「ああっ! もう! なんで、こんな事に――っ!」

 荀イク(桂花)の叫び声が草原に響く。
 ここは函谷関(かんこくかん)よりも更に西方に位置する洛陽に通じる街道の外れ。
 虎牢関に居たはずの荀イクが、何故このような場所に居るのか? それには聞くも涙、語るも涙の物語があった。
 いや、荀イクだけではない。曹操軍の兵士数千と――

「何をしている! こんなところでグズグズしている場合か!」
「……これだから、バカは困るわ」
「なんだと!?」
「秋蘭が情報を持って帰ってくるまで待ってなさい、って何度言えばわかるのよ!」
「しかし、こうしている間にも華琳様は――」
「私だって心配よ! でも、兵達の疲労も限界に達している。士気はガタガタ。何がどうなっているのかすらわからない! こんな状況で函谷関を抜けられると思ってるの!?」
「気合いでなんとかする!」
「なんともならないわよ! この単細胞!」

 夏侯惇(春蘭)、それに夏侯淵(秋蘭)の部隊も同じようにこの場所に飛ばされてきていた。
 正確には『虎の穴』が作り出した迷いの森を彷徨っていた部隊は、全員同じ場所に放り出されたと言う事になる。
 曹操が飛ばされずに無事だったのは、運良く森の入り口に戻っていた事が要因として大きかった。
 幸か不幸か、ブラック鷲羽の行動が結果的に曹操を救ったと言う訳だ。

「全く、何を騒いでいるのだ。お前達は……」
『秋蘭!?』

 呆れた様子で、口論をしている二人に声を掛ける夏侯淵。やれやれといった様子が窺える。
 調査を終わらせ出来るだけ早く帰ってきてみれば、予想通り喧嘩をしている二人を見て、夏侯淵の顔には疲れが滲み出ていた。

「それで、どうだった?」
「ああ、桂花の言うとおり、やはりここは洛陽の西の外れ、函谷関に通じる街道で間違いなかった」

 夏侯淵の報告を聞いて、『どうよ』と無い胸を張って夏侯惇に自慢する荀イク。大陸の地図が頭に入っていると自慢するだけあって、一目で大体の場所を言い当てた荀イクの観察眼はなかなかのものだった。
 自慢された夏侯惇の方からは、『ぐぬぬ』と悔しそうな声が漏れる。荀イクの言う事だというのもあるが、馬で何日も掛かる距離を一瞬で飛ばされたなどと心の何処かで信じられないでいたのだ。
 それにここが函谷関に通じる街道だと分かったからには、先に斥候を放ち、調査をさせたのはこれで正解だったと言う事になる。
 このまま進軍をしていれば、函谷関の兵と正面から戦う羽目になっていたかもしれない。虎牢関ほど難所ではないとはいえ、都の兵が詰めている関所を落とすとなると今の戦力では心許なく、例え勝てたとしても甚大な損害を被る事は確実だった。
 とはいえ――

「函谷関をどうにかして抜ける策を考えないといけないわね……。迂回をするという手もあるけど、それでは時間が……」
「そのような時間はないぞ! こうしている間にも華琳様は!」
「そんな事は、アンタに言われなくても分かっているわよ! この猪武者!」

 また懲りずに喧嘩を始める二人を見て、夏侯惇は深いため息を漏らす。
 一刻も早く主君の無事を確かめたい――それは夏侯惇だけでなく、荀イクも同じ気持ちだった。
 しかし現実問題として、函谷関をどうにかしなくてはこの先に進む事もままならない。
 迂回をすれば戦闘を回避できるかもしれないが、この兵の数では洛陽に着くまで何日掛かるかわからないという問題があった。
 ああでもない、こうでもないと口論を続ける二人を見て、少し言い難そうな表情で夏侯淵が口を挟む。

「その事なのだが、桂花」
「何よ?」
「函谷関は既に落ちている。関所は完全に破壊され、もぬけの殻だった」
「…………はあ!?」

 これから策を考え、どうにかして函谷関を抜けなくてはと考えていた荀イクは、夏侯淵の話に虚を突かれる。
 連合はこことは反対側の虎牢関の方角から進軍をしていた。これは確かだ。
 だとすれば、反対側から函谷関を攻め落としたのは一体どこの誰なのか?
 荀イクは額を手で抑えながらフラフラと膝を突く。次から次に起こる予想も付かない事態に、考えがついて行かなくなっていた。

「何がどうなってるのよ……」
「何を悩んでいるのだ? 障害はなくなったのだろう?」
「ああ、その通りだ。姉者」
「ならば、これで何も問題は無くなった訳だな。さあ、行くぞ! 華琳様の元に!」
「…………バカは単純でいいわね」

 確かに障害は無くなった。
 これで洛陽に向けて出発できる訳だが、夏侯惇のように素直に喜べない荀イクだった。
 ここ最近、軍師として全く活躍できていないばかりか、自信を喪失しそうな事態にばかり直面している。
 その原因となっている人物が誰かなど考えるまでもないのだが、今回の事も荀イクのやる気を喪失させるに十分な内容だった事は言うまでも無い。

「申し上げます! 西より凡そ二千の兵が接近中!」
「はあ!?」

 すると、その時だった。周囲を警戒していた見張りの兵が、慌てた様子で荀イク達の元へ駆け込んできた。
 息を切らせ額に汗を滲ませながら、困惑した様子で謎の軍の接近を知らせる兵士。
 問題が一つ片付いたかと思えば、また何の前触れもなく起こる不測の事態に、荀イクは動揺を隠しきれずにいた。

「西からだと何者だ? 旗は確認できているのか?」
「はい。『馬』の牙門旗が……」
「『馬』――まさか、西涼の馬騰(ばとう)か!?」

 混乱した荀イクの代わりに、兵士に確認を取る夏侯淵。兵士の口からもたらされた情報に、夏侯淵もまた驚いて目を見開く。
 兵士の語る『馬』とは、西涼の騎馬隊を束ねる『馬』一族の牙門旗で間違い無かった。





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第91話『幼女の国』
作者 193






「……これが、馬騰なのか?」
「そんな訳ないでしょ!? こんなちんちくりんが!」
「ちんちくりん言うな! たんぽぽより、ぺったんこの癖に!」
「なんですって!」

 再びカオスな状況になっていた。
 目の前に現れた小さな少女を見て、想像していた人物とのギャップに首を傾げる夏侯惇。当然ながら、この少女が馬騰のはずもない。我慢の限界がきていた荀イクの厳しいツッコミが飛んだ。
 で、『ちんちくりん』呼ばわりされて怒ったのは件の少女。馬騰の代理としてやってきた馬超の妹、名は馬岱(ばたい)。真名を『蒲公英(たんぽぽ)』と言う。
 姉の馬超ほどでは無いにしても、それなりに涼州では名の通った勇将である彼女。姉と比べると実力の方はまだまだだが、持ち前の明るさと元気の良さが彼女の取り柄だった。

「これでも西涼の代表としてやってきたんだぞ。ふふん、そんな口を利いていいのかな?」
「うぐぐ……華琳様のお許しがあれば、こんな奴……」

 馬騰の代わりにやってきた、と言う馬岱の話に悔しさを滲ませる荀イク。涼州の盟主の名代、西涼の使者となれば、それなりの扱いをしなくては礼儀に反する事になる。最初は何故このようなところに馬岱が居るのか不思議に思った夏侯淵も、その話に納得した様子で頷いて見せた。
 姉の馬超に遅れて、連合に参加するためにやってきたのだと勘違いしたからだ。夏侯淵が馬岱の事を、馬騰が寄越した援軍と思っても不思議な話の流れではなかった。
 だが同時に、馬騰が涼州を離れられないほど身体が悪いのだと夏侯淵は察する。
 馬騰が病魔に冒され床に伏せっていると言う話は、夏侯淵の耳にも入っていたからだ。

「そうか、病魔に冒されていると言う話は聞いていたが、それほどに悪いのか……」
「ううん、元気にしてるよ?」

 キョトンとした表情で『馬騰は元気だ』と話す馬岱に、どうも話が噛み合っていない事に夏侯淵は気付いた。
 一足早く連合に参加した馬超は、床に伏せている馬騰の名代として連合に参加したと言っていた。
 しかし馬岱は、馬騰が元気にしていると話す。これでは辻褄が合わない。

「病気で床に伏せている馬騰殿の代わりにきたのではないのか?」
「病気? それなら治ったよ?」
「治った?」
「洛陽から『天の御遣いの従者』って人がやってきて母様を治してくれたの。だから、たんぽぽは――」
「――天の御遣い!?」

 馬岱の口からでた『天の御遣い』の名を耳にして、ガッと身を乗り出す荀イク。

「どういう事よ! 天の御遣いって! あの男、やっぱり、あの男が黒幕だったのね!」
「ちょっと待って! 苦しい……首が絞まって……」
「落ち着け、桂花!」

 鬼のような形相で馬岱の胸倉を掴み、その小さな身体を激しく前後に揺さぶる荀イク。
 何かがおかしい、まさかと思っていた事の確信を得たように、荀イクの頭の中ではこれまでの伏線が繋がっていく。
 馬岱の口から『天の御遣い』の名が出たことで、疑惑が確信へと変わった瞬間だった。

「し、死ぬかと思った……」
「すまない、馬岱殿。出来れば、詳しく事情を訊かせて欲しいのだが……」
「あれ? もしかして何も知らないの? おかしいな。曹操って天の御遣いの愛人なんじゃ――」
「華琳様が愛人だとぉぉ!?」

 ――(きじ)も鳴かずば打たれまい
 口にしなければ良いモノを、余計な事を口走る馬岱。身の危険を感じ、必死に夏侯惇から逃げる。

「うわっ! ちょっ! それ、絶対あたったら死ぬ! た、助けてぇぇぇ!」

 怒り狂った夏侯惇の一撃が、地面をたたき割った。


   ◆


 益州より更に南下した場所にある密林。『南蛮』と呼ばれている国がそこにはあった。

「七乃! 蜂蜜が食べたいのじゃ!」
「ありませんよ」
「では、代わりに何か持ってくるのじゃ! 妾は腹が減った」
「ですから、何もありませんって」
「何も……じゃと?」
「残った兵士の皆さんも、美羽様の我が儘に愛想つかせて何処か行っちゃいましたし、食料もあの騒ぎで殆ど無くなっちゃいましたもん」

 森の中をウロウロとする人影。袁術(美羽)と張勲(七乃)の二人だ。
 黒い穴に吸い込まれ数万を超える兵は散り散りに、その過程で糧食などの物資の大半を失い、残った兵達も袁術の我が儘に愛想を尽かし消えてしまった。
 結果、森の中に取り残された二人は、こうしてあてもなく彷徨っていると言う訳だった。

「ですから、我が儘を言われても無理です」
「ううぅ……もう一歩もあるけん! 腹は減ったし、暑いし、こんなジメジメとしたところにずっと居るのは嫌なのじゃ!」
「そうは言われても、出口も分かりませんし……」

 どちらに向かえば森の外に出られるのか、それすら分からないこの状況では、幾ら袁術が我が儘を言おうと無駄な事だった。
 張勲もどうしたものかと考える。袁術ほどで無いにしても、彼女もお嬢様育ちだ。森の中で自活するサバイバル技術など、持ち合わせているはずもない。
 まさに絶体絶命の危機に二人は直面していた。

「でも、困りましたね。このままじゃ森の中で野垂れ死ぬ可能性も……」
「嫌じゃ! 妾はこのようなところで死にたくない!」
「なら、歩いてくださいよ。何か食料と、せめて水を確保しないと本当に死んじゃいますよ?」
「もう、一歩もあるけんのじゃ! だから、七乃が見つけてくるのじゃ!」
「……それでも構いませんが、本当に一人で大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃ! 安心して行ってくるがよい!」
「そうですか? なら、遠慮無く……」

 袁術をその場に残して、森の奥に水と食料を探しに行く張勲。
 袁術の事は心配だったが、このままでは飢え死にする事は確実。張勲にも、その事は分かっていた。

「一人で留守番くらい、妾でも出来るのじゃ」

 張勲に『大丈夫』と言った手前、最初の内はフンフンと鼻歌を歌いながら不安を紛らわしていた袁術だったが、

「張勲はまだかのう……」

 十分ほど経って、段々と我慢が出来なくなってきたのか、表情が険しくなっていく。
 何だかんだ言っても、袁術はまだ子供だ。何処とも知れぬ森の中に取り残され、大丈夫と胸を張れるほど強くは無かった。
 不安で心が押し潰されそうになり、張勲を捜しにいくか悩み、ソワソワとし始めたその時だ。
 ――ガサガサ

「な、なんじゃ!?」

 と前方の茂みから音が聞こえ、慌てて袁術は後ずさった。

「……七乃か?」

 と尋ねるが、返事はない。代わりに、またガサガサと言う音が茂みの中から聞こえてきた。

「妾を食べても美味しくはないぞ!? な、七乃助けて――」

 正体の分からない何かに脅え、涙ぐみながら必死に助けを乞う袁術。
 このまま得体の知れない怪物に食べられてしまうのではないか、と言う恐怖が袁術を襲う。
 しかし、次の瞬間――

「な、なんじゃ?」

 茂みの中から姿を見せた生き物を見て、想像していた物とのギャップに驚き、袁術は何とも言えない困惑した表情を浮かべた。

「こいつ、なんなのにゃ?」
「食べ物にゃ?」
「でも、美味しくにゃいって自分で言ってたにゃ」

 一人、また一人と森の中からぞろぞろと現れる……怪物ではなく人間のような何か。
 デフォルメされた虎の頭っぽい被り物に、ふさふさとした虎柄の尻尾を生やした幼女達。
 布と毛皮で胸や秘所を隠しただけの……水着や下着と大差ない南国の原住民のような出で立ちをしていた。
 太老辺りが見れば、『ここは幼女の楽園か!?』と発狂して喜びそうな光景が広がっていた。

「美羽様! ご無事ですか!?」
「な、七乃! こ、こ奴らは一体!?」

 息を切らせ、随分と慌てて様子で、反対側の茂みから姿を現す七乃。
 それもそのはず。同じ格好に同じ顔の幼女達が、これまた沢山、七乃の後を追ってきていた。

「また増えたのにゃ」
「こっちのは美味いのかにゃ?」
「わからないのにゃ」
「それじゃあ二匹とも、大王様のところに連れていくにゃ」
「そうするにゃ。大王様なら、きっと知ってるにゃ」

 何を思ったのか、納得した様子で袁術と張勲を担ぎ上げる幼女達。

 ――この幼女達はなんなのか?
 ――大王とは一体何者なのか?
 ――そして、ここは何処なのか?

 袁術と張勲の疑問に答えてくれるものは、その場に誰一人としていなかった。





 ……TO BE CONTINUED



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