漢王朝の王都。ここ洛陽の空に舞う三匹の蝶の姿があった。
「可憐な花に誘われて、美々しき蝶が今、舞い降りる! 我が名は華蝶戦隊が一人、星華蝶! 混乱の都に美と愛をもたらす! 正義の化身なり!」
「同じぃぃぃく! 東方に咲く絶世の美女。日の出国より舞い降りし史上最強の漢女! 赤き紅蓮の蝶、卑弥呼蝶とは儂の事だぁぁぁ!」
「俺のこの針が光って唸るぅぅ! 病魔を倒せと輝き叫ぶぅぅ! ゴッドベイドォォの華佗蝶だ!」
ちゅどーん、と近所迷惑を顧みず、登場の台詞と共に背後に爆煙を撒き散らす三人。
その騒ぎに釣られて、あちらこちらから大勢人々が野次馬のように集まって来る。
「華蝶戦隊だ! 母ちゃん、早く早く! 華蝶戦隊だよ!」
「華蝶弁当、華蝶饅頭、華蝶煎餅はいらんかねー! 御茶もあるよー」
ワイワイと騒ぎ立てながら集まってくる子供達。そして一緒にやってきた大人達に紛れて、手慣れた様子で商売を始める者達までいた。
ここの人達は慣れたものだ。最初こそ驚かれはしたものの、今ではすっかり人気者の華蝶仮面もとい華蝶戦隊。彼等の活躍によって、街の平和が守られている事を、ここ洛陽の人々は知っていた。この騒ぎ自体、今では街の名物ともなっている光景だ。
人々に迷惑を掛けるゴロツキを、窃盗犯を、強盗を。そして悪政を敷く官吏を、華蝶仮面は正義の名の下に裁いてきた。その結果が、この民の熱気と言う訳だ。
実際のところは、それほど簡単な話では無い。本来こうした事は正義の味方の仕事ではなく、警備兵の仕事だ。
彼等のしている事といえば、逆に街の平和を乱していると言われても仕方の無い問題行為だ。
だがしかし、ここで『本来であれば』という条件の話に戻る。分かり易い『悪』と『正義』と言うモノは、小難しい理屈を講釈されるよりも民衆に取っては分かり易く受け入れやすい。これまで散々、宦官の行った悪政によって苦しめられてきた民の気持ちを考えれば、何が正しくて何が間違っているかなど、今更論じる必要性も無いくらい単純明快な事だった。
誰しも自分達の味方をしてくれない支配者よりも、身近で街を守ってくれる正義の味方に心を奪われるのは当然の話。
天の御遣いがここ洛陽で人気を高めているのも、そうした事情からだ。
事実、華蝶戦隊によって追い詰められている今日の獲物も、民達にとって憎むべき存在の一人だった。
「ひぃ! な、なんなのだ! き、貴様達は!」
「逃げても無駄だ。アンタの悪事の証拠はここにある!」
「なっ!? そ、それをどこで!?」
華佗蝶が懐から取り出したのは、一冊の日記だった。その日記を目にして、顔を真っ青にする男。
無理も無い。その日記には、男にとって絶対に知られてはならない、不正の全てが記されていた。
「●月●日。今日は愛しのランランちゃんと、念願の『あふたー』の約束を取り交わした。とはいえ、活動資金がまた足りなくなってきている。どこかに美味い金の話でもあればよいのだが、張譲の企てに賛同してから良い事が全く無い。また帳簿を誤魔化して捻出しておくか。足りなくなったら、また税を徴収して穴埋めすればいい――」
「あああああっ! や、やめてくれ! そ、それだけは! はっ!?」
集まって来ていた野次馬達は、その華佗蝶の読み上げた日記の内容を聞いて、怒りを全身から滲ませていた。
自分達から徴収された税金が、目の前の宦官の『メイド喫茶』通いに遣われていたのだ。
しかも足りなくなったら、また税を取り立てればいいなど、怒りを感じないはずもなかった。
「この星華蝶の目は誤魔化せない。さあ、貴様達の黒幕の名を言え。後で糸を引いているのは何者だ!」
そう言って、槍を男の首筋に突きつける星華蝶。
「ちょ、張譲だ! や、奴が私達をそそのかしたりしなければ――」
「張譲? それが貴様達の黒幕、悪の首魁の名前か!」
コクコクと首を縦に振る宦官。星華蝶はその言葉を聞きたかったとばかりに、ニヤリと笑みを浮かべた。
遂に明らかとなった黒幕の正体。野次馬達の間にも大きな動揺が走る。
「聞けぇい! 皆の者! ここに一つの悪は滅びた。しかし、それは氷山の一角に過ぎない。華蝶仮面は戦い続ける! 悪を、大幹部『張譲』を打ち倒すその時まで、我等の戦いは終わらない!」
『おおおおおっ! 華蝶仮面! 華蝶仮面!』
星華蝶の一言で沸き立つ人々。新たに発覚した黒幕の正体。それに立ち向かう正義の味方。
ここに華蝶仮面の新たな戦いの舞台が開けた、とばかりに星華蝶は高らかに宣言し、左手に握った槍を天に掲げた。
「……良いのか? 本当にこれで?」
「まあ、良いのではないか? 儂は結構楽しんでおるぞ」
医者王と漢女の声は、人々の沸き立つ歓声に掻き消され、虚しく消えていった。
異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第68話『世界の真実』
作者 193
【Side:太老】
「太老。また、何やら面白い事を始めたようじゃの」
「ああ、メイド喫茶も順調に成果を伸ばしているしな。証拠となりそうな物は抑えたし」
劉協を膝の上に乗せて、下から上がってきた報告書に目を通していた。
メイド喫茶で連中から巻き上げた金が民に還元される仕組みを作ったはいいが、問題は連中の金が尽きた時だった。
張譲がダメだからと言って、旗色が悪くなると直ぐにこっちに寝返るような連中だ。金が無くなれば、またどこかで悪事を働こうと悪知恵を働かせかねない。そう思って見張らせていたら案の定、経費の水増しで不正に金を得ようとする姑息な連中が次々に出て来る始末。そこで計画を次の段階に進める事にしたのだ。
華蝶仮面による宦官の粛正。ついでにその黒幕として、張譲には最大限の悪役を演じてもらう事にした。
今の華蝶仮面の知名度と人気なら、こうした情報戦略をやらせるには打って付けの存在だ。正義の味方に悪役は必要不可欠。当然ではあるが、大ボスがいないのでは格好がつかない。そう言う意味では、洛陽の民にとってこれほど分かり易い悪党は他にいなかった。
「しかし、あくどいの。宦官達から金を巻き上げ、証拠が揃ったところで連中から何もかも奪ってしまうなど……」
「まあ、あれだけの事をしてきたなら自業自得だろう。それに――」
こんな風に上手く行ったのは、劉協と彼女≠フ協力があったからだ。
詠と劉協の話では、そろそろ計画の下準備を終えて、こちらに帰ってくる頃だと思うのだが――
「慈悲を掛ける相手を間違えてはいけませんよ? 劉協様」
「おっ! 帰ってきておったのか!」
「はい。ただいま、戻りました。太老様、ご無沙汰しております」
「久し振り、林檎さん」
◆
積もる話もあるからと劉協に気を利かせて貰った俺達は、二人で執務室に籠もって情報交換を行っていた。
「まさか、林檎さんまでこっちに来てるとは思ってもいなかったよ」
「太老様が居なくなられてから、こちらは大変だったんですよ?」
「いや、それは悪いと思うけど……文句は鷲羽に言ってくれる?」
立木林檎。『鬼姫の金庫番』とも呼ばれている神木家経理部主任。あの神木瀬戸樹雷の側近の一人だ。
そして俺の元同僚。樹雷に居た間は、随分と彼女の世話になっていた。
まずは、林檎が何故この世界に居るのかを説明しなくてはならないだろう。
林檎と情報交換をして分かった事。俺がこの世界に来てから、あちらの世界では四年の時が経過していると言う話だった。
鷲羽の話と言うか弁明によると、本来は『柾木家の試練』の一環で別世界に送られる予定だったそうなのだが、そこで予期せぬトラブルが起こったそうだ。
その予期せぬトラブルと言うのが――
「また、美星さんか……。それじゃあ、他の皆は?」
「皆さんは、もう元の世界に戻られています」
柾木家を襲った天災。所謂、美星の偶然。その結果による転移装置の暴走。別世界に飛ばされたのは、どうも俺だけでは無かったようだ。
あの時、柾木家に居た人達の殆どが、バラバラに別世界に飛ばされてしまった。
とはいえ、他の皆は比較的早く発見できたらしく、大抵の面々は地力で帰ってきたそうだ。
俺と零式だけが消息不明のまま、こうして発見するのに随分と時間が掛かってしまったらしい。というのも――
「確率の世界?」
「はい。鷲羽様の説明によると――」
俺が異世界だと思っていたこの世界。それは大先史文明の遺産と思しきシステムの中に構成された『創られた世界』だと言う話だった。
起点となる人物を元に枝分かれする無数の世界。延々と続く、無限とも言える時間の中で繰り返される数多の物語。
白眉鷲羽曰く『神を創るシステム』と呼称されたこれは、過去の人々が自らの手で『神』を創り出すために用意した現実シミュレーション。
鷲羽の研究室に厳重に封印されていた過去の遺物と言う話だ。美星の偶然や、西南の不幸を解析するために作った現実シミュレーションも、これを元にプログラム解析をして作り上げたものらしい。これは言ってみれば、そのオリジナルと言う訳だ。
「それじゃあ、劉協達は人間じゃなくプログラムだって言うのか?」
「いえ、彼女達は確かに生きています。ただ、このシステムの内と外では法則性が違うので……」
この世界では、確かに彼女達は存在している。しかしそれは、こちらの世界から見た現実≠フ話だ。
外の世界から見れば彼女達はやはり空想上の人物に過ぎず、またこちらの世界から見た外の世界は、彼女達にとって空想上の世界と言う訳だ。
どちらが現実で、どちらが夢の世界かなど、それぞれの世界に住む人達にとっては証明しようの無い話。
荘子の話に『胡蝶の夢』と言うのがあるが、それを連想させるかのような哲学的な話だった。
「頭の中がこんがらがってくるような話だな……。って事は、俺達は夢の中に居るって事?」
「似たような物ですね。私がこうしてこの世界で存在できるのは、皇家の樹のバックアップを受けているからです」
「あれ? じゃあ、俺は?」
「恐らくは、零式が原因ではないかと……」
守蛇怪零式。俺が樹雷で海賊退治をやっていた時に愛用していた船の名前だ。
林檎も鷲羽からの受け売りではっきりとした説明は出来ないそうなのだが、その零式がこの世界のシステムに干渉しているのが、そもそもの原因と言う話だった。
俺はその零式のバックアップを受けているのではないか、と林檎は話す。
「元の世界に戻る方法は一つだけです。物語を終わらせるしかありません」
「物語を終わらせる?」
「はい。この物語の起点となる人物を見つけ、物語を終わらせる以外に帰る方法はありません」
「起点となる人物? それって主人公って事か?」
「主人公ですか?」
主人公と言えば、あの男しかいない。『北郷一刀』、本来この物語で主人公をやっていたはずの男の名だ。
と言う事は、やはり彼はこの世界に来てるって事か。全然出番が無かったので、存在自体忘れ掛けていた。
でも孫策のところにも、劉備のところにも、曹操のところにも居なかったし……。一体どこに居るんだ?
「まあ、これが終わったらゆっくりと捜すしかないって事か……」
「そんな悠長な事を仰らないでください!」
「へ?」
「太老様が居なくなられてから、あちらでは大変な事になってるんですよ! だから、私――」
最初に幾つもの世界が枝分かれした確率の世界だと述べたが、鷲羽の計算でも俺が居ると思われる世界の候補は実に百以上に上ったそうだ。
しかも生身でこの世界に干渉できるのは、皇家の樹のバックアップを受けた樹雷の皇族や、天地や魎呼のような例外のみ。
捜索にあたれるメンバーは限られている。そのため、捜索隊には俺の知り合いが大勢参加しているとの話だった。
一例を挙げると天女に水穂、更には船穂様まで参加しているらしく、他にも複数の女性ばかりが捜索隊に参加しているとの話だ。
男連中は全員留守番で、捜索に参加している女性達の分まで書類に埋もれて仕事を頑張っていると言う林檎の説明だった。
(なんで? そんな面倒そうな女の人ばかり……)
偶々、林檎がアタリを引いたと言う訳だが、こうしている今も俺の捜索隊は捜査の範囲を狭めていると言う事だ。
「あれ? それじゃあ、他の誰かがこの世界にやってくる可能性もあると?」
「出る事は無理でも入る事は簡単ですから、多分……」
冗談では無い。そんな面子がこの世界にやってきたら……。想像するだけでも恐ろしかった。いっそ、このまま逃げ出したい気分だ。
(じょ、冗談じゃないぞ……)
ここで待っていたとしても誰かが連れ戻しにやってくると知って、額から冷や汗が溢れる。
林檎の言うように物語を終わらせて元の世界に戻ったとしても、無事で居られる保証はない。
寧ろ、この状況より酷い目に遭う可能性が高い。経験から来る俺の勘が、ビシビシと身の危険を訴えていた。
それならいっその事――
「林檎さん。ここで一緒に暮らさない?」
「そ、それは……確かに、太老様と一緒なら私は……。でも、私には太老様を連れて帰るという役目が! ああっ!?」
面倒な事は後回しにしようと現実逃避をすると、何故か林檎が壊れてしまった。
「ごめん。ちょっと言ってみただけだから……」
「太老様……?」
真面目な林檎の事だ。そう言われて困らないはずがない。そして、林檎を困らせるような真似を俺もしたくはない。
悲しいが、現実を受け入れなくてはならない。そして覚悟を決めないといけないようだ。
林檎の話は、どれも信じられないような話ばかりだったが、俺の中で一番の驚きは捜索隊のメンバーの方だった。
【Side out】
【Side:林檎】
太老様が消息不明になられてから、樹雷では大騒ぎになっていた。特に酷くなったのは、ここ一年の事だ。
皇家の樹のストライキにより、銀河経済が麻痺しかねない事件となり、国家レベルの大問題に。
樹と契約を済ませている皇族の方々は、皇家の樹のご機嫌取りに神経を費やし体力を磨り減らす毎日。
あの瀬戸様ですら、目の下に隈を作って水鏡様の機嫌を伺う日々を過ごしていた。
中でも天樹の処理能力低下は経済だけでなく、樹雷の国防に多大な影響を与える結果へと繋がり、それを聞きつけた樹雷や銀河連盟に反感を持つ反抗勢力が活性化を見せる始末。メディアにも『樹雷はじまって以来の大事件』と見出しが出るほど、歴史的大事件へと発展していた。
太老様の捜索チームが編成され、今まで停滞気味だった捜索が本格化したのもそのためだ。
太老様を連れ帰った人には、鷲羽様と瀬戸様のポケットマネーから『報奨金』と『ご褒美』が約束され、様々な人達が名乗りを挙げた。
とはいえ、多額の報奨金目当てと言うよりは太老様に関係したご褒美≠フ方を気にしているようで、そちらの方を狙っている方々が大半のようだ。立候補している方々が女性ばかりなのも、そうしたところに理由があった。恥ずかしながら、私もそんな中の一人だ。
そのご褒美に目が眩んだ経理部女官一同の全面的なバックアップを受けて、私はこうして太老様の捜索隊に加わる事が出来た。
(でも、私は自分が恥ずかしい……)
私が名乗り出たのは、樹雷のためとか、銀河のためとか、皆の事を考えてではない。
結局は、瀬戸様と鷲羽様の仕掛けた『ご褒美』と言う名の餌に釣られて、私はここに居た。
なのに太老様は――
『林檎さん。ここで一緒に暮らさない?』
などと、そんな私の事や、この世界の人達の事を気遣うかのように、あのような事を口にされた。
その後に『ごめん。ちょっと言ってみただけだから……』と言って見せた、憂いを帯びた表情を私は忘れる事が出来ない。
自分が元の世界に帰る事よりも、他人の心配をされるような、そんな方だと言う事を分かっていたはずなのに、私は……自分が恥ずかしい。
「申し訳ありません。太老様……」
まだやる事があるからと言って部屋を退出され、誰も居なくなった執務室で私は一人、ポツリと涙を零しながらそう呟いた。
太老様を元の世界に連れて帰る事は確かに大切な役目だ。本来であれば太老様の意思を無視してでも、私は樹雷に仕える女官として、太老様を連れ帰らなければ行けない立場にある。
でも、私は太老様に多大な恩があった。そしてお慕いしている正木太老と言う御方が、どのような方かも理解しているつもりだ。
太老様のお気持ちを考えれば、無理強いする事は出来ない。だからこそ、まずは太老様の憂い取り除く事が先決だと考えた。
「見ていてください、太老様! この立木林檎! 必ず役に立って見せます!」
そのためにもまずは、目の前の問題を解決するのが先だ。
鷲羽様の仰った『物語を終わらせる』というのが、どう言った事かは分からない。
ただ私に出来る事は、どんな時でも太老様の手足となり、影ながら力となって支え得る事だけだった。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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