
「走って?」
「街を適当にブラついてたら、応援団の皆に取り囲まれちゃって……」
「この街にも、もうそんなにファンがいるのか……」
「ちぃの魅力なら当然よ! と言いたいところだけど、一足早く洛陽にまで追っ掛けてきてた子達がいたみたいなのよね」
さすがは張三姉妹のファンと言うべきか、その行動力は並では無かった。
地和の話によると、俺達が洛陽にきた直ぐ後くらいから街に潜伏して、少しずつではあるが着実に反抗勢力を増やしていたそうだ。
それが所謂、洛陽に置ける張三姉妹ファンクラブの実態。もう少し都の解放が遅かったら危ないところだった、と俺は冷や汗を流す。
黄巾党みたいなのが、ここでも発生していたかと思うと想像するだけでも頭が痛い話だった。
「絶対に連中を煽るなよ?」
「フフン、どうしよっかなー」
「肉まん、もう一つどうだ?」
「……ちぃはそんなに安い女じゃないわよ?」
と言いながらも、肉まん≠受け取る地和。どことなく嬉しそうな表情が窺えた。
◆
「これは素晴らしい! 主、この肉まんをどこで買われたのですか!?」
「えっと、市場の屋台だけど……って、ちょっと待て待て! 肉まんは逃げないから人の話を聞いていけ!」
「しかし……売り切れてしまっては一大事」
「残りは全部やるから、とにかく落ち着いてくれ……」
この屋台のオヤジから貰った肉まんだが、実はメンマ入りだった事もあって星の眼鏡に適ってしまったようだ。
売り上げには貢献してくれるだろうが、厄介な人物に目を付けられてしまった事を申し訳なく思った。
俺から受け取った残りの肉まんを酒のあてに、また一杯を始める星。そう、ここは星行き付けの酒家だ。
人和に頼まれた事を忠告しにやってきたのだが、案の定、予想通りの場所で星は酒を飲んでいた。
「とにかく、出来るだけ物を壊さないで欲しいんだ。被害報告も出てるしさ。もう少し穏便に……」
「……正義に犠牲はつき物です」
「いや、格好良く言ってもダメだから。余り目に余るようだと、給金から差っ引くからな」
「あ、主! それはあんまりな話!」
俺の護衛名目で、結構な額の給金を商会から貰っている星は大きく慌てた。
それもそのはず、彼女の給金の殆どはこうした酒代やメンマにその殆どを消費されている。
給金を減らされると言う事は、その楽しみを制限されるというのと同じ意味を持っていた。
「第一、それを言うなら華雄の方が……」
「あっちはあっちで、既に詠から修理費の請求書が送られてるから問題ない」
「ぐ……」
今頃は半分に給金を減らされて涙を流しているはずだ。哀れ、華雄。
本来、街を守るべき将が不可抗力とはいえ、街を破壊しているのだから当然の事と言える。何事も度が過ぎるのは良くない。まあ、こうした手加減が出来るほど器用な人物とは最初から思っていなかったが、この配役自体、適役といえば適役だが、その結果生じる被害の方もバカに出来たものではなかった。
現在、広報活動を兼ねて街で警備を行っている華蝶仮面は三人。お馴染みの華蝶戦隊筆頭、星華蝶。残りの隊員二人は後ほど紹介するとして、正義の味方と言うからには当然悪役が必要だ。その悪の女幹部担当が華雄だった。
だって、あの格好や話し方ってどこからどう見ても正義の味方と言うよりは、悪の女幹部って感じだろう?
華雄にやって貰うに当たって説得したのは俺ではないのだが、本人はかなりノリノリでやっているようで、その結果が家屋の損壊と言う結果に繋がっていたと言う訳だ。
「第一、勝手についてきて何をやってるかと思えば……」
「悪のあるところに正義有り。それに主を放って置くなど出来ません」
「それは名目の一つで、風にでも頼まれたんじゃないのか?」
「うっ……何故、それを?」
「行商人の出入りが余りに早すぎる事と、手紙を送ってからの対応の早さ。どう考えても、風の仕業だろ?」
この俺の考えを読んで、先を行くかのような用意周到さは間違い無く風の仕業と言って良い。いや、風にしか出来ない事だ。
普段の仕事の上では稟の方が優秀な力を発揮するが、こうした悪巧みに関しては風の方が手際が良かった。
行商人の件や星がここに居る時点で誰が裏で糸を引いているかなど、風のそうした部分を知っている者からすれば明白だ。
「今日の主は人が悪い。用事と言うのは、それだけですかな?」
「いや、実は他にも頼みがあってきたんだ」
「と言うと? また何やら悪巧みの臭いがしますな」
俺の誘いに乗ってニヤリと笑みを浮かべる星。正義の味方と言うよりは、まるで悪役だ。
彼女達の活躍で計画の下準備は思ったよりも早く片付いた。既に、ここ洛陽で正義の味方『華蝶仮面』の存在を知らない者はいなくなった。
そしてこの噂は街を出入りする行商人達によって、各地方にも広がりを見せているはずだ。
この事を知らないのは慣れない遠征にでて、こちらに意識を集中させている連合だけだ。
「正義の味方に退治して欲しい悪党がいる」
大衆が望むのはどの正義か、憎むのはどのような悪か。視聴者は漢王朝の民達。
史上最大のヒーローショーが、静かにその幕を開けようとしていた。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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